ムームーとアッパッパー
ハイビスカス。芙蓉属の花であり、芙蓉やムクゲ、紅葉葵などの仲間であるが、日本でハイビスカスと言えば、熱帯や亜熱帯のいくつかの種類にかぎられている。
そのなかでも、真っ赤な花びらに黄色い雄しべ、そして、先端がまた真っ赤な雌しべが代表するように思える。
そのむかし、初めてハワイに行ったとき、ハイビスカスのレイを首にかけてもらい、髭が少し伸びた頬っぺたにチュッとしてもらったとき、こんなことなら髭をそっておくんだったと、もったいないやら恥ずかしいやら複雑な気がしたものだった。
しかし、かなり太目の小母さんはそんなことに慣れているらしく、にこっと笑って次に移っていったが、そのとき着ていたムームーを、戦中戦後の簡単服にそっくりだなと別なことに感心していた。
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戦後間もなく、あれもこれも無い無い尽くしころ、小学校の修学旅行に富山市まで一泊旅行に行った。
背中には貴重品の米、三合くらいを背負い、一里の山道を下り、炭で走る軽便ロコで猪谷、そこから高山線を蒸気機関車が引く列車に乗り換えて、子供心には六階建てだったと思うが大丸百貨店が聳える大都会に行った。
男の子はどんな服装をしたのか覚えていないが、女の子のほとんどは古着を仕立て直した”簡単服”なるものを着ていた。
仕立て直しとはいえ、普段の服に比べるとさっぱりとして綺麗に見え、はずかし気ななかにもツンと気取って見えたのを覚えていて、普段の同級生とは違って見えた。
そして、同じような仕立てながら、小母さんからお婆さんの場合は、これを”アッパッパーといい、薄い生地の仕立てだと、股下のところが透けて見えたりして子供心にも目のやり場が困ったものだが、井戸端会議のときなどは、そんなことものともせず、口角泡を飛ばしていた。
昭和の古きよき時代、井戸端会議のおおらかさが服装にも出ていた。
今日は、ハイビスカスから飛んだところに飛び火してしまった。
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ちなみに、”アッパッパー”は英語のUp a Parts から来ているというそうだが、そうなると原型はどこからきたのだろうか。簡単服と言う名称は戦争中にもあったようにおもうのだけど、、、、。
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