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2009年8月15日 (土)

転機

128 フシグロセンノウは漢字で節黒仙翁と書く。

関節のようにところどころで丸く膨らんだ部分が黒いことから付けられた名前のようで、少し薄暗い木立の中で朱色の花をことさら目立たせるように咲かせている。

その有様は、年老いた仙人というにはちと違う感じを持たせるものがあり、花言葉も”転機”と言うそうだが、陰に隠れて何か画策しているように見える花である。

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野辺山の二十六度を最低にして気温は一寸刻みに上がり、甲府盆地の韮崎に来たときには車載の温度計は三十五度になっていた。

六十四年前、”敗戦の日”正午によく似た感じの青空、あの日も暑い一日だった。雑音ばかりで何を言っているのか子供には理解できない声がラジオから流れてくる。

なんだか、虚脱感がただよっている人の声は「戦争が終わった」と聞こえ、プールから上がって裸のまま聞いたその声を母親に伝えた。

暗い納戸の戸棚の前で母親は「そうか」と一声。それが、あの日の記憶である。

先日、NHKのテレビで元海軍の幹部たちが「海軍反省会」と言うものを昭和55年から11年間のべ400回行なったそうで、そのテープを元に三夜連続で放送していたが、それを聴いていてむなしくなった。

一回目は「海軍あって国家なし」二回目は「「特攻 むなしき沈黙」最後は「戦争犯罪」であったが、統帥権を楯に海軍省や大臣の意見も聞かず一部の人の考え、それも勇ましい人の意見に引きずられて、大局観もなしに戦争に突っ込んで言った様子が見て取れ、そのため、無駄な死に追い込まれた人がどれだけいたことか、、、、、、、

今の役所同様「省益あって国家なし」の原点は何も解消していないように見える。

となると、敗戦から占領、独立の過程で国家組織は転機を身につけることができなかったようだ。

霧が峰の花。

左、メタカラコウ、右、棕櫚欄

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コメント

星さま

私の父親は程度が軽いものの傷痍軍人であり、従兄弟の二人は南海のもすくとなり遺骨はもちろん、何処が死に場所かさえはっきりと分からないのです。
このように召集された平の兵士は与えられた運命を懸命にこなしたかと思いますが、それを指導する幹部があまりにもお粗末ではなかったでしょうか。
その前に写されたガダルカナルの戦争場面での死体の山、同じ場所にあれだけの死者がいたのは死に場所を求めて自ら機銃の前に突っ込んでいったように見えました。
かろうじて生還した人が同じ職場にいましたが、鉄砲などの武器より、食物が無いのが一番辛かったと言っていました。
それでも、海軍はまだ反省会というものをしただけましかなと思います。
インパールでの戦いなども、悲惨と言う以上に後方でのうのうとしていた指導者に殺されたと言う感じをもっています。
それにしても、死んだ兵士の顔はひとつ間違っていれば、父親の顔か、従兄弟の顔であり、知り人であれ無かれを越して、哀れだけではすまない、と自分は思うのですが、、、。

投稿: オラケタル | 2009年8月17日 (月) 16時16分

"東洋平和のためなれば 何の命が惜しかろう”と青春をなげうって戦った。あとからの批判はさておいて、タイ以外はすべてイギリス、フランス、オランダ、アメリカの植民地であった東南アジア諸国が独立したのは、あの戦争が転機であったと考えなければ戦死した方々があまりにも哀れです。

投稿: 星 | 2009年8月17日 (月) 12時37分

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