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2009年9月30日 (水)

たちどころに

Img_0119_2 立野老と書いてタチドコロと読む変わった名前の花。

ヤマノイモ科の植物で、山芋に似た葉をしているので、間違えて掘っても芋は出てこない。そのため、偽芋なんて呼ばれ方もしている。

雄雌別株なので、この花は雌花。山の芋花穂が上に向かって咲くのに対して、こちらは垂れ下がっていて、長い花穂に小さな花がいくつも連なってさかせている。

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秋雨前線が日本列島にかかっているとかで、終日小雨模様。

天気予報では、またしばらく不順な天気が続くそうだ。畑にしばらく前に植えたじゃが芋がこの雨を待っていたかのように、地表に芽を吹き出したが、待っていたのはじゃが芋だけでなしに雑草も同じ思いだったらしく、黒味がかった畑が細かい緑になっている。

やれやれ、雨が上がったらまた草取りをしなくては、、、。

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民主党が政権をとっていままでの慣行がかなり変化しそうな感じになってきたが、昨日のニュースでこれまで悪名の高かった官僚の天下りを中止すると発表した。

なんでも、十月一日を期して何十人かの天下りが出来ないことになったようで、当事者は「なんでおれが、、」と身の不運を嘆いていることと思うが、国民のほとんどは喝采していることだろう。

キャリアー試験に合格すれば後は国が一生面倒を見てくれる、という特権階級の図式は崩れ去った。    かにみえる、、が。

しかし、狡賢さで有名な高級お役人がこれで黙っているだろうか。それこそ、日照りの夏はじっと辛抱しても一雨降らす画策をしているはず。

それがどんな手なのか、、、こちらも見守りたい。

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2009年9月29日 (火)

稲刈りすんで我が世の秋?

001 チョウジタデ、漢字で書くと丁字蓼とでもなるのかもしれない。

蓼の仲間で黄色い花は珍しい、と思っていたら、アカバナ科であり全然別の種類だとのこと、どうしてタデなどという名がついたのか。

多分、葉が似ているためだろうか。

稲刈りを済ませた田んぼの脇に、タカサブロウやイボクサなどとともにやっと我が世の春ならぬ秋が来たとばかりに日の光を浴びていた。

今日の花。左、イボクサ、疣がとれるというはなしだが、、、。右、タカサブロウ、高三郎とまるで人の名前のようだが、調べて見てもその理由は分からないとか、、、。何か面白い話でもとあればと期待したのに。

035 037

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2009年9月28日 (月)

風に吹かれて

Photo 麻機周りの山にも釣鐘人参(ツリガネニンジン)が咲いていた。

八月に長野県蓼科山で見てから一ヵ月半、ようやく静岡にまで秋を運んできたことになるか。もっとも立科で見たのは高嶺が頭につく別種かもしれないが区別がつかないので、、、。

色の花の先にから蕊(しべ)がちょこんと覗いている。釣鐘と言うより西洋のベルと言った感じの花であり、

Img_0032 風に吹かれれば、小さな音を出しそうな風情が見える。

名前の由来は花の形にもあるが、根が可愛らしい花に似ず大きな人参に似ているところというが、まだ掘ったことがないもで見ていない。

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後日談:釣鐘人参を別名トトキと言い若芽が食べられることまでは知っていたが、トトキとは朝鮮語と言うのは知らなかった。この言葉がいままで日本各地に残っていたと言うのはどういう事情だったのか調べてみると面白いかもしれない。

佐渡の民謡に、山でうまいはオケラにトトキ 嫁に食わすには惜しゅござる と、いう一節があるとか、まだどちらも食べてことが無いので、そのうち機会が来ることを願って、、、。

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ガンバロー 

がんばろう 突き上げる空に

くろがねの男の こぶしがある

燃え上がる女の こぶしがある

闘いはここから 闘いはいまから

昭和35年三池争議の中から生まれたがんばろう」という労働歌である。

この歌が出来る少し前から、労働組合が春闘などのとき集会で始めた動作で、「左手を腰に当てて、、」などと指導され、年取った組合員が恥ずかしげにやっていたのを覚えている。

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自民党総裁選が今日実施された。昨年総裁選に比べると、かなり醒めた雰囲気だったと報道は伝えている。

最近気になっていることのひとつに、自民党の先生方の選挙戦を見ていると、出陣式などのとき「がんばろう!」とこぶしを突き上げるしぐさが目に付くことである。

「がんばろう」の歌が歌われたころは、”むかし陸軍いま総評”と言われ、労働組合が自民党を含む総資本に戦いを挑んでいたころで、そのころの、自民党はなんでもかんでも「万歳」一本槍だったはず、、、。

それが、いまでは、かなりさまになっていると言うことは、「がんばろう!」というしぐさは、いまや国民的な動作になってきたのだろうか。

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2009年9月27日 (日)

主役交代

Img_0050 上天気のうちに開けた秋の彼岸。

主役交代とばかりに、ツルボが咲き出した.

Img_0037 ツルボは漢字で書くと蔓穂と書くそうだが、どこに蔓と関係のある部分があるのか分からない。

また、別名の参内傘というのは宮中に行くとき傘のたたんだのを持っていくのを時代祭りなどで見たことがあるので、ふーんと納得。

日当たりの良い場所を選んで、明るい紫色をした小さな花をしたから順に咲かせていく。

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的外れかもしれないが、今日優勝が決まる大相撲の横綱対決。はじめから構図が分かっていて、前日ビールを飲みながら、こうなるよと言ったことそのままの展開になったので笑ってしまった。

本割で、朝青竜が勝ったのでは優勝も懸賞金も総取りになって了解が得られない。それで本割りは朝青竜が負けて懸賞金と同点優勝で白鵬に利食わせ、優勝と言う花は朝青竜が貰うと言う筋書き。

毎場所、七勝七敗の力士が千秋楽で勝つ率が多いと言われている中で、優勝もその倫理で決まったように見えて仕方が無い。

大相撲の最近は上位力士に日本人が少なくなり、大関陣の無気力相撲が多くなる中で、こんな勝負を見せられると、国技と言うのはNHKだけになりそうだが、如何。

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2009年9月26日 (土)

喫茶店で合コン

021 黄色コスモスが咲いているところにオオスカシバがいくつもホバリングをしながら長いストローのような吸い口を伸ばして蜜を吸っている。

018soosukasiba まだ見たことが無いが、一番小さい鳥と言われるハチドリに似ていなくもないような気がする。食事をしながら将来の伴侶を探すと言うのは、喫茶店で合コンをしているように見えて、しばらく立ち止まってみていた。

オオスカシバ。漢字で書くと”大透かし羽”と書くようで、名前の由来は羽根が透けて見えるところにあるようだ。大きな分類では蛾の仲間だが、普通に見られる鈍重な蛾と違って昼間、活発に飛び交うのと色合いが綺麗なことが違う。

この仲間には、蜂と見紛うほどの擬態が達者なものもいるが、名前のとおりいずれも羽根が透き通っている。

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用事が会って青葉公園の近くまで行ったので、公園でやっているラーメン祭り?を覗いてみた。

七~八軒と思しき店がテントを張って食べさせていたが、いずれも長い行列で、最後尾を示すプラカードを持った人が立っている。

自分の趣味に合わないので御免蒙ってきたが、「こういうのを好きな人がいるんだねぇ」と言うのが正直な感想。

買ったわけでもないので分からないが、プラスチックのどんぶりに入った様子からカップラーメンみたい。非衛生的といわれればそれまでだが、屋台の下でさらさらっと洗ったどんぶりの重みが美味さを付け加えてくれた気がしないでもない。

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2009年9月25日 (金)

空に大きくバッテン

004 信号が赤になったにもかかわらず前を走っていた紅葉マークの車は交差点に入り通過していった。

危ないなと思いカメラを構えたその先の空に、おおきくバッテンマーク、おもわず「よく出来た光景だな、、」と

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020 秋の名を冠する言葉の一つに芸術の秋がある。

いま県立美術館では、狩野派の絵が展示されていると言うので見てきた。

狩野派は室町時代に起きて江戸時代には幕府や大名、豪商などいわゆる支配階級に雇われて絵を描いた一派で絢爛豪華なものばかりと思っていたが、見ていくうちに、墨絵のようなものも結構ありどうやら、ひとつの型に嵌まらないものらしい。

そして、現代のように一人の作者が全てを仕上げるものばかりでないようだし、中には作者が分からないものまであるところを見ると、狩野派とは何ぞやに戻ってしまう。

いつものように学生児童は全然いないので、時間を掛けてゆっくりと廻ってきたが、根気がなくなってきた証拠に、だんだん足早に出口に向かう。

ぽんと出たところに並ぶ、現代の油絵との対称はなんともいわれぬものを感じたが、文章にするにはちょっと難しい、、、つまり頭の整理が出来ない。

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2009年9月24日 (木)

秋の野芥子

010 秋の野芥子(アキノノゲシ)柔らかな黄色をしてたおやかに花を咲かせている。

いわゆるどこにでも咲く雑草で、野芥子に似ているところから名付けられたそうだが、野芥子の仲間と言うよりレタスに近いそうでウサギなどが喜んで食べるのも道理であろう。

茎を折ると乳白色の液が出るので、乳草なんて呼び人間も食べた草のひとつである。

写真を見ても分かるように、このあとに続くつぼみを一杯つけ、北風に向けて綿毛を飛ばすせば冬が来る。

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八ッ場ダムの建設中止で世間が大きくゆれているかのような報道がなされている。地元や自治体の意見は中止反対でまとまっているようにもって行こうと報道しているのがありありと見えてかえっておかしい気がする。

ただ、この報道で八ッ場を”ヤンバ”と読めるようになった人が多く、観光客も大勢来ているそうな。

また、このダム無駄遣いの象徴として民主党が槍玉に挙げたのなら、どう無駄遣いなのかもっと根気に説明をする必要あるのではないだろうか。

建設費の八割方を使ったのだから、このまま工事を進めてとの意見もあるが、残りの二割でダムが完成することは今までの例から言ってまずありえない。さらに、追加の費用が発生するように作られた経費であり、長野原町長あたりは中止になると固定資産税が入ってこなくなることを心配しているのが見え見えでなんだか茶番劇を見ているようで仕方が無い。

住民が新しい土地に移住したのなら、いま建設中の橋や道路の付け替えは仕方ないにしても、必要が無いダムだとしたらこれ以上の費用は、、、。また、自民党が政権をとるまでお預けとは出来ないものだろうか。

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2009年9月23日 (水)

おはぎがお嫁に行くときは

012kuri ”天高く馬肥ゆるの秋”とか、先日来あちこちから、葡萄や秋刀魚をを送っていただき、従来の健啖家は夏ばてもしていない関係上、何でも美味しく食べすぎぐらいに食べている。

今日も今日とて、知り合いの栗山に入って約15kgも、、、昔流に言えば一斗も拾って帰ってきた。しばらくは茹でたり、栗ご飯にしたり、、、と、それでも、二人所帯では食べきれないので渋皮煮にするそうだ。

そのほか、サツマイモもとくると、この春以来苦労して二十貫にまでさげた体重がリバゥンドしそうで、、、、、、。(五尺六寸 二十貫?てと言う向きには知らないほうがよさそう。とにかく、もう二貫目は減らしたいと願っている。)

上手いものを目の前にして、食べるなと言うのは一種の拷問か。芋名月、栗名月、月は出なくても美味しさには関係なし。

読書の秋。スポーツの秋と秋はいろいろ言われるが、食欲の秋は一番楽しいうえ、手間がかからないからな、、。

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今日は秋分の日であり彼岸の中日でもある。

春の彼岸に、仏壇に供えるものを牡丹餅といい、秋の彼岸に供えるものをおはぎという。つぶ餡と、こし餡との違いもあるというが、どちらも同じものであり、我が家でも近所で共同制作した物をあげて仏の供養とした。

以前なら、各家で一升~二升の米を炊いて半殺しにし、お萩を作ったものだがそんなに作っても食べきるのに何日もかかってしまうし、食べ飽きればもったいないし、その結果苦肉の策として、、、、。

010 おはぎがお嫁に行くときは

餡こと黄な粉でお化粧して

円いお盆に載せられて

着いたところは 応接間

アメリカのリバテイ賛歌の替え歌として女の子のお手玉などで歌われてようだ。

リバティ賛歌はアメリカの南北戦争のとき北軍の行進曲として使われたと聞くが、よほど歌いやすかったと見えて、いくつも替え歌があり、日本でも片手以上ありそうだ。

自分が知っている限りでも「おたまじゃくしは蛙の子」や「権兵衛さんの赤ちゃん」などがあり、そのほかにもコマーシャルソングなどにも使われている。

南北戦争といえば、日本の明治維新より数年早いだけ、そのころの日本の軍歌?といえば、「宮さん宮さん お馬の前でひらひらするのは 何じゃいな」とか「富士の白雪ゃの~え」が今に残っている。

いまだに残っていると言うことは、いずれも名曲なんだろうな。

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2009年9月22日 (火)

房藤空木は

039 038_2 安倍川最上流、梅が島の川原にいま房藤空木(フサフジウツギ)が紫色の花を一杯に咲かせている。

遠目で見たときクガイソウに似ているがなんだろうと思った。そばによって見ると小さい紫の花を密集させた花の集団で、名前のとおり房になっている。

この花がこれほどまでに多くなったのはどんな理由があったのか。原産地は中国との話もあるが、南アルプスなどの谷あいにも結構咲いているとこから、昔からあるのでは?という説もあるそうだ。

いずれにしろ、いままで咲いていたのかどうかを含めて知らなかった花である。

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2009年9月21日 (月)

白髭草を見たくて

017 今日は敬老の日だって言うのにだあれからもご招待が無い。

したがって、「年寄りだけで日帰り温泉”黄金の湯”へでも行って来るか」ということになり、ジジババ四人で向かってみたが、ここまで来ると今年の白髭草が見たくなった。

005 白髭草は写真のように五弁の花びらの先がチリジリに裂けたような状態になっていることから老人の髭に見立てて付けられた名前のようである。

同行の他の人たちは、花や安倍の大滝なんぞには興味が無いので、自分ひとりで勝手に行動させてもらうことにした。「荒船山のこともあるから気をつけて、、。」と送り出され、1kmほど上流で車を止め、つり橋を三つ渡って安倍の大滝に向かう。

004abeootaki 途中ほとんど花らしいものを見ることも無く、30分ほど歩いて滝つぼ近くに到着した。連休だけあって家族連れや老夫婦など10人近くが滝を眺めている。

気温は、駐車場で19度だったからもっと下がっているに違いない。滝のしぶきはほとんどかからないが、中には寒そうに震えている人もいた。

目指す白髭草は白い野菊(白嫁菜?)に混じってポツンポツンと咲いている。綺麗な花だけに関心を持つ人がいるが名前は知らないようだ。

中には、手折りそうな人もいたのでじっと手元を見つめていたら止めたが、この花も以前に比べたら数が減っている。

このほかに、大門字草が一本岩にしがみついていたのも絵になった。ほか、ホトトギス、そして、イワイチョウに似た花がここでの花。

035 街道に帰ってきて駐車場の周りを見れば、遅咲きのツルニンジン。この花の別名を”爺蕎”と書いてジイソブと言うのだが、名前の由来が花の内側の模様が、爺様のそばかすに似ているからというが、そばかすと言うより年をとれば出てくるしみが長生きの証拠と言う意味なのだろう。

とにかく今日は敬老の日。小さなお祝いにはこちらが元気な間はしてもらわなくて良い。

いざ助けを求めるまで遠くから見ていてもらいたいのが、こちらの望みと、連休で人一杯で風呂で語りあうが、騒々しいまわりの人の声にかき消され、「えぇっ、、」となんども聞きなおしている。

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2009年9月20日 (日)

おだっくい

017komurasaki 小紫、花にも同じ名前があるが、この蝶は国蝶の大紫に対して付けられたものと見る。

光の差さないところでは、茶色の羽根にしか見えないが、光を反射する角度によって、紫色に変化する。そのため、この写真では一部しか紫に輝いていない。

羽根についた鱗が反射するようで、蝶自身が変えようと思ってやっていることではないようだが、相手の蝶から見るとこれがセックスアッピールになるのだろうか。

そして、蝶の仲間では珍しく花の蜜より動物の糞や屍骸が好きなようで、花にはほとんど近寄らないそうだ。麻機のグラウンド近くの砂利道でミネラルを取りたいのか今日も十頭くらいが集まっていた。

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003 ”おだをあげる” お題目をありがたそうに唱えているばかりで、内容も質も無い気炎を上げることを言う。”おだをまく”も同様で、酒に酔っぱっらった酔漢の理屈などを少々軽蔑意味を含めて言う言葉である。

静岡に来て間もないころ「あんたはおだっくいからね」と言われてまごついたことがある。「おだをくう?」本人を前にして笑顔で言うのだから、けなしている言葉ではないらしいのだが、、、、はて?どんな態度をとったらいいのか。

そのまたむかし、ペルーで通訳に言われたのは「トントと言う言葉が入ったら、きちっと眉尻を上げて怒れ。言葉が分からないからと言って日本人特有のあいまいな笑いでごまかすな」と言われたことを思い出しながら、、。

ちなみにトントは「tonto」で相手を軽蔑した言葉で、愚か者とか馬鹿をさす。

静岡では、”おだっくい”とは、お調子者とか騒ぐことが好きな人と言う意味で使われると、あとで聞いた。招かれて来たばかりの静岡で、すこし実績を上げたいと張り切っていたことがそうした言葉に当てはまったのだろうか。

なんだか腑に落ちない気持ちで、あまり好きではない。

今日は、”おだっくい祭り”とかで、町のあちこちに舞台を造ったり、道路上で奇抜な衣装の老若(男)女のグループが踊り狂っている。

今年で七回目とか、見ていたら、浜松はおろか、愛知県のほうからまで渋滞にめげずやってきたと言っていたが、一種のストレス解消体操に見えなくも無い。

これが、おだっくいなのか。かなりな老女も化粧でアラを隠してはしゃいでいたが、老男はもとより若い人にも男の参加は少ないように見えたし、自分も踊りに加わりたいとも思わなかった。

男の、おだっくいが少ないのは、、、シャイなのか、ストレスが少ないのか。

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2009年9月19日 (土)

近くば寄っては目にも見よ

009 桜蓼が淡いピンクの花を咲かせだした。

麻機の一角に群集があり、もう少しするとピンクの靄がかかったように咲き出す。何しろ花が五mmほどと小さいだけに、一つひとつではそんなに目立たないのだが、、。

近寄ってみれば名前のとおり桜に似た端正な花かたち、まさに、近くば寄っては目にも見よ」と言った風情である。

蓼の仲間はこのあたりでも数多くあるが、花として綺麗なのは桜蓼に尽きると思う。

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今日から五連休の人が多いようで、朝の七時ころには東名が渋滞し始めたと報じている。そんなことを聞きながら観光地へ出かける気にもなれず、午後は畑仕事。

先日来のからから天気にもようやく区切りがついて、冬物野菜を植えるための畝作り。

石灰を撒き、耕運機で堆肥を混ぜ合わせるのは簡単なのだが、土寄せが機械では十分に出来ないため鍬で掻き揚げ均すのが一仕事。

久しぶりの仕事に腰が痛くなった。

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2009年9月18日 (金)

田村草は

026 028 ”秋の田村草”この名前を始めて聞いたとき、田村さんちの庭にでも咲いていた花によく似て秋に咲く花と言う意味で付けられた名前だと思っていた。

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Img_0178(写真左、田村草)

ところが、元祖と言うか「田村草」を知ったとき、何処が似ているの?と言うのが正直なところ、田村草は遠目ではアザミと間違われても仕様が無いくらい似ている。

紫蘇の花に近い”秋の田村草”とは似ても似つかない花なのである。

最近、そうでないかと言う説にであった。田村草のもともとは多紫、、、タムラサキではなかったかと?それが縮まってタムラになったというもの。

紫の多い草花。と言う意味でなら、、、自分はこれで納得した。

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今日のテレビは酒井法子の保釈会見でもちっきり、態度がどうの、化粧がどうのとこれでもかと繰り返しワイドショーは騒ぐ。

しかし、さすがに女性は度胸を決めると大した者だなと感心する、留置所から颯爽と言う感じで出てくるところなど、、、、。引き換えて彼女の夫や、その前に釈放された押尾学のように拘置所前で型どおりの挨拶のあと、自動車で逃げ回って行方をくらますと言うやり方は、これが男なのだろうなと言う気がした。

前にも書いたが、酒井法子とその夫は自分たちだけで違法行為をしたので、まだ許せるが、押尾学容疑者と一緒になって麻薬を使用し、死亡したとされる事件を警察が何もしないで釈放したのは疑念が残る。

親方に暴行されて死んだ時太山のように加害者の意見だけで納得したような体質が警察にまだあるのだろうか。

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2009年9月17日 (木)

コナギは小粒でも

005 コナギ、漢字で書くといくつかあるようだが”子水葱”というのもある。

その訳として、昔(万葉のころ)は葉を食べていた節があり、水辺に育つ葱とでもいった感じらしい。ネギが変化してナギとなった。

写真を見て分かるように、水葵に良く似ている。実際その仲間らしく水葵のことを”ナギ”といい、それより小さいことから付けられた名前のようで、生えている場所は水田が多く、農家からは害草扱いをされている。

003 (写真左、水葵)

花の大きさは、全開しても1センチほど、ひとつの花が地面を這う茎からひとつづつポツンポツンと咲き、葉の影などに隠れてあまり目立たないが、可愛らしさは変わらない。

水葵が絶滅危惧種に入る中で、柄の小さいコナギは窒素肥料を吸収しすぎるので害草扱いとか、”山椒は小粒でもヒリリと辛い”見たいなところがあるか。

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鳩山内閣が昨日発足した。各大臣(大臣と言う言葉は好きではないが、、)それぞれ満を侍しての登板だけに、自民党政権のときと違って官僚の原稿を読む人はいなかったとのことである。

今日早速各省でいろいろな指示や方針を打ち出している。国の出先機関廃止、天下りの禁止、生活保護の母子加算復活など、どれもその通りだと思うことばかり、しばらくは官僚が様子見をせざるを得ないのではないだろう。

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2009年9月16日 (水)

人の心と秋の空 (山伏岳)

059kusabotan (写真上、クサボタン)

男心だの、女心だのというと角が立つので”人の心と秋の空は変わりやすい”としておこう。

昨夜から今朝ほどまで雨模様だったのか、新聞が薄いビニール袋の入って配達されていたのに、目を覚ましたときには窓から見える範囲に雲ひとつ無かった。

この天気だもの竜胆が見たいという一念で、山伏岳(2,054m)に行ってみることにした。と言っても、まだ体力に自信がないので百畳峠からの登りにした。

百畳峠は、駐車場の標高が1,500mを超えているようで頂上まで40分弱で登れる道で、今回登るのは三年振り以上のような気がする。以前はされていなかった舗装が完全に出来ており、それこそ費用対効果でいくともったいない道路である。

百畳どころでない広い駐車場にはまだ誰も来ていない。ゆっくりゆっくりと登りだし、尾根道との出会いには咲いていると思った細葉トリカブトは無し、他の花もほとんど見ることなしに標高稼ぎの山道はつまらない。

016 竜胆は一本だけ、オトギリソウも少し、そんなこんなをしているうちに頂上に出てしまった。登り出して40分と少し、駐車場で多かった青空も、ごくわずか残すのみ、展望は一切利かず、文字通り”変わりやすいは秋の空”。

頂上はヤナギラン保護とかで無粋な金網で枠を造っているが、少し前に写真のため誰かが邪魔な立ち木を切ったのと同じような気がする。

ヤナギランは荒地に育つ先進植物なので他の植物が育ってくれば絶えるのが当たりまえ、それが嫌なら下草が生えないようにするしかないと思うのだが、それはしてない。はたして、鹿の食害だけなのか、、、。長野の山には柵をしているところを見てないが、長野に鹿がいないとは聞いてない。

目的の花が見られたら、こんな感想を書かなかったのかもしれない。金網も飛んだとばっちりをうけて、、、。

034 031 (写真上、左、ヤマトリカブト)

帰りは、口坂本温泉を経由して帰ってきたが、写真の花はその途中、車の窓から見かけた花ばかり。

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2009年9月15日 (火)

怒っているのかと

008kuro_2 暗い藪の中がひときわ赤く燃え上がっていた。

彼岸花が咲き出していたのだ。考えてみればあと数日で彼岸の入りを迎えることになる。今年はお盆も彼岸も墓参りにいけそうも無いので、「冷たいやっちゃ」と怒っているかもしれないな。

彼岸花を見ていたら黒揚羽が近寄ってきて蜜を吸いだした。昔の人は蝶の飛び方を見てか、死者に群がるさまをみてか、亡くなった人の魂に見立てた話が世界中にあるそうだ。

蝶は、花の蜜を吸うだけでなしに、動物の屍骸や糞につかまっているのは見たことがある。たぶん、ミネラル補給のためと思うのだが、、、。

そう思いながらも傍に来た黒揚羽を父母の魂が怒って出てきたのかと、思わず確かめるように見とれてしまった。

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戦後初めての政権交代が明日行われることになった。戦後というから64年間、民主主義国で同じ政党が続いたこと自体がおかしいことなのだが、それに慣れきった一部の人は切り替えが出来ずとまどっているようだ。

自分自身も、この先どうなることかと思う面が無いでもないが、自民党政権で何の恩恵も既得権も無かっただけに、早く新しい政治のあり方を見てみたい思いで一杯である。

明治維新以来の官僚国家がつぶれる。それこそミゾユウの出来事になるのだが、知り合いの国家公務員(高卒のノンキャリア)でさえが高級官僚の横暴や閉塞感をなげき、政権交代に喝采していた。

明治維新が、血を血で洗うような混乱から出来たことを考えれば、民主制選挙の元での交代は屁のようなものであろう。

CO2ガスを25%削減、高速道路無料化、八ッ橋ダム中止などに早くも反対意見が出、マスコミはこれから輪を掛けて煽り立てるだろうが、まづ様子を見てからに出来ないだろうか。

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2009年9月14日 (月)

もしも~し

013_2 「もしも~し 秋が来たんだって、、、」電話口に呼びかけているようにナミアゲハチョウがムクゲにつかまっている。

麻機の山道には揚羽蝶の仲間が目立って多くなった。冬越しの幼虫の卵を蜜柑の葉に産み落とそうとしているのだろうか。いずれも尾羽の一部を打ち枯らしてかなりお疲れ気味に見えなくも無い。

”死ぬということ知っているのは人間だけ”という説もあるそうだが、羽をボロボロにしてヨタヨタと飛んでいる蝶を見ると、彼らだって分かっているのではないかと思うことがある。

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2009年9月13日 (日)

おとましい

010 箒菊(ホウキギク)背丈は1m以上にもなるのに、花の大きさが直径5mmほどという目立たない花を咲かせている。

接写してみれば立派な菊科の特徴を備えている。葉も薄くまばらで茎だけが目立つこの草、耕作放棄された田んぼを覆いつくすように生えているのは、さすがに雑草のど根性か。

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今週末から来週半端までカレンダーは赤字で書いてあり、シルバーウイークということを最近知った。

敬老の日が九月の第三日曜日なって今年は二十日にそれが含まれるから言うのかなと思っていたら、五月のゴールデンウイークに準じることから巷間言われるようになったそうだ。

この伝でいくと、近い将来金 銀 銅に習ってカッパー(COPPER)ウイークというものまで出来、おとましいことに河童の旗でもかかりそうな気がする。   決してブロンズウイークなんて優雅な名前にはしないで、、。

老人の日になると、市長当たりがどこかの年寄りに会いに行くのを新聞種とせず、母の日のように、家族が何か祝い事でもと言うのはかなり難しいようで、老人ホームで寂しくしている人、訪れる人とて無い独居老人も多いそうだ。

先日発表された百歳以上年寄りは全国で四万人ほどになり、そのうちおばあさんは三万五千人になり、ここでも女性優位が示されている。

百歳以上の人口は平成に入ってから十倍にもなるという、一方で総人口は増えていないというから、日本は老人国となり、むかしは掛け軸に”高砂の翁と姥”が目出度いものとして掛けられたが、もう少ししたら「この厄介者が、、」と言われかねない時代が来るかもしれない。   

いや、きている。おとましい ことだが。

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2009年9月12日 (土)

ねぇ 大丈夫?

Img_0013musitori 「ねぇ 兄ちゃん大丈夫?」そんな声が聞こえそうな虫取り。

兄らしい子供のズボンをしっかりと握った手が、そんな声にならない言葉を話している。

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秋の気配も次第に濃厚となり、夕方には雷を伴った激しい雨も降った。

これでまた気温も一段と下がるのが予想される。

014aoi (流通北側の遊水地に咲く水葵)

ここしばらく見えなかった水葵も復活し、目処萩(メドハギ)、藪豆、野小豆と遊水地周りはまた賑やかになってきたが、嫌われ者のヌスビトハギもズボンの裾に点々とその足跡を残し始めて、草むらに入るのを拒否し始めた。

左、藪豆      右、目処萩007042 

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2009年9月11日 (金)

北アルプスのヘリ墜落に思う

P1010061 クサネム(草合歓)の花がひっそりと咲いていた。

麻機の沼の土手の高くなった草の陰に隠れたようにして、、。この草は見るには可愛らしいが、農家ではかなり邪魔者扱い。

名前の由来は葉が似ていることからというのは一目で分かるし、実際にゆっくりとだが葉がたたまれていくのも似ている。

また良く似た草に、川原ケツメイというのがあるが、葉が少しとがっているのがクサネムのほうで、実である豆の鞘が下向きなのがクサネムである。

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001 今日テレビを見ていたら、北アルプス前穂のジャンダルム付近で岐阜県の防災ヘリコプターが墜落し三人の搭乗員が亡くなったと放送していた。

なんでも、この付近で身体の調子が悪くなった人を救うために行った折のことであるという。詳しいことはまだ分からないが、悔しい二次災害である。

自分も若いころ、この付近は何度か行ったり来たりしたことのある登山道だが険しさでは日本有数の場所であり、ヘリコプターが近寄れる場所なんて前穂から奥穂にかけてあったかな、、、と、考えてみたが思い出せない。

そのくらいのところに近寄ろうとするくらいだから、よほど操縦技術に長けていたか、使命感がそうさせたのか。いずれにしろ貴重な人命が失われたことになる。

これでは、遭難した人がもし助かったとしても、代償があまり重すぎる。

以前山仲間から聞いた話だが、「転ぶなら飛騨側に、、」という言葉があるそうだ。同じヘリコプターに救助要請を出しても岐阜県は防災ヘリをだし、長野県は民間機なので費用がすごく違うことによるという。

あのあたりは、尾根が県境にになるため、、、、、。それにしても、最近の救急車同様、些細なことでヘリの出動要請だったら、、、、、今後、山にはへりを飛ばさないようにしてもらいたい。紛争地帯に行って「自己責任」と非難された人同様に、、、。

「人の命は地球より重い」なんてまやかしの言葉を作ったものがいるが、人の命を犠牲にして助かっても後味の悪さは一生消えないはず。

自分も山が好きでいまだに歩き回っているが、気象状況に注意し降りそうなだけで行かないように、山道から外れないようにと心がけているが、もしものときは助けは要らないと家族に言ってある。「山で死んでも本望だ」とは言わないが、出来るだけ無理をしないでほしい。たとえ山で朽ち果てても、、と思っている。

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2009年9月10日 (木)

二百二十日

002ine_2 むかし風に言えば今日は二百二十日、九月一日の二百十日と並んで台風の多い日として恐れられてきた。

そのため、台風による稲の水害、到伏などを避けるため、早稲を栽培したり実入りを遅くしたりなど稲の管理をしてきた。

今年は台風崩れの低気圧が北海道東沖に去り、からっと晴れた青空のもと影響は無いようである。ここ静岡の田んぼでも、早いところでは稲刈りが始まってところどころモザイクのように穴あきが出来始めた。

太陽の光を浴びて黄金色に輝く田んぼは何時見ても綺麗だし、高く澄み切った秋の青空をこの黄金色から透かしてみるのもいい。

米は日本の農業の根幹として作り続けてきた農業政策も最近では米余りとなり、減反政策を進めてきた結果各所に荒れ地ができ農家の意欲がなくなったという。

食うものが無い時代を経験したものとしては、休耕田を見るたびにこんなに放ったらかして置くくらいなら、、、と思わぬでもないが

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2009年9月 9日 (水)

山滅ぼし

022 ヤマホロシ、漢字で書くと山保呂之と書くそうだが、一説によると繁殖力が強く山を滅ぼすという意味だと怖いことが書いてある。

花の格好から見ても分かるように茄子科の植物だけあって形は良く似ている。ただ、つる性の草だけあってずんずんと伸び先端の花が風に揺られて動いているさまはなんだか優雅な気分にさせる。

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019 県立総合病院越しに見る賎機山)

静岡浅間神社のから始まる尾根を登っていくと平和観音をピークとし、その先は竜爪山に到るのだが、一番近い次のピークに賎機山城址がある。

標高173mのごく低い山で、その昔、今川氏が安倍川対岸の狩野氏の安倍城に対して作ったといわれている城であるが、いまでは、かすかに残る堀切あとと頂上に20m四角ほどの平らな場所が残っているだけである。

この小さな山が静岡の名前の発祥地になった、というのだが、どういう理由なのか分からないそうだ。

事の起こりは、明治政府が江戸時代使われていた駿河の府中、駿府を改めよといったことからはじまるそうだ。賎機山から賎ヶ丘にしようとしたが、賎という字は卑しいに通じるとて、同じ音の静とし、静岡としたとある。

平成の市町村合併で全国の地名が大きく変わってしまったが、明治維新のどさくさで同じようなことが起きていたと思うと面白いものを感じる。

さらに、この名前がしぶとく生き残り、明治九年に浜松県との統合により旧来の伊豆の国、駿河、遠江の国を併せた静岡県にまでなったのは、この城を守っていた侍には想像もできなかったに違いない。

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2009年9月 8日 (火)

どっちゃでも

051 駒繋(コマツナギ)が紫の小さな花を咲かせている。

春になって芽を吹き、地面を這うようにして花を咲かせるので、一見草にしか見えないが、これでも立派な木だと言う。

052 044 マメ科の植物だけあって、萩にも似ているし、葛(写真右)によく似た花を咲かせる。この木はしっかり根を張ってなかなか抜けないので、馬の手綱を結び付けておけることから名付けられたと言う。

また、馬の好物であることから、放っておいてもこの木の周りから離れることも無いという説もあって、、、馬を飼っている家も少なくなった昨今。”まぁどっちゃでもよろしいがな”と言ったところ。

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新型インフルエンザにかかった人が日本では14万人になり、死者も10人ほどになっているそうだ。

しかし、最近の患者の様子を聞いていると、普通の流感並みに病院のほうでも対処し、「薬を飲んで自宅で寝ていなさい」といったような感じになっているやに聞く。

実際身の回りに罹った人がいないので分からないのだが、それにしても四月の段階ではすざまじいものがあった。あのとき、感染した人は一週間以上厳重に隔離されたのではなかったろうか、成田で医者や看護師など医療関係者が走り回る姿をテレビで映し、厚生大臣自らテレビでコメントを発表していた。

あの光景はなんだったのだろう。奇しくも担当の医者が国会でテレビ受けする対処方法だと答弁していたが、感染した人もずいぶん迷惑な話だったに違いない。

それから五ヵ月、これだけの患者が出てもまだ予防注射薬が足りず、優先順序がどうだとかこうだとか言っているようだが、そんなに難しいことなんだろうか。

報道によると日本では十月にピークが来るのではないかという予想だそうだが、従来のインフルエンザはまた別の予防注射をしなければならないので、新型で二回、冬を前にして従来のを一回と予防注射だけで三回は身体のほうに影響はないのだろうか、そして、費用を含めて大変なことになる。

いままで30年以上インフルエンザの予防注射をしてこなかった自分にしてみれば多分しないでピークを迎えるような気がする。

そんときゃどうする、、、”どっちゃでもよろしいがな”と開き直るしかないね。

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2009年9月 7日 (月)

臭木は会員制 ?

022 (写真上、黒揚)

今日は今まで言ったことの無いところ、と思い、麻機の尽きるところ、北団地の奥”滝の谷温泉”のその先に、自転車をデポして歩いてみた。

037 途中では臭木(くさぎ)が葉に似合わない香りを放ち、長い睫毛のような雄しべを瞬かせて揚羽蝶を誘っている。

黒揚羽、紋黄揚羽、麝香揚羽、烏揚羽などが戯れているのか、縄張り争いをしているのか追いつ追われつ入り乱れている。この争いに不思議なことは他の種類の蝶が入っていないことである。体格の差か、花の蜜か香りが揚羽向きなのか。

なんだか会員制の高級バーみたいな感じがしないでもない。

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002 道をさらに登る。第二東名に関連して整備された農道らしく、それは立派な道路が山奥の谷沿いに作られており、登りきったその先に第二東名の二つのガードをくぐる。

ぐるっと廻れば建設中の路面と二つの大きなトンネルが出来ており、ダンプカーがひっきりなしに土砂を満載してトンネルに吸い込まれていくが、三車線ように作られているトンネルは大きな山との比較ではっきり分からないがダンプとの比較で見るとかなりなものと見受けられる。

先年、道路公団の汚職に端を発して小泉改革のひとつとして公団の民営化をしたが、例によって小泉中途半端改革でおわり、予算はその後もつぎ込まれて推進した。

今度の選挙でここもどんな影響が出てくるのだろうかと興味津々で眺めてきた。

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今日は、白露。陽気が変わって朝になると草木に露が付くようになると言うが、日中の気温はまだかなり暑い。

幸いと夏ばてはしていないようなので、食欲だけは落ちずに来た。これ以上食欲は増やしたくないと思うが、配っても食べ切れなかった頂き物の秋刀魚。

今日は、”苦いかしょっぱいか”と焼いて食べる。

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2009年9月 6日 (日)

”目黒のさんま”より

055 四葉ヒヨドリという花がある。(写真上、四葉ヒヨドリの蜜を吸う孔雀蝶、今年は二度目のご対面)

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(上の四葉ヒヨドリのすぐ傍に来た浅黄マダラ、接近はするのだがひとつの画面に収まらなくて結局はこれ)

葉っぱが、四方に段々と付いている草で、花は小さな花を密集して先端に咲かせているが、その色はヒヨドリの胸の毛色に似ているとして名付けられたように、冴えない色をして、お世辞にも綺麗とはいえない。

しかし、これは人間の目から見た印象で、虫たち、特に蝶の仲間には人気が有るようで辛抱強く待っていると入れ替わりに寄って来る。

059 同様な例は、天人草と言う、これまた地味な花には蜂の仲間が群がって羽音で煩いぐらい集まる花もあるがこれもまた地味な花である。

なんだか、すまし顔の二枚目俳優より、人の心を和らげるオチャラケタレントのほうに女優が惹かれるように、、、ただ、こちらはすぐに底が割れると見えて長持ちはしないようだが。

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仙台から秋刀魚が届いた。表書きから秋刀魚十匹と書いてあったが、発泡スチロールの大きさがあまりにも大きいので、「そんなはずは無い何かの書き間違いだろう」と初めは思ったが、封を開いてみて吃驚、そのほとんどがシャーベット状の氷で、40センチくらいの秋刀魚がまっすぐに身を伸ばして、底のほうに沈んでいた。

抜き上げてみれば秋刀魚の鮮度もさることながら、その大きさは最盛期のものと変わらない。多分水揚げしたときによりすぐって選んだものに違いない。

これでは、秋刀魚の値段より送料のほうが高いのではと心配しながらお礼の電話を入れる。

箱には、秋刀魚のさばき方とともに、「刺身でぜひ召し上がれ」と書いてあったので、なれぬ手つきで三枚に卸し皮をむいて食べてみたが、なかなかのものであった。

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そして、今日ばかりは”目黒のさんま”ならぬ、「仙台のさんま」が一番。

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2009年9月 5日 (土)

へぇ~

016 高野箒。大きな樹に隠れるようにして小さくて地味な花。花びらも細く巻き上げて雄しべもなにも分からないような咲き方をしている。

そのむかし、高野山では竹や桃などで利潤を得てはならないというきまりがあったそうで、箒はこの木の枝を切って作ったところから名付けられたと言う話が、PCに載っていた。

小さくて目立たないこの花を見、名前を知ったとき、高野山で見つかり、花の形が箒に似ているので付けられたものとばかり思っていたので何とかの泉ではないが「へぇ」とボタンを何回も押しそうになった。

それにしても、宗教をお金集めの道具にしている最近の風潮とはずいぶんと違って、むかしの宗教は戒律に厳しかったものだ。

003 今日は満月。もう一ヶ月後の中秋の名月と違って、すっきりとした夜空にはなりえなかったので、赤みを帯びた月が雲を掻き分けかき分けしながら登ってくる。この月を写さんと、夜道を歩けば、木の上からアオマツムシの声が降り注ぐ、。

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むかし習った平家物語の冒頭はいまでも簡単に口から出る。

祇園精舎の鐘の声は 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色は 盛者必衰の理をあらはす

おごれるものは久しからず 唯春の夜の夢の如し

猛きものも遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

自民党が戦後のほとんどを握ってきた政権の座から滑り落ちようとしている、いま、この物語が似合う時代になってきているのかなという気がする。

盛者必衰、驕れる者は久しからず、猛きものも遂には滅びぬ、と平家が壇ノ浦で滅びるまで明石で、屋島でと連続して負けたのに似ているような気がしてならない。

違うのは壊滅的打撃を受けながら、大将が戦死をしたり腹を切らなくても良いことだが、それをいいことに総裁の責任を取って辞めるとは言ったものの任期一杯椅子を渡そうととは思っていない様子。

と、なると、首班指名選挙に辞める人の名を書けない。では、誰の名を書くかで党内がもめ、白紙で投票と言う案まであるそうだ。選挙中は責任ある政党といっていたようだが、その配慮も出来ないお人らしい。

これまでは、”腐っても鯛”かと思っていたがそうではなかった事に気がついた。こんな調子では解党的再建でなく、解体して老害を排除した新政党になることをお勧めしたいものだが、、、。

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2009年9月 3日 (木)

毛無山の花々

079 伶人草、トリカブトの仲間で毒がある。雅楽を演奏する伶人の冠から

下左、穂躑躅(ホツツジ)つつじの仲間では珍しく秋に咲く、雄しべが長く突き出ているのが特徴。下右、乳茸刺し(チダケサシ)薄いピンクが可愛らしい。乳茸を刺してもって帰るからというが、どこの誰だか、、。

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056 下左、山母子.    下右、クルマバナ

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上左、銀嶺草もどき   上右、天人草

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2009年9月 2日 (水)

体力の衰えを  毛無山1,964m

040 (花碇、ハナイカリ。解説するまでも無く碇の形をした花びらを持つ)

じぶんの体力の衰えをまた痛感させられた。「人は自分が思っているより弱いもの」と言う言葉を生で感じさせられた。

昨日、毛無山(1,964m)に登ったのだが、前回は二時間半で登った道を今回は四時間近くもかかってしまった。足のほうはまだ動くのだが、心肺機能が低下しているようで、呼吸がつらくなり休み休みをしながらの登り道。

帰りは、地蔵峠周りで滑りやすい道、そして、砕石でガラガラの道を三時間余かかって下れば、今度は足に来てしまった。

そして、こんなにもと思うほどの汗をかいたのが悪かったと見え、帰ってきて風呂に入り、ビールつきの食事の後パソコンに向かったところで視界が暗くなりめまいを起こしてしまった。

脳梗塞などではないかと周りを散々心配させ、血圧を測れば上が91、下が61、看護師の娘に絶対安静と再度眩暈がしたら救急車を宣告され、今朝ほど病院に行けば、脱水症状だと診断を受け点滴。今日一日は静養せよとのことで帰宅する。

夏場が終わりかけた今の時期、脱水症が多いそうで、、。

046 (鳥兜、トリカブト。全草毒があることで有名だが花にだけは毒が無いらしく虫がたくさん訪問していた)

前々から、この山はかなりきつい山だとは知っていたし、七月に大谷嶺に登ったときにも体調の不調で中断していたのだが、あえて登ったのは、スルガジョウロウというホトトギスの仲間を写真に写せないものかと思ったのがきっかけだった。

台風一過の青空も、登り口の麓集落の駐車場に入る前から山頂は霧がまつわりついて、展望は効かなさそう。

それでもと思って登ったのに、スルガジョウロウには出会えずじまいに終わってしまった。10年程前には何本もあったが、絶滅危惧種に指定されてから盗掘にあったのか、本当に山道から見える範囲と前回見たところからは絶滅したようだ。

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