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2009年11月30日 (月)

禊ぎにみえた ?

007 風も無く穏やかな午前中流通センターの麻機遊水地で緋鳥鴨(ヒドリガモ)の雄が根気に水浴びをしていた。

010 すぐそばの土手から見下ろされているのに、水しぶきを立て嘴で身体のあちこちを拭っている。いまに時期は北の国から渡ってきてまだ間もないので、人間に対する警戒心は強いはずなのに、気にしている風は無い。

あまり長い間やっているので、長旅の疲れ落しと言うより禊をしているような感じを受けた。

鳥はいざ知らず、人間が禊を行うのは、穢れを水に流すと言う風習で、お宮さんで手水を使うのも一種の禊だと言われているし、寒修行などで水をかぶったり、水垢離を取ったりするのもそうだ。

東北のほうで”雁風呂”を焚いて客をもてなすと言う話を聞いたことがある。

渡り鳥が、シベリヤなどから海を渡ってくるとき、海の上で羽根を休めるため、木の枝を銜えて飛び、日本についたとき海岸に枝を捨て、春になったときその枝を銜えてまた北の空に飛んでいく、、、、。

残った木に枝は、日本で死んだ鳥が銜えて行けなかった枝なので供養のためその木で風呂を沸かすことだと言われている。    そうな。

実際に枝を銜えて飛ぶと言うことは無いそうで、木の枝は海岸に流れ着いた流木なのだが、今日のように禊をしているかのような鴨を見ると、渡りの途中で亡くなった仲間の鴨を弔っているように見えたのは、いつもどおりの擬人化のしずぎ、、、。

汚職などで世間を騒がした国会議員が、選挙区で当選してくると禊が済んだと大威張りで赤絨毯を踏みしめているが、あれは、世間的には禊とはいわないのだが、、、。   本人たちは何とか格好をつけたくて言っている。

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2009年11月28日 (土)

ずくし柿

010kaki 道端の柿の木に一個の”ずくし”がぶら下がり、柔らかい日差しを受けている。

鳥がつついたようで、半分破れており今にも落ちそうな感じ、、。鳥が突いているうちに落ちたら面白かろうとしばらく下で佇んでいたが、こちらが目立つのかあたりに鳥の気配はない。

”ずくし”標準語的には熟柿なのだろうが、関西圏では”ずくし”と言い、谷崎潤一郎も、吉野葛のなか「吉野の秋 あるいは一顆の露の玉」と言う随筆の中で”ずくし”を出された感想を述べている。

良く熟れた”ずくし”はねっとりとした食感と甘すぎてちょっと言う向きも多かろうと思うが、食べる期間も限られており、秋の食べ物のひとつとして珍重されてきた。

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このところ円高が進み産業界から困った困ったの大合唱がおき、政府に対策を迫っている。

世界的に、ドルの信用が失っている所に持ってきて、ドバイに投資していたヨーロッパにも火がついたとかで一時1ドル84円にまでなり、対ユーロでも124円台までつけたという。

円高が一番進んだのは、1,995年4月で80円割れをしたことがあるが、このときはバブル景気の最中であり、なんだか高揚感を持って見ていたような気がする。

実際、このころは海外旅行熱の始まりで、海外での買い物に日本銀行券の一万円札を威張って出していた覚えがある。

今日の解説を聞いていたら、世界的低金利の中で円が他の通貨に対して強くなったのはどうしてなのか。日本も低金利、株安、デフレと世界並みに困っているはずだが、話が難しすぎてよく分からなかった。

しかし、円高の害ばかりが報道される中、どうして石油をはじめ原材料の輸入で得しているかの報道が無いのだろうか。原料を輸入しそれに付加価値をつけて輸出することで成り立っている国としては、大きな変化は無いはず、それにあえて目を瞑っているように見えて仕様が無い。

そのため、経済界の言い分には素直に聞きにくいところがある。リーマンショックの少し前までは一㌦120円台の時代が四年近くあり、そのときは銀行や自動車をはじめ経済界は史上最高益を出していたはずではなかろうか。

そのときは、利益を分配せず溜め込み、円高対策も取らないでおいて、120円が何時までも続くと思っていた姿勢のとががでている。いまになって、無い無いずくしで甘えてもらっても困るんだけど。

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2009年11月27日 (金)

花も実もある

006 麻機山の農道はいま蜜柑狩りの農家のトラックで一杯。

道端には、取り落とした蜜柑が転げてきてコロ コロ コロと二つ三つ拾って食べる。戦後育ちはもったいなくて拾って食べるのはちっとも恥ずかしくない。

口が卑しいと言えばそれまでだが、、、、。

002 道上に、クコの木が密集しているところがあり、赤い実が点々と見えたので覗いてみると、紫の小さな花も咲いている。

この時期になっても、まだ、花が咲くというのは返り咲きなのか、それとも狂い咲きと言うべきか、いずれにしろ、「花も実もある」と言った情景。

花も実もある。とは、外観だけでなく内容が備わっている人をたたえて言う言葉なのだろうが、写真のように両方が備わっている人はとみに減っている昨今である。

振り返って自分の場合、恥ずかしくって、、、「もう」

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2009年11月26日 (木)

珠なす露は

004 小さな草むらをぐるりと廻れば、そこに宝石を散りばめたように変化する。

秋口に草刈をしてまだ他の草が大きくなっていないところに生えているスギナ。その幹と言わず葉というべきか枝と言うべきか細い棒の部分に小さな水玉が無数についていて、それが太陽の光を虹のように反射している。

太陽に背中を向けて初めて分かったことなのだが、どうしてこんなに小さな水玉が付くのだろうか。周りの広い葉っぱには、水滴がなかった。

009珠なす露は薄に満つ 思えば遠し故郷のそら、、っってのがあったな。

そんなことを思わせる初冬の麻機沼は風もなく、陽だまりは暖かい。

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そのむかし、中国の魏の時代と言うから三世紀のころ、日本では卑弥呼の時代

竹林の七賢人といわれる人々がいた。その後、日本では名前のために非常に好かれたようで狩野派の絵の題材に使われ、竹林を流れる小川のほとりに思い思いの格好でゆったりと過ごしている図柄の屏風などを見たことがある。

実際は同じ場所で語りあったこともなくいそうだが、見てくれのよい形にこだわった政治(儒教)に嫌気が差して、飲酒奇功をくりかえすことで政治を批判していた人たちだった。

しかし、この当時は政治に批判的な行動、言論は命が懸かっていただけに酒に紛らわして言うしかなかったのだろうが、これが、日本にきて一番儒教的だった江戸時代にもてはやされたのはこれまた不思議なこと。

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先日来世間をにぎわし、喝采を受けている事業仕分けで次世代スーパーコンピューターの開発費がばっさりと切られたことに対して、誰かが後ろから焚きつけたのか、日本人のノーベル賞を受賞した先生方が怒りの声を上げているのがテレビで放映された。

それを見ていて感じたのは、あまり居猛々になって物を言うとかえって反発を感じさせる典型のように思えたが、これも世間知らず、自分のいうことは何でも通ると言う学者先生の日ごろの習性が出てきたのか。

とにかくいまどきの七賢人(?)は、、、、、、

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2009年11月25日 (水)

名残のカンナに

Img_0144 雪も降って寒かった長野のりんご狩りから帰って一週間。こちらも寒さが厳しくなったのか、それとも静岡の気候に慣れたのか寒さが身に染むような感じがして、石油スト部を取り出して掃除した。

昨夜降った小雨で、草の葉に露がたまり、名残のカンナの葉に点々と、南天の実にも雨粒がぶら下がっている。

カンナはもともと熱帯地方で繁殖し、背丈も2mと猛々しいくらいに大きいそうだが、園芸種として半分くらいにまで縮められたそうだ。

花の時期は十月くらいまでのはずだがまだ思い出したように咲き続けているところは、本来の熱帯で咲くというイメージから離れているような気がする。

花言葉も、その赤さゆえか熱い思い。情熱と言うのがあるそうでひょっとしたら、薔薇のように色ごとに花言葉も違うかもしれない。

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2009年11月24日 (火)

南京櫨の白い実は

Img_0002 南京櫨が白い実を木の先端につけ、イルミネーションのように飾っている。

Img_0060 (左、和蝋燭の原料となる櫨の実)

中国からの伝来植物で、実と表面についた白い部分から蝋が取れるため、日本の櫨の木に対して付けられた名前のようだが、特に南京と関係が有るわけではなさそうだ。

明治の頃から”南京”と言う言葉にエキゾチックなもの舶来品と言う趣を加えて、いろいろなものに”南京”をつけて、これは高級なものだ。珍しいものだの代名詞。いあま様で言うとブランド品と言ったところで、「南京(南瓜)」と言えばカボチャ。南京虫は小さな金時計。南京錠。南京豆は落花生。南京玉簾なんてのもあった。

この木は夏の間は花を含めて目立たないが、秋の紅葉と初頭の白い実が美しいことで知られている。

しかし、今年はどうした加減か紅葉に精彩がなく、赤くならないうち散ったものが多かった。.

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昨日の新聞によると、七月に国会で臓器移植法が成立したそうだが移植希望者の大半を占める腎臓病でも難航しているそうだ。

自分の知り合いに、息子が間質性肺炎を患いかなり重症なようで、肺の移植をするしかない。そして、万一の場合自然に任せるのか、まだ若いから延命処置を取るか考えておいてくれと言われたそうだ。

腎臓でさえが大変なのに、生きてる人の肺。それも若い人のもの、と言われるとまず手術できる見込みはない。また、患者がある程度の年なら自然に任せるのも仕方ないことかもしれないが、七十五歳の老人の息子となると延命処置を取った後、自分たちが何も出来なくなった場合どうなるのか。

延命処置をした場合、途中で機械を外して止める訳にはいかないそうで、子供のことに関してこんな判断を求められるとは思わなかった。

患者はまだ酸素吸入器をつけて歩けるし、意識も当然しっかりしている。その患者を横目に見て主治医に判断を求められるとは、、、、。と嘆いている。

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2009年11月23日 (月)

つましく咲いた紅花ニガナ

Img_0020 この花の名を”紅花苦菜(ベビバナニガナ)”という。

普通のニガナは黄色い色をしたジシバリに良く似た花弁を持ち、手折ると白い液を出す草で、その液が苦いところから名付けられたようだ。

しかし、この草は紅花と言うほど赤くはなく、花の形も違い、どちらかと言うとアザミのような形の花と言ったほうが良い。

ただ、大きさは直径で5mmほどしかない小さなもので、草むらの中でつつましく咲いているため、他の草が旺盛なときにはほとんど見ることがない可愛らしい花である。

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今日は勤労感謝の日。「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝する日」と言うことで設定されたが、もともとは宮中で行われた「新嘗祭」に端を発している。

新嘗祭は、稲の刈り入れも終わり、新しい穀物を神前にあげて感謝するところから来ているので、無事働けたことを感謝することと共通する部分もある。

しかし、最近では、働かないでお金儲けに走ることのほうが尊ばれるような傾向になり、”勝ち組 負け組”なんて言葉ができて、互いが蹴落として優位に立とうとするようになると、「生産を祝い国民が互いに感謝する」と言う言葉は死語になりかねないところまで来ているようだ。

いままた、低金利で金余りが世界的に蔓延して来ている中で、例のヘッジファンドとやらが各国で株価を吊り上げているそうで、日本だけが株価の上昇が遅れていると危惧している経済評論家がいたが、果たしてその辺はどうなんだろう。

株式に興味がなく、一株ももっていない者にとってはそこんとことろが全然分からないで言うのもなんだけど、、、、。

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2009年11月22日 (日)

上戸 下戸

014 鵯上戸(ヒヨドリジョウゴ)が赤い実をさらに透き通らせているようにして姿を見せている。

こんなに美味そうな実だが、ソラニンという神経毒を持っているためあまり食べると人間にも害を及ぼすらしい。

「ヒヨドリが好んで食べるので名付けられた」と書いてあるようだが、実際はこれを食べたヒヨドリが毒にあたってフラフラになっているのを見て、「酒に酔っている」と勘違いしてたのかもしれない。実際あの鳥は食い意地が張っているからな。

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酒に強い人を上戸といい、弱い人を下戸と言うのは701年大宝律令制で課税をかける家族の単位を四つに分け、大戸、上戸、中戸、下戸としたことから発しているそうだ。

そして、婚礼のときなど上戸は八瓶の酒、下戸は二瓶の酒が飲めたところから飲める人を上戸、飲めない人を下戸と言うようになったそうで、由緒正しいいわれがある。

自分は、一貫して男ばかりの職場で働いてきたが、こういう職場はえてして酒の飲めるものが幅を利かすような雰囲気があり、負けじと励んだ結果一升酒を平気で飲めるまでになった。

さらに、同じ飲めても乱れたり、潰れたりしては上戸のうちに入らない。平然と騒がないで飲む。これが大事だった。

そして、下戸のことを”肴荒らし”といった。

仕事を離れて、十余年。最近では酒を飲む機会も減り、めっきり弱くなってしまった自分は、負け惜しみに「一生分をのんでしまったので、、、」と言い訳しながら350の缶ビールをなめている。

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2009年11月21日 (土)

屋根より高い?

040 最近、街中のあちこちに木立ダリヤが咲いている。

屋根より高い、、、を歌っているような高みで夕日を浴びている。

やっと二~三年前だったと思うが始めてみたときには、目を疑ったものだが、これほどあちこちに植えられてくると、いまどきの風物として定着した感がある。

普通のダリヤと違って、咲く時期が遅く、色も明るい紫色と同色のものばかり。また、色、形、大きさに種類はなく、どこも同じものしか見てないとこから園芸種になって日もまだ浅いのかなと思う。

しかし、最大の特徴はその背の高さ、優に三~四mにもなるとか。その高さゆえだと思うが別名を皇帝ダリヤとも言うそうな。でもなんでも高ければ良いと言うもんでもないはず。と思うがどうだろう。

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麻生政権末期に機密費を多額に使ったのが話題になっている。衆院議員選挙に惨敗してからのことだから、なんだか倒産した会社の一族が金目な物を持って夜逃げしたように見えて仕様が無い。

もうこれで、請求できないからと思ってのことだろうか。前の官房長官は話さないのが当然のようなコメントをし、夜逃げした経営者なら逃げ隠れして姿を現さないのだが、平然と済ましているところは盗人猛々しいとしか言いようがない。

塩川元大臣は「政権交代で必要だったのだろう」とテレビで性善説のような援護射撃をしていたが、そんな大甘な言い方では納得できない。

多分、国民の税金と言う意識があの人たちにはなく、当然の権利みたいな感覚しか持ち合わせていなかったに違いない。二億五千万円というお金がいまの世の中どれほど貴重な税金なのかと言うことがわかっていないに違いない。

また、月末に当選して、何もしていないのに歳費は一ヶ月全額を受け取る。これも、法律に書いてあるから当然として人たち。

世間の一般常識とかけ離れている人々の集団。これも自分たちが選んだと言われるとなんだかむなしさを感じてしまう。

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2009年11月18日 (水)

銀色のはるかな道

013yukimiti ダークダックスの歌に”銀色の道”と言うのがあり、その最後の歌詞が、#、、、、夜明けは近い 銀色のはるかな道は。と言う部分があったがまさにその風景だった。

朝起き掛けに外に出てみた。昨夜来の雪は小止みになっていたが、道路はすっかり凍りついていて、アスファルトの坂道はツンツルテン状態。平らな部分に出るまで気が抜けなかった。

その道が、曇り空で街灯の淡い輝きが、まだ明けやらぬ風情を示している。しばらく進むと道下の唐松林を立派な角を持った鹿が一頭走りすぎる。昨夜ホテルの支配人から「鹿が”ケーン”と啼いたらカーテンを引いて明かりが漏れないようにしてください」と連れ合いたちが聞いたと言うのを思い出した。

031karamatu (うっすらと雪をかぶった唐松林)

夜の間、人里に出て餌をあさっていたのが山に帰っていったのかな?と思っていたら今度は三頭ついて出てきた。「やあ、カメラを出さなきゃあ」 しかし、これでお終いだろう。と予測する後からまた六頭以上が駆け抜ける。

カメラをあわてて引っ張り出したときには、すべて谷の影に入った後。さすが、奈良の鹿とは訳が違い、動きがすばやい。

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午前十時ちかく、凍みが解けたのを見計らってチェックアウト。弟の車に簡易滑り止めを履かせて慎重に時間をかけて白樺湖まで下り別れる。

ふたたび、立科町に帰り自分用のりんごと新米を積み込み、和田峠から諏訪に向けて下る。

その後、中央道を下り恵那に入ったところでいきなり渋滞。1,620サイクルの高速道路情報を聴くと「恵那インターから瑞浪インター区間に鹿が入り込んだため通行止めにして、、、解除は何時になるかわからない」という。

すぐに車は完全停止!。やっと一寸刻みに動き出したものの、放送は相変わらず「解除は分からない」の一点張り。どうにかインター出口から0,6km地点まで来ると全ての車をインターから出している様子の電光掲示板が見えてきた。

その掲示板の下まで20分ばかりで到達したとき、掲示板の文字が変わりすぐに動き出した。

解除になったらしい。下を走る国道19号線にはインターから出されたらしい車が渋滞しているさまが見て取れる。今頃下の道路から上を見上げて地団駄を踏んでいるに違いないだろうな。

いつもより、二時間ほど時間をかけて関市の姉の家に、りんごを届け、遅くなったのでそのまま泊まることにした。

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2009年11月17日 (火)

お~い、こっちは雪だよ

Img_0034 「お~い、こっちは雪が降り出したよ!」って電話が入ったのは身延町を半ば過ぎた頃。時間は朝の八時半頃だった。

清里に入ると細かい雪がフロント前面に向かって吹き付けてくる。実際は風もないのだから真っ直ぐに舞い降りているのだが、、、。

今日は、例年恒例のりんご狩り。ただ、去年までは自分の兄弟全部で行っていたのだが、今年は豊田市に住まいする弟夫婦と合わせて四人のさびしいりんご狩りになった。ただ、こんな天気になったのでこの方が良かったかな、なんて思いながらいつものりんご農園に向かう。

着いた時には、こちらのほうの雪は、すっかりおさまっていたが今晩の宿にした車山はかなりの降りようだった。という、情報もあり早々に宿に向かう。

大門峠を越えて蓼科湖までの道は道の両側が白くなっているものの交通量が多いため道路には雪がなかった。しかし、車山に向かって登り始めると20センチ以上に積もった雪がシャーベット状にになり、スタッドレスタイヤを履いた自分の車は問題なかったがその用意のない弟の車は難儀したようだ。

ようやくの思いで車を宿に入れる。宿の名前は春に泊まった「リゾックス車山高原」前回に泊まったとき気に入ったのでまた予約したのだが、この雪は予約外。まだ先のことと決めていたこちらが悪い。

007mein_2  夕食時に食堂に行くと自分らともう一組がいるだけ、予約のとき空きがあまりないような口ぶりだったのに、事情を聞くと、この雪でバスが立ち往生してキャンセルしたとのことだった。

食堂には、浴衣で入れないとのことだったので、温泉は食事後となり、酔いを少し醒ましてからと考えたので入ったのは十時過ぎになった。

025 野天風呂からは少ないながら雪が見え、思わぬ雪見風呂を貸しきり状態で使ってみたが風呂から出た部分が寒いので肩まですっぽりと使って、空を見上げる。

夜空からは、風に吹き付けられてか粉雪が舞い散っているものの、今日が最大と言われる、”しし座流星群”は望むべくもない。

当たり前のことながら、、、、、。

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2009年11月16日 (月)

騒々しくて意地悪と

Img_0079 騒々しくて意地悪くで食い意地が張っている。と、悪口を言い立てればきりのないヒヨドリだが、昨日の朝のテレビで、北海道から冬になると集団で津軽海峡を渡り青森に渡る情景を写していた。

北海道最南端に集結するがその先にハヤブサが待っており、集団の上から攻撃をかけて海面に蹴り落としたヒヨドリを餌にしている。

ヒヨドリのほうも、襲撃を避けるため海面すれすれを右に左にと旋回しながら飛び回る。見ている連れ合いはヒヨドリの味方をし、自分は隼側にたてば、口げんかの元。

Img_0078 その鳥ではなかろうが、塀の上に一羽来てた。旅の疲れか、蜜柑を突きすぎて満腹なのか。人が手を広げて伸びをするポーズを取ったり、足で頭を掻いたりとすっかりリラックスしている。

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マグロにいよいよ漁獲制限が課せられるようだ。

資料によると、世界中で1,950年に50万tonだったものが2,000年には200万tonも水揚げが逢ったそうで、そのうちの1/4を日本人が食べているそうだ。

さらに驚いたのは、黒マグロの八割、ミナミマグロの九割が日本で消費されるなると、日本人の食い意地はなんだか異常だと言う気がしてしまう。

どうして、こんなに日本でマグロがもてはやされるのだろうか。連日のように青森県大間のマグロ漁が放送されていたが、これも少し異常だったと言う気がする。その異常さに気がつかずに放送しているのも、、、、。

一体に静岡を含めて太平洋側の人のマグロ、カツオに対する好みの片よりはどこにあるのだろうか。富山県に隣接する場所に住んでいた頃のスーパーや魚屋の店頭の魚の種類に比べて、静岡は海に面しているのにどうしてこんな少ないのかと思った。

マグロも味の良い魚だが、他の魚もそれぞれの味があって美味いはず、先日聞いた話では肉やマグロには小骨がないがそのほかのものは骨がねぇ~、と言うものだった。魚屋も売れない魚を店に並べてみても、、。と、両方で魚離れを起こしているように見える。

いまでも、美味い魚を食べたくなると沼津か伊豆西海岸まで行くのは、あちらのほうには近海で獲れたものが豊富あるからである。

ほかの魚の味を知っているものとしては、「マグロの値段が上がってもどうってことない」が正直なところ。今日もニシンの針のような小骨を取らずにムシャムシャと、、、。

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2009年11月15日 (日)

麻機山の実蔓

012 名にし負はば 逢坂山のさねかずら

   人に知られで くるよしもがな

百人一首に出てくる歌なのだが、中学過ぎても意味がわからなかった。後ほど解説書で意味が分かったときは、理解出来なくて良かった。知っていれば、あまり手が出なかったかもしれない。

後で知った意味とは、「逢坂山の実蔓が、逢って共寝をするという意味なら、蔓を手繰り寄せるように、人目を避けて逢いにいきたいものだが、、」という余りにも欲望を前面に出した歌で、これを貰って嬉しいものだかどうだか、女心にどう響く。自分には分からない話し。

我々の小さいころは、夕方、ご飯が終わればテレビもない時代のこと、ラジオでも聞く意外することもなく、そのラジオさえ家にはなかったので手慰みと言うか正月でもないときに百人一首や花札をやっていたのを思い出す。

とくに、冬の季節は日の沈むのが早く、夜が長いので外遊びも出来ないので親子で遊んだものだった。今になって考えると親子の交流などと悩まなくて済んだよき時代だったのかもしれない。

子供部屋などもちろんなく、”せまいながらも楽しい我が家、、?”ただ、子供に負けまいと、むきになって挑んでくる酔っ払い親父には幻滅を感じたのも、懐かしい思い出である。

写真のサネカズラは逢坂山ならぬ麻機の山で見かけたものだが、もう真っ赤に色づいて、鳥の訪れを待っている。

実蔓(サネカズラ)はかなり遅くまで見たことがなかった。そして花は小さくて生い茂った葉の影に咲くらしく、、、まだ見たことがない。お盆を過ぎた頃には地面に小さなものが落ちていたので、もう少し前になるようだ。楽しみは先にとっておこう。

実蔓、蔓稙物の中では大きさと言い色と言い目立つ実を持っている。別名を美男蔓といって、そのネバネバとした汁を髪に塗ったことから付けられたとも言われているが、今ならさしづめリキッドと言ったところかもしれない。

生薬では南五味子といい、滋養強壮、咳を鎮める薬になるそうで、焼酎に浸けているがこれまた使用したことがない。

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2009年11月14日 (土)

しろばんばが飛びはじめた

020 未明から降り出した雨は大雨洪水注意報まで出るくらい激しく降ったが、十時頃から止み、昼には時々陽も当たるようになった。

この雨で、長野の峠は雪にでもなるかと、スタッドレスタイヤに履き替えたが、この作業中に汗をかいてしまった。どうも、南方から暖かい空気が入ってきているようだ。

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004 (捕まえて手に乗せた雪虫、燐粉が半分ほどになってしまった。肌の肌理から大きさが分かると思う)

三時過ぎになって散歩に出ることにし、麻機の農道を登ってみたが途中で雪虫が舞い飛んでいるのを見た。

この虫、見たところ5mmとはない小さな身体ながら、飛翔力が弱いので空中をふわふわと漂うように飛びその白っぽい衣のような綿毛が目立つので良く知られている。

井上靖の「しろばんば」はこの虫のことであり、井上靖が育った大正四~五年ころこの虫を子供たちが追っかけて捕まえた様子が書かれている。”しろばんば”とは、白い老婆のことをいうのであろう。と書いているが、飛ぶ力の弱さから子供の良い玩具とみなされてきた。

写真にしようと飛んでいる雪虫にレンズを向けるが、小さすぎて焦点が合わない。捕まえるとすぐに綿毛が取れて”しろばんば”らしからぬ姿になってしまう。

小説「しろばんば」にも、、、、夕方になると、その白い虫がどこからともなく現れて来ることを、さして不審に思っていなかった。夕方が来るからしろばんば出てくるのか、しろばんばが現れてくるので夕方になるのか、、、と書いているが、この虫は明るい日差しは苦手のようで木陰に多い。

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久しぶりにあがった農道でお巡りさんがバイクで上がってきていた。こんなところまで何しに来たのか、、、どうも、蜜柑の取り入れ時期になったので、その見回りではないかと思うが、さくらんぼを夜中に木からもぎ取ったり、倉庫の玄米が何トンも被害にあったりなど農家が苦労して作ったものの上前をはねていく輩がいるようで、警戒に来たみたいだった。

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2009年11月13日 (金)

稲穂をバックにホトケノザ

014hotokenoza いくら気候温暖の地と言われようとこの時期にまで残っている田んぼの稲は奇妙に写る。

002 昨日今日と続いた雨で、水浸しになった田んぼを見ていると、この田んぼの持ち主は病気などしているかしら、と思い、この稲を刈り取ってあげるという親戚か友達がいないのかと思ってしまう。

その脇に咲く、ホトケノザ。薄紫の筒状の花をもう咲かせている。花の下に茎を取り囲むようにして葉がぐるりと取り巻いているのを蓮華に見立てて名付けられたようだ。

早春を代表する草花。黄金の稲穂をバックに咲くのはこれまた奇異というべきか。

.事業仕分け

先日来始まった国の事業仕分けは面白い。

国民目線で税金の使い方を審査すると言うのだが、説明するお役人がしどろもどろになっている場面が報道され、悪いかもしれないが溜飲が下がる。

短時間で説明しきれないとか、まず削減ありきで対処されている。進め方が乱暴だなど批判も漏れ聞くが、長年自民党族議員とお役人の馴れ合いで進められてきたことが一部であれ白日の下にさらされているのは、政権交代の成果であろう。

もっと以前から各項目で審査していれば、有名無実の公団をはじめ各省庁にぶら下がって高額給料だけをむさぼっている役人の首の根っこを押さえられるのに、、、、と思わないでもない。

今日の、目玉は世界一を目指したスーパーコンピューターを巡ってのやり取りであろう。なぜ世界一でならなければならないのか?の質問に明確な答えはなかった。

何年か前、新聞の報道で日本のスパコンが世界一になったと聞いたことがある。しかし、今ではそれが十番以下になっているとの説明だが、この世界のことは知らない自分でも、ファミコンが半年後とに新製品が出て一年後には時代遅れとして売ろうにも価値の無いことは知っている。

しかし、そのたびに買い換えることは出来ないのは、他に必要なものがあるからで、常に一番の者を欲しがるよう道楽息子には家の事情を説明して、我慢することを教えなきゃならないのではないだろうか。

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2009年11月12日 (木)

木枯らし吹き抜ける

005 ”大寒小寒山から小僧が降りてきた”と言う歌があったが、今日の風は木枯らしの一陣か。

竜爪山の脇をすり抜けた、東北から吹き付ける風は時には強く、葦の穂を押し倒さんばかりの勢いが有った。

#雲に聳ゆる 高千穂の 高嶺おろしに 草も木も

なびき伏しけん 大御世の、、、

今日は天皇即位20周年とか、いまの天皇はこうした歌を好まれていないと思うのだが、、。

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シベリヤからの寒気も静岡に届くころにはたいしたこともないが、その風に乗って麻機沼に来たカモたちには、懐かしい故郷の香りを運んでくる便りとでも思っていると思う。

001 写真の緋鳥鴨(ヒドリガモ)、これからつがいになるため雌鴨に気に入ってもらおうと懸命にアピールして、後ろを付きまとっている。

引く手数多なのか、メスのほうはあちこちと逃げ回っているようにも見えるが、人間同様これは焦らし、恋の手練手管は遺伝子に組み込まれている。

それにしても、雄はどうしてこんなにあせらなくてはならないのか、、、。でも、鴨の場合、睡眠導入剤を使わないのでそこそこ安心して付きまとえる。

.あふれる略語

昨日の新聞の見出しに、バレーボールのグラチャンが始まると書いてあった。ビーチボールみたいに、バレーボールにまた新しいルールをつけて変形の競技を作ったのかと思ったら、ワールドグランプリチャンピョン大会の略らしい。

また、同じ紙面に、スノーボードのHPと有ったが、記事を読むとこれはハーフパイプの略語だといい、ホームページと早合点したのは、こちらの早とちり。

とにかく、関係者にしか分からないような略字は止めてもらいたい。とにかく次から次へと新しい略語が氾濫して、唯でさえ記憶力に不安を感じているものにとってカタカナ言葉は難しく、さらに略語にされては何がなんだか分からない。

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2009年11月11日 (水)

雨に打たれて赤い薔薇は

002 赤い薔薇は愛とか情熱という花言葉を持っているそうな。

午前中の激しい雨に打たれて、その情熱を冷まそうとしているのか、それとも、雨に立ち向かって情熱をもえたたせているのか。

しばらくぶりの雨で何もすることがなく、床屋から帰る途中で出会った薔薇。「男前も少しはあがったかな。」 そんなこと、誰も言わないはずだから薔薇にそっと聞いてみる。

頭の形だけ、と答えそう。

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床屋談義の中心は市橋容疑者のこと、そして、もうひとつ。この不景気のなか、来年卒業する学生の就職が難儀しているとのこと。

昭和四十四年といえば、いまから四十年前になるが「昭和ブルース」という歌が流行った。#生まれたときが悪いのか それとも俺がわるいのか、、、という出だしだったが、来春の卒業生もそんな雰囲気なのだろう

学校の成績が良かったり、家が裕福なら大学や大学院に行って何年間か、やり過ごせるなんて思っていないだろうか。

人生の出だしが景気のため左右されると、本当にもう少し早く生まれていたならと誰しも思うに違いない。

何も言って来ないし、力にもなれそうもないので黙っているが自分の孫も来春卒業、就職を控えているのがいる。

この先どんな人生が控えているのか、、、「平成ブルース」などという歌が出ないことを祈る。

余談、昭和ブルースが流行った昭和四十四年は、‘70年安保の前年で世相がゆれているとき自分も労働組合員として、東京の国会前の溜池交差点付近でデモ隊の渦の中にいた。

すぐ近くでは全学連がヘルメット手ぬぐいの覆面で激しくジグザグデモをやっていたが、その雰囲気にはなんだかエリート意識みたいなものが有って、「一緒にやれないな」という感じが付きまとっていた。

この連中もいたかどうかは分らないが、2~3年後に本社採用で自分たちが勤めていた事業所に配属されてきたときには「そんなことあったのか」という顔つきの男ばかり。

先日、加藤登紀子がテレビで「学生のうちだけしか出来ないことで、、、」と言っていたが、「なるほど」とやっと納得した。流行かぶれのお飾りだったんだと

そういえば、東大紛争の中「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている、、」と気取りつつ漫画を読んでいた世代だものナ。

この連中いま幾つ、信用できるかい。

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2009年11月 9日 (月)

冬告げの鳥 ジョウビタキ

002 冬の伊達男が我が家にやってきた。その名もジョウビタキ。漢字で書くとヒタキの字が難しすぎて、自分には読めない。

(一説には鳴き声から”火焚き”だとも言うらしい)

雀とおなじか、すこし大きいぐらいの身体で海を越え北の大地からやってきた。

黒い頭に、名前の由来である翁を思わせる白毛髪、ロマンスグレーの帽子を粋にかぶり、胸は明かるい茶色のセーター、そして黒いスーツには白い紋をうってあちこちを探りまわっている。

縄張り意識が強いようで、前にトラックのサイドミラーに写った自分に向かって根気に闘っているのを見たことがる。しかし、人には警戒心があまり無いようで今日の写真も、ガラス越しとはいえ2~3mのところまで来ていた。

ヒッヒッ!と小さいがよく通る声で縄張りを確かめているのだろうか。今年の春までいたのと同じかどうか分からないが、裏を流れる川に羽虫が飛び交うのをねらって、これから、この一帯に春まで住み着くかどうか、、、、。

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2009年11月 8日 (日)

花言葉は友愛

060_2 先日来家の周りで浜菊が白い花を咲かせている。別に植えた覚えもないのでほったらかしにしてあるものだが、野の花だけあって、葉を虫に食われた様子もなく、野生の菊にしては大きな花を開かせている。

花言葉は、白い花が固まって次から次に咲くためか、「単純な美」と言うそうで、そう言われれば納得する。はかに「友愛」というものが有って「逆境に立ち向かう」とくると、政治資金で追求されている鳩山総理に上げたいような花でもある。

.七五三でにぎわう

006 (母さんの後ろでもじもじと)今日もうららかな小春日和、散歩の途中浅間神社によって見た。

今日の日曜日は子供の健康や幸運を願う、七五三のお参りに来ている人がたくさんいることを予想して、、。

行ってみると予想以上の人の集まり、、、。一人の子供が両親に守られ、さらに爺婆が付いて、次々と受付に行き「次は青い札をお持ちの方です。控え室に集まってください」などとスピーカーで呼ばなければならないほどの集まりようだった。

子供の幸運を願わない親はいない。その一方で当の子供たちは、なんだか分からず振袖を着せられてキョトンとしている子。たくさんの人ごみに喜んで袴の裾を乱して走る子。なれない草履を履かされて戸惑っている子。そして、気恥ずかしいのか親の後ろのまとわりついて離れられない子など千差万別。

見ていて飽きない風景が目の前を通り過ぎていく。

このあと、お祝いの席が設けられて、それぞれの会場に散っていくのだろうが、財布を五つも六つも持っている子らにとって不景気ももののかわ。ってことなのかな。

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2009年11月 7日 (土)

小春日和の立冬は

001 小春日和の立冬は心が和み、何事にも鷹揚な気分になる。

031kosumosu 先日新聞に載ってから、コスモス畑はどこですかととんでもない場所で聞かれることがある。そんなときは地面に地図を書いて教えてあげるのだが、離れたところで聞く人ほど方向音痴の人がいて、途中まで連れて行かなくてはならない。

この畑は、毎年、稲刈りが済んだ九月おしまいころ種を蒔くのだが、この時期に咲く。なんだか花の咲くのが早すぎる気がする。

種の種類なのか、菊のように日照時間によるのか、背丈は低いが密植するようで今年は花の隙間がないほど一面に赤、白、ピンクと絨毯のように咲いている。

日中は人が多いので夕日が沈むころ散歩を兼ねてでかけてみた。上からの光線も良いが、今沈もうとしている角度の低い方向からの光は色合いに濃い薄いをこき混ぜて幽玄ささえ感じられて面白い。

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まだ決まったわけではないようだが、関東方面を中心としたいくつかの県で結婚詐欺や殺人事件で34歳の女が取り調べられているようだし、鳥取県でも35歳の女の周辺で不審な事件があるようだ。

どちらも、睡眠剤が使われているらしく、初めは同じ事件の報道かと思っていたら、これが別々に事件だったことに驚いた。

むかしは殺人事件などというと凶悪な男性が多く、女性の場合は誤って殺人になったものが多かったような気がするが、、どうだったんだろう。

睡眠薬を使われ、眠っているうちに殺されると自殺によく似ているため、毎年三万人を越える自殺者の中に、殺人が見逃されているのではないかといわれていたがどうも否定できないようだ。

それにしても、人間の心が荒んでいるようで、楽してお金を得るためには、詐欺や人殺しをしても良心の呵責がない人が増えているようで「騙されるほうが悪い」とまで言われると、この先、無事に往生できるのか心配になってくる。

中国では新年を迎えるにあたって玄関の両脇に”春聯”といって赤い紙にめでたい言葉を書いた紙を張る風習があるが、我が家でも「オレを殺しても、騙してもお金なんかないよ」と書いた聯をを玄関脇に張っておこうか。

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2009年11月 6日 (金)

あわれ今年の秋もいぬめり(青笹山1,554m)

012aosasayama 青笹山山頂からの富士山)

安倍川筋を逆のぼり、有東木から葵高原そして、正木峠に着いたのが八時ころ。

気温は六度、あまり強くはないが風のため”涼しい”を少し過ぎている。先着の車が一台駐車場に入っていた。

早速支度して登り、三十五分で地蔵峠に着く。紅葉ははなく、ブナや落葉松も綺麗に葉を散らして山道がやけに明るくなった感じがする。

いつもどおり、地蔵さんに挨拶をして仙谷山に登れば雲ひとつない空の下に青黒い富士山が少し雪をかぶっている。

031sennkokusan仙谷山、下草の笹が刈り払われて広々としていた)

そこから、尾根筋を少しづつ上下しながら青笹山を目指すのだが、このコース、考えれば一年以上来ていなかったことになる。前回は道を両側から笹が覆うように迫ってきて、腰から下を露でずぶぬれにしながら歩いたものだが、今回は幅2mほどに駆り払ってありその心配はない。

細島峠に下り始めたところで、駿河湾が金色に光っているのが目に付いた。

016清水港を見下ろす。金色に輝いていたときはもっと綺麗だったろうに、、)

太陽の反射角でこういう色になることがあると聞いていたが、今がその時期か、早く、駿河湾の見えるところに行きたいと思うが、多分、青笹山頂でないと無理だろうな。太陽が上がれば見えなくなるし、、、、。

結局、青笹山に着いたのは九時半になり、1,554mの山頂は富士山が綺麗に見えるものの目指した海は薄く霞んでいるのみ、、、もう三十分早く家を出ていればとおもったが後の祭り。

006 帰りは、急いで歩いたため他の景色を見損なったので、あちこちきょろきょろしながらの下山になったが、1,500m前後の稜線は”、、、、あわれことしの秋もいぬめり”といった状態で、草花もなく、ナナカマドの実の赤さだけが妙に際立っていた。

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2009年11月 5日 (木)

サンサカからササンカに

040_2 さざんかさざんか 咲いた道

たき火だたき火だ 落ち葉焚き

あたろうか あたろうよ

霜焼けおててがもうかゆい

019sasanka むかし懐かしい童謡のひとつだが、今では夢まぼろしの世界になった。

いまどき、街中で落ち葉焚きでもしようものなら、消防自動車がわんさかと来かねないだろう。

霜焼けで真っ赤になった手、青洟をたらした子供はもういない。落ち葉で焼いたさつま芋、美味く焼けているのは一部分だけ後は炭のようになっているか、生焼けでごりごりとしているかだったが、みんなで齧れば美味かった。

そうした中で、山茶花だけが、むかしのまま生垣として残っている。

山茶花。中国では山茶といえば椿のことを言うそうで、日本ではこの文字からサンサカと読み、その後ササンカと変わったという説がある。

ちょうど、将棋の雪隠詰めが、センチ詰めでも通用するように、、、(いずれセンチ詰めののほうが本流になるかもしれない。)

山に咲くお茶の木という意味からいえば、いま静岡のあちこちのお茶畑では差し渡し2センチほどの山茶花に似た一重の花を咲かせている。

一般に、山茶花と椿の区別は、山茶花は冬に咲き、椿は春先に咲く、花びらがはらはらと散るか、雄しべを含めていっぺんにボタッと落ちるかが大きな違いのようだが、品種改良の結果どちらか区別のつかないものも出てきた。

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001maturi 昨日受けた運転免許の高齢者講習の証明書をつけて免許の更新に、中央署まで自転車で行ってきた。

通りかかった駿府公園では、大道芸に使ったテントの取り払い中。クレーンも入って大きなテントを取り外していたが後の祭りの淋しさがそこはかとなく漂っている。

免許更新は意外と簡単に済みすぐに新しいものになり、時間も余ったので浅間神社から百段余の石段を登り、平和公園まで登ってみた。

山頂に来て視界が開け、今日の富士山は高曇りの空の下、背景とよく似た色合いながら線を引いたような感じでぼったっていた。

こんな山でも一気に上れば汗をかく。帰りは上着を脱いで半袖になって下れば、連れだって登ってくる小母さんグループに「お元気ね」と、冷やかされる。

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2009年11月 4日 (水)

はじけて見せる吊り花

Img_0221 吊り花があちこちで殻を割って、仲の赤い種を見せびらかしている。

Img_0090 六月ころ白っぽい小さな花を咲かせたときはあまり地味な色なのと、葉裏に隠れるようにしているので目立たないが、これからの季節その実の形と色から名前が付けらるほど目立つ。

026mayumi よく似た木の実に真弓があるが、こちらは、色合いも柔らかく桃色がかっていて、実の大きさも一回り小さい。

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今日は、自動車の免許更新のため、自動車学校へいき「高齢者講習」というものを受けてきた。申し込んだのは二ヶ月も前のこと、「一杯なのでこの日しかありません」といわれて今日になったわけだが、そんなに受講者がいるのかと思っていったら九人だけ、これが定員とすれば混むわけだ。

いろんなテストを受けさせられた。視角、動体視力、反射神経など、、、など。講義が多いのかと思っていたらこちらのほうが時間が多かった。

そして、教習場のコースを走るわけだが、隣に試験官みたいな人を乗せて走るのは久しぶり、それこそ四十数年ぶりのこと、、、。年はとっても緊張することおびただしい。

普段乗っているのと違う自動車というだけで、自分の車はハンドル横にギアシフトのあるものなので、ギアの切り替え、つまり、バックや前進に切り替えるたびハンドルの横に手が行ってしまって笑われる。(好意的だが)

大体簡単なコースを走らせるので難しくはなかったが、面白かったのは段差を乗り上げるテストがあることだった。聞けば、縁石などに乗り上げたとき暴走しないよう加減するかどうかということだとのこと。むかしはこんな練習はなかった。

そして、以前はコースの中央に小山を作り坂道発進の練習があり、発進時にどれだけ後退することなくスムースに動かせるのかなんども練習したものだったが、、、、、この小山は教習場の隅っこに追いやられていた。これは、オートマチックになってそれほど重要性がなくなったためだとか。

とにかく九人の受講生に対して教官三人でみっちり。こりゃかかるわけだ。

5,800円と高い受講料が公安委員会へ、受講者の能力で落とさないなど、受講前の疑問は解けたわけではないが久しぶりの緊張運転を経験した。

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2009年11月 3日 (火)

箱根も初雪

034_2 朝の空模様を見て山に行くのを止め、家庭奉仕とて箱根に行ってみることにした。

御殿場までは東名で、そこから乙女峠まで雲ひとつない富士山横目で眺めて、車を進める。金太郎神社の裏手の駐車場に入れようとしたら、小父さんが近寄ってきて500円を請求するので、すぐさま退去。

久しぶりに大涌谷に行ってみようと、湖尻から登れば、自動車の屋根やフロントに大粒の水滴。「これは!」と思っていると予想通り、昨夜僅かだが雪が降り、その雪が朝日で解けて落ちているためである。

042_2 気温は太陽があがっているのに5℃。歩道の脇の葉の上に溶けかかった雪が乗り、噴煙はいやがおうにも勢いを増しているように見え、朝早くから押し寄せた人々が中国語、朝鮮語と小母さんの高笑いで活気に満ちていた。

駐車場近くで足拭きマットを掃除していた同年輩の人が「今日は寒いね」と話しかけてきて「今年はどうしたわけか、九月から忙しくてたまらない。」という「会社は儲かっているんでしょうね」「どうもそうらしいけど、、、。ハッハッハ~ ^」

帰りの道には延々と駐車待ちの車の列とすれ違いに下る。ほんの少しのことで駐車場はかなり入りにくいらしい。こんなところでよく辛抱しているものだと感心しきり、、、、早く来てよかったね。と

075 昨日も、箱根中大渋滞だったと聞くと、これ以上中にはよう入らないので盛りの過ぎた仙石原の薄と湿生花園をみて御殿場に引き返すことにした。

それでは、沼津で魚料理でもと、戻ればこちらも店の前は行列。折角来たのだから行列も苦にならないのだろうか。本当に辛抱強い都会の人?(余所者)には太刀打ちできない。と感じて、ラーメン定食で今日は終わり。

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124 夕焼けが西の空を赤く染めているのを待って、”後見の名月”に続く十六夜の月が山の端から顔を出した。

でかい!というのが素直な感じ。童謡の文句のとおり

出た出た月が まぁるいまぁるい真ん丸い

 盆のような 月が    と、ばかりに

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2009年11月 2日 (月)

慌ただしく産み落とす

002 昼過ぎのにわか雨も止み、一陣の冷たい風が雲を吹き払って青空が見え始めた中、その風が急がせたように赤とんぼ(アキアカネ)の産卵があわただしく行われていた。

いままでにも、トンボの産卵はなんども見てきたが、いずれも小さな水溜りで行い、工事現場など、すぐに乾いてしまうところなどでしているのを見ると教えてあげたいような気分になるのだが、今日のは安東川に直接産んでいる。

水が絶えることのない場所だが、他の生物も一杯いて危険なのか、餌に不自由しない場所なのか判然としないところだ。

つるんだその姿からは、結婚即産卵の赤とんぼにとって、今頃の産卵は婚期(?)が遅れ、「何でいい 兎に角一刻も早く」というひたむきさが感じ取れるようでしばらく見ていた。

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今日の国会中継は衆院議員の予算委員会。先日までと攻守ところを変えての対決となのだが、どちらも慣れないことのようで面白かった。

また、与党の質問は執行部を持ち上げるだけのものとなるため、いわゆる「たいこもち質問」となるのは仕方ないかもしれないが、前回までの迫力が影を潜めたのは、、、、無理なんだろうけどな。

これからも、質問者が入れ替わりに出てくると思うが、年初になんども補正予算を組んでかなりの部分で手直しや見直しされ、目的がずたずたにされた麻生前総理が質問に立つ日が来るのだろうか。

ぜひとも見てみたいのだが、先日の代表質問では議場の一番後ろに陣取って周りの旧政権同僚となんだか”ニタニタ”と笑っている感じに見えたのは、こちらの先入観のせいだったのだろうか、、、、。

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夜も更けて後見の名月、

中天に懸かれば雲ひとつない空に煌々と輝き、

他の星はその光におされてわずか二つ三つ、

屋根の甍はてらてらと輝きたり

虫のすだきも絶えてなく 秋も極めり

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2009年11月 1日 (日)

夜の錦は見栄えがしない

073momiji 富貴不帰故郷  如夜錦夜行

富み栄え故郷に帰らないのは、錦で飾った着物を着て夜歩くようなものである。綺麗な着物は人に見てもらってこそ価値があるものだ。

048 (錦の衣の生地を思わす紅葉)

項羽が秦を滅ぼしたとき、そこに都を置くように進言した家臣に言った言葉であると伝えられている。正確には錦ではなく刺繍の繍と言う字だそうだが、いつの間にか錦に変わったそうだ。

そのむかし、いまのように夜が明るくなかった時代の言葉なので、ピンと来ない向きもあるかと思うが自分たちの子供のころまでは夜は暗かった。

上の写真は、山梨県と静岡の境、冨士ヶ嶺の山道であるが、それこそ、いろいろな糸で織り成された秋の刺繍、”錦秋”そのものである。

066nenba古民家を模した根場の里の紅葉とドウダンツツジ)

電柱も無く、もちろん明かりはない。落ち葉の季節までのほんのわずかな期間、それこそ錦を評価できる人に見てもらってこその紅葉ではなかろうか。

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やらずぶったくりでないかい

最近家の屋根に太陽光発電のパネルを乗っけている家が目立つようになってきた。自然の力を利用して作る電気は、環境に優しいとのことで国を挙げて推進するそうで、今日から太陽光発電で自家消費できなかった電力は電力会社がいままでの倍のねだんで買い上げることになって、パネルをあげる家の負担が軽くなるそうだ。

しかし、この買い上げ値段は電力会社が負担するわけでなく、一般の電気料金に上乗せするそうだ。つまり、200万円ほど掛けて設置できる人に、設置できない貧乏人が費用を負担してやることになり、なんだか矛盾を感じてしまう。

同様に、自動車減税や家電製品をエコポイントで負担して安くしてやると言うことは、まだ使える自動車や、家電を廃棄処分にすることで、これが本当に環境に優しいことなのか。自動車会社や家電メーカーだけを優遇する処置にしか見えないのだが、、、。

また、この負担が税金でまかなうと言うことは使えるだけ使って、その後、お金が無いから自動車を止めましょう。テレビも止めましょう。となったとき、その人の目から見ると「やらずのぶったくり」のバー同様になってしまうと思うが、、、。

どこまで行っても貧しい人はさらに貧しくなる構造が断ち切れないのだろうか。

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