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2009年12月31日 (木)

静岡は初雪  どこが?

015hato テレビでは、静岡もこの冬初めての雪を見たと報じていたが、どこで降ったやら、、。

丁度その時間麻機沼付近を散策していたが、その気配はなかった。ただ、朝から突風を交えた強い風が吹き、風花は舞っていた。

上空の雲は北側に灰色をした雪雲が懸かっているが、南側は青空も出て日が差している。

午後二時頃の散歩道では、雀が風に吹き飛ばされるように散りじりに飛び、鳩やカラスのように大きい鳥も難儀しているのが見て取れた。

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002 今日は”おおつもごり”故里では朝からの雪がもう三十㌢は積もり、溶け切らなかった前回の雪をあわせると畑や吹き溜まりでは七十㌢にもなり、スキー場の民宿は喜んでいるとのこと、、、、

そのむかし、鉱山の標高800mのところにある大津山という社宅に住んでいたころ、姉が正月休みで帰ってくると言うので、土産を含めた荷物の手助けをするため50cmを超えた新雪を踏み分け山を下り、茂住と言う集落から高山線の猪谷駅まで迎えに行ったことがある。

昭和28年。唯一の交通機関だったバスも、除雪機械もない時代、降れば運行取りやめ。隙間も見えないような降り方で次から次へと積もっていく中を中学生二年生だった自分は随分と心細くなり、途中で逃げ帰りたい気分をおして歩く道のりは随分遠かったようにいまでも思う。

実際今ならとても迎えになんぞいける距離ではない。片道15kmはあったろうか。姉の顔を見たとき帰りの道のことなどすっかり忘れるくらいうれしくなり、涙ぐんだのを覚えている。

あれから、五十六年、満月の月は隣の屋根瓦をてらてらと光り輝かせ、雪などどこのこと?と、言いたげに雲なき空を渡っている。

クリスマスイブならぬ NEW YEAR,‘S EVE もあと僅か、鰤も食べたし蕎麦も茹で上がったとのこと、、、、それではこの辺で、、。

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2009年12月30日 (水)

蛸の足

019tako こども病院北側の遊水地周りの水辺に”蛸の足”という一風変わった名前の草がが目だってきた。

ほかの草が枯れてきたのもあるが、先日来このあたりを草刈した際、残していたのかもしれない。何しろ絶滅危惧種に指定されているので、刈り倒さないような指示でもあったのだろうか。

名前のとおり、蛸の足を逆さまにしたように見えるのは、実のついた部分が反り返った枝の先、内側に列をなしている変わった格好からつけらているのが良く分かる。

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032hotate 昨日今日とあちこちからいろいろなものを贈ってもらい。その一部をおすそ分けし、そのお返しでかなり正月料理が華やかになりそうだ。

当初、「誰も来ないはずだから普段と変わらない正月にしよう。」と言い、「餅も搗かないでスーパーで買って間に合わせよう」なんて言っていたのだが、もち米が届き、今日になって帆立貝がとどき、蟹が届き、なまこが、大根がこんにゃくが、、とくると、、、もう、うれしい悲鳴。

しかし、まるのまま来たなまこの処分だけは困った。15~6匹(と言うのかどうか知らないが)貰ってくれる人がいない。

仕様が無いので昔、伊豆の食堂で見たことがある方法で”酢の物”を作ってみることにした。

連れ合いが気持ち悪がって手を出さないので、男の料理とばかりにつかみ出して塩を入れたボールに入れ揉んで見た後、前後ろを包丁で切り落とせば中から水が出てくる、

それを、縦に半分に切り内臓は塩辛にするため別にし、1センチ幅に切り分ける。もう一度水洗いをして異物を取り除き、水を切りほんの少し砂糖と半カップの味付け酢に漬けてみた。

夕食時、早速食べてみた。これが結構いける。自分で作ることのない食べ物と思っていたが、、、。また得意料理と自慢するか。

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2009年12月29日 (火)

来月は十三月じゃないよっ!

004 マサキの実がはぜている。伊勢神宮の中麻を求めに行った浅間神社の生垣に、、、、。

花は地味で目立たない。吊り花の実や真弓の実に良く似た感じの実だが、ほかの実と違って常緑の葉っぱを背景にしているので、それなりの趣きがあって綺麗だ。

マサキは漢字で書くと正木とか征木とか書くようだが、真青木からマッサオキとなり、マサキと転じた後、正木、征木と当て字されたとも言われている。

暖地性の植物であまり北ではないが、めでたい木として生まれ在所では正月飾りのひとつに使われていた。

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「来月は13月じゃないよっ!」ってのは、正月支度できりきり舞いをしている女房を尻目にぐうたらと横になっている亭主に投げかける言葉で、女性のいらいらとして感じが良く出ている。

江戸時代の川柳にまで出てくる13月だが、むかしも今も亭主は女房が忙しそうにすると余計にサボりたくなる者だ。

大掃除のときも、つい畳の下の古新聞に目が行ってしまって叱られるのも同じで、、、、根気がないのだ。

我輩、そこまでぐうたらでないつもりで、松飾、神棚の掃除そして来年の神札を新しいものに取り替えるためにでかけた。

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余談ではあるが、伊勢神宮の神札を大きさによって神宮大麻、神宮中麻などというが、神社関係では略して大麻、中麻と呼んでいた。ところが最近麻薬の大麻が一般化したため、若い人の中で知らない人が出てきて困っていると言う。

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2009年12月28日 (月)

重い腹を抱えて

010hana 今日28日は餅つきの日。例年のように孫たちも来るというので少しご馳走も買って待ち受ける。

待ち受けると言っても、それぞれ用事があるらしく夕方六時過ぎでないと来れないというので、それまでに伸し餅を二升仕上げておく。

昔と違って今の餅つきは餅つき機でこねるため造作もないことだが、蒸したもち米の匂いをかぐと、雰囲気はというか気持ちは昔に戻る。

中学に入ってから、餅つきを親父と交代に搗き出したが、あの頃はどうしてあんなに作ったのだろうか。一斗(15kg)は搗いたと思う。

貧乏な家ながら、お鏡餅には五合くらいのもの、角餅六升に粟餅、栃餅、豆餅といろいろな餅を搗いた。

中でも好きだったのは栃餅、少し苦味の残ったホクホクとした栃の小さな粒がなんとも言えず幸せな気分にしてくれ、いまだに田舎に行くと栃餅に目が行く。しかし、そのほとんどは着色だけの似せ餅でありがっかりさせられることがおおい。

そして、孫たちが来てからの餅は、半分でお鏡を4組作り、残りを黄な粉、餡子、大根おろしをつけてみんなだ食べるのだが、その前の茶碗に少し取り分けて花餅つくりする。

006 最近は一番手近にある柳の枝を使っていたが、今年は、南京櫨の白い実のついたものと、鈴懸けのボンボンのような実のついたものにした。後は短冊やお飾りをつけれ完成というところまでした。

その後、食事に入ったが、5合ほどの餅は瞬く間に食べつくされ、鍋物の後に入れたうどんもたちまち無くなり、普段の食べっぷりとの違いに親が驚く始末。

それに煽られてご相伴した自分も食べすぎ腹がせつなくなるくらい重い、、、。

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2009年12月27日 (日)

枯れ草の匂いをかぎながら

029 バイパス裏から、階段状の道をほぼ直登すると、知り合いが100m弱の高台の草を刈った場所があり、その人は、初日の出を見るための準備をしていた。

うららかな年の暮れ。下を走るバイパスの車、少し霞んで浮かぶ富士山を見ながらのんびりと腰を下ろして語り合うともなく、ぼんやりと並んで過ごす。

家では連れ合いが朝早くから雑巾掛けなど正月支度。ごろごろと動かない亭主に少しむかっ腹を立てているのが態度で分かる。

「べつに、年始の客も来ないのだから、普段どおりでいいんではないかい」と言ったのが悪かったらしい。こんなときは、枯れ草の匂いをかぎながら、緩やかな斜面で寝転がっているのが、極楽のきわみ。

なかなか下には降りずらい雰囲気でお昼ぎりぎりまで過ごし「初日の出が見られたらいいねぇ」と言い交わして帰途に着く。

道端には、まだ葉を落としていない雪柳に白い花が、、、、、、。

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006 二十四日、年の瀬も詰まったとのことで金沢から”かぶらずし”が送られてきた。

四十萬谷本舗のかぶらずしが、、。あちらではブランド品である。飛騨にいた頃自分で作ってみたこともあるが”なれずし”だけに上手くいかない難物だった。

直径8㌢ほどの小蕪を横に切り、そこに薄く切ったブリを挟み込み、人参や昆布とともに米麹で漬け込み醗酵させた”なれずし”で寒ブリが取れだす今頃からの食べ物である。

冷たくひやして(とくに冷やさなくても、寒いのだが)酒の肴には絶好の食べ物で、その蕪のしゃきしゃき感とブリのもっちりした歯ざわりがたまらない。

毎年、故郷の味として味を楽しまさせてもらっている。ただ、静岡では長持ちしないため、正月前には消化し無ければならず、この辺が少し残念なところである。

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2009年12月26日 (土)

りんごのワイン煮

031rinngo 先月長野から貰ってきた林檎、あちこちに配ったが自家用として30kgほど残っている。

それが、最近では蜜も抜けてきて、表面が粘っこくなってきたため林檎のワイン煮を作ることにした。

ワイン煮は五年ほど前に習った方法で、冷やして冷凍にしておくと、夏場の美味しい水菓子になるので林檎がぼける前に残ったものを保存食を兼ねて作っている。

ワインは香りと色付けのため赤の一番安いものを1,8L物を買ってきて、皮をむいて八つ切りにした林檎を鍋に入れて煮る。

砂糖はそのときの気分で適当に入れる、20分ほど煮立てると、赤く透きとおったようになるので醒ましておくと残り汁が林檎に浸み込みさらに赤くなる。

最後にタッパに入れ、冷凍庫にしまえばいつでも食べられる。少し解けたときシャーベットとして使えばその口当たりは、、、、。

夕方、家の中にワインと林檎の甘い香りが充満して来客がびっくりし、「これ なんの香り」と聞かれたが、その香りも、ほんのわずかなひと時。幸せと同じですぐに去っていった。

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2009年12月25日 (金)

霞んで富士山

011toride 寒波も一時的に緩んで富士山も霞でぼけてきた。

久しぶりに家の南方にある愛宕山から西に向かって尾根を歩いてみた。

冬枯れもいっそう進み花も絶え、少しばかりの風に吹かれて、小楢の葉っぱがハラハラと最後の枯葉を散らしている。

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静岡から富士山を見ると中腹にジャンプ台のように盛り上がっている部分が見えるが、江戸時代に噴火した宝永火山であり、麓に甚大な被害をもたらしている。

この山陰で十七日、F-1レーサーで名をあげた片山右京が遭難し、仲間二人が死亡した。

報道は有名人だった彼を気遣ってか、比較的好意や同情心を持って知らせていたが、偏屈な自分はかなり疑問を持っている。

ひとつには、寒波が襲来して厳しい気候条件になることを知らなかったことにあろう。厳しい気候が予想される南極遠征の予行演習を富士山で行おうとしたそうだが、それだけの覚悟と準備があったのだろうか。

つぎに、激しい突風が吹く富士山の斜面で、テントの設営が適切だったのか。雪洞を掘るとか、、、一方で雪崩を遮るものない富士山はテントどころか雪洞も危険だったはず。五時にテントを設営したそうだが無理してでも下山できなかったかと思う。

そして、最大の不審は、吹き飛ばされた仲間のテントを真夜中の強風の中よく見つけられたことなど疑問点を報道は一切書いていない。

”天知る 地知る 人知る 我知る”と言うが、彼のいうことに疑問を感じるのは自分だけなのだろうか。

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2009年12月24日 (木)

地蔵さんの縁日

Img_0002 近所の厄除け地蔵の縁日。

今年最後の縁日なので、さぞかしと思って行ってみたが、時間が早すぎたかそれほどでもなかった。

Img_0005 ここは、いつも縁日になると商売人に混じって近郷の農家が青物や花を持ってやってきて露店を開くので時々来てみる。

今の時期は、正月支度のものが多くなり、自分も青々した稲で作った注連縄を買って帰る。

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六時から鳩山首相の政治資金に対する記者会見があった。

明日のワイドショーはこの話でもちっきりになることが予想される。

現在の政治資金規正法や財産贈与の仕方から言ってかなり問題になる部分があることは誰しも分かることであり、あの説明では納得しかねることが多い。

しかし、一方で、自分の家の金をつぎ込んで政治に使ったと言うことはお金持ちで無ければできないことであるが、むかし、政治家は「井戸塀」と言って、自分の信念のため財産を売り払い残ったのは井戸と塀だけだった。と言う話もあるくらいで、明治期の自由民権運動家の豪農や石坂昌孝。近くは藤山愛一郎氏などがある。

利権に群がり東京の一等地に豪邸を作るような代議士が増えてから、政治は国民目線から大きくずれていったのとはだいぶ違うような気がする。

自民党は、これを種に国会で追及するといっているが、いわゆる族議員で甘い汁を吸っていた議員には追求する資格はないし、国民がどこまで自民党に乗っかるか、、、、。

自分としては、細川政権の二の舞にはならないで欲しいと思っているのだが、、、、

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2009年12月22日 (火)

朝寝坊のお日様は

Img_0119 今日も鮮やかに雲を染めながら朝日が昇ってきた。一年で一番朝寝坊の太陽が、、、。今日は冬至である。

Img_0115 此処しばらくは静岡も寒波来襲の影響を受けて氷点下の朝を迎えたようで、田んぼの中の草にも霜が針のように生えていた。

北陸地方や北日本では、今日も雪模様だと言うが、いくつかの山並みに遮られて静岡までは届かない。

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今日の新聞によると税制改革の大まかなところが閣議で決まったとのことで、歳入不足の折から来年度予算は民主党が選挙でかかげたマニフェストが実行できなくなりそうな気配であるそうな。

たしか、世の中の情勢から税収が落ち込むとの予想もある中で、あれもこれもと言うわけには行かないくらいのことは分かっているつもりだが、、、、、

一か八式に、出来なければ全てを止めると言うのはいかがなものかと思う。「今回は出来ませんでしたが、来年には何とかとか、今年は半分でご勘弁を、、、」くらいの子とがっても良いような気がする。

また、子供手当てにこだわるあまり、所得制限を外してしまったがどうなんだろう。巷では「子供手当てで儲かるのはパチンコ屋さん」なんて戯言まで聞こえるのだが、直接手渡すにも疑問が生じる。

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ともあれ、今日は冬至。旧来の”冬至南瓜にゆずの湯”を実行して風邪を引かないお呪いをしてみたが、このおまじないで新型インフルも避けられるといいのだが、、、、、。

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2009年12月21日 (月)

熱田のひつまぶし

葬儀も無事終わってなかばホッとした気分で、午後から豊田市の弟の家に向かう。

お通夜から友引をはさんでの三日間。息子を失った両親は「心の準備ができていたので、、、」と気丈にいうが、潮が引くように会葬者が去っていけば、改めて寂しさがつのって来るだろう。

自分も、雑魚寝の三日間。十人前後の人と食っちゃ寝をつづければ、大のほうが止まり腹がなんとなく重苦しい。普段のペースと程遠い生活がリズムを狂わしているのは分かる。

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046hituma そんな腹具合も、ようやく開放されたところで、名古屋の「ひつまぶし」を思い出し、ご馳走するから連れて行ってとねだる。

知立から電車で20分、熱田で下車。通りすがりの人に蓬莱軒を聞けばすぐ行き方を教えてくれる。それほど有名な店らしい。

熱田神宮の境内を突き抜け南側の鳥居を抜けて店に入る。途中「熱田神宮を拝んでから行かないかい」と言われたが、まず「腹ごしらえをしよう」と退けたが、これが大成功。

先客のカップルが店の前で迷っているみたいだったので、断って先に入ると、四人掛けのテーブルがひとつ残っていてぎりぎりセーフ。

食事の後、支払いをしているとき見たらおよそ30人ほどの人が順番待ちをしていた。お参りをしていたらここに座っていたことだろうにと、先見の明を喜んだ。

さて、「ひつまぶし」とは漢字で書くと「櫃まぶし」と書くようで、この店で商標登録を取っているとのことで他の店では使えない名前だとのことである。

商標登録で分かるようにそんなに古いものではなく、もともとは調理人が食べる賄い料理を商品化したようで明治になって作られたものだと言う。

一合ほど入る小さなお櫃にうなぎの蒲焼を小さく刻んだ物で覆っているものが出てきて、そのままで一杯。ついで、山葵と葱などを加えてかき混ぜて一杯。さらに、だし汁を入れてお粥状にして一杯。そのなかで、一番気に入った味で一杯と四回に分けて食べるそうで、一時間近くかけて完食した。

一番評判の良かったのは、二番目の山葵を加えたもので、油っこい蒲焼が山葵の香りとともにすっきりと腹に収まった。

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里心もつき、引き止めるのも振り切って帰途に着いたのはその午後、、、。

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2009年12月20日 (日)

思い出は目くるめいて

012amanatu 静岡に来て30年と少し、雪が積もったのは何回だったろうか、最後に積もったのは、たしか、平成八年だったと思うが、、、、

十九日の美濃地方、甘夏が雪に埋もれている。こんな風景はついぞ無かったように思う。 

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027saka 校庭からまだ大人になりきれていない歓声が聞こえるので覗いてみた。

20人余の高校生がサッカーボールを囲んで騒いでいる。服装から見て野球部員だろうか、思わず50年以上前の自分に姿を写してながめていた。

自分が高校生の頃は、野球が全盛の頃で長島が巨人に入団した頃、王選手がまだ高校野球で甲子園を沸かしていた時だったので学校には野球道具は揃っていたものの、サッカーには関心の無い時代だった。

そんな時、グラウンドの雪を踏み固めて、学年対抗の雪上サッカーをやったことがあるが、ルールは審判をする先生もあやふやなので殴ったりけったりしなければ、何をしてもよい。ということで始めた。

とにかく、雪の上ではボールが転がらない。終いにはボールそっちのけで、日ごろ威張っている上級生を追い掛け回し、捕まえては雪で顔を洗った。これが結構痛いことを承知で、、、。

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雪とサッカー。思い出はめくるめいて降りしきる雪の中で呆然と立っている。

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2009年12月19日 (土)

怖かったホワイトアウト

002howaito 昨日の美濃地方も荒れた。ラジオから流れてくる道路情報では東海北陸道が荘川付近で積雪のため通行止めになっていると入っていたが、平地では大丈夫だろうと高をくくっていた。

しかし、美濃加茂当たりから雪がちらつき、富加関の付近でトンネルを抜けたとたん一瞬ホワイトアウトをした。

写真がそのときの現象だが、激しい吹雪ののため、一瞬目の前が真っ白になり右も左も分からなくなってブレーキを踏み停止に近い徐行運転にした。

交通量が少なくトンネル内の確認では後続車が見えなかったのでスピードが落とせたが、もし、東名だったらたちまち多重追突事故になっていたかも知れず後から背筋がぞっとした。

トンネルに入る前は青空さえみえる空模様だったのに、突然の降雪。まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」、、、、、お通夜に出かけて、命にかかわる大事故ではやりきれない。

003mycar 夕方になって、雪の量も増えたらしく朝の気温は1℃ほど、このあたりの雪は自分たちから見ると根性無しといい、夜が明けると気温もあがり消えるのが普通だが、自動車の屋根には津津と降り積もる。

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018momiji 寝不足の目をこすりながら、近所を少し散歩する。久しぶりに雪を踏みしめる感触を楽しみながら歩けば、南天や山茶花赤色に混じって、散り遅れた紅葉が予想外の雪だということを教えてくれる。

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2009年12月18日 (金)

葉が落ちて知られる

001 近所にある県立総合病院にある”百合の木”きれいに葉を落として名前の由来になった百合の花に似た実が現れた。

この木は、木蓮の仲間の高木で五月頃花を咲かせるというので、良く通って花の写真が撮れないものかと下から仰いだが、なにせ、低いところに花が咲かないらしく、あちこちから眺めたが花の所在は分からなかった。

花は、木蓮科だけあって小さいながら、すこし黄味がかったものらしいので、外国ではチューリップツリーと呼ばれているそうな。

この花は、当然のことながら人に見せるために咲いているわけでないので、自分が悔しがっても仕様が無いこと、、、、、ただ、蜜蜂が好んで来るそうで、西洋ではこの花の蜜は珍重されているそうな。

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先月二十四日に間質性肺炎の息子を持つ家庭の記事を書いたが、昨日ついに帰らぬ人となった。

これから、お通夜に向けて東名を西に向かってに行くのだが、親の気持ちを考えるとつらい。

この病気も難病の一つで、回復の見込みがほとんど無いそうで、親は早くから覚悟を決めていたようだが、昔から言われるように死というものが年の順にくるわけで無いだけに、、、、、。

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2009年12月17日 (木)

見直した駿府公園からの富士山

036sunnpukouenn 徳川家康が、もともと今川氏の居城だった駿府城を大名を使って改修した”天下普請”の城のひとつ。駿府城から富士山の眺めがこんなに素晴らしいものだったとは気がつかなかった。

034 多分家康やその子忠直、そして歴代の城代が此処や天守から眺めた景色で、「絶海かな 絶景かな」と言ったか 言わなかったか。

東海道を西から来る旅人は安倍川を渡ると城の真後ろに富士山を眺め、城の手前で直角に曲がって北街道を進んだとするCGを見たことがあるが、そのときは軽い気持ちで「ふ~ん」と思っただけだった。

強い風に雪煙を巻き上げて聳える富士は、澄んだ空気のため山襞の線をくっきりと見せている。

037ityou 今は駿府公園となって誰でもが気軽に入れるところ。此処の秋が終わりを告げ最後に残った公孫樹が風に吹かれ最後の葉をひらひらと落とし堀端の散策路を真黄色の敷き詰めている。

この葉が落ちつくせば、駿府公園の木々も春までの長い眠りに付くことになる。

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最近気になることのひとつに、弁護士事務所の広告がやたらと増えたことがある。

「借金の返済に力になります」とか「貴方の一番身近な法律事務所になりたい」などと言い募る。

たしかに、法律改正により弁護士もコマーシャルを打っていいことになったのだが、なんだか胡散臭く見えて仕様が無いのは、疑り深い性格のせいだろうか。

先日もかなり高額な報酬を請求された多重債務者の記事や、海外へ逃亡して韓国で捕まった悪徳弁護士の所業を見るにつけ、「本当に困った人の味方なのかいな」という疑いは強まるばかり、、、、。

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2009年12月16日 (水)

先駆けは誰が

027 今日は静岡も平年並みの寒さとかで、最高気温が10℃にならなかったようだ。

022 厚い雲がそれに追い討ちをかけていて、体感温度は例年以下の感じがし、キジバト10羽も葉を落とした木に丸くなって動かずにいる。

そうしたなか、雀だけが群れになって飛び交っている。その数は野鳥の会なんかでなくては数えられないくらい群れている。

留っている電線の下で拍手を打つと一斉に飛び立つがその羽音のすごいこと、、、、一羽一羽では聞こえるか聞こえないくらいなのに、、。

そして、刈穂の田んぼをめがけて舞い降りるのだが、すぐの舞い上がり道路上に降りる。

”雀の学校”の歌では先生が鞭を振り上げて指揮を執っているのだが、実際はメダカの学校同様、どれが生徒か先生かといった状態で後になり先になりで脈略があるとは見えない。

次に、誰かが口火を切るのを待って、道路の縁石に一列に並び。なかなか決心が付かないようす。切り込み隊長役は、後ろから来て縁石に割り込めず、つんのめるようにして畑に着陸する奴。

イタリヤなど外国で見た雀は苛められたことが無いためか、割合と平気で人から餌をねだっているが、日本の雀は警戒心が強く群れて飛ぶ、、、この辺は国民性と良く似ているような気がする。

まさか、我々が子供の頃、空気銃やパチンコ、笊の罠で捕まえて焼き鳥にしたことが遺伝子に残っているのだろうか。

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2009年12月15日 (火)

ただ赤く

002haze 十二双川の下流、土手に生えている櫨の木一本

取り残されたのを恥じるかのように赤く紅葉している

ただ赤く ひたすらに赤く 川面に己が姿映して

そのむかし、船を十二艘並べて 駿府のお城の石材を、

そして、米を運んだとは想像もできない、川の水は少なくして流る

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001 朝早く青物市場に行って、漬物用の白菜を買ってきた。「富士で採れた物だよ」と言う言葉が添えられて、、。

スーパーで200円以上で売っているものが100円だと言う。即座に一箱四個入りのもを買ってきた。昨年に比べるとかなり安く買えた。天候不順で青物が高いと言われる中で白菜には良かったのだろうか。

こちらにとっては嬉しいことだが、帰り道、車の中で「こんなに安いっと、いうことは生産者の手取りはどうなるんだろう」以前にキャベツが出来すぎたといって、キャタビラーで踏み潰す場面を見たことがあるけど、、、。

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それにしても今の民主党は幸せである。

首相や幹事長の政治資金問題、普天間基地移転をはじめとする外交問題など数々の不安視される難題や閣内不一致がありながら支持率があまり下がっていない。

週刊誌や自民党が噛み付いても、それで盛り上がってこない。

これは、前の自民党政治がいかに民意に反していたかと言う前提があってのことで、その遺産に乗っかっているあらわれであろう。

ただ勢いに乗って慢心してはいけないよ。次の選挙で手の平がどっちに返されるか、、、分かっているはずだよね、 ね!ね!ね!

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2009年12月14日 (月)

雪にも似て

012susuki 今日も午後になって麻機沼の周りを散策する。

時折強い風が吹いて、薄の穂から種を引き剥がすようで、白い綿毛が雪かと思うような勢いで横っ飛びに舞っている。

西高東低の気圧配置だ、とのことなので、生まれ在所では本物の雪が飛んでいるのだろうかと青空の下で考える。

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Img_0056 この写真を写しながら日本の農業の現状を見る思いがした。

足の具合が悪いのだろう。身体を左右にゆすりながら田んぼに捨て置かれた稲架の脚を一箇所にまとめている。

この人にしてみれば、家のじっとしていても退屈だから、、、と、いう気で来たのかも知れず苦にはしていないのかもしれないが、この近くには人家も無く、かなり遠いところから手押し車につかまってきたらしい状況は見て取れる。

見ていて、手も出さない自分には何も言う資格は無いのだけれど、、、、。

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2009年12月13日 (日)

煌いて小坊主弟切

Img_0001 この花の名を花屋さんではヒベリカムと言う名で通っていると言う。名前からして外来種である。

Img_0071 日本名を小坊主弟切(コボウズオトギリ)といい、オトギリソウの仲間なので未央柳や金糸梅に良く似ているし、花の時期も一般に七月頃咲くので花だけを見ていると、紛れていて分からないことがある。

そして、一番の特徴はつやつやとした白から赤くなるこの実であろう。近くの小学校のそばの畑に露地栽培されていて、いつもこの時期に見せてもらうのだが、実の可愛らしさにいつも足が止まってしまう。

花言葉は”煌めき”と言うそうだがこの赤い実の印象だろうな。

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2009年12月12日 (土)

白い尾を引いて

013 今日の散歩も午後、日没少し前になって出かけた。

昨日と打って変わってすがすがしい青空の下、高いところに懸かる筋雲が空を箒で掃いたように懸かっていて富士山は真っ白に厚化粧をしている。

015sora 丁度、上空が西向きの航空路にあたるらしく、何機も通り過ぎていくが飛行機雲が出来る機と出来ないか少ない機とがあり、綺麗に掃き清められたように見えても、埃がが残っているようである。

飛行機雲は、一般に寒いとき吐き出す息が白くなるのと同様に見られているが、実際はもっと複雑な条件があるらしいが、諸説あって難しい。ただ、この場所に雲の種になる水蒸気が必要なそうで、まったく澄み切って見える成層圏だが掃ききれなかった水蒸気(塵)が残っていることになる。

しかし、今までなんどか飛んでいる飛行機を写してみたが、これほど鮮明に飛行機雲を引く画像が出来たのは、低い層で飛行機をぼかす水蒸気が少なかったのだろうか。

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2009年12月11日 (金)

鳩迷惑な雨

Img_0011 朝から降っている厚い雲の下、日の光も届かず隠隠滅滅といった感じの一日になってしまった。

かなりの降りようだったらしく、近所の田んぼも水浸し、いつもは田んぼの其処此処に舞い降りて落穂などをあせっている鳩も下りるところがなくて飛び回っているように見受けられた。

気温も十二度が最高だったようで、恒例の散歩は近所の古本屋さんで選びに選んで一冊。

「たくさん買っても積読になってしまいますから」と言い訳しながら、、、。

.百花繚乱から百家争鳴に

007 鳩山政権になってから三ヶ月、いまや”百花繚乱”から”百家争鳴内閣”みたいな状態になってきた。閣内で話し合う前に記者会見で各自好きなようにぶち上げるものだから、首相が記者団に聞かれていちいち火消しの発言をしなければならない。

由々しき事態ととらえざるをえない。慣れないことなのだろうが各大臣の自覚が足りないのではないだろうか。

その中で、もっとも”困ったチャン”が亀井静香だろう。少数与党を目だたさせるためとはいえ、チョット横槍がすぎないだろうか。

もうひとつは、外交問題と騒ぎ立てる沖縄の基地問題。余りにも防衛大臣と外務大臣がアメリカよりの発言を繰り返しすぎる。

マスコミもそうだが、良好な日米関係と言うものは、ただ、アメリカのいうことを聞いてイエス イエスと言うことなのだろうか。アメリカにとってそんな良い国は他に無いだろう。

先日も、米軍基地の子供4人が道路にロープを張ってオートバイを転倒させ重症を負わせた容疑で逮捕状が出たが、なかなか逮捕できなかったことなどから見て、アメリカは日本を従属国としか見ていないことが良く分かる。

人の国に、、、、沖縄中央部の一番良いところに基地を作っておいて、「辺野古沖へ基地を移転させることを要求する。」とテレビで言っていた。通訳の仕方かもしれないが、、、せめて「お願いします」くらいは言えないのか。

日本がこれまでの日米関係で「要求する」と言う言葉を使ったことがあるのだろうか。

ニューヨーク大学名誉教授の佐藤隆三氏も先日の新聞で「普天間で無用に騒ぐな」と書いていたが、まったくそのとおりで、閣内一致で新内閣の方針を示せばアメリカも聞かざるをえないはずなのだが、、、、。

おりしも、今年を現す漢字一文字に「新」が選ばれたそうだが、そのひとつに政権交代を織り込まれているとのことである。

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2009年12月 9日 (水)

あかい夕日に照らされて

012 いつもは午前中に済ます散歩を都合によって午後三時過ぎになって家を出た。

風も無く穏やかな天気で歩きやすい。第二東名取り付け道路の工事進捗状況を眺めている、ご同輩と少し言葉を交わす、「男ってこういう現場が好きなんだなぁ」飽かず眺めている人がよくいる。

かくいう自分もそうなのだ。特に自分がしてきた仕事に関係すると監督顔負けの気持ちで見てしまうことがある。

しかし、ここまでで4,000歩ちょっと、日脚の早くなった今ここで監督をしていたら”目標毎日一万歩”には、程遠いことになってしまうので、子供病院脇の道をテクテクと足を伸ばす。

麻機沼の北側部分になる、ここでも鴨類が水面を遊弋し、餌の小魚を狙って水面を覗き込んでいる鷺のほうに平気で近寄っていく。迷惑げな顔をしている青鷺、ガアガアと無遠慮にわめきたてているカルガモはさしづめ山で見かける小母ちゃん軍団か、、、。なんて考えながらわき見をして散歩を続ける自分。

そうこうしていると、水面は夕日に照らされ枯れ尾花となった葦を染め、水から上がったばかしの羽根を乾かすのか沼に立てられた棒杭につかまった鵜が羽根を広げている。

すぐそばにもう一羽の鵜がいたので、羽根を乾かすのが目的か、示威行動か、はたまた求愛行動か、、。

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そして、ふと浮かんだ言葉が「戦友」の歌詞。#あ~かい夕日に照らされて、、と覚えてきたが、#あかい夕日、、と伸ばさないのが本当なのだろうかなど、、どうでもいいことだけどね。そのうち山際に日がかかりだしてしまい、日ごろ毛嫌いしている引っ付き虫のアメリカ栴檀草の棘さえ趣きを感じてしまう。

帰宅は日没、万歩計は13,500歩と目的達成!。

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2009年12月 8日 (火)

もとのぐうたら亭主に

033syakoba シャコバサボテンが急に花を開かせてきた。真っ赤な花の色は重なり合うと一つ一つの花の境目が分からなくなる。

030siro 019また、白い花びらのものは、薄いピンクが入ってなんと清楚な感じが心地よい。

葉の形が寿司にして食べる蝦蛄に似ているところからの命名だが、ヨーロッパではクリスマスの時期に咲くことからクリスマスカクタスという所もあるそうだ。花言葉はいくつかあり、”ひと時の美”と言うのもあるが、”つむじ曲がり”というのもある。

この言葉の解説は無かったが、多分つぼみを持ったとき鉢を動かすと蕾が落ちてしまうことからきているのではないかと思う、、、が、これは当てずっぽう。

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やっともとのぐうたら亭主に戻ることが出来た。

昨日まで重湯に近いお粥からパン粥、シチュー、7分粥と位をあげて今朝はいつもどおりのトーストになった。

台所に三日以上連続して立つのは、およそ五十数年ぶり。母親が結核の疑いで病院に隔離されたとき、父親と交代で弟妹たちの食事の世話をして以来だと思う。

普段大きなことを言っていた手前、「家事が出来る」ことを証明しなければならず、台所では孤軍奮闘をした。

しかし、献立の量に問題があった、と思っている。

どれも、作る量が多すぎるのだ。鍋に材料を入れてみるとなんだか物足りない。「もう少し足してやれ!」とばかり、米をワンカップ増やすと出来た量がかなりのものになり、ご相伴しなければいつまでも同じものを温め直して食べるしかない。

前のときは、食糧難の食べ盛り六人だからどんなに作っても一回限りだったのを思い出す。おかげで、パン粥やシチューで腹がダブダブになった。

そして、食事が終わるや否や、食器や鍋の洗いをすぐ、、、。「まだ、食べているのにせわしない」とも言われたが、台所に汚れた食器を置くのはテレビで見る男所帯の典型を思い出すようで気が済まないからだ。

その甲斐あってか、今日は床上げ。急に動き回るんではないぞ」と口で言いながら本来のぐうたら亭主に戻れたことを喜んでいる。

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2009年12月 7日 (月)

COPの中の争い

Img_0014_2 木立アロエがあちこちで花を咲かせ始めている。

橙色をしたとんがり帽子ののような花の集団は、細長い筒状の花の先から雄しべを覗かせて下から咲き始める。

少し前までは、消化不良に便秘に火傷に、そして動脈硬化にも良いとされ”医者要らず”と言う名前まで貰ったが、、、、その後どうなのだろうか。

とにかく、暖国静岡では、気候が適しているのか露地栽培で花を咲かせ、その繁殖力の強さから増え続け、我が家でも年に二度三度と刈り取って塵として出している有様。

アロエにはこのほか何種類もあるそうだが、アロエベラという種類はまた少し違うようで少しも増えようとはせず花も咲かせたことが無い。

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今日は二十四節季のうち”大雪”にあたる。暦では「雪 いよいよ降り重ねる折からなればなり」とあり、この頃から鰤が獲れ、熊が冬眠に入ると言う。

しかし、最近では地球温暖化といわれる中、雪が降りつもる所と言えば3,000m級の山々までで北海道にでもまだ根雪になった都市は無いようだし、山の熊も冬眠に入らないので警戒を解けないとしていた。

折から地球温暖化を止めるため、コペンハーゲンでCOP15が開かれるのだが、いままで同様に先進国と言われるグループは各国で温室効果ガスの削減を提案するのに対して、新興国と言われる国々はいまの状況は先進国が作ったのだから自分たちには規制をかけないでくれと言う。

理屈としては、どちらの側に立ってもわかるが、その交渉の中では自分の国の利益にこだわって、それを、最優先しているように見える。

しかし、地球全体の問題としてみた場合コップの中の争いであり、COP15 とはよく言ったものだと、、、いうことでは解決にならないか。

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2009年12月 6日 (日)

二匹目を狙って

012 昨夜来半欠けの月を覆い隠す雲も無いほどの晴れようだったが、一時の通り雨でもあったか道は濡れていた。

いま建設中の第二東名取り付け道路の関係で水路を一時付け替えている場所に青鷺が一羽ボッタッテいる。(静岡の方言でぼうっと立っている)

この場所は先日の雨のとき水没した際、小魚が何匹も飛び跳ねて土のうの上に飛びあったところを鷺や烏が交代でついばんでいた場所でもある。

それを覚えていたのか”二匹目の泥鰌”ならぬ小魚をねらっているさまは、安宅関の富樫に似て、一見水中には関心が無いかのように小魚を油断させているのだろうか。

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「坂の上の雲」をテレビで見た。自分がこの本を始めてみたのは昭和四十九年アンデスで仕事をしていたとき、夢中になって読みふけった思い出がある。

この本が発行されたのは、その五年ほど前で単行本にして全6巻が、日本から送られてきており、一面草だけの山、仕事以外すること以外なにも無い場所での無聊を慰めてくれる本だった。

それ以来、何度か個人的に、この本を買って読み直してみたいとは思っていたが、、、、出来なかった。

そして、この本のスケ-ルの大きさから映画やテレビになるとは思えなかったし、逆に当時流行った円谷映画などの特撮でかかれてはチャチなものになってしまうだろうと思っていた、だけに、今回のテレビ化は心配と期待がない交ぜにある。

この小説は作者の意図はどうあれ、日露戦争が主題にであり、そこに出てくる秋山兄弟と正岡子規を通じて当時の日本人を垣間見せてくれるが、戦争で活躍し将軍にまでなった兄弟に比べて、若くして結核で死んだ正岡子規のほうが巷間有名である。

筋書きその他はほとんど忘れてしまったが、幕末に結ばされた西欧各国との不平等条約に抗して列強の国にならんとした。日本が明治の初期の日本政府の大方針だったに違いない。

そして、いま、政権交代を明治維新並みにとらえるなら、日米条約も対等な関係に持っていくべきであり、アメリカとの信頼関係や機嫌ばかりを大々的に報道するマスコミ特派員から自立がいまの日本ではないだろうか。(舌足らず)

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2009年12月 5日 (土)

お粥のご相伴

Img_0011 Img_0010 山の紅葉もいよいよ平地に下りてきてあちこちの庭や垣根に見かけることが多くなった。

今年は、南京櫨などの色づきはよくないようだが、これも気候に関係しているのかもしれない。

写真の蔦は、誰も操作したわけではないが、見ようによっては”大”と言う字に見えなくも無い。

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今日は、一日主夫業、雨のため洗濯こそしていないが三食の支度に、うろうろとする。

薬をもらいに、そのあと、マーケットに行って目に付いたものを買ってから献立を考えると言うやり方は衝動買い以外のなんでもない。

ただ、食べるのは自分だけ、、、連れ合いのは、自慢のお粥。米にたっぷりの水と出汁と塩を少し入れ、とろ火でじっくりと炊く。柔らかくなるまでなんども湯を継ぎ足し、、、。出来は上々だったが、大量に作ってしまい残すのもどうかと思い、ご相伴を、、、。

しかし、粥腹は腹持ちが悪く、ひさしぶりの夜食はインスタントラーメン。

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2009年12月 4日 (金)

十六夜の月ものっぺりと

020 与謝蕪村の句に”菜の花や 月は東に日は西に”と言うのが有名であるが、今朝の麻機はこの逆の景色が展開していた。

午前6時半ころ、あまりの晴天に外に出てみた。東の空は赤みを帯びていまや遅しと太陽が出番を待っている。

富士山頂から赤くなった色が、下がるにしたがって色合いも薄くなり、いよいよ麻機の山並みまで明るくなると、満天の空には雲も無く、朝日に照らされた月は十六夜ながらのっぺりとした表情になり、風情をなくしてしまう。

007kawagiri 今朝方まで降っていたのか、道端の草には露が一杯水玉を作り、静岡では珍しい川霧も立っていた。

川べりまで下りて写真を写せばもっと良いものになると思ったが、なにせ一面べったりと付いた草の露をみるとスニーカーでは二に足を踏んでしまう。

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夕方になって、連れ合いが頭が痛くて吐き気がする、と言うので掛かりつけの医者に行くと、「脳梗塞の疑いもあるので県立総合病院を紹介するからすぐに行きなさい」 とのこと、結果的には原因が分からず十時過ぎになって返ることが出来たが、主治医曰く「原因が分からないだけに心配だから、外来で来るように、、、」とのこと、、、。

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2009年12月 3日 (木)

雨にも負けじと

Img_0012 気温は十二度と平年並みだが、しとしとと降る小雨で終日薄暗い空が寒さを強調する。体感温度は四~五度といったところで氷雨を思わせる午後。

近所の川に小鷺が流れに足を浸けたままじっと立っている。

早瀬の下の泡立つところは魚が餌を求めて集まる場所だと言うことがわかっての位置取りである。

鳥は空を飛ぶため実を軽くすることが求められているため、食いだめが出来ないそうで、しょっちゅう食べては排泄を繰り返さなければならない。このときも餌になる小魚を狙っていたのだろうか。

雨に打たれてしょぼんとしているわけにはいかない。 雨にも負けず 風にも負けず、、、   と。

鳥に焦点を合わせると雨が写りこまないし、雨を写すと鳥がぼやけてしまう。結局何枚も写したうちの一枚。

雨のため遠出が出来ない暇人が、傘を持って小鷺に付き合った午後のひと時

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2009年12月 2日 (水)

カワセミ見つけた

Img_0028 木の葉も落ち、草も倒れると巴川の上流にカワセミが姿を良く見かけるようになった。

夏の間は、向こうのほうがこちらを見つけるのが早く、気がつくのは水面すれすれに一直線に飛んでいるのがほとんど。その頃になってカメラを操作しても手遅れだった。

風も無くうららかな日和の中、水も動かず水底まで透き通って見える。そうしたなか、木の枝につかまって、水面下の小魚をじっと見つめているとき、太陽の加減によっては、背中の青い羽根が名前のとおり翡翠のような光を放つことがある。

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一年の総決算。年末になって新聞紙上には今年の帳尻を合わせるかのように有名人の訃報が載っているが、我が家の関係でも「喪中につき、、、」という挨拶状がこれまで七通届いた。

分かっているのもあるが、全然知らなかったのもあって”忌中見舞い”にお悔やみの挨拶を添えて手紙を出す。むかしは、身の回りの人しか付き合いが無いため、知らなかったと言うのはほとんど無かったが、高度成長以来、自分を含めて、兄弟 従兄弟は各地に移住し、長年培った友も退職を機に散りじりばらばらになれば、ご無礼の数々。

流行の事業仕分けではないが、離れ住めば友達の子供や孫では賀状の交歓も無く、したがって訃報を機に毎年年賀状も減り、今年は百枚買った年賀状も一割は余る計算になる。

年一度 賀状ながめて 無事祈る

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2009年12月 1日 (火)

おそかりし どうだん原

007doudan 島田市伊太にこの四月営業を始めた”伊太和里の湯”とやらに行ってみようと家を出て、大井川沿いの道から入ってみたが、案内看板を見落として行き過ぎた。

途中で変だと気が付いたのは、千葉山への案内を見たためで、500mほど戻ればよいと分かったが、「ここまで来たのなら千葉山に行ってみよう」と気まぐれで目的地変更。

多分、どうだん原の灯台躑躅(ドウダンツツジ)は遅いと思うけど見てこようかということ決める。いつもは千葉山の山門下の駐車場に車を止めて、山に登り、杉の大木を見てから行っていたので、大井川沿いから入ったのは今回が初めて。

005 曲がりくねりながら高度を上げ峠まで上がると小さなペンションに行きあたり、駐車場に車を止めて見渡せば少し遅い程度でまだ綺麗な灯台躑躅がたくさんある。

そこの女主人と話しながら様子を聞くと「少し遅い程度でまだ大丈夫だ」とのことなので、足元は不十分ながら”どうだん原”に行ってみることにした。

009miti 細いながら整備された山道を少しくだり気味に20分ほど。行き着いた先のどうだん原は話しと違って「遅かりし由良の助」状態。葉も落ちてツンツンとした枝が目立つ明るい広っぱといったところだった。

それでもしばらく散策して、幾分色合いの良いドウダンツツジが、上の写真。

春の花の時期を楽しみにして引き返す。ペンションの主人に事情を話して、車で千葉山周りの道をとって帰る。

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hoy dia nacimiento de setennta an^o   

                 felicidad !!  

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