城北公園のさくら
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用事で行った十二双川の土手に早咲きの大島桜か、、、いや河津桜か、、うす赤い花が一厘、雨に打たれて咲いている。
気温も高く、氷雨っぽくにない雨なので風情があるが、、、これが寒さに震えるような気候だとまだ随分と違った感じを受けるのだろうなと思う。
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2,001年、明石市で起きた花火大会の帰りに起きた事故で、責任者の一人だった元明石署副署長を起訴すべきとした検察審査会の議決を受けて、弁護士が検事役となって起訴することになった。と言う報道があった。
これまで何度も検察審議会の起訴相当という議決を受けながらその都度検察は不起訴相当として却下してきた。
これは、法律を市民の目線から見るという一連の法改正に基づいた結果であり、検察が不起訴相当とした法律家目線とは違うところにあるということであろう。
自分なりにこの事故を見ていても、部下や関係者が有罪判決を受けている中でその上司がお咎めなしと言うのは納得出来かねる。
この議決を受けて、神戸地検の次席検事は「不起訴相当と判断しているのでコメントできない」と言っているが、その裏には「やれるものならやってみな、、」と言った感じある。
もし、裁判で有罪になったら地検はどうこの始末を付けるのか見てみたい気がする。
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半日陰を好むため、そこに差し込む日の光によって、まるでスポットライトを浴びているかのような印象さえある。
常緑の青い葉と枝から名付けられたものだが、木に雌雄があり実をつけるのは雌の木だそうだ。
故郷では、この木に雪が積もると赤い実がいっそう映えて美しかったが、枝を折ったときの臭いや常緑のためか便所の近くに植えられているなどの印象からあまり好きでなく、遠くから眺めるだけの木だったのを覚えている。
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昨年暮れから、なんとなく膝に違和感があったので出そびれていたのだが、今朝方になって急に登ってみようという気になった。
そこで、手近かな山と言えばいつもどおりの竜爪山しかないと思い上り口に向かってみたが、下の鳥居前の駐車場にはすでに十台ほどの車が入っており満杯、を越して路肩駐車の車さえある状況。
「今日は平日なのにどうしたことだろう。これは堪らん」と、行く先を変更しようとしたが高山の上り口は封鎖されている。仕様が無いのでそのまま車を進めて穂積神社の境内に車を入れた。
こちらは、車もなく鳥居をはじめあちこちに注連縄もはられて、まだ正月気分が漂っている。
ここにはまだ人が登ってきている気配もない。ゆっくりしたくして木の葉も落ちて妙に明るい感じの山道から鉄製足場の階段を上る。やはり山登りは土や岩を踏みしめて登るのが心地よくこの道はあまり好きでないのだが、、、、。
上り始めて四十分、薬師岳を過ぎ、さらに十五分文殊岳に到着。家を出るとき、東の方向は雲がかかっていて、展望は望むべくもないと決めてかかっていたが、途中から上下の雲に挟まれて富士山が顔を出し、南アルプスも真っ白に連なっていた。
少し休んで引き返したもののピストンではつまらないと思い、富士見峠に向かって尾根伝いに歩き出す。「もしかしたら何か予想外のものが見えるかもしれない」という期待と、下の鳥居前の駐車場に車を止めた人々とすれ違いたくないという思いもあって、、、
結果的に、穂積神社手前ですれ違った一人を除き誰にも逢わずに帰ってこれたが、予想外のものにあうという期待ははずれ、春一番に咲く三椏(ミツマタ)の白い花も蕾は固く、一花だに見ることも無く降って来てしまった。
今年の初山登り。ただ登ったと言うだけでなく、足の具合が調子よかったのが一番。
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ミドリガメが水辺に残っていた枯れ草につかまって日向ぼこをしていると、その隣からもう少し多いやつが這い上がってきて「おまえ 十分に暖まったろう。その場所をおれによこせ」といったかどうか知らないが、先にあがっていた亀が追っ払われてしまった。
やはり、人間ばかりでなく生き物の世界はでかいやつが力があり、小さいだけでかなりヤバイものがある。
「ヤバイ」とは戦前、監獄で看守を囚人が”やば”と呼び、香具師などが隠語として使っていたと言う説と「危うい(あやうい)」と言う言葉から変化したと言う説がもあるそうだが、どちらが本当だろうか、、、、。とはいえ、昔から有った言葉ではないようだ。
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リーク(Leak)と言う言葉をはじめて聞いたのは高校のころで、その頃は漏電か真空ポンプの原理を習っていたときのことだと思う。
それが、何時のころからか種を明かせないところから漏れ聞く話を意味し、政府高官や警察、検察が報道関係者に意図的に漏らす話として使われるようになった。
理屈はともあれ、出所が分からないと言う意味では名訳といえると思う。
しかし、この場合のリークは一方的であり、最近のように報道側に検証手段がない場合、そのままの記事が国民に先入観を与え、裁判にまで影響を与えてしまう。
たとえば、凶悪事件の場合。逮捕した側の話はリークとして新聞に載るが、された側はそのほとんどが裁判まで自分の意見を取り上げてもらえない。
足利事件などを見ても、逮捕された当時の菅谷さんは弁解の余地もなく、DNA鑑定初の紛れもない犯人として、寄ってたかって報道されたいた。
その怖さは、誰でもが容疑者に仕立てあげられる可能性があり、常にアリバイを証明できることが必要であるが、、、
我々くらいになると昨日食べたものはおろか、今日が何曜日かも判然としないことがあり、、、、、なんともヤバイ状態である。
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麻機沼の上空をミサゴが一羽、悠々と飛んでいるのを見ていたらいきなり水面に落下し、少しして飛び上がった。
よく見ると、足には獲物を捕まえた気配はなく、再び上空を旋回している。この調子ならまた水面に突っ込むのではないだろうかと、カメラを構えて待ち受ける。
魚を獲る猛禽類。ミサゴは羽根を広げると1,5mにもなる大型の鷹で主として魚を食べる鳥として有名であり、このあたりでも時々見かける美しくて立派な鳥である。
10分と経たないうちに再度突っ込む。また失敗。この鳥よほど狩りが下手なようだと思っていたら、もう一羽東の空にミサゴが現れ、さらに高いところで旋回を始めたら、それに釣られるようにして南の空に消え去った。
見ているだけで二回は失敗しているのだから、腹は空いているはず。後から来たミサゴが異性なら食欲が性欲に負けたことになる、、、、?
動物の三大欲望とは、食欲と性欲ともうひとつ何だったか知らないが、一番は食欲だと思っていたが、恋がその上を行くとは意外な感じがした。
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いま。麻機沼の西側、第四工区と言われるところは、底の泥にダイオキシンが多く含まれているのでその除去作業が行われている。
そのむかし、葦原と泥田ということで産業廃棄物などを放り込んだのが原因らしいのだが、安易に捨てたごみの始末するため、底の泥を含めて、どれだけ費用がかかるのだろうか。
捨てるときは荒地に捨てて何が悪いぐらいだと思っていたのかもしれないが”只より高いものはない”の典型かな?
また、注意書きの看板にも、その理由や説明をはっきり書かず、ただ「獲った魚を食べたり水を飲まないでください」としか書いてなかった。
その注意書きは、沼の魚をたべている、ミサゴや鵜、鷺には読めない。水俣病でも食物連鎖の頂上にいる人間に一番重く症状が出たのと同じことが起きなければよいのだが、、、、。
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黄鶺鴒(キセキレイ)が川辺で尻尾をせわしなく振りながら餌探しをしている。
昔から、虫を食べるためか「獲ってくると家が火事になる」とか言っていたので、触らぬ神に祟りなし的存在だった。そのため、向こうも人を恐れる気配もなく身近に見られる存在だった。
この鳥、子供の頃”ちんちん鳥”と呼んだのは、尻尾を上下に振るためだったのか、小さな声でチンチンと啼いていたせいかは判然としないが、北原白秋の「ちんちん千鳥」のことかと思っていた。
そして、この鳥は夜啼かないはずなんだけど、余所では啼くのかなとか、寝ることを「およらぬか」と言う昔言葉が分からなくて、いまひとつ言葉の端はしに引っかかって難しい歌だった。
そして、その頃鶺鴒といえばキセキレイのことだったが、最近では渡り鳥の白鶺鴒や背黒鶺鴒のほうが多くなったような気がするが、、、。
.ちなみに「ちんちん千鳥」の最終歌詞は
ちんちん千鳥よ およらぬか
夜明けの明星 はやしらむ だったと、、、
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今日二十四日は初地蔵。近所の厄除け地蔵は参詣者で一杯、おかげで近所のスーパーの駐車場まで自動車で満ち溢れている。
受験を間近に控えた人の神頼み仏頼み、祈祷料はかなり高額。地蔵様も願いを聞き届けるに四苦八苦といったところか、、、。
ともあれ、自分としてはその中に「家内安全」を、、、と、100円を賽銭箱に収める。「ねぇ 地蔵様。地蔵様には現世のお金など関係ないでしょ。金額で差別しないでね」と付け加えて、、、と尻をフリフリ願いを紛れ込ませる。
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富士市の西側に標高200mに少し切れる岩本山公園という小高い山がある。
自動車で登り駐車場に入れると、その先はなだらかな斜面に芝生が植えられていて、孫たちが小さいときにはよく連れて来たところでもあったが、此処しばらくぶりはご無沙汰していた。
この山は、本栖湖から富士山の西側に連なる山脈の末端にあたり、富士市街地をはじめ富士山の展望台としても有名である。
その見所としては、春の梅や桜越しに眺める富士、茶畑の上に霞む富士など写真の題材としても名を馳せている。
今日も、梅の花越しの富士があわよくばと行って見たが、富士は雲の中。折角早咲きの梅が赤白とかなり咲いていたのに残念だった。
そうしたなか、高さ 3,0mくらいの三脚に高級カメラを乗せた人が寒そうにして、その下で立っていた。多分遠方から来て、番たび来れないので粘って雲の切れるのを待っているのだろう、と想像して見たのだがが、、。
その点、準地元の自分にはこらえ性がない。梅林の頂上でもある最高地点まで梅見をしながらゆっくり戻って来るまでの二十分で見切りをつけた。(しかし、帰ってきたら富士山が薄曇りながら顔を出していたので、彼は待った甲斐があっただろう)。
駐車場近くまで戻ってくると、植え込みの中に傘が何本も開いたまま突き刺さっている。その下には猫の餌らしいものと共に箱や敷物があり、「ああ ここでも野良猫に餌をやっている人がいるんだ」と、感じた。
付近には幾本も「猫を捨てないで、、、」の看板がある。今大小を問わず、どこの公園でも猫が問題になっている。
野良犬の場合は、割合始末されているためか見かけなくなったが、猫は自分の家の近所でも飼い猫とも野良猫ともいえない猫が沢山いる。しかし、保険所に電話してみても捕獲には来てもらえないそうで、糞公害などで困っている。
餌をやっている人は、「家では飼えないので、、」とかいっているが、その餌のおかげでそこに猫を捨てに来る人や捨て猫の子供などで数は増える一方。
餌をやってる人は可愛そうだとか、親切の積りでありまわりの苦情には一切耳を貸さない、、、。
世の中、全てが犬好き 猫好きではないはずなのだが、この人たちはそう思っていないところに大きな誤解が生じてくる。
そんな思いが、折角の梅の花の印象を半減させたのが残念だった。
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薩埵峠の寒桜、もうそろそろ咲いているはず」と、午後になって富士山も見えてきたので出かけてみた。
清水側の駐車場から登って行くと峠間近がピンク色をしている。
今日は、平日とあってあの騒がしい小母ちゃん軍団はおろか、観光客は一人もいない。
静かな峠の、桜の傍に立てば、メジロがやってきて蜜吸いを始める。
人の気配がなくなるとヒヨドリに追っ払われるため、逆に人を利用しているのではないかと思われるような仕草をして、、、、。
下を覗き込めば、真っ青な海面をバックにして花びらが浮き上がる。
さながら、宮城道雄のことの名曲”春の海”がポン ポロロ~ロンと聞こえそうな雰囲気意。しかし、こんなことを書くと早速大きなスピーカーで流されそう、、、、。そんなことにならないように願いたい。
遠く、伊豆半島は霞がかかって墨絵のように、そして、富士山も幾分西日を受け、先日来の暖かさのためか、はたまた、風に吹き飛ばれてか黒い部分をのぞかせ、厳冬期の真っ白な富士と違った柔らかな面もちで佇んでいる。
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天気予報で予想はされていたがとても”大寒”の日とは思えないような生暖かい風が吹いている。
気温は十五度だが、体感温度はもっと高く散歩途中で下着が汗びっしょり、。足元に咲芝桜を見ていると四月ではないかと言う気さえする。
このまま春に突入するわけではないことは重々承知の上でのことだが、寒さもこれで終わって欲しいと願っている。
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報道は、日航と小沢幹事長で賑わっているが、新聞の片隅にアメリカの自動車業界の意向を汲んでアメリカ議会が騒ぎ出したため、環境庁はアメリカの自動車にもエコカー減税の対称にする決定をしたそうだ。
そもそも、エコカー 減税は自動車業界を助けるためもあるが、二酸化炭素排出を規制するために作られた法案で、燃料基準を決めて行われたもので、燃費の悪いアメ車にはこの基準を上回る車がなかったため補助を受け取れなかったと言う面がある。
しかるに、その基準をアメ車はアメリカ基準で通せと言うのがアメリカの言い分である。フォルクスワーゲンは日本の基準を満たして参入していると言うのにアメリカの態度は日本を見下していることがあからさまである。
「日米関係を対等に」と言う願いはこの調子では未来永劫分からないであろう。どこかで、はっきりと理由を述べ、拒否しなければ普天間基地の問題も分かってくれないのだが、、、。
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この分では春がどこかに来ているとばかり歩いて見たが、探し当てたのは一番身近な場所、家の裏で蕾を膨らませだした蕗の薹。
大きさは直径2センチほど、何年か前採ってきた蕗の内、根がついていたのを家の裏に捨てたのが生き残って、今では一m四角ほどに広がっていてその株の中心にいくつもの蕗の薹が蕾をつけて付けている。
もともと捨てたものだから、日の光も乏しく、栄養も水気もない痩せ地に領分を広げた蕗には大きな蕗の薹は出来る由もないが、これも一種の”土根性”かと思えばあだやおろそかに出来ないような気がしてきた。
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今日は五年ぶりに検便を提出してきた。汚いものにもかかわらず受付の女の人が「ありがとうございます」といって受け取ってくれたのにはこちらが恐縮するとともに面映い気がして早々にその場を離れてしまった。
検便を提出したのは、金曜日に高血圧に関連してか三ヶ月に一回、血液の検査をしているので、そのついでに前立腺癌と大腸癌の検査も付け加えて欲しいと言った結果なのだが、前にやったのが五年前だったのでそろそろやっておこうかという意味での検査である。
結果は四~五日後には分かるといわれたが、一ヵ月後の次の受診日に聞きに来るからと言ってある。
今のところ、前立腺肥大は小便の勢いから分かっているのだが、これといった自覚症状はない。毛を吹いて傷を求めるような結果にならないことを願っているのだが、、、、さてどうなるやら。
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麻機農道からの下ってきたところで”踊り子草”の花を見つけた。
鳥の嘴みたいな花を一本の幹のぐるりにいくつも巻き付かせるようにして咲くところから踊り子の花笠に見立てて付けられたのは間違いないだろう。
この花は、桜の後に咲くものとばっかり思っていたが、こんなに早く咲くのはどうしたことだろう。
薄い紫ともピンクともつかない色合いの花と葉は、最近の霜にも負けていないようで、傷もなくいくつもが咲いていた。
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一昨日、衛星テレビでW杯ジャンプ札幌大会を見ていた。ワールドカップとはいえ日本まで遠かったのか、それとも、オリンピックを間近に控えていたためか、ヨーロッパから主力選手が来ない中で、一本目のジャンプで葛西選手が135.5Mの大ジャンプ。次いで伊東選手が133Mと一,二位を占めた。
アナウンサーや解説者も舞い上がったような放送をしていたので期待をして最後まで見ていたが、結局は二本目に失敗した葛西は六位、そして、井東は三位となった。
本来なら、二流に近い外国選手を蹴散らすのかとも思わせただけに、解説の仕方にガッカリという感が強い。
このほかにもバンクーバーオリンピックの日本代表選手が出ており、栃本、竹内、岡部の各選手がいる中で、岡部39歳、葛西37歳と聞くと鍛えに鍛えてロートルが頑張っていると見るか、彼らをまだ主力選手にしなければならないジャンプ陣なのか、、、。
スポーツの世界でも流行り廃りがある中で、かってジャンプもお家芸の一つだったことがあるだけに、新陳代謝がないのは寂しいものがある。
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政治の世界でもそうだが、いつまでも古いタイプの政治家が力を持っているようでは折角昨年夏の選挙で政権交代をさせた効果が半減しているようで寂しくなってしまうこのごろである。
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朝方の凍みも解けて風もなく、久しぶりにうららかな春を迎えたような気分になる天気である。
道端の草も最近の霜にやられてかれたものが多い中で、地面すれすれに這っているスイバやゲンノショウコなどが赤く色づき草紅葉となっているところがあちこちにある。
高い山では秋口に始まる草紅葉も、この当たりでは真冬の光景なのだろうか、、、。
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今日は、麻機沼の流通センター側の柴揚げ漁が行われるとかで、その一角が活気付いていた。
4~5m角に仕切ったすだれの中から前もって埋め込んでおいた木の枝を引き上げて、その下に潜んでいたフナや鯉を大きなタモで掬い取る漁法で、昔から伝えられているそうだが、最近では、沼の魚類を食べる人もいなくて形だけの漁法になっている。
今日も、見ていたら最初の一網にはいくつか入っていたようだが、あとは岸辺からは確認できず、、、それでも「去年よりは獲れているようだ」との声もありまずまずの成果だったのだろう。
岸辺では保存会の人が炊き出しの支度をしていたが、なんだか物欲しそうに見られるのが嫌で早々にして帰る。
おりしも今日は”土用の入り”夏のウナギに対して、「鯉こく」で寒さを乗り切るよう宣伝しなくっちゃ
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この花の名前をペーパーホワイトともホワイトペーパーともいう。
ごく一般的な日本水仙とちがって、花全体が真っ白なため付いた名前であり、いかにも紙細工をおもわせる。
一方で、ホワイトペーパーを直訳すれば白書であり、○○白書と言う言葉を聞いたことがある。
こちらは、表紙が白いだけで中身は国民を脅かし、説得する材料に使われた小冊子と言ったところか。異質なものとしては「イチゴ白書」と言う映画(見ていない)があって「イチゴ白書もういちど」といううたがあった。
またどこかに脱線していく、、、、。
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「おやじさん、床屋さんの看板であるくるくる廻る三色の標識はなんて名前なの?」「サインポールっていうんだけ~が、むかしはアルヘイ棒って言ったけ」
「アルヘイって?」「さあ詳しいことは知らんけ~が、、、有平棒って書いたらしいよ」
面白い話を聞いたとばかり、かえって調べてみた。
そしたら、有平糖という飴菓子から来たそうで、もともとの語源はポルトガル語のALFE`LOAを日本字に当てはめたと言うことだった。
有平糖とは色のついた飴を捻じったり合せたり、貼り合せたりする飴細工であり、いまでも、祭りなどに出てくる屋台で見る飴細工もそのうちだが、そんなところが語源になったと言うのは面白い。
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庭先の一本の寒梅 笑って 風雪をおかして開く
不争又不力 自占百花魁
争わず またつとめず 自ずからしむ 百花に先駆けて
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明治の人、新島襄の作った漢詩だと言われている。
寒い北風が幾分和らいだものの例年より寒気を感じるのは、暖かい静岡の気候になれたためか、それとも年のせいか。
まだ、ズボン下ははいていないが、上のほうは一枚多く寒そうな外は、陽があたってから出ないと出かける気がしなくなった。
さしづめ五分咲きに少し満たないといった程度だが、、、建物の隙間からさして来る陽をうけてその淡い桃色が透けてみるさまはなんとも可愛い。
花を近づけてみれば、かすかに匂うものの、この寒い西からの風では本家大宰府天満宮には匂いを送るのはちと無理かな。
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”木枯らし”と言うのは晩秋から初冬にかけて吹く風のことだから、今日の風は、と、調べてみたがよく分からない。真冬に強い風は当たり前と言うことだろうか。
ともあれ、「凛とした感じの、この冷たい風は気が引き締まってまったく嫌と言うことでもない」と言ったら「肉が厚くて寒さが骨身に届かない人は、、、」と叱られた。
散歩の途中西風を遮るような陽だまりに、青鷺とコサギがいるところにダイサギが飛んできて一ヶ所に集まっていた。風を避けてと言うより暖をとっているように見えたのは思い違いだろうか。
普段は水の中に入って小魚を追っている姿を見ると、水の冷たさや風の寒さは感じないものと思っていたが、コサギに周囲を警戒させて、うつらうつらとしている青鷺をみると、どこかの楽隠居に想像してしまう。
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日航がどうやら破綻することが確実になったようで株が売り込まれ値段がつかなくなったようだ。
最初、3,000億円とも言われた負債が結局は8,000億円にもなりそうだとのこと、世界をまたに駆け、日の丸を背負って飛んだ航空会社の経理はどうなっていたのだろうか。
新聞によると「親方日の丸」意識が抜けなかったためとも言われるが、政官業のもたれあいの結果だとも言われている。
利益誘導型の飛行場を全国到るところに作らせ、その飛行場に採算無視で就航させた政治家や官僚。裏での癒着でそれを断れなかった日航(会社幹部)が長年にわたって作り上げてきたもので、静岡空港などもその典型だったに違いない。
今日も空行く日航のジエット機は音もなく飛び機体も霞んで見える。
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朝からの強い風に煽られて雪のかけらが羽虫のように飛び交っている。
今年一番の寒波が襲来したとか、故里 飛騨辺りではかなりの積雪があるようで、寒さも加わって地球温暖化は一時差し止めと言った感じでストーブを焚きからがしていると言っていた。
ここ暖国、静岡でも雪が時々飛び交っているところを見ると、つい雪見遠足を兼ねて有東木へ雪見蕎麦を食べに行こうかと言うことになり向かう。
山道に登りかけてみると、気温は一度まで下がり水気の多い道は凍っていても不思議ではないと慎重に進めていく。
着いてみると雪の量は、差ほどでもないが時折強い風が雪煙りをあげて木の枝から飛び散り、懐かしい風景を作る。以前はこんな光景の中、「野兎を追って山に分け入ったもんだ」と、またしてもの自慢話にうんざり顔をされる。
バス停近くの山茶花や南天の赤い色に雪が積もって映える。そして、あちこちに咲き出した蝋梅の花にも雪が吹き込んだと見えて、、、、
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しばらく続いた晴天も昨日でお終い。今日は冷たい雨が時々降ってくる寒い一日。と言っても、北国と違って氷点下に気温が下がることはない。
そんな雨の中休みを狙って近場をあるいていると、コサギの後をダイサギが付いていくのが目に付いた。コサギのほうは、どうも嫌がっている風でしばらくは歩いていたが、我慢し切れなくなって飛び去ってしまった。
白鷺の名前の由来はごく簡単で、大きさによって大、中、小に分け、大きい順にダイサギ、チュウサギ、コサギという。体色は純白、形も似てて住む場所や小魚の餌も一緒と来ると知らない人は親子のように見えかねないが、、、。
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大相撲の魁皇が幕内最多勝を更新した。昨年には幕内九十八場所でこれも記録を更新したそうだから、平成の名大関として記録に残る快挙だしさらにこの記録は、続くとすると、いくら記録は破られるためにあるとはいえ難しいものになりそうだ。
特に勝ち星は、歴代の名横綱といわれた人たちの中で、彼だけが一ランク下の大関と言うのも特異である。しかし、逆に言えばそれが幸いしたのかもしれない。
横綱を張れば八勝六敗や休場が重なると世間の口がうるさい。とにかく、この記録は継続がなしえたものとすると、二番手三番手の妙だろうな。
とはいえ、若い対戦相手によく頑張ったものだ。
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ラジオを聴いていたら、千代大海が魁皇に負けた翌日に引退を表明した。
大関を陥落した時点が引き際かと思っていたが、本人は次の場所で十勝出来るのではないかという希望的観測もあったのだろう。
人間なかなか自分の力は見定めがたいものがあるもので、自分も仕事を辞めるきっかけを作るのに苦労した経験があるのでなんとなく分かる気がする。
ともあれ、引退を決意するには一番よい相手だったと思う。
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ギリシャ神話にナルキッソスと言う美少年がいて、ある日、水の中を覗き込んだところ、きれいな人がいて、その顔に恋焦がれて死んだ。と言う話があり、その話を元に自分を以上に愛する人をナルシストと言うようになったそうだ。
近くの水路を覗き込むようにして咲く日本水仙。水の流れのゆるい部分だったのでこちらも覗いてみたら、水仙が写りこんでいた。
この水仙、近いうちに焦がれ死ぬかもし知れない。
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今日は成人式。街中は着飾った女の子?が、ちゃらちゃらと歩いているだろうか。我が家の周りにはそんな子もいないらしく、ついぞ見かけなくなった。。
今年の成人は120万人と少し、団塊の世代と言われた頃に比べると半分ほどになったとあれば見かけないのも当たり前のことか。
先日もある人との話で出ていたが、女の人は「お若いですね」と言われるだけでいくつになっても嬉しいものだとのこと。
一方で、自分の場合だけかも知れないが、わかいときから年相応に見られたいといつも思っていた。いわゆる、貫禄と言うものが欲しかった。
特に、三十から五十歳位にかけてそういう気持ちが強くて、背伸びをしていた面がある。そのためか「坊ちゃん顔」の人が気の毒に見えたものである。
そして、テレビで見る新成人顔つきのボコイこと、考えてみればほとんどの人が社会に出ていなくて親がかりなんだものな、、、。
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「じいじ、花餅はどうするんだっけ?」
「うん 小正月に木槌でで叩いて枝から落とし、フライパンに砂糖と塩か醤油をチョット入れてガラガラと炒るとかき餅になるから、そうやって食べると美味いよ」
「小正月って何時のこと?」「一月十五日」
「どうして小正月っていうの?」「木槌ってなに?」、、、、以下長くなるので
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そろそろ咲いている頃だとでかけた駿府公園の寒桜、薄紅色にきれいに咲いていた。
おりしも、今日は出初式。公園の中は黒い制服制帽の人が群れをなして立っており、一角ではガマンできなかった人が集まり紫煙が上げている。
消防車がこんなに集まっていれば少々のことでもOK
そして、これだけの人が集まれば、常連のメジロも近寄れまい、、、と思っていたら、メジロのほうも人なれしているのか、それとも、腹が減って我慢ができないのか枝の間を巧みに使ってちらほら動いている。
会場では、はしご車の演技も終わり、木遣りの歌を背景に梯子乗り、梯子の上で逆さになったり、両手を広げたり、、メジロも負けずと出初式。
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そうそう、話は別になるが。静岡に来たばかりのとき会社の新年会の席上で、飛騨の歌を歌ってくれとの要請で「船津めでた」を謡ったら、司会者曰く「ただいま結構な木遣りを聞かせていただき、、、」と言われたが、いまだに、そんなに抑揚がなかったのかな?それとも、民謡と言うものが消えうせている静岡では区別が出来ないのか?、、、どっちなんだろう、と、いまだに思っている。
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十二月半ばまでは、山にも餌があったらしく来なかったのだが、霜が降りたり、山の蜜柑の取入れが進んだりして食べ物がなくなったため、仕方なし人目に付くところへ来ているものと思われる。
いくつも、庭木に刺しているのだから、別々か交代で食べればよいものを、と、思うのはこちらの見た目。
なかなか離れられないツガイである。
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久しぶりに市街地に行ってきた。静岡言葉で「おまちにいく」
昨日のテレビで伊勢丹で”大北海道展”とかで名産品を売っていると放送していたので美味しそうなものでもないかと見に行ったわけ、、。
最上階に登って驚いた、十時半、開店から三十分というのにレジの前に延々とした行列が出来ていた。わがまま爺さんとしてはこの行列だけで嫌になってそのままUターンしてしまい、「自分から行こう!」って言ったのに、と、また揉め事の種を作ってしまった。
機嫌直しに、地下まで降りて吉田「髭やっこ」製の塩辛を行列なしで買って帰る。
とにかく行列は戦後の配給に並んだ時(子供だったが)以来嫌いである。なんだか恵んでもらうと言う雰囲気があり、配るほうが威張っていたのに反発できないというと言う子供体験がそのとき染み付いたようである。
しかし、世の中行列好きもいて、「人が並んでいると訳もなく後ろにつく」と言う人もいて、、、パソコンソフトなどの発売で奇声を上げている人を見ると「バカか おまえは、」と思ってしまう。
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午後になってNHKの川柳を聞いていたら「行列は料理の腕が遅いだけ」正確ではないが、、、、こんな意味の投稿を紹介し、解説している人の話の中で、「行列が出来ているから美味しいのか、と、並んで食べたらそんなんでもなかったときは、、、。」と言っていたが、自分は行列を見るとどんなに評判がよくても避けて通る。
とくに、食べ物屋はお客が多くなると、未熟な料理人に作らせたり余所から呼び寄せるため料理の味が落ち、「前回あんなに美味かったのになぁ、、この味付けちょっと違わないかい?」「店員の態度が悪くなった」など、と言うのあり、次第に客足が遠ざかる。、、、、、そして、お客が来なくなると、また味がよくなるという経験がある。
客が悪いのか、ブームに乗った店が悪いのか、、、、ミシュランに煽てられて、、、後は書くまい。
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一本一本は香りも分からないが、傍を通り過ぎる際、ほのかではあるが丸い感じで水仙が匂うのがわかる。
午後の太陽が花を裏から当たり白い花びらを光り輝かせている。
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最近はコマーシャルのせいもあってか、加齢臭がクローズアップされすぎているように思うのはこちらが加齢臭年代のためだろうか。
日本人は一般に欧米人種に比べて体臭が少なく、男が香水の類を身体に付けることは近代に入って男らしさとは裏腹に見えてする人はまずいなかった。
そして、母の匂い、学生の匂い、赤ん坊の匂いなどと並んで親父の匂いも懐かしいもののひとつに数えられてきた。
それが、最近になって親父の臭いが嫌われ者になり、親父の脱いだ衣類は別に洗濯するとか箸でつまむなどの行為が当たり前のようにいわれ、戸惑った親父の中には慌ててオーデコロンなどふりかけている人もいるが、なにせ年季の入っていない即席の化粧のため、かけ過ぎてエレベーターなどで一緒になると辟易とする人がいる。
いつのころからか、男の臑毛や、胸毛も嫌われ、親父を汚いものの代名詞にしてしまっている。自分たちがどんなに好ましい存在と思っているのだろうか。
草食男子に肉食女などと言う言葉の中に時代は突き進んでいくようだが、消極的なへな猪口男ばかりになった世の中は見たくないものだ。
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自民党の元副総裁だった山崎拓氏が今度の参院議員の比例区で当選したいと自民党党首に直談判をしたが断られたそうだ。
たしか、彼は衆院議員を12期も勤めたベテラン議員だが、最近は地元でも支持者が減ってきたようで当、落選を繰り返している。
しかし、本人はそのことにあまり気づかず国政に自分が出なければ、、と、挨拶している姿が放映されていた。
国会議員は永くなると国民の意思から遠ざかってしまい、「永田町の倫理」に嵌まってしまい政治屋になってしまう。
これも、加齢臭の一種だとしたらオーデコロンくらいではなかなか消えない臭さであろう。
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昨日が小寒だったので、一年で最も寒い時期”寒”にはいったはずだが風もなくぽかぽかと言った感じの一日になった。
すれ違った人との挨拶も静岡流の「今日はいいですね~」が飛び出す。
北日本や北陸では大荒れの雪だと言うの、、、、ありがたいことです。
今年に入って六日しかたっていないのに、自分のブログを見てみると鳥の写真が多いのに気がついた。そして、今日も澄み切った青い空を仰いだ記事と鳥になる。
県立総合病院の南側に聳え立つユリノキの並木。すっかり葉を落として名前の由来である百合の花状の木の実が枝の先っちょにたわわに実っている。
この木の花は5~6月に咲くそうで何回か見に行ったがついぞ花を見たことがなく私にとっては謎の花である。
その最大の理由としては10m以上の高木の枝先に咲くため、下からは若葉に遮られて見通すことが出来ないのと薄い緑色をした小さな花だそうだが、やはり葉に同化していて判別できない。
しかし、この花は美味しい蜜を出すため、蜜蜂や、養蜂家には喜ばれているそうだけど、人間の目を喜ばせるために咲いているんではないそうだ。
ともあれ、地上に落ちている実から想像しているだけだったが、その先端を相思鳥がついばんでいるのを見ると種も美味しいのかもしれない。
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野口総一さんは
今朝のニュースで宇宙飛行士の野口総一さんが法被のような上着を着て、羽根突き、書初め、百人一首を詠んでいた。
以前の宇宙飛行士は積荷を少しでも軽くするため、必要最小限のものしか持って行けなかったのに比べると宇宙船に到着したときのサンタの格好をしたり、今日の道具といい長期滞在には少し余計なものも持っていけるようになったことが分かる。
しかし、多額な資金を投じて彼らを宇宙に滞在させているのは、何か研究や実験をさせているのではないかと思うが、その様子がちっとも伝わってこず、またしても縄跳びをしたり、地上の家族や偉い人、小学生らとの他愛もない交信など、遊び半分の活動しか報道されない。
当初は、いろいろと民間からも実験以来が有る予想だったがそれを含めて、どんな仕事をしているのかインターネットで検索しても分からない。
ただ、多額の出資に対するお付き合いなら、例の事業仕分けで一部カットも仕様が無いと思うのだがどんなもんだろう。
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空のあお 海の青に 染まずただよふ
若山牧水
このうたでいう白鳥はスワンでも白鷺でもなくカモメだそうだが、青い空をバックにいつまでも溶け込めずにいる白い鳥共通の哀しみであり、空の世界海の世界の間を漂う自分になぞらえてうたったように自分は解釈する。
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昨日から今日にかけて、外の天気同様我が家も揺れた。
やはり、若者の力は違う。昨年で18歳と16歳になった孫たちが来て冷蔵庫の中の目立ったものを大方平らげ、朝早く風のように去って行った。
自分もあの年頃の頃は、大ぐらいをしたものだが、最近は富みに食べる量も少なくなり、チマチマとした味噌汁とおかずでないと、毎食同じものが出てくることになる。
昨夜は、久しぶりに泊まると言うのでそれなりの量を支度したのだが見通しが甘かったようで、冷蔵庫に入れてあった餅を焼き残り物のアズキの中に入れてお汁粉で満腹させた。
、、、、、つもりであったが、後で聞くと近所のコンビニへ行って駄菓子を買って、寝間で食べていたそうだ。
自分もあの年頃のとき、いっぺんに切り餅を16個と言う記録を持っているので言えた義理ではないが、、、。むかしの親のように、はらはらして見る必要がないことに幸せを感じていた。
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羽衣の松の上を飛ぶ鳩、この後、鳶が出てきたら木の間に消えてしまった。さしずめ一富士二鷹か
「一富士 二鷹 三茄子」二日の夜から三日にかけてみる夢を初夢と言い、縁起の良い順がこれだと言う。
この後、「四扇 五煙草 六座頭、、」と、続くそうだが、そんなに注文どおりの夢を見られるはずも無いし、四、五、六に到っては「なに 言ってるじゃ」となりそうだ。
そこへもってきて、今朝方、何か夢を見たのだが、なんだか思い出せなくて考えているうちに二度寝をしてしまった。
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此処しばらく、散歩以外にどこも行っていないことに気がついた。と言っても車の渋滞をテレビで見ていると、どこへも行く気がしないし、近場の観光地と言うことで三保の松原まで言って気晴らしをしようと久能街道を海岸線沿いに走りむかった。
久しぶりの久能街道は久能山を過ぎてから立派な道路が海岸線沿いに出来、車も少なくスピードが出しそうになる誘惑をこらえるのに精一杯だった。
三保神社入り口の道路も大きく整備され、以前のように入り口を間違えることもなくなり、これも合併効果かと思うと、こちらの人は「上手い事をしたな」と言う感じ。
しかし、海岸近くの羽衣の松は、葉を落とし見るも無残な格好になっており、とても写真の対象にはなりえない。これでは、天女も天の羽衣も懸けてみる気がしないし、観光客も「なんだこんな松だったのか。まるで上げ底の土産と一緒だな」って、言うこと請け合い。
松にも寿命があることを考えれば仕様のないことだが、傍には老松もあることだし、伝説なんだからチョット動かすぐらいして良いのではないかと考えるのだが、、、、。
.二階で交換?
帰りの寄り道にジャスコによって買い物をしてきたが、出口で店員らしい男性が「こちらへ」と言うので、言われるまま領収書を見せると若いおね~チャンが、総額を計算して「二階で交換してください」とマスク越しに小さな声で言い、黄色い紙に 2と書いた紙と領収書に3800円と書いて手渡された。
職業性難聴の自分としては、いつものとおり分かった振りをして荷物を自動車に積み、取って返して二階に上がるが、どうも雰囲気から言って変。商品係の受付、それも一番年長の小母さんに聞いてみた。
「二階でこれを交換して」って、言われたのだけど。と紙を見せたら、向こうも分からずしばらくあちこちを見た挙句。「どうも、福引のハンドルを二回まわす。と言う意味らしいですよ。とのこと。そういえばガラガラポンの福引回しがあったなと気がつく。
難聴とマスクを通しての小声。とんだ漫才をしたもんだ。
福引は白い珠と青い珠がでて、ベルを鳴らして「四等大当たり!」、ところがこの大当たりは、11日までの買い物に対して「100円引き」と書いた紙。
帰り道、その紙を見てしょっちゅうこの店に来る人なら使いようもあるかもしれないけど、、、等外のポケットテイッシュはすぐ使えるが、100円の割引は使わない可能性のほうが大きい。となるとただの紙切れと言うことになる?、、、
値打ちから言ったら等外のほうが良かったじゃん、と言うことになりそう。初夢を忘れるくらいなんだから「今年もこりゃだめだ」
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北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる ッて歌があったけど、今朝の寒さは風も無いため妙にシ~ンとした感じの寒さであった。
麻機の沼も前面結氷し、カモたちはいる場所がなかったのかいつもの場所では見られない。寒さと言うより犬猫をはじめ天敵の難から逃れるためと思うが、昔聞いた「北の国では鴨を取るのに鎌を持って湖に行き凍りついて動けない鴨の足を刈り取るのだ」と言うのを思い出した。
そして、日が当たりだした氷の上を、背黒セキレイが何羽も歩き回り、虫を追っているらしい動作を繰り返していた。
こんなところに虫がいるんだ。と思って見ていたが、背黒セキレイのほうは経験のない氷上に戸惑っているらしく、氷の上で足を滑らせ酔っ払いのような動作が面白く何度もよろけている。
ただ、デジカメのシャッターの切れが遅く、スッテンコロリンと滑った場面は失敗。取れていれば、、、、、。今年のフォカス一号だったかも知れず残念だった。
そのあと、決まり悪そうに背を向けて去っていた。
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民主党の小沢幹事長の家の新年会に民主党議員が160余人も集まったと言う。先の中国訪問は600人以上を引き連れて出かけた、と、言うが、なんだか異常な感じがするのは自分だけではないだろう。
彼は、故田中角栄について政治学を学び尊敬し、その行動を見習っているやに聞くが、これらの一連の行動は「数は力なり」と豪語した田中角栄をそのまま踏襲しているように見えて仕様が無い。
おりしも政治献金ではいろいろと難しい局面に立たされて来始めているように見えるのは、田中角栄の当時と良く似て来ているような気がする。
高転びに転ぶのは、昔から数かぞえ切れないくらいある話。スッテンコロリと行くのかどうか、、、。
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「千両役者ってのは気を持たせるのが上手なんだよ」ってのが隣の草の上に座り込んだ杉山さんの言い分。
一気に上った岡の上は冷たい風が吹いていたが278段とかある階段を上れば身体が汗ばむくらいで温かだった。それから日の出まで十五分ほどだったが伊豆半島の上あたりにある低い雲の上を真っ赤に染めていながらなかなかお出ましにならない。
富士山が赤く染まってからさらに五分、いまかいまかと待つ自分に声をかけてくれたのが上の言葉、周りの山を赤黒く染めてからようやく顔を出した。
雲さえなければ一年中見られる太陽だが、元旦の太陽には格別なものがある。この寒ささえなんだか身を清めるようで、すがすがしく感じるのは日本人だけだろうか、、。
クリスマスを大騒ぎする欧米では、新年と言ってもカウントダウンみたいなことをしても日の出にそんな感情は無いように聞く。
一神教と草木石から便所にまで神の霊が宿ると感じた八百万の神々がつどう日本という違いだけなのだろうか、、、、、。
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今日の年賀状に長年年賀状だけの付き合いになっていた婦人の夫から「彼女が認知症になり、入院していますので、今後は新年のご挨拶を控えさせていただきます」というのがあった。
昨年の年賀状では、それまで字が上手だった彼女の手になるものとは思えないほど震えた筆跡だったので、どうしたのかな?とは思っていたのだったが、。「そんな状況だったのか」と改めて感慨深いもの感じてしまった。
認知症は、どういうことが原因でなるのか解明されていない以上、来年は我が身ということもありうる。自分の場合はどうするのか。また、彼女の夫に慰めの手紙を出したほうが良いのか、それとも、見舞いに?なんだか切なくて、そして、心乱れて、、、しばらくは普天間基地のように考えて見なければ早々に結論を出せないと思うのだが、、、。
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