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2010年2月 2日 (火)

つぐみの訪問

007 鶫(つぐみ)が庭先に捨てておいた腐りかけの林檎を三日がかりで平らげていった。ヒヨドリとほぼ同じ大きさの身体を持っている割には小食なようで、そんなに騒ぎ立てることもないので静かに見守っている。

この鳥は、冬になると日本に渡ってくる鳥で、その昔、焼き鳥と言えばこの鳥のことだったことがあるくらいで高級な店では、隠れてかなり遅くまでの料理として出されていたときいている。

つぐみ猟はかなり早くから捕獲禁止がされていたにもかかわらず、北陸方面を中心に霞み網猟で大量に獲られその数を減らしていた時期がある。

それから半世紀以上たった今、あの頃のように数を戻しているのだろうか、静岡に来るまでに散りじりになっているのか空一杯に何百羽となく飛ぶ光景は見たことがない。

そしていま、少年時代に蛋白源のひとつとして捕まえた鶫の味はどんなだったか忘れてしまい、庭先の鶫を見て食べたいとか捕まえたいとかいう気にならないのは、十分に食足りているからだけではないのだが、、、。

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この年頃になると親戚の中でも年寄株になってしまい、法事などの後に行われる食事の時にはお寺さんの接待などと称して和尚の隣に座らされることが多くなった。

耳が遠くなったためもあるが、大声で遠慮なくしゃべるために体のよい爪弾きかも知れない、と思いつつ四方山話になる。

先日も四十代の副住職と隣り合わせの席での話しのなかで、食べ物が出てきて本山での修行中は、いわゆる精進料理で過ごすのだが栄養が偏っているため少しすると足が浮腫んで指で押さえると凹んだままになる時期がある。しかし、三ヶ月もすると今度は身体が対応するのかそれがなくなり、身体の調子がよくなるという話や、別の寺に行ったとき大きな窯で炊いた御飯が甘くて美味かったことが話題になった。

そうなると、自分も黙っていられない。戦後の食糧難は精進料理どころではなかったとか、雑炊の底をさらうと一番米の密度が高いので美味いなどの自慢話になってしまう。

そして、自分たちは食うや食わずの食糧難から次第に食べ物の質が向上した社会に遭遇したおかげで食べ物に不満はないが、坊さんのように飽食の時代を経験した人が肉や魚、酒などのない精進料理の生活に入るのは大変であると言う話になったが、それを見た親類連中は、次回もそんな話を聞いてくれる出家の隣にするんだろうな。

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コメント

慶さん
多分そうですよ。雀も捕まえて食べましたが、あれは裸にするとごく小さなもので大抵は姿そのままのまるかぶりでした。
ただ、早くから獲ってはいけない鳥にしてされていましたので、そう言ったのだと思いますよ。

投稿: オラケタル | 2010年2月 4日 (木) 21時31分

昔、慶も鶫を食べたのでしょうか?よくわからないのですが何かの鳥を食べた覚えがあります。手羽先のような感じで、すごく細い骨が一本あったのが印象にあります。父親のお酒のつまみだったんだと思うんですけど、父親曰く「庭に来る雀だ!」なんて言ってたんですけど、多分、鳥=雀って言っていたんでしょうね。何を食べたんだろう。子供心にもずいぶん小さいと思ったんですけどね。

投稿: | 2010年2月 4日 (木) 08時58分

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