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2010年3月31日 (水)

希望すれば叶う?

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流れ落ちるようにして咲く桜花、それが枝垂桜の一番の魅力だろう。

藁科川上流の栃沢に300年余の樹齢を誇る一本の古木もそんなうちのひとつである。

身延の枝垂桜のような華やかさはないが、薄い桃色は遠目には灰色に見えなくもないが、その存在感は他を圧倒するものがある。

傘を広げたようなその枝ぶりは、よく見かける古木の支え木もないところから、その下にあるお堂を守る天蓋のようにも見えなくもない。

ただ、心配に思ったのはその桜の所有者の家にひと気がないような感じがしたことだった。前に来たときは花見の宴が終わった後で花の盛りが過ぎたときだったが、老人とは言えない人がいたのだが、、、。(周りを見ても誰もいなので聞きようもなかった)

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020u 願はくは 花のもとにて 

          春死なむ

  その如月の望月のころ

西行法師のこの有名な句は、辞世の句でなく若いころに作られたようだが、その思いが叶ってか、当時としては長命の73歳の命日は2月16日だと伝えられている。

現在の西行忌は新暦で行われているようだが、2月16日に咲く花といえば梅だろうが、実際は旧暦で言うため、今年の二月十六日は今日である。

澄み切った空に煌々と輝く満月。昨夜からの冷たい風の中、雲も吹き払われて花寒の月を見上げることが出来た。

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026g 余談ではあるが、人はその死に方を希望すれば叶うのかなってことを、何度か見ている。

私の伯父は「三日 病んで死にたい」と生前よく言っていた。その理由として、死病が分かって三日あれば大抵の人に別れが言えるから、というものであり、その希望通りに身まかなった。

また、この伯父の連れ合いと自分の母親が最後に会ったとき、お互いに先に死ぬことを取り合っていた。

そして、伯父の連れ合いが脳梗塞で4ヶ月間意識不明で闘病生活中、自分の母親は「ぽっくりと死にたい」と普段から言っていたが、一週間の入院生活中に大静脈溜破裂で一瞬にして亡くなった。

その葬式を済ませて、伯母の子供(従兄弟)たちが意識不明で分からないとは思いながらも報告したら、翌日その伯母は亡くなってしまった。

さらに、偶然ではあろうが、お寺も違うのに戒名が名前の入った部分一字を除いて一緒だったことも、、、。

念ずれば、死神も聞き入れてくれるものだと思うようになった。

ただ、自分の父親は「百歳まで生きる」といっていたが、これはよほど望外だったのか、怒りを買ったのか、享年六十四歳とすこぶる早かった。

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2010年3月30日 (火)

伊豆大島も大室山も

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地元の静岡新聞のサイトのひとつに、”アットエス”というものがあり、熱海のMOA美術館の無料入場券提供に応募して、二枚ペアの入場券を送ってもらっていたので、今日出かけてみた。

昨日東部地方を中心に降った雪で裾野まで白くなった富士山をはじめ、愛鷹山、伊豆の山などを横目で見ながら熱海まで二時間余をかけて到着したが、途中、スリップ事故を起こした車なども何台かあり、「いい加減に外さなきゃ、、」と思っていたスタッドレスタイヤの車で途中の日陰に残る雪を蹴散らしながらゆっくりと駅まで下り、登った。

この美術館の今回の催し物は「美しきアジアの玉手箱」と題してシアトル美術館所蔵の東洋、日本の美術品が見られうと言うことだった。

前回は丁度二年前に行っていたので今回の受付から美術館に到るまでの長いエスカレーター付きの階段にはさほど驚かなかったが、それでも宗教団体が設立した美術館だけあって静かに変化していく天井の色合いは荘厳な感じが漂っているのを改めて認識した。

しかし、各所で見られる係員にはそんな雰囲気がなく、金の茶室などでもさりげなく近づいてきてカメラのシャッターを押してくれたり、途中でトイレに行きたくなったときも察してくれたのか場所を案内してくれたりで、県の美術館の係員などに比べると印象はかなり違う。

陳列された作品は、系統だったものでないだけに、初めは一品一品丁寧に見ていたが、次第に足早になっていくのはいつものことだった。

一通り巡って、メインロビーに戻れば熱海城の延長線上に白く輝く火口を持った山が見える。頭の中に伊豆の地図を書くと大室山に違いない。

先日山焼きを行ったばかりなので、本当なら真っ黒なはずだが、、、、あんなに雪が積もっているのか、海上に目を移すと伊豆の大島もこれまた白くなっているのが分かる。

「わぁ~ あ~、珍しい景色を見たもんだ」

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左、山の端に白く輝くは伊東の大室山022 021_2 右、紺碧の海に漂う伊豆大島も冠雪

帰りは、昼を大分遅れたが沼津港まで戻り、”丸天”で美味しい魚を堪能し、大満足の一日

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2010年3月29日 (月)

青天の霹靂

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”青天の霹靂”ならぬ「晴天の霰」が降った。中には5mmを越すものもあってので雹との境目だったろうか。

033 午前中の天気と打って変わって午後になって曇っては来たものの、空の一部には青いところも見えていたので白いものが飛び跳ねたときには何だろうと思った。

外に出てみると、皮膚に当たる感覚はあり、アスファルトの路面に当たって飛び散るものの、雪を少し固めた程度の固さしかなく迫力はない。

しかし、静岡で霰が降るなんてことは、こちらに来て30年余、ついぞ見たがなかったし、霰のほうもビックリしたのか、慌てて消えてしまうほどの根性無し。

テレビの放送では御殿場方面で積雪もあったようで何箇所も通行止めになっているとか、多分、此方に落ちた霰は雲の一番端っこに当たる部分から落ちてきたものだろうけど、農作物を傷めるような激しいものではなかったので被害はないことと思う。

と言うことで、当地では珍しいものを見たのと、草木の芽を吹き出す時期をかけて      ”愛でたし 芽出度し、、”どっちかな?

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青天の霹靂とは、青く澄んだ空のもと 突然雷が鳴り出すさまを言い、昨日の新聞によると中国の毒入り餃子事件の容疑者が逮捕されたことに、警察庁幹部があまりにも突然で「寝耳に水」だったと感想を述べたそうだから、、、青天の霹靂と同義語?。

もともと事件の起きたときから、日本側の指摘にいちいち反論し、今年始めには最高担当者もはずれ、捜査も縮小と報じられていただけに、今回の容疑者逮捕はあまりにも取って付けたようで「ほんまかいな?」という気がして仕様が無い。

一党独裁の中国はこの問題を発表したあと、例のごとく報道規制に入ったようで、”臭い物に蓋を”して実情を覆い隠そうとしているようだが、、、、これでは何時までたっても中国製品に対する不信感は溶けない。

”曇り空のへきえき”は中国の代名詞になりかねない。

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おりから、15年前におきた警察庁長官銃撃事件が時効を迎えたとのこと、どうも、当時世間を騒がせていた、オウム真理教の犯罪と思い込みで捜査を始めたのが間違いの元だったと報道されている。

テレビの刑事事件でもよく書かれる筋書きで、刑事がほかのほうから捜査をしようとすると、上層部から捜査妨害だと止められ、それを振り切って真犯人を捕まえると言う筋書きだが、この事件ではそういったことがなかったのか、、。

公安部が捜査の指揮に当たったため、刑事部が口出しできなかったとかいう、縦割り捜査が弊害だったとも書かれている。

そして、3月30日、時効になった日の公安部長の記者会見で、犯人はオウム真理教内にいると断定的にいっていたのは見込み捜査以外の何者でもない。証拠もなしに決め付けることに対して何の違和感もないのだろうか。

始めに特定の団体なり犯人を決め付けて捜査をはじめ、こじつけるととなると、あまり他所様の国のことも言えないのだが、、、。

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2010年3月28日 (日)

座り話は延々と

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市内のあちこちで咲きほこる桜も見飽きた感じがしたので、安倍川筋を遡上ればたちまちにして桜の蕾も固くなり、その前段としての三つ葉ツツジのうすい赤紫の花が黄色い山吹と妍を競っている。

この花が終わるころ、黄緑色をした柔らかい三角の葉を広げて山は若芽で萌えだし、鳥の声にも艶が出てくる。

もうすこし、もうすこしと声がする。

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020 「これ 久しいこと逢わなかったけんど どうしてた」「ほんに 久しぶりだね」

歩道の両側から来たシニアカー同士の会話。腰掛けたままだから立ち話ではなかろうが、本当に久しぶりだったのか話は延々と続く。

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2010年3月27日 (土)

なんにして食べようか

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001 姫鳥頭と書いてヒメウズという。大きさは花の直径で5mmほどの白い花にみえるが、この花びらに見えるのは額でその中にもっと小さな花びらがある。

葉っぱの形がオダマキに似て、金鳳花の仲間で毒もあるそうだが、幸いにして口に入れたことが無いのでその毒の強さは知らない。

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001 山菜の女王と言われる”タラの芽”だが、評判が立ちすぎて、、、。

山の中腹以下を点々と染めた赤みがかった模様、新芽にしては桃色系統が多いところから桜の花が咲き初めているのだろう。

こういう景色を見ると日本人は「桜の好きな国民なんだなぁ~」と言う思いを強くする。きょうは、春一番の山菜取り!。

静岡市の西部、放棄された茶畑に前の年に茂るだけ茂って枯れたワラビを見かけた場所に行って見た。

車を降りて、山道をたどること四十分。目指す場所の日当たりの良い部分をぐるりと回って小さいながらリュックに一杯とってかえり、近所 知り合いにお裾分けできる楽しみが出来てにんまり。

途中では、芽を吹き出したばかりの”タラの芽”もあり、今晩はどう料理して食べようかと考えながらの山下り。

量が少ないだけに味噌和えが良いのか、天ぷらが良いのか、それとも、、、と頬がゆるむ。

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2010年3月26日 (金)

亀と眺めた枝垂桜

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久々と言った感じで晴れ渡った空の下、城北公園に行ってきた。

染井吉野に少し早やがけて咲く、枝垂桜がどうなったのか気になっていたのだが、やはり少し遅かったようだ。

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姿かたちの良さと、水仙や芝生の緑を池に写して市内でも眺めのよい景色を呈しているので毎年眺めに行っている。

築山を越えたグラウンドのほうには、春休みの子供たちの声とどこかの施設から来た老人たちの花見の宴が行われ人けはあったが、此方は時間的空間でもあったかこの景色を独り占めできた。

ただ、池に住む亀と鯉だけが一緒にこの花を眺めている。しずかな花見。

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足利事件の判決が今日下りた。警察の思い込み捜査に始まった事件は検察も追認し、起訴の有罪率95%と言われる裁判所も追随した構造的手抜きが真実を見抜けなかった事件である。

17年間は長い。もう真犯人は捕まることはないだろう。

最近、刑事ドラマをしょっちゅう見せられている。その中で容疑者を二転三転させて視聴者の興味を逃がさないようにしているので、ついあれが怪しい、この人かなと想像してしまう。

先日も、市内のスナック?の女性経営者が殺された事件で、容疑者の否認にもかかわらず有罪判決が下りた裁判があった。

有罪になった理由は、足利事件よりも精度の上がったDNA鑑定の結果であったが、ドラマを見すぎているためか、何か裏があるのではないか、トリックがあるのでは、と想像してしてしまった。

裁判員裁判になって、静岡では容疑者が全面否認している事件だけに裁判員も大変だったろうけど、審議時間があまりにも短いような気がしてならない。

裁判前手続きと言うものがあるようだけど、何か腑に落ちないものがあるような気がする裁判だった。

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2010年3月24日 (水)

貴方を待ってます

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キランソウ、漢字で書くと金瘡小草とも金襴草とも書くと言われている。

金瘡は刃物の切り傷を言い、薬草としての効用から来たものか。そして、金襴は坊さんの袈裟や花嫁が着る金襴緞子などに使われるキンキラキンの布地を言う。

濃い青紫の花の近くの葉や茎は針のような細かい棘に囲まれ地面にはいつくばっている。いかにも恐ろしげな様子から別名を”地獄の釜の蓋”とも言われているが、広い範囲で繁殖しているさまは、「さもありなん」といったところか。

地獄の釜の蓋などといわれれば、わざわざ剝ぐって見るまでもないが、花言葉を見て驚いた。

「貴方を待っています」だって。いくつか身に覚えのある悪さはしてきたので、天国や極楽にすっと行けるほど善行者ではないが、「貴方を待っています」と言われると素直に「どうぞ 案内してください」とも言いがたい。

比較論で言うと、新聞に載るような悪さはしたことがない。のだが、、、、。

今日は彼岸の明け。明日からは地獄の蓋も固くしまってなかなか見られないことになり、「お誘い」は固く断ることができそうだ。

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久しぶりの雨にすることもなく床屋へ二ヵ月半ぶりに行ってくる。五十代までは毎月のように行っていた床屋も、次第に間隔があくようになって、最近では二~三ヶ月に一回くらいのペース。

床屋談義の中でも、むかしは何人も順番を待って、客同士が雑談をするのが床屋談義だったが、このごろは店に入るやいなや「此方にどうぞ」と案内されるほど客が減ってきたため、床屋談義は客と親父さんの会話だけになり、その間の話も嫌がる人が増えてきたそうだ。

また、間隔が遠くなったのは自分だけでは無いようで、、、床屋も景気に左右される時代になったと言い、「また 待っています」と送り出された頭は、髪の毛をいつもより短く刈り上げてもらったのですっきりとしたものの、時ならぬ寒波の襲来とかで首筋をすうすうとさせながら帰宅する。

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今日の花。

左、ポツポツと咲き出した一初。英語でなら全てアイリスで片付けられるものを、、。花びらの上にもじゃもじゃと毛羽立っているのが特徴。右、シャガ。雨に打たれて一日花は懸命に主張する。

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2010年3月23日 (火)

土手のスカンポ

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"土手のスカンポ ジャワ更紗 昼は蛍がねんねする、、、、”

と言う歌が小学唱歌になっていたような気がする。この歌のなかに出てくるスカンポが何かと言うことで、イタドリト言う人とスイバだと言う人がいる。

実際のジャワ更紗を見たことがないのでどんな布地なのかは知らないが、色鮮やかなものの代名詞だったに違いないだろう。

イタドリもスイバも酸性の荒地で繁茂する植物でその生命力は強く、土手などは絶好の植生地になり、麻機の田んぼ周りに掘られた排水路にも見られる。

上の写真は、赤いイタドリの新芽がほかの緑の草の中で鮮やかな色合いを出している。この鮮やかさがジャワ更紗に見立てているような気がして、自分はスカンポとはイタドリだと言う気がしてならない。

いまでも、ときどきイタドリの大きなもの見ると折って皮を剥ぎ、そのまま食べることがあるが、中が中空になっているため折るときに”ポンッ!”と、音を立てることからスカンポの語源だと言う説もあり心強い。

048 いっぽう、スイバのほうは花芽が赤い色をしていて、蛍の出るころこの花が咲くところから、、、。というらしいのだが。

今現在の状況は左の写真のようにあまり目立つことはない。

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2010年3月22日 (月)

変わってるねぇ~

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032 近所の蓮華畑を見ていたらは白い蓮華草をみつけた。当初はシロツメクサとばっかり思っていたのだが、、、。

畑一面に蓮華の種をまかれればそのうちいくつかの変わり者がいて白い花でも咲かせてみようかと言うことになっても不思議はない。

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多数の意見に同調しない人がいると「お前さんは変わっているねぇ」と排除したがる傾向は日本にもあり、自分も何度か言われた経験がある。

民主主義とは多様な意見の持ち主をひとつにまとめ上げる手段なので、違う意見を持つものにも大きな心で認めてあげる度量が必要である。

民主党政権になって半年、この度量の足らない人がまとめ役になったため支持率は急落していると見るがどうだろう。

一方で、アメリカ議会が健康保険法を成立させ、他の先進国同様に国民皆保険制度になることが議会で決まった。これに反対した人々は負担が増えることに懸念を表明したそうだが、国が国民を守ると言うことを第一義とすることより個人の利益を優先にかんがえたからだろう。

「アメリカンドリーム」と言う言葉の裏に、弱者は痛めつけられ、差別化社会があり互助の精神はない。何でもアメリカを良く見る人々はここに気づかない。

国の資産を、ごく僅かな人で占めていることの不思議さを不思議と思わない国、それがアメリカであろう。

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2010年3月21日 (日)

霞か雲か

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今朝方の豪雨も収まっていつもなら青空が覗くはずだったが、黄砂で視界が1kmほども利かないような状態になった。

こんな酷い黄砂はこれまで経験した覚えない。”長田じまん市”の知り合いが出品していると言うので景気づけを兼ねていってみようと出かけてみたが、途中の片側二車線道路、”本通”から普段なら安倍川向こうに見える宇津の谷峠にいたる山並みはおろか、途中の家や交差点の信号も三つぐらい先までしか見えないほどの黄砂。

これでは、北京の黄砂を笑って入られない。しかし、黄土高原で舞い上がった塵が日本を、そして自分たちの空にまで届くというのはよほど大量に巻き上げているのだろうな。

聞く所によると、黄砂の害は年々多くなっているそうだが、その理由のひとつとして山羊や羊による草木のない土地が増えたことと、中国の排気ガスが影響しているそうで、自国のみならず近隣諸国に害を撒き散らすのは大国のすることではない。

008 用宗海岸に出てみれば、”春の海ひねもすのたりのたりかな”の風情に一見似ているが、安倍川河口の風力発電の三本風車は霞、駐車場の黒っぽい自動車は灰をかぶっているのが良く分かる。

”、、、霞か雲か見渡す限り さくらさくら 見にゆかん”の桜はうす桃色に輝いてはいるのだけど、、、、

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2010年3月20日 (土)

可愛そうに藪じらみだって

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藪ジラミの花が咲いていた。

花の直径が1mmほどの小さな花で幾つもが固まって咲いているので分かるのだがばらばら立ったら目に付かないほど小さい。

皮膚に寄生するシラミのをこの小さい可憐な花の名に移したのは、この草の実が一番早く引っ付き虫になるからである。

6月ころ、草むらに足を入れると、ズボンの裾に黒い3mmほどの種が無数についてくる、花の写真を写しに草むらに入るにはある程度覚悟しなければならない面倒の種。払い落とすに苦労する。

虱(シラミ)と言う言葉はもう死語になっていたのかと思ったら、最近では小学生の間でかなり寄生しているらしいとのことだった。

戦後、自分たちが小学生だったころ何度か目にした風景のひとつに、このシラミ退治が有った。手ぬぐいで頭をくるんだ女の子にDDTの粉を吹き込んで、しばらくそのままにしていた。

有害なDDTをシラミ退治とはいえ、いまそんなことをしたら大騒動だったにちがいない。あの食糧難の時代にシラミをはじめ、蚤や南京虫が人の血を吸っていたのは、偏に不衛生だっただけなのだろうか。

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003 今日は強い風の中、梶原山から帆掛山を往復。梶原山の枝垂桜は開花までもう少しと言った様子だが全体に木が弱っており花の付きようは少なく枯れ枝がかなりある。山頂に一本だけ立っており風の当たりようも厳しいものが有ったに違いない。

帆掛山では白木蓮と枝垂桜の若木が丁度満開だったほかにはこれと言った花もなく往復で4,300歩ほどの稜線歩きを楽しむ。

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2010年3月19日 (金)

眠そうなカタクリ

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「それにしてもこんなに厳重にしなければならない草になってしまったか」と言うのが今日見たカタクリの花の印象だった。

金谷の友人宅に出かけたついでに、「もうそろそろかな」といって見た金谷公園のカタクリ。高さ2mほどのフェンスで囲んだ上の鉄条網を二本這わせ、入り口には厳重に南京錠がかかっている。

この鍵は何処が管理しているのか、あたりには誰もいないため、フェンス越しに覗き込むような写真にしかならなかった。

夜になると花びらを閉じるカタクリの花。朝日が差し込みだした斜面のあちこちで眠そうに、あくびをかみ殺したような顔をして伸びをしている。蝋質の葉の表面に水玉が付いているのは昨夜小雨でも降ったのだろうか。周りの地面にはその気配はないが、、、。

P1010019 カタクリは自分たちが子供のころ、葉を抜き取って茹で花鰹をまぶし、おひたしにして食べるほどあちこちに有ったし、さらに、その昔はこの草の球根を鍬で掘って作った澱粉を”片栗粉”と言い農家の嫁さんの副収入としてワラビ粉同様貴重な草であったが、今では本当の片栗粉もワラビ粉はないだろう。

つまり何処にでもあった草のはずなのに、、、どうしてこんな事態になったのだろうか。まさか、地球温暖化ではないだろうな。

最近はなんでもかんでも地球温暖化を付ければ、、、と言う風潮が有るので

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012 今月でサヨナラのJAL

ここまで来たついでとは言ってはなんだろうけど、静岡空港まで行ってみることにした。

原野だったりお茶畑だったころ、ここで地質調査のボーリングをしたことが有るのだけどその面影はない。ターミナルになると言われた地点など5箇所を掘削したはずなのでこの辺かなと思いながら、、、。

エプロンには今月で廃止になるJALが一機駐機し、乗客が乗り込んでいた。そんなに人がいないにもかかわらず、自動車の駐車場が一杯なのは出かけた人の車か。

内部もこじんまりとしていた、いかにも地方空港といった感じである。

昨日、空港に関する裁判の判決が有り、強制収用などを妥当とする判決が出たが、空港利用客の予測には幾分疑義を呈していた。

当初乗降客を138万人などと言う途方もない人数を予測した時点で「こりゃだめだ」と思ったのは自分だけではなかっただろう。

138万人の根拠は西は豊橋、東は厚木、北は山梨の人が来るというなんとも楽観的?な   来るはずもない地域まで含めて出した数字だそうだ。

それが、開港当初のご祝儀乗客を含めて45万人ということは、この予想を出した関係者に責任を取ってもらうわけには行かないものだろうか。

おりしも、熱海梅園で入場料金を取れないものかと実際の入場者を計算したら、従来50万人は来ていると発表していた数字が半分しか来ていなかったことが判明し、料金を取るようになったらさらに減ることが予想され、頓挫したとかしなかったとか。

観光協会の人曰く、「目見当でこのくらいとしていた」とのことだが、2,000億円以上かける事業も元が目見当だとしたら、、、、

        責任者出て来い!

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2010年3月18日 (木)

花よりほかに知る人もなし

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もろともに あはれと思え山桜

  花よりほかに 知る人もなし  大僧正行尊

またも百人一首から、今日の情景をあらわすような風景が見られた。、

庶民を奴隷のように扱い、その上がりでのうのうと暮らしている律令国家の貴族と言うものをはもともと好きな人種ではないが、子供のころからなれ親しんできた百人一首の句は、何かの折に出てくる。

この山桜、静岡市の西外れにある舟川という谷沿いに咲いているものだが、まわりの竹や杉などの常緑樹に混じって一本だけ咲いている。

園芸種の染井吉野などと違って人の手で植林されることのない山桜は、鳥によって運ばれ、その糞などに混じってこの地に落とされて生きて来たに違いない。

周りの木々に伍して生きて花咲かせるには一波乱も二波乱も有ったに違いなく、自分の人生を写してみる思いがする。(自分の花はろくに咲かなったけれど、、、。)

025 あけびの花をおともにして

自分で育つ地を選ぶことが出来ない植物にとって、花を咲かせられるかどうかは運しだいと言ったところがある。

山桜は、日本人の気性に良くあっているのか「敷島の大和心と人問わば 朝日に匂う山桜かな」と戦時中はもてはやされ、沢山の人が死んでいったがこちらはごめん蒙りたい。

今日は、静岡県の学校の卒業式があちこちで行われたようで、午前中は制服の小学生が着飾った母親を従え、午後からは近くの高校を卒業した振袖にはかま姿の娘さんが若作りをして友達のような母親と連れ立って学校前の通りを歩いているのが見られた。

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2010年3月17日 (水)

蜜蜂だけがせっせと

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Img_0015 春になれば家の周りの田んぼが明るい紫色の蓮華で一面絨毯を敷いたよう担ったものだが、ここ数年蓮華の補助もなくなって、田んぼに種を撒く人も少なくなったようで、レンゲ畑も数少なく貴重な存在になった。

蝶々もまだ目覚めぬか飛び交う姿も少ない仲で、蜜蜂だけが生真面目にせっせと働いている。

他のみんなが春を楽しんでいるのに、働き蜂とは良く言ったもんだ。

今日は静岡の染井吉野の開花宣言が出た。一月から、寒桜、緋寒桜、大島桜、河津桜と続いてきただけに新鮮味はないが、ようやく春爛漫の季節と言ったところか。

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2010年3月16日 (火)

春のおすそ分け

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君がため 春の野にいで 若菜つむ

    我がころもでに 雪は降りつつ  光孝天皇

春盛んの今日当たりは、この歌の風情はもうなくなっているが、それでも土手の菜なの花の中で何かを採っている人を見ると、この句が浮かんでくる。

上の歌は、七草などに使う芹やナズナなどを摘んでいる情景を詠ったものだとのことだが、いくらなんでも天皇が真剣になって七草を摘んだとは思えないので、想像だけのものだとおもう。

020 一方、下下の民のこちらは、野蒜を求めての散策。

昨夜来の激しい雨も朝になってあがり、青空が一面に出てきた。他の草に埋もれて見えなくなる前が野蒜の収穫時期。

昨年春に目を付けておいた場所に向かい、シャベルで根元の傍を深く突き刺してこねればかくのごとし。

一部を味噌であえて直ちに酒の肴にし、残りを塩昆布に浸けて知り合いに配る。「春のおすそ分け」と言って、、、。

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2010年3月15日 (月)

熱烈キッス

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昨日のカンアオイに次いでまたも春のじみな花”春蘭”を見つけた。

017 カンアオイと違って色合いは明るいが、薄緑の苞をかぶって下向きに咲いているさまは一寸見には目だたたない。

同じ系統のシンビジュームなど人間の手を加えられた西洋蘭に比べると格段の違いはあるが、木陰の柔らかい日差しを受けてすっきりと立っている姿を見つけたときはいつも感じるのは、幼いころの何か忘れたものを見つけた気分になるから不思議。    しかし、これが思い出せないんだなぁ~

022 天気は薄ぐもりながら、春めいた草原に座り込み春蘭にあちことからレンズを向け写していると「恥ずかしいから、、、」なんて声も聞こえそうな気がしてきた。

そこに割り込んできた蜜蜂。二人の仲を裂こうとでもしているかのように春蘭の口元に潜り込み人目もはばからず熱烈キッス。

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別名”じじばば”は上がお婆さんのほっかぶりで、下がお爺さんの白い髭と見立てたところからの命名だと言うが、、、、。

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やっぱりそうか

「やっぱりそうか」と思ったのは、多重債務者の過払い金取り戻すための弁護士費用をかなり高額請求している弁護士がいる。と言うものだった。

先日も「貴方の一番近い弁護士でありたい」などのテレビ広告が増えているのでいくら広告が自由になったとはいえ「おかしいな」と書いたことがあった。

弁護士と言えば難しい司法試験に合格して、"正義の味方”と言う印象が昔は有ったが、最近では、裁判以外で悪人の片棒担いで逮捕されたり、金儲けに走る悪徳弁護士と言う印象が強く、法律の抜け道を知っているだけに始末が悪い。

弁護士全てが悪いわけではないことは重々承知の助だが、懲戒を受ける弁護士の数は近年ますます増えているとすれば、弁護士会も浄化に立ち上がらなければ、業界の信用問題になる。

なるべくなら、この手の人たちとは付き合うことなしに一生を終えたい。と思っているが、さて、どうなることやら。

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2010年3月14日 (日)

不思議な花 カンアオイ

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「あっても良い筈なんだけどなぁ」と草の根元を探していて、ようやく探し当てたのがこの花。

花というにはあまりにも地味で、枯れ葉と区別が付きにくい色をしている。匂いをかいでもそれらしい匂いも無く、これで花粉の運搬は誰に頼んでいるのだろうか。

006w この花の名は”寒葵”というのだが、種類も多く多分静岡や山梨に多いと言われる「カギガタアオイ」なのかもしれないが良く分からない。

花の中を覗き込めば、六本の雌しべが見える。ためしに花の下にどれほどの茎があるかと指を入れてみたらほとんど無いようで持ち上がらない。

結局は、写真のように地面に転がっていると言う状態であることがわかった。それにしても、変な花。

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身ひとつ 世ひとつ 生くに無意味

曰く無く 御文や読むに 虫さんさんと闇に鳴く      

今日3月14日は円周率の日だと言う。我々の中学のころの円周率は3.14で計算してたものだが、近年になって円周率は3で計算するようになったと聞いて吃驚したことがある。

円の周囲の長さを測るには細かい三角形区分してその合計を出しているため、三角形の底辺の長さが正確なほど本当の円の長さに近い数字が得られるので、今では電算機で何兆桁にまでも計算されているがそれでも正確な円周にはならないそうで、いまだに「何処まで計算できた」と新聞に載ることがある無限の数字のようである。

しかるに、学校教育で覚えられないとかで円周率を三としたと言うことは、正三角形六個をまとめた形。鉛筆の外周を円としたようなもので、科学の退化といわざるを得ない。(細かいことは計算機にやらせれば良いなのか)

上の句は、一見世の無常を詠った名句のようにも見えるが、円周率を小数点以下30桁までの数字を読み込んだもので、何の役にも立たなかったが棒暗記に覚えたことばである。

ところで本日の世間の話題はホワイトデー。自分には関係ないのでオミット。

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2010年3月13日 (土)

三椏の黄色い花

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Img_0090 暖かい日も続き三椏(ミツマタ)の花が黄色く咲き出した。

和紙の原料としてコウゾとともに利用されてきた木も最近では花としてのほうが有名になり、紙の原料だったことを忘れられたような感がある。

花が中央部から開くにしたがって黄色の部分が多くなり、ボンボンのような半球型の玉になるこの木は、節毎に三本に別れるため、三叉とも書かれる。

三椏の花言葉のひとつに”強靭”と言うのがあるが、紙の原料に成るだけあって皮の繊維が強く、折っても名かなかなか千切れないことからきているようだ。

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北陸から東京に向かう寝台特急が、このほどダイヤ改正を期に無くなるとあって、鉄道ファンが出発駅や到着駅に押しかけたそうで、この中に写真を取りたくて集まった「撮り鉄」と言われる連中の無作法が話題になっていた。

前にも、線路上に入り込み、列車運行を妨げたとして問題になったが、この種のカメラマンの度の過ぎた行動は「撮り鉄」だけではなく、田貫湖のダイヤモンド富士の撮影現場などでも良く見られる行動で、自分さえよければとばかりに撮影場所をあらゆるもので占拠する人を結構見かける。

いくら趣味とはいえ、あんな風にはなりたくないなと思いながらもこうなった背景には、有名人の行動を無遠慮に写しまくる報道陣(拘置所などに入る車を囲んで動けなくさせる)やパパラッチと言われる連中を見てカメラを構えれば何でも許される、という思いを持たせたのかもしれない。

ところで、自分も二度ほどこの列車を利用して東京に向かったことがあるが、今ではどの列車を利用したのか忘れてしまった。とにかく、夕方になって家を出、富山駅から乗り込み上野に着くのが朝六時過ぎだったと思う。

朝の遅い東京では何処もシャッターを下ろしている中、東京駅のどこかに「東京温泉」と言う銭湯があり、ここでゆっくり時間をつぶし着替えてから目的地に向かったことを思い出した。

パソコンでその銭湯を探してみたが見当たらない。確かに入ったはずなんだが、あれは四十年ほど前のこと、夢まぼろしの出来事だったのだろうか。それとも駅の外だったのか、、、。

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2010年3月12日 (金)

エンゴサク 咲いて(満観峰 470m)

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025 山延胡索(ヤマエンゴサク)の花が早くも咲き出している。石垣の余熱もあってのことかなと思ったが、その先にも点々と咲いているところを見ると、今年は少し早く春が来ているのだろう。

薄い桃色をし、森の小人がかぶる帽子のような形をしている。

難しい名前で意味は分からないが、どうも漢方薬に使われる名前をそのまま名乗っているそうだ。

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ここ二~三日続く良い天気に誘われて、満観峰に登ってみた。

昨日一昨日の良い天気に近くの山に登って雪踏みをしてみたかったのだが、朝になると億劫になり「こんな日に出かけて何かあったら嫌だなぁ」と言う理由を付けて止めていた。

朝九時を回って、宇津の谷トンネル手前の逆川から登りだしたところで、上の延胡索を見、谷川の源流近くで赤蛙(?)そして、ここでもウグイスが何羽も啼きだして、なんだかうきうきした気分になってくる。

ウグイスの鳴き声は個体によって得意不得意があるのか啼きだしがそれ違うのも面白いし、岩の下で啼いて赤蛙の姿は見えないが、折角の恋路を邪魔するのもなんなのでそのまま静かにのぼる。

舟川からの出会いまで40分、その先頂上には25分ほどで到着する。

ここも、休みの日などはかなりの人出がある山だが、今日は誰もいない。眼下に静岡市中心市街地を望み、その先に富士山が浮かんでいるのだが、今日は霞み立つ空にうっすらと確認できるだけ、、、。

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人気もなく、ポカポカとした陽気の下ベンチに腰掛けていれば気持ちも穏やかになり、気配が消えたのか二羽のホオジロがこちらに近づいてくる。

すぐ傍まで来たのでカメラを用意し写しにかかると、「私はモデルではない」とばかりに少しづつ逃げて行った。

帰りは少し回り道をし、味噌汁一回分ほどのワラビを収穫して帰る。       今年の初ワラビ

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2010年3月11日 (木)

白いホトケノザ

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麻機田んぼのあぜ道の一角が何か変だと思い近寄ってみると”白いホトケノザ”が咲いていた。

どんな動植物にも突然変異で白くなるのもあるので、これもそのうちのひとつだと思うが、蛇などでもそうであるように白いホトケノザはなんだか神々しく見えるから不思議だ。

何枚か写真に収めて見たが色が飛んでしまってみごとに失敗。

別に逃げるものでもないので、、また近いうちに出かけてみることにしよう。

Q この花は、春の七草にある「仏の座」ではないので食べることはできない。そして、花言葉は「調和」だというが、傍から一本普通のホトケノザを採ってきて並べてみると花言葉どおり見事に調和している。

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自分だけかもしれないが、一度広げた消費生活を縮めるのは難しい。

かれこれ、十年前から年金生活に入っているのだが、どうしても年金だけではたらず足が出てしまう。

余命が幾つまでなのか。年金がこのまま大丈夫なのか。分からないだけに予定の立てようもないし、将来の不安感は拭えないでいる。

しかし、お国のほうはどうしたものかそんな不安感を持っていないように見えて逆に心配になっているのは自分だけだろうか。まさか、消費税という国民の懐に手をねじ込むと言う手段で切り抜けるつもりでいるのだろうか。のほほんとしているかのように見受けられる。

予算を見ても国債に頼る部分がこんなに大きい国はない。自分たちだったら分相応の生活に戻すべき努力をする。しかるに、世界の付き合いにおいては超大国並みにお金を使い、国連の分担金はアメリカに次いで多く、下がったとはいえ17%ほども分担している。

この額は英、仏、露、中の常任理事国を全てまとめた額に相当し、こんなに収めているのに拒否権はない。やらずぶったくりのこの仕組みに抗議するどころか喜々として出しているお人よし振りがうかがえる。

家の中が借金の山なのに、外務官僚の見栄だけのような気がするし。アメリカ軍の駐留経費の負担額では同盟国全てで85億ドルだそうだが、日本はそのうち44億ドルと50%を超える額を負担していると言う。

どうしてこんなことになったのか。日本だけ特別扱いにして貰ったことがるのだろうか。沖縄に基地を一杯作っていまだに占領され、日本の言い分を聞いてもらえないくせに、、、。

借金の多さを説明し、身の丈にあった国づくりのため、経費を省く努力もしてもらいたいものだ。

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2010年3月10日 (水)

すっかり春景色

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は~るの小川は さらさらながる

午後になって青空が出ると言う予報にしたがって出かけてみたが、風が強く”春一番」を思わせるような吹き方をしていた。

おかげで、体感温度は低く感じられたが、ヤッケが必要なほどにまで下がることはなかった。

巴川の柳も芽吹きだしたようで、木の周りがぼうっとした薄緑でおおわれ、からし菜の花も咲いている様子はすっかり春景色。

Img_0108 黄色く覆われた川岸に舞い降りたヒヨドリも、今日はのどかに花見をしている。

こちらも負けじと花見をしようかと思ったが、昨日、青森から帆立貝を送ってくれた連れ合いの従兄弟に春を送ろうと、蓬を摘みを支度で出てきたので、下ばかり向いて歩く。

日当たりの良い場所で、柔らかく伸びだした蓬をお茶並みに先端のミルイ(静岡弁の柔らかい)部分を選んでゆびではさみ取りして持って帰る。

選別、洗いの後、笊に入れて重曹を振りかけ、熱湯を上から降り注ぐと蓬独特の香りがぷんぷんと匂うもち草の出来上がり。

明日は、すこし餅でもつこうか。

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2010年3月 9日 (火)

ダンディ だけど

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雨が降り出す前にと早めに出かけた散歩の途中、ときおり強い風が吹く中コサギが川面を覗き込むかのように立ち尽くしていた。

尾羽のついた白い帽子を冠り、白いコートの裾を風になびかせ、黄色い靴を履いた姿は一見ダンデイだが、何かを思いつめたような、その立ち姿はどこか精彩がない。

011 目の輝きもなく虚ろな感じがし、嘴の先端が白く汚れているのは病気なのだろうか、はたまた良家の坊ちゃんが落ちぶれて行く先を思案しているように見えないこともない。

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世界の常識?

アメリカのアアカデミー賞で日本の大地で行われているイルカの追い込み漁を写した映画が賞を取ったと言う記事が新聞に出、ワイドショーが騒いでいた。

地元の反応は正確に伝えていない、伝統の漁で国も認めている。

最近、南氷洋での鯨やマグロ漁獲規制問題などに加えて、日本の海の事情は袋叩きの感が無きにしも非ずと言った調子の報道もあった。

「日本の常識は世界の非常識」食文化の違いが日本を孤立させているのだろうか。キリスト教世界の正義の押し付けとみるか。

鯨肉については、戦後の食糧難の時期に筋ばっかりで塩辛い肉を食べてからこっちほとんど食べてことがないし、イルカの肉についても色合いの悪さから沼津の魚市場などで見かけても敬遠している。

また、富山県産の魚類で育った身にとって、マグロより鰤や鯵や鯖をはじめ近海物が好きな自分にとっては、あまりにもマグロにこだわる人の気が知れないところがあり、あんなに妨害や批判をされながら南氷洋に出かけたり、世界のマグロの大半を日本人が消化していると言うことのほうがかなり異常ではないかと感じている。

戦後の食糧難のように他に食べるものがない。と言うならいざ知らず、あまり無理をしないほうがよかないかと思うがどうだろう。

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2010年3月 8日 (月)

木蓮の涙

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木蘭のつぼみが 開くのをみるたびに

あふれだす涙は 夢のあとさきに

025 何時のころ聞いたのか覚えがないが「木蘭の涙」と言う歌があって、最近の歌に無い情調を感じて聞いた。

亡くなった人を偲んでの歌であるが、”千の風に乗って”のように威風堂々とした唄いっぷりに比べると此方のほうがずっといい。

木蘭とは、そのむかし中国で木蓮の花を蘭の花に似ていると言って付けられた名前だといい、今でも中国ではそう呼ばれているらしいが、日本に来てからは蓮の花に似ているので「木蓮」と呼ばれている。

そして、ヨーロッパでは百合の花に似ていると言うので LiLiFlora(百合のような)と呼ばれる学名が付けらているとのこと。所変われば印象も違うようで、亡くなった人を偲ぶにもそれぞれの想い出で違うものだ。

”寒の戻り”とテレビは言っていたが、三寒四温で春への流れは止めようも無く、今日の木連は果敢に寒さに挑戦というと勇ましいが、紫の外套に雨粒を滴らせているさまは、見ようによってはあふれ出す涙なのかもしれない。

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2010年3月 7日 (日)

酸素が足りない

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アンデス山中での自分、後ろの山はチュスピーと言い5,000と数百M、氷河を抱いている。

つい先日の夕刊に「富士山の中高年登山者はベテランでも歩行中や山頂付近では救急医療で酸素吸入が必要なレベルの低酸素状態になり、血圧も上がる。」と鹿屋体育大学の調査結果を載せていた。

045 鉱石探しのボーリング現場、櫓の高さは15Mくらいだったと思う。

もう三十数年前のこと、アンデスの山中で鉱石探しのボーリングをしていたとき、就寝中に息苦しくなって簡易ベットから転げ落ちたことがある。

現場が標高4,500Mほどのところにあり、宿舎が4,000Mを超えたところにあった。まだ三十代の若い自分にもかなり身体にこたえていたのかもしれないが、目覚めているときはこの宿舎に来たとき以外気がつかなかった。

富士山で動脈血酸素飽和度が60%と報告されているとすれば、それより高いところで生活すれば当然のことだったろう。しかし、当時は「気力で乗り切る」が合言葉で、高山病に罹るのは柔な身体ということで酸素吸入器などの設備は一切無かった。

ただ、標高0mの南アメリカンハイウエイのバランカのすぐ先から四輪駆動車で一気に4700Mのヤナシラ峠を越えて宿舎に入った翌日、軽い高山病にかかり、風邪と間違えて薬を飲んであげてしまったことがあり、以後意識的に呼吸を早くすることで回復させ順応していった。

そんなところでも現地の人たちは、サッカーをしラッパのような吹奏楽器を平気で扱っていたが、身体には負担だったのか、医療施設がないせいか平均寿命は五十代だといっていた。

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”ちきゅう”は遠かった

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今日は清水の港に寄港している深海探査船「ちきゅう」の一般公開だと言うので、ボーリングに携わったものとして見に行ってきた。

テレビで放送していたせいもあってか大勢の人で行列を作っていた。まず、駐車場が何所も満車状態で近場に駐車場が無かったことで半ば諦めていたのだが、連れ合いはあまり興味が無いし、小雨降る中 乗船前の行列を見て完全に内部見学を止めることにした。

桟橋の一番端に行って全体を眺めてみたが、印象は”とにかくでっかい”だった長さ121m 幅38mと言う船の上に75mの櫓が立っていて7000mほどの掘削が可能だとか、石油の掘削同様同じボーリングといっても桁が違うのを感じた。

出来ればビットやロッドの大きさ、船を定点に止めておく仕掛けなどを見てみたいと思っていたが、、、     やれやれ”ちきゅう”は遠かった。

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2010年3月 6日 (土)

菜種梅雨もまた、、

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いま日本の上空は低気圧の通り道にあたり、しばらくは天気の回復は望めないとのこと、つまり、菜種梅雨とか言うもので季節の変わり目を意味するようだ。

015 絶え間なしに降る雨も一時のような冷たさは無く、手袋なしでも寒さを感じない。この雨があがれば春も一段と進むと思うと、”雨もまた楽しからずや”と言ったところ。

菜の花も一時のように雨に打たれてうなだれているものは少なくなり、花びらに露置くさまは凛々しく感じる。

今日は啓蟄。寒さをよけて地面の下にもぐりこんでいた虫たちが出てくる季節というが、この雨では出て来れないようだ。

ただ、昨日の日差しの中では菜の花の周りを黄色い蝶が飛んでいたが、卵を産み付ける場所を探していたようで、蜜を吸いに花にとまるということもなしに飛び回って春を告げていた。

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2010年3月 5日 (金)

ホケキョホケキョと

Img_0073 .はるか下麻機沼に向かって啼きだしたウグイス

昼近くなって空が明るくなってきた。

先日来下手な鳴き声は聞いていたが、麻機沼の葦の間にいてみることが出来なかったウグイスが少し自信がついてか、木の上に姿を見せ下に広がる水面に向かって歌いだした。

Img_0071左、画像をクリックしてみてください。拡大しすぎて画像が荒くなっているがこちら向きのウグイスがいる)

ホケキョホケキョと、しかし、最盛期のホーと伸ばし少し間をおいてホケキョ!とは行かない。落語で言う矯めがない。

むかし、ウグイスを飼っていたときは上手な鳥の傍において勉強させなければ駄目だと聞いたことがある。いまどきのウグイスは永い間カラオケに行かないでいて久しぶりに声を出してみたと言う段階だろうか。そのうち、去年のを思い出したり、歌謡学校出ののど自慢を聞いて上手になることだろう。

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ジュリアーノ ジェンマー主演の”星空の用心棒”という古い映画を見た。

1,967年のマカロニウエスタンの娯楽番組。一時期流行したイタリヤ製西部劇も今ではすっかり影を潜めてしまったが、この映画はそのマカロニウエスタンの全盛期でもあった。

大体はいまどきの水戸黄門並みに筋書きは決まっている。ただ面白かったのは字幕スパーなので、スペイン語で、、、いや、イタリヤ語なのだろうか話していて、時々話している言葉のところどころが分かって、訳文と違うところであった。

(メキシコの将軍役は分かりやすいスペイン語だった)

違うと言えば、”星空の用心棒”自体が取ってつけた表題で、英語のタイトルは"deys of vengence"復讐の日とでも言うべきであろう。別に誰の用心棒でもなかったのにその数年前の”荒野の用心棒”が当たったのでそれにあやかって全然筋書きとは関係の無い名前をつけたようで、いまだに日本ではその表題でDVDがあるが、名付け親は恥ずかしい思いをしているに違いない。

ただ、名訳なのかどうかは知らないが、La nin~a(ラ ニーニャ)と言う言葉を「我が道を行く」と訳してあった。女の子は我が強いという意味だろうか。

気象用語でラ ニーニャと言えば、ペルー沖の海水温が低くなり、日本では冬寒く夏暑いという異常気象が起きることで知られているが、地球の気象も我が道を行くと訳せばまた面白い。

ちなみに、La nin^eは直訳すれば女の子となり El nin^oが男の子もしくは天使を言うこともある。

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2010年3月 4日 (木)

食い散らかして

004 もうそろそろ花が散り始めた緋寒桜。大食漢のヒヨドリが熱心に啄ばんでは花を散らしている。

Img_0030o こんな小さな花では蜜の量も高が知れているかもしれないが、この花からも蜜を吸わなければならないど腹が空いているのか、それともいたずら心から花散らしをしているのか、木の根元はさながらカーペット。

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気を取り直して、落下の少ない部分を写してみる。  どうまだ捨てたもんじゃないしょう。

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予算委員会がいま参議院で行われているが見ていてじれじれとしてついテレビを切ってしまう。

民主党も国民の期待という点からすると大きく外れてしまい、折角政権奪取も色あせてきた。もともと幹部クラスは元自民党が多いのでそんなに期待をしていなかった。

ただ、自民党があまりにもお粗末なので支持しただけ、と言う面もあったのだが、ガッカリさせらるところが多きいい。   先祖返りをしているようだ。

やはり、政治屋ばかりだったのだ。いま、政治と金の問題で起死回生を図ろうとしているようだが、この人たちに政治資金規正法を任せていては今までどおり抜け道だらけの”ざる法”になるのは間違いなく収入の減る分をまた税金から追加しかねない。

一票当たりの格差も裁判所から意見状態だと決め付けられても、改正できない。自分たちのことが決められない政治家にあまり期待できないと思うと、テレビ中継を見ていてもむなしく感じてしまう。

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2010年3月 3日 (水)

もうすぐ”サクラサク”

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035 写真上、蕾の膨らんだ紅桃の花を眺めるカワラ鶸 (カワラヒワ)もちろん満開の桃もあり

道路上で花に向けてシャッターを切っていたら通りがかりの中学生に挨拶された。

つい嬉しくなって「今日、学校はもう済んだの?」「ええ、今日は公立高校の入試があり、私は単願なので、、」

「そう もう決まったのかね。おめでとう」「あまり出来が良くなかったので、決まったわけじゃないんですが」

「大丈夫、もうすぐ桜咲くだよ」って別れたが意味は分かっただろうか。それにしても、カメラを持ってうろつく怪しいおじいさんは、顔見知りでもない中学生と話が出来て、それだけで楽しい一日、、、。

帰り支度で喧騒

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空は低い雲に覆われ日差しも無いが寒さは峠を越して水ぬるむ。麻機沼のヒドリガモたちも帰り支度の相談でけたたましく騒いでいた。

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2010年3月 2日 (火)

取って代わるかも

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いま、静岡のあちこちで河津桜が満開の様子。

この調子では、染井吉野(ソメイヨシノ)に取って代わるのではないか思わせる勢いである。

017 花びらの色は、白っぽいソメイヨシノに比べると淡いピンクはくどすぎず、花の時期が永く早い。おまけに生命力が強いのか苗木があちこちで売られていて、家の近所でも何箇所かで咲いている。

ここは、下水処理場裏、巴川沿いの土手だが、花のつけていない苗木がさらに増えており、近い将来桜通りになりそうな気配。これでは、伊豆河津町まで出かける理由がなくなってしまいそう。

植物の普遍化とはこういうことを言うのだろうか、新しい品種がもてはやされれば、旧来の花は次第に廃れていく、、、、、、昨日で終わったオリンピックもいろいろと考えさせられるものがあった。

まず、お家芸ともいえる種目の興廃。

一時は純ジャンプとジャンプ+距離種目の複合が日本のお家芸とも言われたが、今度のオリンピックでは見る影も無くなった。背景には若い人が育っていないことにありそう。

ジャンプ界では日本人に不利なルールのせいと言って誤魔化してきたが同じくらいの体格の選手が活躍するに及んで、その理屈も成り立たなくなってしまった。かわって、欧州勢が席巻していたフィギュアーが男女とも隆盛を極めてきたのは、選手の発掘段階から見直してきたためといわれている。

そのほかにも、カーリングやスノーボードなど新しい競技も増えて、以前は炬燵にもぐりこんでやり過ごしていた雪国の冬も多彩なスポーツの季節になりそうだ。

とはいえ、長年いじめられてきた雪にはいまだ好感が持てずにいる、もう一人の自分がいる。

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2010年3月 1日 (月)

若葉につつまれ小室桜

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駿府公園のなかでいま一本だけ満開の桜がある。先日来咲いていた寒桜はとっくに葉桜になり、あちこちで紅白の彩を添えていた梅も先日の雨で完全に散ってしまった中、淡い桃色は若い低木ながら目立つ。

一昨年あたり伊東の小学校から送られた”伊東小室桜”と言う名札が傍に立っている。桜も品種がありすぎて、この桜も立て札が無ければ大島桜かなという程度だが、花の咲いている期間が長い。

柔らかな桃色をしたこの花を見たのは半月以上前、そのときはまだ葉芽がが固かったのだが、今日は結構これまた柔らかい若葉に囲まれて花が映える。

自分の前にこの場所に来ていた人も、しばらく足を止めて眺めていた。よく見ると小さく花が揺れる。

ここにもメジロが、、、。若葉に隠れるようにしていくつか蜜吸いに来ている。多分自分たちが人目につかないとでも思っているのだろうか、すぐ傍の花陰にまで大胆に近寄ってくる。

前の人もこれを見ていたのだろうか。嚇してもどうかと思いこちらも、そぅっとその場を離れた。

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「いまなにしてる?」「卒業式に出席する支度中」と少し苛立ったような声が電話から聞こえる。

今日は一番上の孫の卒業式。勉強のほうはあまり得意ではないので、高卒で終わりにし就職することに決めていた。

そして、早くも明日から仕事場に出勤するとのこと。この就職難の時期になんとか納得できる場所を見つけられたものと一安堵している。

女手ひとつでここまで来た娘は「今日が集大成」と勢い込んでいるのが、電話口からも良く分かる。

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