希望すれば叶う?
流れ落ちるようにして咲く桜花、それが枝垂桜の一番の魅力だろう。
藁科川上流の栃沢に300年余の樹齢を誇る一本の古木もそんなうちのひとつである。
身延の枝垂桜のような華やかさはないが、薄い桃色は遠目には灰色に見えなくもないが、その存在感は他を圧倒するものがある。
傘を広げたようなその枝ぶりは、よく見かける古木の支え木もないところから、その下にあるお堂を守る天蓋のようにも見えなくもない。
ただ、心配に思ったのはその桜の所有者の家にひと気がないような感じがしたことだった。前に来たときは花見の宴が終わった後で花の盛りが過ぎたときだったが、老人とは言えない人がいたのだが、、、。(周りを見ても誰もいなので聞きようもなかった)
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春死なむ
その如月の望月のころ
西行法師のこの有名な句は、辞世の句でなく若いころに作られたようだが、その思いが叶ってか、当時としては長命の73歳の命日は2月16日だと伝えられている。
現在の西行忌は新暦で行われているようだが、2月16日に咲く花といえば梅だろうが、実際は旧暦で言うため、今年の二月十六日は今日である。
澄み切った空に煌々と輝く満月。昨夜からの冷たい風の中、雲も吹き払われて花寒の月を見上げることが出来た。
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余談ではあるが、人はその死に方を希望すれば叶うのかなってことを、何度か見ている。
私の伯父は「三日 病んで死にたい」と生前よく言っていた。その理由として、死病が分かって三日あれば大抵の人に別れが言えるから、というものであり、その希望通りに身まかなった。
また、この伯父の連れ合いと自分の母親が最後に会ったとき、お互いに先に死ぬことを取り合っていた。
そして、伯父の連れ合いが脳梗塞で4ヶ月間意識不明で闘病生活中、自分の母親は「ぽっくりと死にたい」と普段から言っていたが、一週間の入院生活中に大静脈溜破裂で一瞬にして亡くなった。
その葬式を済ませて、伯母の子供(従兄弟)たちが意識不明で分からないとは思いながらも報告したら、翌日その伯母は亡くなってしまった。
さらに、偶然ではあろうが、お寺も違うのに戒名が名前の入った部分一字を除いて一緒だったことも、、、。
念ずれば、死神も聞き入れてくれるものだと思うようになった。
ただ、自分の父親は「百歳まで生きる」といっていたが、これはよほど望外だったのか、怒りを買ったのか、享年六十四歳とすこぶる早かった。
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