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2010年4月30日 (金)

むかしの光いまいずこ(望月城址)

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翁草。野生では珍しい花のうちになってしまった。

細かい毛に囲まれて下向きの蕾を伸ばした後、臙脂色の花を咲かせる。

名前の由来は、全体が毛に覆われているためか、それとも、種がチングルマのように細い毛を伸ばしているためらしいのだが、万葉集では”根っこ草”と詠われていると聞くと何時のころからこのような名前になったのか、、、。

とにかく珍しい花なので見惚れてしまった。ちなみに花言葉は「清純な恋」「背徳の恋」と反対言葉が並んでいるうえ、”翁”とは全然違う印象である。

ちなみになみに、子供のころ流行った歌にわたしや十六 満州むすめ 春よ三月雪解けに インチュンホーワ(迎春花)が 咲いたなら、お嫁に行きます隣村 ワン(王)さん 待っててちょうだいな、、、、と、言うのがあった。ここで歌われているインチュンホーワが翁草のことだとつい先ほど知ったが、この歌を知っている人はいないと思うので本当に蛇足)

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099z .昔の光いまいずこ  望月城址

静岡の望月さんが先祖の地として、長野県の望月町に行ったというのを新聞記事で見たことがある。

今月二十七日の朝、散歩をかねて望月城址へ登ってみた。この城跡はこれで五回目くらいになるのだろうか、たびたび登ってはいるのだが、今回は、下から見ると桜の淡い花の色が帯のように取り巻いているのに釣られて、、、。

望月城は、中仙道望月の宿を見下ろす位置に本丸を築き、後ろには御牧原を控えて勢力を張っていた一族で、木曽義仲に寄り騎して京にも上ったことが記されている。

その一族は、鎌倉幕府につかえ、戦国時代には村上氏や武田氏の争い、そして越後の上杉との争いに翻弄され、最終的には織田勢との戦いで滅びてしまったとされている。

そのためか、望月町には望月の姓を名乗る人はいない。なぜ、静岡市内に何千人もの子孫が残っているのかこれも不思議、、、。

さて、朝の六時前、旧中仙道のすぐ傍に住む義妹の家を出て、本丸真下の城光院脇に立てられた「ウサギさん10分カメさん30分」という標識の脇から登り出した。

094z 落ち葉の降り積もった山道を登る

むかしはこの城を巡っての戦いがあったそうだから、この道を登った武士もいたのだろうか?。などと考えながら広葉樹林の明るい山道の落ち葉を踏みしめながら登る。

中腹から上は展望のためか木が間引きしたように切り倒され、桜が道沿いに花を咲かせていた。

096m 本丸から望月町を見下ろす

朝飯前のことであり、ゆっくりと、しかしカメさんよりは早く頂上につく。本丸址には標識が立っているだけで人手がほとんど入っていない。しかし、観光地化されて鉄筋コンクリートの天守閣が建っているより、いかにも戦国の時代に滅びた城という雰囲気があって好ましく感じた。

朝まだ来の城址にたって、電灯がポツンポツンと残る町を見下ろしていると、そのむかし、この城で酒酌み交わしてさんざめいた音が聞こえてくるような気がし、荒城の月の情景がうかびあがる。

帰りは、中仙道瓜生坂の道を取って返す。

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2010年4月28日 (水)

ひとり静かに?

069p .

しずやしず しずのおだまき繰り返し

  むかしを今になすもよしかな

静御前が頼朝の前で舞ったときに詠った歌と言うことで残っているが、そのときの姿を写した花として、”ひとり静”とか”吉野御前”と言う名前が付けられたそうだが、こんなに沢山乱立して咲くと、ちょっと違うかなと言う気がしないでもない。

この花は、花びらも萼も無くて、雄しべがブラシのように突き出しているところから、別名を眉掃草とも言うそうで、良く見ればマスカラに見えないことも無い。

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よる年波と言うか、昨日、一昨日の農作業の疲れが足腰に来て今日はつらい一日であった。外は気温も高く気分の良い日であるが、家の中に閉じこもって一日うつらうつらで過ごしてしまった。

下の写真は、立科町の古刹「津金寺」の東側に咲く春の花をいくつか載せて今日はお終い。

062p 081p                                                             086p

021p 030p 写真、左上 碇草(イカリソウ)。右上 白根葵(シラネアオイ)。 中段左 鶯神楽(ウグイス神楽)。 中段右 片栗。 下段左 二人草

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2010年4月27日 (火)

桜の波から抜け出して

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今朝、最後の三畝にじゃが芋の種を植え付けたころから雨がポツポツと降りだした。

いかにも、「お前たちのために雨を降らすのを待ってやったのだから、早々に帰れ!」と、言わんばかりの空模様。

肥料や鍬の片付けを済ませて着替えをする。

昨日は、すっきりとした富士山を眺めながら静岡を出発。山梨県との国境の野辺山を下ると、信州は桜の花盛り、「あそこにあんな容をしたのが」「こっちはあんなに綺麗な色のが」と半ば桜見物をしながら、うきうきとした気分で走る。静岡から来ると三週間くらいのタイムスリップになるか。

目的地近くの立科町蟹久保公園では満開の桜の中に鯉のぼりを見かけた。風に煽られてひるがえる鯉のぼりが、桜の花を水泡に見立てると、急流を登ってきたかのように見えなくもなく、波をかき分け鯉のぼりが泳ぐ、というのは少し大げさかもしれないがそう見ると楽しい。

やっと、二~三日前にも雪が降り、二十六日にも霜が降りたとかで、咲き出していた白木蓮が茶色になってしまったと言っていた。

そんな中で、桜の花は全然気にもしないで、平然と花を咲かせている。

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畑の中にプルーンの木が花を咲かせ、その周りを耕運機で耕し、畝を作り、肥料を撒いて種を植え付け、土をする。

外見はのどかな田園風景だが、鍬を持つのは半年ぶりになるだろうか。

使わない筋肉はすぐにきしみ、体力の衰えは息切れに出てきて30分もすると鍬に手をかけ立ち往生。

お茶を飲み、励ましを受けてまた作業に入るが、鍬に身体をあずける回数は次第に頻繁になってくる。

それでも、用意したじゃが芋20kgを植え終わったのは午後三時過ぎ。まだ、三畝残って居るものの、精も根も尽き果てて明日にと伸ばし、日帰り温泉”権現の湯”にくりだす。

午前中、靄の中にうっすら浮かんでいた浅間も見えず、夕陽ももやった雲の中。

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今日の花。

左、リュウキンカ  右、水芭蕉 いずれも水辺の春の花  

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2010年4月25日 (日)

いわばしる

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万葉集に志貴皇子の作として”いわはしる/垂水のうえの早蕨の/萌えいずる春に/なりにけり"と、いうのがある。

激しく流れ落ちる水際に芽吹いた蕨を見て春を素直に喜び、詠ったものと推測するが、、、。

008a 則沢から竜爪山に登る道路脇に、小さな滝を見つけた。

普段は水の流れていない滝であるが、雨が降れば滝になるところと見えて岩肌がむき出しになっている。

そして、昨日までの雨で水が増えたらしく、水が玉のように、縄のようによじれて岩肌をすべり落ちてくるさまは、まさしく”磐走る 垂水”そのものであり、その滝に一輪の花を添えているのが早蕨ならぬ山吹の花。

この情景を歌にするならどう読むのだろうか。

「さあ お読みなさい」と言われているようで、、、。

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桜前線は、山の中腹を淡い桃色に染めて駆け上り、ただいま7~800mまで上昇中。

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明日は、じゃが芋植えに長野に行ってこようと思っている。

ここしばらくの天候不順で、畑に入れなくて時機を見ていたが、いつもの年に比べて二週間ほど遅れての植え付けになりそうだ。

交通費や宿代などを見れば「買ったほうが得!」と言われるが、味が良いので注文が多いのと、気晴らしをかねて種芋だけで20kgほどの植え付けになる。

今年は、「きたあかり」と言う品種も付け加えて、収穫は一部を小作料に換えても、200kg以上を持ち帰る予定しているが、、、「取らぬ狸の皮算用」ということにならないよう、、、。

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2010年4月24日 (土)

人の役に立たないものは

Img_0054_2 急な雨に打たれて戸惑うシラン(紫蘭 知らん)事業仕分けもかくやと

朝から空模様が何回も変わる”気まぐれ天気”の一日になった。

近所の厄除け地蔵に行ったときは、にわか雨に降られ、露天を出していた人たちが慌てて商品を仕舞い込むところだったが、帰ってきてすぐぐらいから青空が広がり、一時は雲ひとつないくらいに晴れ上がった。

そして、午後になると雷が鳴ってにわか雨、と、、、

Img_0054 .

そして、キツネアザミも田んぼのあぜ道で紫色の花を咲かせている。

キツネアザミは、一見アザミに良く似た花を付けているが、葉に棘もなく、アザミとは種類も違うようで、古くに日本に入ってきた帰化植物では無いかと書かれている。

名前の由来は、アザミと騙されたからと書いてあるが、犬だのカラスだの雀が頭につく植物同様、人間の役に立たないと言った意味ではないかとおもうのだが、、、。

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昨年秋に続いて、独立法人などの事業仕分けがまた始まり、日ごろ一般の人にはお目にかかれないお役所の役人が、しどろもどろになって仕切られているのが写し出されている。

一体に、国民から見ると陰に隠れて、高給を取っている天下り役人や仕事をしないで、トンネル状態で利ざやだけ稼いでいる役所、杜撰な会計処理をしている団体などとイメージは悪い。

まるで、水戸黄門やあばれん坊将軍を見ているようで溜飲を下げさせてくれるのだが、本当にこれで改善されるのか、とふと思うことがある。

ドラマの中では悪知恵に長けたお代官様は、ばっさりと切り捨てられるが、いまの時代では、風船玉のように此方を抑えれば向こうのほうに行って膨らむと言うような仕組みになっているのではないだろうか。

あれだけ問題になった、年金を扱う社会保険事務所も年金機構に移行してどれだけ駄目役人を処分できたのか、、、ほかに移すことでチョンと幕引きをしたように、、、

しかし、この事業仕分け見ていて一番不思議なことは、国会議員が予算委員会や決算委員会で論議する仕事であるはずの問題である。が、これらの委員会の放送をを見ているとあまりにもほかの論議ばかりしているように見える。

そして、今回の事業仕分けは、民主党になってから予算を付けたものを取り返す、と言うことになるのだが、、、その辺は、どうなるの?

また、余談ではないと思うが、もっとも仕分けして欲しいのが国会議員の人数と処遇だが、裁判所で違憲判決が出ているにもかかわらず対処できているとは思えないし、事業仕分けでジャイカのお役人が「ほかの役所に比べると、給与は高給ではない、、」と言いかけたら「国民目線で、、」と切り替えされていたが、国会議員の処遇も国民目線で見るとかけ離れすぎているとしか見えない。

すくなくとも、違憲判決が出ている一票当たりの格差を少なくすることは緊急の課題であるはずなのだが、、、

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2010年4月23日 (金)

いずれがあやめか

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細かい雨を受けて”あやめ”の花に雨粒が降り積もり、隣り合った同士が時おり合体してしずくとなって落ち、”あやめ”の深い青をさらに碧くしている。

014q ”あやめ”を漢字で書くと菖蒲とも文目とも書くが、自分はどちらかと言えば花の柔らかさを表わす、平仮名のままが良いのではないかと思う。

「いずれがあやめかかきつばた」良く似た花で、一寸見には区別の付けがたい花であるが、あやめは花の付け根に細かい模様があり、かきつばたには無い。また、あやめは必ずしも水辺でなくても良いが、かきつばたは水辺が好みである。

しかし、品種改良と言う人間の手はその境目を次第に難しくし、花ショウブとともに自分にはわからない世界になってきつつある。

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きのう、自民党を離党した桝添元厚労大臣が今日新党を立ち上げた。世論調査で次の首相にしたい人「NO1」に踊らされたのだろうか?、、、もしそうなら、次のアンケートでは人気が激減して「こんなはずではなかった」と臍をかむにちがいない。

また、雑誌に所属政党の執行部批判した手前、振り上げたこぶしのおろしどころが無くなって、飛び出さざるを得なかったとすれば、先の見通しの出来ない人と言わざるを得ない。

また、世論に人気があるが党内での人気はどうだったのかあまり付いていく人もいなったようで、記者会見も意気が上がらない感じがしたのは自分だけだったろうか。

とにかく、これで夏の参院選挙には幾つの党が競うことになるのだろうか。「いずれが菖蒲か杜若」でないが、いずれも主張に大差の無い、と言うより「呉越同舟」で主義主張の違うもの同士がお金が欲しいだけで一緒になった政党が乱立するようだが、、、、、

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2010年4月22日 (木)

惚けちゃい(居?)ませんか

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昨日が夏日で、今日は冷たい雨を伴って10度に満たないと言う気温の乱高下するなか、燕が裏の川面すれすれに飛び交い、紺と黒の背中、二股に割れた燕尾服でシックにまとめたスタイルを見せびらかしていた。

むかしから、燕が低く飛ぶと雨が降る。といわれているが、気圧が低くなると虫が高く飛び上がれず、それを餌としている燕も当然低くなるのだそうだ。

対抗する燕同士は、どんな決まりが有るのか正面衝突を上手に避け、時には佐々木小次郎の剣法で知られる燕返しを演じて見せるのもいる。

小さな燕にとって雨粒は、人間に直すとソフトボールくらいの大きさになるのではないだろうか。そんな風に考えると良く飛べるものだと感心してしまう。

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午後になって雨はますます激しくなり、川の水も増えてくると、水路の側壁に根を下ろした草もろとも花も水没していく、、

草にしてみればここまで水が上がってくるのは予想外だったのか、人間なら異常気象だの地球温暖化だのと理屈を付けるだろうが、草には口が無い。ただ黙って溺れていくしかない。

今日はアースデー。地球のことを考える日だというが、さて何を考えよう。

さしづめ、「出された食べ物は全て口にし、残飯は出さないように」することが自分に出来る最大のエコかな?と思うのだけど、、、、、 メタボリックにはなるけど

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子供手当ての申請書類が発送された。とテレビは報じていたが、それに先がけて今日「介護予防検診基本リスト」なるものが届いた。

内容は「バスや電車で一人で外出していますか」に始まって「日用品の買いものをしていますか」、、、、「週に一回以上外出していますか」「今日が何月何日かわからない時がありますか」など25項目に渡って書かれている。

要はあなたはどの程度惚けていますか?老化していますか?の自己診断だが、その後に、「自己診断の結果、特に機能の低下が見受けられない方」は返信の必要がありません。と、書いてある。

これに答えられる人、反発を感じる人はまず惚けてはいないのだが、該当する人は傍に誰か代筆する人がいなければ、これを返送することが無いだろうと思うと、なんだか不思議な調査だと思う。

老老介護や孤立している老人が増えている中で、こんな方法しかないのかと思うと、、、、なんともはや

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後記

役所がこんな手紙を寄こすのなら此方もそれに答えて、全て駄目なところ全てにチェックを入れて返送して見たらどうなるのだろう。という、誘惑に駆られる。

みんなで一斉に”惚けちゃいませんか?”と呼びかけたら、、、、、

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2010年4月21日 (水)

大房藻は特定外来生物

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江戸小紋という染模様の着物がある。

遠くから見ると無地の布地のように見えるほど細かい模様が一面に型紙で押ざれている着物で、江戸の人たちはこれに粋を感じたようだ。

もともとは、上下に関係の無い模様が入っているため、礼装や正装には使われない模様だったが、大名の間で流行り手間のかかる仕事だけに高価なものになったので幕府の倹約令で禁止されたものが、裕福になった町人に広がったことから今に残っているそうだ。

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058 麻機の田んぼの一角に水路を塞ぐようにして大房藻(オオフサモ)が繁殖し一面を柔らかい緑の絨毯のようにしている。

この草、南アメリカが原産の植物で、特定外来生物に指定され栽培はもちろん販売も譲渡も禁止されているほどのものである。

特定外来生物とは、人の生命、身体、農林水産に被害を及ぼすものとされているが、原産地では天敵がいてその繁殖を抑えられているのに、天敵のいない国では被害が大きくなる。

大房藻は当初水草として輸入されたものらしいが、管理が充分ではなかったのか、、、、、、、、。

057 遠目では綺麗な緑にしか見えないし、近くによって見ると柔らかく繊細な葉は美しく見え、特定と指定されるような草には見えない。そして、ほとんど同じ大きさの水草の芽が整然の並んでいることに驚かさせられる。

着物の柄とかデザインなど人が文様を作り出したかのように思っているが、実際は自然界が先に作っていたものを、ちょっと加工しただけかもしれない。

011m 左の写真は、稲科の雑草ネズミムギ?だが、これに良く似た着物を見たような気がするがどうだろう。

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2010年4月20日 (火)

極彩色の画に

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朝から降り出した雨は、激しいものでなくそぼ降る雨と言った感じの降り方で、傘がなくても服が湿る程度のもであった。

しかし、散歩には適さないと思い早々に切り上げてきたものの、なんだか中途半端。それを解消するために県立美術館に行くことにした。

上の駐車場は満車なので、下ってきたところにある大きな駐車場に入れて、プロムナードを登っていけば、芽生えを始めたモミジやケヤキ、カツラの新緑が美しい。

芭蕉の句に”あらとうと 青葉若葉に 陽のひかり”というのがあるが、静かな雨に洗われる若葉の森もまた一段と趣きがあることを再認識した。

今日は”穀雨”春の暖かい雨が降って穀物が芽吹きだすころ、と言う。

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県立美術館は、今年の初めからリニューアルの作業に入っていて、そのオープン記念に「伊藤若冲」の作品を展示しているとのことであった。

伊藤若冲の名前は、テレビの開運なんでも鑑定団ではじめて知った名前、学校の教科書などでは取り上げられなかった絵かきであり、はじめて知ったその作品は極彩色の絵が高額な値段を表示されていたように覚えている。

入ってみると、平日なのにかなりの人の数。それも、ほとんどが高齢者でしめている。多分自分と同じように、雨が降ってすることなくて”降り出された”(そんな言葉があるのか?)格好で来た人が多いのかもしれない。

入り口には花鳥獣屏風のレプリカが立てられており、展示場に入るとよくこれだけ集められたと思うほどの作品が並んでおり、出てくるまでに一時間ほどかかってしまった。

水墨画にも注目してくれとのことであったが、やはり、極彩色の大きな衝立や襖に目が行ってしまう。

軍鶏の精密な描きぶりの中に、日本古来の伝統美があり、花鳥獣図の細かく区切った升目をそれぞれの色で表現している絵は始めてである。

さしづめ、テレビの画面を拡大するとこんな風に見えるのではないかと想像してしまった。

帰る途中どこかで食事をと思って、イタリヤ料理の店には行って見たが、あまりにも混雑しているのと喧しい、次に日本料理屋も満員で、、、、結局は家の傍まで来ていつもの蕎麦屋さんで、今日のおすすめ膳というやつでチョン!

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2010年4月19日 (月)

ケリケリケリッと

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上空に舞い上がったケリが名前の由来になった「ケリケリケリッ」と威嚇しながら二羽交代に舞い降りてはひるがえり、また急降下を繰り返す。

まるで、平家物語にでてくる鎌倉武士が名乗りをあげて、敵陣に突入する場面を想像させる。

さしづめ熊谷次郎直実といったところか、地上に降りて羽根をたためば土と良く似た茶色になるが威嚇するため舞い降りるときは、真っ白な羽根を広げ口を開けて旋回する。

004 対して、此方は平家の公達?。反撃する手段は一切なく、カメラを向けて行方を追い、ファインダーに入れるだけ、、、、。

繁殖期にはいって、畦のどこかに卵を産んでいるのだろう。やっと、先日まで静かにしていたのに、、と、。

母性本能ならぬ、夫婦で卵か雛を守るためには、何倍もの体格差があるカラスにも攻撃する気の強さを持っている。

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去年、衆議院議員選挙に敗れてからこっち、自民党議員が11人も離党したそうだ。なんだか、船が沈む前に逃げ出す鼠のように思えて仕様が無いのだが、、、。

この人たちが、当選できたのは、個人の人気もあったかもしれないが、自民党と言う看板と選挙資金を貰っていたのだと思うと、自民党はもとより投票した人にたいする裏切りというしかないだろう。

とくに、選挙区で落選したにもかかわらず、惜敗率で救ってもらった議員は二重にも三重にも裏切っていることになり、議員定数を含めてこの辺の改革が必要なのではなかろうか。

そして、離党後の動きを見ていると、政治信条はそっちのけ、とにかく政治資金をもらえる、と言うことしか考えていない政治屋にしか見えて仕方が無い。

自民党も民主党も愛想が尽きたかもしれないが、こんな団体の支持や推薦をもらった立候補者は当選させてならない。と、思うのだが如何

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2010年4月18日 (日)

声が別人

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草むらにひときわ青く釣鐘水仙が咲いていた。

041q あまりほかでは見かけることも無いので外来種だと思うが、どこかの庭からでも逃げてきたのか、誰かが移植したのか(最近こんな人が多い)。

小さなカリヨンのような花を下向きに付けて、今にもメロディーを奏でそうな雰囲気がある。

葉の形が水仙に似ているので付けられた名前だそうだが、全然別の種類である。

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昨日、自動車を運転中に永六輔と遠藤泰子の「誰かとどこかで」と言うラジオ放送を聞いた。

初めは、誰が話しているのかとおもった。あまりにも呂律の回らない話し方で、何を言っているのかも定かでなく、番組の終了時になってようやく確認できた。

もともと、永六輔さんの話しぶりはせっかちで甘ったれたよう口調が気になっていたが、活舌はしっかりしていた。

調べてみると、2,009年に脳梗塞を患った後遺症だとのこと、こういう状態になっても番組を続けているのはどんな理由からだろうか。

Img_0064 忘れな草をあなたに

往年の永六輔を懐かしんでいるファンがやめさせないのだろうか?。あの声を聞くとなんだかかわいそうな感じがしてならない。本人も多分、放送を聴いていて「これが自分の声?こんなに呂律が回っていない?」と、歯がゆい思いをしているのではないかと思うが、、、

そのむかし「夢であいましょう」で見たころは、明るくてはつらつとした印象といくつもの「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」などのヒット曲を連発した印象があるだけに、一種「老残」と言う印象も無くはない。

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かなり昔のことになるが、テープレコーダから聞こえてくる自分の声に驚いたことがある。自分が喋っている声がまったく別人の声のように聞こえてくる。

思わず、テープレコーダーが故障しているのかと回りに聞いてみるとそうではないと言う。

「へぇ~こんな声で話しているのか」しばらくは信じられなかった。

そして、先日、携帯電話の自分の声を聞いてまたビックリ!。今度は五歳年上の従兄弟の声色にそっくりとなっていた。

声は、年とともに違ってくるものらしい。

それにしても、自分の思っている声と人が聞く声にどうしてこんなに差があるのか不思議でならない。

一説には、自分の声は頭骸骨を通して聞くからだというが、どうも、納得しがたい。

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2010年4月17日 (土)

41年ぶりと聞いて

Photo .

三十数年前の今頃、ソ連(いまはロシア)の人とロシア語で歌った歌がある。

きっかけは、ソ連の鉱山の労働組合と相互交流で、日本に来た代表団を歓迎する会の中で合唱することになったためで、そのとき、はじめて本物のウオッカを飲んでみたのも、記憶に残っている。

もちろん、ロシア語はダー(イエス)ニエット(ノー)とハラショ(素晴らしい)程度しか知らないので、紙に書いたカタカナを読んで練習したものだったが、若いときの記憶力は、、、、。(それに引き換え今では昨日のことも記憶にない)、、歌の名は「カチューシャ」。

ラスツベイタリ/ヤブロニ/イグリシュ/パーピブリニ/ツマイニナドリコイ/ブイハージイラ/ナベリグ/カチューシャ/ナービソーキ/べーリグ/ナークルトイ

と、まあ、こんな調子だっだが、相手方の声量に圧倒されたのを覚えている。

日本語では、#りんごの花ほころび、川面にかすみたち、、、、と歌声喫茶なんかで大流行した歌である。

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庭の姫林檎がいま満開に花を開かせている。開花するにしたがって蕾のときの赤い色をどこかに捨てて真っ白になっていく。

少女の殻を脱ぎすてて、私はレデイと宣言しているかのように、、、

同じ林檎でも、自分たちが毎年分けてもらっている信濃は立科町の農家は蕾どころか、今日も畑が雪に覆われて真っ白だとブログに写真が載っている。

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報道では、東京でも雪が降り積もったようで、昭和四十四年以来四十一年振りの出来事だったと報じていた。

この報道を見て、愕然としたことがひとつ。

次女が四十四年生まれなのである。と言うことは、彼女の年が四十一歳になっていたと言うことか、、、、何時までも子供だと思っていたが、「そうなんだ!」

なんだか、急に老け込んだような、気落ちしたような変な気分になってしまった。この気分はじきに回復することとおもうが、名残り雪も変なものを感じさせてくれたものだ。

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2010年4月16日 (金)

白山吹は実をつける

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七重八重/花は咲けども/やまぶきの/

      実のひとつだに/なきぞあやしき

この可憐な花の名は”白山吹”という。

Img_0137  これは、黄色い山吹が白化したものではなく、シロヤマブキ属といって種類の違う花で、同じころに花が咲き、全体の格好がなんとなく似ているところから付けられた名前であり、花びらが四枚、葉の形もちがう。

そして、何よりも違うのは実がなることであろう。秋になると四粒の赤い種をつけ、年を越して春になっても時として黒くなった実を落とさずにいる。

Img_0166 上の歌は、大田道灌の故事で有名になっているが、どうも後世になって作られた話のようで、この歌の作者である兼明親王がこの歌の添え書きに「小倉の家にすみ待べけりころ 雨の降りける日に みの借る人の侍りければ 山吹の枝を折りて、、、」と、故事と同じ状況を書いていることからもわかる。

そして、最後の”、、、あやしき”は、悲しきに変えられているが、もともとの”怪しき”は「不思議」と言う意味とともに、当時は「道理や礼儀にはずれている」と、言う意味で使われていたそうだ。

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時ならぬ寒波に見舞われた関東地方。その余波を食らって静岡も御殿場付近で雪が降ったとか、、、、

我が家でも、折角片付けた灯油ストーブを引っぱり出して点火する。この時期に気温が10度を割り込むのは43年ぶりとかといっていたが、温暖化に慣れ、先日の夏日を経験している身にとってビックリの一日。

体の弱い人にはここしばらくの気温乱高下は身に染みることと思う。

         ためらっておくんさい

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2010年4月15日 (木)

ほろほろと

037 .

田んぼの真ん中に立つ近くの中学校の傍を通りかかったとき、突然甲高い雉の鳴き声を耳にした。

その方向に忍び足で近寄れば、草の間から赤い雉の頭が見え隠れしていた。

向こうも自分に気がついている様子だが飛び去らず、そばの木を楯に使って全身をさらけ出さないようにみぎひだり。

こちらも負けずにゆっくりじっくりと気配を鎮めて(気づかれているのだから気配は消しようも無い)カメラを向ける。

032 .メスとふたことみこと交わして

027 突然、近くの藪から地味な羽模様の雌鳥がとびだし、トットコトーとばかりに雄の傍に走り寄り、雄に何か告げるようにしてまた藪の中にもぐっていった。

俗に雉は「焼け野のきぎす」と言う言葉があるくらいの鳥だから、よほど切羽詰らなければ巣から逃げ出すことは無い。と、聞いているので、多分飛び出した付近に巣があるかもしれない。

しかし、傍に近寄れば巣を放棄する可能性が大きいので、そのままにして後ずさりして帰る。

巣があったとしたら、雄は雌にあとで「どうだ!俺は強かっただろう」って雌に自慢したかったのか、自分に姿をさらけだして人間の関心を引き付けていたのは家族思いの自己犠牲なのか、、、、

と、おもうとさすが、”日本の国鳥”だけのことはあるわい。と、にんまりしてかえる。

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「けんもほろろとは、人の頼みごとを冷たくはねのけるさまを言うが、これに当てはまる漢字は無い」と、高校のとき、学校の授業で聞いた雑学のひとつ。

語源は雉の鳴き声からきているんだそうで、今では雉の鳴き声は「ケーンケン」と聞きなしているが、”ほろろ”は鳴き声だとも”はばたき”だとも言う。

ほろほろと/鳴くやまどりの/声聞けば 

    父かとぞおもい/母かとぞおもう/おもう

と、いう行基の歌をもとにした歌を習ったが、昔の人は、雉(やまどり)の声をほろほろと聞きなしたのかもしれない。

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万葉集ならぬ玉葉集には、鎌倉時代に作られた勅選和歌集で、その巻十九に行基作として下のようにある。

やまどりの/ほろほろと鳴く/声聞けば  父かとおもい/母かとおもう

これも聞き書き、、、、。

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2010年4月14日 (水)

この紋所が、、

036_2 .

「この紋所が目に入らぬか!」で知らぬものがいない三つ葉葵の家紋。

その元になったと言われる双葉葵の花を駿府公園へ見に行ってきた。

双葉葵がここに植えられたのは、徳川家康の隠居所というか、影の統制者として住まった駿府城に家紋の草を、、という人たちが一昨年のことだったろうか、京都は下賀茂神社にお願いして移植したものと思っている。

その植えられたところに行って見ると、草の勢いはまだまだのようでポツンポツンと生えているだけの状態で寂しげな風情がある。

こんな状態で花が咲いているのだろうかと近寄ってみたが、どの株にも見当たらない。

027 何箇所か目を凝らして探した結果、ようやく見つけたのが上の花だった。先月写したカンアオイに比べると格段に小さく花の径は1センチに満たない大きさ、これは株が小さくて貧弱からではないようだが、、、。

紫がかった小さい花は地面のすぐ傍で二股に別れた付け根に咲いているため地面すれすれ、いや、触れていて分かりにくいが、雄しべも見えて花の形をしているこの調子では虫媒花なのだろうか、カンアオイがナメクジではないか言われいるそうだが、、、とにかくじみな花である。

かの草の葉を家紋にしたというのは何処にあるのだろうか。双葉葵というのは字のとおり葉が付け根で二つに別れるためであり、これを三つ葉葵としたのはどんな意味があってのことか。

先年、徳川家の発祥の地といわれる、三河松平の時代には使っていなかったと聞いた。と、すると、家康がある程度勢力を拡大したときに、由緒ある京都の神社の紋所を使い箔を付けるのに利用した可能性がある。

さらに、三つ葉葵の紋所が徳川将軍家の独占と規定したのは吉宗の時代だったと聞くと、それよりかなり前の時代に「この紋所が、、、」と言っても、示されたほうでは「へへい」と恐れ入らず、きょとんとしていたに違いない。

もっとも、黄門様は諸国行脚は一度もしなさらなかったそうだから、目くじらを立てるまでもないのだが、、、。

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2010年4月13日 (火)

アケビの花

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007 静岡近辺では、今朝方までの雨が”花散らしの雨”だったようで、桜の淡い桃色が一気に消え若々しい黄緑色が急に目立ってきた。

「木の芽時」というのだろう。ここ数日、気温の変化が激しく、最高気温が連日10℃前後も変化し体調がついていかない人もいるようだ。

今日は、晴れ上がると言う予報のもと、麻機の農道をぐるっと一周してきた。

昨夜来の雨に、アケビの花も洗われてか新鮮味を帯びているように見える。

立ち木に掴まって伸び上がった蔓の先にはびっしりと言ってよいほどの花を下向きに咲かせている。この花が全て実をつけると大変なことになるのだが、よくしたものでほとんどがあだ花、、、、。

アケビを漢字で書くと木でもないのに”木通”と書くが、これは蔓を生薬に使うときの名前であり、和名のアケビは熟れた実が口を開けているさまからきたと言うらしい。

Img_0089 同じ仲間に、三つ葉アケビというのが有るが、ごく近縁の仲間らしく、同じ木に巻きついていることもあり、普通のアケビと交雑して五葉アケビという種類が有ると聞くがまだ見たことが無い。

と、言うより、アケビの実を採るとき葉が何枚か確かめていないので、、、、。

ちなみに、右の写真はムベというアケビの仲間。Photo

こちらは、よく似た実をつけるが口を開かない。

ムベというのはどういう字を書くか知らないが、天智天皇が近江の長生きの多い村で「汝らどうして長生きが多いのか」と尋ねたところ、ムベを食べている。と、言うので、天皇も食べてみたところ美味しかったところから「宣(ムベ)なるかな」と納得されたところから付けられたと言う。

この実の味は、ほのかに甘く種の多いところもアケビに似ている。

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2010年4月12日 (月)

着物の図柄に似たり

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昨日に打って変わって冷たい空気が花散らしになったような一日。

”落花盛”とでも言いたげに、水面は桜の花びらで埋まっていく。

樫の葉を交えて最後の彩りは、見ようによっては和服の柄、加賀友禅など図柄にもたとえられるのではないだろうか。      

桜の花としては最後の一輝き。

Img_0015 その水面を割るかのように、鯉の群れが人の気配を察して浮かび上がる。

乱されて水面(みなも)は、揺れ動き花びらを四方に散らす。これまた一興ならぬ一驚。

かくして、春はまた一歩また一歩と深化して行く。

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2010年4月11日 (日)

長屋の花見より

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  有名な落語の中に「長屋の花見」というのがある。

貧乏長屋の住人が大家に呼び出されて店賃の催促かと恐る恐る集まると、大家さんから酒三本と卵焼き、蒲鉾を出すから景気づけに花見をやろうと持ちかけられる。

ところが、貧乏長屋の大家さんだから本物は出せない。酒は番茶を薄めたもの、卵焼きは沢庵で、蒲鉾は香香(漬物 こうこう)でやると言われて、長屋のものは一気に行く気をなくするが、大家さんに脅しすかされて上野の山に毛氈ならぬむしろを持って出かけ、自棄のやんぱちの花見をする。と言う筋書きで、先代小さんの得意芸のひとつだったそうだが、ラジオで聞いた覚えがある。

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今日は、知人夫婦ほかと梶原山へ花見に行ってきた。

最近、身体を壊して療養中の人もいたので駐車場から、そろりそろりと山に登れば、”なんとか歩こう会”の人が来ていて山頂は人だらけ、、、一番外れの桜の下が空いていたので毛氈とまでは行かないが用意の敷物をひろげ、半ば散ってしまった桜の観賞もそこそこに「花より団子」とばかりに持ち寄った僅かなものを食べながら雑談にはいった。

来る途中コンビニで買ったおにぎりや惣菜を並べ、散り始めた桜がおにぎりにくっつくのが風流だと言って、「たちあがれ日本」を上回る高齢者がはしゃぐ。

薄ぼんやりながら富士山も見え、気温は22度とかで上着を着なくても暖かい。お茶気は運転手の自分と療養中のもので僅かづつだがビールも出て、長屋の花見よりは豪勢な雰囲気。

一持間に及ぶ食事が済んで、「さて!」と、その辺をうろつけば、早速、野蒜を見つけて掘り出すものまででてきた。年寄りは「転んでも只で起きない」

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2010年4月10日 (土)

風もないのにはらはらと

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020 久しぶりに晴れ上がった空を見越して、愛宕山から清水さんまで歩いてみた。

毎年桜の時期にこの山(と言ってもごく低い丘陵)の”桜と富士山”という典型的な風景を眺めて歩いているのだが、今年は富士山がすっきり見えた日がない。そのうち花が散ってしまいかねないと思って行ってみた。

あがって見ると、桜のほうは、もう散り初めていて風もないのにはらはらと花びらを舞い散らせ、山道のところどころをピンクに染めている。

頭上は青い空が広がり、所々に白い雲が浮かんでいる。という状態なのだが、東の山の端は低い部分に雲が広がり富士は見えない。

子供の遊び道具がある愛宕砦からの”桜と富士”はお気に入りの場所なのでしばらくベンチに腰を下ろして待って見たが望みは叶わない。

あきらめて尾根を歩く。満開を過ぎた花は散りやすい。ヒヨドリの群れが花散らしに一役買って騒ぎ立て、それに呼応してか小母さん軍団の甲高い声が山に響き渡っている。

帰って、耳に触ってみると花びらが一枚落ちる、、、、天の配剤?耳栓だったのだろうか。

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002 以前から気になっていたことのひとつに、栄養食品などの宣伝に出てくるタレントたちが、その製品がどれだけ効くのかとうとうと述べている画面の縁に、小さく「これは個人の感想であって、、、」というロゴがついている。

まるで、生命保険の約款のように見えにくい字で書いている。個人ごとに違うのならその食品のせいで効果が有ったか無かったかわからないはず。

コマーシャルに出てくるタレントは、ギャラを貰っているため、頼まれれば何でも言うのだろうが、それを、タレント個人の責任に転嫁しようとして見えて仕様が無い。

大体口から栄養食品などを入れたとして、それが思っていたところに届くものだろうか。前に髪の毛に効くと宣伝していた会社もこのごろ同じロゴを入れるようになった。

膝に効くだの、髪の毛に効くだの、脂肪が取れるだのと世の中を迷わす宣伝をしている会社は詐欺罪を適用しても良いと思うのだが、、、、

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2010年4月 9日 (金)

か弱い風情だが

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003 ここ二~三年、麻機の蜜柑畑を中心にマツバウンランが繁殖して、斜面を青く染めている。

細い草の上のほうに小さな花を無数に咲かせて、風にそよぐ姿は波のようにも見えるところから付けられた名前かとおもったが、、、。

漢字で書くと”松葉雲欄”とも”松葉海蘭”とも書かれていて判然とはしない、取りようによっては「海のものとも空のものとも区別できないよ」と言ったところか。

一見、か弱い風情を見せているが、この繁殖力から見るとなかなかのもののような気がする。

アメリカが原産地だとか言うが、園芸種として持ち込まれたのだろうか、、、それとも、何かにくっついてなのだろうか。少し前まで見たことがなかったような気がする。

将来、ほかの外来種同様、何かと問題にされるのかどうか、、これからが見ものの花になるだろう。

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新学期も始まって、ピカピカの一年生を目にする機会が増えてきた。保育園当時は母親に連れられて自動車や自転車で送り迎えだったが、これからは友達と連れ立っているとはいえどこか不安そうな顔をして通学を始めた。

このころの一年生は、早生まれと夏前に生まれて子とではかなり体格の違いも有るようで、中には重そうなカバンに押しつぶされるのではないかと心配な子もいる。

そんな中、学校のほうでは「モンスター保護者」対策の冊子を配って身構えている。との報道が有った。

最近の親はの中には、かなり無茶を言う人もいるようで、先生の中にはそのストレスで休職に追い込まれている人もかなりいると聞く。

「些細なことで時間をかまわず教師に電話をし続ける親」「自分の子を特別扱いにせよ」と迫る親などが多くある例として紹介されていたが、、、

それを聞いていて、最近報道されているあの人たちもそうなのかな、、、と思ってしまった。

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2010年4月 8日 (木)

値千金

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花冷えと言うのかも知れない、少しヒヤッとする寒さが今年の桜の花の寿命を長引かせてくれているようだ。

Img_0003 こんな日の宵の口は蘇東坡の

春宵一刻値千金 

花有清香月有陰、、

という漢詩がよく似合う。

夜間照明とかでライトに浮かび上がらせた夜桜は、花の色が吸収されて陰翳のない白一色に見えるのは、なんだか生気がなく、死の世界と言った雰囲気で好きではない。

”桜の下には屍体が埋まっている”と梶井基次郎が短編に書いているが、こんな情景を見てのことだろうか。それに比べて暮れなずむ夕日を僅かに受けた夕刻、、、、僅かな時間はそれこそ出せはしないが値千金の値打ちがあり、人工の照明はまだ夕日に及ばないと感じる。

ごく短い時間の情景を詠った千年も前の詩人の詩にいまだ感動し続けているのは、自分たち東洋人の慣性だろうか、それとも、中国の文化に長年親しんできた結果だろうか。

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昨日の筍掘りの後遺症で腰がだるく体調万全ではないが、今日は三ヶ月ごとの血液検査をする日。

血圧が少し高目と診断されてから行っている検査だが、今回は久しぶりに朝食を抜いてきてくれとのこと、、、、今日の血圧は上が126、下が67と出て、「典型的な正常血圧ですね。でも、薬のせいですから」と、念押しされてから採血された。

個人病院なので結果は四日後、とのこと。しかし、このごろでは検査慣れをして急いで聞きには行かない。いままでの数値より悪くなることはないだろうと多寡をくくって、来月の診察まで放っておくことにする。

もし何か有れば呼び出しがあるだろうと、、、

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2010年4月 7日 (水)

雨後のたけのこ

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浦島草が背中合わせに竿を振り上げている。

濃い紫の壷状の花の先端に細い紐のような付属物を伸ばしているが、何のためなのかはわからない。

ただ、この紐のような付属物を釣り竿に見立てて名前が付けられたのは、一目瞭然。マムシ草など天南星(テンナンショウ)の仲間に有って、雪餅草とともに珍重される花である。

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003 雨後のたけのこはすくすくと、、、これだけ伸びると竹の子

久しぶりの筍堀り、先日来の天候不順で山に行けなかったので大量に出ているはずだから手伝って欲しい、という知人の伝言で出かけた。

たけのこ堀りも最盛期に入って、あちこちの地主が入り込んでいるため、駐車場が窮屈。と、言うわけで、此方は自転車でエッチラオッチラと十五分かけて川合の山に行き合流する

そこから、竹篭を担ぎ、右手には5kgほどの幅の狭いトンガ(たけのこ堀り用の鍬)を杖にして山道を登ること200m弱。

山に入れば、知人も一週間ぶりとかであちこちに「雨後のたけのこ」が見られる。

孟宗竹は、この時期成長が早い。伸びすぎたたけのこは、竹冠の旬が過ぎて”竹の子”になり、あたりを徘徊している猪さえ食べようとはしないほど、皮が固くていがらっぽくなる。

大きな竹になってからでは始末に困るので間引きとばかり叩き折る。掘るのは地面から顔を出すか出さないかの物。地面に僅か顔を出した萌黄色を見つけ、足の裏に感じる少しの盛り上がりを頼りに掘り出す筍探しは、宝探しに似てまた面白い。

大きな竹篭を担いで四回、山から自動車まで往復するころにはすっかり疲れて足元もおぼつかなくなくなったことが良く分かる。

軽自動車に満載して帰れば、九十翁は「年を取ると気がせいて」と、ドラム缶製の竈に釜のせて湯を沸かしている。

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2010年4月 6日 (火)

唱歌が嘘ついた

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いつも静かに花見をする場所がある。

赤と白 二本の桜の下に黄色い菜の花、そして白い大根の花と、、、何時行っても人の気配はない。

その下に腰掛けてしばらく眺めて帰るのが、ここ数年の行事の一つになっている。

これだけの花が咲いていれば、当然のことながら蝶々や蜜蜂が集まってきているが、最近不思議思っていたことのひとつに、蜜蜂はどちらの花にも(と言ってもすくないが、、)行き来しているのに蝶々は桜の花に近寄らない。

Img_0010 写真左、菜の花に飽いたんだけど、、、

小学校唱歌には、

ちょうちょう ちょうちょう/ 

菜の花にとまれ/ 

菜の花に飽いたら桜にとまれ/ 

桜の花のはなからはなへ、、、、、

と、唄っているのに

ひょっとして、蝶々は食わずぎらいなのだろうか?、桜の蜜は癖があるのだろうか?と

調べてみると、桜の花にはほとんど蜜がないので蝶々は桜に来ない。ということがわかった。

「うわぁ~小学校唱歌が嘘ついた」  ついでにこの歌の原曲はスペイン民謡だとされてきたが、これも、違うらしく元歌はどうやらドイツではないかとのこと、、、

これで、蝶々の行き場はますます無くなって来た。

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今日 静岡は小学校の入学式。ぴかぴかのランドセルは、後ろから見るととても大きく見え、横にゆさゆさと揺れながら動いていく、母さんの心配をよそに、、

この子達の未来は、、と、考えてしまう。

今年、就職期を迎えた子らは、働き口が少なく卒業はしたものの、、、という人たちがかなりいるそうで、行き場の無い若者がまた増えてしまいそう。

景気の変動は、20年程前には予測も出来ないし、出来たとしても子供には責任がない。それこそ、事情は違うが30数年前に流行った、「生まれたときが悪いのか、、」出だしを持つ”昭和ブルース”と言う歌の世界の再現といったところ。

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2010年4月 5日 (月)

宿雨を含む

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唐時代の詩人王維にいまの時期を詠った「田園楽」という詩がある。

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桃紅復含宿雨 柳緑更帯春煙

桃はくれないにして また宿雨を含む 柳は緑にして 更に春煙をおぶ

花落家僮未掃 鶯啼山客猶眠

落ちた花を家僕は掃こうともしない 鶯が朝を告げても 私は床から出ようとしない 

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午後にはいってようやく春雨がやみ、外に出る機会を失してしまった。

我が家から見る竜爪山の山頂も雲の帽子をかぶって煙っており、裾がもやっているのはまだ細かい雨が降っているためだろう。

海棠の花は、雨粒に纏いつかれて重たげに下を向いてうなだれている。「何もお前さんが悪いのではないよ」と慰めたくなるような風情で、、、。

今日は”清明”。万物が清々しく明るく美しくなる季節にはいる時期だという。

地上に百花が咲き競うともあるが、日本の政治の世界を見ると、また、自民党を飛び出した人々が新党を結成するとかで大騒ぎをしているさまも、この「清明」に関係しているのだろうか。

しかし、この人たちを見ていて感じるのは、清々しさを感じさせるものが全然ないといって過言でなく、明るく美しい未来もなく、ただ単に自分たちの意見が通らないからと言った”駄々っ子的”な感じしか受けないのは自分だけかな?

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2010年4月 4日 (日)

花に囲まれて

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あちこちで桜が満開になり花見が行われているとテレビは言う。昨日のような真っ青な晴天も良いが、穏やかなうす曇の中の桜も、結構のどかで良い。

天を蓋するような桜並木、キランソウの別名が地獄の釜の蓋なら、隙間なく頭上を覆っている桜はさしづめ天国の蓋といっても良いのでは、、、

八重に重なる満開の桜の花、その上をはぐって見るとのんびりしてしまって、間の抜けたような顔をした天国の人々が下界を見下ろしているのかも、、、、、、なんて、小父さん的駄洒落を考えて上を仰いでいゆっくりと歩く。

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そのとき、「花に囲まれて子育て」という最高の環境を予想していたかどうかは分からないが、桜の木の枝に大きな巣をかけているカラスを見つけた。

一番下に針金製のハンガーを置き、最上部に見える黒い尾羽は誰が見てもカラス以外にない。頭隠して尻隠さずのたとえ通りだが、尾羽は微動だにしない。

最初は空の巣かも知れないと思ったりもしたのだが、あまり見つめらている視線を感じて動揺したのかこの尻尾はスッと消えた。

「カラスなぜ鳴くの、、、、」雛が孵るころには葉桜になることと思うが、人間なら「お前の生まれた家は、それはそれは綺麗なところで、母さんは花に囲まれ安らかにお前たちを温めていたよ」って、、、そんなこと、言わないよな!

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2010年4月 3日 (土)

花の絨毯踏みしだき

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昨日と打って変わってすっきりとした青空が広がれば気分もうきうきとしてくる。

今日は土曜日、兼業農家も畑や田んぼに出て農作業を始めたようで、あちこちで耕運機の低いタンタンタンといった感じの音が軽やかに聞こえてくる。

先日まで、一面の蓮華畑にも、、、、花の絨毯を踏みしだいて歩く姿は勿体ないような、、、、、

そのうち、耕運機がトラクターに変れば、土を踏みしめての農作業もなくなり、少なくなった蓮華とともに、むかし懐かしい春の風物詩となるのだろうな。

また春が一段と深くなる。

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2010年4月 2日 (金)

ひょっとしてエイプリールフール?

003 .色あざかなえんどう豆、しべを守らんとうつむいている

昨夜来の激しい雨風の中、先々月から予約を入れていた歯医者に行くため傘をさして向ったところずぶ濡れになってしまった。今朝ほどのテレビの運勢欄では「今日最も運の悪い人の星座は射手座です」と言うのが当たったなと思いながら、、、。

そうした中、近所のスーパーの駐車場入り口でプラカードを持って立っている二人を見た。

持っているプラカードには、「○○高校の入学式に行かれる方の駐車はおことわりします」と書かれている。

この雨風の中、駐車拒否に二人も立たせるのは人件費はもとより、近い将来、立ち寄って買い物をするお客になるかもしれない人に悪感情をもたせるだろうことは予想でき、あまりにも静岡的近視眼のように思えた。

もっとも、静岡人の常識ではそうは思わないかもしれないし、ここに来るまでに自分は横殴りの雨風でずぶ濡れになっているのだから、ここで降りたら学校の門まで行く間に同じような状態になっているので、、、、、、

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今日の新聞を見て驚いた。自民党が自党の参議院議員の若林氏に辞職勧告を出したと言う記事があった。

議会少数党の自民党なのに、ひょっとして一日遅れの”エイプリールフール”?

中味を読んでみると、隣の席の退場中の議員の投票ボタンを10回にわたって押したと言う。どうしてこんなすぐに分かる行動に出たのだろうか。

当の本人は「魔がさしたとしか思えない」と言っていたが、一票を争う事態なので切羽詰って、と言うものでもなく、どう見ても惚けていたとしか思えない。

若林氏と言えば、安部内閣時に立て続けに不祥事で辞めた農林大臣のつなぎに起用され、麻生退陣の時には臨時党首まで勤めたほどの人だったが、この時もひょっとしたら退席議員のつなぎ役になったような気分になったのだろうか。

押しボタン方式は衆議院にはないそうで、”良識の府”として、いたずらに投票を引き伸ばす牛歩戦術をなくそうと言う発想から出来たとも聞くが、こんなことを想定していなかったので罰則もなかったとか、、、、

とにかく、今期限りの議員だし、あとは高額年金で悠々自適の生活が待っているだけの緊張感のなさがしたのか、恍惚の境地に入ってしまったのか。

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2010年4月 1日 (木)

そぼ降る雨に

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そぼ降る春雨

以前は花びらを閉じていた菜の花もたくましくなり、

水滴をまといつかせたまま花びらを閉じようともしない。

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今日から新年度 いくつもの新しいきまりが出来た

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