むかしの光いまいずこ(望月城址)
翁草。野生では珍しい花のうちになってしまった。
細かい毛に囲まれて下向きの蕾を伸ばした後、臙脂色の花を咲かせる。
名前の由来は、全体が毛に覆われているためか、それとも、種がチングルマのように細い毛を伸ばしているためらしいのだが、万葉集では”根っこ草”と詠われていると聞くと何時のころからこのような名前になったのか、、、。
とにかく珍しい花なので見惚れてしまった。ちなみに花言葉は「清純な恋」「背徳の恋」と反対言葉が並んでいるうえ、”翁”とは全然違う印象である。
(ちなみになみに、子供のころ流行った歌に#わたしや十六 満州むすめ 春よ三月雪解けに インチュンホーワ(迎春花)が 咲いたなら、お嫁に行きます隣村 ワン(王)さん 待っててちょうだいな、、、、と、言うのがあった。ここで歌われているインチュンホーワが翁草のことだとつい先ほど知ったが、この歌を知っている人はいないと思うので本当に蛇足)
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静岡の望月さんが先祖の地として、長野県の望月町に行ったというのを新聞記事で見たことがある。
今月二十七日の朝、散歩をかねて望月城址へ登ってみた。この城跡はこれで五回目くらいになるのだろうか、たびたび登ってはいるのだが、今回は、下から見ると桜の淡い花の色が帯のように取り巻いているのに釣られて、、、。
望月城は、中仙道望月の宿を見下ろす位置に本丸を築き、後ろには御牧原を控えて勢力を張っていた一族で、木曽義仲に寄り騎して京にも上ったことが記されている。
その一族は、鎌倉幕府につかえ、戦国時代には村上氏や武田氏の争い、そして越後の上杉との争いに翻弄され、最終的には織田勢との戦いで滅びてしまったとされている。
そのためか、望月町には望月の姓を名乗る人はいない。なぜ、静岡市内に何千人もの子孫が残っているのかこれも不思議、、、。
さて、朝の六時前、旧中仙道のすぐ傍に住む義妹の家を出て、本丸真下の城光院脇に立てられた「ウサギさん10分カメさん30分」という標識の脇から登り出した。
むかしはこの城を巡っての戦いがあったそうだから、この道を登った武士もいたのだろうか?。などと考えながら広葉樹林の明るい山道の落ち葉を踏みしめながら登る。
中腹から上は展望のためか木が間引きしたように切り倒され、桜が道沿いに花を咲かせていた。
朝飯前のことであり、ゆっくりと、しかしカメさんよりは早く頂上につく。本丸址には標識が立っているだけで人手がほとんど入っていない。しかし、観光地化されて鉄筋コンクリートの天守閣が建っているより、いかにも戦国の時代に滅びた城という雰囲気があって好ましく感じた。
朝まだ来の城址にたって、電灯がポツンポツンと残る町を見下ろしていると、そのむかし、この城で酒酌み交わしてさんざめいた音が聞こえてくるような気がし、荒城の月の情景がうかびあがる。
帰りは、中仙道瓜生坂の道を取って返す。
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