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2010年5月31日 (月)

満天星

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サラサドウダンツツジ、漢字で書くと「更紗灯台躑躅」とも「更紗満天星」とも書くというが、見上げた木の枝一杯に黄色い地に赤い筋の入った釣鐘型の花が一斉に咲いているさまは、満天星のほうが似合っていると思う。

ドウダンツツジは清楚な白さが売り物なら、この花はさだめし裾模様の入った  柄物のスカートといったところか。

雌しべが足だとすると、床を引きずるくらいのロングスカートとも取れるが、色合いから言えば膝がくれるくらい、、、なんて想像をさせてしまう。

いずれにしろ、花の直径は5mmほどの可愛らしい花である。

今日は、退屈しのぎに富士宮の小田貫湿原から陣場の滝を見、山越えで下部温泉を回ってきた。

P1010055 このドウダンツツジは、小田貫湿原に咲いていたもので、すぐ傍には一回り小さいながら、もっと色の濃い”秩父満天星”も咲いている。

以前は、ドウダンツツジの変り種くらいに思っていたものだが、別名があると知って驚いている。植物学者は何でも見ているもので、なかなか新種発見は出来ないようだ。

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今日は、「国際禁煙デー」だ、と言っていた。それかあらぬか、インドネシアで二歳になる幼児が一日に煙草を20本も吸っているとして、テレビで放映していたが、その顔つき、煙草を吸う態度はとても二歳には見えず、テレビ局の”ヤラセ”ではないのかと思ってみた。

「禁煙」   

煙草を吸う人にとってはかなり難しいことらしい。しかし、最近のように「嫌煙権」なる言葉が出来てから、煙草を吸う人はますます肩身が狭い世の中になってきて、人の集まる場所はもとより、家庭内でも家の中では吸わせてもらえない「蛍族」まででている。

昭和50年くらいまでは、煙草は大人の象徴であり、男なら吸うのが当たり前。仕事中の中休みも「一服するか」というくらいであり、自分のように若いうちにやめてしまったものは、この一服の時間の間が取れず、よく、煙草一本を吸い終わり、次の煙草を出して火をつけようとするころに腰を上げるので、「あの親方は、、、」と陰口を叩かれていたそうだ。

ともあれ、止めようとして止めた禁煙ではないので、いまだに喫煙者には理解のない爺さんである。

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2010年5月30日 (日)

荒法師が勢揃い

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山法師の花が咲き出した。

同じ仲間で街路樹などに使われるアメリカミズキに良く似た花を咲かせるが、開花に時期が一ヶ月ほど遅い上、実の形が全然違う。

名前の由来は、平安時代に活躍した僧兵を思わせる花の格好から付けられたもので、白河法皇が自分の意のままにならないのは加茂川の水と双六の目と僧兵だといったそうだが、写真のように荒法師がこれだけ勢揃いすれば何びともそう思うような雰囲気がある。

自分たちはこの樹のことを、”イツキ”と呼び、夏休みころの美味しい山のおやつとしてこの樹に登って、熟れて赤くなった実を食べたものだった。

イツキは多分水木の誤りだったのかと思うが、中味が黄色くて柔らかい感じは、マンゴーを思わせるものがあった。

最近では、誰も食べるものがいないので、時々味わっているが懐かしい味はいまも子供のころを思い出させるものがある。

046 左の写真は昨年八月に写した山法師の実。子供のころはこんなになるまで放っておかれることもなかったが、いまでは、誰も採る人もなく、自分だけの木の実という感がある。

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2010年5月29日 (土)

泰山木の花咲いて

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泰山木の花が強い香りを風に乗せて満開を告げてきた。

直径25センチにもなるかと言う真っ白い大きな花は、枝先に先端にあって空に向かって開ききっている。

木蓮科に属するだけあって朴の木の花に最も似ていて、本家木蓮や辛夷などと同じような白さと、傷つきやすい花びらをしているので、無傷の花の見ごろは短い。

泰山木は19世紀になって北アメリカから入ってきた植物だが、その名前の由来は花の容や大きくて固い葉、そして、こんもりとした大木の形から付けられたと言う説もある。

泰山とは中国の道教の聖地の一つで、国家の統一を天の神に報告する「封禅の儀式」が行われる山で、祭られている神は病気、寿命、死後の世界など、人の全般にかかわる神であり、秦の始皇帝もここを訪れて儀式を行なったそうだし、それ以降でも武帝、光武帝、高宗、玄宗など十数人が行っている。

その山の名を冠した木と言うことになると、なんだか尊い木とい気がし、漂ってくる匂いも有り難くなってしまう。

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鳩山総理が普天間の基地移動に関して、成果のないまま自民党が合意していた内容に戻ったことで、大騒ぎになっているが、ここに到った経緯の中で言わでもがなのことを話しすぎた。

おかげで、彼の資質、人格にまでかなり傷がついたことと思う。

「大山鳴動して鼠一匹」と言うことわざがあるが、定めし社民党はそのうちの鼠だったのか。しかし、信念を貫いたのは当然と言えばそれまでだが、、、、

なにせ、ここで内閣に残って署名したのでは、村山内閣の自衛隊承認のときのように支持者に愛想をつかれるところだった。

そして、泰山が鳴動した後遺症は今後どんな形になって現れるのか、崩れることのないようにだけはして欲しいのだが、、、、。

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今日は久しぶりに孫たちを呼び、夕食のご馳走をする。じいじは嬉しくて、普段の3倍もビールを飲み、、、、浮かれている。

泰山木。名前の由来に、大盃木から来たと言う説もあって、花の形を盃に見立ててつけたという。となれば、今夜の大酒は大盃のビールと言うことになるか、、、。

と、いっても、よく飲んで1,5リットルほど、むかしに比べれば物の数ではないのだが、、、

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2010年5月28日 (金)

据え膳食わぬは

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麻機沼の流通依りの一角に金鶏菊(キンケイギク)がかたまって咲いている。

遊水地の堤防工事の際、昼咲月見草などとともに種を蒔いたためらしい。この花の中で、モンシロチョウがお尻をあげて雄を誘っているのだが、雄のほうは自分が気になるのか、雌の傍には寄るのだがなかなか成立しない。

そのむかし、「据え膳食わぬは男の恥」と言う言葉があった。

ごく最近まで、女性のほうから、今風で言う”告白”は恥ずかしいものとされた時代にはごく稀な話なので、こんな言葉が出来たのだろう。

しかし、最近になって何事にも消極的な男性が増え、草食系男子などと言う言葉が出来たころから、女性が積極的に出なければ、まとまる話も、まとまらなくなったのが原因で、据え膳食わぬは、、死語の仲間になってしまった。

蝶々ばかりでなく、動物の世界では雄が綺麗な色や飾りを付けることで雌の気に入れられるようにするのが一般的だから、日本人もそちらのほうに近づいたと言うことになるのだろうか。

025 花蜘蛛にご用心

何時までも、蝶々の邪魔をしては悪いと思い少し移動して、別の金鶏菊に目をやると、花蜘蛛が花びらの中に同化するようにして隠れているのを見つけた。

この蜘蛛は花に近づいてきた昆虫に飛びかかって捕まえる種類で、ほかの蜘蛛のように巣を作らない。

美味しいご馳走には毒がある。と言ったところか、、、。これではうかうかと恋におぼれているわけには行かないのだろうな。

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2010年5月27日 (木)

三日見ぬ間の田んぼかな

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二~三日行かなかっただけで、麻機の田んぼが一変していた。

いつの間にか代掻きの終えた田んぼがあちこちにあって、一面、水が張っていた。まさに「三日見ぬ間の田んぼかな」と言ったところ。

むかし、鍬や鋤で耕していた時代なら大勢の人が田んぼに入り、徐々に変わるのだろうが、トラクターで耕す最近ではあっという間に変わってしまう。蛙や鷺たちもきっとビックリしているに違いない。

今日の上空は、青空の多い晴天。綿みたいな雲が西南の空から千切れるように流れてきて、北東の竜爪をはじめとする山の上の空に積み重なるようの溜まっていく。

その雲を、池のようになった田の水が映し出す。

018 足元の水路には、何処からともなく集まってきたアメンボウが幾匹もいる。彼らは羽根のある昆虫なので空を飛んで移動するそうだが、水の上では表面張力を利用して滑るように移動する。

しかし、その影から見ると細い足先は、ただ細いだけでなく何かの仕掛けを持って水面を丸く凹ましているのが分かる。

仕掛けは顕微鏡で見れば分かるのだろうがそこまではする積りはなく、想像でわかった積りになっておこう。

越中八尾のおわらに#浮いたか瓢箪かるそに流れる 行く先きゃ知らねど あの身になりたや”と言う囃し文句があるが、風に吹かれるようにして、あちこち脈略のない移動ぶりを見ていると、空を飛べて水の上を走る、空水両用のその生き方、羨ましい限りである。

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2010年5月26日 (水)

白い追憶

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八重咲きのどくだみ、あるとは聞いていたが見たのは初めて。

バイパス高架下の斜面に幾つも咲いていたのだが、一本目を見たときには「狂い咲き?」かと思っていた、しかし、次々と見つけていくうちに、まさか園芸品種?と疑ってしまった。

006a 実際に、この白い部分は花びらでなく苞なのだが、どうしてこんな形になったのだろうか。

どくだみは、臭いの独特さから嫌われてきたが、その花の清楚と言った感じの白さは別だったようで、花言葉も「白い追憶」というのがある。

どくだみは漢字で書く、”毒矯”とか”毒痛み”などほかにもあるようだが、民間薬としては先日書いた”ユキノシタ”同様”火傷”や”できもの”には抜群の効果があり、いつでも使えるように、生えている場所は何箇所かインプットされていた。

そして、花言葉同様、どくだみは「幼い日の追憶」にも結びつく、、、、。

花を別にすれば、葉の形、色も変わりないことから薬として効果は変わりないのだろうが、掘って持ち帰るにはためらいがあった。

「やはり野に置け蓮華草」ではないが、、、。

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昨日で終わった事業仕分けの中で仕分け人が、空港の需要予測が大きく間違っていた問題で「多大な国費を使っている中でゴメンナサイで済む問題ではない」と言っていたが、まったくその通りだと思う。

今日NHKの”クローズアップ現代”でも全国55ある地方空港のうちほとんどが赤字であり、近い将来、自治体が維持管理できずに廃港せざるを得ない空港がある。と言っていた。

ご多分にもれず、昨年出来たばかりの静岡空港も、3億円以上の赤字を出しており、原因は需要予測が大きく外れていることにある。

西は豊橋、東は厚木、北は山梨から飛行機に乗る人が来ると言う予測は、初めから間違いであると分かっていた。それにもかかわらず、その数字を元に計算した人たちは何を考えていたのだろうか。

そのときの知事以下、かかわった人たちの責任はどうなるのか、、、。

昨日の裁判で、名古屋刑務所で受刑者が看守たちに殺された事件の補償請求に看守や刑務所長へ対する請求は棄却され、国の賠償だけで終わったが、こういう判決は間違っていると思う。

お役所の人は責任を取らなければならないと言う自覚の元に行政に当たってもらうのが当然で、分かっていて犯した過ちは償わなければならない。

国の賠償は我々の税金だと言うことを忘れてもらっては困る。

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2010年5月25日 (火)

柳の綿毛舞い飛ぶなかで

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006_2 穏やかな日差しの中、「まってました」とばかりに柳が綿毛を散らしている。

明日は天気が悪くなると言うことを知ってか知らずか   今日のうちに飛ばしてしまえと言わんばかりに、、、、、

風がごくゆるやかなため、綿毛はゆっくりゆっくりと東のほうに流れていくのだが、上下に舞い、左右に流れる。

そして、東屋に座って話をしている人たちの脇を流れ、あるいはテーブルの上をすべる。

漢詩の世界ではこれを柳架(りゅうじょ)と言い、風物詩の一つだ。と習らったことがあ。

すぐ傍で、オオヨシキリが”クイックイッ ジュルジュルジュー”と複雑な鳴き声を立てているが姿を見せようとしない。今年はまだ写していないので何とかしたいと思っているが、一向に正体不明のまま、、、。

こうなったら持久戦しかないと、テーブルの片隅に座らせてもらって話の輪の中に入れてもらい、ヨシキリの油断を見透かすことにした。

相席はいずれも少し年上で生粋の静岡人ばかり、「この辺りのことは何でも知っているのでしょう」と水を向けて話を聞く。

「この辺りは、開墾で一面田んぼだったよ」とか「子供病院辺りは小山が有り、それを削って敷地を造ったから地盤はいいはずだよ」など、、、そして、中の一人が静岡商業高校が春の選抜高校野球の優勝時のメンバーだったのを明かし、その時の話しを聞かせてもらった。

Img_0001                  昭和27年。これ紅顔の美(?)少年もはや75歳。他の人たちは、何度も聞いていたらしく、、、、で、この話しは長くなるのでのちほど、、、、。

オオヨシキリの方は、しばらく、此方の様子を窺っていたようにも取れるが、無害とわかったらしく枯れた葦の穂先に登ってきて縄張り宣言を始めた。

この近くには、少なくても三羽の雄がいるらしく鳴き声合戦には負けていられなかったのだろう。

オオヨシキリは、一夫多妻だと聞くが、自分の姿を見せ、鳴き声で伴侶を手に入れるには少しばかりの危険も覚悟のうち、と言った様子で声張り上げた。

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2010年5月24日 (月)

ブーメラン ブーメラン

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昨夜から断続的に激しく降り続く雨は、田起こしをした田んぼを池のように変え代掻きをアマガエルとともに待っている。

今年の田植えは、例年に比べて遅いような気がするが、気候のためだけなのだろうか。先日行った豊田市ではほとんどの田んぼで田植えが済ませてあったのだが、、、、。

Img_0056w Img_0048w                     八つ当たり気味に激しく降る雨は、咲き出したばかりの紫陽花をたたき、ゼニアオイを揺らす。

もうすぐ入る梅雨の予行演習をするかのように、、。

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西条秀樹が、昭和54年に歌った”ブーメラン ブーメラン ブーメラン きっとあなたは戻ってくるだろう”で始まる歌の中に 「がきっ!と小指をかんで 痛いでしょう痛いでしょう 忘れないでしょう、、、」という部分があった。

いまの、沖縄基地移転問題はまさにそんな歌を思い出させるものがある。あちこちと代替地を探し回った挙句「アメリカとの同盟が一番大事」と言う理屈に合わない名目でで元に戻ってしまった。

明治維新は、長く続いた徳川幕藩体制をかえて、近代日本の基礎を作り、昭和二十年の敗戦は曲がりなりにも日本を民主国家にした。

そして、戦後六十年余に渡ってのほとんどを自民党政権の下で復興と繁栄をして来た日本だったが、明治以来の官僚に支配されその弊害が極限に達したと見て、国民はようやく自民党を捨てた。

そして、新たに民主党に政権をゆだねたが、清新さを期待されたはずなのに、いきなり政治資金問題で蹴躓いた格好になり、その後、普天間の基地問題で右往左往一貫性のない結論に達したようだ。

明治維新も占領下の日本も素直にすっきりと改革できたものではなく、いずれも10年ほど後遺症が残っていたことを考えると、半年やそこらでは成果も出せないのだが、テンポがだんだん速くなる現代ではなかなか長い目で見てはくれない。

いまここで、自民党に政権を戻せば、仕分け作業で洗い出された官僚たちの好き勝手のし放題はまた闇に隠れてしまうことになる。

ここは、嫌だけれどマスコミの思惑に乗らないで、政治全体をブーメラン現象だけにはしてはならないだろう。と、思っているのは自分だけだろうか。

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2010年5月23日 (日)

雨の日は、、、

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”雨景色”  遠くの山が霧とも雲とつかぬものに包まれて裾のほうから上に行くに従い薄れ、、、見えなくなる。

雨音は聞こえないが水面には小さな輪が幾つも絶えることなく、出来ては消えていく、、、。

015 今日も雛を連れたカルガモが裏の川を連れ歩いていたが、母親の後を「待って~」とばかりに追いすがるのに、見向きもせず進んでいく。

小さいうちから、このくらいの雨なぞ屁とも思わない体力と気力がなければ、厳しい自然界で生き延びていくわけにはいかない。と言うことを知らしめているようにも見える。

カラスや猫などの天敵と闘い、あるいは目を逃れ、大事に育てた雛なのだが「去年まで人間の保護下でぬくぬくと産卵していた朱鷺とは違うぞ」と言わんばかりに、、、。

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真っ白に咲くカラーの仏炎苞にたまる滴がときおり、中に滑り落ちる。見慣れたはずの光景が、予想できる景色ながら飽きもせず濡れ縁に座って眺める。

この花の名前の由来は、黄色い花の周りを包む仏炎苞が首の周りに巻いていた白い装飾品に由来し、カラーとは襟首のことを言う。

キリスト教に尼僧がしていたことから、花言葉も「乙女のしとやかさ」と言うそうだが、我々の学校時代も学生服の襟の内側にセルロイドで出来た白い帯状のものを付けていた。

これが、結構厄介者で、暑くなると汗がついてべたべたし、顎や首筋に当たってヒリヒリしなどで、普段は付けないようにしていたが、先生に見つかると注意されるはで、、、、良い印象はなかったな~

雨の日は、手持ち無沙汰で雑念に惑わされる。

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2010年5月22日 (土)

聞けども見えず

029x 清水の山間部を流れる興津川は、先日の鮎解禁で釣り人が沢山川に入って釣りをしている。

その脇で、河鹿が綺麗な声で鳴いているのを、どれだけの人が知っているのだろうか。

「心此処に有らざれば、見えども見えず 聞けども聞こえず 食らえどもその味を知らず」という言葉があるが、一つことに熱中すれば、他のことなど一切関知してないように見える。

「ピロロロー」と、一見鳥と間違えるような鳴き声は、渓流の瀬音にかき消されることなく響く、あんな小さな身体の何処にそんな共鳴器を忍ばせているの不思議である。

019 体長5センチほど、蛙の中でもそんなに大きくない部類に入り、岩に合わせて体色を変化させているため、声は聞けども姿は見せず、、「おぬしは何処の誰やらぞ」といった雰囲気。

ようやく探し当てるが、今度は向こうが此方の気配を察知して鳴くのをやめる。しかし、繁殖期のことでもあり、縄張りを主張しぎりぎりまで水しぶきが懸かる石の上を離れようとしない。

昨日に続き、今日も暑い日が続く、清水西里の川辺で足を浸し涼を求める人多数あり、、、、、

自分もその中に入り河鹿の次の鳴き声を求めれば、上流ではしゃぐ子供の声も次第に遠く耳から遠ざかり、睡魔が忍び寄って瞼を下げる、、、、心地よいことこの上もなし、、、、

      これぞ極楽ごくらく

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2010年5月21日 (金)

不動の滝で何とかシャワー

025a 午後になって、ぎりぎりだったが、気温が三十度になってしまった。またあの暑い夏が到来したのだ。

空が晴れており、空気も乾燥していたので、昨日のじめじめとした暑さよりは良かったが、まだ、身体のほうが慣れていない。

この暑さをしのぐには、散歩を兼ねて涼しいとこへ、とばかりに滝を見に行くことにした。

安倍川沿いの牛妻から西に入り、途中の広くなった道脇に車を止めた。滝見だけなら、もっと上流に四台ほど止められる駐車場があるのだが、そこからだと歩いて10分足らずで着いてしまうため、あえて、集落の入り口に止めて歩く。

最後の、駐車場からは川沿いの山道になり、ほの暗い谷沿いの杉林を歩けば「不動の滝」正面に出る。

026a 落差15mに満たない小さな滝だが、狭く暗い山あいに見せるその姿は以外に大きく高く見える。

昨日までの雨もあってか、今日の水量はいつもより多く、音にも重量感があって、いかにも滝と言う感じをさせながら落下している。

ちょうど、落ち口に日が差し込み、水が玉になって散らばり、自分の周りにミストとなってまとわりつく。

ここに来るまでかいた汗も、滝が落ちてくる風に吹かれ、心地よくなり傍のお堂で一休み。

フィットンチットだの、何とかシャワーだのを沢山浴びて帰ってきたが、家に着いた途端「元の木阿弥」

「暑いね」の連発。

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2010年5月20日 (木)

庭先ごめん と

021庭先を御免なさい」ととばかりにカルガモの脇を急ぎ足で通り過ぎる亜麻鷺

雨降りなのに気温が高く、湿気が高い一日で、まるで梅雨に入ったような錯覚をするなか、亜麻鷺が田んぼに戻ってきていた。

亜麻鷺は、暖かい静岡のことだから、冬場もいるのだろうが、繁殖期に生えてくる亜麻色の毛が冬場にはないので、コサギと間違えているのかもしれない。

020qひだり、衣替えが遅れた仲間と田んぼで餌探し

冬場の亜麻鷺と小鷺の区別は、口ばしが黄色いままか黒いの違い。足元が黒いか黄色いの違いが一番分かりやすいのだが、なにせ鷺類は人を近づけないので、遠目の利かない自分にはなかなか判定できなかった。

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012 人間お衣替えは、六月からなので夏服には少し早いが、亜麻鷺のほうはほとんどが発情期の婚姻色に着替えているなか、衣換えの済まない亜麻鷺が一羽、それでもみんなと一緒で無いことを気にする風でもなく、あちこちの田んぼを飛び回っている。

先日来、同じところに一羽のカルガモが座り込んでいる場所(多分卵を抱いていると見ているのだが、、、)もかまわず庭先荒らしのように徘徊する。

迷惑そうな、カルガモの顔を見て、、、、、、、、、なに思う。

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2010年5月19日 (水)

やんちゃざかりの雛を見て

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しっとりとした雨降る一日。

久しぶりのお湿りに、少し萎れかかっていた草花も息を吹き返したように、艶々とした色合いを見せていた。

今年は、雨が多かったせいか、少しの日照りにも生気をなくしてしまうような気がする。日照りに対抗するには葉が柔らかすぎるのだろうか。

004a そうしたなか、栴檀の花の薄紫が日増しに濃くなってきた。

五枚の大きく開いた花弁の真ん中にひときわ大きく突き出した雄しべ、茎のような花序が吹く座に入り混じって趣きをかもしている。

少し離れてみれば、全体がもやっとした感じの藤色のかたまりで、晴れていればアゲハチョウの群れを見ることもある。

「栴檀は双葉より芳し」はこの木でなく白檀だといわれれば、何処でどう間違って伝えられたのか、、、いずれにしろ、暖地性の植物なので静岡に来て始めてみた木の一つである。

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014 今年初めてのカルガモの雛をみた。

育ち具合から言って、孵って一週間以上はたっているようで、ふわふわの産毛を脱ぎ捨てたころに見える。

人間で言えば、保育園くらいの年頃と言ったところか、やんちゃ盛りで、怖いもの知らずで好き勝手に走り回れば、親もまとめるのに苦労している様子が見て取れる。

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2010年5月18日 (火)

行雲流水

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スイカズラの花が石垣に張り付いたように咲いている。

012 咲き出しが真っ白い花だが、次第に黄色くなってくることから、中国ではめでたく”金銀花”と名付けているそうだが、アメリカではその繁殖力の強さから、要注意植物に指定されており、植物もお国によって扱いが違う。

スイカズラは漢字で書くと「吸蔓と書くが、これは花の根元を吸うと蜜が出ることから名付けたようで、別名の「忍冬」は冬になっても完全に落葉せず変色しながらも冬を越すことから、付けられた名前で主に漢方薬のほうで使われる。

蕾から花開くときは、花弁が上下に分かれるように開くため唇にたとえる向きもあり、雄しべがつけまつげのように花の外に飛び出し甘い匂いで虫を誘うさまなどから艶っぽい花と見られている。

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010 竜爪山の上を走る雲 兎か犬か はたまた、、、、

四字熟語に良く使われる漢字のひとつとして、「行雲流水」というのがある。

意味としては、「空行く雲も流れる水も一時として同じ状態ではなく、雲の表情は次から次へと風に流されて変わり、湧いては消え 消えては生ずを繰り返す。水の流れも、同様で一瞬たりとも同じようには流れないことから、人生に見立てて世の無常を感じさせることを言う。」

今日、バイパス上の草っ原に、静岡に多い姓の一つである杉山さんと座り、下を走る自動車を見降ろし、晴天続きで霞む空の下、おぼろに立つ富士の山を見ながら、四方山話にふけった。

先日刈ったばかりという草の匂いは、夏草の草いきれでなく香ばしく、夏の猛々しい入道雲は今日は無い。穏やかな陽気に誘われて、山の上には綿のような雲がゆっくりと流れる。

その雲を見ながら子どものころ、草っ原に寝転んで雲の形を何かに似ていると言い合ったことがあったのを思い出し、その話をした。

同じような年頃だけに、杉山さんもそういう経験があったというが、最近では想像力の欠如と言うのか、発想力がなくなったというのか、、、、。

雲を見ても、明日の天気は想像しても、雲の形を気にすることがなくなったな、といいながら、「あれは何に見えるかな?」ということになったが、適切な雲は現れない。

年寄りがふたりで雲を興じる。無念無想の世界は禅に通じると言うが、これも”行雲流水”。

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2010年5月17日 (月)

”えぐい”

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エゴノキの花が一斉に咲き出した。

030 エゴノキは白い花が主流だが、この花のように薄く色づいたのも綺麗で、目の高さから上の花は、太陽の光を透してピンクに輝いている。

名前の由来は、鈴のような格好をした実を食べると”えぐい”(いがらっぽい)ことから来ているという。

あまり美味そうな実では無いので、なんでも口にする自分も食べたことは無いが、その毒性は川の中に木の汁を流すと魚が浮くと聞いて、むかし、やってみたことがあるが、小魚一匹浮かんでこなかった。

「綺麗な花には毒(棘)がある」というが、この程度の毒はほんのご愛嬌。といったところか。

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このごろ、ワイドショーをちっとも見たいと思わなくなった。

毎日まいにち、同じ内容のことばかりの繰り返しが続いて、、、ついには、テレビを消してしまう。

社会に関心がなくなると、うつ病になると聞いていたが、(ひょっとしてその逆だったか、、)その傾向が出てきたのだろうか。と心配になる。

沖縄の基地の問題にしても、小沢献金の問題にしても、、、ましてや、芸能人の結婚問題なんかは「尻食らえ 孫一」といったところ。

マスコミは、この国の行く末をどうしたいのか知らないが、、、(そんなことはこれぽっちも考えていないか。)

政治の裏話、揚げ足取りに終始して、国民を政治不信に仕立て上げようとしているだけのように見える。

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2010年5月16日 (日)

爺ばかちゃんりん そば屋の風鈴

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野ばら麻機の放棄された田んぼ後に、野ばらの花が密集して島のようにあちこちを白い花で飾っている。

先年まで稲の生い茂った美田が瞬く間に、葦と野ばらなどにうめつくされ、開墾前の状況に戻されていく。改めて野生植物の力強さ、凄まじさを認識させられるものがある。

道脇の、集団の傍を通ると微かではあるが、ばらの花の匂いがただよう。

「わらべは見たり/ 野中のばら、、、」が有名だが、このほかにも野ばらを歌った歌がいくつもあり、野生の花としては歌の多い花である。

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Q .打った打球は高く高く、審判とキャッチャーは行方を見守る

一番下の孫がソフトボールの試合に出るので、応援を兼ねて見に来てくれないか、と、前々から誘いを受けていた。

昼すぎて、「午後の試合は先発のピッチャで、これから試合が始まるよ」と電話で連絡があり、近所の小学校に駆けつけた。

「あの子がピッチャーね」と思いながら到着すると、すでに試合が始まっており、孫の晴れ姿を見ることが出来た。

身体が、平均には少し足りないくらいだとは、昨年までの運動会を見てもわかっていたし、一昨年までは水泳だ、陸上競技だとは言っていたが、野球やソフトボールは一切やっていなかったはずである。

028q それが、力いっぱい投げて守っている姿を見ると、普段の生活から想像できないほどしっかりとしてきている。

応援席の親に聞けば、出塁率八割以上というから、良くぞここまで監督が指導したものだと感心する。

ただ、少年スポーツの監督は何処でも試合中に、競技中のミスを口汚く怒鳴るのは静岡だけのことなのだろうか。

自分の娘のときもやはりそんな監督だったので不愉快な思いをしたことがある。

練習のときはどうなのかも知らないが、プロ野球やサッカーの試合を見ていてもあそこまで監督が怒鳴っているのを中継放送では見ていない。

スポーツには、褒めて成長させるという方式は、なじまないのだろうか。

いずれにしろ、「親ばかちゃんりん、、」ならぬ「爺ばかちゃんりん 蕎麦屋の風鈴」を絵に描いたよう、、、、。

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2010年5月15日 (土)

婆娑羅大名に似て

015 .朝日を浴び、胸を張って声たからかに雄たけびを上げる。

雉と言う鳥はかなりの艶福家で、一夫多妻だという。そして、その分極彩色の衣装を着て、目立たなくてはならないし、縄張りをしっかりと確保しておかねばならない。

まるで、太平記に出てくる婆娑羅(バサラ)大名見たいなところが気に入られたのか、日本の国鳥に指定されている。

029a 麦秋を迎えた麦畑、この中に幾羽もの雉がケンを競い合っている。

豊田市の郊外の麦畑。かなりの数の雄がいるらしく、あちこちで競い合うようにして声が聞こえる。

そのため、”ケンッケン!”と、鳴くときは、大きく羽根を広げ羽ばたくようにあおぐ。  そのさまを「雉の幌打ち」と人は言う。

022a 縄張り宣言のあと、悠々とねぐらに帰る

穂先を黄色く色づかせ始め、麦秋を迎えようとしている土手の上の雉、「早くしないと刈り入れが始まるよ」教えてあげたい。

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昨日は、三重県の津の大学付属病院に入院中の妹を見舞いに行って来たが、遅くなったので、豊田市の弟の家に泊まる。

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2010年5月13日 (木)

ほらほ~ら黄色いさくらんぼ

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初夏を代表する果物と言えば”さくらんぼ”真っ赤な艶々した実は果物の宝石とも言われ、一粒何百円もするとかで、とても口に入りそうもないし、もし口に入れたらもったいなくて噛むやしない。あんなに小さいものに良くそんなお金が出せるものだとつくづくおもってしまう。

やっぱりさくらんぼは、ポイポイと気軽に口に放り込めるのがよろしい。

それとは別に、近所の小さなさくらんぼも色づき始めた。

若いころ、「黄色いさくらんぼ」と言う歌が流行ったことがある。

若い娘は(うっふん) お色気ありそうで(うっふん) 

なさそうで(うっふん)ほらほ~ら黄色いさくらんぼ

このあと 摘まんでごらんよ(ワン) しゃぶってごらんよ(ツー)

と、つづくと、妄想をたくましくして、、、、、、、

いまでこそ、熟しても黄色いさくらんぼはあるらしいが、当時はそんなものはなく、黄色い=未熟者であり、若いものの象徴だった。

その後、幾人かのグループがリリースして歌ったもののオリジナルのスリーキャッツの軽快な歌い方を超えるものが無いと感じるのは、こちらが歳を取ったせいなのだろうか。

そんなことを思いながら、黄色いさくらんぼを抓んでみた。

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2010年5月12日 (水)

ユキノシタに見る祖母

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雪ノ下(ユキノシタ)が木漏れ日を浴びて咲き出した。

うえに赤い斑点のある三枚の花びらと下に長い八文字の白髭のような花びらを二枚、風をうけてひらひらさせながら咲いている。

007 幼児のころ、祖母の家の裏の石垣にびっしりと這っていたユキノシタが一斉に花開いたとき、ただ白一色と思っていたが、こんなに綺麗で可憐な花とは思っていなかった。

名前の由来は、冬の間中、雪を積もらせながらも、かき分ければそこにいつも緑の葉を広げていたことによると思っている。

ただ、家の裏の日も差さない薄暗い場所が花で真っ白になり、どうかすると水滴がポツンと顔や襟すじに当たると、なんだか不気味な感じがして怖いものがあった。

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そして、囲炉裏の縁で軽い火傷でもしようものなら、早速祖母がゴツイ手で、ユキノシタを取ってきて、葉っぱを火にかざして揉み、葉の裏を傷口に当て、ぼろ布を引き裂いた包帯で縛ってくれる。

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とたん、ヒリヒリとしていた火傷の痛みが薄れたのは、ユキノシタの葉の効果というより、祖母に対する信頼感、安心感から来たものだったような気がする。

六十余年前のホロホロッとした思い出!!

左の写真は、別の場所で写したものだが、よく見ると、上の花びらの斑点が黄色い色をしている。

種類が違うのか、生えている条件によるのか、判然としない。

いずれ謎が解けるまで急ぐまい。

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トヨタ自動車が二年ぶりに黒字経営になったそうだ。

そりゃそうだろうな。国を挙げて「新しい車を買えば自動車税の減税する。」と支援し、自動車道の通行割引にはエコカーは更に割引だと、購買意欲を盛り上げを推進している。いわば、経営努力というより国支援の追い風で、もうけているに過ぎないと見るは言いすぎだろうか。

事実、自動車購入減税の期限が3月に来たとき一斉に延長を申し入れして、購買意欲が冷え込まないようにした。

さらに、今年の自動車税を見て驚いた。10年以上前の車は割増税をかけるという処置に出た。まだ使える車をそんなにまでして買い替えさせようと、自動車産業の肩を持つ必要があるのだろうか。

COガス削減を錦の御旗にして、無駄遣いをさせる。COガスが本当に温暖化の原因なのか疑問を持つ論文もあると言う。地球の歴史を見れば、今以上に地球が暑くなったり寒くなった時期が沢山あることは、地質の勉強で習ったものだ。

それはさておき、新聞には「経費削減で、回復した」とあったが、もし、それが本当なら、また下請けいじめが一段と厳しくなったと裏読みが出来る。

家電製品も同様だが、一部の産業の大企業にだけ優遇する政策は、社会還元という面からして、金持ちは更に金持ちに貧乏人は更に、、、と言う世の中になるのだが、、、、これは、自民党政治の悪い面だけを受け継いでいるように見えて仕方が無い。

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2010年5月11日 (火)

ようやく見えたユリの木の花

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ようやくにして”ユリの木”の花を見ることが出来た。

008 県立総合病院の敷地に十本ほどが植えられているが、その花は、高い梢の上に咲き、色も薄緑をしているためなかなか目立たない。

冬枯れになって、高い木の先端にユリの花に似た実をつけているのを確認していたが、花の時期もよくわからない上、最近まで「背の高い木があるな、」と言う程度の認識しか無かったため気がつかなかった。

ヨーロッパでは、チューリップツリーと言われているそうで、間近で見られないためよくわからないが、、、、自分にはうえの写真から泰山木や朴の木の花に似ているように見うけられ、チューリプと言われると下の写真がそうかなという気もする。

しかし、ユリと言われると、どうなんだろうな。名付け親が高貴な人なのでいまさら変えられないか。

001 それはさておいて、遠目ながら綺麗な花のように見受けられ、天気がよくなるのを待ってもう一度写真に収めたいと思っている。

写真左、昨年暮れに見たユリの木の種

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夏の参院選に向けて、各党がそれぞれに知名度の高い人を候補者に擁立し、浮動票の取入れを図っている。

今までのところ名の知れた、スポーツ関係の人や俳優などのタレント関係が多く、知識人といわれる人はみえない。

もともと、良識の府と言われた参議院から、学識経験者や文化人、NPOなどで草の根運動をしてきた人が選ばれるのが本当だろうが、参院も政党化してから、ますます減る傾向にある。

いま話題の人たちは、いままで政治に対する発言を聞いたことがなく、どんな政治思想を持ち合わせているか知らないが、政党幹部にとっては「票を掘り起こしてくれる人」であり、「議員になったら、黙って指示通りに手を上げ下げしてくれる人」であれば良く、なまじっか思想や主張を持ってくれないほうが良い、と思っている節がありありと見て取れる。

「煽てられて出るほうも出るほうだ」と言う人も回りにはいる。しかし、試されているのは選挙する人のほうであり、ただ、有名人であるとか、爽やかそうだとかで投票するのは、政党指導者の思惑に嵌まっていることになる。

とは言うものの、政治屋にも入れたくないし。とくると、どうすりゃいいのさ、、、。

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2010年5月10日 (月)

数は力なり

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城北公園のナンジャモンジャの木が満開になったと聞いたのは四日前だった。

テレビで聞いたときは、そんな季節になったかと思いながら、花の下を陣取って宴を開いている人を避けながらの花見なんて、、、と、人出を嫌う自分には土日の花見は、なんとなく行きづらかった。

ナンジャモンジャの本名は、一つ葉田子(ヒトツバタゴ)と言い、名前のわからない木を総称して言ったそうで、この木の由来も殿様に聞かれてとっさに答えたとこから付けられたと言われているが、土地によってはアブラチャンなどにも付けられている。

午後にも雨が降りそうだとの予報もあって、今日行かなければと言う思いで行ってみた。毎年見てはいるのだが、「三日見ぬ間の桜」になってもなんだから、とばかりに散歩コースに入れた。

月曜日の午前はさすがにしっとりと落ち着いていて、無数の白い花で雪をかぶったような雰囲気の木が数十本。

005 一つ一つは小さくて、細い四枚の花弁を無数につけて、「数は力なり」と言わんばかりにその存在感を誇っている。

しかし、よく見ると木によってその白さが違い、例年より少しまばらなと言う感じがしないでもないが、今年の桜同様気候が落ち着いていれば長い期間の花見ができるのかなと言う気がしないでもない。

おりから、グラウンドにはどこかの小学校のみどりの帽子の六年生と黄色い帽子の一年生らしき児童が手をつなぎ入場してきた。

以前なら兄たちの友達、妹たちの友達と近所の友達、横のつながりは山ほどいたが、少子化の時代になってこんな絆の作り方をしなければならないようだ。

事実、うちの町内も高齢化社会の典型のようで、500所帯の町から今年の新入生は6人しかいなかったとか、、、自分らが子供のころ500所帯もあれば新入生は20人をくだらなかったものだったが、、、。

そして、アメリカからサンガー夫人と言う人が来て、産児制限を講演して回ったことがあるが、あれはまぼろしだったのだろうか。

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2010年5月 9日 (日)

振りに振られて掛川へ

1 .お客のいない園内をゆっくりと

知り合いが島田の「ばらの丘公園」に行きたいというので、自分が車の運転をして行くことにした。

ところが、行って見るとどの駐車場も満車状態で入れない上、スペースの空いている駐車場に入れたら、係員が飛んできて公園の駐車場ではないから駄目だと言う。朝から自分同様の者が何人書いて頭に来ていたらしくつっけんどんの物言い。

「ろくにばらの花が咲いてないじゃないか!」と捨て台詞を投げかけて、伊太に餃子が美味しい店があると言うので捜し歩いて行って見ると「本日は休業」看板あり、、、。

今日は付いていないみたいだね。この調子だと「振りに振られてフリフリ」ってことにならないかね。なんて軽口を言いながら、ついで、掛川まで行って見ようと足を伸ばし、「掛川花鳥園」に久しぶりに寄ってみた。

受付に行って、四人とも65歳以上でJAF会員の割引を使いたいと言って話すと、快く大まけに負けてくれて入場することが出来た。

いままで、この花鳥園には晩秋から冬の間に何回か来たことはあるものの、この時期は無かった。

入ってみると3年前に入ったときとは、趣きが変わった感じがし、通路の舗装も綺麗になって歩きやすかったが、少々鳥の糞の臭いが気になって中での食事はやめ外に出た。

そのあと、この花鳥園の発祥地でもある、加茂菖蒲園へ行って見たが、ここは花菖蒲がまだ咲かないとのことで開園しておらず、「中の花を見るだけなら無料で結構です」と言われ、無人の園内を散策して帰る。

本当に、あちこちを回ってきたものの、行きずりに入った店のトンカツが、主人の客あしらいの良さもあって美味しかったので今回の掛川は  

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2010年5月 8日 (土)

口ばしが黄色い

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「くちばしの黄色い者が何をほざく」とむかし言われたことがある。

「まだ尻が青いくせに」と良く似ているが、此方は小学生くらいの蒙古斑を残している子供に対して言うのに対して、”くちばしが黄色い”は二十歳前後。社会に出たての、若い衆に対して言うように思うがどうなんだろう。

もともとは、小鳥の雛が開けた口から出た言葉らしいが、小鳥の親にとってはこの黄色い口の色がたまらないらしい。

カッコウなどの卵を託卵された親が、自分より何倍も大きくなった雛を不思議と思わずせっせと餌を運ぶのは、この色ためだと聞いたことがある。

やっと先日まで、田んぼで餌をあさっていた雀たちも、いつの間に子育てをしていたのだろう。もう、巣立ちした雛を見つけた。

はぐれて一羽だけになったのか、それとも、巣から落ちたのか知らないが、口ばしの付け根を白くしたのが所在なさそうに震えている。

多分、近くに親鳥がいると思うが姿を現さない。

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それに比べて、ツバメのほうは人の住む場所に巣をかけて人なれしているのか、こちらが見ていても一向に平気な顔をして交互に餌運びをしている。

三月末に日本に渡って来たにしては、なんとも早い子育てである。越冬燕なのだろうか。それにしても四月末の寒い時期には虫も少なくて困ったことだろうに、、、、。

この調子では、二番子はもとより3番目の子まで作りそうな勢いである。

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この春、就職した孫が連休中に訪ねてきた。母親の軽自動車を運転して、、、。

一寸のことですっかり大人びてきた孫たちを前に、じいじは自分の就職したてのころの話を含めて、言わでもがなのお説教調の話をしてしまった。

ニコニコ顔で「また来るよ」って言い残して帰ったが、、、、さて次はいつくるのだろうか。

今度来るときは口ばしがどうなっているだろう。

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2010年5月 7日 (金)

白いタツナミソウ

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白いタツナミソウ。園芸種だとしたら珍しいものではないし、それとも、、、そうでないのかわからないが、この歳まで見たことが無いのだから珍しいものとしよう。

昨日、麻機の尾根道の脇の藪の中、シャガなど他の草の中に混じって咲いていた。園芸品種だとしたらこんなところになぜ種を蒔いたのだろうか。

名前の由来は、荒波の立つのに見立てて名付けられたそうだが、この白さはいかにも白波といったところ、ラッパ状の花の形は水中からスーッと伸び上がり花の先端のうつむき加減のとこは今にも崩れんとした波頭、、、。

念のため、葉を写して来て調べてみた。やはり、自然の中にもあるそうだ。

049karasu 今年は、白い花を良く見た。

白い蓮華の花や白いホトケノザに続いて、先日もやはり道端で白いカラスノエンドウと、特に探しているわけでもないのに、白いものに出会うのは何かの暗示だろうか。

年末になればそうだったのかと、思い当たるところがあるのかもしれない。

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2010年5月 6日 (木)

パラボラアンテナに似て

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麻機沼の堤防に今年も昼咲き月見草が花を咲かせている。

013 大きな花びらの真ん中には四本指のような雌しべを突出させて、いる様子はまさに、パラボラアンテナの輻射器のように見えるから不思議。

薄い桃色の花びらをはかなげに揺らしているが、外来種で生命力は強く、この辺りでは次第に勢力を伸ばしている。

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蛇嫌いの人は見ないで

突然目の前の道を土蛙が飛び出してきたかと思うと、その後を慕ってくちなわも草むらから飛び出してきた。

蛙が、道路のうえで三回跳ねて逃げたのが精一杯。すばやい動きは、くちなわの方に分があって蛙は捕らわれてしまった。

「蛇に見込まれた蛙」と言うのは作り話。蛙のほうも精一杯逃げ回っている。

そのときになって自分が見ているのに気がついたらしく、蛙を咥えたまま間合いを計っているように、動きを止めていたが、一歩近づいた自分を見てするすると草むらに引き返す。

こんなとき自分は手出しをせず、見守ることにしている。大自然の法則だから、、、。

こんな場面はたびたび目撃されているようで、先日の新聞のエッセイで「蛙を助けようとして、棒で叩いて蛙を開放したが、結局は二つの屍骸が残っただけ、、」と書いてあった。

生き物は、他の生き物の命をいただいてその命を永らえ、その命は循環する。そして、その命を他に与えないのは人間だけ、、。つまり人間は自然から遊離した生き物になっている

.「砂漠は生きている」

今日はNHKで「砂漠は生きている」という古い映画の再放送をしていたので、楽しみにして見た。

この映画、いまから56年前の映画であり、自分たちが中学生のとき、始めてみた総天然色の映画だった。

おなじころ、ソ連初の総天然色映画「石の花」と言う映画も見たので、どちらが総天然色の先駆けだったのか良く分からないが、その衝撃は大きかった。

まず、色の鮮明さ、当時は絵葉書くらいが天然色の画像だったが、重ね刷りのため縁がボケているのもあるくらいのときだったので、大画面の映画でボケないのが不思議だった。

また、砂漠とは砂だらけ(月の砂漠の印象から)と思っていたのに、あんなに多種多様な生物がいること、そして、ガラガラヘビなどが間抜けな役に仕立てられ、鼠などにからかわれ、反撃されている様子が写されていた。

そして、最大の驚きは大雨の降った後、地面一杯に花が咲き出すことだった。

いまでは、あちこちのテレビで世界各地の自然が放送され、この映画の価値も先駆けとして記憶されているだけだが、このときの撮影方法は今では比べ物にならないほど苦労をしたことが説明されなくてもわかる映画である。

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2010年5月 5日 (水)

たのしかった

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ゴールデンウイークも今日が最後。マイクを向けられた子供は一様に「たのしかった」と応えていたが、そのかげで親はどれだけ走り回ったことだろうと気になった。

ここ、麻機の田んぼでも田起こしがあちこちで行われており、耕運機がうなりをたてていたが、その中の一台に孫を同乗させているのがあり「ちょっと写させて、、」と声をかけてカメラを向ける。

少し緊張気味のおじいさんに、得意げな顔をしてVサインで応える幼児。きっと、仕事が済んで家に帰ったら「じいじのお仕事を手伝って、楽しかった」と親に報告したに違いない。が、親はなんというだろう。

自分も、保育園時代の孫をトラックの助手席に乗せて、娘から叱られたことがあるのを思い出して、、、。

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003 今日巣立ったケリの雛。孵ったその日から歩き出すようで田んぼの中をうろちょろと身体に似合わずこの太い足で走り回っている。

親の警戒音で動きを止めてうずくまり、地面と同化しては見たが、大きな目は見開いたまま微動だにしない。

おもわず、ひよこがね/お庭ぴょこぴょこ隠れんぼ/どんなに上手に隠れても/小さなあんよ見えている/だんだん誰が見つかった/

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北朝鮮の金正日が中国を訪問しているそうだ。

その内容は、報道関係者の目を遮るため、中国警察が厳重な警戒体制をしいているためわからないが、一刻の最高指導者が訪れた際には国民または報道機関の前に現れ、その成果を発表するのが普通である。

これが出来ないような関係は知られては困ることが沢山含んでいるからであり、民主主義国家ではないことの現れである。

そのむかし、孔子は「苛政は虎よりも猛し」とのたもうた。

しかし、報道で知る限りでは、食料もなく弾圧政治の中、苛政も極まっているように見えるのだが、、、、さて

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2010年5月 4日 (火)

谷川にミソサザイの声たかく

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真富士山から流れ出る谷川。黒部沢にかかる橋からの眺め。

新しく芽生えたモミジに降りそそぐ太陽、その下を轟々と流れる谷の水の音は気持ちをやわらげのんびりとさせてくれる。

031 真上からの直射日光も忘れ、しばらく眺めているとミソサザイの鳴き声が谷の音に負けじと響く。俳人山口素堂は「目には青葉 山ほととぎす初鰹」と歌ったそうだが、、、

それをもじれば「目に青葉 谷ミソサザイ 声たかく」となるか。

小鳥の中でも小さな部類に入るミソサザイ。あの大きな声は何処から出てくるのだろうか、、、、目を凝らせば苔のついた岩の上で、、、ぎりぎり写真に納まってくれた。

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今日五月四日は”みどりの日”確か、一時的に四月二十九日をみどりの日といっていたような気がするが、その日を昭和の日とすることによって押し出されたような格好でなんでもない日に移動させられたようで、いわゆるとってつけの祝日となる。

以前、バラクーダーというコミックバンドがあったが、そのヒット曲のひとつに「日本全国酒飲み音頭」というのがあり、その一部に#11月は何にも無いけど酒が飲めるぞ 飲める飲める飲める 酒がのめるぞ  と、うたっていたが、それと同じ感じで、とりあえず何でもいいからと作った祝日といったところか。

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029 この人もみどりで、、、

そして、静岡の今日はサンバの行進。昨年は行っていないので二年ぶりになる。

午後行って見ると、すでに行進が始まっており、途中からの見物になった。二年前に見たような気がする人もいてなんとなく懐かしい気もしたが、なんとなく人数も少なく寂しくなったような気がする。

不況の影響をもろに受けて、ブラジルに帰らざるを得ない人も結構いると聞くとそうなのかもしれない。

それを象徴するかのように、小さな箱を持ってカンパを要請している人を何人か見かけたのでほんの僅かだけど、、、

日系ブラジル人が多いので顔つきでは、好きで参加している日本人とは区別がつきかねる。すらりとした人、豊満な人それぞれにドドンガドンと太鼓を打ち鳴らし歌って踊って、屈託気のない笑顔で行進している様子は見ていて楽しいものがある。

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2010年5月 3日 (月)

執拗な攻撃に

045 .当方に向かって一直線に急降下

ケリも繁殖期に入ったようで俄然攻撃的になってきた。

046 口を大きく開けて啼きながら周囲を旋回する

麻機の田んぼ道をいつものように散歩に出れば、甲高い鳴き声をたてながら旋回し、こちらに向かって突っ込んでくる格好を見せる。

田の草の生えている辺りに雛がいるのか知らんと思って目を凝らそうものなら、同じ色をして雄雌の区別はつかないが、交互に波状攻撃をかけてくる。

いくら親心とはいえ、こちらは、ただ、なすがままの状態で、あまりの執拗さに辟易し次第に腹が立ってくる。

「石でもぶっつけてやろうか」などと、、、、愛鳥週間も間近に控えて不遜な考えがよぎる。

人間の戦争もこんなことが引き金になるのだが、立場の違いを武力で、とはイラク戦争のみならず歴史にいくつも刻まれている。

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今日は憲法記念日。しかし、周りでは国旗を上げる家もなくただの休日と変わりない一日。

昨年まで、喧ましかった改憲論も今年はかなりトーンダウン、前段の国民投票も細部について見当もされていないようで小康状態といったところか。

自分は今の憲法は、このままで良いとするほうに組している。特に9条や天皇を象徴としている部分は、いじって欲しくない。

少しではあるが、戦争の記憶があるものとしては、あの無謀な戦争がなぜ起きたか。軍や警察が国民を締め付けていた状態は、いまの北朝鮮や中国と同じであったのだ。

改憲論者はそのことを隠しているのか報道では聞かれなかったが、あの時代の再現は小さなうちに芽を摘んでおかなければならないと思っている。

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2010年5月 2日 (日)

わかみどりに染まる

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夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る トントン

そう、今日は立春の日から数えて八十八回の朝と夜を迎えたことになり、周りの山の茶畑も若みどりの絵の具で色付けしたように染まっている。。

今日出まわるお茶を「八十八夜新茶」といって、知り合いや親戚に配ると言う風習があることを静岡に来てはじめて知った。

P1010100 写真左、茶摘みは結構難しいところがあって上の二葉を芯とともに指の腹でつまんで引き抜くような方法で摘み取る。

立ち仕事は当然だが、今日みたいな日は照り返しもきつく暑くて 暑くて、、、。

楽しみは、お昼の弁当とお茶に四方山話。

今年は、三月半ば過ぎに早場のお茶が霜の被害にあって心配されたが、かなり回復していると新聞は報じていた。

静岡に来て間もないころだったから、30年ほど前のことになるが、その時も、霜にやられた農家が、3月に発注され工期切れの仕事に追われている自分たちの現場に来て、ぶつぶつと文句を言うので困ったことがある。

その後、霜を避けるため気温が下がると自動的に動く防霜ファンが普及して、廃タイヤを燃やすなどの対策はなくなったが、今年の霜は、その防霜ファンでも追いつかないほど激しかったと言うことだろうか。

お茶は、栽培している土地柄にもよるが、一番茶が一番値段が高く、早ければ早いほど値段が高い傾向にあり、先日の新聞にも平均一万円/kgだと書いてあった。そのため、農家は競って早いお茶を作りたがるようだが、反面霜の被害に逢いやすい。

それを承知で、早稲の品種を植える言うことは、半ば博打と見るしかないようにも思うのだが、、、、一寸酷かな。

知り合いの茶畑は、安倍川上流にあり連休明けから摘み取りに入るそうだが、はかったように歯医者と血圧で病院通い、、、、。ゴメンネ

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2010年5月 1日 (土)

今日はメーデー

040 .真富士山神社から見た富士山、ひょっとして向こうは偽物?

今日はメーデー。その歌に#晴れた五月の青空に、、、。とあるが、まさに歌の文句の通り晴れ上がった。

その晴れやかな空に魅せられて、久しぶりに山行きをする。(むかしはメーデーのデモ行進のあと職場ごとに良くやったものだ)

行く先は真富士山。先日来、足の調子がいまひとつだったので控えてはいたが、清々しい空を見せられると、普段は「休みの日は人が多いので、、」と渋っていたのも何処へやら、、、。

今回は登りだすと、タチツボスミレが紫の花を大量に咲かせウグイスが大変上手に歌っている#スミレの花 咲くころ、、とは、言っていないが、気持ちを良くさせてくれ順調に高度を稼ぐ。

007 しかし、四月の気温の変調がそうさせたのか、いつもの年に比べると花の咲きようが少し遅い。猛毒のハシリドコロは小さく花が少ないし、ニニンソウの数、花ネコノメもまばら、、、、

そんなこんなを思いながら、山頂に着けば居た居た、荷物を広げからかして賑々しくお湯を沸かして居る連中が、、、(人声高く響かせて)

立ち止まってみたものの、すぐに、第二真富士山に向かって歩き出す。「お前さんたちだけの山ではないんだぞ」「だから休みの日は来たくないんだ」と、そのころになって思い出す。

060 太井平からの道と合流する峠に下り、少し登ったところで見かけるイワカガミの花、まだ早いはずだが花芽くらいは無いだろうかと見ていくと、突然、開ききった株が目に入った。

「うそだろ」と思ってその先を見ると更に幾株かが見え、赤く染まった蕾も見える。期待していなかっただけに嬉しかった。

すっかり気分を良くして登りだす。「俺も案外単純」だと思いながら、、、

067 かえりは、景色を眺めながら下ってきたが、下のほうから萌黄色の若葉が山桜を目指すように這い上がっているのが一望に出来る。(進む我らの先頭になびくは赤い山桜)

ちなみに、連合のほとんどが4月29日にやったそうだが、それはエープリルデーじゃないだろうか。

記念日を勝手にずらせて何が労働者だか、、、。

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