パラボラアンテナに似て
麻機沼の堤防に今年も昼咲き月見草が花を咲かせている。
大きな花びらの真ん中には四本指のような雌しべを突出させて、いる様子はまさに、パラボラアンテナの輻射器のように見えるから不思議。
薄い桃色の花びらをはかなげに揺らしているが、外来種で生命力は強く、この辺りでは次第に勢力を伸ばしている。
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突然目の前の道を土蛙が飛び出してきたかと思うと、その後を慕ってくちなわも草むらから飛び出してきた。
蛙が、道路のうえで三回跳ねて逃げたのが精一杯。すばやい動きは、くちなわの方に分があって蛙は捕らわれてしまった。
「蛇に見込まれた蛙」と言うのは作り話。蛙のほうも精一杯逃げ回っている。
そのときになって自分が見ているのに気がついたらしく、蛙を咥えたまま間合いを計っているように、動きを止めていたが、一歩近づいた自分を見てするすると草むらに引き返す。
こんなとき自分は手出しをせず、見守ることにしている。大自然の法則だから、、、。
こんな場面はたびたび目撃されているようで、先日の新聞のエッセイで「蛙を助けようとして、棒で叩いて蛙を開放したが、結局は二つの屍骸が残っただけ、、」と書いてあった。
生き物は、他の生き物の命をいただいてその命を永らえ、その命は循環する。そして、その命を他に与えないのは人間だけ、、。つまり人間は自然から遊離した生き物になっている
.「砂漠は生きている」
今日はNHKで「砂漠は生きている」という古い映画の再放送をしていたので、楽しみにして見た。
この映画、いまから56年前の映画であり、自分たちが中学生のとき、始めてみた総天然色の映画だった。
おなじころ、ソ連初の総天然色映画「石の花」と言う映画も見たので、どちらが総天然色の先駆けだったのか良く分からないが、その衝撃は大きかった。
まず、色の鮮明さ、当時は絵葉書くらいが天然色の画像だったが、重ね刷りのため縁がボケているのもあるくらいのときだったので、大画面の映画でボケないのが不思議だった。
また、砂漠とは砂だらけ(月の砂漠の印象から)と思っていたのに、あんなに多種多様な生物がいること、そして、ガラガラヘビなどが間抜けな役に仕立てられ、鼠などにからかわれ、反撃されている様子が写されていた。
そして、最大の驚きは大雨の降った後、地面一杯に花が咲き出すことだった。
いまでは、あちこちのテレビで世界各地の自然が放送され、この映画の価値も先駆けとして記憶されているだけだが、このときの撮影方法は今では比べ物にならないほど苦労をしたことが説明されなくてもわかる映画である。
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コメント
tomokoさんも見ていましたか。
はじめて上映されたのは、昭和29年だったと思います
何しろはじめての総天然色(いまではこんな言葉は使わないと思いますが)と言うだけでビックリしていたのですから、、、。
花の開くのは撮影スピード遅くしたか、コマ落しで今では簡単な技術でしょうが、当時はみるみる花が開いていくのにも感心してしまったのを覚えています。
刺激はだんだんきつくなり、今度は3D映画でしょ。いまの子供は将来どう印象として持つのでしょう。
投稿: オラケタル | 2010年5月 7日 (金) 21時26分
蛇のあたりは素通りさせてもらいましたが、その下に
砂漠は生きている。と見えたので、その辺りから読みました。
この映画は私が小学、低学年だったかで? 学校から連れて行ってもらって見た記憶があります。
花が開いていく様子に感動を覚えたものです。その時の感動は今でも時々、思い出すことがありますから、相当なインパクトがあったのでしょうね。
投稿: tomoko | 2010年5月 7日 (金) 09時03分