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2010年6月30日 (水)

豊年じゃ 満作じゃ

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昨日、千代田の田んぼで”豊年海老(ホウネンエビ)”を見ることができた。強い日差しの中、生あったかかくなった田んぼの中で11対の足を上に向けて背泳ぎのように仰向けになって泳いでいる。

豊年海老とは、気温が高い年に大発生するところから、稲の生育にも良く、実りが期待されるとして、名付けられたようだが、発生してから間もなく卵を産み消え去ってしまうので、一般にはあまり知られていない生き物である。

009 体長は、2cm足らずと小さく、透明から淡い緑色をしているため、田んぼの中にいる豊年海老を写真に収めようとしたが、焦点が合わずボケばかりだったので、今日は小さなタモと入れ物を持って再度出かけてみた。

昨年まで、麻機の田んぼで探してはいたのだが、水や農薬の関係が有ってか見ることができなかっただけに、周りが市街地の田んぼで見つけたときは嬉しかった。

豊年海老は、節足動物の古いタイプと言うことらしいが、人目につくのは僅かな期間であり、卵になってからはかなり過酷な条件でも生き延びるようで、それまで居なかったようなところでも大発生をすることがあるそうだ。

今年は、蓮の花の開花が遅れ、去年には咲いていた月下美人がまだ咲いていないので、気候が変調なのかと思っていただけに、豊年海老に豊作を願って田んぼに帰す。

おなじみ”かっぽれの一節とともに

豊年じゃ 満作じゃ 今日は旦那の稲刈りに、、、

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今朝方を持って熱気に包まれた夜が終わったようだ。

サッカーのワールドカップも決勝トーナメントでウルグアイに延長の末、PK戦で敗れるという理想的な(?)な負け方で終止符を打った。

”理想的な”と言う言葉を使ったのは、4-0などの大敗だったら、またぞろ馬鹿ファンが何を言い出すか分からないからだ。

高校野球でもそうだが、地元の高校が負けると、つき物が落ちたように熱気が冷めていくのが通例なので、この後もサッカーの試合を見ていて「夕べも眠れなかった」と言う人がいたら、その人は真のサッカーファンであり、後は人が騒ぐから自分も、という、、、便乗組である。

当の自分は、真夜中に起きていると言うのはお通夜以外はしない主義なので、当然、、、、、

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おりしも今日は”夏越の払い”今年前半の災難を振り払い、新しい後半の無事を祈る日なのだが、サッカーと大相撲では意味合いが全然違うし、参議院議員の立候補者には、どんな思いで”茅の輪"をくぐるのだろうか。

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2010年6月29日 (火)

親は無くとも子は育つ

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今日、久しぶりに裏の川で六羽の親無しカルガモを見た。

014 五月13日の親なし六羽兄弟

先日来の大雨でどこかに行ってしまったのか、それとも、、、、、と不吉な予想もしていたのだが、「まぁ 立派に育って」いまではほとんど親鴨に近い大きさにまでなってしまった。

此方から見て、どれがどれやら区別はつかないが、この辺りで六羽ものカルガモがまとまって行動しているのはこのグループしかいないはず。

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014_2 六月九日、ここまで成長

「親は無くとも子は育つ」というが、良くここまで育ったものである。危険から守ってくれるものも、教えてくれるものも無い中で、、、、

もうすぐ、離れ離れになれば、どれがどれやら区別が出来なくなることと思うと、ここら辺りがこのグループの見納めになるのだろうか、、、記念写真を写しておこう。

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アメリカのメキシコ湾の石油流失事故は空前絶後といっていいほどの、被害と環境汚染を引き起こし、この先何処までこの汚染が広がるか分からないとされいる

石油の掘削井戸が何かの手違いがあって、爆発炎上し、パイプが折れて、流失を始めたのが二ヶ月くらい前のこと、その間いろいろと止める対策の手を打ったが、海面下1,500mと言う深海が流失現場だと言うこともあって全て失敗に終わったそうで、この先何時止められるか目途が立たない状態だという。

石油の噴出量もはっきり分からなかったらしく、何回も量が訂正され、そのたび増えていき海面汚染は計り知れないものがあると言う。

幾つも原因が挙げられているが、その一つには掘削費を安く上げるため、海底に付けられる安全装置、ストッパーに手抜きがあったのではないかと言うのがあり、そうだとすると本当の「油断大敵」とは、このことを予測してつくられた四文字熟語見たいな感じがする。

「油断大敵」 語源を調べてみたが、中国古代、家来に油を持たせてこぼしたら切る。と王様が言ったとか。また日本の侍が行灯の油の準備を怠ったため、夜中に油が切れ、火が消えたとき、敵に襲われて命を落とすから、、、なんて噴飯物のこじ付けまであった。

大体が、日本で貴重な菜種油を行灯に使ったのは、江戸時代も後期のことで、それもごく富裕層に限られていた。

自分のお婆さん(明治10年代の生まれ)が、子供のころの話として言っていたのは、大正に入っても田舎では”あかし”と言って松の根の油の多いところを割って火をつけたものの下で夜なべをしていたそうだ。

テレビドラマで、戦国武将や坂本竜馬などが明るい明かりの元で話し合いをしているが、その当時は油は高価なもので、ふんだんには使えなかったものである。

各地の夜祭や薪能でも、あれだけ大量に木を燃やしても薄暗い明るさしか得られない。そんな時代に食用に使う貴重な油を燃やして、眠ると言うことはなかった。

最後に、四国地方では「ゆっくりとしてください」と言う意味で「ゆだんしてください」と言う言葉を使った。と、書かれていたのでこれが一番本当かなと思う。

しかし、アメリカの石油流出事故には「ゆだんしてください」とは口が裂けてもいえない言葉である。

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2010年6月28日 (月)

こんなに酸っぱかった?

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蒸し暑い夏がやってきた。朝早く散歩に出かけ帰ってきたときには汗でぐっしょりになり、シャワーを浴びたが、日中は家の中に閉じこもって扇風機をかけっ放しで過ごしてしまった。

その散歩で見かけた”房スグリ”。本当に久しぶり、青い草むらの中でひときわ目立った赤い実をいっぱいつけていた。

ひとつふたつ摘まんで口に入れると、懐かしい食感とともにこんなに酸っぱかったのかと思いを新たにした。

スグリ、漢字で書くと「酸塊」と書くそうで、酸っぱいのはむかしからのことだったのだ、子供のころ、高い梢の間に寄生木のようにしてある実をよじ登って採ったことがあるが、こんな低いところにもあるのだ。

027c そのころは、もっと淡い感じの色をした実だったが、これは、トマトを思わせるほど赤い。と、すると、少し種類が違うのだろうか。

熟しても真ん中に黒い斑点をのこし、まるで”目玉親父”もかくやといった風情で密集してぶら下がっている。

ちなみに、オリンピックのフィギュアーに出場した「村主選手」の”スグリ”は木の実のことでなく、村=スキ 主=ニムリという朝鮮文字からきているようで、むかしの渡来人をまとめる役だったという説もあり、この実とは関係がなさそうだ。

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最近の世相は、サッカーと相撲で持ちきり、おかげで、同じくらい世間を騒がせて話題になっていなきゃならない参院選はどこかに吹っ飛んでしまっている。

サッカーのほうは予選を突破し明るい話題だが、相撲と参院選は何がなんだか分からない展開になってきた。

相撲不祥事の特別調査委員はどんな基準で選ばれたのか知らないが、記者会見を見ていたら、委員長が歯をむき出して嬉しそうに笑顔で発表していた。

声の甲高いのもマイナス要素だが、理事会が受け入れやすそうな提案で、「まず、名古屋場所ありき」の答申をした、と思うがどうだろう。

ほかにも、上申書を出していない力士もいるだろうし、報道どおりの借金が嵩んでいる力士がいたとしたら、相撲のほうでも以前問題になった”八百長”をしなければならなかった力士がいても不思議ではないはずと思うのは、下司の勘ぐりだろうか。

名古屋場所を中止してでも、膿を出し切らなければならなかった。と、後で言うことにならないか、、、。

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2010年6月27日 (日)

ねぇ 話をしようよ

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「ねぇ 話をしようよ」 「そんなこと言っても、近すぎて見えないよ」とでも、話しているかのように遊覧船の飾り首の先端、くちばしの上に止まったとんびが、前を見たまましばらく動かないでいる。

乗客が乗り込みだした振動でようやく飛び上がったが、名残惜しそうに見えたのはこちらの思いいれ、、、

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前前日の夜から食べすぎぐらいに食べ、且つ飲んだため、胃袋がびっくりして調子が悪く、重い腹を抱えたまま諏訪湖の湖畔を散歩する。

昨日は農作業を終えた後、大門峠をまわって諏訪に下ってきて泊まった。宿は広めの部屋を用意してくれているのと若い仲居さんが多かった。

(若い仲居さん。接客態度は非常によいのだが、どちらかと言うとマニュアル通りのきらいがあって、臨機応変とは行かない。しかし、初々しいと思えばこれも良いところか)

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そして、最上階の露天風呂からは湖の周囲に広がる諏訪市外の明かりがちらちらと瞬く、、、

年を取ったためか、昼の食事がまだ消化しきれない感じなのに、この宿の食事も量が多く、甘いものは別腹という女性までが最後のデザートを敬遠するほど、、、。

「目の前に出されたものを口もつけないで返すのは失礼だ」と日ごろ言っていた自分も、、、、さすがに食べきれなかった。

二十六日、曇り空からぽつぽつと降り出した雨は、次第に激しくなる。どこか観光をしてから帰る予定も「この降りようじゃ仕方がないね」とそれぞれの方向に分かれて帰路につくが、予定通りに農作業が済んだことで、空模様とは別に気持ちは達成感で晴れ晴れと車を走らすことが出来た。

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2010年6月26日 (土)

いよっ 晴れ男

Img_0161.蓼科山に咲く蓮華ツツジ

"いよっ 晴れ男!” 一ヶ月まえから予定していた日を晴天にしてしまう自分はまさに晴れ男。

今年は、天候不順でじゃが芋の植え付けが例年より一週間以上遅れていたので、草取りと土寄せも十日遅らせたのだが、この梅雨の真っ最中に出来るのかな?。

しかし、実際にはじゃが芋の手入れに名を借りた旅行なのだから、最初から居候でもあるまいと二十四~五日は宿にしよう決め、もし、雨にたたられて畑に入れなければ、親戚の家に自分たちだけでも転々としながら晴れ間を待つ作戦で行った。

ところが天は、晴れ男に味方してくれて、快晴の空をプレゼントしてくれた。

気温は、二十七度以上にもなり、続々と汗は流れ出るが乾いた風が吹いて吹き飛ばしてくれる。しかし、しばらく動かしたことのない筋肉は足腰で「休もうよ」と催促するので、鍬をふるう回数も十回ほどごとに小休止の連続、、、、。

前日は午後からの作業。後日は午前中畑に入ってようやく仕事を済ませ、上田の蕎麦屋で昼食をとる。

「高いじゃが芋だね」と、いいながらも仕事が順調に済んだおかげで気分も爽快。

普通の天笊蕎麦を頼んだのに、二人前はあろうかと言う量。美味しさに釣られて完食すれば、胃袋の重さに釣られてまぶたが下がり、昼休みは二時間も寝てしまう。

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2010年6月23日 (水)

花と蝶

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花の七変化は紫陽花だけでなかった。

前に「大和撫子七変化、、、」と言う歌もあったが、写真の花「ランタナ」も和名を七変化と言う。

小さな花を密集させてまあ~るく、七宝焼きのペンダントのようなにひろがっている。花が外側に行くにしたがって色が変化してしていくことから、名付けられたのは、紫陽花とも共通することである。

035_2 その花に、透かしの入った前羽根と、長く尾を引く後ろ羽根をもつ麝香揚羽蝶が戯れていた。

そのさまは、先日テレビで見た”万祝”を着た漁師が、自慢げに裾を見せびらかしながら女性の間を巡り巡って品定めをしているかのよう。

万祝(マイワイ)とは、船主が船子などに配った長半纏で背中や後ろの裾に目出度い図柄を染め付けた晴れ着で、後になって大漁旗の図柄の元になった。と、言われている(テレビの受け売り)

実際は、蜜を吸いに来たのだが、長くその場にとどまって蜜を吸うと言うのではなく、沢山の花に魅せらてしまったかのように、羽ばたきを休めずに次から次へとキスしてるように飛び回る。

そのさまは、川内康範作詞の「花と蝶」の一場面にそっくりな状況が見て取れた。

麝香揚羽はその胴の部分に独特の匂いがあり、その匂いを麝香に見立てて名付けられたのだが、、、、自分には麝香とはこんな匂いだったのかな?という疑問が残る。

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今日も空模様は不安定。降ったりやんだりを、そして、晴れ間も見える。

明日は長野に植え付けたじゃが芋の手入れを口実に、行って来ることにした。一ヶ月も前にこの日を予定していたのだが、天気予報は今のところ良さそうな感じ。

これで晴れれば、草むしりと土かけが出来るのだが、、、、さて、晴れ男の評価がどう出るのだろうか。

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2010年6月22日 (火)

ごせっぽい

028q .田んぼの上を飛び交う燕を狙ったのだが、焦点は人のほうに、燕は中央上でボケてしまった。

おおまかには梅雨空であるが、一日のうちに雨が降ったりやんだり、時には日差しも出てくる複雑な天気が続く。

田んぼの稲のほうも高さが五寸(15センチ)ほどにもなって、一面わかみどりになり、水面を覆い尽くしてきた。

その上を滑るかのようにして燕が低く飛ぶ、低気圧のせいで虫が高く飛ばないからだろう。そして、そんな空模様にもかかわらず、田んぼに入って手入れをしている人がかなりいる。

散歩途中で、その近くを通りかかったとき、こちらを向いたので「ご精が出ますね」と挨拶したら「田植えのときいい加減にしてたから、、、」と言う返事、、、、。

そのときになって気がついた。静岡方言の「ごせっぽい」と聞き違えたのだと、、。

静岡では、いまでも良く使われるこの方言、来たとき意味が分からなかったが、どうやら「清々とする」とか「さっぱりとする」と言うような意味で使われる。

語源は何処なのか知らないが、静岡の人はこれが標準語だと思っているところあって、聞いても「ごせっぽいはごせっぽいだよ」という答えしかなく、理解できるまでしばらくかかった。

その一方で「せこせこしている」「ごしゃごしゃしている」と言う意味もあるやに聞くが、こちらはこまごまと仕事している「ご精が出る」から来ているのかなと思わないでもない。

029 少し離れたあぜ道に雛の世話をさせてもらえないカルガモの雄が閑をもてあそぶようにのんびりとは羽繕いをしている。

この鴨たちに言わせれば、子供がそばにいないので「こりゃ ごせっぽいは」と言ったとか言わなかったとか、、、。

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午後になってテレビで九党首に聞く。というのをやっていたが、ろくに聞く気にもなれず、少し聞いただけでテレビを消してしまった。

原因は、管民主党党首の消費税を10%目安に参院選後に協議したいと言ういくだりで、国民全てが負担となる逆進性について考慮したいと言う言葉であっても、信用でなかったことにある。

今回、消費税について党内での論議もしないで唐突に出した背景には、財務相のときに官僚からレクチュアーされたからというのがあるようで、脱官僚と言っていた割りには、案外簡単に丸め込まれたと言う感じがする。

消費税を上げ、法人税を下げると言う構想はとてもじゃないが受け入れられない。リーマンショックの前、日本の企業は空前の好景気に沸き、過去最高の利益に湧いていた企業がいっぱいあったが、どれだけ法人税を納め日本の税収に寄与したのか、、、

そのあいだも、国の借金は増え続け、派遣社員が増加し、「勝ち組まけ組み」といわれる国民の所得格差は拡大し続けたことでもわかる。

百歩譲って、民主党内で議論したのならまだしも、党首の思い付きを公約だと言うにいたっては、、、、、、、、

主意氏は違うが、作家 大江健三郎氏は、「言葉は注意深くあること」という題で講演した内容を、ある人のブログで見たが、最近の総理大臣の言葉の軽さは国民のほうに目が向いていないという気がしてならない。

言葉が、二転三転しては、いくら「君子は豹変する」といわれても、、、

      ね~~   どうおもう?

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2010年6月21日 (月)

省エネ? 花弁のない花

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赤芽柏(アカメガシワ)の黄色い花が芳香を放って虫を誘っている。

花弁のない小さな花に無数の雄しべを逆立てているような咲き方は、銀葉アカシアなどのほかにはあまり見られず、今で言う「省エネ」的な花である。

その蜜を求めてくるのは蜜蜂とコガネムシの仲間が多く、蝶はあまりみられない。

Img_0125 赤芽柏は、名前の通り四月の終わりころ新を吹き出すが、その色がほかの植物に比べて赤味が多いところから名付けられ、樹も雌雄別なため、上の写真の花は雄花である。

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今日は夏至。一年で一番日照時間が長い日なのだが、ヨーロッパと違って梅雨の真っ最中、日の目を拝むことが少ない。

今年は、この日の長さに一番困り果てているのが、相撲協会であろう。

毎日のように、小出しで野球賭博をしていた、力士や親方などの関係者の名前が新聞におどる。

一番最初に全てをさらけ出せばよかったのに、なまじっか隠し立てしたおかげで、マスコミが重箱の隅をほじくり返すように名前を探し出しては血祭りにあげていく。

まるで、そのむかし、針を持って南京虫を突き刺して、人の血をすった虫をつぶして喜んでいた風景を思い出す。

相撲界という蜜を吸いに集まっている虫はどんな方法でつぶすことが出来るのか。はたまた、血を吸われ過ぎて、、、、再起できなくなってしまうのか

    自浄能力のない協会の役員にとって、この夏は暑くて長いことだろう。

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2010年6月20日 (日)

フーッとため息

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草冠に秋と書いて萩(ハギ)といい、秋の七草にもはいっていることから、ハギは秋の花の代表とも取れるが、花の咲く期間が長い花で、麻機の水路には、もう散り始めているハギさえある。

青紫の澄んだ色合いのこの花は、”宮城の萩”と呼ばれる種類で、園芸品種としてあちこちで咲いている。

Img_0203 マメ科の植物だけあって、その花の一つ一つの花の形は、えんどう豆やささげなどともよく似ているが、古来から日本人好みの花として、沢山の歌に読まれている。

しかし、どの歌も秋の花のという固定観念から抜け出せないようで、秋を歌ったものばかり、季語と言う言葉に雁字搦めにされているように感じてならない。

ただ、花札の”猪に萩”だけが、七月になっているところが救われる、唯一の束縛逃れと言うのは言いすぎか。

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昨夜の十時半ばになって、日本中から「フーッ」と大きくため息ついたのが聞こえてきた。と感じたのは自分だけだったろうか。

サッカーのワールドカップで日本がオランダに負けた瞬間である。それほどサッカーに興味はないし、ときどきチャンネルを変えて見ただけの感想だから、こんなことを書くと熱烈に舞い上がり、太鼓叩いて笛吹いて応援していた人に叱られるかもしれないが、明らかに格が違うと感じて見た。

特に前半は、日本側のフイールドばかりでボールが回されていた感じがし、最後のロスタイム辺りのやり取りがなぜ出来なかったのか、、、、

新聞は惜敗としていたが、点数差以上に押されていたように見えた。

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いまから50年ほども前の話しだが、坑内の作業場に人を運ぶ小さなトロッコ電車があって、人車と呼ばれていたが、この運転手が大の”巨人狂い”。

巨人が負けた翌日の運転は、八つ当たり的に急発進をするので、”ダンッ ダンッ ダダダンッ、、、”と連結部分を鳴らして進む。乗車している人みんなが「今日は巨人が負けたからな」と言い合ったものだった。

巨人が9年連続してリーグ優勝をしていたころ、「巨人 大鵬 卵焼き」の時代であり、かなりの人がこの流れに乗って支援していた。

自分なんかは、同じチームばかりが優勝しては面白味がないと感じていたが、それら熱狂的な人は勝って当然であり、この運転手氏も三連敗でもしようものなら仕事を休み、どんなに遠くても球場に向かったそうで、、、、急発進は三日目ぐらいからはほかの人が運転するので収まった。

幸いにしてか、、、、不幸にしてか、、、いままでにそれほど熱狂したスポーツがなく、クールな男と呼ばれてきたが、この言葉の反面には「人情味の薄い男」みたいな意味合いがあったと思う。

一方で、「野球フアンというのは、熱狂しないことには面白くならない。だから知的レベルが低いスポーツなんです」という当時の識者の言文があったのを覚えている。

物事に熱狂出来ない人のやっかみなのだろうが、、、、、、、

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2010年6月18日 (金)

水菓子に見えて

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咲き出したばかりの百日紅(サルスベリ)に降りだした雨がからまり、水菓子を思わせる風情を示している。

009 水菓子とは本来果物を意味していると思っていたが、最近ではゼリーなどを絡めたものも言うそうで、どちらかと言うとそっちのほうなのだが、、、。

百日紅、これからの長い暑い夏を延々と咲き続けるところから名付けられた名前で、加賀の千代女は「散れば咲き 散れば咲きして さるすべり」 とうたい高浜虚子は炎天の 地上に花あり 百日紅」と、うたっているが、こうして雨に打たれていると涼しげな花に見えるから不思議。

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今日から貸し金業法が改訂され、かなりの数の人が利用できなくなるようだ。

これまで、幸いなことに貸し金を利用しなければならないほど、切羽詰ったことがないので分からないのだが、貸金業は、いままでにいろいろと弊害があって出来た法律であり、気取った顔で「そんなことは知らない」とでも言いたげな銀行も、そのうらではせっせと片棒を担いできた。

ただ、借りるほうにも収入以上の生活を借金でしたり、ギャンブル依存症などで首の回らなくなる人などがいて、この辺の人が手軽にお金を手に入れるため、事件を起こす可能性がいままで以上に増えてくるのではないかと心配される。

といって、みすみす無駄遣いをする人に、税金をそそぎこむわけにも行かないし、、、、、

はて、どうなるのだろうか。

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2010年6月17日 (木)

春蝉も鳴いて

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高さ10m足らず名もなき瀧なれど、、、

春蝉が鳴き、若葉の間をすり抜ける風が吹くと、さっきまで市街地での蒸し暑く、頭を焼くような日の光をすっかり忘れれてしまう。

蝉が鳴くと言うのはへんな言い方かもしれないが、緑なす木々の間から聞こえてくる音では、これまた変なので、、、

朝から日差しが強く、九時過ぎには28度にも気温が上がれば、また昨日の二の舞になりそうだと、涼みを求めて藁科川をさかのぼる。

上流にある日帰りの湯「湯の島温泉」を目指す。昨年も暑いさなかにここに来て日中を過ごしたが、川っぷちに建つこの風呂の休憩場は涼風が入り、のんびりするにはもってこいと思った。

しかし、来て見るとやけに静か。早すぎたはずもないがと駐車場入り口の紙を見れば昨日今日と修理のため休業と言う看板。

「ここまで来て、そりゃないわ」戻るのも”胸糞悪い”とばかり、大間から富士見峠を越え、口坂本の温泉にとドライブ気分モードに切り替えて走る。

途中、蕗を採ったり、景色を眺めたりと30分ほどのゆったり走行を楽しむ。

標高千メートルほどの高地にも初夏は到達していて、春蝉の「ムジームジー カラカラカラー-」と乾いたような声(?)で連続して鳴きだすと気持ちがすっきりとしていく。

ところどころに、昨日の雨で増水したらしく、道上からほとばしる滝もあり、車から降りて、霧のようなしぶきを浴びて、しばしの涼みを楽しむ。

大日峠から口坂本にくだる山道は毎年のように崩壊し、今年も途中で交通整理をしていた人が、滅多に車の通らない道路をくだってきた自分に「あさってから無期限に通行止めになります」と、丁寧に説明する。

道脇には、ガクウツギの白い花、緑に映える山ツツジが、しばらく来ることのない自分たちに、名残の花を咲かせ見送ってくれた。と思うのは自信過剰か、、、、。

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2010年6月16日 (水)

ひきずり考

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昨夜来の大雨もやんで、九時頃から日がさしてきたと思ったら、見る見る気温が上がって30度を突破。 34度にもなってしまった。

いきなりの高温に体が付いて行けないのを感じて、慌てて引っ張り出した扇風機をかけたが、湿度が高く蒸し暑さに居るところもなく、ただただ耐え忍びの一手しかなかった。

日が翳ってから、庭のほうでアマガエルの鳴きだす声を聴き、その音の方向にそっと近寄れば、二匹のアマガエルもうだったような顔をして、半眼に閉じた目でチラッとこっちを見たが動こうとはしない。

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生まれ在所の飛騨では「ひきずり」と言う言葉は、”ずぼら”と言う意味であり、「あそこの嫁さんは”ひきずり”だもんで、家の中がらっしょもない(散らかっている)ことになっとる」と言うような言い方をした。

しかし、我が家で「ひきずり」と言った場合。白菜の刻んだものを鍋に入れ、その中に鯖の缶詰いれて煮たものをいい、味付けは醬油を適当に入れ、冬場の鍋物として簡単で安く出来、体が温まるものとして子供のころからよく食べてきた。

そのため、「ひきづずり」とはいい加減に作る、ずぼら料理の意味とおもっていた。そして、こだわりと言えば、鯖の缶詰は水煮でなければならないというくらいであった。

ところが、最近になって名古屋で「ひきずり」と言うのは鶏肉を使ったすき焼きのことだと聞いた。同じ名前でも随分違うな、と言う感じ、、、。

聞けば、牛肉より安い鶏肉を使い、ずるずると引き上げて食べるから、、、、、、だ、そうだ。

それでは、ほかの土地で同じ名前の料理は無いかと検索してみたら、山形県で「ひきずりうどん」というのがあるそうで、こちらは、乾麺を茹で、茹で汁をこぼさずそのままのところに、納豆、卵、鯖の缶詰をいれて、そのまま食べるそうで、こちらの方も、ずるずると引き上げて食べると説明があり、名古屋と一緒の理由である。

と、書いてあったが、かなり手抜きをしたずぼらな料理と言えなくもない。

うどん好きの自分としては、「ひきあげうどん」と言うのは知っていたが、こちらもなんだか美味そうな感じがするので、今度作ってみようと思っている。

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2010年6月15日 (火)

シャンデリアに似て

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朝方の光を浴びて蜘蛛の巣がきらきらと輝いている。

006q_2 明け方に細かい霧のような雨でも降ったのか、横糸に溜まった水滴が数珠玉の等間隔に並び、その一つ一つが日の光を屈折しているため、赤色と青みがかった色に別れ、拡大すればシャンデリヤもかくやと言いたげに垂れ下がっている。

この蜘蛛の巣は、毎日張りなおすのか、昨日小さな虫が一杯付いていたので、取っ払ったところであり露をためおいている巣には、まだ、虫が付いていない。

002q 巣の中心に陣取っている小さな蜘蛛の名は知らないが、中央部には水滴が付いていないところを見ると、糸の性質が違うのだろうか。

子供の、夏の研究課題にもってこいだと思うが、かあさんが嫌がるだろうな、、、、。

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今朝の新聞は、サッカーのワールドカップ一色。笑顔と褒め言葉の羅列、テレビはもくりかえしくりかえし同じ場面の放映で、やっと先日前まで練習試合の全敗とは論調がころっと変わっていた。

そのおかげで、相撲界の野球賭博が小さく扱われ、関係者はホッとしているようにも見える。

近年、相撲界に不祥事が多いのは、世間から隔離され、小さな村社会みたいなところから来ているというのは誰しも認めるところであろう。

このような社会には世間の常識が通用するはずもなく、最近になって活躍する力士の大半が外国人になってきている以上。「国技」と言うものを返上し、外国で通用する「相撲レスリング」として再出発するほうがよほど良いように思うのだが、、、

ショーとして、大きい男たちがぶつかり合う競技。そうなれば、八百長などと疑惑の目を向けられることもなく、シャンデリアのような化粧回しで土俵入り、土俵上でのガッツポーズなども出来、いっそう華やかな競技になるに違いにない。

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2010年6月14日 (月)

誰が付けたか「サムライ日本」

はがくれA .

小粒の花が一杯集まって

あじさい梅雨の花といえば真っ先に浮かぶのが紫陽花であり、人の身近に咲いていたため品種改良の名の下、数限りないほどの種類と名前が付けられている。

033b 一般に咲き出しは青でその後、紫がっかった赤に変化していくため、七変化するとも言われている。

名前の由来は、青い花が集まって咲くと言う意味で、アヅは集まるから、サイは真藍からきているそうで、基本は藍色で縁を飾るガクの中に細かい五弁の花が無数に咲いているさまは、大写しで見ると壮観である。

花言葉も、その七変化ぶりから「移り気」とか「ほらふき」と言うのがあり、自分は梅雨空のじめじめした空気を想像して、あまり好きな部類には入れていない。

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「あきらめの悪い男」と言うのが褒め言葉になるとは知らなかった。

七年前に打ち上げられて小惑星「イトカワ」に着陸し資料を持ち帰ったのではないかと期待される探査機”はやぶさ”が昨夜地球に帰還したと言う記事が新聞の一面に踊っていた。

本来なら、三年半で帰還する予定だったものが、数々のトラブルで何度の帰還が危ぶまれる状況になったにもかかわらず、川口サンと言うリーダーがあきらめることなく執拗に回復の手立てを講じたことで、予定を大幅に上回ったものの、なんとか帰還させることに成功した。と、NHKの番組の中で解説した人が、そのとき言った言葉だった。

日本人は、一般に執念深いと言われることを嫌う風習がある。いい加減努力してみた上で「もはやこれまで、、、」と言ってあきらめ、その”潔さ良さ”を褒め称えてきた。

その根本には武士道、サムライ精神があるのではないがろうか。

サムライとは平安時代貴族に仕える人、”さぶらう(侍ふ)”と言うところから発しており、中世になって武器を持って闘う武士に当てはめられ、近世、世の中が落ち着くと幕藩体制を支える官僚へと変化し、何か事が起きたり、失敗すれば腹を切ることで責任を取る。

つまり、鍋島藩の”葉隠れ”にあるように「武士とは死ぬことと見つけたり」などといって潔く、、が強調されてきた。

サッカーにはあまり興味がないので、今夜も寝た後で日本とカメルーンの試合が始まり、未明に決着がつくそうだが、「サムライ日本」と誰が付けたか知らないけれど、この辺の事情を知ってのことだろうか。

いさぎよさで格好を付ける「サムライ日本」でなく「あきらめの悪い日本」であってほしいのだが、、。

それとも、先日も聞いたが、岡田監督に腹を切らせる「サムライ日本」になるのだろうか。

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2010年6月13日 (日)

轟音をついて聞こえる

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久しぶりに安倍川上流の有東木に行き、何とかの一つ覚えではないが「盛り天麩羅蕎麦」を食べてきた。

先日まで、ここはお茶摘みのため休業していたので、出かけてみた見たのは二ヶ月ぶりくらいになるか、、。

食台のすぐ前方下を流れる谷を見ながらの食事は、涼しさを加味してくれてこれからの食事どころの一つとして、またしばしば来る場所になる。

谷の音は結構大きく、話し声も大きい声で話さないと聞こえないくらいなのに、鶺鴒のあのか細い声がその音に負けじと良く聞こえる。

姿を探してみたが、一瞬水しぶきのかかる苔のついた岩で見かけたものの写真に収めることが出来なかった。その方角には白いマーガレットの白い花が揺れているだけだった。

その後も、声はすれど姿を見せない鶺鴒の声。波長の違いがそうさせるのか、先日聞いたミソサザイもそうだったが、谷の轟音?を潜り抜けてくる鳴き声の秘密を知りたいものである。

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054s .

食事も済ませ、安倍川筋まで降りてきてから、右手の河原を何気なく見ていると、突然河原の一部がピンクに染まっている。

かなり前から河口付近で繁殖を始めた虫取り撫子が次第に上流へと繁殖範囲を広げていくのは知っていたが、こんなに大発生しているのは初めてと言って言いぐらいの密集地である。

056 お定まり、白花の虫取り撫子も、、、

傍に行ってみれば、砂地で他の植物が生えられないようなところで咲いているため独占と言っていいぐらいの場所さえある。

虫取り撫子は、名前から来る印象としては、虫を栄養の一つとして捕食しているような感じがするが、そうではなく、花の部分に受粉に関係のない虫が来ないように妨害しているだけ、と、言う説もある。

しかし、砂地の中に育つ大量の花は、蟻などの虫がいないのか、受粉を助ける虫が少ないのか、茎を見てみたが、粘り気のある茶色の液を付けた部分はほとんど見ることが出来なかった。

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午後になって降り出した雨、たいした振り方ではなかったが気象台は「待ってました」とばかりに東海地方は梅雨に入ったと発表。

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2010年6月12日 (土)

地に落ちて

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散歩も終わりにかかって家の近くに来たら、雀が五~六羽大騒ぎをしている。

家の軒先、電線に、植木にとあちこちを飛び回っている。と、突然目の前に一羽の小雀がそれこそ転がるように飛び出してきた。

見れば、くちばしの黄色い雛で、まだ、飛び立つこともままならない様子で少し飛び上がっても着地が上手くいかず転げまわっている。

巣立ち前に巣から落ちたものらしい。雛自身は自分がどういう状況か分からないまでも、親の騒ぎぶりからして不安が一杯と言う表情が読み取れる。

このままでは、猫にやられそうだが、、、、何処に巣があるかは周りを見渡しても分からないので、傍の家の植え込みにいれてやったが、上空いる親たちにしてみれば気が気でないらしく、人間に捕まったとばかりに、更に騒ぎ立て、あたりは一段とかすまびしくなる。

それにしても、こんなに沢山の親鳥が集まってくるのはどうしたことだろう。親は一つがいのはず、ひょっとして親の悲鳴を聞きつけて手助けをしようと集まってきたのだろうか。

最近の日本では、事故があっても遠巻きに見ているだけで助けようともしない、、、どころか、秋葉原の殺傷事件などでは携帯のカメラで写真を写している人たちがかなりいたようで、人情も地に落ちたと嘆いている投稿を見た。

雀の雛を放した後も騒ぎは続いていたが、午後、再びその場所に戻ったときはもとの静けさに戻っていた。

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赤い夕陽に照らされて

032s 天気予報は明日から、曇りや雨が続くと報じ、梅雨入りもこの日からかもしれないと言っていた。

例年に比べて少し遅めの梅雨になるが今年はどんなタイプの梅雨になるのだろう。

それにしても、今日の日の入りは見事だった。雲ひとつない西の山の端に沈む夕陽には夕焼け雲もなく、代わりに田植えの終わった田んぼに夕景色を映し出していた。

黄金色に照り映える田んぼの夕陽と雲のない空からは、これでしばらく見ることも無いという予報がにわかに信じがたいが、、、

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2010年6月11日 (金)

鉱山屋はなんでもできる

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草藤が地面を覆いつくすように咲いている。

Img_0001 明るい紫の花の雰囲気が藤の花を想像させると見て名付けられらのだろう。

マメ科のこの草、一見ひ弱そうだがこの繁殖ぶりを見ていると、ほかの草はこの縄張り(シマ)から一本も生やさないぞ、と宣言しているようにも見える。

花言葉に「私を支えて」とあるそうだが、蔓を伸ばしているところから付けられたものだろう、しかし、この生命力の強さはほかに助けを求める必要はないように見える。

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鉱山町にいたおかげで、子供のころから数限りなく映画を見てきた。戦後から昭和40年くらいまで、娯楽のすくない時代、映画全盛の時代にあって、毎月10本くらいは見ていたように思う。

そのなかのひとつ、今回は「アフリカの女王」という映画の思い出を一つ。

主演は飲んだくれの船長(ハンフリーボガード、のちにボギーの愛称で一世を風靡した男優)と兄の復讐を誓う生真面目な女(キャサリーンヘップバーン)の二人が冒険の川くだりの末、最後にドイツ軍艦に捕らえられ絞首刑寸前に、魚雷で軍艦が沈められて、めでたしめでたしと他愛もない物語である。

娯楽映画だったから、そう目くじらを立てるものでもなく、主演の二人以外はほとんど一寸出ては引っ込む役者ばかり、そんなに上手く事が運べば、、、と言う筋書きだったが、今でも覚えている台詞の中に「鉱山屋は何でもできる、、、」と言う部分である。

後になって、「よく言ったワイ」と思ったのは、ボーリングを仕事にするようになって、それこそ、何でも出来なければ務まらないということだった。

調査をするためのボーリングは、それこそ山の奥、人跡未踏の場所に機械を運び込み仕事をするわけだが、搬入するための索道を張ることから始まり、索道の運転、崖でも何でも足場を組んで機械を分解、組み立て、故障をすればその部分だけ外して修理。

時には、火薬を使って発破をかけ、道路を作り、、、、それこそ、そんな仕事は出来ないとはいえない職場だった。

その間、何度ひとつ間違えば、、、と言う場面を切り抜け、映画の筋書き通りあちこちと何を切り抜けてきたのは、、、昨日の表題ではないが「神のご加護に恵まれたためである」

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2010年6月10日 (木)

バーヤ コン ディオス

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裏を流れる川に先日来、親のいないカルガモの雛が六羽いる。

011 一番最初に気付いたたのは、三週間前だった。まだ黄色い部分が残っていたから生後二週間とは経っていない雛と見たが、この集団には何処を見ても親が見えなかった。

人間じゃあるまいし育児放棄をするような鴨がいるのだろうか、それとも、親が外敵に殺されたのだろうか、、、、、。

雛たちは怖いもの知らず。川の縁にある草むらに入ったり自由奔放に遊びまわっていたので、いずれ、カラスや猫に、、、また蛇にやられるものと思っていた。

024 ところがどっこい、それからちょくちょく餌をあさっているのを見るようになった。六羽の内一羽も欠けることなく、、、、そして、順調に育っているように見える。

鴨の一番の強みは、巣立った直後から、親に餌をもらうということがなく、自分で啄ばむことができることであろう。

それにしても、親がついていても天敵にやられて数を減らしていくのに、ここまで育ったと言うのはたいしたものである。

まさに、「親はなくても子は育つ」の見本かもしれない。

多分、人目のある川の中にいることが、天敵から逃れている理由なのかもしれない。しかし、これからの梅雨で川の水かさが増えたときどうなるのか。

心配はしても、何も出来ない。どうか、この先無事に育ってくれることを願う。

スペイン語ではこういう場合、投げかける言葉に バーヤ コン ディオス (vaya con dios)というのがある。直訳すれば「神のご加護を、、」というのだが。

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むかし、「商売は牛のよだれのように」ということがあると聞いた。

商売人は、一気に儲けようとはしないで、細く長く続けているうちに信用も出来て、おいおい儲けも増えてくるようになる。と、いうたとえだと聞いた。

ところが、最近では短期に儲けを出さないと、株主、特にヘッジファンドあたりからのクレームで、会社役員を首になる例が出てきて、世の中が気短く、世知辛くなっている。

それかあらぬか、本家本元の牛もうっかりよだれをたらそうものなら「口蹄疫」の疑いありとして殺されてしまう世の中になってきた。

牛や豚の言葉が分かるなら、「しばらくは口をギュッと引き締めて、涎をもらさないように」と教えてあげたい。でも、その方策も天寿を全うするまで生きられないけれど、、、ね。

いままでの牛のよだれと口蹄疫のよだれとはどう違うのか、畜産について何も知らない輩であるが、何万頭もの牛豚がただ殺されて埋められてしまうのはなんとも納得できないものがある。

こちらも、バーヤ コン ディオスと祈るしかない。

ヨーロッパでも、こんな方法で対処したそうだが、治療薬、予防接種やワクチンがないのだろうか。無いとしたらどうして研究開発しないのか。

報道を見る限り、こんな疑問に答えてくれる記事はさらにない。

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2010年6月 9日 (水)

猫に小判

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霧のように細かい雨に打たれて、小判草の茎に水滴が列を成している。

小判草は熟れると黄色く色づき、綾目を現すかのような表面と形をした実をたくさんつける所から名付けられたのは疑う余地はない。

Img_0105 稲科の植物は地味なものが多い中で、この草と更に小さいながら”姫小判草”は一度見て、名前を聞けば忘れられない草である。

この草は、江戸時代末期に日本に来たそうであるが。外来種の名に恥じず、その繁殖力は旺盛で、我が家の庭に来たのは三年ほど前、農道脇にあったものを少し折って持ってきて、軒先にぶら下げたものから種が落ちて増えたものである。

(写真左、軒先に吊るした小判草と右側の小さなものが姫小判草。黄色い輝きは、小判の光   拡大してみてください)

今年も春先に大分処理したのだが、、、、、

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近所にひとり住まいのお婆さんがいるが、寂しさゆえかのら猫に餌を与えだしたら、たちまち何匹も情報を聞きつけたらしく集まり、更にその子が増えてあちこちに糞尿をして歩き、草花はそのためか枯れたり、堀りかえられたり、鳴き声などで被害が大きい。

抗議すると、「私が飼っているわけではありません。」の一点張り、飼っているわけではない以上、躾はもちろん、避妊手術どころでなく、困り果てている。

そうした中で、小判草だけが何の被害もなくすくすくと成長したのは、、、、まさに「猫に小判」を地で言っている。

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2010年6月 8日 (火)

空 見たことか

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空一面高曇りの下、富士山も残雪を白髪頭のように残して、暗い表情で立っているのが見えた。

Img_0139 この葉っぱでは傘の代わりにもならない

散歩に出かける前に止められたのだが、「雨は九時過ぎだろう」と勝手に決め、それ前に散歩を済ませておこう、と思ったのは、雲の高さからであった。

歩き出して、すぐに小粒の雫を顔に受けたのだが、それも多寡をくくって歩いているうちに次第に降りかたが強くなり、引き返すことにしたのが歩き出して四十分過ぎ、、、、帰り着いたときには、上着もズボンもかなり重くなっていた。

日ごろ自慢の観天望気だったが、「そらみたことか、、、」と言う感じになり、字句を「空 見たことか」と改めなければならない。

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十数年前、中国に行ったとき目に付く看板の字が、あまりにも日本の漢字と違っていて驚いた。

文化大革命のときプラカードの字が読めなくて、幾分認識していた積りだったが、改めて現物を見るとまた違った印象がある。

自分の親が、日中戦争のとき上海に行き武漢の手前で負傷して帰ってきたが、そのときの思い出として、言葉は分からないが、筆談で何とか通じたものだと言っていた。

両国とも戦後になって、それぞれの国で漢字の簡素化を行い、日本では新字体といい、中国では簡体字として変化させてきたため、同じ漢字文化とは言いながら読めなくなってしまった。

ただ、漢字の簡素化を行ったのは、あまりにも字画が多すぎてまともに書けなくなったこともその一因だったはずである。

文化審議会が常用漢字をを見直して、使われ方の少ない漢字、5字減らし、196字を追加する答申を出したそうだ。

常用漢字は、戦後間もなく1,850字から出発した。そのときは、簡素化のひとつの手法として、当時使われていた略字を正字として変換したため、学、鉄、台、国、沢、塩などかなりの数の漢字が簡素化されたものだった。

しかし、今回はその辺の配慮がなく、「鬱」「遡」「遜」「彙」「緻」など、とても掛けそうにもない字が含まれている。

理由として、パソコンや携帯を使えば簡単に出てくるからと言い、書けなくてもよいと言うことらしいが、学校で生徒が覚えなければならない漢字になるし、漢字検定でもこの字が出てくるに違いない。

日本語は、他国に比べてカタカナ、ひらがな、漢字、とあって、複雑と言われる中、更に難しい漢字で生徒を悩ますことは愚の骨頂であり更に漢字離れを誘発しかねない。

何年か先になって「そら みたことか」と言われるのは目に見えていると思うが、

        如何なものだろう。

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2010年6月 7日 (月)

未の刻まで眠る

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「蓮の花が開くときポンッって音がするそうですが、聞いたことあります?」と聞かれたことがあるが、「一晩中見ていたわけではないけれど、音は立てないそうですよ」と返事したことがある。

と、同じように未草(ヒツジグサ)はむかしで言う未の刻、つまり、午後二時ころになって花が開くので付けられたと言うことになっている。実際はもう少し早く、午前十時過ぎなので、これも間違った言い伝えと言うことになりそうだ。

しかし、花の中では寝坊助の花だが、これもなにか理屈があってのことだろう。

未草とは、日本古来の白い花をいい、別名としてつかわれる睡蓮と言う言葉は園芸品種を言うとのことであり、写真の花は睡蓮と言うことになる。

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2010年6月 6日 (日)

早乙女とは言えない人

004w .土手に咲くゼニアオイに見守られて

本日は”芒種”稲など芒(のぎ)のある作物の種を植え付ける日だと言うが、今頃籾を蒔く農家は皆無であろう。

麻機周りの田んぼに出てみると、かなりの範囲で機械による田植えが始まっており、この土日がピークだったと見え、水面がすこしみどりだって見え、その合間をぬって機械が植えそこなった部分を早乙女(?)とはいえない人々が補植している。

わかものの田んぼ離れなのか、高齢化社会の影響か、は分からないがこの調子では近い将来田んぼで働く人がいなくなってきそうな雰囲気である。

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世論とは、世論調査とは、どういうものなのか。

新首相になって、支持が一挙に拡大し60%にもなっていると新聞は報じていた。まだ何もいていない新首相に対して、、、、そんなに簡単に支持して良いものだろうか。

毎月何回か、各新聞社やテレビ局がどれだけの人を対象にしているのか、ばらばらのようで分からないが、民心はそんなに簡単に動くものなのだろうか。

もし、そうなら、単純な人間が多いと言うことになるし、上がった下がったで大騒ぎしていること自体が馬鹿げていることになる。

なんだか、テレビの視聴率なみに、そのときの視聴率を以って全てを判断し、番組の延長、中止を決めているように、政治を考えているいることになる。

いくら、せわしない世の中でも、長期的な戦略やそれにそった考えをまとめる時間を作らせ、長い目で見守もってやるという姿勢が必要ではないだろうか。

民主党の場合。はじめて大臣や政府機関に入った人が多く、自民党のように全て官僚任せの政治から、事業仕分けなどで官僚との距離感が違った政治をしようとする場合、これを支持して政権交代をさせたのだから、瞬間的な問題で批判ばかりしていても仕様がない。

とくに、週刊誌やワイドショーのように興味本位のあら捜しには、無視して売り上げが伸びないようにしないと、人材払底で国を滅ぼすことになる。

ただ、政治資金の問題で、2トップに不透明な問題があったことはいかんともしがたいことであり、その他の問題でも「まず隗より始めよ」を実践してもらえば、あとは任期を全うさせる方向にマスコミは持っていってもらいたいものだが、、、、

”芒種”の今日、毎年のように、首相の看板を張り替え(種を蒔く)、繕う(補植)のは、政治家もそうだが、国民も世界の中では物笑いの種になっていることを自覚しなければならない。

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2010年6月 5日 (土)

白い蝶々のように

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この花の名前ガウラという。名前から言っていかにも外来種だと分かるが、日本に入ってきてから白蝶草(ハクチョウソウ)と名付けられた。

017 麻機沼の堤防改修の際、地盤補強か何かで昼咲き月見草などとともに外来植物の種が蒔かれたと見えて、いまこの辺りはキンケイギクの黄色、昼咲き月見草の桃色、そして、ガウラの白と花が競い合っている。

細くて背丈の高い草のが風に揺れて花びらを揺らめかせているさまは、綺麗は綺麗なのだが、外来種が無神経に入ってくることに違和感を持つ人もかなりいる。

さて、このガウラ語源はギリシャ語から来ていて、立派とか華麗という意味を持つそうだが、この花を見る限りそんな印象はない。そして、日本名”白蝶草”は花びらの形が、蝶々に似ているところからという。そう言われてみれば、此方の名前のほうが、よく特徴を掴み、似合っているのではないかと思う。

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026 孫に向かって手を振るおばあさん、孫の反応は我が家と同じ

今日は孫の学校の運動会。朝からうす雲がおおいものの、晴れ上がって気温はぐんぐんとあがり日陰を探しながら、孫の出番には、どこにいるかとあちこち捜し歩く。

ところが、この孫も小学校六年生ともなると、恥かしさが出てきたのか、こちらが見ていると知ると目をそむけたり、友達のほうに向いてしまい写真になかなか納まろうとしない。

ほかの孫たちは、中学になると見に来いとは言わなくなったので、これが、多分最後の運動会になりそうなのだが、、、、、。

一番最後には、組体操を披露して終わったが、帰ってからの話ではこの組体操の練習中にタイミングが合わせられない子がいて、骨折した子供がいたそうだ。

多分この種目も、来年にはやれないのではないかといっていたが、、、、選手リレーは二~三年前になくなり、今年は騎馬戦もなくなったそうで、この調子で行くと運動会の種目は、次第に無くなっていくのではないかと心配していた。

ともあれ、風呂に入る支度をして鏡を見たら、首筋を境に赤黒く日焼けをしていた。毎日散歩していたのに、、、、今日の紫外線は、強烈だったのだ、、、、、

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2010年6月 3日 (木)

quin ser‘a? (キエンセラ)

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049 白い谷空木(タニウツギ)。朝霧高原から、山梨県下部温泉に抜ける林道脇にあったものだが、白一色と言うのは始めて見た。

赤白と交じり合ったものには箱根ウツギや二色ウツギなどがあるが、この樹には地面に落ちた花にはすこし黄色みがかった花びらがあるが、赤いものは見当たらない。

今年は、どうした加減か白い花を良く見る。

上の写真だけ見ていると、シロヤシオに見えないこともないが、花の大きさは2cmほどしかなく、タニウツギ以外の何者でもない。

「白いタニウツギ」で検索してみたが、よく分からなくて”quien ser‘a ?"(キエンセラ、、、だれだろう?)といったところ、、、、

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民主党の、後継選挙に樽床さんと言う人が名乗りを上げたが、残念ながら自分には、はじめて聞く名前であった、”sr tarutoko?  quien ser‘a"

推薦人がいるところを見ると、それなりの人物らしいが、、、

改めて who are you?

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2010年6月 2日 (水)

夏は来ぬ

035 .

卯の花の匂う垣根に 

ほととぎす早も来鳴きて 

しのび音もらす 夏は来ぬ 

もったいないような天気の中、麻機の山の尾根を歩く。卯の花はもうほとんどが済んだので、ほととぎすも忍び音から本格的に”ホッチョチョギス”と乾いた声を響かせている。

ほととぎすは、託卵といってほかの鳥の巣に卵を産みつけ、育てさせる性質を持っているため、大きな声で鳴きながら、都合の良い巣を探しているに違いない。

同じように託卵をする鳥にカッコウがいるが、こちらは比較的高い山にいて、「カッコウ カッコウ」と清々しい感じで鳴くのに対して、ホトトギスは鳴いて血を吐くなどと形容されるように少しせっかちな感じがするのは否めない。

先日テレビを見ていたら、この託卵を写していたが、託卵されるほうもいろいろと学習しているようで難しいようだが、テレビを見たかぎりでは、どうしても託卵された鶯やヨシキリなどの小さな鳥に同情が行って、好きになれない鳥である。

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山から下ってきて、麻機沼の近くに戻ってきたとき、一匹のヤンマが竹杭の先に停まっていた。

普段は、ゆうゆうと水面近くを遊弋しているのにどうしたことだろう。

こどものとき、憧れの的であり一番捕まえたかったオニヤンマより一回り小さい。いまの時期出てくるサナエヤンマだろうか。

その青い目は何を見ているのか、一点を見つめたまま動かない。

尻尾の感じから言って”尾長早苗蜻蛉”とみたがどうなのか、、、、、

015 036 008                        

.今日の花 卯の花いろいろ

左上、額空木、紫陽花に似た飾り花をもつ、 右上、梅香空木 空木の中では花も大きく見栄えがする。

右下、右の白い花はその名も空木という。左の赤い花は谷空木

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世間では、六月一日を持って、衣替えを行い夏も本番といった感じになってきた。

そして、政界も一日遅れで急に衣替えをすると言い出した。策略に掛けては海千山千の人々の集まりだから、舞台裏を覗けない一般の人たちはテレビのワイドショーでしか情報が入らないが、これが興味本位の出鱈目と来ては何にも分からない。

しかし、騙し、騙された振りをして、、、、と、国会議員の先生方もホトトギスとウグイスのような駆け引きばかりに精を出さず、この国をどうしようとしているかを熱く語って欲しいのだが、、、、

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2010年6月 1日 (火)

はじめての共同作業です

016o1 .

モリアオガエルが池塘の上に差し出した枝の中ほどに20センチほどの卵の入った泡のかたまりがぶら下げた。

結婚式のケーキカットでよく言われる「愛し合う二人の始めての共同作業で~す」といったところか、、、。

木の上で産卵し、孵ったとき落下したおたまじゃくしが池塘で生きていけるように選定した場所である。

産卵した当初は真っ白だったかたまりも、しだいに茶色くなり表面が堅くなって二週間ほど、、、、雨に打たれて破れたところからおたまじゃくしが落ちる。と言う仕組みはどうやってか獲得した遺伝子だろうか。

目立つ割には、卵時代には襲われない子供も、池に落ちれば下で待ち構えるイモリなどの天敵をまえに生存競争の渦に巻き込まれる。

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「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界、、、」唐獅子牡丹の歌いだしであるが、今回の鳩山首相と社会党との手切れはまさにこの歌の通りの世界に見えてきた。

義理とは、対人関係、社交上守らなければならない決まりごとを言うが、アメリカとの関係が重要と言った首相の言葉はまさにこのことを表している。

しかし、首相になった当初、辺野古に決まっていた義理を当初は否定していたはずなのに言葉を二転三転した挙句となれば少し違うことになり、

なんのため、これだけ尽くさなければならないのか?。

古い体制を国民が壊すことを望んで出来た政権だから、アメリカとの付き合いの仕方と言う原点に返って検討しても良かったのに、五月決着を言ったばかりに窮地に追い込まれ、自党の中からまで退陣論が出てくる始末。

この先どうなるのか、どうも見ていると同じく元首相の孫でありお坊ちゃんと言う境遇の良く似た前首相より、長く首相を務めたいと言う気持ちが前面に出てきているように見えて仕方がない。

後世、どう評価されるか分からないが、今の時点では「金持ち、名門、世襲制のお坊っちゃんが、三代続いた首相の時代」というのだろうか、、、、

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