空 見たことか
空一面高曇りの下、富士山も残雪を白髪頭のように残して、暗い表情で立っているのが見えた。
散歩に出かける前に止められたのだが、「雨は九時過ぎだろう」と勝手に決め、それ前に散歩を済ませておこう、と思ったのは、雲の高さからであった。
歩き出して、すぐに小粒の雫を顔に受けたのだが、それも多寡をくくって歩いているうちに次第に降りかたが強くなり、引き返すことにしたのが歩き出して四十分過ぎ、、、、帰り着いたときには、上着もズボンもかなり重くなっていた。
日ごろ自慢の観天望気だったが、「そらみたことか、、、」と言う感じになり、字句を「空 見たことか」と改めなければならない。
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十数年前、中国に行ったとき目に付く看板の字が、あまりにも日本の漢字と違っていて驚いた。
文化大革命のときプラカードの字が読めなくて、幾分認識していた積りだったが、改めて現物を見るとまた違った印象がある。
自分の親が、日中戦争のとき上海に行き武漢の手前で負傷して帰ってきたが、そのときの思い出として、言葉は分からないが、筆談で何とか通じたものだと言っていた。
両国とも戦後になって、それぞれの国で漢字の簡素化を行い、日本では新字体といい、中国では簡体字として変化させてきたため、同じ漢字文化とは言いながら読めなくなってしまった。
ただ、漢字の簡素化を行ったのは、あまりにも字画が多すぎてまともに書けなくなったこともその一因だったはずである。
文化審議会が常用漢字をを見直して、使われ方の少ない漢字、5字減らし、196字を追加する答申を出したそうだ。
常用漢字は、戦後間もなく1,850字から出発した。そのときは、簡素化のひとつの手法として、当時使われていた略字を正字として変換したため、学、鉄、台、国、沢、塩などかなりの数の漢字が簡素化されたものだった。
しかし、今回はその辺の配慮がなく、「鬱」「遡」「遜」「彙」「緻」など、とても掛けそうにもない字が含まれている。
理由として、パソコンや携帯を使えば簡単に出てくるからと言い、書けなくてもよいと言うことらしいが、学校で生徒が覚えなければならない漢字になるし、漢字検定でもこの字が出てくるに違いない。
日本語は、他国に比べてカタカナ、ひらがな、漢字、とあって、複雑と言われる中、更に難しい漢字で生徒を悩ますことは愚の骨頂であり更に漢字離れを誘発しかねない。
何年か先になって「そら みたことか」と言われるのは目に見えていると思うが、
如何なものだろう。
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