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この花の名前に、”藪からし”と言うかわいそうな名前が付けられている。
中央に咲く小さな花は、直径3mmほど、四枚の花弁の色は茎と同じ緑色をして、赤い花盤の周りには四本の雄しべを立てている。
そして、花の役目が済むと直ちに花びらと、雄しべを落とし?いや蜜蜂や蝶が落とすのかもしれないが、手前と左上のような状態にしてしまう。
この、花後の状態から蝋燭花という名も与えられているが。更に別名として「貧乏花」という不名誉な名前まで付けられていて、踏んだり蹴ったりの嫌われ花と言うことになる。
これは、繁殖力が強くて、周りの草木に巻きつき覆い尽くして枯らしてしまう、といわれて、付けられたようだが、藤や葛などに比べればそれほどでもないのだが、やはり、花の色形がものを言うのかも、、、。(人間同様外見がものを言うのか)
しかし、この貧相な花は、昆虫から見れば美味しい蜜源のようで、蝶や蜜蜂、金ぶんなど多種類の虫が常に立ち寄って繁盛している。
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この「藪からし」という名前の印象から、山本周五郎が、同じ名の小説を書いており、自分は、この小説を読むまでこの花を知らず、どんな蔓草なのか興味を持ったものだった。
小説の筋書きは、ずいぶん昔のことでよく覚えていないが
放蕩息子のところに嫁入りした娘は、夫が勘当されてからもその家に残り、姑の選んだ新しい婿を迎えて平穏な生活を送っていた。
それから何年かして、放蕩息子が帰ってきて内緒でお金を無心する。
始のうちは、少しづつ渡していたが、ついには多額のお金を要求される及んで、娘は家をでて、、、、、、、という。
題材は、放蕩息子を藪からしに見立てた筋書きであり、時代小説の格好を取っているが、今でもこんな子供で苦労している、親や連れ合いが後を絶たない。
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むかし、飛騨の年寄りたちは、「人間はそれぞれ食べる米の数が決まっていて、その数をたべ終わるとお迎えが来る」と言っていたし、明治生まれの自分の母親もそれをよく口にしていた。
まぁ、今で言う宗教に絡んだ一種の運命論だったのではないかと思うが、自分の母親は、その言葉通り、夕御飯を綺麗に食べ終わった直後、大静脈乖離で一瞬のうちに旅立ったものだった。
年齢も八十四歳、最後まで惚けもなく歩けたので、息子から見てもうらやましい最後だった。
昨日、演出家のつかこうへいさんが亡くなったと報道されていた。六十二歳という若さだったと言う。
随分と若い俳優を育て上げるなど、才能のある人だったらしいが、まるで、その才能を使い切るようにして亡くなったのは、やはり、食べる米の数が少なかったのか、速いスピードで才能を食べきったのだろうか。
きょう、七月十三日は死者の魂が仏壇に帰ってくる日だといわれ、雨の隙間を狙って迎え火をたく。
ここが、我が家だと冥界から分かるように、、、、
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