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2010年7月31日 (土)

なにもかも黄色

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へちまが黄色一色の花を広げている。

雄しべも雌しべも花びらも同じ色に、それにしても、花びらの大きい花である。

002 近寄ってきた蜜蜂は、アニメで見る小型戦闘機のように周囲を旋回してから、雄しべに取り付いていた。

昨年、へちまの名前の由来として、もともとトウウリ(唐瓜)と言っていたが、縮まって”とうり”となり、”と”と言う字は、”いろは”四十七文字があるなかで、”へ”と”ち”の間に挟まっているので「へちま」と名付けられたそうだ。と、いうとんちばなしに似た話を紹介した。

ついでに、花言葉を探してみたら、「剽軽」「悠々自適」と言うのがあり此方は長い瓜をぶらぶらと風に揺らしているところからだろうか。

悠々自適とは、退職後、決められた仕事もなく好き勝手に過ごしている人を言うようだけど、「金があるときゃ閑が無い 閑のあるときゃ金が無い」で、なかなか思うように過ごせないのが人生である。(自分だけかもしれないが、、、)

そのうち、大きく熟した瓜になると、皮を溶かされ、種も捨てられ繊維だけになり、せっせせっせと自分の身をすり減らしながら最後には、ぽいと捨てられていくのは、、、、、なんだか哀れな末路が見えてきた。

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2010年7月30日 (金)

ブルブルッと

007 .

朝方まで降っていた雨も止んだと思ったら早速クマゼミがシャリシャリシャリと鳴きだした。

昨日、我が家で雨宿りをしていた蝉もその仲間に入って楽しい宴をやっていることと思うと、日ごろうるさいだけと思っていたのに片頬がゆるむ。

いったん青空の出ていた空模様が変わり、午後になってまた降り出し、蝉の恋も振り出しに戻ってしまった感がある。

091 その雨の中、鬼百合は何事も無かったかのように、花びらを反っくり返して平然と咲いている。下向きの花は、雄しべ雌しべの傘となり雨をものともせず、昆虫を誘っている。

山百合や高砂百合と違って、その色合いは、人によって毒々しいとも見えるが、花言葉は「愉快、華麗 陽気」である。

一方、大形の花を咲かせる山百合の花言葉は「荘厳、純潔」などとなるそうだが、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言った場合の百合はどっちの花であろう。

おきゃんな振袖姿の鬼百合を採るか。楚々とした浴衣姿の山百合を採るか。

両手に花と言うわけにはいかないとしたら、、と、若い頃なら考えただけでブルブルッと武者震いがしたことだろう

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最近になって、自分の子供を虐待したあげく死亡させる事件が多すぎるような気がする。むかし聞いた300事故の法則から言うと、恐ろしくなるほどの子供が今現在虐待を受けていることになる。

今日も育児放棄の挙句、二人の子供が亡くなった事件で若い母親が逮捕されていたが、今年に入って同じような事件を何度も聞いている。

自分たちの子育てのときも、夜泣きして眠れず、次の日の仕事を考えると危険な仕事をしていただけに、苛々とはしたものだが、殺すとか、捨てるとかは夢にも考えたことが無かったし、こんな記事は見たことが無かったように思う。

いま、この事件を起こしている人たちは、二十代から三十代であるが、この人たちを育てた世代となると、自分たちから下の人が多いことになるのだが、何処が間違っていたのだろうか。

育った家庭環境から作られた倫理観なのか。世間の風潮がこの人たちを作ったのか、、、。

このままで行くと、将来、鶏同様に子供が出来たら取り上げて子育てする機関に預ける。と、いうなんだかSF映画に出てくるような場面や、もっと進めば精子と卵子の管理まで国が計画的にしてしまうと言う、空恐ろしいことになるような気がしてしまう。

真夏の暑い夜ながら   ブルブルッと寒気がする怪談を一席。

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2010年7月29日 (木)

久しぶり 恵みの雨

011 .

未明から降り出した雨は時には強く、時には弱く降り続いている。

久しぶりの、大雨で草木も息を吹き返したように生気をはなっている。やはり、散水器を通しての水とは質も量も違うのだろう。そして、暑さに弱い自分も真夏日に達しない気温のおかげで、幾分元気を取り戻した。

しかし、虫たちにとってはつらい雨らしく、軒下に這い上がったゴーヤの蔓の間にクマゼミが一匹まんじりとせずに止まっている。

ちょうど、雨どいの下の雨がかからない部分にいたが、棒でつついてみると、余程雨嫌いなのか少し移動しただけで、その場から離れない。

羽化してから一週間という寿命しかない蝉にとって、一日中雨で行動が制限させられると言うことは気が気ではないはず、、、。

登山で遭難した人は、冷静さを失って歩き回り体力を失って、、、と言う例がかなりあると聞いてきた。それに比べると、この蝉の冷静さは、、見習うべきことだと思って、以後は手出しすることなく見ていた。

そして、夕方になって雨が一旦あがると、そそくさと飛び出していったが、、、何処に向かったやら、、、。

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2010年7月28日 (水)

雲のいずこに

021 .正面の山は静岡の名前のもとになった賎機山、夜明けを前にまだ眠っている

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを

       雲のいづこに 月宿るらむ

百人一首に清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌としてとりあげられている。

この人は清少納言の曽祖父として知られているが、詳しい履歴は分からない。多分うだつのあがらない貴族の一人だったかもしれないが、後世に歌詠みとして名を残している。

「ペンは剣よりも強し」の一例かもしれない。

朝、日の出前の散歩、東の空が真っ赤から黄金色に変わりに、西の入道雲まで赤く染め出して、太陽が登場が間近だと告げているのに、夜の女王は西の空の何処に隠れようかとあたふたとしている。

026 間近には隠れる雲も無く、山の端に隠れようにもまだかなり高い位置にいる。

そんな月を同情ともからかいとも付かぬ気持ちで眺めている。

明け際の空気はからっと乾いて気持ちがよく、半袖で露出している腕を風がかすめていく。

”早起きは三文の得”   むかしから聞かされた言葉。三文の値打ちはどのくらいか分からないが、寝ボスケにはわからない味である。

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2010年7月27日 (火)

お日さまはどこ

Q .

朝方それこそ真っ赤になって雲間からのぞいた太陽も間も午後には隠れてしまい、焼けるような日差しはなくなった。

その太陽に向かって花開くと言う向日葵。改めてみるとそれこそてんでばらばらの方向を向いていた、、、、、「ひょっとして、雲に隠れたお日さまを探しているの?」と言った感じがして面白い。

蝉の抜け殻ばかりが入った袋を持って

028s 麻機沼の中央に立つ築山。日ごろここでグランドゴルフをしているご老人たちは”池の森”と名付けているらしいが、今日は小さな子供を連れた二人の母親たちだけの場所。

トンボ、シジミチョウ、バッタと追うが、まだこの子らの手におえる虫がいない。一番小さい子が近寄ってきて、袋の中の獲物を自慢げに見せるが、中味は蝉の抜け殻ばかり、、、、「そんなにいっぱい取ったの?」と言えば、目をくりくりさせながら、「うん いっぱい、、、 いっぱい」と、、、

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019 十二年前の氷河特急、まだこの頃は体形もスマートだった。

一昨日のニュースでスイスの氷河特急が脱線転覆し日本人一人が死亡、四十人ほどの人が怪我をしたという。

そして、怪我人のほとんどが日本人だと言うので狙い打ち見たい、とおもっていたら、料金が高くて、展望のよい列車に乗っていたから、と言うのが理由らしい。

自分も十二年まえこの列車に乗ったことがあるが、テレビで見るほどガラス(?)張りではなかったのと、今でもやっているかどうかは知らないが、急勾配の列車の中でもワインが飲めると言う柄の曲がったグラスを日本人が醜く奪い合ったのを覚えている。

その列車が、事故原因の究明も対策も無いまま再開すると言う。日本ではちょっと理解できないことだが、これを楽しみにツアーを組んでいる観光業者や日本人の要望が強いことも原因だと聞いた。

自分たちが、行った当時。世界で一番安全な航空機はスイス航空だと聞いていた。しかし、そのスイス航空も2,002年に倒産して、いまはない。

そして、2,000年、ケーブルカーが炎上して日本人スキー客10人を含む155人が亡くなった事故があったが、スイスの裁判所は会社側の責任は無しとし、補償はかなり遅くまでかかっていた。

西洋人のドライな手法とどこかで食い違った感情を今回の鉄道会社の責任者のコメント感じてしまった。

逆に、西洋的な感覚からすると、秩父の山奥で遭難した人を救助するためにヘリコプターを出し墜落、救助関係者五人が死亡と言う二次災害を出した手法は納得できないもがあるに違いない。

昨年、北アルプスで同じような事故がありながら、それが、参考にならず同じ過ちをしてしまったのは、返すがえすも残念である。

それこそ、遭難した人の自己責任であり、救助する場合は一刻も早くというより二次災害防止の観点から安全な場所に救助隊員を降ろすべきであったろう。

「人の命は地球より重い」なんて馬鹿げたことを言った元首相がいたが、働き盛りの救助隊員の後ろにその人の家族がいることを感じて、無理しないような指示を出す人が欲しいものだ。

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2010年7月26日 (月)

見て見てみて

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午後になって、静岡の北半分に雲がかかり、重い荷車を引き回すかのような遠雷はするが、雨粒が落ちてくる気配はさらにない。

梅雨明け宣言が出て以来、一度も雨が降っていない。土は乾き、鉢植えの植物は朝 昼 晩と葉っぱをしおらせて水を催促する。

こんなときは、井戸があってよかった。としみじみ思う。

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035 .

そして、この暑さは水辺の鳥にも影響しているのか、鷺の仲間も水の中に立ったまま動こうとはしない。まるで、静かな水面に影を写して、花びらを撒き散らかしたかのようにみえる。

冬でも水の中に足を入れても平気な様子から見れば、寒さには強いが、、、と考えてしまうのは、此方の思いいれ

遊水地の真ん中で、ひと塊になっているのは、岸辺の人間に対する警戒感がないためもあろうが、朝のうちの餌獲りを済ませて、満腹感から昼寝をしているかのような気だるい雰囲気が何所となく伝わってくる。

そんなところへ、一羽の青鷺が飛んできて跳ね回る。「見て見てみて、、私ってダンスが上手でしょう」と言っているか「私の衣装は粋でしょう、あんたら見たいに白一色と違って、、」とでも言っているのか、、、

人間にも、こんな風に空気が読めない人がいるもんだ、、、。

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2010年7月25日 (日)

そんなに美味しいの?

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フウセントウワタ、トゲトゲの丸い実がユニークで人気のある園芸種だが、割合寒さにも強いようで、静岡周りでは次第に人の手から離れても繁殖できるようで、野生化しつつある。

実際、この風船がはじけるとタンポポを大きくしたような種を風に任せて飛び散らせているので、、、、、

004 フウセントウワタ、漢字で書くと”風船唐綿” こうなって、いかにも中国が原産と言う感じもするが、生まれは南アフリカだと言い仲間としてはガガイモ科だといわれればなんとなく納得?するか、、、、しないか。

じゃが芋や薩摩芋、唐黍(トウキビ)の例もあるしね、、、、

この花は、美味しい蜜があるようで、一度黄色スズメバチに追い払われたイチモンジセセリが再び舞い戻り同じ花に分け合う形で掴まった。

周りにはいくつもの花がある中で、なぜこの花なのか、スズメバチのほうも強いて追っ払う理由が無かったと見えて、以後しばらく一緒にいた。傍には、蟻んこも来ており異業種交流?を思わせる。

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2010年7月24日 (土)

今宵は月も、、、

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待てどくらせど 来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 

                今宵は月も出ぬそうな

竹久夢二の歌をもとに作られた流行歌で、大正ロマンを表した歌の一つかもしれない。

宵待ち草と言うのは学名的には無い花で、一般的には月見草と呼ばれる、待宵草のことである。太宰治が山梨県の天下茶屋で「富士山には月見草が良くにあう」といったのもこの花であり、文人と言われる人たちにはこの花がもてはやされたのかも知れない。

夕方になって登ってきた、”十三夜の月を待ちわびる宵待ち草”を写真にせんものと、外に出れば厚い雲の隙間から、月が顔を見せそうで見せないと言うじらしのテクニックを使って気を持たせる。

そのうち、遠くから花火の音が聞こえ出し、安倍川花火が幕を開けたことを伝えてきた、、、、。

今日から夏休みに入った高校生の孫が、浴衣を着て見物に行くんだと張り切っていたから、今頃はあの空の下で空を仰ぎ見ていることと思う。

高校生になっても、全然色気の無い孫だったが、我が家で着付けを済ませるとそれなりに乙女らしくなる。

もう少しすれば、宵待ち草の悩みを持つようになるのかもしれないが、じいじ以上に親父がメロメロで、いまから「娘が嫁に行くときは号泣しかねない」といっていた。

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九時すぎて、夜空を見れば今日も暑苦しい夜を連想させる空に、月は遮るものなしに輝いている。(今宵は出ぬはずでは、、、)

昨日の大暑は寝苦しく、夜中に二度目覚めてクーラーをかけたが、今夜も同様な夜になるらしい。

一雨来てくれたら、、、、と、月に願いをこめてみたが「わしゃ 知らん」とつれなさそうな返事に、、、、

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2010年7月23日 (金)

谷津山から見たガンダム

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蚊にまとい付かれ、刺されしながら久しぶりに、愛宕山から谷津山への道をたどり、清水さんまで行こうと思ったが、暑さに負けて途中から山を降りて戻った。

道周りの、薄暗い藪の中に、その名も”藪茗荷”が白い花を咲かせている。

008 透きとおったような、五弁の花びらと先端が少しだけ黄色い雄しべを立てて、ひっそりと遠慮気味に咲かせている。

名前に、茗荷と付くが、葉が似ているために付けられたようで、茗荷とは全然縁のない露草の仲間だと言う。

秋になれば、黒い丸い実を一杯つけるが、そのときはいかにも堂々として見えるのは、人生経験ならぬ、、、、。

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我々が子供の頃と言えば、太平洋戦争末期から朝鮮戦争のころで、日本は食料をはじめ何もかも無い無い尽くしの国であった。

そんな時代だから、雑誌や絵本のなく、戦前の古い本をまわし読みをするくらいが精一杯の時代で、漫画のヒーローなんてありえない時代であった。(一世代前はノラクロ?)

そんな漫画がアニメと名を変えたのは、テレビが普及してからのことである。

そして、アニメの主人公は自分の子供や孫が夢中になった時期に一緒に見させられて覚えたもので、その主人公が何かの折に見かけるとあの頃のことが思い浮かぶ、、、。

アンパンマンやサザエさんみたいな長寿番組ではそういうことも無いが、娘たちの頃は「ムーミン」「アルプスの少女 ハイジ」や「みつばちハッチ」などであり、孫の時代になって一緒に見たのは「星の子カービー」「とっとこ ハムタロウ」「デジモン」などがあったが、その間のアニメはほとんど見ていないので分からない。

しかし、今回東静岡駅のそばにたてられた、、、、なんだっけ、、、、そうそう、「ガンダム」という大きなロボット像は現在30代男性に非常に人気があるそうで、早くも経済効果が何億円とか言われているらしい。

なんでも、高さが18mもあるとかで、実物大の大きさだと言うが、、、、散歩に行った谷津山からは、夏の陽気で霞みがかかった状態のうえ、色が灰色っぽく傍の建物に同化して分かりにくかった。

そして、足元は手前の木に遮られて見えないが、傍の建物の三~四階の高さしかないので迫力にかける。そばで仰ぎ見ればまた違った感想を持つかもしれないが、場所の選定を誤ったかも、、、、。

どんなアニメなのか全然知らないが、このガンダムに対抗するには同じくらいの相手が必要なのだろうけど、これらが暴れて取っ組み合いを演じても、ゴジラのように高圧線を切り、東京タワーを倒すほどの威力は無いだろうな。と言うのが初見参の感想である。 

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2010年7月22日 (木)

蛇の目傘の陰に潜む

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”線路は続くよ どこまでも”って歌があったけど、それをもじって「猛暑は続くよ いつまでも」って、やけくそ気味に歌いたくなる。

このごろでは、この暑さを見越して毎朝六時頃に家を出る。爺婆は朝が早い、麻機田んぼのあちこちには、ポツリポツリと人影を見、ほとんどがご同輩。

道端にハルシャギクが咲いている。ひとっころに比べると花の形が小さくなっているのは、暑さと関係が有るのだろうか。

ハルシャとは、ペルシャから変化したとも言うが、原産地はいまのイラクではなく北アメリカだと言われれば、何処でどう間違ってつけられたのかと思うが、そのエキゾチックな雰囲気が命名させたのかもしれない。

日本名の”蛇の目草”は中心の色変わりを蛇の目傘に見立てたようでいかにもと思わせる。

047 そこで、蛇の目傘に一番良く似た花をと探していたら、花蜘蛛が待ち構えている花に出っくわした。

この大きさでは、蝶や蜜蜂を捕まえるのはかなり無理がありそうなので、花アブなどが対称となりそうだが、果たしてこれだけの花の中から獲物がやってくる確率はどのくらいなんだろう。

とにかく、人間と違ってご馳走を食べるには、蜘蛛も餌になる小さな昆虫も苦労することだ。

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今日のテレビの話題は大韓航空機を墜落させた罪で死刑判決を受けた金賢姫元死刑囚が、来日したことの話題で持ちきりだった。

日本の法律を曲げてまで招致し、拉致家族と面会させたのはどういう意味があってのことだろうか、、、。

事件から二十三年たって、いまさらの感がする。拉致家族からも新しい話は無かった。と言うが、それは予想されたこと、、、どころか、その後の様子は北朝鮮の食糧難や交流を止めたことでいっそう分からなくなっているはずである。

なんだか見ていて、政府やマスコミの思惑が見え透いているようで、そのニュースが始まるたびにチャンネル?をあちこちに移動させてしまった。

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2010年7月21日 (水)

寄らば鋏むぞ

Img_0006.

一般にザリガニと言えばアメリカザリガニをさし、日本古来のザリガニは、北海道など北の地方で細々と暮らしているだけになった。

そして、このアメリカザリガニは雑食性で食欲旺盛なところから、棒の先に糸をつけするめでも縛り付ければ簡単につれるため、子供たちにとっては格好のおもちゃと化して人気がある。

今朝も、陸上に上がって食事した帰りなのか道端の草むらでがさごそしているのを見つけ、マイクならぬカメラを近づけてみた。

「御機嫌いかがですか?」と、すると「良いはず無い、あっちいけ」という。

そのうち、「うるさい これ以上近寄ると鋏でちょん切るぞ」と言いざま、威嚇してきた。水中ではすばやく後ろ向きにバックし泥の中に隠れるザリガニも地上ではからっきし融通が利かない。

それでも、あまりの必死さに「ハイ ハイ ハイ 分かりましたよ」、と、、つまんで水路に放り込んだが、これって、どうなんだろう。

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今日も暑さにうだり、朝の散歩以外、暑中見舞いを書いて投函するため外に出たとき以外、ほとんど外に出ない家のなかに閉じこもっていた。

熊の冬眠と反対に、夏眠と言うものがあれば、、、

それでも、クーラーを効かせず、扇風機だけで耐え忍んでいるのは、いま流行のエコ思想ではなく、三十年とすこし前、自分同様雪国育ちの母親を連れてきて、この暑さをクーラー無しで耐えさせた贖罪感も少しあってのこと、、、、。

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2010年7月20日 (火)

そして今日も

048s .

今日もまた朝焼け雲に誘われて、四時半過ぎに麻機田んぼを散策する。

ケリの仲間はまだ目覚めて間もないらしく、水が張ってあるところで固まったまま動こうとはしない。普段あれほど警戒心強く、すぐ逃げ去る鳥にしては珍しい。

011w .

近くの稲の葉には昨夜来の湿気が水滴として残ったのか、成長過程で吸い上げた水なのかは分からないが、一面に水滴をつけているのも夢幻的でよい。

とにかく、燃えるような朝焼けを経て、今日も静かに朝は明けていく。これからの暑さはこの景色からは感じられないほどに、、、。

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これだけ暑くなると熱中症にかかる人が増えてきて、新聞などで報道されている。

かく言う自分も暑さには格別弱く、いままでに二度以上は罹っている。

大きなものとしては、沼津の原で、仕事中に立ちくらみを起こし動く気がしなくなって、日陰に入り日没を過ぎてやっと帰ってきたことと、由比の山で足場組みを終えて、帰ろうとしたとき膝に力が入らなくなり、やはり、二時間ほど横になってから帰ってきたことがある。

いずれも、夏の暑い盛り、現場で一人作業をしていたときであり、病院には行っていないので自己診断だが、、、熱中症とおもっている。

鉱山の精錬所の溶鉱炉で働く人の背後には、塩が置いてあるというのを聞いていたので、以後は、梅干入りのおにぎりが昼食なり、飲み水には塩を少し入れていくようになって、再発はしていない。

しかし、年を取ると、その辺の抵抗力がなくなるそうなので、暑い日中は家の中に閉じこもりの毎日になってきた。

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2010年7月19日 (月)

わあ 猛暑日だ

017 .

暑い暑いを何回繰り返しても暑い。

”どんどんよく鳴る 法華の太鼓”をもじれば、「だんだん暑うなる 今年の夏」 今日も、気温は朝から30度を越し、、、、、。

早くも熱中症に倒れる人もいて、暑さに弱い自分としては先が思いやられる。

新聞を見れば、行楽客があちこちに出回って交通渋滞が起きているそうな。それで、家の中に閉じこもっていようと思っていたが、つい誘い出され、今日は少しでも涼しげなところへと出かけたのは、遠州は森町の”アクテイー森”に行って見たが、子供たちが歓声を上げて鮎のつかみ取りに興じている以外、見るべきものも見当たらないので、久しぶりに旧春野町へむかう。

この道路は、何年ぶりだろうか。2~30年前にはトラックを運転して現場への往復をしたところで、それから、随分変わったものの、あちこちに懐かしい思い出を刻んだ場所が残っている。

いったん、秋葉神社の下社に詣でたあと、引き返して、362号国道を中川根に向かって進む、先日来の大雨はまだ川を濁らせていて、清流気田川もねずみ色濁ったまま、こんな川を見ていると、涼しさが伝わってこない。

009 ただ、道脇に咲く合歓の木と少なくはなったが山百合が彩りを添えている。

お昼近くなって、ようやく天竜川水系と大井川水系を分ける久保尾辻で一休み、そこから降って中川根に下りるが此方の川も濁っていた。昨日この上流で若者が一人水遊び?で亡くなったと聞けば、その無茶さが分かるほど濁っていた。

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014 中川根で、食事を済ませ、今度は笹間川沿いに藁科川へ出んものと遡れば、此方は一変して川の水が澄んでいる。

こうでなくちゃ涼みが出来ないとばかり河原に下りて一休み。

川風に吹かれていれば心地よく、食後の満腹感と川音は眠気を誘い、しばしまどろむ、、、、。

笹間峠から、静岡に戻れば気温は35℃になる、整備された百葉箱の中の気温と舗装された照り返しのきつい道路とはかなり違う

おもわず「わあ 猛暑日だ」と

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2010年7月18日 (日)

久しぶりねって

017 .

今日は、NHKの9時から始まる「恐竜の絶滅、、、」を見ていて、早寝の自分にしてはブログを書くための時間がなくなったので、、、、簡単に

その前の番組で「ダーウインがきた」の前宣伝にペルーのハチドリを放送すると言うので待ち構えてみていた。

珍しいハチドリだった、ゴクラクチョウにも似て、変化した二枚の尾羽を頭上に振りかざして、雌の気を引くダンスを踊る。というものだった。

場所は、太平洋岸の2,500m付近の森林帯で数も少ないと言うことだったから、アンデスの山頂近くで仕事をした自分たちにとってはかすりもしないところだった。

しかし、ハチドリが花の蜜を吸う場面に、最近野生化し始めた”姫檜扇水仙”(モントレチア)が出てきたので「あそこが原産地なのかと」思って図鑑をひろげて見た。

008 ところが、図鑑には今年サッカーで湧いた南アフリカが原産だと出ているではないか。なんだか分からなくなってしまった。

ハチドリが活動しているのは、大西洋とアンデス山脈を隔てた原生林と見たので、、、、

もし、図鑑のほうが正しいのなら、自分の目の錯覚か、それとも、何かの形でこんな山奥にまで移動させたのか。

地球も温暖化だの、狭くなったので、いずれの日か、日本にもハチドリが野生化して、姫檜水仙に「あら、お久しぶりね」って日が来はしないか

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2010年7月17日 (土)

金剛力士に見下ろされ

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「梅雨明け」気象庁が言う前に確信したね。

紀貫之の歌に「夏の夜の 臥すかとすれば ほととぎす 鳴くひと声に 明るく東雲(しののめ)」というのがあったが、朝早くから、裏の川にカルガモがやってきて大きな声でグァグァと鳴く。

四時を過ぎれば明るくなり、東雲といわれる時間帯。時計の無い鴨たちにとっては朝食の時間なのだろうが、、、、、それにしても騒がしい。

むかしなら、あまり騒いでは人間に狙われたのだろうが、鴨たちにとって幾世代も人間に狙われたことも無く、岸辺の人間は餌をばらまく動物にしか見えず、すっかり警戒心をなくしている。

その声に、誘われ早朝散歩に出てみれば、空の色は澄み切り、刷毛でなでたような高層雲があちこちに、、、これを見て、思わず梅雨明け宣言を出してしまった。

しかし、気持ちよかったのは朝のうちだけ、次第に入道雲が増えてきて、なんだか、お寺の仁王門にいる金剛力士のような入道雲が此方を見下ろしていた。

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散歩の途中に見つけた昆虫。

飛び方が少しぎこちないような感じの蜻蛉を見つけた。朝のうちだったので羽化したばかりの蜻蛉かと思ってみていたが、そのうち、触角が見えてきた。

「あれっ トンボに触覚があったっけ、、、、?」一瞬考えたのち、慌てて写真に収めようとしたが、慌てているときは難しいもので、焦点も合わず触覚がはっきり写っていたのは僅かだけ、、。

かえって、「トンボ図鑑」をみたが、触覚のある蜻蛉はいない。ようやくにして探り当てた名前は「ツノトンボ」である。

一時は新種かともおもっていたが、結構いるんだって。形はトンボの良く似ているがカゲロウの仲間で、同じ仲間のヘビトンボはいかにもカゲロウと分かるが、これほどトンボに似ているとわからない。

蛇などに、毒蛇をそっくり真似た色をしているものがいると聞いたが、これも、トンボに似せることによってなにか御利益があるのだろうな、、、、、。

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2010年7月16日 (金)

格言ははずれた

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「朝焼けに川を越すな」とは若いときから聞いていた、格言?の一つ。

008 朝眼が覚めると、東の空が真っ赤に染まっている。久しぶりに富士山も真っ黒になって姿を現していたが、帰ってきて少しすると空一面に低い雲がかかり、さっきの空はなんだったのかと思わせた。そのとき、雷が鳴る。

遠くで鳴った雷だったが、朝の雷は珍しい。「朝の雷は大雨のしるし」これも気象に関する格言?

テレビを見れば、岐阜県の東濃地方に大雨が降ったとかで、従兄弟の住む町で崖崩れがおき、可児市ではトラックが何台も流されて橋げたに引っかかっている映像がでていた。

この分では、こちらも、格言どおりの大雨になるかもしれないと思っていたが、午前中に南側に青空、北の山側には低い黒雲がかかり、頭の上が丁度境界線のようになっており、時折小雨を降らすという状態で済み、格言は外れた。

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六時過ぎになって、大相撲ダイジェストを見た。

特に相撲フアンというわけではないが、時々見ていたのでそのままにしておいたところ、いままで、二時間かけてたっぷりと放送していたのがたった15分ほどに短縮されてしまっている。

以前からドラマなどを見るとき、背景の人などに目が行く癖と言うか、僻目があって、大相撲を見ていても桟敷の人を見ることがかなりあった。

テレビに映るあの席、砂かぶりは、一度でいいから座って見たいものだと思っていたが、維持員席とかで手に入らない席だと知ったのは、今回の騒動ではじめてだったし、あの席に、暴力団が座っていたとは知らなかった。

しかし、毎回、見ているうちに同じ人が連日のように来ているのはかなり大金持ちで寄付の多い人、ただのフアン、相撲好きでないということも分かった。

ただ、こんなダイジェストでも、維持員席ばかりでなく力士を写すカメラのアングルで、外周を写すことがあるが、一般席は空席が半分以上あるように見える、さぞかし、力士もガラガラの客席を見れば相撲の取り甲斐がなくなるようで、いい加減にやっていたように見えたのは、此方の先入観だろうか。

おりもおり、元大関 千代大海に疑惑があがってきたが、本人の言い分を信じてお構い無しとした。

これがどうでるか、膿を出し切っていたのかどうか。これからの判断が待たれる。

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2010年7月15日 (木)

暖簾をかきわけて

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一番初めに憶えたのは朝顔であった。育てやすい花で、種を蒔けば後は水遣りだけで育つため、小学校の低学年の植物観察に適している。

そのうちに、よく似た花で”昼顔”と言う名があることを知ったのは、かなり遅く中学になってからのことだったか、それまで、野生の朝顔だと思っていたかもしれない。

そして、夕顔が出てきて、夜顔(ヨルガオ)が出るに及んで「なんだ、朝、昼、晩と一日中 咲くのか」と思ってしまった。

いま、野っぱらのあちこちで夕顔が咲いている。朝顔のように花の色は幾種類も無く、桃色一色で、、。

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一日花なので、咲いてはしぼみ咲いてはしぼむの繰り返しながらも、種は作らない。自分で茂らせた葉っぱの影で静かに花開かせている。

繁殖は深いところで地下茎が縦横に走っているため、一度生えたら絶やすのが大変なのだが、、、。この特徴を花言葉にしたのか「絆」と言うそうだ。

そんな花なのに、蜜はあると見えて今日もセセリ蝶が覗き込んでいる。ちょうど、酔っ払いが暖簾をかき分けて「やってるぅ~」ってな調子。

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2010年7月14日 (水)

複雑な空模様のした

014a .長い口吻花に差し入れて蜜を独り占め

今日の空模様は複雑だった。晴れ、曇り、雨降り目まぐるしく変わり、青い空から雨が降ってきたこともある。

見上げてみると、上層の雲の動きと下層の雲が反対に流れていたりして、それがこんな天気を作り出しているようだ。

テレビでは、九州や山口県辺りでかなりの降り方をしているようで、濁流や崖崩れが頻発していて、他人事とは思えない気の毒さが伝わってくる。

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017 遅れてやってきた揚羽蝶、尾羽打ち枯らしてヨタヨタと、それでも生に執着して懸命に

その雨の隙間を縫って、と言うより、降られるのを覚悟の上で出かけた、近所のお寺境内に咲くアガパンサスの花。

涼しげな水色の花を、沢山付けて鞠のようにして立っている。

日本名を”紫君子蘭”だと言うが、あまり、似合った名前とは思えない。原産地はアフリカだといい、寒さには弱いそうだが、雪が滅多に降らない静岡では冬が越せるようで、露地に植えっぱなしでも立派な花を咲かせている。

此方では、明後日がお盆の供養をする日なので、境内には塔婆が何本も立てかけ並べてあった。だれもいないので聞きようもないが、墨を乾かしているのか、此方の風習なのか、それとも、ほかの理由なのか分からないが、始めてみる光景だった。

とまもなく、黒い揚羽が二頭もつれるようにこの花に近づき、花に戯れるように飛び廻り、「どれにしようかな?」と言った感じで花芯を覗き込んでは蜜を吸っている。

蝶のように口吻が長い虫向きの花なので、独占欲に満足したような余裕の態度と顔つきに見えてきた。

むかしの人は、蝶々に霊的なものを感じていて、万葉集などには蝶を歌った歌が全然ないそうだ。そのわけは、蝶のふわりふわりとした独特の飛び方や、腐った肉や糞などに一部の蝶が群がり集まることにあるためではないかと言われている。

おりしも、盆の入り、霊的なものを感じられる人はいざしらず、いたって鈍感な我は、雨が降り出したのもかまわず、ただただ眺めているばかり、、、、。

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2010年7月13日 (火)

藪からしとはかわいそう

006 .

この花の名前に、”藪からし”と言うかわいそうな名前が付けられている。

中央に咲く小さな花は、直径3mmほど、四枚の花弁の色は茎と同じ緑色をして、赤い花盤の周りには四本の雄しべを立てている。

そして、花の役目が済むと直ちに花びらと、雄しべを落とし?いや蜜蜂や蝶が落とすのかもしれないが、手前と左上のような状態にしてしまう。

この、花後の状態から蝋燭花という名も与えられているが。更に別名として「貧乏花」という不名誉な名前まで付けられていて、踏んだり蹴ったりの嫌われ花と言うことになる。

これは、繁殖力が強くて、周りの草木に巻きつき覆い尽くして枯らしてしまう、といわれて、付けられたようだが、藤や葛などに比べればそれほどでもないのだが、やはり、花の色形がものを言うのかも、、、。(人間同様外見がものを言うのか)

しかし、この貧相な花は、昆虫から見れば美味しい蜜源のようで、蝶や蜜蜂、金ぶんなど多種類の虫が常に立ち寄って繁盛している。

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013 .

この「藪からし」という名前の印象から、山本周五郎が、同じ名の小説を書いており、自分は、この小説を読むまでこの花を知らず、どんな蔓草なのか興味を持ったものだった。

小説の筋書きは、ずいぶん昔のことでよく覚えていないが

放蕩息子のところに嫁入りした娘は、夫が勘当されてからもその家に残り、姑の選んだ新しい婿を迎えて平穏な生活を送っていた。

それから何年かして、放蕩息子が帰ってきて内緒でお金を無心する。

始のうちは、少しづつ渡していたが、ついには多額のお金を要求される及んで、娘は家をでて、、、、、、、という。

題材は、放蕩息子を藪からしに見立てた筋書きであり、時代小説の格好を取っているが、今でもこんな子供で苦労している、親や連れ合いが後を絶たない。

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むかし、飛騨の年寄りたちは、「人間はそれぞれ食べる米の数が決まっていて、その数をたべ終わるとお迎えが来る」と言っていたし、明治生まれの自分の母親もそれをよく口にしていた。

まぁ、今で言う宗教に絡んだ一種の運命論だったのではないかと思うが、自分の母親は、その言葉通り、夕御飯を綺麗に食べ終わった直後、大静脈乖離で一瞬のうちに旅立ったものだった。

年齢も八十四歳、最後まで惚けもなく歩けたので、息子から見てもうらやましい最後だった。

昨日、演出家のつかこうへいさんが亡くなったと報道されていた。六十二歳という若さだったと言う。

随分と若い俳優を育て上げるなど、才能のある人だったらしいが、まるで、その才能を使い切るようにして亡くなったのは、やはり、食べる米の数が少なかったのか、速いスピードで才能を食べきったのだろうか。

きょう、七月十三日は死者の魂が仏壇に帰ってくる日だといわれ、雨の隙間を狙って迎え火をたく。

ここが、我が家だと冥界から分かるように、、、、

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2010年7月11日 (日)

DNAはしっていた?

047 .

麻機山の農道に咲きだした浜木綿(ハマユウ)に紋黄揚羽が纏わりついて離れない。

045 紋黄揚羽は、名前の通り後ろ羽根に真っ白に染め抜いた白い紋所をつけていて、これが、次第に黄色っぽくなるところから付けられたようで、揚羽蝶の中でも最大のほうに入り、羽根を広げると10センチ余にはなる大型の蝶であるが、南方系の蝶のためなかなか見ることが出来なかった。

しかし、長崎揚羽同様地球温暖化のためもあってか、次第に北上しつつあるようで、静岡でも良く見る蝶の一つになっている。原因として、蜜柑の葉を食性にするためであるが、蜜柑農家知恵比べの繁殖、退治の戦争をしている。

また、浜木綿のほうも大雑把な花のわりには、かぐわしい匂いを放ち、揚羽蝶をとりこにしているようである。

浜木綿。この植物は、本来は南方の海岸に咲いており、花が終われば丸い球根のような実を海に流して、漂着したところで根を張るため、ひょっとしたら花のDNAと紋黄揚羽のDNAは、そのむかし南の海の彼方で出会っていて、「初めてなのだけど、どこかで逢っていたような気がする」なんて言い交わしているのかもしれない。

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ところで、浜木綿の名前の出どころが気になって調べてみた。

木綿と書いて、”もめん”とは言わないで「ゆう」と呼ぶのはなぜか。

すると、古代日本では綿が入ってくる前、紙の原料に成る楮(コウゾ)をさらして、その繊維で布を織っていたそうで,花びらの様子が、コウゾの繊維を干すときの格好に似ているところから名付けられたと言うらしい。とのことだった。

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参院選挙の開票が始まり民主党が過半数どころか結構な惨敗も様子を見せている。

党首交代で支持率をあげていたのだが、管総理の消費税10%引き上げが裏目に出たようで支持を失ったとすればこれからの政局運営に党内からも批判が出ることになろう。

前にも書いたが、党内でろくに討議もしないで党首の一存で決めてたため、追求されてから低所得層には還元するだの何のと迷走しては、当然の話であろう。

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自分も、投票所まで迷っては見たが、地方区は結局白紙になり、全国区も前回と違う党の名を書いた。

これで、今回は完全な浮動票と言ったところか、、、、。

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2010年7月10日 (土)

もつれ合って上へ

021 .

Img_0008 チョウトンボが水面近くをひらひら飛び交っている。縄張りがあると見えて、ほかからの進入があると、もつれ合うようにして上へ上へと上がっていく。

当のチョウトンボたちは真剣に縄張り争いを演じているようなのだが、傍目から見ると、じゃれあっているようにも見えるし、ひょっとしたら恋のダンスをしているのかもしれない、とにかく、同じ色合い蜻蛉ばかりなので分からない。

チョウトンボは漢字で書くと蝶蜻蛉となるが、金属光沢を持った青黒い羽、特に後ろの羽根が大きいため、普通の蜻蛉のように直線状に飛ぶのではなく、羽ばたくような飛び方をするところから名付けられたのが分かる。

とにかくこの時期、なかなか木の枝などに止まらないので写すに難しい蜻蛉である。

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今日で、参院選の選挙運動が終わり、明日が投票日と言うことになったが、範囲が大きいせいか、それとも、繁華街に出かけなくなったためか一度の候補者が乗った選挙カーを見ることも無く終わった。

あまりの天気の良さに、麻機の農道に上がってみたとき、下のほうでスピーカーから呼びかける音がしたので、耳を済ませて聞いてみたら、「壊れたパソコンも引き取ります」と廃品回収車からの音だった。

とにかく今日になっても、誰に投票したらよいかわからない。こんなことはあまり無いのだが、お「帯に短し 襷に長し」ではない。いずれの政党も候補者も”全てに身近くなし”ばっかりに見えて仕様が無い。

いずれにしろ、チョウトンボのように、区別のつかない御託を並べて、もつれ合っているようにも見える、、、、、。

そして、参院議員不要論があるなかで、全国区が政党に所属していなければ立候補できないような仕組みでは、党首の言いなり議員ばかりで、良識の府はどこかへ行き、第二衆議院となれば、多額の歳費が必要なのか、と思うと、その必要性を感じない昨今である。

今のところ、投票に行っても白紙ままになりそうな感じ

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2010年7月 9日 (金)

浴衣地の白粉花

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オシロイバナがあちこちで盛りを迎えてにぎにぎしく咲いている。その中の一つ、浴衣地のような花を見かけたので一枚。

こんな浴衣で、花火を見に行くお嬢さんは、どんな人かな、、、夕方になって雨降る中、清水さんの方角から花火の音が聞こえてきた。

バン ババン!   と、今日は四万六千日の縁日だ。打ち上げ時間の七時頃は少し小止みになってきたが、それでも浴衣では少し無理か。

やらずの雨になったのだろうか。自分は二階の窓から音に先立つこと3秒くらい前、家と家の間から時折光る花火を眺めて終わる。

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010q 赤い色が基本のオシロイバナは、変異しやすいだけあって白やピンク、黄色をはじめ写真のような斑模様まで探していけばきりが無いくらい多様な色で咲いている。

名前の由来は、言うまでもないが黒い実を石でつぶすと、中から真っ白な粉状の実が出てくることから付けられており、夕方咲いて翌日の午前で萎れてしまうことから「夕化粧」の別名を持つ。

そのため、月見草の仲間で赤い花を持つ小さな花を”赤花夕化粧”と名付けているが、オシロイバナも赤が主体であることから、どちらが本家?なのと言いたい。

この花、南米ペルーが発祥の地だとされ、いろいろな花を咲かせるところから、ペルーの驚異「maravilla de peru」と言われていると書いてある。しかし、短い期間であったが、ペルーでこの花を見たことが無かった。

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2010年7月 8日 (木)

ちんちん千鳥は

022 .

いま麻機周辺は第二東名の取り付け道路工事とダイオキシンにで汚染された土砂の入れ替えなどで重機が動きかなりやかましい。

その一角に、工事順序があってか、土を盛っただけで工事を一時中断している道路用地があり、その上を小千鳥(コチドリ)の夫婦が小粋に蝶ネクタイを締め、それこそ千鳥足で忙しそうに走り回っていた。

傍に近寄っても付かず離れずの距離を持ったまま飛び去ることが無かったので、近くで卵を抱いている様子。そして、一羽の千鳥はこの付近から動かないので、ひょっとしたら、この写真の中に卵が写っているのかもしれない。

千鳥は一般に地面の上に地面と同じ色をした卵をおいたまま抱卵するそうなので、これ以上近寄ってうっかり、卵を踏み潰しては気の毒、とその場を離れる。

千鳥は昔から人目につく存在なので、歌にも良く歌われてきた鳥であるが、北原白秋の「ちんちんちどり」にしても、鹿島鳴秋の「浜千鳥」にしても暗い印象の歌が多い。

これは、千鳥の季語が冬のためなのだろうか、実際には愛嬌のある千鳥足であちこちに目を光らせ、相手の油断を見澄まして餌にありつく戦術をとっていて、我らが同輩の酔眼朦朧となって行く先定めぬ歩き方とはちと違うのだが、、、、。

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2010年7月 7日 (水)

五色の短冊 私が書いた

Img_0012 .

何年か前まで七夕の二~三日前になると孫から「じいじ、七夕の竹を持ってきて」と言う電話がかかってきて、知り合いの家の孟宗竹の一番小さい奴の先端を切って持って行った。

出来るだけ大きい奴をとばかり、自動車に積み込める最大限の長さに切っていくと、「こんなに大っきいもの どうするの」って娘に叱られたものだった。

しかし、このところしばらく音沙汰無しの年頃になって少し寂しい思いもしている。

今日の空模様は曇り、夜半になって雨も降りだして、彦星は織姫に会いに行けなくなっている。

子供の頃は、この話を聞いて、彦星が本当に天の川を渡るのかと空を見上げ、どの星が彦星なのか、親に聞いたが、親もどの星かは知らず、目を皿のようにして天の川を移動する星を探したものだった。

あの頃は、夜空にくっきり天の川がかかっており、星の数もそれこそ幾千万 無量大数であり、金銀砂子だった

そしていま、目が悪くなった為ばかりではない。地上の星によって、夜空の星は数えるほどしかなくなり、小学生が林間学校などに行って夜空の満天星をみて「気持ち悪くなった」というくらい、少ないのが日常になった。

そして、彦星や織姫はもちろん天の川さえどこかに消し飛んで歌の世界だけの話になってしまった、いま、保育園ではどんな話をしているのだろうか。

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七夕の歌の二番「五色の短冊 私が書いた お星様きらきら 空からみてる」。

田んぼに立てられている笹竹の飾りをみていたら、子供の手になる願い事を見て思わず頬がゆるんでしまう。

しかし、七夕祭りは日本独特のことだと知ったのはごく最近になってのこと、五色の短冊は、中国の五行思想に従って色分けされていると聞いていただけに不思議だった。

五つの色わけは、赤 白 青 黄色に黒であり、高松塚古墳の画にも朱雀、白虎 青竜 玄武とあり、中天が黄色となっていた。

そして、当時は願い事も色によって違っていたそうだが、星の見えない今では願い事も届くやらどうやら、、、。

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2010年7月 6日 (火)

夏の花 カンゾウ

Img_0002 .

今日も蒸し暑い一日だった。暑さに弱いことを自覚してなるべく日中は外に出ないように引きこもっていても、夏ばてが始っているようで体がだるい感じがする。

それでもと思い、日差しを避けて散歩に出かければ、カンゾウの花が異様に元気で、真っ赤な花をこれ見よがしに咲かせている。

Img_0005

カンゾウは、一重の花を咲かすのを野萓草、八重の花を咲かすのを藪萓草というが、若芽のときは区別が出来ないほどよく似た葉をしていて区別できない。しかし、どちらも、さっと湯に浸して花かつおをふりかけ、お浸しにすれば、ほのかな甘みとしゃきしゃき感があって美味しい山菜でもある。

また、この花は万葉集の中でも歌われていてワスレグサの代名詞でもあったようで、この花を身に付けておくと嫌なことを忘れさせてくれると言い伝えられていたようだ。

ちなみに大伴旅人の歌に

萓草(わすれぐさ) わが紐につく 香具山の

         ふりにし里を 忘れがため

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2010年7月 5日 (月)

ゆ~らりゆら、、、と

010a .

池を吹き渡る風に花びらをゆだねて、蓮の花が花びらを揺らせている。

多分花としての務めを終えたのだろう。開ききった花びらに力は無く、いまにもハラハラと花びらを舞い落としかねない感じで、ゆ~らりゆらと風まかせ、、、。

013a ”ポンッ”って、音は立てたかい? 聞こえなかったけんど

昨年までは、蕾からいま開ききったと言わんばかりの花を狙っていたが、踊り子の手さばきのように大きな花びらを揺らしている花に目が行ってしまうのは、我が身に照らしてのことのような気がしてならない。

藤枝の知り合いから、蓮華寺公園の蓮が見ごろだよという知らせで行ってきたので出かけてみたが、車を降りた途端真上から照りつける重苦しいような熱気におもわず「あつ~い!」。

それでも池の周りを一周してきたが、ウイークデーと言うこともあってか、人影もまばら、ときおり吹く風を探すようにして巡る。

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これまで、歴史には関心が薄いと見られてきた女性が漫画などの影響で戦国武将の名前を知り、「レキジョ」と名付けられて、ゆかりの地を回っているそうだ。

戦国武将に興味を持つと言うのは、肉食女子に関係が有るのかと思ったら、漫画に書かれている武将の顔を美男として書くためだそうだから、近いうちに熱が冷め、「そんなことあった?」ということになるだろう。

有名な作家だったが、名前を忘れた。

その人が、歴史小説のあとがきに書いていた言葉の中に「小説家は嘘つきです。一冊の本をものにするのには、歴史上の事実を集め、その隙間を自分の想像で膨らませるだけ膨らませて書くのです」と言っていた。

無味乾燥な、歴史上の事実は省くわけには行かないが、残りがまるっきりこうだったらいいなぁ、と言う小説が、テレビで放映されるといかにもそれが事実であるかのように大騒ぎする日本人、というより、それに乗っかって「観光誘致!」だとのぼりを立てる。

まるで、全国順繰りに回る国民体育大会に似ている。昨年は、歴史上に名前が見つからない「山本勘助」であり、今年は明治の中ごろまでほとんど知られていなかった「坂本竜馬」である。

自分たちが子供のころ読んだ、歴史上の人物で平清盛と足利尊氏は悪者の典型であり、徳川家康は狸親父として三大嫌われ者であったが、テレビドラマで生まれ変わった。

この先どんな人物が、祭り上げられるのだろうか。それにしても、作家の膨らませた夢をほんまこととして信じてしまう人、、、、、  

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2010年7月 4日 (日)

白鳥はかなしい?

024 .この鳥は青鷺、正確にはダイサギ、コサギなどと違って純白の羽根は着ていないのだが、、、

白鳥は かなしからずや 

空のあお 海のあおに染まず漂う

011e ついでに、田んぼの緑にも染まず飛ぶアマサギ

若山牧水の有名な歌であるが、この場合の白鳥(しらとり)はどんな鳥を想像するかで趣きが大分違ってくるように思う。

カモメを想像する人、文字通り白鳥を想像する人、白鷺を想像する人、、、がいる。

また、”かなしからずや”を悲しと思う人、哀しと思う人などがいる。

歌は、言葉を凝縮することによって、いろいろと解釈できるところが面白いのだが、この辺のセンスが無い自分にはかなり難しいものと思っている。

一般に、地上を徘徊する動物には突然変異で起きる”アルビノ”を除いて白い獣は人間に寄り添って種の変化をさせられた、犬 猫 馬以外に思いつかない。

これは、中生代後期に発生した哺乳類が夜しか活動するところが無く、色の識別能力をなくしたことと、弱肉強食の世界で、追いかけるにも、逃げるにも目だって仕様が無いからと言われている。

鳥や昆虫の仲間は、色を識別できるため、目立つ色で異性にアピールすることのほうに重点を置いたためと言われているが、カモメや鷺は魚が空を見たときに見えにくくするため、雄雌を問わずに白くなったと見てよいと思う。

そうすれば、あおに染まらないことがかなしいのではなく、染まりたいと願っているのに、と思うのはこちらの邪推か。

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2010年7月 3日 (土)

エノコロって

004m .

道端の雑草、エノコログサ。漢字で書くと「狗尾草」となるそうだが、犬の尻尾から転化したものか、別説によると”犬ころ”から来たとも言う話もある。

どちらにしても、子犬の愛らしい尻尾を連想したことが分かる。

そして、自分たちは子供のころこの草を”ネコネコオンボ”といって、猫じゃらしに使い、友達の後ろに忍び寄って耳やえりくびを気付かれないようにくすぐって遊んだことがある。

ネコネコオンボは、猫の尻尾と言う意味であることは間違いないし、遊び道具としても雑草の割には嫌われていなかった草であろう。

同じ場所に、生えている紫っぽい草は、エノコログサの変種で、その名もムラサキエノコログサとそのままの名前が付けられている。

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003a 先月二十四日に、空気銃の玉で撃たれた猫が報道され、昨日、撃った犯人として近所の男性が逮捕されたとワイドショーは報じていた。

飼い主は、「屋外で止めていた自動車に飛び乗ったからと言って空気銃で撃つのは許せない」といきどおり、コメンテーターの一人は「愛猫家の一人として猫には罪が無い。情けないの一言だ」と言っていたが、動物に罪の無いことは分かるが、それを飼っている人も罪はないのだろうか。

他人の家の犬猫の糞尿や、猫の爪で自動車などを傷付けられたたら、どうおもう?

へらへらと笑っていられるだろうか。「大人げ無い!」といわれようと、自分も猫を見たら同じ行動をしてみたい衝動にかられたことがたびたびある。

前にも書いた事があるが、近所の老人が八匹以上の猫に餌をやり、その猫による被害で近所中が迷惑しているとき、、、、、。一体に、日本人には犬や猫をはじめ動物を飼う資格がある人はどのくらいいるのだろうか。

小さいうちはかわいいだけで育て、躾の出来ていない動物やモラルの無い飼い主が多すぎる。道路際の大型犬の糞はそのままにし、リードもつけず散歩に連れ出す、小型犬を抱っこしての散歩。そして、無駄吠え。その挙句が、「うちの子に限って、、、」とくる。

昨年のことだが、温泉の浴槽に犬を連れて一緒に入っていた人がいた、注意をすると逆切れされ、宿の主人に注意するように話したが埒が明かず、以後、犬同伴を許している宿には行かないことにした。

公園の捨て猫、野良猫に餌やりは、その繁殖に輪をかけており、その糞尿は砂場でするため幼児をうかうか遊ばせられない。

これを書いていると、自分も次第にエスカレートしてしまうのでやめるが、愛犬、愛猫家の人に言う。あなたの家の犬、猫は、飼い主が思っているほど世間からは愛されていない。蛇が嫌いな人がいるように、犬猫が嫌いな人もいることを知ってほしい。

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2010年7月 2日 (金)

半夏あれこれ

028g .

今日は節季の半夏であり、更に細かく分類した七十二候では「半夏生ず」となる。

梅雨の末期、天地に毒が満ち、”半夏と言う毒草が生ずる”というころである。

029 では、半夏という毒草はどれかと言うと、烏柄杓(カラスビシャク)だと言うのだが、そんなにおどろおどろしい草にはとても見えない。どころか、吐き気を抑える薬として使われているくらいである。

サポニンを含んでいると言うから、ひょっとして「毒をもって毒を征する」と言ったところかもしれないが。

草の花は、上の写真のようにどちらかと言うと、浦島草に似て長い釣竿のような苞を振り上げ、見ようによっては愛嬌があるが、アメリカなどでは侵略的外来種とされているようで繁殖力はかなり強いようである。

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014 此方は半化粧(ハンゲショウ)

ほかにこの時期よく似た名前の花として、半化粧(ハンゲショウ)という名の草があるが、此方は、葉っぱの一部が白くなるところから、半分化粧をした顔に見立てて名付けられたようで、白い花を一杯つけた穂を立てている。

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023 マタタビも良く似せて

さらの、この草に良く似て、部分的に白い葉っぱをして蔦に、「マタタビ」があるが、木の実は秋に黄色く実って食用になり、子供のころは良く食べたものだった。

”マタタビ”の名前の言われは、強壮剤としても使われ、歩き疲れた旅人がこれを食べると、また歩き出すことから「又旅」というらしい。

また、猫にマタタビと言って、猫科の動物はこの茎の匂いに反応し酔ったような状態になるとも言われているが、自分としてはまだ見たことがない。

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2010年7月 1日 (木)

社交界デビュー

009q .

水を張っただけの田んぼにカルガモが十五~六羽ばかし集まっていた。

005q 体格的にはほとんど差が無くなった小鴨

どうも、カルガモの社交界デビューか、公園デビュー見たいな感じで集まっているらしい。

身体の大きさは、付き添う親の八割を越えているようで、遠めにはほとんど大きさに差が感じられないが、僅かではあるが境目があるところをみると、気恥ずかしいのか、親に甘えていたいのか。

親鳥らしいのが三羽見えるところをみると、三家族らしいが、こちらからカメラを向けているのが無作法と感じたのか一列になって遠ざかっていった。

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今日から、今年の後半戦の入り各地で山開きが始まり暑い夏がいよいよ本格的になったことをうかがわせる。

空模様も、梅雨を忘れたかのように雨を落とすことをやめているが、かといって薄雲がかかっているため、かっとした暑さでもない。

静岡でも、四十年ほど前”七夕豪雨”と言うのがあって、市街地が水浸しになったことがあったと聞く、この先、まだまだ注意しなければ、、、、。

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