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2010年7月30日 (金)

ブルブルッと

007 .

朝方まで降っていた雨も止んだと思ったら早速クマゼミがシャリシャリシャリと鳴きだした。

昨日、我が家で雨宿りをしていた蝉もその仲間に入って楽しい宴をやっていることと思うと、日ごろうるさいだけと思っていたのに片頬がゆるむ。

いったん青空の出ていた空模様が変わり、午後になってまた降り出し、蝉の恋も振り出しに戻ってしまった感がある。

091 その雨の中、鬼百合は何事も無かったかのように、花びらを反っくり返して平然と咲いている。下向きの花は、雄しべ雌しべの傘となり雨をものともせず、昆虫を誘っている。

山百合や高砂百合と違って、その色合いは、人によって毒々しいとも見えるが、花言葉は「愉快、華麗 陽気」である。

一方、大形の花を咲かせる山百合の花言葉は「荘厳、純潔」などとなるそうだが、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と言った場合の百合はどっちの花であろう。

おきゃんな振袖姿の鬼百合を採るか。楚々とした浴衣姿の山百合を採るか。

両手に花と言うわけにはいかないとしたら、、と、若い頃なら考えただけでブルブルッと武者震いがしたことだろう

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最近になって、自分の子供を虐待したあげく死亡させる事件が多すぎるような気がする。むかし聞いた300事故の法則から言うと、恐ろしくなるほどの子供が今現在虐待を受けていることになる。

今日も育児放棄の挙句、二人の子供が亡くなった事件で若い母親が逮捕されていたが、今年に入って同じような事件を何度も聞いている。

自分たちの子育てのときも、夜泣きして眠れず、次の日の仕事を考えると危険な仕事をしていただけに、苛々とはしたものだが、殺すとか、捨てるとかは夢にも考えたことが無かったし、こんな記事は見たことが無かったように思う。

いま、この事件を起こしている人たちは、二十代から三十代であるが、この人たちを育てた世代となると、自分たちから下の人が多いことになるのだが、何処が間違っていたのだろうか。

育った家庭環境から作られた倫理観なのか。世間の風潮がこの人たちを作ったのか、、、。

このままで行くと、将来、鶏同様に子供が出来たら取り上げて子育てする機関に預ける。と、いうなんだかSF映画に出てくるような場面や、もっと進めば精子と卵子の管理まで国が計画的にしてしまうと言う、空恐ろしいことになるような気がしてしまう。

真夏の暑い夜ながら   ブルブルッと寒気がする怪談を一席。

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コメント

MOZOさま
戦前の道徳教育を復活せよ。と言う積りはありませんが、昭和30年代までに、、、いや40年代もそうでしょうけど、このころ、生まれ育った子供たちは、食うものさえない生活でしたから、あれもしたいこれもしたいという夢を子供にしてあげる。
また、子供が希望すれば何でも与えられたバブル期に野放図に甘えさせたことが原因だと思っています。
そのため、欲しいものに我慢すると言う気持ちもなく、手に入らなければ世の中が悪いとばかりに駄々を踏む、子供のままの成人が増えたのではないかと思っています。
この問題が解決するのは、、、なんだか絶望的に思えてなりません。

投稿: オラケタル | 2010年8月 2日 (月) 21時27分

オニユリの派手さも夏の山には似合うんですけどね。オレンジに黒紋というのが、人によっては毒々しく写るんでしょうけども。

児童虐待の話は、日々子どもたちと接している自分にとっては、心が痛む問題です。いや、自分が親の世代である30代だし、子どもにとってはのんびりしていられない問題なので、心を痛めている場合じゃないんですが。
かといって、児童相談所に通告するにはなんだか敷居が高いし、かといって家庭内まで踏み込めないしで歯がゆいんですよね。

慶さんが書かれているように、物理的にも精神的にも家庭が地域社会から分離独立してしまっているように思います。非常に狭い世界になってしまっているんですよね。
場合によっては、二世帯住宅でも、じじばばが息子・娘夫婦に何も言えない、なんていうこともあります。おばあちゃんに「娘には何も言えなくて…。孫のことで娘がご迷惑をかけてすみません」なんて言われたこともあり…。

親世代の育て方が悪かったのか…なんですが、自分の世代もそう今までと変わらない教育を受けてきたと思うんですけどねぇ。ベテランの先生たちにとっては、自分が若い頃に教えた子たちの息子や娘が今学校に来ているわけですが、「おかしいなぁ、親たちの育て方を何か間違ったのかなぁ?」と首をかしげているのが現実です。

でも、私たち世代が大人になりきれていないというのは、その通りだと思います。まわりが面倒を見すぎてしまったんですかね。大学時代、周りに自立できていない人が多くてびっくりした記憶があります。(まぁ、ストレートで入ってきた人たちよりも3歳年上だったというのもあるのでしょうけども)

投稿: NOZO | 2010年8月 2日 (月) 18時57分

慶さん
百合の花はうつむき加減ながらしぶとい性格を持っています。少々どころか大雨にも負けず、、、蝶はいつもそれに負かされます。

子供への虐待、静岡流に言うと「おとましいこと」といいますか?
子供が欲しくてトラブルの起きそうな代理出産まで実行する一方で、、、、、
身体ばかりでなく心が幾つになっても大人になりきれない人は、育ち方に問題があったのでしょうか。
やはり、根源はその人たちの親の方に問題があったように思います。

投稿: オラケタル | 2010年7月31日 (土) 21時58分

TOMOKOさま
最近の子育てのニュース、つらいですね。
目をそむければ解決するのならよいのですが、、、、
戦後の我々が受けた教育は、戦中の束縛から解放され、自由は強調されたのですが、義務のほうがおろそかにされたのは事実でしょう。
私が育った町は小さなところで、明治生まれの親からは「人に迷惑をかけることはするな」が口癖だったけれど、、、、
そのたがが外れたのは、なんでもお金に換算したバブル期の狂乱のような気がしてなりません。


そんなに単純に割り切れるものではないでしょうが、、、

投稿: オラケタル | 2010年7月31日 (土) 21時42分

鬼百合と山百合、どっちにするかのくだり、面白く拝見しました。鬼百合は美しくもありでも鬼を連想させるようなものもあったのでしょうね。そこにも魅かれ、山百合の可憐さにも心ひかれ、蝶々♂としては迷っちゃうわけですね(^_-)-☆

それにしても置き去りにされた子どもたち。どんな思いでと思うとかわいそうで…。母親(生物学的に)も何か育てられ方に問題があったのでしょうが、あり得ないというかあってはいけない事件ですね。昔のように、完全に閉鎖は出来ない家の構造なら、近所の人もなんとかできたでしょうが、鍵を閉めたらだれも入れないというのが、昔ではありえなかった事が起きる一因かもしれません。泊まりに行く友達の家はあっても、母親を、子供たちを救う人はいなかったというのが、なんとも哀しいです。自分の子どもたちと同じ世代なので、他人ごととは思えません。今こそじじばばだの、近所のうるさいおじさん、おばさんが必要なのかも。と思いたいです。

投稿: | 2010年7月31日 (土) 11時33分

子供の虐待のニュースは、なるべく聞かない! 見ない! 
そうでもしないと、やりきれません。
自分達の子育てにも、多少の責任があるのでしょうか~?
今回の旅行でも思ったのですが、スイスの国にも色々な制限やきまりがあるようです。日本人からみると、え~ぇ! と云う感じで。 だから街並の統一感が心地良く感じられたりするのですよね。日本はあまりに自由すぎるのじゃないでしょうか?
だから我慢をすることも忘れてしまっている? ように思います。

投稿: tomoko | 2010年7月31日 (土) 09時06分

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