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2010年8月31日 (火)

毒を感じさせない沢桔梗

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昨日でかけた小田貫湿原の一方の雄は、沢桔梗。

濃い紫の花を高く掲げて咲いている。背丈は、1㍍は優に超しているが、木道に沿って咲いているため、目の高さにするには屈まないといけない。

035 花の大きさは2センチくらいはあり、幾つもが縦に連なっている。そして、一見したところ、雄しべらしきものが広げた花びらから一本突き出しているが雌しべが見当たらない変なかっこうをしている。

この草はかなりの強い毒をもっていて、横溝正史が「悪魔の手毬歌」と言う小説の中でこの毒で殺人が行われことにしているくらい、有名な毒草である。

しかし、暑い夏の終わりに咲く爽やかな感じから、その毒性は微塵も感じさせないから、なおのこと怖い。

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昨日から静岡市の小学校では、二学期も始まり学校にまた活気が戻ってきた。

それに合わせるかのように、城北小学校の周りの木からあれほどかすまびしかった蝉の声が消えてしまい、かわりに草むらから虫の声が聞こえてきた。

気温的には、まだまだ真夏日が続くとテレビのお天気姉さんが舌っ足らずの声で説明していたが、蝉のほうはいっせいに務めを終え退場した模様だ。

一般に、日本人は虫が好きな国民だといい。西洋人はトンボを悪魔の化身だの、蝉や虫の声は雑音にしか聞こえていないといわれている。

たしかに、クマゼミの鳴き声(?)などは近くで聞くと、職業性難聴の自分でも耳が痛くなるような音を感じるが、庭のこおろぎの声などには、哀愁を感じるのは、胴長短足とともに、純日本人である証拠のようなもの。

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2010年8月30日 (月)

あなたに あなたに逢いたくて

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吾もまた 紅なりと ひそやかに    高浜虚子

もう咲いていることだろうと思って、小田貫湿原にワレモコウを見に出かけてみた。

055 富士宮の田貫湖近くの小さなこの湿原は、静岡の人には割合と知られていないのか、今日も他県ナンバーの車しか駐車していなかった。

小田貫湿原は、標高630mのところにあり、真ん中に木道を渡し、ゆっくり歩いても三十分とはかからない小さな湿原であるが自分的には好きなところで、長者ヶ岳への山登りのときばかりでなく、年に三回位は立ち寄る場所で、春のモリアオガエルから、秋の紅葉、冬の雪化粧なども見てきた。

今回は、夏休みも済み人出も少なかろうと出かけたわけだが、予想はぴったし当たって、駐車場には先客が誰もいなかった。

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ワレモコウ。もともとは”吾木香”と書いたようだが、和歌や俳句のほうで”吾亦紅”と書くようになり、三年ほど前に「すぎもとまさと」の”吾亦紅”と言う歌で「あなたに あなたに 謝りたくて、、、」のフレーズで此方のほうに分が揚がってしまった。

マッチ棒のように細い茎の先端に決して赤いとはいえない、暗い色の吾亦紅。

写真にしようとすると、ほかの植物が沢山ある中に埋もれてしまって、焦点が合いにくく良い写真はなかなか出来ない。

一番先端から花開くようで、木道から一番近い花にレンズを押し付けてみたのが、、、、、、、、、これ。

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ほかに、直径2㌢位はありそうな浅間風露と釣船草が派手な赤を誇示していて、吾亦紅はその陰に隠れいたが、ズンドコブシの”汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも 駅のホームで泣いていた 可愛いあの子が、、、”みたいな雰囲気で、、、、へへっへっ

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2010年8月29日 (日)

朝日の当たる家 (ねじれ雲)

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ここ二~三日の朝がめっきり涼しくなってきて気持ちが良い。

空気も澄んできたのか、十七夜の月もすっきりと見え、上空の雲は、気流の流れに揉まれてリボンを結んだようにねじれている。

029 丁度散歩の途中だったが、昇ってきた朝日によって、田んぼの中の赤い農作業小屋が更に赤さを増してぽつんと立っていた。

おもわず、むかし聞いた「日の当たる家」と言う歌が思いだされる。

もともとはアメリカ民謡だったとも聞いているが、当時は、歌の意味は分からなかった。

物悲しいようなメロディーが好評でヒットした曲だった。

最初に聞いたのは、1,964年 アニマルズかボブディランだったか覚えていないが、同じ年にレコードを発表した、というからその頃聞いたことになる。

それから五年ほどして、70年安保の頃、アングラ歌手の浅川マキが歌った歌で原曲の内容を知った。(淺川マキさんは今年1月に名古屋で亡くなった。まだ64歳だったとか)

その後も、ドリーバートン、ジョーンバエズ、そして、ちあきなおみなどの幾人もの有名歌手がカバー曲をだしていた。

この歌の内容、女性が歌うと日の当たる家は娼館で、男性が歌うと少年院だと言う人もいるが、自分は、落ちぶれていくおんなの恨み節だと聞いたとき、しっくりとくるものを感じ、戦後流行った菊池章子の「星の流れに」や藤圭子の「圭子の夢は夜開く」とおなじバージョンかなという気がした。

同じアメリカ民謡からでたという、「オーマイダーリン クレメンタイン」に比べると歌詞は変化していない。、、、、と言うことは、歌詞に重みがあるのだろうか。それとも替え歌が出来ないというのは、マイナーなのだろうか。

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2010年8月28日 (土)

バタ臭く見える盗人

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022 アレチノヌスビトハギの花が綺麗に咲いており、早くも名前の由来となった盗人の足を思わせる種をつけだしている。

漢字で書くと荒地の盗人萩となり、原産地はアメリカだとのこと、そして、頭に荒地のと付くように生育環境の悪いところでも大繁殖し、その種を包んだ鞘が体中触れたところに引っ付いてこれからが困りものの植物である。

その美しさは、外来種だけあって日本のヌスビトハギよりも、目鼻立ちがすっきりとした美人を思わせるようなおもむきがあり、いかにもバタ臭く見えるのは、彫りの浅い顔をした日本人の僻目か。

本家の萩より美しいのではないだろうか。

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008a いっぽう、此方は路上に残る怪しき足跡。長さは10センチ、警察の鑑識にその正体を明らかにさせる必要有りや無しや、、、。

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2010年8月27日 (金)

とにかく増える  (子宝弁慶草)

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032w この草をコダカラベンケイソウと言う。漢字で書くと”子宝弁慶草”となるのだが、普通の植物と違うところは、「花をつけて実が成る?」のほかに葉っぱの縁に子供をいっぱいつけ、1cmになる前に地上に落下させ繁殖することができるところにある。

上の「花を付け、実が成る」と言うところに(?)マークをつけたのは、ここ二年花が咲くのに実が付かないからである。

とにかく増える、勝手に落ちて転がった先で大きくなる。おかげで鉢の下は土が見えないほど、びっちりに埋め尽くされている。

しかし、いまの日本で大増殖をしないのは寒さの弱く、霜が滅多に降りない静岡でも冬は軒下にかくまわないと越せない。

弁慶草の仲間としては”金のなる木”や”カランコエ”などがあるが、この草はその中でも変わっているものと言えよう。

葉っぱの先に、子宝を作るということは、花粉の媒介などでほかの遺伝子を入れて種を保つと言うことと違って、同じ遺伝子を持つクローンと言うことになり、無性生殖で増殖すると、お互い似ていても遠くのものとは別のもになるのだが、、、なんだか難しい世界に入っていきそうになる。

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「松田聖子が50歳で妊娠!」という言葉がテレビから流れてきたとき、あんな大きい子供がいるに、、と思って画面を見直したら、自民党代議士の野田聖子が写しされていた「なん~だ 人違いか」と思ったものの、50歳で妊娠して、子供が成人したときは70歳か、自分の年になってまだ子供が大学生、、その先、手がかかるとしたら、、、思っただけで貧乏人にはできないこと。と同時に、長生きをして成長を見届ける自信のほうはどうなんだろうと思ってしまった。

子供が出来なくて、どうしても欲しいと言う人の気持ちは公式的には分からないでもないが、いくら科学が進んだとはいえ高齢者出産のリスク、体力が落ちてからの子育てなどを考えると自分的には御免蒙りたい。

自分たちが、昭和20年代頃まで平均寿命は五十代で「人生僅か五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり、、、」と、言われた頃からあまり進んでおらず、会社を五十五歳で定年退職した人をみると、とてもそれ以上働けないほどよぼよぼに見えた。

そのため、童謡「船頭さん」にあるように「村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん 年はとってもお舟こぐときは 元気いっぱい艪がしなる、、、、」と歌われ、舟をこぐとき以外はおじいさんと言われても不思議ない時代だった。

そして、自分が生まれて時の父親は三十代半ばのときであり、ほかの同級生の親に比べてかなり年上だったことで恥ずかしい気持ちにさせられたものだったし、親が定年を迎えたときには、二十一歳で上の学校どころか、下の弟妹の面倒さえ押し付けられたと反発したものだった。

最近は、晩婚化が進んで学童生徒の親の年齢も高くなってきているが、子供に対する責任と言うことを考えた場合、どんな風に計画しているのだろうか。

二十年ほど前のこと、手に怪我をして手術をしたとき、医者に言われたのは「気持ちはどんなに若くても、身体は年相応に老化しているのだから、治りは遅いものです」と言われたが、どんなに栄養を取ろうと身体に気をつけようとそれによって、気持ち同様に老化を遅らせるところまでは来ていないようだ。

         と、肝に銘じよう。

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2010年8月26日 (木)

ラブリーな日本

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そのむかし、日本は「大和豊秋津島」と呼ばれていた。

日本初の天皇と言われる神武天皇が大和の国を国見して「秋津が交尾しているような美しい山が連なる国であることよ」と、のたもうたと日本書紀にある。

秋津とはトンボのことであるが、自分の国を見てトンボが交尾していると言う表現をいまの天皇や総理大臣がしたとすると、どう評価されるだろう。と思うと、、、、

巴川のそばで乱舞している、その名も神様トンボの中にまさに交尾中のカップルがいた。

尻尾をエメラルドグリーンに光らせた雄が、尾の先で雌の首の根っこを挟み込んだと思う間もなく、草の葉先に止まり交尾を始めた。

その葉っぱにつれてくるまでの様子がまるで、拉致そのものといった感じにみえる。

雌のほうも、それ以前に同意していたのか、観念したのか、葉先にとまるとすぐに尻尾を雄の胴の下に差込み、ハート型の姿勢をとった。

この形と、大和の国の山並みがどう一致するのか知らないが、今風で言うならラブリーな格好でペンダントにしたいデザインかもしれない。

日本の国は愛である。      ”愛”と言えば友愛も愛か

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報道に煽られたかのようにして、民主党の代表選挙に管首相と小沢一郎が激突する格好になるようだ。

一般国民から見ると、巨額な政治資金の使い道を秘書のせいにして説明をはっきりとしないでいる小沢一郎が代表で首相と言うのは納得できないが、管首相も消費税増額の独り決めや、国家戦略局格下げなどチョット引いてしまうと言う感じは免れがたい。

ただ、いまの閣僚のほとんどが鳩山前首相の選んだ人であり、選挙直前に就任したドタバタ内閣では思うように行かなかったかもしれない。

しかし、ここに来て山岡副代表や原田総務大臣、興石参院会長など小沢側近と言われる人たちの顔つきが卑しく見えてきたのは自分だけの感情なのだろうか。

それにしても、日本を任せたいと思う人ってのはいなくなったもんだね。

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2010年8月25日 (水)

たまには甘いものを

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「やい おれが花の蜜を吸っていたなんて、他人には言うなよ」って言うような顔をして黄色スズメバチがノウゼンカズラの花の中から出てきた。

その様子は大酒飲みが、饅頭を食べてるところを見られたようで面白い。

スズメバチの仲間は、一般に肉食で、いも虫などを肉団子にして巣に持ち帰ることから、蜜など吸わないように見えるが何でもの中には花蜜も入るそうだ。

しかし、よほど恥ずかしかったのか、暑さボケしていたのかカメラのレンズを間近に近づけても目を合わせないように、そっぽを向いたまま動こうとはしなかった。

あと一ヶ月もすれば餌にする昆虫も少なくなり、迫りくる冬の寒さに怯えて攻撃的になるのだが、、、、

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チリの鉱山で生き埋めになってから十七日目に33人が生存していたと言うニュースが流されていた。

炭坑のようにガスの発生などが無かったのが、奇跡を生んだ原因のひとつと思われるが、救出までに四ヶ月もかかりそうだということが気がかりである。

いくら外部とつながっていようと、狭い空間の中で生活できるのだろうか。宇宙飛行士でも長期間滞在となると限られた人しか訓練の末選ばれないのに、いやおう無しに閉じ込められては、ストレスはもちろん、人間のエゴと言うものがでてくるし、衛生面などから病気も出てくるだろう。

とにかく、一刻も早い救出を国際的に行って欲しいものでsる。

自分も、18歳から20年と少し坑内で仕事をしていただけに、人ごとでない気持ちで見ている。

この20年ほどの間に、ひとつ間違えれば、、、という場面を何度も経験し、今でも「あの時は運が良かった」としか言えないことがあったし、その鉱山全体では両手両足の指でも足りない人が事故で亡くなっている。

チリのような事故こそ無かったが、いつ帰られなくなるか分からないと言う覚悟はあり、そうしたなかで、心がけたことは、朝ごはんはきっちりと二杯食べること、夜更かしをして寝不足で仕事に向かわないことである。

おかげで年を取ったせいでなく、早寝早起きと、食事の習慣はいまだに抜けていない。

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2010年8月24日 (火)

せせり歩く蝶

022 夕顔の花に飛び込むかどうか迷っている.

梅雨明けからほぼ一ヶ月、お盆のときを除いて雨らしい雨がふらなかったためもあって、庭の草木は元気が無く、少しばかりの胡瓜や茄子も実をつけることが少なくなり、退場を願った。

そうしたなかで、いま一番元気なのはセセリチョウ。

せせるとは、漢字で「挵る」と書き、尖ったもので繰り返し突くことや、箸で食べ物をあちこちつつくことを言うが、この動作を見ていると、よく名付けたものだと感心する。

ちなみに日本では、”挵り箸”卑しいこととして嫌われているので、食事会などでは絶対にしないこと、と親にくどいこと教えられたものである。

麻機周りの平地ではほとんどがイチモンジセセリとチャバネセセリだが、名前の通り、少し蜜を吸っては花から花へと忙しく飛び回っている。

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.白いオシロイバナ           赤い禊萩           

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.色とりどりのランタナ          黄色い待つ宵草           

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2010年8月23日 (月)

両面作戦の臭木

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クサギの花が、今を盛りと咲いている。

かなり遠くまで強い芳香を放っているが、桜のように一斉開花ということが無いので、中途半端な距離ではつぼみと開花中、そして、萎れたものが混在して、写真にするにはなかなか難しい花である。

そして、この芳香は虫たちにとっても悩ましい花なのか、沢山集まってきているが、揚羽蝶の仲間が一番目立つようで、つい そっちのほうに向いてしまうのは致し方ないことか。

クサギ、漢字で書くと臭木と書き、葉っぱのにおいが決して好ましい臭いとはいえない。子供の頃はこの臭いが嫌で避けていたが、虫にも嫌がられる臭いのようであまり虫食いの葉っぱは見たことが無い。

つまり葉っぱを食べられたくないのと、受粉のために虫を誘惑するのと言う両面作戦を上手に使い分けている植物と言うことでは珍しい部類に入るだろう。

しかし、人間は違った。先日まで知らなかったのだが、”くさぎなめし”などと言って西日本のほうで食べられていて、岡山県の吉備中央町などでは郷土料理としていることをTOMOKOさんのブログで知った。

005 貧しい飛騨の国に生まれ育って、かなりいろいろな植物(山野草)を食べてきたが、北海道から九州まで全国的に生えているこの木の葉が食べられるとは、つい先日まで知らなかったとは、、、、、

ともあれ、開花中の花は純白の花から長い数本の雄しべと雌しべを付けまつげのように突き出させているが、ほかの花と違って伸びる方向が違う。

多分ほかの花の花粉を捕まえるためと見たが、こちらの勝手な思い込みだろうか。

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2010年8月22日 (日)

禊をすませて

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静岡市内長尾川周辺を散策する。

しばらく暑さが続くとテレビ言うが、夏も疲れを見せたようで、ひぐらしも其処此処で鳴きかけ「カーッ!」とするようよな暑さも角が取れたような気がするのは、季節は少しづつ変わりかけている証拠のような気がする。

そうした中でもう少しで終わる夏休みを惜しむかのように子供たちが川で騒いでいた。タモをもって小魚を追い回しているが、今日は小魚にとっては厄日なのか、それとも、軽くあしらっているつもりか、、、、、

こんな風景を見ていて、頭に浮かんだのは、百人一首に「風そよぐ 楢の小川の夕暮れは 禊そ夏のしるしなりける」が言い当てていると思う。

風がそよそよと、小川の岸の楢の木に吹いている、夕暮れになって吹く風の涼しさに秋の到来かと思ったが、禊をしている人がいるのは夏のしるしであるよ。。と解釈されている。

平安時代末期、禊は夏に行われるものだったろうか。修行や願掛けをする前に穢れを払う目的で、川や海で身を清めたものを言うのだが、同じ言い方でも水垢離と言えば、寒修行の一環で冷たい水をかぶるような気がしてた。しかし、この歌の意味からは、禊が水ぬるんでいる時期に行われたとすると、今の川遊びに変わらないことになる。

よく、不祥事を起こした議員が、次の選挙で当選すると禊をすませた。と、"いけしゃぁしゃぁ"とした顔で出てくるが、禊とは、時代が変わっても生暖かいものらしい。

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ようやく、高校野球も決着が付いて静かになった。自分としては学校の宣伝になるとして有力選手をかき集め私立高校のノンプロ化してしまったいまの高校野球には興味が無いので、NHKには悪いがほかの番組を中断してまで延々と生放送する必要があるのかという気がする。

こういうひねくれた見方をするのも、水風呂の禊では落ちないものらしい。

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2010年8月21日 (土)

咲いた咲いた

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今日は久しぶりに三十度までしか気温が上がらなかったようで、なんだか過ごしやすく感じた一日だった。

連日の猛暑で、幾分身体が慣れたのだろうか。しかし、この調子で下がっていってくれと言うのは難しいらしい。

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005 昨晩から今朝にかけて、月下美人が三十一個の花を開かせ、向かいの家にまで香りが漂ったそうだ。

こんなに一度に花を咲かせたのは初めである。例年だと今頃は十個ぐらいづつ、三度目に開花になるのだが、今年は、七月に入って三個咲かせただけだったので、気候のせいかとも思っていたが、八月に入ってから急に花芽を付け出した。

さすがにこれだけ付けると負担がきついのか、少し小ぶりの花が多く、しぼんだ花を取り去ると、葉っぱに水気が無くなり、いか「にも疲れた~」と言う感じが漂っている。

追肥をしてしばらく休ませねばなるまい。

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十八日、海上保安庁のヘリコプターが高圧線に接触して墜落した事故で、第6管区が組織ぐるみで隠蔽工作をしていたことが発覚した。

どうしてこんなことが起きるのかと不思議な気がする。

人は誰でも都合の悪いことは隠したがるものだが、お役所体質がさらに追加された結果だろう。

いまの世の中、すぐにばれる事を隠したりすれば、後々の始末のほうが大変ぐらい分かっていそうなものである。

孔子の言葉に「寄らしむべし 知らしむべからず」と言うのがあって、現在では”愚かな民は偉い人の言うことに批判をせずに付いて来い”と言う風に解釈され使われているが、この解釈はもう通用しない。

難しい試験を合格したキャリアー官僚もこういう風に解釈して、自分が偉いと錯覚してのことだと思うと情けない気がする。

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2010年8月20日 (金)

蜜吸い友達

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南瓜の花に二匹(本当は二頭?どっちでも良いけど、、)のセセリ蝶が並んでじっとしていたが、一方の(左側)蝶が触覚で他方の蝶に触れているのが面白く、しばらくカメラのレンズごしに眺めていた。

あんまり仲良くしている(と、こちらは見ていたが実際はどうか分からない)ので、一文字セセリかチャバネセセリかは確かめようもない。

折角の茶飲み話ならぬ蜜吸い話に他人が割り込むのは野暮なこと。

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今日は、ひさしぶりに麻機の農道にそって山に登ってみた。朝早かったせいもあって、涼風が吹き快適に登れたが、花のほうはあまり見ることが出来なくてなんとなく拍子抜けといった感じ。

下に降りてきてから、蒸し暑さが甦がえる。汗が全体から吹き出てきて、ねっとりとするのが分かり、帰ってきてから水風呂に浸かる。

水風呂といっても、少し沸かした湯も使うから、気温より少し低めに設定しているため、手を外に出すと出した部分が暖かく感じるのが今までにない経験である。

この水風呂、風呂から上がってから、扇風機に当たると気持ちよくて最近では朝夕二度は浸かっている。

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2010年8月19日 (木)

稲の出穂より

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揃うたそろたよ 踊り子が揃うた

稲の出穂より  なほ そろうた

日本各地の民謡に歌いこまれている歌詞の一説で、稲の穂の出方が一様なことを謡っている。

収穫が比較的遅い静岡の田んぼでもあちこちで穂が出始めてきているが、朝早くには朝露なのか、稲が吸い上げた水の雫なのかは知らないが、朝日を受けてきらきらと輝くさまは、宝石にも似て綺麗である。

022 先日、出かけた長野の話では、今年の米は七月お終いからの天気で持ち直し、このままで行けば豊作間違い無しと聞いて安心したのだが、今朝ほど見た麻機田んぼの中には稲の葉先が枯れて変色しているところや、稲穂がまばらに出ているところがあった。

水の管理を失敗したのか?。二種類の種が混じったのか?などと考えても見たが、なにせ、自分には関係の無い田んぼであり、草取りと稲刈りの手伝いしかしたことの無い身には分からない。

しかし、これじゃ、最近はやりの”何とかソーラン”などと言って大道で踊りまくっている若者のほうが、歌の文句どおりに揃っているような気がしてしまう、、、。

前にもテレビで、温暖化の影響で米どころが北上し北海道の米がおいしくなってきているといっていたが、これには「米って、もともとは南方系の植物で、むかし高冷地では米が取れない」と言っていたことと矛盾するんじゃない?と、聞いていた。

本当のところはどうなのだろう。知っている人に聞いてみたいものだ。

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最近、早朝散歩から、帰ってきて間もなくの時間帯と言うばかりではないが、NHKの連続テレビ小説「げげげの女房”を見る機会が多くなった。

見ていて愛着が湧くと言うばかりでなく結構面白く、見逃したときはほかの時間で見ることさえある。

連続テレビ小説を見るのは、生まれ故郷の隣町、古川が選ばれた平成14年の”さくら”そして、18年の”いもたこなんきん”以来であり、その間の番組は見たことが無い。

芋たこ南京は、かもかのおっちゃんを演じた国村隼が好きで見たし、今回は知らない人だったが松下奈緒さんの表情が好きになってきた。

この番組も、「おはなはん」が当時の大人気だあったが、いつの頃からか半年ごとの番組になったのは、それだけの脚本が出来ないためか、視聴率がいまひとつはかばかしくないためだろうか。

とにかく、嫌味の無いほんわかとしたストーリーがなんともいえない。

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2010年8月18日 (水)

おあつうございます って

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いつまで続くかこの暑さ、もうすこし、もう少しと思っていても天気予報のカレンダーはお日様マークが一週間、ずらーっと並んでいる、、、

散歩中にすれ違う人ごとに「暑いですね」が互いの口をついて出、ほかに言葉を知らないのか、と、自分に言い聞かせてしまう。

蓮根畑の蓮の花もそんな感じで見ていると、本来なら昆虫を引き付けるため、一段とたかく花を掲げなければならないはずなのに、直射日光を嫌って大きな葉っぱの下で開いているように見える。

また、こうでもしなければ、お客さんも来ないのだろうな。

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巴川の水草のうえに揚羽が群れて水を吸っていたが、烏揚羽の群れに紋黄揚羽も入り込んでの大酒盛り、話題は人間並みに「お暑うございます」ってとこかな。

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昨夜部活の遠征に行った孫が土産を持って立ち寄ったのだが、あまり遅くなったので、自動車を呼んで帰した。そのとき乗って来た自転車を送り届け、帰りは歩いてくると言う計画で出かけた。

6kmほど離れた孫の家までは長尾川を遡り、帰りはトンネルをくぐって麻機霊園のそばに出て日陰の無い道を歩いたのだが汗が湧き出てズボンまでぐっしょり、、。

風が出て、蒸発すれば気化熱で少しは涼しく感じると思うのだが、そんな気配もなく、肌にねっとりと付いた汗が気持ち悪い、、、

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余談*午後になって、腹を見たらへその周りに黒いものが見えた。

なんだろうと思ってへそに小指を入れて掻いてみるとかなり大きな”へそのゴマ”。

むかしは、へそのゴマを取ると腹が痛くなるから触るものではないと言われてきたが、取れだすと更に奥にあるものまで掘りたくなって掻きだしてしまった。

こんなに出てきたのは、初めてのことだし、いままではこんなことなかったような気がする。

年のせいなのだろうか、汗の性質が変わったのだろうかと思案するが分からない。しかし、久しぶりに日の目を見たへそも、午後になってから雷の音が聞こえてくると、今度は、かみなりさまにへそを取られると脅かされた子供の頃を思い出す。

わがへそを、出っ腹の陰に隠して、クワバラクワバラと、、、

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2010年8月17日 (火)

寝ぼけたような

テレビは朝の最低気温を29,4度と言っていたが、寝苦しい夜で寝汗でクーラーを二度ほどかけなければ居られなかった。

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朝起きても、すっきりしないのでそのまま散歩に出かければ、靄の中から赤くて大きい太陽がやはり寝不足のように揚がって来る。

昼には35度を越し、脳みそも煮立ってきたと言う感じで、うつらうつらとして日の入りを待つ始末、年のせいだろうか。   

そうならいいのだが、、、と、おもう一日。

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花縮紗=ジンジャーリリーが咲き出した。

ジンジャーは生姜のことだが、この花は園芸用に改良?されたもので、本来は白い花である。ただ、背丈は1mをとうに越し黄金色の花を畑の中に咲かせているのは極めて目立つ存在である。

019 この花は、雄花と雌花があるが、近くで見るとなんとも不思議な形をしていて、六枚あるといわれている花弁も内外に分かれているし、どれが雄しべでどれが雌花かもはっきりしない複雑なものである。

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2010年8月16日 (月)

見てござる

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秋明菊が秋の訪れを察知して、上品な花を咲かせ出していた。飛騨の秋はもうすぐそこなのか。

十三日、雨も上がったようなので朝はやく墓参りに行く。

花と街中に湧き出る「大洞水道」の水を持って、掃除と草むしりの後、線香と花を供える。

隣の墓が、ここしばらく訪れる人もいないようで、墓石も倒れ草ぼうぼうとなって荒れ果てているが、進入してくる草の根を退けるだけにしてくる。此方の風習で他家の墓の手入れはしてはならないとなっているためだが、この墓をお守りする人はどうなっているのだろうか、と心配する。

今日もテレビは、家庭の崩壊で田舎の墓は次第に訪れる人も無く、無縁墓の状態になっていくのが多いという、自分たちの墓もいつかまた無縁墓になるのだろうか。

いまのところ、兄弟が交互に行っているし、従兄弟の墓がすぐ近くにあるのでついでに手入れをしてくれているが、、、、未来永劫の保証はない。

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墓参りを済ませて長野に向かう。高原川をさかのぼり、今年から無料化された安房トンネルを越せば、信濃の国。

松本から、三歳山トンネルを抜けて鹿教湯温泉を越えて約3時間で連れ合いの故里、立科町に到着する。

遅くなったが、食事もそこそこに畑に入ってじゃが芋堀をはじめる。

畑の中ほどに一本のプルーンの木があり、まだ熟していない果実の上に鎮座した雨蛙に見られながら四本爪の鍬を打ち振るって芋ほりに励むが、今年は作柄がよくなく、去年の2/3ほどしかなくて、張り合いがいまひとつ出来ない。

ようやく、林檎箱四っと少しを収穫し、弟と分け作業を終わる。

十四日、連れ合いの墓参りと、来れば必ず土産に買わなければならないものと玄米30KGを積み込んで、再び渋滞が予想される帰り道を覚悟して、野辺山越えて車を走らせる。

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2010年8月15日 (日)

二度目の夏ばて

003a .台風による大雨で増水した川でさえがなつかしの故里

Img_0089_2 涼風が心地よい飛騨では葛の花も咲き出し、秋は目と鼻の先

今日は、暑くてつらい一日であった。お盆で行った飛騨 信濃では気温も低く、久しぶりに夜は布団をかけて寝た身にとって、今日の暑さは梅雨明け当時を思い出させ、暑さに順応するのに精一杯で、一日ぐうたらと横になっていた。

そして、六十五年前の今日もこんな一日だったのを思い出しテレビの追悼番組を見ながら感慨にふけっていた。

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十一日、世間もお盆休みに入り、各地で交通渋滞になることが分かっていたが、出かけることになり、東名高速も愛知県に入ると予想を上まわる渋滞が起きていてのろのろ運転は東海環状道路まで続いた。

翌十二日は法事も済ませ、折から台風に吹き込む天気の中、関市から1,300m余の”ひるがの高原”を経て高山にいたる道路は雨風の通り道とかさなって、文字通り「雨にも負けず 風にも負けず」とばかり、故里を目指した。

そして、我が家の墓のあるところまで行ったが、何も出来ないようなので次の日に出直すことにし、従兄弟の家で長々と雑談をして過ごす。

何処でも懐かしい顔、元気そうな顔が温かく迎えてくれて心地よく過ごすことができた

書くことも多々ある中で、二度目の夏ばて、、、、、

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2010年8月10日 (火)

瓜や茄子の花ざかり

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高い山から谷底みればよ~

瓜やなすびぃ~の 花盛りよ~

   あれもよいよいよい

          これもよいよいよい

故里の祭りは、春祭り。神輿の出御は白丁にわらじ掛けの氏子によって静々と担ぎだされるが、町内あちこちでお神酒をふるまわれ、夕刻になって還御の時には白丁も足元定かでなくなり、右往左往しながらお宮さんに戻る。

そのとき歌われるのがこの歌で、高張り提灯に囲まれた神輿を中にして、だんだんと近づいてくるのを石垣の上に座って待つのが楽しみだった。

018 酔っ払った訛声のこの歌、それまで、飛騨の一部だけで歌われているものとおもっていたが、最近になって、木曽のほうでは祝い歌につかわれ、紀州のほうでも歌われていると聞いたときは、少しガッカリした。

たしかに、春祭りの頃には瓜も茄子も花を咲かせる処ではない。しかし、自分たちの専用の歌にしていたかった。

どうも、この歌は、明治の初め頃全国的に普及した形跡があるようで、初期の流行歌と言った感じがあるのかも知れない。

余談になるが、神田明神の神輿が少し前までは、”わっしょいわっしょい”とかついだものだったのが、近年”そいやそいや”に変わった。

これは、神輿を担ぐのが趣味の連中が作り出した担ぎかたで、美空ひばりの「お祭りマンボ」の頃は「何を言ってもわっしょいしょい」だったので、よそ者が来て囃し言葉を変えたらしい。

そしたら、若い人は、そのほうがカッコイイと思ったか、静岡の神輿もそういう担ぎ方に変わってきているが、、、自分の感覚としてはあんなに騒々しいのは、神様としてどう感じているのか、、、。

神様に畏敬の念を持たずに、それを利用して自分らが楽しんでいる連中だから、神輿の担ぎ棒の上に載って、神様に尻を向けるに及んで、ひんしゅくを買い神輿の出御を取りやめたこともあったが、、、その意味はわからなかったらしい。

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2010年8月 9日 (月)

蛮触の争い

013 .

庭先の胡瓜の葉っぱの上で時折落ちてくる雨粒をものともせずに、幼いカマキリ同士がにらみ合っている。

「ここは俺の縄張りだ、出て行ってくれ!」「そんなこと誰が決めた!」

014 .

「おう! やる気か」「負けないよ!」ってんで傍で人間が見ているのにも気付かない様子でにらみ合っている。

しばらく間合いを取っていたが、勝負は一瞬で決まった。激突した瞬間小さいのが下に落ちて、どこかに行ってしまった。

十分に育って、ふてぶてしくなった秋のカマキリに比べて、今のカマキリは脱皮を二~三回ほど(いや、もっとしているかも知れない)しかしていない幼虫だが、いざとなると動きはすばやい。

しかし、同じ葉っぱの上にいたということは、もともとは同じ巣で冬を越した兄弟の可能性が強い。ここにいる二匹は肉食の昆虫で共食いもするそうだから同じ巣からでて生き残った二匹だとおもう。

それが、この虫から見るととてつもなく大きなものの目の前で兄弟争いをしているのは、まさに「蛮触之争い」「蝸角之争」である。

古代中国の逸話として、牛の角の上で蝸牛同士が領土をめぐって争うのは、大きな宇宙から見れば、取る足らないことの代名詞でもある。

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今日は長崎に原爆が投下されてから65年目の夏である。

長崎に、原爆が落ちたのを知ったのは、昭和25年、映画「長崎の鐘」 有名な主題歌をともなって知った。それまで、広島のことも長崎ことも聞いたことがなかった。

それほど、戦後の混乱で知られなかったのか、子供ゆえのことだったのか、さらに、占領軍が知らそうとはしていなかったのか。

映画は、占領下だったため、原爆を真正面から取り上げることが出来ず、永井博士の半生と言う形で取り上げられ、子供だった自分は、原爆が広島にも落ちたのを知ったのはその後である。

先日もテレビで、イラクの子供に癌が多発していて、その原因がアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾にあるのではないかと現地では言われているが、アメリカは因果関係が分からないと否定しているとしていた。

原爆についても、被害の調査や治療の記録もアメリカに持ち帰り、公表されたのはやっと最近になってからのことで、人間をモルモット扱いにしたと批判されても仕様が無い行動をしている。(そのことについては日本政府もほぼ黙認?)

そして、国民に多大な損害を蒙らせた太平洋戦争も、戦争そのことさえ知らない若者がいると聞くと、、、、、、これも、蛮触の争いとして歴史に記録されるだけのものになっていくのだろう。

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2010年8月 8日 (日)

これでも灌木

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コマツナギの薄紫の淡い色合いの花を涼しげに咲き出している。

涼しげにと言うのは、朝方の幾分涼しい風を受けている此方の気分も加わってのことであり、暑い日差しの中で見れば、また違った印象を持つかもしれない。

しかし、暑いとはいえ、自然も次から次へと季節を繰り出すには先がつかえては困るので、暑い時期の花には少しづつ退場願っているかのようだ。

021 コマツナギ漢字で書くと駒繋と書き、馬をつないでおく植物と言う意味であり、ナギと言う植物の仲間ではないし、地面をすれすれに這っているのだが、草ではなく冬には葉を落とす落葉灌木で、れっきとした木である。

一見、萩の仲間とも見えるが、葉の付き方が違う。つまり、あれにもこれにも似ているが全然違う種類の植物と言うことになる。

”駒繋”の由来としては、馬が大好きな植物なのでここに放しても移動しないからとか、手綱を根元に縛っておくと茎が丈夫なので千切れない無いとか言うが、食べてしまったらどうするの、、ということになり、馬を飼った経験のない身にとってはなんともいいがたい。

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高校野球も地元の高校が初戦敗退であっけなく終わってしまった。静岡ではこれで、この夏は火が消えたように静かに過ぎていくことになるだろう。

十一日から岐阜の初盆の家に、故里 飛騨の墓参り、そして、長野は立科で墓参りとじゃが芋掘りと、、、ぐるっと一回りをするので、その前に床屋へ行ってきた。

床屋談義では、同じくらいの年頃の連中が順番待ちの間、この高校野球を夢中になって論じている。

聞くともなしに聞いていると、「この相手なら勝てると思うときっと負けちゃうもんだね、、」とか「野球は頭を使ってやる競技で、サッカーのように行き当たりばったりではないと衣笠が言っていた」とか、監督の采配にまで及んで話は広がる、、、、、、つまり、野球に熱中した時代に育った連中の独りよがりの話が多い。

こちらも、一言口を挟みたいが、顔の上で剃刀が踊っていては、うかつなこともいえない、、、、、。

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2010年8月 7日 (土)

どんな風に見えるのかな?

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ガザニアの花を食台にして、二頭(こんなに小さくても一頭二頭と言うのも可笑しいが、、、)のヤマトシジミが蜜を吸っていた。

蜜を吸いながらも、色気が出てきたのか、羽根を広げて向かい側のシジミチョウにアッピールしだした。

人間が、色を識別できる範囲を可視光線といい、波長の長い赤色から短い紫色までをいい、それから外れる色を赤外線、紫外線と言う。

044人の目にはこんな風にしか見えないのだが、、。 

しかし、生き物の中には、人間の目で見えない色を識別できるものがあり、これらの蝶もそのうちに入るそうだ。そのため、人の目から見ると雄雌同じ色をしていても、その生き物から見るとまったく違う色合いをしていることになる。

このガーベラの上で羽根を広げている蝶も、光の加減か透きとおった羽根のように一瞬見えたが、反対側の蝶にはどんな風に見えるのだろうか。

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033 今日は立秋。小さな秋を探してみようと思ったが、出かける機会を失ない、夜になってまだ生暖かい風の中、麻機遊水地の西側に行ってみた。

今晩は、この近所の町内会で盆踊りと花火を打ち上げる。と聞いていたので向かってみたが、予想以上の人出だった。

古い民謡を捨て去った静岡では、聞いたことの無い歌で円陣を組んで踊っていたが、こんな歌で踊れると言うのはどこかで練習をしていたのだろうな、、、。

八時になって盆踊りを中断し、打ち上げ花火になったが、最初のスターマインに驚いた犬が飼い主を引きずって逃げ去ったのが面白かった。

犬にしてみれば、訳もわからずいきなり大きな音を出されれば、魂消てしまうのは無理からぬこと、こんなところに連れて来ること事態が間違いである。

そうそう、犬といえば、哺乳類のほとんどが色の識別能力が無いそうだから、花火の赤も青も区別が出来ないとなれば、分かっていても面白くないだろうな。

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2010年8月 6日 (金)

寝苦しい夜に

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寝苦しくて夜眼が覚め、クーラーを運転させて寝たのが悪く、二度寝の朝は太陽が昇っていて、散歩する気にもなれないほど気温をあげていた。

それでも、日課にしている散歩を怠ると尻がむずむずしてたまらないので、午後になって雲が西空を厚く覆ってから麻機田んぼを近回りで歩いてみた。

赤いカンナは東の空を染めかけた入道雲にマッチして揺れている。

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037 道端の雑草、カヤツリグサを見て下の歌が思い出された。

一口にカヤツリグサと言うが結構種類があるようで、、、、しかし、これも”蚊帳吊り草”

名前の由来は、茎を裂いて四角い蚊帳科形にして遊ぶからとか、蚊帳を引っ掛ける釘だとか、、があるらしいが、地味な雑草としてあまり人気が無い。

たらちねの 母が吊りたる青蚊帳を

  すがしといねつ 垂みたれども   長塚 節

この歌は、蚊帳を使うことの無い、いまの人には説明がなければ分からないと思う。そのむかし、扇風機もなく団扇でパタリパタリと扇ぎ疲れるまであおいで、眠っていたころは、いまのように暑かったのだろうか、と時々思う。

自分も涼しい飛騨にいた頃、映画の中で使っているのを見ただけで実物を見たことが無く、岐阜市であった陸上競技の大会に出たとき泊まった宿で使ったのがはじめてであった。

とにかく寝苦しかった。まず、入り方から習い布団の上に寝転がったが、開け放った窓からはそよとも風が吹かず(吹いても蚊帳の網が遮る)、低い蚊帳の天井部分が圧迫感を持って押さえつけるようで、うとうと、としただけで朝を迎えたような気がする。

おかげで、普段の力が出せなかった言い訳に使ってしまったが、長塚 節はこの蚊帳を清々し、と歌ったということはやはり育った環境だったのか、結核の子供の身を案じて釣ってくれた行動だったのか、繊細な神経を持ち合わせない身にとって解釈しきれない。

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2010年8月 5日 (木)

虹立ち昇る朝の、、

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今未明の雨の余韻を残していたのか、朝日が顔を出した途端、麻機の山から虹が出た。

結構、鮮やかに立ち上がる光の柱はその外側に薄い副虹を伴って雲が切れるところまで見ることが出来たが、この夜明けの虹を見ていたのはどれだけいたことだろう。

朝早くから仕事のため車を運転しているの人はもちろん、すれ違う早朝散歩の人たちもせかせかとした歩調で歩き空を見上げる余裕も無い様子、そのうち、日の光が強くなるにつれて、水雲も消え去り、それに合わせて虹は霞み消えていった。

「夕虹は晴れ 朝虹は雨」というが、今日に限って当てはまらないのは目に見えていた。

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046 「わあ、こんなことなら行かなきゃ良かった」とは帰ってきてからの第一声。

十時過ぎ家の温度計は三十四度。また、有東木に蕎麦を食べに行ってこようか。と言う話になり、向かって見ると車載の温度計は一度刻みに下がり、「うつろぎ」という、地元の母さんたちが運営する店に着いたのは、まだ昼と言うには早かったので、その上の葵高原まで車を走らせた。

連れが足弱なので、その辺りの散策で帰ってきたのだが、標高800mほどの一帯は気温も二十六度と低い上、湿気も無く、谷の音を聴きながら歩き回れば、天然のクーラーに身も心も洗われる思いがする。

045 道端には、少ないながらチダケサシやセンニンソウ、玉紫陽花も咲いて眺めていると、正午も過ぎたので、「うつろぎ」に戻る。

いつも通り谷に面したテーブル、いつも通りの盛り蕎麦と天麩羅。夏はこれに限るといつも通りの会話。

そして、谷を下り家に向かえば気温は次第に高くなり、湿気も加わっての三十五度は、涼しさを味わった身体にはこたえて、第一声になる。

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2010年8月 4日 (水)

黄色い蜜食べた

063 .

昨夜、久しぶりに知り合いの夫婦と居酒屋に出かけ暑気払いをかねて遅くまで飲み、かつ、食べた。

その暑気払いが効いたのか、午前中は晴れ上がった空ながら過ごしやすかった。と、思っていたが、地面や草花は夜露以上に濡れていて、雨が降ったことを知らせていた。

むかし、#赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた、、、と言う童謡があったが、その伝で行くと、この豹紋蝶は黄色い花の蜜を吸ったからに違いない。

明るいお日様に照らされて光り輝くような黄色コスモス。その反射光をうけて、ますます黄色に輝くヒョウモンチョウ、、、。

長い茎が風に揺られて ゆ~らゆら

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先日東京で111歳の男性では最年長のお年寄りが、実は40年ほど前の亡くなっているのが分かった。

ついで、女性の最高齢者と思われていた人が、所在不明と言うことがわかり、その後も各地でも所在が分からない老人が続々とでてきた。

戸籍制度という世界に類の無い制度を誇ってきた日本でこんなことあがるとは想像できなかった。

以前にも、亡くなったが葬式を出せなかったので、、と言うのもあったが、今回の話の中では、なんらかの関係で行方不明の届出をされていた人もいるし、家族間で誰かが面倒を見ているのではないかと責任を転嫁しているようにも取れるものがあり、家族制度の崩壊も見て取れる話もある。

むかし話に浦島太郎は、竜宮城に行って、帰ってくると人間界では300年経っていて、見知らぬ人ばかりになっていたというのがあったが、先日東京で分かった高齢者は、いままでどおりのままでいたら戸籍の上や住民票の上ではいつまでも死ぬと言うこがなく、200歳にも300歳になっていたかもしれない。

役所のほうでは、いつもどおり謝罪していたけど、今どきは100歳も珍しくないらしく、以前のように知事、市長らが高齢者のお祝いに行かなくなってしまって、「ごくつぶし」扱いになってしまったのか。

お笑いだね、腹を抱えているだけじゃすまないのだけど、、。

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2010年8月 2日 (月)

シードバンクで蘇える

028 .

大賀蓮という名の蓮がある。

昭和24年、東京の2,000年以上前の遺跡発掘で採取された蓮を発芽させ、26年に開花させたと言われるが、2,000年も土の中で生き続ける(眠り続ける?)、その生命力の強さは動物では出来ないだろう。たいしたものである。

水草の中には、条件が悪いときには発芽をさせず、土の中で条件が整うまで眠っている種があり、これを、シードバンクというそうだ。

昨年の冬だった記憶しているが、麻機沼の一角に重機を入れて草木を排除しかき混ぜている人たちがいたので、聞いてみると「土をかき混ぜることで、埋もれた種を発芽しないかなぁ、、、と」と少し自信のなさそうな返事だった。

今朝ほどは、雲が低く垂れ込め湿気は強いが、それほど暑くならないと見越して、出かけてみた。

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すると、ミズアオイ(水葵)の花が点々と咲き出していた。深い紺色の花を映えさせようとするかのように白いオモダカの花もさいている。

この花は以前、ほかの場所(いま工事をしている近く)で土をかき回した際に大量に咲いて人々を驚かしたものだが、ほかの草に負けて、最近は僅かづつしか目にすることがなく、絶滅危惧種に指定されるほど少なくなった花である。

草の様子からすると、今年はここでかなりまとまってみることが出来、一週間ほどして新聞に載ると、人々がどっと押し寄せそうな気配なので、いまのうちに堪能しておくことにした。

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006q 先日、地元新聞の記事に麻機遊水地の蓮の花沢山咲いている。と言うのがあったが、「うそだろう」と思っていた。

今日念のため出かけてみた。十日ほど前に行ったとき、例年に比べて蓮の葉が少なく、ほとんど見え無いと言ってもよい状態だったからである。

今日行ってみると、ほんの一部で咲いているだけ、例年の一割も無いような感じ、、、。

原因は何だろう。葦が茂りすぎたのか、、、耳赤亀に食べられたか(佐賀城ではミドリガメ(耳赤亀)に若い茎を食われて全滅したと言う)この沼にも耳赤亀が大量にいるようなので、ありえないことではない。

祭りに買ってきたときは、ミドリガメという可愛らしい名前と大きさだが、大きくなって飼いきれず、沼に放置すれば、生態系の破壊につながるのだが、日本人の常として捨て猫感覚で放置する、、、

佐賀では、網を張って入られないように対策したそうだが、、、麻機沼はどうするのだろうか。

土に埋まった蓮の種とかけて、ネズッチと解く、、、、、「ととのいました」というまで眠ります。

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2010年8月 1日 (日)

夢かうつつか幻か

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暑い雲の下、直射日光は当たらないものの風は無く、むしむしとした湿気は重い布団のようにのしかかってくる。

朝のうち早くに少し歩き。夕方、と、言うよりほぼ薄暗くなった七時過ぎに麻機田んぼの中を歩いてみるがアスファルトの路面はまだ暑く、夕涼みとはいえない散歩で早々に切り上げてきた。と、道端のあちこちに白い花が浮かび上がる。

カラスウリの花。白いレースのような糸を、五弁の花の周りに広げ直径8cmになろうかという花に見せかけてひろげている。

夜だけの花で、朝になればこのレースをくるくるっと巻き縮めてしまうが、花粉の媒体としては蛾が相手だそうで、広げたレースの衣装は夜の蝶を招きよせる手段なのか、真っ暗な闇の中レーダーのアンテナ役をしているのか、、、、、

花言葉を見たら、「男ぎらい」というのがあったが。なんだか納得したようなしないような、、、、

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65年前の今夜。空を仰いでいると東西に流れる川の東のほうから編隊を組んだB29が何機も頭の上を通過し、富山を空襲したのを見た。

前日に爆撃予告のビラをまいていたため、爆音が聞こえたとき住んでいた集落の人が飛び出して空を見上げて騒いだので起きてみたように記憶している。

この爆撃は、「富山大空襲」によると、その当時の市街地の99,5%を焼き尽くしたとあるから、残った0,5%はなんだったのかと逆に思ってしまう。

閑話休題。後で聞いた話によると、周囲から焼夷弾で焼き人間を市街地に流れる松川に追い込んで焼き殺したそうで、戦争というものの残酷さ悲惨さをあらわしている。

この頃になると、全国の都市はほとんど焼き尽くされ、広島、長崎に行き着くのだが、B 29 にたいする抵抗はほとんどなくなっていたようで、自分たちの上空を飛ぶ飛行機の編隊も翼の左右に赤と青の光を点滅させて飛んでいた。

いっぽう、地面に住む日本人は、位置を知られたら困ると言う名目で、この暑い時期に戸を締め切り、薄暗い40ワット 60ワットの電球の傘に黒い布をかけ、光が外の漏れないようにしていたが、上空の飛行機はレーダーで飛んでいたとというから、、、、。

ただ、”富山大空襲”によると、B 29の編隊が自分たちの上空を飛んだのは夜の十一時過ぎになるのだが、そのころの時間に子供だった自分が起きていられたかどうかが今頃になって気になる。

中学生を過ぎても、除夜の鐘を聞いた覚えがないくらい早寝をしていた。テレビが普及したのは昭和30年代後半に入ってからで、大晦日の夜は日ごろ食べられないご馳走を腹いっぱい食べれば、まぶたを開けていられなかったためもあるが、いまのように夜遅くまで子供はもちろん大人さへ、起きている風習はない。

となると、あの空襲は人の話を聞いて自分の頭の中で作り上げたものなのだろうか。見たと確信するものが今になって疑問が生じてきた。

西北の山が手前の黒い山の上で真っ赤に燃えていたのは夢かうつつかまぼろしか、、、、、ともあれ、あのときの無謀な戦争の犠牲になった人々を偲ぶのも供養の一つだと和尚は言う。

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