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2010年8月 1日 (日)

夢かうつつか幻か

016q .

暑い雲の下、直射日光は当たらないものの風は無く、むしむしとした湿気は重い布団のようにのしかかってくる。

朝のうち早くに少し歩き。夕方、と、言うよりほぼ薄暗くなった七時過ぎに麻機田んぼの中を歩いてみるがアスファルトの路面はまだ暑く、夕涼みとはいえない散歩で早々に切り上げてきた。と、道端のあちこちに白い花が浮かび上がる。

カラスウリの花。白いレースのような糸を、五弁の花の周りに広げ直径8cmになろうかという花に見せかけてひろげている。

夜だけの花で、朝になればこのレースをくるくるっと巻き縮めてしまうが、花粉の媒体としては蛾が相手だそうで、広げたレースの衣装は夜の蝶を招きよせる手段なのか、真っ暗な闇の中レーダーのアンテナ役をしているのか、、、、、

花言葉を見たら、「男ぎらい」というのがあったが。なんだか納得したようなしないような、、、、

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65年前の今夜。空を仰いでいると東西に流れる川の東のほうから編隊を組んだB29が何機も頭の上を通過し、富山を空襲したのを見た。

前日に爆撃予告のビラをまいていたため、爆音が聞こえたとき住んでいた集落の人が飛び出して空を見上げて騒いだので起きてみたように記憶している。

この爆撃は、「富山大空襲」によると、その当時の市街地の99,5%を焼き尽くしたとあるから、残った0,5%はなんだったのかと逆に思ってしまう。

閑話休題。後で聞いた話によると、周囲から焼夷弾で焼き人間を市街地に流れる松川に追い込んで焼き殺したそうで、戦争というものの残酷さ悲惨さをあらわしている。

この頃になると、全国の都市はほとんど焼き尽くされ、広島、長崎に行き着くのだが、B 29 にたいする抵抗はほとんどなくなっていたようで、自分たちの上空を飛ぶ飛行機の編隊も翼の左右に赤と青の光を点滅させて飛んでいた。

いっぽう、地面に住む日本人は、位置を知られたら困ると言う名目で、この暑い時期に戸を締め切り、薄暗い40ワット 60ワットの電球の傘に黒い布をかけ、光が外の漏れないようにしていたが、上空の飛行機はレーダーで飛んでいたとというから、、、、。

ただ、”富山大空襲”によると、B 29の編隊が自分たちの上空を飛んだのは夜の十一時過ぎになるのだが、そのころの時間に子供だった自分が起きていられたかどうかが今頃になって気になる。

中学生を過ぎても、除夜の鐘を聞いた覚えがないくらい早寝をしていた。テレビが普及したのは昭和30年代後半に入ってからで、大晦日の夜は日ごろ食べられないご馳走を腹いっぱい食べれば、まぶたを開けていられなかったためもあるが、いまのように夜遅くまで子供はもちろん大人さへ、起きている風習はない。

となると、あの空襲は人の話を聞いて自分の頭の中で作り上げたものなのだろうか。見たと確信するものが今になって疑問が生じてきた。

西北の山が手前の黒い山の上で真っ赤に燃えていたのは夢かうつつかまぼろしか、、、、、ともあれ、あのときの無謀な戦争の犠牲になった人々を偲ぶのも供養の一つだと和尚は言う。

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