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2010年9月30日 (木)

自家製? シケモク?

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クサネムの花がひっそりと咲いている。

055 淡いクリーム色といったほうが良いのか、草丈一mにもなる枝のあちこちにまばらに咲き、鞘に入った豆を実らせる。

クサネムのいわれは合歓のように触ったりすると葉を閉じてしまうことにあるが、日が落ちれば同様に閉じてしまう早寝早起きと言うか、ほかの葉っぱに比べてまめったい草である。

水気の多いところを好むため、耕されなくなった田んぼなどで大量に茂るところから、あまり良い印象はないが、これは、草のせいでなく、手入れをしない人間側にあることだから仕様が無いことである。

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明日から、煙草税が上がってかなり高額のものになるため、買いだめする光景がテレビで報じられていた。

何万円も出して両手がふさがるほどの荷物になっている人の映像を見ると、あんなに吸えば身体が悪くなっても仕様がないような気がする。

人様はいざしらず、自分の場合だったらすぐ傍に好きなものがあると我慢できない性質なので、普段より余計に吸ってしまうのは間違いない。

幸いなことに、20代に入ったばかりのころ止めたお陰で、今回の増税は高見の見物と言ったところ、、、、。

煙草は一種の麻薬だと言っている人もいて、なかなか止められないようで、戦後の物がない時代でも、煙草はやめられないらしく、いろいろな草を乾かしてを辞書の薄い紙でくるみ吸っていたのを知っているし、手伝った。

そして、人が吸って捨てた煙草の短いのを集め、ほぐして再生した”シケモク”なるものまで吸うといういじましい姿も見ている。

また、昭和の40年代最後の頃まで海外に出かけると、帰りの飛行機で煙草が2カートンまで無税と言うことで外国製ウイスキーや香水をとともに、土産にすることが必須条件だったことも思い出した。

しかし、煙草の健康被害が言われるようになってから、値上げされても一本当たりの単価はまだ先進諸外国より低いそうで、これでも止められない人は、更なる値上げが待っていそうである。

さて、、、、何処まで耐えることが出来るやら、、、自分でタバコの葉を栽培することは出来ないそうだから、どうしても吸いたいと言う人は、周りの草で自家製を作る?それとも”シケモク”を吸う?。

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2010年9月29日 (水)

モズも啼きだして

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百舌鳥が見晴らしの良い枯れ枝にとまって、辺りを睥睨しながら”キチキチキチッ!”と高啼きをし、縄張りを宣言している。

いまのところ、確定した縄張りではなく、餌も豊富にあるため品定めかもしれないが、、、そのうち、激しい争いで範囲を決めていくことだろう。

モズは、雀の仲間だというが、体格は一回りも二回りも大きく、昆虫などを主食とする肉食鳥で口ばしもそれにあわせて鋭く尖っている。

そして、目にかかるアイライン、柔らかな胸毛の茶色と背中の渋いグレーは、茶色一色の雀に比べると洗練された衣装と言う気がする。

また、この声を聞くと、秋と感じる人も多く自分もその一人だが、関係のないセプテンバーソングを思い出すのはこの歌の流行りだした1,950年代、、、

中学にはいったころだったか、映画「旅愁」の主題歌でフランクシナトラが歌った曲の中で、バックのトランペットがモズを思わせるように聞こえたのか、聞いた時期がモズの啼くころだったたか、、、、定かでない。

この映画の筋書きは忘れたが、イタリア各地の観光映画だったように思う。しかし、その後、秋になるとこの歌が良く流れていて、ビングクロスビーやマウントバーニーオーケストラの演奏などで有名な曲だった。

早いものでセプテンバー、、、、九月もあとわずか

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2010年9月28日 (火)

ダンディー

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「明けない夜は無い」というが、今朝ほどの夜明けは遅かった。

昨夜来の雨は激しく降りつのり、日の出時の五時半はおろか、八時過ぎてもまだ居間の電気を点けなければならないほど暗かった。

この付近の大雨注意報が解除された十時半頃にいたって、ようやく晴れ間が見え、午後になると爽やかな風とともに青空が広がり蒸し暑さが戻り、、、、

まったく、”女心と秋の風”で具合が悪ければ”人の心と秋の風は、、、”的な一日だった。

021_2 023 そんななか、どうやってやり過ごしたか幾羽ものカルガモがまだ水量がたっぷりとある川の岸辺に休んでいたが、中の一羽の雄は羽の手入れに余念がない。

何度も何度も、禊をするかのように羽根を水辺に叩きつけて水しぶきをあげていたが、岸辺にいる自分に見せつけようとでもするかのように、紺色に近い青い羽根を広げていた。

ダンデイーを貫くにはこのくらい身だしなみに気を使わねばならない。

”おれは村中で一番モボだといわれた男、、、、、、”気取る雄は、仲間内だけでなく、人間にまでそれをひけらかせなければならないプライドでもあるのだろうか。

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2010年9月27日 (月)

彼岸花を眺めに

013 .利倉神社脇の堤防

昨日通りかかった長尾川沿いの彼岸花、今を盛りと咲いていたので、流通センターから山越えで瀬名に降り、長尾川沿い降るコースを歩く。

高砂百合も咲いて                   紅白取り混ぜての彼岸花

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東校のグラウンド裏に咲く          玉スダレもひそやかに

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2010年9月26日 (日)

赤くなるのは

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酔芙蓉の花が赤白揃って咲いていた。

この花、朝の開花時は真っ白な花であるが、昼過ぎから赤味が入り夕方には赤くなって夜のうちに大抵しぼんでしまうため、両方が開ききっているのは珍しい。

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酔芙蓉の名のいわれは説明するまでもなく、酒によって顔が赤くなるのにたとえて名付けられたものだが、花の形その他からいってムクゲやハイビスカスと同じ仲間であ.

もともと芙蓉と言う花の名は、中国では蓮の花を指し、紛らわしいため一部では「木芙蓉」と言い、蓮の花を水芙蓉と区別するところもあるそうな。

この花は静岡に来て初めて実物に出会った。何年か前に石川小百合が歌ってヒットした「風の恋盆歌」で酔芙蓉が歌いこまれ、映画化されたとき、風の盆をやっている富山市の八尾でロケをしたとき、この花がなくて余所から取り寄せたそうだ。

この花がなかったわけは、積雪地帯では雪に押しつぶされて木が痛んでしまうことにあったが、この歌を作詞した人はそこまで知らなかったらしい。

ともあれ、酒を飲んで赤く成るのはまだ良いが、目が据わって青くなるのは少し敬遠したい。

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自分は本来あまり酒に強くない性分だと思っている。しかし、職場が男ばかりの仕事場の関係で約四十年馬鹿飲みで過ごしてきた。

初めのころは、すぐに眠くなって宴会中にも横になるくらいだったが、次第に飲み上がり、ウイスキーもボトル一本、酒一升なんて時期もあった。

なにしろ、酒を飲めるやつが偉い、重いものを担げるやつが偉いみたいな職場であり、どんなに飲んでも酔いつぶれたり、二日酔いなどと言って翌日青い顔をしていたのでは笑われる、、、、負けず嫌いがそうさせてしまった。

静岡に来ても、仲間内で同じ宿に泊まると、各自横に一升瓶を置いて手酌しながら談笑すると言った具合だった。

そんな風にして飲めるようになったが、僅かな酒でも顔が真っ赤になるのは、酒を分解するアセトアルデヒドの分泌が低いためだそうで、身体が酒をあまり受け付けない体質だったに違いないと思っている。

仕事を辞めて八年。いまでは競争する相手もなく、酒は一人で飲むこともなくなってしまい、たまに飲んでも缶ビールのちっちゃいのを一本だけ、、、

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2010年9月25日 (土)

雄しべに絡め取られて

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太陽が顔を出して晴れ上がっているが、乾いた風が吹き心地よい。季節は一気に秋色めいてきた。

彼岸花もここに来て一気に開花し、遅れを取り戻そうとしているかのように緑濃い草むらに赤い斑点で染め上げている。

その彼岸花に来たナミアゲハが彼岸花の長い雄しべに絡め取られたように、埋もれている。

あまりのも多い蜜壷のどれに口吻を入れたらよいのか迷っているのだろうか、羽根をばたばたさせながらときどき花から離れては舞い降りる様子は、美女の誘惑に悩む、ドンファンと言ったところか。

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飛騨では理屈に合わないことを無理押しして通そうとすることを「でぶをふむ」といい、子供が欲しいものがあって道端に寝転んで駄々をこねるときなど「あそこのでっちはまた、でぶをふんどる」などと言う言い方をする。

昨日のニュースを聞いてびっくりした。裏でどんな話し合いがもたれたのか分からないが、尖閣諸島で拿捕した中国漁船の船長を返したそうだ。

中国の脅かしに屈したとマスコミが言う。政府も法にのっとり粛々としてやると言っていたのに、検察の判断だけではあるまいと思う。

せめて、違法操業で罰金刑などをかすことができなかったのか。

この調子では、今後この海域に中国漁船が我が物顔で操業してくて来ることは間違いないし、領有権も中国の言いなりになる可能性がある。

今回の釈放の裏には経済界の圧力があるように思えて仕様がない。レアメタルを止められて、フジタの社員四人が拘束されての挙句とも思える。

これで、フジタの社員が解放されるとしたら、アメリカとロシアの間で交されたスパイ交換もどきになってしまう。

こんなことで、民主党は大丈夫なんだろうか。いつの日にか裏話がもれるまでの楽しみにしよう。と言ってられるのも今のうち、、、、、

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2010年9月24日 (金)

たぶん藪小豆

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草むらの中に点々と黄色い花が撒き散らしたように藪小豆(ヤブアズキ)が咲いている。

018 高い木などに絡み付いて背伸びをすればもっと目立つのだろうが、低い草の中では地面にばら撒いたようにしか見えない。

直径2cmとはない小さな花だが、花弁を広げると言うことがないため、構造ははっきりとみえず、お互いにくるくると巻きあっている。

よく似た草に、野小豆というものがあって、鞘に薄い毛が生えているかどうかぐらいしか素人には区別が出来ないそうで、その毛も、、、となると、”えいやっ!”と決めるしかないようだ。  で、これは「藪小豆」としておくことにした。

間違っても、どうってことないや。と、ね

この草は、小豆が野生化したとも、この草から小豆に改良したとも言われ、どっちがどっちか分からないらしいのだが、鞘もごく小さく細く、種は赤いのはよく似ているが、3mmほどしかない小さなものである。

以前、どっちが本当なのかと庭に蒔いて見たが、蔓が延びたとき雑草と間違えて抜いて捨ててしまい小豆になるかどうかの実験は見事に失敗してしまった。

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022 今日は、暖かいはずの静岡でも一気に気温が下がり20度を少し超えた程度で一日が終わった。散歩には絶好の気温となり高曇りの空のした富士山が真っ黒な姿を見せていた。

今朝ほどのニュースで富士山も初冠雪を記録したそうだが、ここ静岡からも観測できるほど降った訳ではないらしく、真っ黒のまま。

とはいえ、「暑さ寒さも彼岸まで」を実現してくれ、これからは、三寒四温ならぬ、三温四寒で秋も深まることになろう。

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2010年9月23日 (木)

瘤とり爺さんの捨てた瘤

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朝方のむしむしする暑さに目を覚ませば、昨夜の真ん丸い月も雲に絡めとられて、雲のいずこにあるか分からない状態になっている。

天気予報は、間もなく雨が降るということだったので、その前に散歩へと向かった。いままでなら太陽が目を覚ます時間だが、今日はやけに暗い。

今にも降るかと思われる、空模様なので近回りの道をとりいつでも帰られる場所を周回すれば、潅木の下に直径20cmほどのなにやら白い珠が点々としているのを見つけた。

007 「また、誰かが塵を捨てたのかな」と思い、目を凝らせばどうも鬼フスベというキノコらしいと見た。近寄って持ち上げてみれば、キノコにしてはずっしりとした重量感がある。

ひさしぶり、静岡でこれを見たのは初めてである。「こんな所にも出来るのか」と言う感がしきり、、、、。

”ふすべ”とは「贅」と難しい字を書くが、瘤の古語である。

つまり、大きなこぶと言ったところか。子供の頃、「瘤取り爺さんが鬼にとってもらった瘤」だと冗談半分に聞いたことがあるがこんな大きいものを頬っぺたにくっつていてはさぞ不住だったに違いない。

このキノコは、ホコリタケの仲間で、白いうちは食べられると聞いて、一度食べてみたことがあるが、こりこりとした食感ではあったがあまり美味いとは思わなかった。

あとで聞けば、皮をむいて薄く切り、唐辛子やニンニクで味付けしてバターいためになどにすると良いそうで、なんだか面倒くさい調理法だと言うことがわかった。

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いま、日中関係は尖閣島付近で操業していたらしい中国の漁船拿捕事件で険悪になっている。海上保安庁の言うとおりだとすると、中国の言いがかりになるのだが、中国のほうは面子に欠けて引けないらしく声高に世界にアピールしている。

それに対して、日本政府は冷静に問題処理するためとしてほとんど沈黙を守っている。しかし、この辺で考えなくてはならないのは世界の常識として、日本も声高に自国の正当性を発表しなければ、世界の目として「悪しき沈黙}だと見られかねないのである。

とにかく自己主張の下手な日本は国際交渉でいつも損をしていることぐらい外務省の幹部は知っているはず、、、

麻薬問題で四人が死刑になったときも、そんなに抗議をしてこなかったし、アメリカ軍の基地問題にしても言いなり外交を続けてきた。

自分は、決して右翼的感覚でものを行っている積りはないが、日本の政府や外交官の交渉術にはあきれ果てている。

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2010年9月22日 (水)

へそもち

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今日も気温が三十度を越え真夏日になった。

「暑さ寒さも彼岸まで、、、、って言うけど、この調子で本当にそうですか」って天の神様に聞きたい。

いつもは、彼岸に合わせて真っ盛りに咲く彼岸花も少し遅れ気味と見た。そして、そんな地上の騒ぎとは関係なく、空の月は粛々としてまぁるくなってきた。

ここ静岡では、月見団子に替わって”へそもち”というものをあげる。この”へそもち”は、ほかの土地ではほとんど見られないことから、いわれを聞くと「食の細かった家康に家来が作って食べさせた」からと言われているらしい。

安倍川餅でも、同様な話を聞いたことがあるので、静岡の衆はよくよく家康に惚れ込んでいるらしい。ことがわかる。

008 一般に月見団子は、丸い団子をピラミッドのように積み上げて作るのだが、どうしても粒の大きさが揃えることが出来なかったり、積み上げていくうちに下のがつぶれて変形したりして、素人には少々難しいものがある。

一方、此方のへそもちは、先日テレビで作り方をやっていたが、いとも簡単な作り方なので、今年初めて作ってみた、のが、上の写真。

作り方そのものに、特に変わったものはないが、団子のように丸いものでなく丸めた団子を扁平につぶし、真ん中に指で押さえた凹みをつけて、蒸し上げれば出来上がり。

食べるときには、その凹みに餡子を乗せて食べるそうで、スーパーに行って出来合いの餡子と黄な粉を載せて食べてみたが、餡子の甘いこと甘いこと、、、その甘さに負けて、自分には黄な粉のほうが性にあっていると感じた次第。          でも、三つが限界だった。

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2010年9月21日 (火)

目処がつく

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すこし、左側が満ちていない十三夜の月だが、煌々と雲ひとつない空に輝いている。

一般に”十三夜”と言えば旧暦の九月十三日なので、もう一ヶ月先の月を言うのだが、あさっての満月は雨の予想が出されており、見えない確率かなり高そうなので、今宵は、中秋の名月を兼ねてと眺めている。

日本では、完全な満月ばかりでなく、少し欠けた月も愛でる傾向があり、このほかにも十六夜と書いて、イザヨイと呼ばせたり、三日月に思いを込めたりする。

#河岸の柳の 行きづりに ふと見合わせた、、、。という歌の題名は十三夜だった。(古い古い歌で子供の頃聞いても艶かしい感じがして聞くだけで歌えない歌だった)

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014 足元には、メドハギが白い花をこぼしたように咲かせている。

萩の仲間なので、花の形は良く似ているが、萩の半分ほどの大きさしかなく、色合いも地味なくすんだ白なので、まったく路傍の花と言ってもよい。

名前のメドは目処から来ており、昔は筮竹の代わりに使ったためと言う解説があるが、目処をつけると言えば、”見通しがつく”と言う意味とほとんど一緒である。

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今朝の新聞で、大阪地検の特捜部が捜査をし、先日証拠が信用されないとして無罪判決が出た厚生省の事件の主任検事が、押収したフロッピーデスクを改ざんしたとして逮捕されたそうだ。

この件に関して、明日のワイドショーは持ちきりになること確実だが、この速報を聞いたとき、おもわず上層部から圧力かかる刑事ドラマそのままだと思ってしまった。

検察内部で、情報が外に漏れでないようにあれこれ細工したに違いない。検察上層部の面子をまもるため、最終的に個人の不始末にして、幕引きをするつもりだろうが、、、、どうなるのだろう。

先日来、小沢一郎氏の政治献金でも不起訴不当を受けて、再聴取をしたが形式的なもので起訴する気がはじめからない猿芝居でしかなかった。

これも、政界実力者と揉め事をおこして、人事で仕返しを恐れる幹部の意向と取られても仕様がないと、テレビドラマから勘ぐってしまう。

なんでもかんでも、最初にドラマの筋立てを考えてその方向に持って行くと言う見通しでことを進めようとする体質は、エリート意識の強い組織が巨大化した場合に起こることである。

このことで書きたいことはいっぱいあるが、収拾がつかなくなるのでやめる。

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2010年9月20日 (月)

耳が痛い

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夏前から庭に幾匹ものカマキリがいて、仲間同士で睨み合っていたりしたが、夏も過ぎた今では天敵にやられたか仲間同士で決闘したのか、今では一匹しか残っていない。

その一匹が、連日のように韮の花に獲物狩りに来ている。

036 そして、今日も。待ち構えていれば花の蜜を吸いにセセリチョウが寄って来た。初めは別の花に掴まっていたが次第にカマキリの待つ花の近くに寄っていく。

満を持して、微動だにしなかったカマキリがそろりそろりと上体を傾けて狙い一発、目に留まらぬ早業でセセリチョウをしとめた。

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この間、カメラを構えて狙っていたが、獲物を取る瞬間はシャッターのほうが間に合わず、、、、

蝶々を擬人化して人間的に見れば可愛そうな感じもするが、これも自然界の掟。カマキリが一匹になったのも同じ現象の結果と見れば、、、、、

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いま、一番下の孫が悩んでいるそうだ。

去年入った少年ソフトボールのチームで今年はピッチャーを任されて喜んで投げていたのだが、球すじが良いのか最近打たれ出して負け試合が多くなり、代わりに近所の同級生が内野守備から変わって交互にピッチャーをやることになった。

ところが、この少年はコントロールの悪い荒れ球だが、スピードもあって勝つことが多くなり主役を奪われそうになり、それが元で試合に行くのも億劫になっているらしいと娘は言う。

娘は「たまには落ち込むのもいいさ」と気にかけていない様子。じいじもそうだと思い、孫に「そんな時期もあるさ、嫌なら行かなくても良い」なんてけしかける。

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それに反して高校生の孫はいま絶好調の調子、、、、。

もともと激しい運動は控えて、と言う医者の診断にしたがって、部活は弓道部に入り弓を引いていた。

そもそも、長いケースに入った弓を持って歩く人に憧れたというだけの動機で入った部活だから、誰も期待していないし、本人ものんびりやっていたのだが、何を間違えたのか、先日の試合で優勝し賞状をもらってきたとき、「もう二度とないから、トロフイなら良かったんだけど、、」なんて言っていた。

ところが、一昨日の大会で再び優勝してトロフイを獲得。「じいじの言うと通りにやって、とれたよ、、」って電話が入った。

「じいじの言う通り」とは、その前日美容院に行った帰りに立ち寄ったとき、「前の大会では運が良くて、選手に選ばれたけど、今度は仲間の足を引っぱらなきゃいいんだけど、、、」と心配そうに言ったので

そんなときは今日の美容院代を頭に思い浮かべて、弓を引きながら「8,300円っ 当たりぃ~!」ってやれば大丈夫てふざけたことを言ったら、試合中にそれが頭にかすめ、そうやったら当たったよ。

緊張感で勝負の別れ目が決まるとき、そんな言葉が助けになったかと思うとこれも”年寄りの功”たまには成功するわい。とにんまり

今日のテレビでも年寄りのコメントとして、「ただ年を取っているだけで敬われるのではなく、年よりも敬われるだけのことをしなくては、、、」と言っていた人がいたけど、、、、

駄洒落を飛ばすくらいしか能がないじいじでは    耳が痛かった

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2010年9月19日 (日)

哀れなり塔頭の仏たち

011 教育委員会の案内板

そのむかし、多分武田信玄の金堀衆が見つけたものと思われるが、安倍川最上流部の梅が島地区に日影沢金山と言うものがあって、江戸時代ずっと掘り続けられ、明治になって新田のほうに移住するまで人がいたという記録がある。

その日影沢金山跡を梅が島温泉”黄金の湯”に行きたいと言う連れ合いの言葉を利用して見てきた。

自分が働いた飛騨の神岡鉱山もそうだが、稼動しているときは威勢が良いが、閉山になった後の鉱山ほど寂しいものは無い。

神岡鉱山も、坑内から金属を産出しなくなり、山の中の社宅群から人がいなくなった、いま、廃墟マニアが群れを成して歩き回っているようで、ネット上に廃墟の写真が結構出ている。自分らからするとそれらの建物に思い出があるだけに冒涜されたような感じがしてならない。

そう思いながら、この遺物を見て回るのは矛盾しているかもしれないが、、、、すでにこの地が廃墟になって百四十年、遺跡が自然に帰る前に目に納めておくのも、、、、と言う勝手な理屈をつけて回ることにした。

018q 左、長盛鋪のあった場所として作られた坑口

麓の”ととの里”から尾根伝いに登ること20分ほどで、”屋敷跡””長盛鋪”さらに五分ほど登って山神様。

そこから戻って、二十年ほど前に架けられた近代的なつり橋を渡って、どんどん山の中腹に登り、それから、急勾配の山の尾根道を下ったところにある鉱夫の墓の群れの間を降って河原に下りたところにある代官屋敷跡が終点で約一時間のハイキングコースになっていた。

金山跡巡りだけなら、山神様から真横に横断すれば鉱夫の墓へ行けるのに、何も無い杉林の間の山登りさせるのはどんな意味があるのだろうかと思ってしまった。

自分たちは、坑内のことを”鋪”(シキ)と呼んだが、いま残っている”長盛鋪”は最近作られたもので、ここにあったと言う標識にしか過ぎないものであり、感慨深かったのは、石垣だけになった屋敷跡と鉱夫の墓である。

あれだけ、ハイキングコースとして整備したのなら、屋敷跡に植えられた杉を伐採して除去して貰えれば資料として一級品になるのではないかと思う。

029 .

030w また、目で見ただけで30基以上あると見られる小さな墓石群が尾根道のあちこちに不規則に建っている。

この墓の下にどんな歴史が眠っているのだろうか。この頃は人がやっとくぐれるだけの穴を開けて採掘する”狸掘り”と言う方法がほとんどであり、落盤、生き埋め、硅肺などの災害があり、天寿を全うする人はまずなく、寿命と引き換えの仕事であった。

まさに、この墓石の群れは「夏草やつわものどもが 夢のあとではなかったろうか。遠く、故郷を離れいまは花も手向ける人とて無い山奥深くで眠る山師。、、、それでも、墓のある連中はまだしもであり、ほとんどは何も残ってはいないはず、、、    

          はかなくも哀れなり

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2010年9月18日 (土)

声良しに誘われて

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何を間違えたのかエンマコオロギが下駄箱の下あたりで鳴いていた。

静かな夜のことだから、かなり大きな声がする。何処にいるかと探ってみたが、玄関に出ると気配を察したらしく鳴き声がやむため、居場所が分からない。

コオロギなど昆虫は鳥と違って、声帯で鳴くのではなく、背中の羽根などをすりあわせて音を立てるのだから、鳴くと言う表現はおかしいのかもしれないが、むかしから唱歌にも鳴くと表現されているので、、、、

このまま玄関で虫の声を聞くのもいいかなと思ったが、短い命、折角の恋路を邪魔するのもなんだと思って、朝になってから、しばらく玄関を開けっ放しにして出て行ってもらった。

昼ごろになって、産卵管をもった雌のこおろぎを庭先で、じぃっとしているのを見かけたので、これが、昨夜の間、玄関の声良しコオロギに誘われて待ちくたびれていた相手だったのだろうか、なんて思ってしまった。

その結果、うまく行ったのかどうか、、、、今晩は何処からも声を聞くことが無く、半月の月が雲の間をかすめるようにして輝いている。

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先ほどのニュースで横綱 白鵬が千代の富士の連勝記録を上回り、史上二位の記録を通過したと報じていた。

最近は、相撲の興味も薄れ実況はちっとも見ていないが、この記録を聞いて人間には憑いている人 いない人ってのはあるもんだなぁ。の感を更に深くした。

夏場所を不祥事で全休し、かなりの数の力士が休場し、大関解雇の力士もあったりして、幕内力士のレベルの低下、意気消沈などもこの連勝に拍車をかけているような気がしてならない。

そうした中、横綱一人が頑張って場所を盛り上げている、と言う見方も出来るが、すが目では「運が良かった連勝で、千代の富士とはちがう」と言う思いがあって、素直にはお祝いできない気もする。

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2010年9月17日 (金)

赤い花をこぼして

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Img_0037 近所の空き地に縷紅草(ルコウソウ)が毎年咲く場所がある。

一年草なので、前の年に落ちた種が生を繋いでいるのだと思うが、今年は梅雨前に草刈りをしたので、例年より咲くのが遅れていた。

真っ赤な花を次から次へと咲かせている様子は、生い茂って青い絨毯の上に、赤い宝石をこぼしたか、クリスマスのツリーを思い浮かばせるようできれいである。

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Img_0059_2 縷紅草の縷は細く細かいものを指すので、この花の葉っぱから来ているのだろう。近い仲間に丸葉縷紅草(右の写真)というのがあって、此方は葉が名前の通り丸く、朝顔の葉に似ていると思ったら、朝顔の仲間だと言う。

そうなると、丸葉縷紅草のほうが本家に近いと言うことになる。

花の形も、丸葉のほうが角が取れたように丸みを帯びている、、、、、どっちが綺麗かと言われれば、、、さて、と、、、、、、、

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今日は朝からの好天に誘われて、袋井までバイパスで行き帰りは海岸沿いに静岡に帰るというドライブを行なった。

予定としては、遠州の荒々しい海を見るのと、今まで何度行っても入れなかった横須賀町の清水邸庭園と御前崎の”なぶら市場”そして、”子生まれ温泉”に立ち寄ると言うものだった。

立ち寄るたびに袖にされた、清水邸庭園は今回駐車場に止めてある車も少なくスムースに入れることが出来、期待をこめて入ってみたが、思ったより小さく、池を巡って集会する散策路には蜘蛛の巣があって再三にわたって顔に張り付かせる始末、花も端境期に入ってか何も無く池は睡蓮の花でいっぱい、水面がほとんど見えない状態だった。

これが、この土地の殿様を上回ると言われた廻船問屋の豪邸だといわれると、建物の新しさもあって拍子抜けする思いがあってがっかりした。

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ついで、”なぶら市場”で食事をした後、すぐそばにあるマリンパークに行ってみた。

御前崎港の一環で作られたこの広場は、八月いっぱいの海水浴も済んだところで広い敷地には人影も無い。

人工の白い砂浜を持つ海水浴場は、中央に立つ風力発電の風車の風を切る音のみが聞こえる。

マリンパークと言う割には、子供の遊ぶ施設は滑り台と遊具が少し、なんだか殺風景な感じがするのは人がいないためばかりではなさそうだ。

ただ、東屋を吹きぬける風は心地よく、食後の満腹感も会って、うとうとするには最高の場所であった。そのため、、”子生まれ温泉”は今度また、、、となってしまう。

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2010年9月16日 (木)

天と地ほどの開き

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今日も一日雨催いで暮れた。

時折見せる小雨時を狙って外に出れば、お彼岸を間近に控えて彼岸花が赤い穂先をすっくと槍のように花茎を立てて、準備が出来たことを告げている。

そうしたなか、早々と開ききった白い彼岸花。突き出した長い雄しべに露を幾つも連ねて、「吾ここにあり」と言わんばかりに存在を主張している。

別名を曼珠沙華とも言われるこの花は、”天上の花”と言うことになるのだが、一方で球根に毒があるためか”地獄花”ともいわれ、評価は天と地の開きがある。

その毒性を利用して鼠除けなどのため土手に植えられ、その毒ゆえに荒らされること無く繁殖して斜面一面を真っ赤に染めるところもあるが、そして、人はその毒を巧みに消して、飢饉食として食べたこともあるという話を聞いたことがある。

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2010年9月15日 (水)

冬の花も咲きだして

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今朝方の激しい雨で、気温もぐっと下がり、連日の真夏日も今日は一気に四度ほど下がって26度くらいにまでなったそうだ。

そして、それを敏感にさとったかのように、茶の花が咲き出していた。まだ残った雨にぬれて白い花びらや、葉にしずくを付け透き通ったような色合いの白い花である。

008  大きさは2cmと少しはありそう。椿の仲間だけあって花の形は良く似ていて、黄色い雄しべを際立たせている。

この花は、秋から冬にかけて咲き出し、春先 新芽の出るすこし前に終わる花期の長い花だが此方にいると冬の花と感じている。

そこに、オオスカシバが蜜を求めて花の間を巡り歩く、、、、ハチドリに似て空中ををホバーリングしながら長い口吻を差し伸べて雄しべの間の深いところにある蜜を探る。

花にとっては、花粉に触ることも無いので蜜泥棒と言った感じがするだろうが、鷹揚に構えている。

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管首相再選を見込んで、円高が更に加速し6年ぶりとかで、政府が介入したそうだ。

今回は、各国協調の介入でなく、日本単独の介入となったのは、アメリカ、ヨーロッパともに国も経済の不振があって、自国の通貨が低いほうが良いということから、円高誘導には参加しないという、見通しで行ったのだろう。

一国だけで、世界の通貨レートを動かすと言うのは無理があり、その効果はどれだけ持続するか分からず、再介入を続けられるかどうかが危ぶまれている。

それでも、介入したのは経済界へのサービスだったのか、、、、もっと円高を有利に進める策を考える時期なのではないだろうか。

経済界にまったくの素人の考え

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2010年9月14日 (火)

ばらばらに咲く花(大毛蓼)

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大毛蓼が真っ赤な房のような花を咲かせている。荒地に咲く一年草なので、土木工事中の斜面などに多いと言うが、噂にたがわず、取り付け道路脇で咲いていた。

Img_0171 その房を間近で見れば、小さな五弁の花の集団であり、ほかの花と違って元のほうから咲くということがなく、なんだか好き勝手に咲くようで、蕾の合間に開いた花が埋もれていると言った感じ、、、。

草の高さは花の先まで入れると1mを越していて、犬蓼属の仲間では一番大きくて派手な咲き方をするのではないだろうか。

名前の由来は、茎に毛が生えていることからだが、そんなに目立つほどのこともなく、もっと別な名前が良かったような気がする。

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民主党の党代表を決める選挙が行われ、蓋を開けてみたら党員サポーターの獲得票が予想外に大きくひらき、ここで勝負があった感がしたが、国会議員票でも僅かながら管氏が多かった。

予想では、小沢氏が150人、鳩山氏が60人、その他を含めてかなりの議員の票が取れるとの見方があったが、ここで、僅差とはいえ競り勝ったのは大きい。

しかし、世間の感じ方と、六対四の地方議員、さらには五対五となる国会議員の認識の仕方、中央に行くほど差が無くなっていくのは身近で候補者を見、接しているからなのか、民主党も永田町の常識に近づいているのか、それとも”衆愚”はそのときのムードに流されやすいのか、、、、。

しかし、先のことは分からないが、自民党の時のように派閥の領袖が密室で決めると言うことでもなかったし、右へ向けといったら無条件に向くようなことも無かったようだ。

さらに、大きな金が動いたような形跡も多分無いと思うと、永田町の常識は幾分世間の常識に近づいてきたとも言える。

これから、ねじれ国会に向けて船出をするわけだが、、、、

vaya con dios    (バーヤ コン デイオス  どうぞ神のご加護を)

翌日の新聞報道で党員、サポート票の内訳では、ポイントほどの大差ではなかった。一票でも多く取った支部が総取りする1人区制の方式を取ったためだが、、、これも、選挙の仕方なので仕様が無いだろう。

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2010年9月13日 (月)

空をキャンバスにして

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空を大きなキャンバスに見立てて書きなぐったように白い雲がかかっている。

空は、とっくに秋の風情だが、気温は今日も30℃を越してクーラーが回る。

日 暮れても 尚 いたずら書きは納まらず、絵の具の量を増やして空を僅かな間を彩る。

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2010年9月12日 (日)

使い勝手がいいんだけどな

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アキノノゲシの花がひっそりと咲いている。

同じような名前の野芥子の猛々しい花の形と違って、花びらも一重の上、色も白っぽい黄色でいかにも涼しげというか、楚々とした感じの野花で好きな花のうちに入る。

名前の後ろに芥子と付くが葉っぱが似ているだけという意味であり、全然違う菊科の植物で、更に属にいたっては「秋の野芥子属」と別な属を作っていて、こちらも野芥子に似ているところから付けられた。と、なると、似ているの連鎖から来た名前で、いかにも影の薄い花になる。

仲間としては、レタスなどが近縁種であり生食できるとあるが、子供の頃”チチクサ”と言って若芽を折ったとき白い乳液の出る草をお浸しにして食べたが、これらしいことを思い出した。

花言葉は、自分が日ごろ感じていることと同じように「控えめな人」というそうだ。ちなみに、その反対の花言葉はと見たら、金魚草が「出しゃばり」となっていた。可愛そう、、、。

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七月に施行された臓器移植法で脳死患者の臓器が家族の承諾だけで提供できるようになってから、今日で八例目が実施され予想以上のハイペースで進んでいるような気がする。

日本人の宗教観から身体にメスを入れて臓器を提供するのに抵抗感があるのではないか、脳死を人の死だと言うことが受け入れられるのか。脳死になった途端、臓器を提供するように圧力がかかるのではないか。などのほかに危惧されていたことが沢山あったが、何千万円とかを用意して外国で順番待ちをしたり、自分の国の患者は自分の国でという世界の流れから実施された法律であった。

この八例にそんなトラブルがあったかどうかは分からないが、自分の場合だったら、高い治療費を使って生かされるより、誰かの身体でもう少し生きていたほうが良いような気がして、「何処でも提供する」とほざいたら、、、、、

「この歳になると、よっぽどの健康体で無いとまず駄目なんだって」と念を押された。

今のところ血圧以外に症状は無く、三ヶ月ごとの血液検査も基準内で、使い勝手の良い身体なんだけどなぁ~。

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2010年9月11日 (土)

はやりの豹柄で

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久しぶりに戻ってきた太陽もそこはかとなく秋を思わせる風のため、汗はかくがしのぎやすさを感じる。

その空の下、黄花コスモスが明るいオレンジ色の花びらを風に任せてゆらゆらと揺れさせている。

黄花コスモスは、赤や白色の花を付けるコスモスに比べると繁殖力が強く、一緒に蒔くと普通のコスモスは圧倒されてしまう。また、葉の裂け目が浅く、幅広と言った感じであり、一緒に植えても交配しないところを見ると、同じ属でもかなり離れているようだ。

コスモスと言えば”秋桜”などと書いて秋の花と言うイメージが強かったのだが、最近は黄花コスモスも含めてかなり早い時期から花咲かせていて、季節感の少ない花になりつつある。

025 その花に、人間界で流行している豹柄を身に着けた、褄黒豹紋蝶(ツマグロヒョウモンチョウ)がやってきて花から花へと飛び回っている。今日はそれに圧倒されてか、セセリチョウもいないところを見ると、花の蜜は蝶によって好き嫌いがあるのかと思ってしまう。

人間にも、痩せてスタイルの良い娘が好きだとか、ぽっちゃりとして安らぎを感じる娘が好きだとか、、、、、、いろいろと好みがあるのだが、雑誌の表紙を飾るような人ばかりに集中する。

そのため、テレビを見ていても、街を歩いても、自分から見ると、個性が無く、似たかよったかばかりがテレビに出てきて、区別が付かないのはなんとも味気ない。

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2010年9月10日 (金)

毛むくじゃらの花 ガガイモ

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昨日は久しぶりにクーラーを使わずに一日が過ごせた。

とくに、夜の間中使わずにいられたことが嬉しかった。この後いくらかぶり返しがあるだろうけど、季節は秋に入ったのを実感させる一日だった。

005 今日は、ガガイモの花。この暑い時期にまるで毛皮のコートをまとったように毛むくじゃらの花びらを開かせていた。

一種異様な五弁の花びらのようにも見えるこの花、ひょっとしたら朝顔のように裂けているだけではないかとも思える。

そして、雄しべが見当たらない。花の中でも小さい花に雄しべがあるそうだが、決して、雄雌別の花でもないという。

雄しべは、この花の奥深くに隠れるようにしてあるそうな、最近我が世の春を歌っているセセリチョウが、群がっていたが、口吻をその奥深くに差し込むことによって受粉させているのだろうか。

名前を漢字で書くと鏡芋とも羅芋ともかくそうだが、ほかのなんとか芋と名前の付く植物のように地下に芋は無いそうで、本当の出所はよく分からないらしい。

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今日の大きな話題は、振興銀行が破綻し、預金を1,000万円までと利息しか保護しないペイオフを始めて発動するそうだ。

どうも、預金者が少ないこと定期預金しか扱っていないことなどにあるようだが、今後同じように銀行が破綻した場合、ペイオフがスムーズに出来るのだろうか。

銀行が大きくて出来ないなんて言い出したら、ダブルスタンダートのそしりは免れない。以前に言われていたのは、「借金を借りまくれば銀行が潰せなくなる」と言われたことと同様の現象にならないか、、、、。

もうひとつは、元厚労省局長の村木厚子さんの無罪判決。まだ地裁の判決だから検察が控訴するか、しないか分からないので確定ではないが、地裁判決では検察の証拠はことごとくと言ってよいほど採用されなかったので、前から無罪になりそうな雰囲気だった。

逮捕当時は、検察の情報のみで犯罪者扱いだったマスコミは、今回も口を拭って検察のやり方を批判し始めた。

こうしたなかで、女性の特色かもしれないが、一貫して否認をしつづけた元局長の精神力には感心する。男性に多い冤罪事件の中には迎合的自供をした後、それを翻し、覆す難しさがたびたび見られている。

しかし、今回の裁判を通じて、検察も密室の取り調べから、公開性の高い映像化を進めたほうが、裁判員の説得材料として有利になることを知ったのではなかろうか。

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2010年9月 9日 (木)

こりゃ 米盗っ人

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雨降る中、道路わきの田んぼの稲が熟れて頭を垂れているところへ更に雨の重みが加わってか歩道上に横たわってしまった。

これを見つけたキジバト夫婦?、稲を啄ばんではしごくようにして食べている。

この鳥は、普段でも人怖じの少ない鳥なのだが、雨で人通りが少ないうえ、こんなご馳走またとないとばかり、近寄っても逃げようとはしない。

「こりゃ 米盗っ人、むかしなら打ち首獄門ものだぞっ!」と言ってみたいが、鳩(山坊ちゃん)も生きるためには仕様が無いし、これは他人の田んぼ。

西洋流の言い方をすれば、「大事なものは盗られないようにきちんと始末せよ。ルーズな保管方法で盗みたいと言う気を起こさせるほうが悪い」と言う論法からすれば、お百姓が悪い。

さてどっちの味方をするか。

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002 大きな傘の下、お茶しながらの雨宿りは

「本来なら台風一過の青空が出てきても良いはずなんだが、、、、昨日の夕方の夕焼けは今日の天気を予告してくれていたと思ったけど、、、」そんなことを思いながら、霧雨の降るなか散歩に出かけた。

それにしても、県東部に大雨被害はテレビで見ていてもすごいものだったことが分かる。幸い地元の人に怪我人が出なかったことが幸いであった。

ただ、フジテレビの取材班のなかで崩壊した道路に落ち込んで渋滞になった人がいたのを他局の放送で知ったため、フジ系列局のチャンネルのニュースをたびたび入れてみたが、事故についての報道は一切無かった。

そういえば、埼玉県でヘリコプター墜落事故のとき日本テレビの社員が取材に行って死亡した事故についても、直後に装備の不具合は無かったと言ったきり、これまた日テレは一切報道をしていなかった。

他社の事故については放送するが、自分のところの不具合はしない。と言うのが報道各社の基本姿勢なのだろうか。これでは、殉職した社員は浮かばれないと思うのだが、、、、

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2010年9月 8日 (水)

台風と秋刀魚がガッチンコ

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昨夜から少しづつだが小雨が降っていたようで舗装道路が濡れていた。

天気予報では、福井県に台風が上陸した後、北陸沿いに進むのではないか、と言っていたので本格的になる前にと麻機田んぼの中を近回りに歩いてみた。

この辺りでは、植え付けに時間差があり、早くも刈りだしたとこから、ようやく稲穂が出かけたところまでまちまちなため、パッチワークのように緑から黄色、そして、茶色まで四角い布を張り合わせたパッチワーク模様を描き出している。

なかでも、”実るほど頭をたれる稲穂かな”とばかり垂れ下がった籾の先端に雨粒がつき、その中に小宇宙のように回りの景色を写しこんでいるのが嬉しくて道路わきにしゃがみこんでしばらく見とれた。

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002m 昼近くになって雨も激しくなり、テレビは台風の進路変更を告げ、静岡に向かってまっしぐら状態になった。

ここしばらく、雨の気が無かっただけに「干天の慈雨」となるか、「過ぎたるは 尚 及ばざるが如し」となるかと心配していたら、ユーパックから電話が入り、「午前中配達依頼されていた荷物がやっと届いたところです。午前中は間に合わないので午後一番で配達させてください」ということだった。

毎年、八月末に仙台の親戚が船会社に予約していた秋刀魚でが送られてきていたが、今年は不漁で遅れているとのことだった。それが、ようやく届いたようだ。

早速、大きな発泡スチロールに十匹の秋刀魚がシャーベット状の氷とともに届いたのは雨が一番激しいとき、北東から秋刀魚、北西から台風がガッチンコといった感じ、、、、、、

早速封を開いて刺身作りにとりかかる。

尾びれのほうから、刺身包丁で三枚におろし、胸びれの下に切り口を作って皮を引っ張り剝いで行く、水で洗った後、肋骨をそぎ落として刺身作りは、昨年の感覚を思い出して次第に納得できるものになる。

六本の秋刀魚を一時間ほどかけて下ろし、孫のところ、息子のところと届けた後、今度は自分の分を下ろし、台風一過の夕焼け空を見ながらビールとともに堪能する。

全てこの世はこともなし、、、、。

”こともなし”と思っていたら、自分の上空だけで県東部から関東一帯にかけて大雨が降っていたことを、九日朝に知った。特に御殿場、小山町にかけて普段水も僅かしか流れていない川の氾濫は、この川を見たことがあるだけに、、、、、、絶句

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2010年9月 7日 (火)

青桐の奇妙な実

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青桐の鞘がはじけ中味の種が見える頃になった。

Img_0087 この木の花は小さくて地味なところから人目にはつきにくいが、種の形が特殊なところから、秋になって目立つようになる。

もう少しすると茶色く枯れた鞘に丸い実をつけて、風に吹かれて舞い落ちるさまは、花筏のようにも見えひらひらと舞い落ちてあちこちに種を散らばかす。

青桐とは、桐の仲間ではないが、葉っぱの形がなんとなく似ていて、幹がかなり太くなるまで緑色をしているところから名付けられた。

この色を美しいと言う人もいるが、つるつるとした緑色の肌合いは、ほかの木と随分印象が違い、自分はなんとなく好感が持てないでいる。

排気ガスや剪定には強く、かなり枝を切り落としても勢いを取り戻すため、街路樹などにもよく使われているが、その種の飛び散り方で放棄された田んぼなどにも、葦やセイタカアワダチソウを押しのけて育っている。

また、材質がかなり柔らかくて、建物などの木材としては使われないが、広島の原爆にもいち早く復活して、翌年には青々と茂っていたそうだから、かなり生命力の強い木である。

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ブッシュが始めた大義なき戦争も、アメリカ軍がイラクから撤退と言う形で終了した?と思ったらまだ五万人もの兵士が残って、直接戦闘以外の任務についているそうだ。

そして、このほかにも戦争会社社員が引き上げたとは聞いていないので、どのくらい武器を持った外国人が残っているのだろうか。石油などイラクの権益を手放させないためにはこのくらい必要と言うことだろうか。

イラクの独裁者は倒したが、かの国をめちゃくちゃにしたまま子供が玩具を投げ捨てるようにして責任逃れをする勝手な国。

アフガニスタンも近いうち同様の処置を取らざるを得ないだろうし、イスラエルとパレスチナの問題にしても、イスラエルよりの態度を崩せないようでは、交渉も破綻するのは目に見えている。

今年の夏同様、アメリカと言う国の行き先不明はいつまで続くことやら

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2010年9月 6日 (月)

アンデスの乙女って

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016w 「アンデスの乙女」って名前だなんて聞くとついつい興味を持って眺めてしまう。

このクソ暑いさなかに、黄色い花を次から次へと華やかに咲かせている元気さは、生まれ故郷の南アメリカの風土がそうさせているのだろうか。

花の形は遠目では黄色いだけで普通に見えるが、間近で見ると、蘂が尋常でなく、下も長いのは雄しべとわかるが、雌しべは青い角のようなものなのか、上の短い蘂なのか判断が出来かねる。

005_3  しかし、アンデスの山中で仕事をした身にとって、こんな艶やかな乙女にはついぞお目にかかれなかれず、右の写真のようなセニョーリーター(これが本物のアンデスの乙女?)を時折見かける程度だった。

花の名前は、正式には「花センナ」と言うそうだが、センナに当たる漢字は無いので調べて見たらあちらで呼ばれている”senna”をそのままつけたようである。

また、この木の成分は、下剤や健胃剤など薬に使われ、バリュームなど飲んだ後に飲まされる下剤に使われているとも書いてあった。

そして、多分違うと思うが、この字は人の名前などにも使われ、現場にも一人いたが、自動車レースで有名なアイルトン セナなどはこのつづりで表記されているが、どんな意味の名前なのか聞かなかったので分からずじまい。

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八月のお終いに、大型電気店に行っていたらいかにも田舎から出てきたような服装の老夫婦がクーラーの前で店員と相談していた。

遠くからそのありさまを見ていて「例年ならもう二~三日で暑さも収まるのに、今頃買いに来なくてはならないなんて、気の毒に、、、」と思っていた。

ところが、我が家のクーラーもよる年波か、突然故障してしまった。静岡に来た年に買ったものだから、32年になる古強者。

夏の初めに電気屋から「寿命がとっくに来ていますよ」と言われていただけに覚悟はしていたが、この時期になって、、、、

そう言われたときは、「もうひと夏使って来年に買い換えよう」と決めていたのだが、長期予報を見ればとても夜が過ごせそうも無い。

「ほれみたか」とは口に出さないが、エコポイントがどうとか こうとかと、いう説明を聞くと此方の僻目がそう思わさせてしまう。

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2010年9月 5日 (日)

獲物の大きさにとまどう

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最近の日の出時間は大体五時半ころ。

011a 日中の蒸し暑さは吹き渡るそよ風で飛び散り、快適に歩ける。行きかう人もご同輩らしい年齢が多い。

このところ、快晴続きで日中は雲も少ないが、朝焼けの空は地平線に雲か伊豆半島の山影が低く伸びて、赤く染まる。

この雲が、その日その日によって違う表情を見せてくれるので、思わずシャッターを押してしまいピクチャー欄には朝日の写真が沢山貯まっている。

そして、今日も麻機沼周りの散歩に行く。朝日は地平線を離れたが、水面にはまだ届かないところで、鷺の仲間はすでに食事中、寝坊助の魚がまだ動き始めていないこの時間が最適なのかあちこちで獲物を仕留めている様子が見て取れる。

013z_2 そうしたなか、一羽の青鷺が一気に飲み込むには大きすぎる獲物にありついた。

岸辺から何度もシャッターを切る人間には気がついているし、獲物は放せないし、思案顔でしばらく”ボッタッテ”いた。(静岡の方言、意味はこんな状態なので、、、、)

それでも、迷った末思いきって飲み込み、ヨタヨタと飛んで逃げたが、ゆっくり食事を楽しまさせなかった無粋な人間を、さぞかし恨んでいたことだろう。

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テレビのコマーシャルは、エコカー減税が終わっちゃうので早く買えと急き立てる。

政府のほうは、5400億円余の資金を使いきり次第打ち切るというが、民主党代表選挙の如何によっては、、と希望を繋いでいるかのようだ。

先日もテレビに出ていた、八百屋の主人がうちみたいな所にもこういう処置があれば、、、と言っていたが、恩恵は大企業にしかなく、この減税が終われば、また一番弱い立場の人にしわ寄せが来て首を切らざるを得ないとと脅かしている。

同じように、円高で輸出産業が困っているから手を打てと騒ぐ、経済のことは分からない自分だが、物を輸入し製品にして輸出することで成り立っている国としては、円高で輸入している原料の値段が相対的に下がっているはずではないのか。

日銀から、銀行に使え使えと言って、お金を融資しても借り手がいなければ、銀行は何とかファンドに貸すしかなく、再びその金が投機資金になって実体経済を脅かすだけではないのだろうか。

悪いほうに悪いほうに考えるからそうなる。と言った人もいるが、一昨年まで一㌦ー120円の頃大儲けしたときでさえ、将来に備えてと一般には還元されなかったお金がかなりの額だと聞くと、政治は、常に強いものの見方であるとの感が強く、「民主党党首の争いもどうせこっちには届かないだろうね」と言う気がし、街頭のインタビューに期待感をこめて語っている人が馬鹿に見えて仕様が無いこのごろである

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2010年9月 4日 (土)

整った風情が、、、

041w .

この花、ウスゲチョウジタデという。漢字で書くと薄毛丁字蓼となるが、髪の毛の薄い人の疳に触るかもしれない名前である。

黄色い花びらは、チョウジタデに比べて花びらの幅がありくっついていて、整った華やかさがあるが、その直径は一㌢に満たない小さな花である。

最近、田んぼが減ったことから数が少なくなったそうで絶滅危惧種にされているが、そのむかし、稲とともに日本に来たのではないかと言う説もあり、稲は栄えているのに、しぶといはずの外来雑草が絶滅危惧種というのはなんとも不思議な気がする。

さしづめ、江戸で三代続いて住んだ人を”江戸っ子”と言うそうだが、外来種も年降れば日本在来種になりひ弱になるのだろうか。

花言葉も、「温厚な性格」と書いてあったが、水辺から離れられないこの草は、環境が変われば生き残る努力もせずに消え去るのだろうか。(そんなはずがないとおもうが、、)

そして、この花、名前の最後に蓼がつくのは、葉っぱが蓼に似ているためで、花の色が違うのが不思議と思っていたら、蓼の仲間ではなく、アカバナ属で夕化粧などの仲間だと聞くと「さもありなん」とうなずくのみ、、、、。

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2010年9月 3日 (金)

実は目立つのだけど

011 .

030 長い間探してきたサネカズラの花にやっとめぐり合えた。八月の半ば過ぎに花が咲くとは聞いていたのだが、気がつくといつも小さな実になっていて花は終わっていた。

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012 サネカズラ、漢字では実蔓と書き、冬になるとピンポン玉くらいの真っ赤な実が目立つためにつけられた名前だろ思うが、雌雄別株のためなかなか見ることが出来なかった。

直径1センチほどの小さくて地味な花は、生い茂る蔦の中に隠れていて、かき分けなくてはその姿を見せない。

花言葉を見たら、”チャンスを掴め”とか”再会”というのがあったが、こういうことを言っているのだろうか。

早朝散歩の途中だったので、光量が足らず画面が粗い写真ばかりになったのでもう一度写しなおす必要がありそうだ。

実蔓は、別名を”美男蔓”ともいい、その語源はこの蔦の樹液がぬるぬるしているところから、鬢付け油の代わりに用いられたことに由来すると言う。

とにかく、赤い実が目立つところから、百人一首にも「名にしをば 逢坂山の実蔓 人に知られて 来るよしもかなと、歌われている。

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今日は、朝から押尾被告の裁判でマスコミが盛り上がっていた。この暑いのにご苦労さんと言ったところ、、、、、、。

二時からのワイドショーにいたっては、裁判の途中から入れ替わりに出てきて逐一状況を放送していた、そのさまは、まるで玩具を見つけた子供みたいに面白がって騒いでいるかのようで嫌になったが、明日は各社同じようにワイドショーで騒ぐのが目に見えている。

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2010年9月 2日 (木)

雨乞いの祈祷でも

029m .朝顔とマメアサガオ

道端の草むらの中に、朝顔の花が幾種類か咲いている。

人間に遺伝子をいろいろと弄くられてきた割には生命力が強く、野の花の混じって引けを取らずに花咲かせている。

052 白い花がマメアサガオ、紫の花がホシアサガオ

そして、遅ればせながら、野生の朝顔、マメアサガオやホシアサガオもそばで、彩りを添え始めてきた。

マメアサガオが白い花を咲かせ、ホシアサガオが紫色の花を咲かせることを知ったのは仕事をやめて

野の花に興味を持ってからのこと、それ以前は同じ野生のアサガオで、色違いだとしか思っていなかった。ひとつの茎に交じり合って咲かないこと、オシロイバナのようにいろんな色が無いことに興味が無かった事もあってのことだが、隣り合わせに咲いていても交配しないのは、同じサツマイモ属であっても、かなり離れている証拠なのだろう。

ともあれ、背丈を越す雑草に掴まり、よじ登って秋の花を誇示することになる。

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宮沢賢治がその代表作と言える「アメニモマケズ」の最後のほうに

ヒデリノトキニハ ナミダヲナガシ

サムサノナツニハ オロオロアルキ

と書いているが、今年の夏の暑さはかなり異常のようで、熱中症で病院に搬送された人が四万人をを越え、亡くなった人は四百人を超えたそうだ。

一ヶ月ほどの間にこれほど被害が出たと言うことは、昨年から今年初めにかけて大騒ぎした新型インフルエンザをはるかに超す被害者が出たことになる。

そのわりに、世間が騒がないのは伝染しないと言うことに尽きるのだが、被害者のほとんどが年寄りであり、クーラーも付けられない弱者で声が上げられない人々だと言うことだとしたら、先日来話題になっている年寄りの所在不明に相通じるところがあるような気がしてしようがない。

それにしても、雨が降らない。庭の鉢に入れた草木もかなり駄目になった。水遣りはしているのだが、この暑さで鉢が暑くなりすぎているからに違いない。

むかし、九月一日は立春から数えて二百十日にあたり、台風が来る日だと聞き、その日が無事に収まるようにと願ってきたが、戦後になってもう十日遅い二百二十日のほうが台風が来るといわれ、伊勢湾台風を初め何千人と言う人が亡くなるような台風が上陸した。

そして、お天気姉さんは、この先十日以上高気圧が日本の上空から去れないで暑さが続くというが、この辺で雨乞いの祈祷してみる必要がありそうだ。

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2010年9月 1日 (水)

触らぬ仙人に祟りなし

073 .

センニンソウがあちこちで白い花を咲かせている。

つる性の多年草のため、毎年同じところで咲いているが、その花の量が多くて、遠くから見ると白い雪をかぶったようで涼しげに見える。

センニンソウは仙人草と書かれるのは、花が終わってから、種の時期になると白い髭を伸ばしたように見えるところからだそうだ。

017 十文字型の花びらに見えるのは、花びらでなく額だと言うが素人にはそんなことどうでもよく、睫毛のような雌しべが目立つ花であり、葉は揉みつぶして薬になるそうだが、下手に使うとかぶれたようになり傷がなかなか癒えないので、「触らぬ神、ならぬ仙人に祟りなし」といったところだと聞いた。

.同じような花に、ボタンズルというのがあって、花だけでは区別が付きにくく、葉っぱの形で見分けるしかない。

Img_0012a下の写真は、以前飛騨で写したものだが、葉っぱの形が、分かりにくいけれど、名前の由来になった牡丹の葉に似ている。

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