兜造りの古民家
前々から気にはしていた。真富士山への上り下りには寄って見ようかと平野の集落を回ってきたが見つからなかった、文化庁登録有形文化財、大村家。
今日は行くところもないので、有東木にそばを食べに行くついでのようにして探してみることにした。
集落に入って、立ち話をしているお婆さんに聞いてみると、一度戻って少し降ったところにある沢沿いの道を登れば突き当たりだと言われ入りなおす。
登り出してすぐに細い道になり、すれ違いもところどころといった道を進んでようやく自動車が三台ほど止まれる駐車場に入れる。
立派な石垣の下には、文化庁の石碑があり、石段を登って門をくぐればすぐ傍に茅葺の民家が建っていた。
江戸時代後期に建てられた建物だと言うが、この辺りでは珍しい”兜造り”と言う形式で、山梨の西沢渓谷で見たことがある屋根が丸みを帯びた二階建て構造の家、、、屋敷であった。
こういう建物があるということは、日影沢金山が武田方によって発見され開発されたように、山梨側の影響を受けているのは間違いないだろう。
そして、明治に入ってから外回りの障子をガラスに変えたらしく。嵌められているガラスの厚さが一様でないため、さまざまに屈折して、ガラスに映る自分の姿がいびつになって見えるなど、興味の尽きない建物である。
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庭には、谷水を利用した山水と大きな鯉を放した池があり、かなりの豪農だった過去を偲ばせるものがあり、かたわらの石蕗(ツワブキ)が早くも黄色い花を咲きそろえて晩秋を告げていた。
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