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2010年10月31日 (日)

兜造りの古民家

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前々から気にはしていた。真富士山への上り下りには寄って見ようかと平野の集落を回ってきたが見つからなかった、文化庁登録有形文化財、大村家。

今日は行くところもないので、有東木にそばを食べに行くついでのようにして探してみることにした。

集落に入って、立ち話をしているお婆さんに聞いてみると、一度戻って少し降ったところにある沢沿いの道を登れば突き当たりだと言われ入りなおす。

登り出してすぐに細い道になり、すれ違いもところどころといった道を進んでようやく自動車が三台ほど止まれる駐車場に入れる。

立派な石垣の下には、文化庁の石碑があり、石段を登って門をくぐればすぐ傍に茅葺の民家が建っていた。

江戸時代後期に建てられた建物だと言うが、この辺りでは珍しい”兜造り”と言う形式で、山梨の西沢渓谷で見たことがある屋根が丸みを帯びた二階建て構造の家、、、屋敷であった。

こういう建物があるということは、日影沢金山が武田方によって発見され開発されたように、山梨側の影響を受けているのは間違いないだろう。

011 そして、明治に入ってから外回りの障子をガラスに変えたらしく。嵌められているガラスの厚さが一様でないため、さまざまに屈折して、ガラスに映る自分の姿がいびつになって見えるなど、興味の尽きない建物である。

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庭には、谷水を利用した山水と大きな鯉を放した池があり、かなりの豪農だった過去を偲ばせるものがあり、かたわらの石蕗(ツワブキ)が早くも黄色い花を咲きそろえて晩秋を告げていた。

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2010年10月30日 (土)

夕焼けとともに虹は消える

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台風十四号に伴う雨雲が昨夜から雨をふらせて、外に出さまいとするかのように降り続ける。

篠つく雨は途切れることなく松の細い葉を伝って雫をしたたらせ、時折吹く風は一掃するがまた雫を溜めるの繰り返しで暮れる。

029 台風が駿河湾沖を横切り一番接近したはずの午後四時半頃、突然外が黄色味を帯びた黄金色になったので、外を見ると薄い夕焼けのような感じ、、、

傘をさして外の出れば、薄いながら虹がかかりそうな気配がする。

そのまま、麻機の田んぼに向けて歩く。西の空には薄赤く染まった雨雲が追いたてられるようにして東に向かうその雲を追って山際にはくどいほど青い青空が見える。

024 .うすく副虹が見えるだろうか

日本平付近から立ち昇った虹の柱は薄赤い雲を背景に竜爪山の流れまで半円形に綺麗にかかっていて、そのうち副虹まで見えるようになった。

もっと鮮明にならないか、、、、もっと、、

風が雲を追い払うのを待つ、、、雨風が一段と激しく傘をお猪口にしたがる、、、

バイパス下に入って、雨除けしながら東の空を見ていると夕焼けとともに虹が薄れ、、、日没終了

なんだか、幕切れの下手な映画を見た感じ、ぬれた靴とズボンの裾もビチャビチャと、、、こちらもスカッとはしないで

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2010年10月29日 (金)

至福の一夜

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矢の根草。葉っぱの形が鏃のような形をしているとして名付けられた名前と言われているが、この三角錐の蕾の形のほうが鏃を思わせるのではないかと思う

031_2 花の様子は見てのとおり、蕾のときは強い赤色をして言うが、花びらを開くと白っぽい地味な花になってしまうが、ミゾソバと良く似た花を咲かせるところから、ひと目で蓼の仲間と分かる。

生息するところも、水気の多い田んぼの傍と来ると、神様もなぜこんなに良く似た花を幾つも造ったのかと聞いてみたくなる。

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世間一般からすると、早めの夕御飯を済ませた後に、一番上の孫が「じいじの顔を急に見たくなって、、、」と嬉しいことを言いながら入ってきた。

きけば、家の近くで仕事をしていたのだが、帰る段になって折角ここまで来たのだからと、寄って行く気になったとか、、。

「おでんがまだ冷えていないから食べていくかい?」「うん そうするよ」ってんでテーブルに座って久方ぶりの話をしながらもりもりと、、、、

食事が済んでから「少し肩を揉んであげるよ」といいながら背中に回る。

「俺 小さいとき、じいじの肩を揉んだことがあるけど、肩幅が広く固くて、はね返されるようで怖かったよ」という。

「どうだ、仕事をしていないから今では柔らかいだろう?」「そうでもないけど、、、」といいながら、ここ半年の仕事でつけた筋肉で力強くも見上げていく。

「もう いいよ」と言うまで至福のときを味あわせて帰っていく孫に「ありがとう」の一言しか言えずに夜は更けていく、、、、。

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2010年10月28日 (木)

おしゃれ~

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昨日今日と気温が一気に下がり秋も晩秋の気配を漂わせてきた。

小さな庭には、小雨降る中小さいが鋭い響きの鳴き声とともにジョウビタキがやってきた。

017 ねずみ色のシャッポ、黒いマスクに白い紋の入ったジャケット、胸元は明るい茶色のチョッキで決め込んで、、、、今風に言えば  おしゃれ~ってとこかな。

初めは、見返り美人風に後姿を見せていたが、しばらくしてからその姿をひけらかすかのように傍に来た。

この鳥は、縄張り意識が強いようで、群れやつがいで見たことがなく、いつも一羽で庭先に出てくる。そして、前にトラックのサイドミラーに写る自分と喧嘩していたのを見て笑ってしまったことがある。

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政府の行政刷新会議で特別会計の事業仕分けの第三弾が始まった。

いままでで一番問題視されていた特別会計に踏み込むことになるそうだが、マスコミや世間の関心はいまひとつ盛り上がらない。

その理由として、いままで事業仕分けの中で廃止されたり見直しと判定された事業がどれだけ実施されたかが分からず、先日の報道によればかなりの事業で復活しているとのことだった。

これでは、世間が期待した成果が少なくなり、失望感でまた表面上で騒いでいるだけと言う印象が強くなったのではないかと思う。

また、仕分けされたときは辟易として答えが満足に出来なかったお役人のしぶとさを再確認された思いもする。

なんとか,行政刷新を推進するためには、民主党の公約を遂行するんだと言う強い姿勢が後押しするのだが、これがないと次の選挙はどうなるのか心配するのは自分だけではないはず、、、、

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2010年10月27日 (水)

ゴンズイは役立たず?

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ゴンズイの実が熟れて弾けていた。

Img_0016 よく似た蔦の実、たんきり豆(昨年11月写す)

赤い鞘が弾けて中味の黒い玉が見えるところは、たんきり豆にも良く似ているが、此方は三~四㍍の潅木であり、つる性のたんきり豆とは違う植物である。

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0071 左、ゴンズイの木

ゴンズイの名前の言われは、海の魚の中に鯰に似た小さな魚がいて、いつも集団で動いているのを水族館で見たことがあるが、この魚は鰭に毒があって食べられないところから、役立たずと言われているそうで、木のゴンズイも同じように役に立たないから名付けられた。と、一般には言われている。

しかし、世の中人間には直接役に立たなくても存在価値のないものはない。という最近の価値観を先取りしたように、ゴンズイの語源はめでたいときの象徴である「五瑞」から来たという説もあったようで、自分もこちらを支持したい。

ちなみに、当て字ではあろうが魚のゴンズイは「権瑞」と書き、木のゴンズイは「権萃」と書くそうで、「萃」はあつめると言う意味があり、上の写真のように赤い実が密集しているさまを言うのかなと言う気もする。

それでは、”権”は何なんだと言われると分からないのだが、、、、。

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今日NHKの「クローズアップ現代」で認知症老人を食い物にしている詐欺の実態を放送していた。実際はもっとひどいことになっているのだろうが、貧困者を食い物にしている話やこの話を聞くと、なんだかお先真っ暗と言う感じがしてしまう。

そして、裏社会ではこうした老人の住所や生年月日などをリストアップした名簿が流れていて、一度詐欺に引っかかると身ぐるみ剝がされるようにして預金が引き出されていくそうだ。

こうした行為に後ろめたさがないかと、接触した詐欺師に聞いたところ「自分がやらなくても誰かがやるので、、、」と言う返事。

そうしたなかに、証券会社までがはいっていて、リスクの高い国外の証券を買わせていたり、近所の人が認知症の老人を施設に入れて、残った土地などを勝手に処分したりする例もあるという。

また、後見人制度があるのでこれの活用が言われていたが、先日の新聞では司法書士だったと思うが、後見人がやはり認知症老人の預金通帳を私腹に入れていたという記事を見た。

まったく一度認知症になると嘆かわしくも情けない境遇になり、まさに四面楚歌といった感じで信用できるものがない。

唯一の救いは、騙されてもそれが分からず、悔し涙にくれることがないことぐらいだろうか。

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2010年10月26日 (火)

麓の椎の実は

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舗装された地面に椎の実が落ちこぼれ、自動車のタイヤに踏まれたようで中味が白い粉になって散らばっている。

山では、どんぐりが不作で熊が市街地にまで出てくるこのごろでは、山の動物が涎をたらして眺めているかもしれない。

孫が、保育園に通っていた頃は、大きな袋を下げて椎の実を拾ったものだが、このごろでは拾われた形跡がない。

木の上には、皮が弾けて中のどんぐりが顔を出しているのが見受けられる。この実は、スダジイという木であろう。

同じどんぐりでも、煮ても焼いても灰汁が強くて食べられない水楢のようなどんぐりもあるが、このスダジイのように茶黒い皮をむけばそのままでも食べられるものもあり、むかしは重要な食料だったらしい。

のぼるべき 頼りなき身は 木のもとに

      しいを拾いて 世を渡るかな

源の頼政がこの歌で、当時では破格の三位に昇進した歌として知られている。

大極殿で天皇を悩ませていた鵺(ヌエ)を退治したことで有名な頼政も殿上には上げれない身分だったが、平治の乱で政権を掌握した清盛におべっかを使いようやく手に入れた三位とは、本来公卿でなければつけない位で、殿上人であった。

後の世の戦国時代には好き勝手に官名を自称したが、平安時代中期まではとても名乗れる位ではなかったことだろう。

それにしても、親戚を滅ぼし引き上げてもらった殿上人の座り心地はいかがなものだったろうか。

数年後、清盛の専制に不満を募らせ、戦いを挑んで破れたのが、頼朝らが挙兵するきっかけとなったのが、せめての罪滅ぼしか。それとも、そんな時代が来るとは思いもしていなかったかもしれない。

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2010年10月25日 (月)

陶器のような色合いで

014 雨上がりの野葡萄にヤマトシジミがじぃっと掴まっていたが、、、蜜はないはず.

昨夜来の小糠雨が朝まで残り、草の先端に雨粒を沢山つけていた。

そうしたなかで、野葡萄の実が青から紫にそして暗い藍色に染まってきた。

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葡萄の仲間だと言うが、房になって垂れ下がると言うことはなく、蔓の上に店を広げたように並べ立てている。

さすがの自分もこの実には食欲が湧かなくて、味見をしたことがないが、鳥には人気?があるらしく、ある年突然と言った具合に蔓を延ばし始めるのは、鳥に運んでもらったとしか思えない。

とにかく、熟れた実は陶器のような色合いをしていて綺麗なものだが、枝ごと摘んでくるとすぐにしなびてしまう。

蓮華同様、「やはり野に置け、、、」の代表だろう。

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今日は、曇り空ながら気温が高く29度まで上がった。

これは、奄美に大雨をもたらした前線が北上して、洋上の熱い気流が流れ込んだせいだと放送していた。

それにしても、奄美の大雨はすごいものだったらしい。背丈を越す濁流や崩壊の中でよくあれだけの犠牲で済んだものだと思う。

自分は、これまで幸いにして大きな自然災害に出っくわしたことがないので分からないが、天城峠でワイパーをフルに動かしても前方が見えないほどの降りに出会ったことがあるがあのくらいの雨が長時間続いたのだろうと想像している。

とにかく、自然と言うものは均一にと言うことがなく、いつ何処で観測史上最大と言った災害に逢わないとはいえない。

そして、予想されている東海地震も南海沿いに連動すれば、、、、くわばら くわばらというしかないのだが、、、心の準備はなにもできていない。

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2010年10月24日 (日)

十月桜

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葉が落ちだした桜の木に白いものがひとつふたつと纏わり付いている。

十月桜だ。名前にあるように十月という声を聴けば咲かずにはいられないのか。

036 春の花、染井吉野と違って儚げながら細い八重の花びらは、

小さな雨が降って来はじめた空を透かすように咲いている。

まるで、薄いピンクと白のセロハンで作った造花のように、、、、

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2010年10月23日 (土)

黄色く染めて

020 . 散歩道は黄色い回廊となってしまった

いつもの散歩道。麻機沼界隈はセイタカアワダチソウで黄色く染まってきた。

名前の通り草丈が二㍍に及ぶものも出てきて、散歩道は黄色の回廊のようになってきた。

この草は、根からアレロバシーという他の植物の成長を阻害する化学物質を出しながら繁殖するため、日本全土でその勢いがとまらなくなった。

しかし、自分自身もその毒素のため成長を阻害されると言う、なんだか皮肉な結果で、最近は繁殖の勢いもひとっころほどではなくなったようだ。

034_2 035 ススキの白と泡立ち草の黄色、いかにも秋だが、、、

そして、ここでも、ススキとセイタカアワダチソウが混在して花を咲かせ、いかにも秋をともに楽しんでいるように見えるが、多分地下では勢力争いで根っこ同士が喧嘩してるに違いない。

さしづめ、顔で笑って足で蹴り合っている状況ということか、、、

032 .沼の土手を黄色く染めて

いま開催されている生物多様化問題で、外来種の進入を阻止しようと言う運動が起こり、麻機沼でも県や地元の団体で6月だったかに第四工区で華々しく式典を行い、傍にあったナンキンハゼを切ったなんて新聞で報道されていたが、、、、

この状態をどうしようとしているのだろうか。ほかにも、ナンキンハゼもこのほかは切られていないし、ミズアオイも相変わらずで外来種を排除しようと言う気概は見られない、形だけのおざなりなら、胸にリボンまでつけた挨拶なんてしないで欲しい。

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2010年10月22日 (金)

つける薬がない

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今日の散歩は、朝一で眼科に行って来たため午後になってのお出かけとなった。

行く先は、昨日の分も取り返すためにと麻機の山の農道をぐるっと回って、もしかしたら、ツリガネニンジンにでも出会えないかとと言う心積もり出かけたが、山に登ってもその気配がない。

よくよく考えたら、この花はいまの時期、安倍峠の付近までしか下がっていないはず、一ヶ月早いと言うことに気がついた。

そんなこんなで、ほかに何かないかと探していたら珍しく目の前からヤマガラが二羽飛び立った。

022 闘争心の強いこの鳥が二羽でいること、それも雄が、、、と思っていたら、道路に落ちて車につぶされた椎の見を啄ばみに来ていた鳥で、美味しい餌を前にして喧嘩は二の次だったらしい。

立ち止まった自分を警戒してか少し薄暗い枇杷の木の枝に上がって此方を見ている。飼いならされておみくじを引くヤマガラと違って、人間を見るのは初めてなのか首をみぎひだりにかしげて見下ろしている。

中学生の頃まで、この鳥を捕まえて飼いならした頃は、沢山いた鳥だが静岡だからか、滅多に見ることの無い鳥になってしまった。

これも、絶滅危惧種になったのではないだろうなと写真を2~3枚写してその場を立ち去ったが、どれも、拡大したらピンボケばかり、、、、、、

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四日まえから右目の左半分が真っ赤に充血していた。何か塵でも入ったか、目蓋を擦りすぎたか、どうも原因は良く分からないが、少しごろごろとした感じはあるものの痛みはない。

目薬をさしたが治る気配がないし、せっつかれて近所の目医者へ行ってみた。

しばらく待たされて診察を受けたら、「結膜下出血」と言う、同じような名前の「くも膜下出血」とは随分違うらしく、パンフレットのような本を渡されて、「放っておいても大丈夫」とのことで結局は薬もなくて病院を出た。

本には、角膜以外の眼球を覆う部分で毛細血管が破れてできる症状で、一~二週間で自然に治ると書いてあり、原因は高血圧や糖尿病でもあるが、くしゃみや過飲酒などのほか不明の場合が多いとある。

白目が真っ赤になるという外見上かなり大ごとに見えるこの症状も、自然治癒が一番で、つける薬もないとなれば、、、、、、、、

「馬鹿につける薬はない」って言葉があったが、俺の目は馬鹿か、とおもいながらの帰宅となったが、冗談を言えるだけでまずは良かった良かった。

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2010年10月21日 (木)

イシミカワの黒い実が

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イシミカワの実が青から紫、そして黒へと熟れて目立ってきた。

イシミカワ。漢字で書くと石見皮のほかいくつかあるが、どれも、納得のいく字がなくて、コンピューター向けのカタカナ名同様、漢字でもわからないと言う不思議な名前である。

008 黒い団子を積み上げたような実は、その下に託葉といって一枚の丸い葉が皿の様について、色は違うが月見団子を思わせる格好をしている。

つる性のため傍の草木に絡んでいて、草丈は1mくらいにまで伸び上がるが、巻きつくようなことがないため、茎には無数の逆さ棘がついている。

その有様は、継子の尻拭いのようであるが、結構固くて子供の手には負えないほどの固さを持っている。

この草は、葉の色に良く似たうす緑の花を咲かせるため、開花時には目立たないが熟れて目立つのは、小鳥に食べてもらって遠いとこに運んでもらいたい一心なのであろう。

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2010年10月20日 (水)

このホトトギスは鳥にあらず

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ようやく庭のホトトギスが花を咲かせ始めた。花弁の真ん中から雄しべを筒状に立ち上げ、六個の花粉が付いた雄しべを反り返った先端につけている。

どんな風に受精させるのかまだ見たことがないが、ほとんどの花が種になっているところを見ると受粉率はかなり高いようだ。

名前の由来は、渡り鳥の不如帰の胸毛に似た模様があるところからと言われるが、この時期本物の不如帰は託卵で育った子供たちとともに、海の彼方にいるはず、、、

057 左、竜爪山のチャボホトトギス

花のホトトギスは、静岡では八月に竜爪山のちいさなチャボホトトギスから始まり、駿河上臈不如帰や山不如帰を咲かせ、最後に何にも付かないホトトギスで一年を締める。

我が家のホトトギスは、相良の女神山の麓に自生していたもので、10年以上前にもらってきたものだが、種があちこちに飛び散って繁殖するようで最初に移植したところから随分と離れたところに移動してしまった。

植物ながら、自分にあった場所を選定しているように見えて面白い。

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今日は、静岡に来るきっかけになった会社の元社長のお通夜に行って来た。

前の会社は、社員が一万人にもなる旧財閥系の会社だったが、鉱山不況の嵐の中迷った末「ぜひ来てくれ」という言葉がきっかけになった。

とはいえ、この会社三十人に満たない会社であり、いろいろとためらいもあったが、結果的には七年半勤めることが出来、その後の独立には良い経験を積ませてもらった人である。

辞める前後のいさかいもあったが、仲立ちしてくれる人もいて五年後に手打ちをし水に流した後、また、疎遠になったが以後は病気療養に加えて、認知症だったという。

おりからのそぼ降る雨は、20年余前の思い出をかき消すように、雨にぬれた道路は自動車のライトを吸い込み、後見の名月十三夜もかき消している。

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2010年10月19日 (火)

色づいて小蜜柑草

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コミカンソウが赤く色づいている。漢字で書くと小蜜柑草となるが、直径が2mmもあるかないかの大きさだから、本物の蜜柑の何分の一になるんだろう。

008 自分には、小さな小さな赤い実を一列にぶら下げている様は、まるで盆踊りの櫓から四方に伸びた支線にぶら下がる提灯のようにも見えるので、名前を付けるとしたら別な名前になっていただろう。

この草も、米と一緒に日本に来たのではないかと言う説もあるそうだ。

種を上手にばら撒くのか、庭のあちこちから満遍なく生えて出てくるので抜き取ってはいるのだが耐えることはない。

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2010年10月18日 (月)

蓼食う虫も、、というが

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「蓼食う虫も好き好き」なんて言葉があるが、人の好みはそれぞれで一概には言えないという意味になり、その語源となったのが上の写真の柳蓼(ヤナギタデ)である。

黄色く熟れた田んぼの稲穂。その脇の畦に名前の元になった細身にスラーッとした柳を思わせる葉をつけて、ひっそりと咲いている。

蓼の中でも地味な色合いは、一斉に開花することなく、まばらに小さな花が、、それも赤味が少なく玄人好み着物を思わせるようにして枝垂れている。

002 左、犬蓼

別名を本蓼というのは、この蓼だけが全草に苦味を持っており、同じような形をした犬蓼というのがあるが、これは本蓼に比べて「似ているが役に立たない」と言う意味でつけられた名前で、ほかの植物の名前の始めに付く”犬”と同様である。

この草の葉っぱをすりつぶして、酢を混ぜたのを蓼酢といい、鮎の塩焼きにそっとかけて食べるのは古くからある料理法で、鮎独特の苦味とわずかばかりの塩あじが交じり合ってなんともいえぬ味をかもし出している。

蓼そのものを噛んでみると苦いばっかりなのだが、平安時代の記録にも蓼酢があるそうだから、日本だけの魚に日本だけの味付けと来れば「こりゃたまらんわい」というしかない。

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2010年10月17日 (日)

トンボの親ではないわいな

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昨日は流通センター裏でヘリポート祭りとかで、遊覧飛行のヘリコプターがひっきりなしに飛び交っていた。

見上げれば、秋のいわし雲をバックにして市街地上空を一回りしてくるようで五分ほどすればもう戻ってくる。

我が家の、上空付近がそのコースに当たるのか、ヘリコプター独特の押さえつけるような爆音が鳴り響く。

#ぶんぶん空飛ぶ飛行機は トンボの親ではないわいな、、、と言う歌があったが、同じ羽根で飛ぶ機械でも、飛行機のほうが軽やかである。

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今年も11人の人がノーベル賞を受賞した。そのなかで日本人がまた二人受賞していて研究内容は分からないが誇らしい気がする。

しかし、今年の受賞者で一番目立ったのは中国の人権活動家で、現在獄中にいる劉氏であろう。

中国の猛烈な抗議の中での賞は、その後の報道規制なども含め中国の異質性を世界に再認識させたものとして、大きなマイナス要因になることとおもう。

ノーベル平和賞と経済賞には、いままでいくらか疑問を感じてきたが、今回中国の抗議にもかかわらず、毅然たる態度で対処したのはスエーデンと言う国の偉大さであり、日本が決める賞だったら腰砕けは間違いない。

中国は中華人民共和国というのが正式名称であり、その成立意義として農民や工員を基盤にして革命を起こしているはずだが、いまやすっかりその意義を放棄し一部の人だけの独裁政権となり、資本家を優遇した結果貧富の差は拡大しきっている。

そしてその体制を守らんがため、一党独裁を批判できないと言う言論弾圧と教育を行った結果、大国意識はへんな方向に向かっていると見るべきであろう。

とはいうものの、日本もバブルの時代までは「日本の常識は世界の非常識」と、言われたことがあるので、中国の非常識も一過性のものあってくれれば良いのだが、、、、、、

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2010年10月15日 (金)

セイタカアワダチソウ

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麻機の沼も秋色が日増しに強くなり、背丈を越えるセイタカアワダチソウも頭頂部の花を咲かせ始めた。

もう少しすると、繁殖力の強いこの草はまわりの草を圧倒して、遠目には黄色い絨毯を広げたようになるだろう。

この繁殖力に、恐れをなして一時はブタクサと同様に花粉症の元凶と言われたこともあったが、虫媒花であり花アブや小さな昆虫が集まり、蜜蜂も今年最後の花粉と蜜を集めるべく群がる。

そんな思いで見ていたら、突然セッカが飛んできてセイタカアワダチソウに掴まり、周囲を睥睨しだした。

セッカとは漢字で雪下と書くそうで、おなかの下が白いところから名付けられたと言う説もあるそうだけれど、ほかの字も当てはめられているので、、、本当のところは何だかな~。

それにしても、繁殖期も過ぎたことだし、むき出しに縄張りをしなくてもと思うが、百舌鳥同様、これから少なくなる昆虫の確保に一所懸命なのだろうか。

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2010年10月14日 (木)

ふしぶしが悲鳴

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この花は多分姫女苑(ヒメジョオン)だと思う。差し渡し一㌢に満たない小さなくて薄紫の花を密集させて咲いているさまは花言葉の「素朴で清楚」そのままであり綺麗だ。

紫苑や春女苑、姫女苑などムカシヨモギの仲間は、道端の雑草として春から秋遅くまで咲いているがどうにも見分けがつきにくい。

咲く時期が少しづつ違うと言うものの、そんなに差もなく今年のように暑いと当然重なり合うし、蕾が下向きはハルジオンだというが必ずしもそれで判別できるものでもない。

名前の由来としては、姫は小さいと言う意味であり、女苑は中国から来た花と言う意味だそうだが、原産地はアメリカで鉄道線路とともに全国に広がったことから鉄道草とも言われていると言う。

とにかく、繁殖力が強く異国の地で勢力を伸ばしている。

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034 今日は、知人の畑が夏の暑さで思うように手入れが出来なかったので、秋野菜を作る前段として耕運機で耕すのを手伝った。

午前に二時間。午後から二時間と耕して畝を作り直したが、久しぶりに使わない筋肉を使ったため、いまふしぶしが悲鳴を上げている。

小型の耕運機のときは機械について回るだけなのでたいしたこともなかったが、畝つくりを鍬でやったため腰と上腕部にひびく。

そして、つくづく思ったのは百姓仕事と言うものは、畑の形状がどうあろうとも土を搔き揚げるのが基本だなということ、、、。

すぐ傍の稲刈りが終わった田んぼでは、早くもアキアカネの産卵が始まり、小さな水溜りをキの字につながったペアがチョンチョンと突いていた。

次の世代につなげようと、少しくらいの人目は気にもしていない。

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2010年10月13日 (水)

少年時代の味を堪能

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昨日は日本各地で熊が出没し、何人もの人が怪我をしたと報道されていた。

今年は、梅雨時の豪雨や夏の暑さで山の生り物が少なく冬眠を控えて人里に出てきたようだと言っていた。

自分たちも子供の頃は山の木の葉が染まりだす頃から山に行くと、山葡萄やアケビ、栗、栃の実、猿梨、キノコなどを採りに山に入ったが、人と分け合うのが嫌さに単独で自分だけが知っている場所に向かったものだった。

特に山葡萄は、冬の間の飲み物にするため、高い木の上まで蔦を掴みながら昇って採ったが、着たきり雀の黒い学生服を熊と見間違えられ鉄砲の標的にならなかったものだと、今になって冷や汗が出る。

日本古来の葡萄は、この山葡萄と自分たちは”草葡萄”といっていたが、正式にはエビヅルと野葡萄があり、野葡萄以外は食べられる。

エビヅルは、粒が小さいながら潅木にしか昇らないので、低い位置にあり子供でも採り易かった。

ちなみに、葡萄は中国経由の外来語であり、むかしは山葡萄もエビヅルも、まとめてエビヅルといったそうで、海老茶色といま使っている言葉も、もともとは葡萄のつぶした色と茶色が混じった言葉だと言うそうだ

このエビヅルは、流通センターの奥で見つけたものだが、最近では子供が口にすることもなく、道路わきのガードレールに絡みついており、傍まで草刈の手が入っていることからあと僅かで消滅ことするだろう。

六十年まえの少年は、千切った房をよこなぐりに口でしごき、久しぶりに味見を堪能してきた。

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014w 本日の話題はチリの鉱山からの救出につきる。同じように鉱山で二十年余仕事してきたものとして関心はあったが、あまりにもショー化されての救出には幾分違和感がある。

しかし、全員が奇跡的に救出されるとしたら、稀有のことであり、世界の鉱山史上でも特記されることには違いない。

落盤事故での救出は、迂回の坑道を掘削して向かうのが普通で、そのほとんどは生存していなかったことから、幸運な条件が幾つも揃っていたことになる。

ひとつは、石炭山と違ってガスの発生もなく地熱が高くなかったこと、湧水が少なかったこと。そして、避難所があって食料品の備蓄があったこと、等々であり、自分が当初心配した精神面をはじめ病気が出なかったことに尽きると思う。

いずれにせよ、不幸中の幸いであり、良いニュースでとりあえずは”めでたしめでたし”で、締めくくる。

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2010年10月12日 (火)

ブーケのように

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溝蕎麦が、淡いピンクの小さな花ブーケのようにひと塊に咲かせている。

近寄ってみれば、その一つ一つが五弁の花びらを持って、桜のようにひらかせている。

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少しじめじめととした水気のある場所でなら、どんどんと勢力範囲を広げて咲くこの花は、子供の頃のままごと材料によく使われ、小さな実は四面体の蕎麦を白くしたような実で、味も素っ気もないがこりこりとしていた。

この花がどうしてこんな風につけられたのか分かったのがごく最近である。

山下水で年中湿り気の強い休耕田に群生して花咲かせているさまが、遠目では蕎麦畑といっても見間違うほど白くなっていたからである。

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2010年10月11日 (月)

花は綺麗なのに(竜爪山)

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Img_0006 シモバシラの綺麗な花も、冬になると茎の水分が凍って弾けた姿が印象的なため、、、下の凍った写真は一昨年の冬に写したもの。

今日は体育の日。自分の町内でも近所の高校の体育館をかりてうんどうかいをするそうだ。しかし、こんな天気の良い日に室内競技でもあるまい、と、近場の竜爪山周りで遊んでくることにした。

春先に、十月半ばにあの辺りで「センブリの花が咲くのだが、乱獲でどうなっているやら、、」と言う話も聞いていたのが、言ってみようと思ったきっかけのひとつだった。

向かってみると、下の駐車場は朝早く来たらしい車であふれ返っており、非常識なおばさんが道の真ん中に車を止めて山登りの支度をしている。あんまりなので叱りつけたが蛙の面に何とやらで応えていない様子。

そこを通り過ぎて、車を広い場所に止めて歩き出す。おばさんを叱りつけた余韻がまだ残っており、いつものペースが乱され、つい足早になってしまう。

こんな日に来るではなかった。と思いながらも、目はきょろきょろと動かすもののついに草さえも見つからず、、、

仕方なく、頂上を目指す。

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穂積神社から登り出してすぐのところに「関屋の秋の丁子」が薄青い花をひと塊になって咲かせていた。

通りかかった人が、「綺麗な花ですね。なんと言う名前ですか?」と聞く「セキヤノアキノチョウジです」「セキヤノ、、、難しい名前で覚えられませんね」

花の格好が丁に見えませんか、丁子で覚えておいたら、、、」と説明。

そのすぐ後に、霜柱の花。この花は冬になると枯れた茎に水分があって、それが凍りついてはじける姿からつけられた名前で、花そのものは結構綺麗なのに無視されている。

053 そんなこんなで花を写しながら登れば、東の空には墨で塗りつぶしたような富士山が、雲をまといつかせて端麗な姿を見せていたが、頂上のテーブル付きベンチは全てがふさがっており、むかし娘のうるさいこと、、早々に下山した。

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2010年10月10日 (日)

雨にも負けずと

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この三日間、月下美人が咲き続けた。

もちろん一夜花だから一つの花が咲き続けたのではなく、入れ替わりに咲いたのだが、昨夜のが一番可愛そうだった。

八日が一番数多く咲き十二輪、次が八輪、そして、昨夜のは朝から降り続けた雨に打たれながらも下を向くことなく敢然とした様子で咲いていた。

この花の面白いところは、日本全国同じ日に咲き出すようで、八日にはあちこちに挿し木をして分けた家から、携帯のメールで「今日咲きます」と連絡が入り、近所の別系統の月下美人も咲いていた。

なんでも、日本に入ってきた木が、あちこちに分家したそうで、もともとは一本の木から分かれたコピー植物で遺伝子は同じだとのことである。

それにしても、行った先の気候や管理状況が違うのに、同じ日に咲き出すというのは変な木である。

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八時過ぎになって雨も上がり、まもなく、「大雨注意報も解除になった」と放送があったので島田の帯祭りを見んものとて出かけてみた。

ところどころで、霧雨にあいながらも無料駐車場からシャトルバスに乗って会場につくころには青空さえ出てくる空模様になり、用心のため以って言った折りたたみ傘が邪魔な存在になった。

「ええい ままよ」とばかり、傘を腰の後ろに大奴よろしくさして歩く。

ここの祭りは、三年に一度行われるので、前回は来ていない筈だから今回は六年ぶりかな?。

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早く着きすぎたので、鹿島踊りの山車を見た後、大名行列の出発点までゆっくりと歩いて向かった。

お昼少し前に、出発の行列は道路脇の最前列に腰を下ろしてすわったが、この場所は近すぎて、写真を写すには不便なところ、、、、

大きな刀に帯を下げて手踊りをしながら無言で通り過ぎる”大奴”がこの祭りの花形か、おおきな掛け声をかけながら毛槍を受け渡す奴が主役か静と動の対比はいつ見ても面白いし、小さな子供の神輿。そして、長唄にあわせて踊る幼い子の踊りにも惹かれ、あちこちさ迷い歩きながら祭り見物に暮れた。

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2010年10月 9日 (土)

山芍薬の真っ赤な実

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昨夜(六日)は、疲れていたのか義妹夫婦と飲んだ僅かばかりの酒に酔ったのか、新蕎麦に香りに酔ったのか、九時過ぎに寝てしまった。そのため、朝早く目覚めまだ薄暗いうちから散歩に出かけた。

行く先は4kmほど離れた場所にある津金寺。ここは、春夏秋と何かしらの花が咲いているところだが、さすがにこの時期は寂しい。

名物の萩は終わり、秋明菊も衰え、紅葉には少し早い、、、そうしたなかで、山芍薬の実を見つけた。

春に白い大輪の花を咲かせる花から想像もできないほど毒々しいと言う感じの真っ赤な実がはじけ、中に黒い種が漂っているように見える。初めは何の実かな、と思っていたが、どう見ても芍薬の葉っぱが付いていることで確認できた。

まさに、真っ赤な嘘ならぬ真っ赤な実は”鬼っ子”といったところか、、、、

052 左、次第に霧がたちこめて

津金寺からの帰り、それまで顔を出していた朝日を包み込むようにして霧が降りてきた。昔から「降っ霧照っきり 立っ霧降っきり」という山の言葉があるが、朝の霧が下がってくるのは晴れる前触れと言われている。

朝食を済ませたところで、いつもの林檎農家へ出かけていま取り入れをしている林檎を貰うように手配して、中仙道の笠取峠に行き散策してくる。

102 左 朝露を先端にためてクサノオウ

ここには、クサノオウや藪豆、更科升麻、そして、色づいた蝦蟇酢実などを見ることができたが、一番面白かったのは芝栗拾い。最近は日本古来の芝栗は栗玉蜂にやられて、全滅状態になっていると思ったが、ここには何本かの木が残っていて下の水路に実を撒き散らしている。

自分たちに子供の頃は、こんなことがなかったが誰も拾う人がいないようで、僅かの間に一升ほど拾うことが出来た。「小さな栗だけど味は良いんだよ」と子供の頃の思い出にひたって、帰ってきてから茹でて食べてみたがそんなでもなかった。

食べるものがない時代、背中が丸くなった小さなじいじが、囲炉裏の上に干してある、糸を通した勝栗を降ろして分けてくれた10粒ほど。思い出が加味されて余計に美味しかったに違いない。

更科升麻(サラシナショウマ)                赤く紅葉した蝦蟇酢実(ガマズミ)                

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2010年10月 8日 (金)

内山峡のコスモスは遅かった

051 .荒船山の艫岩

011 五日の夜、長野は立科町に住む連れ合いの同級生が、「明日、刈り取った稲の籾摺りをする前に、去年の米を引き取ってくれないか」と言う知らせが入ったので、翌日早々に急遽長野に向かった。

自分たちの、孫がいま食べざかり、どんな米でも買っていると聞いていたので、普段高くて買えない米だったが、この際「どれだけでも良いから、、、、」と言う言葉に釣られて行くことにした。

しかし、ただ行って帰ってくるにはもったいないとばかり、ついでに行ったことのない所と探した結果、群馬県との県境にある内山牧場を見ておこうと計画した。

内山牧場へは、奇岩怪石と元祖コスモス街道として、有名な内山峡を経由して登ることにした。

しかし、期待を膨らませていったコスモス街道は花期がおわり、花まばらな状態であり、奇岩怪石と言われる場所も屏風岩が確認できたものの、後は何がなんだか分からないうちに通り過ぎてしまった。

長い内山トンネルを過ぎると群馬県。目の前に長い断崖を持った荒船山の艫岩と妙義山が遠望できる。

艫岩は、船の船尾にちなんで付けられた名前であることは有名だが、昨年「クレヨンしんちゃん」の作者が墜落死したことで、新聞に載ったことがある。

「大コスモス園」の幟に導かれ、山道をしばらく登ると、目的地の”あらふね山荘”の駐車場に到着したが車がほとんどいない。もちろん、ひとけもない。ウイークデーのためばかりでないだろう。と言った感じがする。

予感は当たり、大コスモス園は荒れ果てて、残り花がうっすらとしか咲いていない。一週間から十日は遅かったなと言うのが実感。

しかし、園内にある池のほとりをめぐると、花の少ない時期ながら、ナギナタコウジュが一番目立ち、ついで、竜胆の花があちこちに濃い藍色の花を撒き散らし、コウゾリナ、アキノタムラソウなどが見られた。

山荘付近では、ニシキギが葉を赤くし実の弾けたものもあって、標高1,200mの高原は秋色を深くしていた。

竜胆(リンドウ)                        顔剃菜(コウゾリナ)

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ナギナタコウジュ                   アキノタムラソウ

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2010年10月 5日 (火)

荒地を好む箒菊

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ちかごろホウキギクが目立ってきているような気がする。

花が小さな割には草丈は、1mを越し、細かく枝分かれした先端に、入れ替わり立ち替わり花を咲かせている。

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ホウキギクは箒菊と書くのは、この枝別れの格好が、アカザ科のホオキグサに似ているから付けられたようだが、自分は、花後の小さな羽根毛の格好からきているものとばかり思っていた。

図鑑では荒地に多く咲くと書いてあったが、これが目立つと言うことは耕作放棄地や遊水地工事、第二東名取り付け道路などで、麻機全体が荒地になってしまったということかもしれない。

ともあれ、小さな花をよく見れば菊が語尾につくだけあって綺麗な形をしている。分類上いくつかのホウキギクがあるが、細かいことは学者に任せて、、、、、

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いま、名古屋市と九州の阿久根市で住民投票が行われようとしている。名古屋市の場合は、市長が議会の解散を求めてリコール署名運動を行い規定数に達した。

一方、阿久根市の場合は市長解任に向けての署名集めは住民の半数を超えている。

発端は、それぞれ違うが、大本は市議会議員が住民の要望に応えられなかったことにあると思う。

名古屋市の場合、市長が公約した減税法案に議会が待ったをかけたこと、市議会の定数、歳費の減額など、市民受けする問題であり。阿久根市の場合は市長の暴走行為が原因であるが、その元になったのは、市職員の給料が市民に対して極端に高かったこと、市議会議員が自らの歳費を初め、対処する姿勢がなかったことにある。

自分も随分昔になるが、議会を傍聴したことがあるが、互いに書面を見て読み上げるだけの議論を見て「これは猿芝居でしかない!」と思ったことがある。

聞いてみれば、その書面は前もって職員が書いた原稿だと言う。こんな程度の人に市民の年収を上回る歳費を出す必要があるのか。

議案も提出したことがないのに、調査費を好き勝手に使っているなど、、、当時から見れば領収書を添付するなど進歩はしたと思うものの、まだ信用はできない面が多々ある。

今後、名古屋市議会や、阿久根市議会の推移がどうなるか分からないが、市議会議員のみならず、議員はただ手を上げる人でなく目線を低くして、いま、住民が何を求めているかを自覚した人以外になって欲しくない。

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2010年10月 4日 (月)

ハゼランって

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「見てみて、ハゼランってこんな可愛い花なんよっ」とばかりに全体重をかけて花びらを此方に向かせてくれたかのようにして、ヤマトシジミが自慢げな目線をこっちに送る。

このブログに良く訪れてきてくれる慶さんは、この花を良く載せているが、自分はいままで、あまり興味のない花で見過ごしていた。

しかし、飛び回っていたヤマトシジミを目で追っているうちに見かけた、この行為に思わず見とれてしまった。よく見れば濃い赤色の花びらといい、雌しべの付け根の黄色といい綺麗な花である。

そして、何よりも綺麗だったのは、線香花火の火玉のような実。艶々と輝いていまにも火花を散らしそうに見える。

この花は、直径が5mm以上はありそうで、今まで見たハゼランの中でも格段に大きいように見える。

ハゼランは漢字で書くと”爆蘭”となるそうでチョットおっかない名前であるが、別名を花火草とも言うそうだから、何処までもはじけると言う意味から離れられないようだ。

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今日、東京検察審査会が小沢代議士の強制起訴を決定した。

悪名高き検察特捜部が二度にわたって「不起訴相当」としたが、庶民感情から言ってどうもおかしいと言うことで、以後は裁判所が指名した弁護士が検事役になって裁判が行われるのだが、さてどうなることやら、、、、(爆ぜるかな?)

もし、これで有罪判決が降るとしたら、「検察は何やってんだ!」と言うことになりかねないので、どんな協力の仕方するかも見ものであろう。

ともあれ、巨額の政治資金が不透明と言う感じは、ほとんどの人が持っていることと思う。この辺が、小沢氏をはじめ、それを取り巻く周辺の人たち、および検察と言うエリート公務員の感覚と、検察審査会の人たちの感覚の違いであろう。

ともあれ、裁判を通じて事情がすっきりすることを望む。

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2010年10月 3日 (日)

以和為貴

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Img_0210 少し例年より遅れてはいたが、桜蓼がようやく花開いた。

桜蓼は蓼の仲間では一番綺麗な花かもしれない。

五弁の淡い桜色した花びらに長い睫毛のような雄しべを逆立てて、花茎に綺麗に並んだように花を咲かせる。

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初めて就職した会社の社是は、「和を以って貴しと為す」で、各所にこの言葉を書いた紙が額に入れてあった。

この言葉は、中国の礼記から出ているが、この頃は聖徳太子の言として教えられた。

今になって考えると、会社組織にとって便利な言葉だったことに気がついた。つまり、会社を運営していく中で不満があっても”小異を捨てて大同につく”に付くこと。

会社の方針には、にこやかな顔をして従うということであり、閉鎖的な社会、村社会では偉い人には快くした従えと言う意味であった。

その中には、民主主義の基本である、十分に論議して多数に従うとは意味合いが自ずから違うものがある。

そうした中で、課長クラスが目標達成のため期末になって三交代で作業を進めることを組合に提案したことがあった。

もともと、坑内での仕事はいつでも中断できるのと、危険が多いため、朝七時から夜は十時半までの二交代制で運営してきた。

その慣習を、自分たちの点数稼ぎのためやる、と言うことを立ち聞きしたため、組合の会合で発言し、大勢はそうだろうということになり拒否した。

しかし、問題はこれからであった。

「その話しは何処で聞いたか?」が会社側で問題になり、いろいろなつてを探って聞き出そうとし、挙句は職場内でつまはじき状態にしようとした。

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レベルはちがうが、いま、大阪地検特捜部の問題を見ていると、前田主任検事の証拠改ざん問題で同僚検事が上司に食い下がったことが報道されているが、この人の立場は今後どうなるのだろうかと心配になる。

司法試験に合格した中でも更にエリートと言われる人たちの集団の中は定めし閉鎖された村社会ではなかろうかと推察できる。

この村で、恥を外部さらけ出し、検察の権威を失墜させた。と、言うことで、相当の圧力をかけられているのは言うまでもないことと思う。

「四海波静か」を最上とするお役所において、この波は最高責任者にまで及ぶ高波となる可能性もあり、告発した格好の同僚は、、、、、。

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2010年10月 2日 (土)

炭水化物は

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久しぶりに朝焼けを見ながらの散歩。

時間は夏至の頃から比べれば、かなり遅くなって六時四十分くらい。肌寒さを感じてかすれ違う人の数も少なくなった変わり、袖丈は長くなった。

焼けた空から上がってきた朝日は、コスモスも掻き分けてあがる。秋も中ごろに入ってきた感じは花からも分かる。

063 藪陰になったところには、名前からして藪好みといえる”藪豆”が青い花を咲かせていた。

葛を小さくしたような三葉の葉っぱと細い蔓の節目にラッパ状の花をいくつかかためて咲かせている。

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秋たけなわの頃となれば、今の自分にとっては「食欲の秋」といったところ。

先日来、栗やサツマイモをちょいちょいもらい秋を満喫しているのだが、いかんせん炭水化物はメタボの源泉。

夏の間中、汗をかき続けて減らした体重も一気にカバーしてしまった。(もっとも、食欲は常に旺盛で、減らしたといっても2kgとは減らしていないのだが、、、、)

減らすには苦労するのだが、楽しみながら増やすのはごく簡単。一日とは我慢できず、禁煙で挫折するニコチン中毒者に「自制心が無い」と笑って入られない。

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2010年10月 1日 (金)

ツルボの優しい色合い

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暑さも一段落したとはいえ、昨日の雨のせいか蒸し加減は今日も強い。

こんな日は山の上が良かろうと麻機の農道沿いの道を久しぶりに登る。彼岸花の咲く斜面をみぎひだりに折り返し登れば、草むらに埋もれたようにしてツルボが薄紫の花を咲かせているのが見える。

尾根まで上がって、しばらく行くと少し前に駆り払った場所で手ごろなツルボが見られた。

085q この花は、彼岸花とよく似ているところがあって、球根に毒があることもさりながら、この時期になると花茎だけがするすると言った感じで立ち上がり、土筆のように伸びきったところで下のほうから花を咲かせ始める。

花は、淡い紫の六弁花が密集していて、何処となく優しい色合いをしているように感じる。

丸い筒状に立ち上がっていく。ツルボとは漢字で書くと”蔓穂”となるが、ユリ科の花であるため、蔓を這わせることはない。どうして、こんな名前になったのだろうか。

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