山芍薬の真っ赤な実
昨夜(六日)は、疲れていたのか義妹夫婦と飲んだ僅かばかりの酒に酔ったのか、新蕎麦に香りに酔ったのか、九時過ぎに寝てしまった。そのため、朝早く目覚めまだ薄暗いうちから散歩に出かけた。
行く先は4kmほど離れた場所にある津金寺。ここは、春夏秋と何かしらの花が咲いているところだが、さすがにこの時期は寂しい。
名物の萩は終わり、秋明菊も衰え、紅葉には少し早い、、、そうしたなかで、山芍薬の実を見つけた。
春に白い大輪の花を咲かせる花から想像もできないほど毒々しいと言う感じの真っ赤な実がはじけ、中に黒い種が漂っているように見える。初めは何の実かな、と思っていたが、どう見ても芍薬の葉っぱが付いていることで確認できた。
まさに、真っ赤な嘘ならぬ真っ赤な実は”鬼っ子”といったところか、、、、
津金寺からの帰り、それまで顔を出していた朝日を包み込むようにして霧が降りてきた。昔から「降っ霧照っきり 立っ霧降っきり」という山の言葉があるが、朝の霧が下がってくるのは晴れる前触れと言われている。
朝食を済ませたところで、いつもの林檎農家へ出かけていま取り入れをしている林檎を貰うように手配して、中仙道の笠取峠に行き散策してくる。
ここには、クサノオウや藪豆、更科升麻、そして、色づいた蝦蟇酢実などを見ることができたが、一番面白かったのは芝栗拾い。最近は日本古来の芝栗は栗玉蜂にやられて、全滅状態になっていると思ったが、ここには何本かの木が残っていて下の水路に実を撒き散らしている。
自分たちに子供の頃は、こんなことがなかったが誰も拾う人がいないようで、僅かの間に一升ほど拾うことが出来た。「小さな栗だけど味は良いんだよ」と子供の頃の思い出にひたって、帰ってきてから茹でて食べてみたがそんなでもなかった。
食べるものがない時代、背中が丸くなった小さなじいじが、囲炉裏の上に干してある、糸を通した勝栗を降ろして分けてくれた10粒ほど。思い出が加味されて余計に美味しかったに違いない。
更科升麻(サラシナショウマ) 赤く紅葉した蝦蟇酢実(ガマズミ)
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コメント
慶さん
私もこんな実は始めてみました。あんまり毒々しいので、花茎を確かめてみたくらいです。
芝栗の思い出は慶さんも一緒のようですね。
やはり思い出や懐かしさが、そのものの味を美味しくさせてくれるのですね。
今の子供は、何に思い出を詰めているのでしょう。お金で買えるゲームや食べ物しかないように感じてしまうのはなんだかむなしいような気がしますが、、、、、、
いつも言っていますように、慶さんならどこでも、なんでも無断で使ってくださって結構です。
投稿: オラケタル | 2010年10月10日 (日) 21時58分
まあ、本当に花のひそやかな控えめな美しさとは裏腹な実ですね。実のまわりの毒々しい赤いものはいったいなんでしょうね。鳥に見つかりやすいようにでしょうかねえ。
慶も小さな栗をおばあちゃんが炒ってくれたのが美味しかったのを覚えていますよ。炒り方だったのか、それとも栗が美味しかったのか、それともおばあちゃんが食べさせてくれたから美味しかったのか、それこそ思い出が加味されてそう思うのか。囲炉裏の中にはいろんな美味しいものがあったように思います。
話は変わりますが、岡部に行ったときにオラケタルさんのところで初めてみた「つるぼ」を見ました。また、記事にするときにはリンクさせてくださいね。ちょっと記事がたまってしまっているので、いつになるやらですが。
投稿: 慶 | 2010年10月10日 (日) 18時31分