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2010年11月30日 (火)

銀杏の木に下で

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紅葉の代表が紅葉なら、黄葉の代表は銀杏にとどめをさす。

日の光を反射して、輝くように光る木の下に立って見上げれば、明るい黄色に包まれて、一種の幸福感を感じる。

Img_0023 寒気触れた部分から黄葉がはじまり、次第に幹に近い部分に黄ばみが進行する。外周は輝く黄色なのに、緑色を少し残した葉の間を縫って、風も無いのにひとひら、そしてまたひとひらと舞い落ちる扇形の落ち葉。

銀杏は中国に残っていた木が世界に広がったため各地にあるが、仲間の木はなく、一属一種の木で、中国語で”銀の杏” つまり、ギンのアンズが日本語でギンナンと呼ばれるようになった始めとか、、、、、、、

ほかに、葉の形が鴨の足に似ているところから鴨脚とか、寿命が長いところから公孫樹などと言われている。

銀の杏も熟れてくると黄色くなって地表に落ちてくるが、その匂いはたまらない。

子供の頃、大風が吹くと雨のようにぼたぼたと落ちているのを、火挟みで挟み取り、袋に入れて持ち帰ったが後始末は母親任せで傍に寄らなかった。

しかし、食べる段になると拾ってきた権利を主張し、殻を金槌でたたいて傷つけたものを囲炉裏の灰の中に入れて焼けるのを待った。

ときどき、傷つけようが足りなくて、灰のなかで弾けるさまは、猿蟹合戦もかくやと思わせるものがあり、後ろにひっくり返ったのも今は遠い思い出ののなかに埋没して行きつつある。

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2010年11月29日 (月)

いずこも同じ秋の夕暮れ

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日が落ちた近所の畠、畦に植えられたコスモスが暗みに沈み行く富士山を見送るかのように、花びらを富士山に向けて話しかけていると見た。

「また、明日も会おうね」  しかし、此方でも初霜を観測したそうだから、この挨拶もあと僅かの間でしかない。

寂しさに 宿を立ちいでて ながむれば

       いずこもおなじ 秋のゆうぐれ    良暹法師

夕方になって、西の空が今日も茜色に染まり、「見に来い」といわんばかりに誘い出す。日はすでに西の方”賎機山”に沈み、辺りは急速に暗さを増して来て、富士山のみが明るく、赤く染まり冷たい風が吹き渡っている。

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今日の新聞によると、浜松で養蜂家の親子が薬事法違反で逮捕された。と言う記事があった。

なんでも、癌に効くといってプロポリスを無許可で販売したのが悪かったようである。

癌が治る。心臓病に効く、膝の痛みにはコラーゲンなどと言ってテレビでは連日健康食品の広告を見ない日は無い。

県によると、健康食品は効果効能をうたうことが禁じられているというが、これは静岡県のみならず日本全体のことであり、それをうたえば薬事法違反、虚偽 誇大広告に当たるというがテレビ広告を出せるほどの大企業は違反にならないのだろうか。

テレビはよく見ると、片隅に小さく、これは個人の感想です。と書いてあるが、コマーシャルに出てくるタレントはお金をもらって出ている人である。

自分は、いつもそんなに効くものなら膝が痛いの、癌が治らないのといって医者通いをする人はいないし、健康保険が赤字になることなど無い。と思っていてビタミン剤を含めて、一切買ったことが無い。

病人の弱みに付け込んで騙すほうも悪いが、医者通いをしながら騙されるほうも、、、、、、である。

ともあれ、いずこも同じ健康志向といったところか、、、、

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2010年11月27日 (土)

なんの秋

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南京櫨の葉が青い空の下、明るい日差しを受けこれでもか、というように赤く照り輝くように光っている。

今年の秋も終わりを告げ初冬に入っている筈なのだが、紅葉がやっと始まったばかりと言う昨今、まだ気持ち的には秋真っ盛りといった感じである。

秋といえば、芸術であり、スポーツであるが自分的には一番手っ取り早い食欲にとどめをさす。

普通の人の場合は、夏に落ちた食欲を回復すると言う意味があるのだが、夏場にも食欲は落ちていないので、体重計が目障りになって仕様が無い。

一方、芸術の秋に目覚めている人たちが、麻機遊水地のあちこちで写生をしていたが、沼の上に一㍍余の通路を自分のアトリエと見間違うたか両側に座って道具を撒き散らし歩けないようにしていた。

ところどころに広くしてある場所があるにもかかわらず、、、、、、世間の常識はその頭にはよぎらず、芸術家たちはその場所にこだわり、動こうとはしない。

さぞ傑作をものにしたことだろう。

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2010年11月26日 (金)

なにか埋まっている?

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「ねぇ 何が埋まっているの?」と連れが聞いても穴掘りに一所懸命になって返事もせず足で籾殻を蹴りだし、身体のほとんどが埋もれても作業をやめない。

畑にまかれた籾殻に、何か宝でも埋まっているのか、、、、、

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常用漢字が29年ぶりの見直しとかで、196文字が追加になったそうだ。反対に削除される文字は6文字。差し引き190文字増えて2,136文字となる。

我々ロートルには増えても減っても関係なしに使用するので、影響の無いことだが、これからの学生には少し負担が増えるのかな、、、、

しかし、勺や匁がまだ残っていたと言うのは以外だった。

大正十年に新らし物好きの日本は尺貫法を捨て、メートル法に移行したが一般庶民にまで徹底していなかった。

自分の父親なども「五尺五寸、十六貫にチョイ切れの偉丈夫」なんて自慢していた、先の大戦までの日本人身長が5尺と少しのころの話し。

その尺貫法も昭和34年に完全に廃止されたことから、今どきの若い人に五尺五寸がどれだけか説明しても分からない数字になった。

ところが、真珠業界では「モンメ」が国際単位で通用しているし、先日道具屋で見かけた曲尺(マガリガネ)には、回りくどい解説で一尺の説明が書いてあった。

曰く、この目盛りは1/33で表示しています。だって。

アメリカやイギリスでは、いまだにヤードポンド法を使用し、バーレル、ガロンだの、マイルだのとどれだけのものなのかすぐには分からない単位を世界に押し付けているのに、、、、、日本は掃除上手の奥さんのように古いものはすぐに始末してしまう。

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2010年11月25日 (木)

黄色いホオズキ

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珍しいことがある今どきホオズキとは、それも黄色い花が、、、とおもっていたら、食用ホウズキだそうだ。

003q 花の形、実は紛れもないホオズキであるが、花の色と実は黄色い。もらって食べてみるとトマトに近い感じ。あちらの名前でもストロベリートマトという。

ホオズキは漢字で書くと鬼灯とか酸漿と書き、鬼灯は中の実が赤くなって外の包みが透けて見えるようになると提灯に良く似てくるし、酸漿はその実が苦くて酢っぱ味があることから見立てたと思うのだが、黄色くてトマト味ではどんな漢字を当てたら良いのか、、、

そうすると、今までに見た赤いホウズキは食べられないと言うことだろうか、帰って検索してみたら、赤いホオズキは観賞用で全草に弱いけれどアルカロイドを含み、流産などの害があると書いてあった。

少量なら、咳や解熱に効果があるそうだが、子供の頃はそんなこと知らず中味をくりぬいて風船のようにして鳴らす前に、中味を食べていた。

女の子は根気良く上手に物にしたが、こちとらはつい袋を破いてしまい幾つも口にしたものだが、、、、、アルカロイドがあるとは知らなかった。

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江戸時代半ば過ぎに田沼意次という成り上がりの老中がでて、産業開発や構造改めなど幕政改革を目指したが、浅間の噴火に続く飢饉などのため失脚し、変わって松平定信が質素倹約を旨として幕政に当たったとき、狂歌でこう批判された。

白河の清きに魚も住みかねて

      もとの濁りの田沼恋しき

白河とは松平定信が治めていた領地を意味していることから、質素倹約で厳しく取り締まられると賄賂政治で濁っていたが、にぎやかな田沼の時代の方が良かった。という当てこすりである。

昨日の新聞で、民主党の支持率が下がり自民党に抜かれたと書いてあった。

マニフェストが絵にかいた餅に見えるほど現実の政治は変貌し、右往左往ばかりが目立つ民主党政治にあきれ果てた結果だと思うが、民心は常に新しいものを求めて変化している証拠であろう。

いずれにしろ、国会の動きは権力闘争に汲々としていて、国民の要求が何処にあるか次第に鈍感になってしまったことから始まっている。

麻生内閣までの自民党の一連の不祥事、族議員、派閥などもいまや忘れて、元の田沼恋しき、、、、、と言ってみても、足の引っ張り合いの論争をテレビで見ていると、ほんとうに政治を託せる政党が何処にあるのだろうか。という気がしてテレビも見たくなくなる。

もしかして、彼らはそれを狙っている?

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2010年11月24日 (水)

黄色く熟れた蜜柑越し

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久しぶりと言った感じで麻機の山の農道を登る。

005 富士山は、一昨日の雨が雪だったらしく一面真っ白になって聳えているのを、黄色く染まった蜜柑越しに眺める。

手前の山が黒く裾を隠しているさまは、白粉を塗りすぎた役者と言った感じがしないでもないが、、、、

穏やかに陽の当たる山道、街中の騒音も聞こえず、、、

この富士山を当初は自然世界遺産に登録しようとしたが、山肌の塵や裾野の開発、景観から駄目になったと知ると、今度は文化遺産に切り替えて、なりふり構わず、、、って訳で推進しているが、今どき富士山を信仰の対象として登る人がどれだけいるのか、、、、裏では何かを目論んでいる人がいるのでは、、、と、そんな風に見えてしまう。

富士山はどこからみても富士山。そんな人間の思惑には関係なしに見ていたい

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櫨の木が青空を背景に真っ赤に染まっていく。

その、対比はあまりにも原色同士の組み合わせであり、少々くどい気がしないでもないが、、、、、、、鮮やかとはこんなことを言うのかもしれない。

櫨の木の赤は、古来”櫨紅葉”といい歌の世界では秋の季語としてよく取り上げられてきたが、ほかの木に先駆けて赤くなることから、周りがまだ緑なので、その対比して目だったためかもしれない。

漆の木の仲間であるため人によってはかぶれることもある木だが、中国から渡って来たこの木は、蝋燭の原料になるとして、江戸時代各地に植えられ広まって言ったと考えられる。

013 一方、種から蝋をとり秋の紅葉が美しいという共通項から南京櫨(ナンキンハゼ)と呼ばれている木がある。

この木も赤くなり、実がはじけて白い中身が表れてきたが、葉のつき方、形も全然違うのは種が違う。

先日も、繁殖力の強い外来種だとして、麻機沼の中で切り倒すセレモニーをしたと新聞に載っていたが、、、、結局はこの会場近くにあった二本が切られただけだったのは、、、、、、、

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2010年11月23日 (火)

花の絨毯

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昨日の陰鬱な雨も上がって、からっと明るい日差しの中で、ヒメツルソバの群生が洗われた絨毯のように広がっている。

Img_0105 柔らかいピンクの絨毯。突起を踏んで歩けば、深々と足首まで沈み込むのは確実。どんなにか気持ちよいことだろうけど、今は露に濡れて、。

名前からして蓼の仲間だと分かるが、花の多さから葉の形はポンポンの下に隠れて僅かしか見えない。

もともとは外来の園芸種だったのであろうが、その繁殖力の強さ、生命力の強さは、ここ静岡では年中枯れることなく咲き続けている。

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今日は勤労感謝の日。「勤労を尊び 生産を祝い 国民が互いに感謝しあう日」と言うことで制定された。もともとは宮中の行事であった新嘗祭から来たようだが、最近の労働状況から言って、制定当時とは大きく変化し、勤労や生産の先行きが見通せない中で素直に喜べない日になりつつある。

今の内閣も、雇用を確保してと言うのだが、なかなか経済の回復は難しいようだし、たとえ回復しても勤労者に還元されることはない。

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2010年11月20日 (土)

真っ白な稜線を見て

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女性陣にとって、温泉に浸かり上げ膳据え膳は日ごろの疲れ休みになるのかもしれないが、よく分からない他国?の道路で神経を使い、日ごと変わる床にかなり疲れて、昨日は一日グダグダと過ごしてしまった。

十八日の日の出は珍しい光景を目にした。

落葉松林から昇る少し前、青い空に落葉松のシルエットが光り輝いて縁取られている。気象学的にどういう現象なのかは知らないが、初めて見る光景なのか、気がつかなかっただけなのか、、、

多分、空の明るさが目で見たより暗かったためではないかと思うが、気象的な名前を知りたいと思っている。

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186z .美し牧場の向こうに見える五竜岳から唐松あたり

空は快晴雲ひとつ視界には入らない中、北アルプスの真っ白な稜線を遠望したので、帰り道を急遽変更して美ヶ原に上ってみようということになった。

自動車には、買出しの荷物が満載してあり、車はスタッドレスタイヤを履いているとは言うものの道路状況は分からない。

それでも、白い峰々は呼んでいるとばかり、武石から美ヶ原にむかう道路を登り始める。

途中何箇所も路面が白く凍り付いている道も、ゆっくり運転で進む、こういう場所で一番怖いのは降ってくる対向車。滑り出せば操車不能になるからである、、、しかし、幸いなことにすれ違った車は三台で全て地元車。

ようやく、美ヶ原美術館近くの駐車場に入れて、五竜岳から白馬を遠望する。気温は0度前後ながら風もなく、暖かい感じさえするのは気分が高揚しているためだろうか。

そのあと、美ヶ原牧場入り口の駐車場に車を進める。ここの駐車場では八ヶ岳に寄り添う富士山も見えた。

189z 折角天気の良い日にここまできたのだからと、足弱の連れ合いに美しの塔まで行かないかと誘い、出かけてみる。

放牧の牛も今では下に降り、がらんとした枯れ草ばかりの高原。山本小屋も積雪期を前にして準備をしているらしく焚き火の煙が流れている。

道すがら右手に穂高から白馬三山を経て日本海に落ちる朝日岳までが望め、左手には蓼科山から八が岳、富士山、南アルプスの一部が見える。そんなところをのんびりゆっくりと美し塔まで20分、少し休んで引き返す。

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帰りは和田峠を経由して岡谷インターに、、、、途中、道路わきで食事中のカモシカに出会う。

228 一本角のカモシカ君、人なれしているのか近くでカメラを構えても動じることなく此方をチラッと見るだけで食べるのをやめようとしない。

これで、餌でも請求されたら奈良の鹿状態になってしまう。果たしてこれでいいのかと言う気になって憮然として撮影をやめる。

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2010年11月18日 (木)

寒い朝

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140 標高800mほどの春日温泉は気温がマイナス二度まで下がったとか、馬場は一面白い霜に覆われ、ドウダンツツジノ真っ赤な葉は白い縁取りがされていた。

立ち昇る朝日は、葉が散り始めている落葉松を燃え上がらせている。

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朝風呂の窓からは、調教のため引き出された馬が、白い霜を踏みしだきぐるぐると乗り回され、足元から砂埃とも霜埃ともつかぬ粉塵を舞い上がらせているのを浴槽から気だるく見つめている、、、、

114w .Nさんちの真っ赤な林檎

昨日は、浅間温泉から三歳山トンネルを抜け、約一時間後に立科町についた後、親類の農家から新米を譲り受け、その後いつも世話になっているNさんの林檎畑で必要な林檎を分けてもらう。

自分の車は、すでに満杯状態でありこれ以上積み込む余裕がないことから、この日の買い物は弟のみだったが、Nさんの真っ赤な林檎を見ていると、つい誘惑され買い足したくなる。しかし、もうすこし自動車が大きくなければ、と言う状態であきらめる。

そして、義弟などを誘って食事や買い物に付き合っていたら午後も二時を大きく過ぎてしまい、どちらともなく「もう一泊していこうよ」と言うことになり、宿に電話して予約を入れた結果が、今朝の凍みた風景。

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2010年11月17日 (水)

国宝に登城する

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十七日。今晩は松本泊まり、豊田、岐阜方面から集まってくる兄弟たちは、中央道を走ってくるため、立科町からは三歳山トンネルの道が近いのだけれど、岡谷の先の「みどり湖サービスエリア」で落ち合うことにしていたため、和田峠を越えて、岡谷から長野道に入る。

予定の時間に到着、合流して松本インター近くの「榑木野」という蕎麦屋に入る。ここは以前に入ったとき天笊蕎麦が非常に美味しかったので、たびたび行っていたが、今回は寒い時期だということで、かも南蛮を食べてみた。

率直なところ、蕎麦はやっぱり”ざる蕎麦”に尽きると言う感じがする。折角の新蕎麦だが、蕎麦の腰はもちろん、鴨肉やつゆが味を変えていると言う気がしてならない。

次は、ここにきたら国宝の松本城。同行者全てがここにきたことがあるが、兄弟とその連れ合いと言う組み合わせは初めてなのでと、入場料を払って城内に入る。

天守閣に登るのはこれで二度目、前回は成人式前後だったから50年ほどまえのことになる、以後は濠の外周から見るだけだったので階段が急で段差が大きいことしか覚えていなかった。

入ってみると、まず目に付いたのは一階の柱の多さだった薄暗い空間にどれだけあるか分からないながら、同じような大きさの柱が林立している。大黒柱とか芯柱というような柱が見えないことが不思議な気がした。

上の階でに至る階段は予想していたより昇り易かったが、六階に上る手前の階段は急だった。これが印象的に覚えていた階段なんだなぁ、と思いつつ登って見ると、最上階は竪格子の窓で囲われていて、ほかの城のように、外に出る手すりのついた回廊はない。

066a この辺が、後々再建された観光用の城と違うところなのだろう。天井も井桁梁で組まれているだけで屋根裏がまる見え、真ん中に神棚が見える造りになっている。

降りは、おっかながる人がいて渋滞。その中にいま流行のレキジョ(歴史好きの女性、漫画に書かれた美男から入ったzzzz)らしきものがいて、「鎧を着てこんな階段を上り下りするなんて凄いネ」なんて馬鹿を言っている。

最後に、月見櫓を経て外に出たのだが、この櫓だけは戦いが目的でなく、名前そのままに月を見るために作られたとのこと。外の紅葉も照り映えも会って開放的な櫓であった。

096 太鼓門から外に出れば松本のシンボル的山、常念岳と大天井岳が天守の脇に現れ、天守の四尾には二羽の鳶が相向かいに下界を監視している。

水面は穏やかな日差しを受けて波も立たず、天守をそのままに写している。

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この日の宿は、浅間温泉 小柳

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2010年11月16日 (火)

迫力に圧倒される

001 .野辺山からの八ヶ岳

昨夜、富士山は降った雪で富士山は五合目まで白く化粧をし見送ってくれるなか、山梨県を通過、野辺山に向かう。

標高1,300m余の峠は日本海側と太平洋の分水点であり、間近に八ヶ岳を眺める絶好の場所であるが、ここからの眺めは少し白くなっているだけでそんなに深い雪化粧はしていない。

004 休憩で立ち寄った市場では、足元に霰状の雪が日影に残っているだけ、、、、これから降る冬場の難所がそうでないことを示していた。

時期が早いとはいえ以前、この峠からの降りは、道が右に左にと曲がりくねっている上、山側から染み出た水や除雪した雪からの水が凍っていて、冬場には通りたくない道の一つであった。

今夜泊まる予定の立科町に着くと、あちこちで少しだが持って行けと言う林檎があり、いつも買っている農家には注文を受けていた贈答用といわれる上質の林檎を送ってもらうよう手配する。

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その後、新米の手配をしたが、時間が余ったのでこの町の名所「神代杉」を見に行ってくる。

立科町から白樺湖に向かう道の脇にあって、時折通ってことのある道筋だが、いつもは横目で眺めているだけの場所である。

この杉は、目通り10 m、高さは39 mと傍の立て札に書かれ、樹齢は1,500年と言われているが、以前に雷の被害にあったとかで、幹も枝も途中で切られ、焦げ後も見える無残な姿をしている。

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しかし、これだけの被害を受けながら焼け残った杉皮の部分に旺盛な生命威力があり、脇に突き出た枝葉青々としていて、裸になった部分との調和が一種凄み迫力で圧倒されるものがある。

この神代杉のある場所は、現在 蓼科神社と言われるやしろの参道にあって、蓼科山の頂上にある奥宮に対する里宮だそうで、蓼科山の頂上からもこの杉が見えたとか、、、、

隣にある、光徳寺とは見た限りでは境界線も定かでないと言うことは、江戸時代、神仏混交の頃は併せて一つのやしろだったのではないかと想像してきた。

小さな川を挟んで、対岸には芦田城址もありこれからも二度三度と来て見たいところとなった。

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ちなみに、樹木の「目通り」とは人の目の高さの周囲と言う意味

 

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2010年11月15日 (月)

二番穂に雀

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雀の群れが真っ黒になって電線につかまっている。

近年雀の数も減ったとは聞いているが、ここに終結したのではないかと思えるほどびっしりと、、、

014 目的は、田んぼの二番穂、ここしばらく暖かい日が続いてきたためか、二番穂とはいえ米が実っている様子で、ときおり、二~三十羽群れが交代で降りてきて、稲穂の先で踊っていたかと思うと着地するらしく見えなくなり、少しして一斉に飛び上がる。

なにしろ、電線の上には下に降りた雀の群れの何倍もする目が光っているので近寄ることが出来ない。

雀とカラスとドブ鼠は古来人間に寄り添って生きてきた。山で迷子になったとき、このうちのどれかを見たら人里に近いと聞いた事がある。

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六時五分ほど前になって民放が一斉にコマーシャルを入れだしたために、NHKにチャンネルを変えると白鵬と稀勢の里の取り組みが始まるところだった。

いくら、最後の取り組みにしても遅いなと思っていたら、突き押しの末四つ相撲になり、白鵬が土俵の外に投げ出されて、連勝も63で終わった。

今場所でむかし双葉山が作った69連勝を抜き去るのかと思ったが、やはり、勝ち続けるというのは難しいことなのだなと感じる。

ただ、土俵の外に転がり落ちた後、砂被りで起き上がったときの顔が印象的だった。

悔しがって、、、というところがちっとも感じられずに、少し笑っているような顔つきの中に、「やっと済んだ」というような清々とした表情に見えたのは自分だけだったろうか。

連勝を続けるうちに、周囲の注目が重荷になっていたのだろうか。

双葉山が、69連勝で終わった後に「我 まだ木鶏足りえず」と言ったそうだが、白鳳はどういったのだろうか。

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2010年11月14日 (日)

落書きも芸術だ

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今日の空は、昨日に続いて黄砂が舞い、太陽の周りがうすらぼんやりと明るくなっているだけ、、、、気分はなんとなく憂鬱で身体が重い。

そんな気分出かけた散歩道。すっきりさせてくれたのが路上に書かれた落書き。

何歳ぐらいの子供が書いた画だろうか。一見、宇宙人に見える人らしき像。その横にあるのは船? 鳩? 買い物籠? なんだか楽しくなってくる。

チョークで書かれたこの落書き、何を意味しているか?と、詮索することそのものが、既定観念に取りこめられた大人の曇った心ではないだろうか。

017 もし、これが有名な作家の画だ、デザインだといえばたちまち、お金に換算し、、、、

左の絵の絶妙な配置。無心でなければなかな描けない構図であり、現代アートに見えてくる。

こんな画を見ていると、現代の前衛作家といわれる人たちの慣性は子供の心をもっている人たちだということになるのではないかと思う。

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上の画を見てから調子が出てきて少し麻機の山道を歩き出した。

気温も、20度ほどになり上着を脱いでも汗ばむほどの陽気になる、帰りを気にせず気の向くままに前へ進む。

足元には、たぶん山ラッキョウと思うが、紫の花が咲いている。

誰かが植えたとしたら、、、、、でも、こんなところに植えるはずはないだろう、と勝手に決めておく。

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024 左の花が近所の畑に植えられているラッキョウ

山ラッキョウとラッキョウの違いは、見た目でほとんど変わらないが、花の数の多さと、地下の鱗茎が大きくならない。ということだそうだが、掘ってまで確かめようという気がない以上、此方の気分で決めさせてもらうことにする。

すでに受粉したのか、こういう花の構造なのか雌しべの下は大きく膨らんでいる。

弱いながら、逆光で花を写してみると、薄い紫の花びらが透けて上品な色合いをしている。

さて、そろそろ山を下って家に帰らなければ、、、と考え出したときには、すでに予定を越えて遠くに来過ぎていた。

帰り道を考えて出かければよいのだが、、、、そして、いつも思うのだけど、短い散歩でも最後の500mほどがとても疲れる。

気分的に、家に帰りたくないのだろうか。      心当たりはないが

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2010年11月13日 (土)

木偏に冬と書いて

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すぐ傍の学校の生垣から良い香りがするので覗いてみたらヒイラギの白い花がこぼれていた。

差し渡し5mmに満たない白い小さな花が十個以上ひと塊になって小さな枝に巻きつくようにして咲いている。花の形は四枚の花弁でなく、元がつながっているので十文字といったほうが良いだろう。

003 木偏に冬と書いてヒイラギと呼ばせるこの花は、古語で「疼」と書いたそうでトゲトゲした葉に触れた感想が木の名前になったらしい。

花の香りは、木の種類がモクセイ科だと言われれば、さもあろうとと言う気がするが、金木犀などに比べればかなりおとなしい香りである。

この木の葉の棘は老木になると消えるため、人間にたとえられるが、学校のヒイラギは学校同様まだ若く、先日も大幅に刈り込みをされたばかりなので、自分同様棘を立てて自己主張している。

ちなみに、自分は見たことがないと思うが、(見てても気付かないのかも、、、)魚にもヒイラギというのがあるそうだ。これは木のヒイラギをもじった作り漢字で魚偏に冬と書くという。

冬に獲れるとか、美味いとかというのではなく、ひれなどが固くて刺さりやすいところから付けられたというそうで、静岡では別名猫またぎというそうだから、獲っても食べる魚ではないらしい。

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午後になって黄砂が激しく舞い、竜爪の山の端が霞んできた。黄砂と言えば春先の風に乗ってくるものとばかり思っていたが、この時期もあるそうで珍しくないことだとテレビは言っていたが、あまり知らない現象のような気がする。

それにしても、何千キロも離れた日本の上空を霞ませるほどの粉塵を飛ばすというのは、発生源の黄土台地が年々痩せて来ていることに他ならない。

植物を燃料や羊などの動物の餌にするため、中国の砂漠化が進行していると聞くと黄砂もただ人ごとと見ているわけには行かないのだが、、、、、、、、

前線の影響もあるかもしれないが、太陽も薄らぼんやりと上空にあって気温も下がる。

おりからの、日中関係も併せて考えると、やはりこれからの季節は強い西風でなく、暖かいお日様のほうが旅人にはありがたいものだが。。。。。

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2010年11月12日 (金)

菊花展

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今日は家から2kmほど南にある谷津山を歩いてみようと出かけてみたが、途中で切花にする菊を見ていく先を変更した。

畑の中の小さな区画だが、赤、紫、橙色に白と黄色、これでもかと思うほど色とりどりの菊がまとめて植えられていた。

この菊を見て、「ひょっとすると護国神社で菊花展をまだやっていないだろうか」ということが、その行く先変更の理由である。

早速、愛宕山を登り、降ってみると例年のように境内の一角を簾で囲って菊の鉢植えが密集しておいてある。ウイークデーということなのか人ではなく、どこかの老人ホームの団体らしい人が一組だけ、、、、

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大事に育てられてきたらしく、大輪の花や葉には虫食いや傷みもなく陳列されているが、素人目にはどれが良いのかどうかの判断が出来ない。

鉢の横には、何とか賞とか一等一席とか一等二席などと書いた金紙付きの札が立っているが、どれもこれもデザイン的には同じスタイルで変わり映えしない。

毎年のことながら、あまりにも型に嵌まりすぎていて、新しい品種を含めて斬新さとか奇抜さは感じられない。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

菊という花をこれほどまでに愛している国は日本を置いて他に無いとおもうが、これほど型にはめてしまうのは、柔道や剣道を初め華、茶、書などおよそ道という字が下に付くものの弊害ではなかろうか。

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061 おりから、本殿前の芝生広場にはどこかの小学生が遠足に来てはしゃいでいる。

境内のあちこちに落ちていたどんぐりをビニールの袋にいっぱい詰めている子、落ち葉をかき集めて、仲間にぶっかけて逃げ回っている子、腹が減ったと叫んでいる子、どの子も明るい太陽の下で思い思いに遊んでいる。

その様子から、いま新聞でよく見かけるいじめの問題は、何処にも見られないようにみえる。

そして、周りに立っているいくつもの戦没者の慰霊の塔に関心を寄せるものもいないが、もし、霊魂といものがあるのなら、肩書きの付いた人々の儀礼的な挨拶より、子供の走り回る音や歓声がよほどの供養になると思いながら、山越えの道を帰ってきた。

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2010年11月11日 (木)

朝日を受けて乱舞する

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日の出前の風は強く冷たい。気温は七度と言うが強い風のため体感温度は氷点下のように厳しく感じられ手袋も脱ぎにくい。

この時期になると日の出の太陽も南下し、麻機沼の向こうから昇るようになる。

その日の出を久しぶりに見ようと出かけてみたが、山から吹き降ろす風は背中を圧し、鏡のような水面を期待して行ったのにチリメン皺が立っている。

ヒドリガモと鷺を中心とした水鳥が、チリメン皺の水面で風を避けるかのようにしてかたまっている。

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日の出時は六時十七分と言うが、山影から登る朝日は三分ほど遅れて顔を出す。と、何を思ったのか一斉に鴨の群れが飛び立ち、何度となく大きな輪を描いて旋回する。

別に驚かす物音もしないし、犬などの動物が見えないので、昇り来る朝日を受け、「夜の寒さもこれまで」と、歓迎の乱舞をしてかのように見えなくもないのだが、、、、。

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ヒキオコシの花が咲き出して秋も一段と深まった。とはいえ、暦の上では立冬もすんだのだが、暖国静岡ではまだ紅葉も始まっていないので、、、、、、、

一体に、秋の草花は紫系が多いように思う、セキヤノアキノ丁子、ツリガネニンジンなどに混じってヒキオコシは草むらの隠れるようにして咲くため地味ではある。

しかし、名前の由来は、道端に倒れていた行者にこの草の汁を飲ませたところたちどころに回復して歩きだしたところから、病人を引き起こすという意味で付けられたという。

幸いにして、まだヒキオコシを口にしたことがないが、かなり苦いようで「良薬は口に苦し」の言葉通りの薬らしい。

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2010年11月 9日 (火)

強烈な風が吹く

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昼のニュースで北陸地方がかなり荒れた天気だといっていたが、此方は風もなく温かな小春日和の一日だと思っていた。

事実、燃えない塵を処理場に持っていったときも、古くなったタイヤを処分するため自動車屋へ持っていったときも穏やかな陽気であった。

午後になって、浅間神社から尾根伝いに北へ歩こうと思って登って行くとそこは別世界であった。

桜などの落葉樹の葉は小鳥のように飛び交い、樫や椎の木などの常緑樹は枝ごとなびかせ轟々と音を立てている。

その音は、水をたたきつける滝つぼの音にも似て休みなく轟音を立てている。最近にない風、当地の”木枯らし一号”というべきか、、、、、、

小さくアップダウンを繰り返しながら、すこしづつ標高を上げていく尾根道はときどき市街地を見下ろせるものの、そのほとんどは立ち木の中を進む。

こんな日でも、同年輩の人が歩いていてすれ違う。

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目立つ花もほとんどなく歩いていたが、一厘だけ可憐な感じの白い花を見つけカメラを向けてみた。が、風で花が揺れ、日影で露出不足が重なり確認するとみんなピンボケになってしまう。

ようやく写せたのがこれ、、、、コウヤボウキ、漢字で書くと”高野箒”となる。

背丈の低い草みたいだが、これでも木の仲間。竜爪山にもかなりあるが、この近辺ではこの一輪だけ、、、、

コウヤボウキは、そのむかし、高野山でこの木を集めて箒の代わりに使ったというが、その鉋くずのようなぺらぺらとした花びらと雄しべ、よく似ていて分からないが、花の付け根は丸い筒状になっていて花も箒か書道の大きな筆とよく似た形をしている。

ただ、この箒は由緒正しい箒で、正倉院にも収められていて、その名も「玉箒」というそうだ。

そして、中国の詩人蘇東波?は、酒は憂いをはらう玉箒 と歌っているが、、、「憂いはなくても玉箒」とじいじは言う。

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2010年11月 8日 (月)

串刺し団子

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034 槙の木の実が熟れている。赤と濃い緑の団子を串刺しにしたように、、、。

静岡では、風除けの生垣として家の周りや蜜柑畑の縁に植えられ、この時期ヒヨドリの声がかすまびすしい。

赤い部分は花床といってたべられる。すこし、松脂臭い感じだが結構甘くて、むかしは子供たちのおやつ代わりに食べられていたが、最近ではほかの木の実同様食べる子はいない。

立冬も終えたというのに、今日もポカポカとした陽気。

昨日長野から出てきた義弟は、「暑くてあつくて、、」という。

すでに、零下の世界を迎え水溜に氷が張る日も多くなって、彼らには、寒さに対する遺伝子が復活しているのだろうか。

冬来たりなば 春遠からじ、とか連日の晴天続きの此方では富士山も霞の中にうっすらとしか見えず、、、、、、

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2010年11月 7日 (日)

ゴメンネ

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一昨日の午後、駿府公園へ大道芸を見に行ってきていたのだが、少ししか見ていなかったので、今日も午後になっていこうと思ったがなんだか身体がかったるくて、うだうだしているうちに人ごみを想像したら行く気がしなくなった。

静岡の大道芸は毎年行って、サーカスのような大仕掛けのものを選んでみていたが、今年はそうしたものには出会わなかった。

しかし、マニアのような人がいて案内をもとに早くからその場所に詰め掛けている人が多く、人気のあるなしで観客の数が極端に違っていたようにも見受けられる。

そして、最近では最盛期の二十代に比べて3センチも背が低くなった自分は、身長が低いほうに分類され、人垣の後ろに入ると芸人の頭しか分からない状態になってしまい、いくつかの見物をあきらめてほかに回る。

028 その中で、イタリア人のテアトロデイヒエデイさんの足芸は、足に顔が付いた靴下を履きその表情の豊かなこと、そして、ドイツ人のレミマルテインの着替えの素早さにはどうしてそんなことが出来るの?といった感じ、目を何度も凝らしたが全然分からず、で見事だった。

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054m 一方、日本人の”ふるえんぷてぃ ぷちっ。”のチームは、観客もほとんどいなくて少しはなれて見ている人を加えても20人くらいか。

芸のほうも、いかにも素人臭く、、、初めは素通りしようと思ったが、見物人のあまりにも少ないのに同情したような感じを持ち、見ていると、これが結構面白かった。

なんか、タップを踏む女の子の真剣さが、一生懸命さが伝わってきて引き込まれていくといった感じになり、最後に投げ銭を入れようという気になって、財布を開けたら10円玉が二~三個と一万円札一枚、、、

どちらも、あげるにあげられない状態になり、こそこそと退散してきた。 

     ゴメンネ 

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2010年11月 6日 (土)

まるで巨石庭園

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十日前に降った雪がまだ解けないで残っている。

今日見た富士山は、直線にして60kmほど離れた魚籠石(びくいし)からだが、ひとっころに比べて霞んではいるものの山頂の白さに変化が見られない。

この十日間、静岡市内では雨どころか湿った空気さえ入っていないし、連日富士山が見えていたのだから、ほぼ同じような気性だったに違いない。それなのに山頂部の雪はその量を減らしていないのは、かなりの冷気が解けるのを妨げているに違いないだろう。

魚籠石は、藤枝瀬戸川の上流と朝比奈川の間にあって標高500mほどの小さな山だが、山頂に名前の由来となった魚籠のような格好の岩や傘岩、宮石などと名付けられた巨岩が山頂付近に突き出しており、さながら巨石庭園を思わせる雰囲気のある山である。

麓のびく石牧場入り口からは、ゆっくりと登って約四十分、山頂付近を藤枝市民の森として整備されている。

此方から上って、反対側に降れば”玉露の里”付近に降るのだが、自動車を瀬戸川のほうに置いた以上、ピストン式にもどるしかない。

021z シラネセンキュウの白い花

花もほとんど無く、シラネセンキュウとセキヤノアキノチョウジ、それと白嫁菜らしきキク科の花を見ただけ、、、

それでも、山頂で玉露の里を見下ろしながら食べる、シャケと梅のコンビニおにぎりは格別な味がする。

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061z_2 昨日から今日にかけて尖閣島付近で起きた中国漁船と海上保安庁の衝突事件の流失映像を繰り返し見せられた。

同じ場面ばかりで少々食傷気味であるが、このごろ、こういう報道が多すぎる。危機管理の欠場と騒ぎ、その犯人探しに躍起となっているが、一番ホッとしているのはほかならぬ政府ではないかと思っている。

これまで、いろいろな理屈をつけて公開できない状況に自ら作ってきて、いまさら公開できない状態になっていたのを、誰か知らない輩がやったということで済ませられるからである。

一体に、何でもかんでも隠そうとするところに問題があるのであって、民主国家という場合。出来るだけ公開するのが原則だし、ひたすら相手のご機嫌を採ることだけが世界の常識から見ておかしいのである、

中国やアメリカの言うことに正当な反論をせずにいるということは、相手の正当性を認めることである。

そして、危機管理という場合。アメリカも同様でイラク戦争の資料40万点がウイキリータスという組織によって、インターネットに公開され、NHKのニュースナビゲーションで放送されていた。

その中には、アメリカ兵によって民間人やカメラマンが銃撃され殺されている映像まであるが、アメリカはこの資料によってアメリカ兵や協力者が危険にさらされるといっていた。

しかし、戦争に関係が無い人や負傷者を救出する救急隊の人まで銃撃したのはどう説明するのだろうか。

つまり、インターネットというものが一般化した世の中で、従来の汚いものに蓋をする。といった理論が通らなくなってきていることを、政治家が認識しなくてはいけないのである。

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2010年11月 5日 (金)

今日はいいですね

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「今日はいいですね」とばかりにアサギマダラが庭先によって、普段とまることの無い菊の花に掴まった。

蜜を吸っていたのかどうかは知らないが、四葉ヒヨドリやフジバカマの蜜を好む蝶にしては珍しいことかもしれない。

「いいですね」と言う使い方は静岡に来てはじめて知った言葉だったが、自分流の解釈では、天気がよく、過ごしやすいときに出てくる挨拶だと思う。

この挨拶は、今どきだけでなく、春先に寒気が抜けたときにもよくきかれ、夏や冬の季節には聞いた覚えがないから、、、

Img_0089 アサギマダラは春先に沖縄や遠くは台湾から渡ってくるといわれ、夏の暑いさなかには、2,500m級の高い場所で見かけ、、、秋にはまた海を渡って南西諸島に戻って冬越しをする。

もちろん、一頭のアサギマダラがするのではなく、日本で夏場に生まれ育った二世三世だそうだが、今日訪れたのは少し成長が遅れていたようなので無事にいけるのだろうかと心配していたが、椿の葉の片隅でしばらく休んだあと空高く舞い上がっていった。

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小沢民主党元幹事長はひょっとすると案外気が小さい人かなと思う。

豪腕だとか、コワモテするとかと言われ、テレビではブスッとした表情が写し出されていたりすると、ついそんな目で見てしまう。

今回の政治資金の問題では岡田幹事長にはなかなか会おうとはしなかったし、そのあげく、前には国会で説明するといっていたと思ったが、今回はいろいろな理屈をつけて拒否している。

本人が言うとおり潔白なら、正々堂々と披露すれば済むことなのだし、大半の人もそう思っているはずなのだが、それを逃げ回っているうちに、うやむやと物事が進んでいくのを待っているように見えるところに疑念が湧いてくる。

嫌なことは先送りにし、自分の腹心と言われる人の口から物を言わせ、陰から様子を窺っていると言うのは、どう見ても気の小さい人のやり方に似ている、顔つきと違うなと言う気を起こさせる所以である。

ちなみに、コワモテというのは強面と書き、人相が悪いといったらなんだが強そうな顔をしていることを言い、今風に”強モテ”と書くと「強くもてる」ことを言うそうで、ひとっころのMMK、、”持てて持てて困る”と同じらしいそうだ。

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2010年11月 4日 (木)

畑から見わたせば

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稲の刈り入れが遅いここ静岡でもほとんどの田んぼで稲刈りが終了しているが、モザイクのように残った、ところどころで小型のコンバインが動いている。

刈り入れが遅くなった田んぼを見ると、そのほとんどが手入れが悪く、田の草が生い茂って、稲を隠さんばかりにしている。

たぶん、所有者が病気か何かで田んぼに出てこれず人に頼んで刈り入れているのではないかと想像するが、、、、

また、稲架にかけて干していた稲も、ここ三~四の晴れ間を見て脱穀している家もあるが、最近雀の代わりにムクドリが集団で干した稲に取り付いている。

何でも食べるムクドリ。このごろ雀より大きい身体を利かせて雀を追い払っているようで、、、「このごろ見なくなったね」と言う声を聞く。

ひとっころ、静岡の青葉公園や駅前広場に夜になると集まってきて、大声で泣き叫び、糞を撒き散らして顰蹙をかっていたが、いまどの辺をねぐらにしているやら、、、、

カラス同様、あまり度を越して増えすぎるのは不気味さを感じてしまう。

むかし、ヒッチコックの映画で鳥が人を襲うと言うのがあったが、近い将来そうなるかもしれないと思うと、、、、

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今日は、土も少し乾いてきたので冬野菜のため畝つくりをする。

たまにしかしない農作業は、身体に堪える。若い頃は力仕事すれば筋肉が付いて、たちまちその程度の仕事になれたものだが、このごろでは疲れになるだけ、、、、手のひらに出来た固いものはまめかと思ったら水ぶくれだった。

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2010年11月 3日 (水)

ほぼ小春日和

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今日一日小春日和といっていいほどの穏やかな一日であった。庭先で咲き出した山茶花の花も残り少ない日差しを楽しむかのようにほほえんでいる。

小春日和とは「陰暦の10月に春を思わせる穏やかな日」もことをいい、今日は調べてみると、九月二十七日だそうだから、厳密に言うとまだすこし早いことになるが、、、まぁいいっか。

空も澄み切っていて、今朝方、夜明け前の空は静岡では珍しく星の数が多く、西の方向、中天より20度ほど傾いた位置にオリオンの特徴ある星座がくっきりと輝いていた。

朝からの青空は山へのいざない、と思ってはいたが、先日の竜爪山の状態を考えると暇人の行く日ではないし、暦は文化の日だと書いてあるので、何か文化に触れてみようと思っていたが、あてもなく、、、、、、

家の周りの掃除と、冬支度のためホットカーペットの上敷きを洗濯した。

家の前の舗装したところに上敷きを広げ、洗剤と漂白剤を混ぜた水をかけてタワシで擦り洗いをする。

その後、水を含んで重くなった敷物を自動車のかぶせて水切りと乾燥。

とんだブンカの日かと思ったが、洗濯などは人間が行う文化の一つであることを考えるとこれもまた然り。

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2010年11月 2日 (火)

澄み切った空に誘われて

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真っ赤な木の実を鈴なりにぶら下げた木を見つけた。

035 水塚から見た富士山

多分、マユミではないかと思ったがそれにしても赤い。水塚の駐車場に車を入れて近寄ってみたらやはりマユミであった。

それにしても、種を包んでいる苞がこんな赤いのは見たことがないような気がする。園芸品種なのだろうか。

マユミは真弓とも壇とも書かれるが、古来飛騨の枕詞として中学の頃万葉集に載っている古歌を覚えさせられた記憶があり、今でもそらんじることが出来る。

Img_0092今まで見てきたマユミ(昨年青笹山で)

しらまゆみ斐太の細江のすが鳥の

妹にかえれか いをねかねつる 

マユミは木の材質が柔軟で古代にはこの木の枝で弓を作ったそうで、飛騨にはこの木がたくさんあった。と言うが、自分の記憶では余所に比べて特別多いと思ったことがないので、何故飛騨の枕詞なのか分からないにまま来ている。

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夕焼け空に誘われて、、と言う歌があったが、今日は朝の高く澄み切った空に誘われて、御殿場から太郎坊に上がり、キノコとでもないかと幕岩のほうに出かけてみた。

急に寒くなったためか、はたまた、台風によってか、木々は葉を散らせ紅葉があったかどうかもわからないほどの状態だった。

Img_0078 代わりに見通しが良くなって、かなり遠方まで見通すことが出来たが、キノコのほうはさっぱりと言う状態が続き、クリタケ(自分らはシバモタセという)を一株見つけただけで戻ってきた。

今年は、マツタケが大豊作だとテレビで何度も放送していたが、長野の義弟もほかのキノコは取れないといっていたので、そんな年回りなのだろうかとも思ってかえってきたら、道路わきで野菜などを並べていた店先のキノコに「これは栽培キノコです」と書いてあった。

そういえば、今年はあちこちの道の駅などで売られていたキノコで中毒を起こしたり、間違えて売ったキノコの回収を放送し、自然に生えたキノコの評判が悪かった年でもあったな、と、、、、

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2010年11月 1日 (月)

烏が鳴くからかえ~ろ

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十月初めに富士山で初冠雪が報告されていたが、二十七日には浅間山、そして、1,300m少しの故郷の山も白く化粧したとの報告があった。

いま履いている乗用車のスタッドレスタイヤは、買ってから六年ほどになり、走行距離は僅かではあるが、タイヤの劣化で用を為していないと診断されていたので代わりのタイヤを探していた。

そして、本日ボルト穴の確認をしているうちに、「嵌め変えちゃえ」と言うことになり、暖国静岡では1、2ではないかと思うくらい早くから、スタッドレスタイヤを履くことになった。

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午後になって、空は真っ青に晴れ上がり、まさに秋空、、、。

富士山の周りの雲も吹き払われている状態なので、近所でも富士山の展望台として有名な梶原山にむかう。

午後三時半、日没にはまだ間があると出かけてみれば、富士山は北側に雲が寄り添っているものの山頂付近を白く縁取りし静かに立っている。

伊豆半島、箱根の山、愛鷹山一帯はおろか、眼下の清水区や静岡一体も霞むことなく見通せる。

日はまだ高い。一通り見た後1kmほど離れた帆掛け山(通称一本松)まで花を期待して尾根伝いに歩きもどる。   成果なし。

五時少し前日没、富士の雪が少なかったが、白い雲がピンクに染まったものの、西の空には雲も少なくいまいちといったところ、、

064 047 ただ、日が沈んでから、大きくて明るい星のようなものが夕焼けを追っかけていったので写してみたが、、、、宇宙ステーション?  UHO?   拡大したのが左上の写真、飛行機ではないと思う。

夕焼けが済めば、気温も一気に下がり風が出てきた。

梶原親子の碑の傍に立つ一本のしだれ桜の上にはからすが何羽も止まり、ここをねぐらにしているのか一斉に騒ぎ出す、、、

#烏がなくから 帰~ろ  とばかりに山を下る。

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