菊花展
今日は家から2kmほど南にある谷津山を歩いてみようと出かけてみたが、途中で切花にする菊を見ていく先を変更した。
畑の中の小さな区画だが、赤、紫、橙色に白と黄色、これでもかと思うほど色とりどりの菊がまとめて植えられていた。
この菊を見て、「ひょっとすると護国神社で菊花展をまだやっていないだろうか」ということが、その行く先変更の理由である。
早速、愛宕山を登り、降ってみると例年のように境内の一角を簾で囲って菊の鉢植えが密集しておいてある。ウイークデーということなのか人ではなく、どこかの老人ホームの団体らしい人が一組だけ、、、、
大事に育てられてきたらしく、大輪の花や葉には虫食いや傷みもなく陳列されているが、素人目にはどれが良いのかどうかの判断が出来ない。
鉢の横には、何とか賞とか一等一席とか一等二席などと書いた金紙付きの札が立っているが、どれもこれもデザイン的には同じスタイルで変わり映えしない。
毎年のことながら、あまりにも型に嵌まりすぎていて、新しい品種を含めて斬新さとか奇抜さは感じられない。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
菊という花をこれほどまでに愛している国は日本を置いて他に無いとおもうが、これほど型にはめてしまうのは、柔道や剣道を初め華、茶、書などおよそ道という字が下に付くものの弊害ではなかろうか。
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おりから、本殿前の芝生広場にはどこかの小学生が遠足に来てはしゃいでいる。
境内のあちこちに落ちていたどんぐりをビニールの袋にいっぱい詰めている子、落ち葉をかき集めて、仲間にぶっかけて逃げ回っている子、腹が減ったと叫んでいる子、どの子も明るい太陽の下で思い思いに遊んでいる。
その様子から、いま新聞でよく見かけるいじめの問題は、何処にも見られないようにみえる。
そして、周りに立っているいくつもの戦没者の慰霊の塔に関心を寄せるものもいないが、もし、霊魂といものがあるのなら、肩書きの付いた人々の儀礼的な挨拶より、子供の走り回る音や歓声がよほどの供養になると思いながら、山越えの道を帰ってきた。
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コメント
おばさま
菊花展、年年歳歳花相似タリ、といいますが、菊の花をあれだけ改良?したのなら、形のもっと変化の要素を入れられなかったのかと思うくらいみんな一緒の造り方、、、
人間はあんなふうに育てたいと思いませんが、、、いつしか、金太郎飴のような人間でないと社会に生きる場所がなくなっていくのですね。
投稿: オラケタル | 2010年11月13日 (土) 21時28分
ピカッとサリーさん
谷津山はごく低い山なので、この尾根筋にはいつも誰かが歩いています。一度歩いてみてください。
いじめは年々陰湿になっているようですが。これらの子を見まもる先生にも分からないのか、、、、
事故があったとき、学校が認めようとしないなど、責任をおし付け合っていることなども、余計に複雑化しているようですね。
投稿: オラケタル | 2010年11月13日 (土) 21時22分
肩書きの付いた人々の儀礼的な挨拶より、子供の走り回る音や歓声がよほどの供養になると思いながら、
良いですね。このくだり好きです。
本当にそのとおりだと思います。
鈴鹿に入院中の人も子供のはしゃぐ声に、新鮮さ・
こころの安らぎを覚えると話していました。
菊の花も形にはめることなく、のびのびと
育てて欲しいです。
投稿: おばさん | 2010年11月13日 (土) 21時10分
こんばんわ
谷津山子どもたちが保育園等で遠足に行っていました♪
自分で行った事はありません!!
小菊が綺麗ですネぇ~^^
子どもたちの喜々とした姿や声の方が確かに供養になるかもしれませんね~
いじめ!これは難しい!!
子育ても難しそうな時代です(苦)
投稿: ピカッとサリー | 2010年11月13日 (土) 01時30分