« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月31日 (金)

明朝 また一年

026 .

037l 賤機山で今年最後のお日様にお別れをしてから、尾根伝いに浅間神社に降れば、宵闇はすぐそこまで来ていて境内の香具師の出店にはすでに灯が入っている。

今年もあと僅か、、、気ぜわしさもここまで来ると雲散霧消で、あとは年取りの鰤の切り身を肴に二本の徳利を開ければまぶたが重くなってしまう。

むかしのように紅白歌合戦を家族で見て除夜の鐘を待つことも無い。

いつのころから、家族がみんな知っているその年の歌と言うものがなくなったのだろうか。

核家族がそれに輪をかけているのだろうが、紅白歌合戦は聞いたことのない歌手が知らない歌を歌うのでは見る気がしない。

除夜作   高適  から

故郷 今夜 千里に思う

霜鬢 明朝 また一年

.

.

ともあれ、この一年も無事過ごせたことを歳神様にお礼申し上げて、明日からの糧にしたいものとおもっている。

Adios  Buenas noches

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

艶々と光らせて

016 .

オオイヌホオズキが黒い実を艶々と光らせていた。

023_2 傍には寒さにもめげず薄紫の五弁の花が幾つも咲いていることから、寒さにはかなり強い草のようである。

また、アメリカイヌホオズキとはかなり近いようで、なかなか区別が出来ないそうだから、自分のようなものにはますます分からなくて当然。

.

九十翁も亡くなってからもうすぐ二週間になろうとしている。

この日との連れ合いが、しばらく前から認知症の気があったのだが、最近「そろそろ家に帰ろうよ」とよく言うようになって困っていると言う。

はじめは、五年ほど前に古くから住んでいた築百年は越す建物を壊し、新築した家になじめないのかと思っていた。

自分の祖母も五十年あまり前に同じような環境におかれたとき、同じような言葉を繰り返し言って、家族のものを困らせたと聞いていた。

しかし、どうも話を聞いていると、家業が農家だったのでずっと一緒に傍にいた人が急にいなくなったことが原因で無いかと思うようになった。

故九十翁は傍目から見ても微笑ましいくらい連れ合いを大事にし、蟹のボイルにしたのが手に入ると、太いところを渡して自分は残りものを世話をする合間に食べるとか、御飯の支度もかなりの頻度でしていた。

そんな連れ合いのいるところが一番安心できると記憶の中にあり、その人がいないところは人の家と言う感じなのではないかと思うようになった。

.

.

いま、裏の川にカルガモが来ているらしく、あまり綺麗な声ではないが、低い声でグエグエグエと啼いている。

近くに仲間でも来ていて合図のために鳴き声をあげているのだろうが、なんだか侘びしい気にさせる

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月29日 (水)

四海波静か?

Img_0132 .

咲き出した水仙。逆光の光を白い花びらに受けて清らかに咲く姿は、ある種神々しさを感じてしまう。

.

今年も押し詰まってくれば、どの新聞も今年の十大ニュースと書き並べている。

世界的にはチリの鉱山労働者の奇跡的救出、ノーベル平和賞は中国の政治姿勢を批判し、国内では異常気象といわれた猛暑、ノーベル化学賞受賞、ハヤブサの奇跡的帰還、尖閣諸島での衝突とビデオ流出、特捜検事の証拠偽造などが思い浮かぶ。

そして、個人的には、、、、となると、「何があったのだろう」と、ハタッと行き当たってしまった。

夏の暑さ以外、特にこれと言って何も無いのだ。それも、のど元を過ぎてしまったようで、記憶的には遠い過去の話しになってしまった。

これって、どう解釈したらよいのだろうか。夢うつつの内に過ぎてしまったのだろうか。

この激動と言われる社会にあって、平々凡々と、、、四海波静か、、、ではなかったと思うのだが、、、。

そんなことを思いながら、昨日、小学校6年生の孫が初めて作った伸し餅を含めて切り分け、御鏡餅を沿えて頼まれた家に配ってきた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年12月28日 (火)

餅つきの日

030_2 .

夕方になって孫たちを集め恒例の餅つきを行なった。

餅つきといっても、臼と杵で搗くのではなく、電動の餅つき機で着くのだから、細かい言い方をすれば、搗きあがりの餅を食べる会といったほうが良いのかもしれない。

久しぶりに集まった四人の孫たちは、小学校6年生から十九歳まで、、、それぞれが、この日を楽しみにしてくれていて、高校生の孫は花餅つくりに、小学生はお鏡つくりを、伸し餅つくりを、そして、ただ食べるのが良いと言う者など、、、、、

餅は総計で六升。うち一升を御鏡餅に、のこりをその場で食べることにした。

ボールに取った五合の餅を、黄な粉や、あんこ、大根おろしを自分の好きなようまぶして食べる方式。食べ盛りの孫たちはその前におでんをおかずに御飯を食べたにもかかわらずぺろりと平らげてしまった。

我が家も久しぶりの大賑わいで、爺婆は疲れ果てそうそうに眠ることにした。

.

.八月に泊まった奥飛騨温泉「本陣」に飾ってあった花餅。

016_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

風に向かって

004 .

今日も強い西風が吹き、肌寒い一日になった。

麻機沼は、水底にたまったダイオキシン入りの泥を入れ替えるための作業が新規に始まり、その準備に入っているため、いつもの年より北からの渡り鳥が少ないように見える。

その中で、一番多いのがヒドリガモ、ついで真っ黒なバンで先客と言うか通年ここで暮らすカルガモは裏の水路などに追い出されているのか、餌の関係かで沼には少なくなっている。

今年になって工事の済んだ場所は、水草も少なく風に吹かれて水面は少し波立っている。

その水面で、風に向かって一斉に流されまいとたむろしている鴨の仲間は見るからに寒そうだが、実際はどうなのだろうか。生物にはそれぞれ快適な温度があり、人間の場合二十度くらいが適温で、それより少し気温が高いハワイなどは常夏の国なんて呼ばれている。

しかし、地軸の傾きにより常春の国というものは何所にもなく、一時期はかならず暑さ寒さに耐えなければならない。

いつも思うのだけれど、人の顔の皮はどういう神経になっているのだろうか。

哺乳類は、一般にケモノ(毛物)といわれていて、全身毛に覆われてる中で猿と人間くらいしか顔に毛がない生き物はいない。

そして、その猿も青森の下北半島が北限であり、珍しいと言われることから南方系の動物になり、近縁種の人も南方系のはずである。

しかるに、ロシアの零下何十度になるところにも素顔を出しているかと思えば、百度のサウナにもいることができる。

そう考えると、冷たいと思う水面下でいつも水を掻いている鴨もそんなに寒くはないのだろうけれど、、、、、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月26日 (日)

嫌われ者

043 .

電線に雀が群らがって止まっていた。その数百は越えていると思われる。

一斉に田んぼに舞い降りたので近寄ってみれば、田んぼにまかれた切り藁の中の食べ物を探している様子だが、下には先客のカラスが二羽陣取っている。

木の葉も今回の寒波の襲来でかなり落ちてしまったようだし、餌になる穀物も少なくなったのだろう。

天敵と言われるカラスの周りでも構っていられないようだ。

群れになって動いているのは、鰯などと一緒で天敵の目をくらましているのかもしれない。

039 ただ、一番の天敵とみなされている人間が、カメラ越しににらんでいるのを、電線に残って見張っていた雀が教えたと見え、田んぼから全ての鳥が逃げ散ったのはそのすぐあとだった。

045_2 .

ひとは、カラスや鼠をを嫌われ者だというが、人のほうがもっと嫌われ者のようだ。

.

今年のヒット商品の一つに、食べる”ラー油”なるものがあり、先日、娘の家でご馳走になったとき出されたのが初体験。

結構いけるではないか。と言うことで、作ってみることにした。

造り方は案外簡単そうなので自己流に作ってみる。

ニンニク、生姜、葱の青いところ、玉ねぎをみじん切りにし、ひき肉少々に塩をつまんでサラダオイルで炒める。

次に、別の器に摺りゴマと朝鮮粉唐辛子、一味唐辛子、コチジャンをいれ、ごま油を入れて混ぜた後、サラダオイルで炒め、作り置きしていた具を入れてかき混ぜるだけ。

配合は、男の料理の特徴として全ていい加減、、、、、、でも、出来上がったものを御飯にかけてみたらこれが結構いける。

わざわざ買って来るほどのものではない。と言うことがわかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

マフラーをなびかせて

011 .

昨日に続いて今日も強い西からの風が吹きつのっていて、バイパスのガードしたから望む富士山は白い雪煙を、首に巻いたマフラーのようになびかせて青い空に浮き上がっている

寒さを避けて十時過ぎに麻機沼を一周するコースを歩いてみたが、トレーナーの上着を突き通して風が進入してくるため、体感温度は氷点下のような気分になり、身体なかなか温たまってこない。

やっとこの間まで暑い暑いと言っていたのが遠いむかしと言うか、二~三年前の出来事だったような気がする。

そういえば、テレビも、この一年を回顧し、「あれもあった これもあった」と言っていたがどれもなんだか古い話しのように思えて、上の空で聞いていたが、これは、身近で強烈な災害や事故がなかったためでもあり、幸せなことなのだ。

同じ静岡県内でも、小山町の水害のようにあちこちに災害の傷跡が残っていれば、そんな気持ちにはなれないことなのだから、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月24日 (金)

動くまい うごくまいと

004 .

電線を鳴らして風が吹いている。

北の空には灰色の雲がかかり、その雲からとみられる小粒の雨が吹き飛ぶように舞っている。

一瞬 風花(カザハナ)かとも思ったが気温は十一度もあり、風花の舞い飛ぶような寒さではない。

005 越冬するウラギンシジミが蜜柑に取り付いて微塵にも動かないでいる。

羽根をしっかり閉じて、名前の由来となった羽根の裏側(?)の真っ白な部分だけを見せ、綺麗な表地は見せる相手もいないので見せようともしない。

とにかく、いま、うかつに羽根を広げれば、この風の中何所に吹っ飛ばされるか分からない。とばかりに、、、、

とにかくいまを生き抜いて来春に命をつなぐことがこの蝶々に課せられた使命だとすれば、、、「動くまい 動くまい」と念仏のように一心に唱え、頑張っているように見えて仕方が無い。

.

今日二十四日は「納めの地蔵」毎月二十四日はお地蔵様の縁日であるが、その最後の縁日が今日である。

近所の厄除け地蔵では、この縁日にあわせて近隣の人が門前に露店を出すので、野菜か正月用品でもと見に出かけた。

イルミネーションで飾り立てた耶蘇の祭りと違って、泥臭いものばかり、、、、

めぼしいものはなく、一年の無事に感謝し風に逆らって帰ってきた

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

趣向を変えて

011 .

青森の従兄妹から帆立貝が送られてきた。

大振りで、貝柱の直径が四cm以上もあり見栄えも良い。

知り合いなどにおすそ分けをしたあと、早速、包丁を入れて貝柱を刺身にし、三個はガスコンロで炙り、口を開いたところに醬油を少し入れたり、バターを載せたりと趣向を変えてこげ色がついたところで食べてみた。

新鮮なホタテは臭みもなく美味しい。今年は海水の加減で収穫量が少ないと聞いていたので「多分送ってくれることはないだろう」と、内心覚悟していただけに予想外の贈り物。

此方にいては、とても手が出ない食べ物だけに、こんな贅沢をして良いのかと言う気もするが、これで寿命がまた伸びたとすれば、一体何時お迎えが来るのやら、、、、。

夜になって、感想を含めてお礼の電話を入れたところ、向こうは激しい雪降りとのこと、、、、此方の天気を話したところ「同じ日本なのにねぇ~」。

天気予報は、明日の朝冷え込むと言っているが、北国に比べればなんてことのない寒さに違いない。

006 ,

夕方になって、白い富士山は夕焼けで赤く染まり連日の赤富士を演出している。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2010年12月22日 (水)

化かせるかな

021w .

けもの偏に里と書いて狸というが、むかしから人里に近いところに住む雑食性の動物として知られている。

良く目立つ動物だけに、人を化かしたり悪さをし、カチカチ山の悪役になるかと思えば、文福茶釜や狸囃子などでは愛嬌のある朗らかな動物にもなる、そして、信楽の陶器製の狸は八畳敷きを広げて客を招いている。

人をばかすにも、狐のように完璧でなくとぼけた顔つきから失敗の多い化け方をすることになっている。

この狸も、最近は夜間照明で明るいためか、街中でも良く見かけることが多く、あちこちで見かけたという話を聞くが、化かされたという話を聞かなくなったのは、古狸から伝統の変身の術の引継ぎがうまく行かなくなったためだろうか。

上の狸、近所の西瓜畑でこれから残り物を、と思ったときに現れた自分を見て、このあとどうしようかと迷ってしまい、動きが取れなくなったらしい。

こうして写せたのは疑り深かそうな顔をした男を化かしきれない、と、、、、思ったかどうか。

.

今日は、先日亡くなった九十翁の葬式。

今朝方まで降っていた雨も止んで、空に雲が僅かしか無いポカポカ陽気。

葬儀が終わって、和尚の説話の中で、日照時間が一年の中で一番短い冬至の今日、きっと寒いに違いないと予想した言葉を入れたが、この温かさは何なんでしょう。と言うのが印象的だった。

ともあれ、九十翁の家族と親交があったと言うことで参列したのだが、親類の人も町内会の人もほとんど知り合いが無く、朝八時半から夕方まで一連の法事にかなり疲れてしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

林檎のワイン煮をつくる

033 .

長野から持ち帰った林檎も食べきれず一ヶ月以上になって古びてきた。

なるべく寒いところにおいていたが、静岡では気温が高すぎる。

よそ様に配ったあと、頑張って食べてみたがやはり飽きが来て、消化率は下がる、おまけに、柿も届くし、蜜柑もある。とくると、、、、

先年、林檎ダイエットなんてのがあったし、バナナダイエットなんてのもあったが、一つ物では必ず飽きが来て失敗は目に見えている。結局は健康雑誌や業者に乗せられてしまったと悔やむしかない。

そこで、今日は鍋にいっぱいになるほど皮をむき、林檎のワイン煮を作ることにした。

作り方はいたって簡単。むいた林檎にワインと砂糖を入れて煮るだけ、全て目分量と言ういい加減な方法で、沸き立ったら灰汁を掬い取って林檎に色がついたころ火を引いて冷めるのを待つ。

あとは、冷凍庫に入れておけばどれだけでも持ち、夏場の氷菓子としても使えるものになる。ただ今回の分は、二十八日の餅つきのとき、孫たちが食べるものとしてつくったもので、、、、、来夏用はもう少しあとに作ることになるだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

三文判のほうが

Img_0168 .

昔と言っては何だが、落ち葉が吹きだまる今頃はあちこちで落ち葉焚きの煙がもやもやと上がっていたものだった。

Img_0169 静岡の市街地では野焼きが条例で禁止されているとかで、巴川の河川敷はもちろん麻機沼の芦やセイタカアワダチソウなども機械で刈り取り焼却場に持っていって焼いているそうだ。

かろうじて、田んぼのなかで焼く分には良いとかで、煙りの上がる場所は限られてきていて、子供たちは焚き火の楽しみと言うものを知らなくなった。

         #垣根の垣根の曲がり角

          たき火だたき火だ 落ち葉焚き

          あたろうよ あたろうよ

          北風ぴぃぷう 吹いている

古くからの文化がまたひとつなくなったというのはおおげさか、、、、

.

宅急便のお兄ちゃんが平べったい封筒を持ってきて重要書類ですから、受け取り蘭に印鑑を押してくださいといった。

いままではボールペンのサインで荷物の引渡しがすんでいたのに、、、、、、と思いながら、引き出しから三文判を取り出して息を吹きかけて押してやった。

何をそんなに大げさなものを送ってきたかと思って開いてみれば、9月に入ってあまりの暑さに負けて買ったエアコンのエコポイントである。

予定より随分と遅れてのものだけに、忘れるともなく過ごしており、なんだか不意打ちを食らった、と言う感がしないでもない。

それにしても、サインより印鑑が重要な役目をするという昔ながらの風習はお役所を中心にまだ廃っていない。

犯罪なら、誰が押しても代わりの無い印鑑、それも、回り灯篭のような棚に入っていた機械彫りで大量生産のきくものより、筆跡鑑定で確認できるサインのほうが証拠能力が高いと言う時代に、、、、、

それで本人確認ができたと言うあまりにも形式的な建前は、何時になったら無くなるのだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

いとしい人へ

007 .

キュウリ草、葉を揉むと胡瓜の匂いがすることから名付けられた草だと言うが、道端に咲いていても気付く人がほとんどいないと言う小さな花である。

003 丹念に見れば、五弁の花びらの中央に黄色いおしべ、コバルトブルーの色合いとのコラボレーションがなんともいえない柔らかさを持って咲いている。

本来は、4~5月にかけて咲くことになっている花だが、そんことは気にもかけていない様子。

花言葉としては、「いとしい人へ」「真実の愛」などというものがあるそうだが、とにかく写真嫌いらしく、なかなか焦点が合わず写しにくい花である。

,

昨年三月十三日の「九十翁の蜜柑植え」に書いた知り合いのおじいさんが亡くなった。

一週間ほど前に転んで骨折し、その手術も体力が回復するまでと入院し養生をしていたが、昨夜、眠ったまま誰にも気づかれることなく逝ったとのこと、、、、。

普段は物静かに笑い、少し耳の遠い自分などは耳を近づけなければ聞こえないような小さな声で語っていたが、五年ほど前まで農作業は若い者に任せようとはせず、耕運機や稲刈り機、脱穀機と機械のハンドルを渡そうとしなかったほどの頑固爺さんだった。

しかし、「九十翁の蜜柑植え」と時には、かなり体力もなくなり、自分たちが棒で指し示す場所に植え、一番掘りやすい場所に一本だけ手植えすることで我慢してもらった。

その蜜柑の木、今年はまだ実をつけることが叶わなかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

思惑 一致せず

001 .

晴れた空の下久々にカワセミの写真が取れた。

川辺の宝石とも言われる、深緑に輝く羽根を見せて岩角から水面下を窺っている。

最近まで草が生い茂った巴川の川岸は、こちらが見つける前に気配を悟られて、川面をすれすれに飛び去る姿ばかりであったが、秋口から始まった草刈のため、人の気配に気付いていても、食事のためにはぎりぎり我慢をしなければならないようだ。

川岸の石の上から水に飛び込む瞬間を待っていたのだが、向こうも此方の立ち去るのを待っていたようだ。両者の思惑が一致せず、結局は下流に飛び去って仕切り直しになってしまった。

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月16日 (木)

食堂は今日も繁盛

022 .

空一面に雲がかかり太陽の存在が分かるものの終日薄暗い感じのするいちにちだった。

静岡から見る笠雲の富士山は、雪のため灰色にしか見えず、同じような色の雲を背景にして、墨絵を見るように霞んで見える。

016 麻機まわりの木々もほとんど木の葉を落とし、ピラカンサス食堂にはヒヨドリや鳩に混じって、トラツグミも食事に来ていた。

これらの野鳥に比べて二周りは小さい雀は寄り付けず遠巻きにして先客が腹いっぱいになるのを待っているかのように離れた木の枝で待機している。

そして、無粋な人間がこの食堂の下に近づくと、ヒヨドリが逃げ続いて鳩が逃げ出したがツグミは木の中心に移動しただけで静かに留っている。

海を越えた大陸からの長旅で体力を消耗して、何杯でもお変わりをしていたいのだろうか、目はこちらに向けたまま微動だにしないのは警戒してのことか、隠れている積りか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

日本ならではの冬景色

015 .

朝から強い季節風が吹き落ち葉を舞い上げて飛ばしている。

初冬の寒気が入って、日本海側は雪に見舞われていることだろうが、この雪とともに湿気も落とした風は冷たくいかにも冬らしく、感じようによっては清々しくて、散歩も足取りを軽くする。

柿は日本特産の果物、と聞いたことがあるが、晩秋の干し柿は日本人だけの原風景と言ったところかもしれない。

軒下に簾のようにぶら下がっている柿は、冬の光を反射して、幾分透き通って飴色になるのも間近であろう。

自分の子供頃は主に竹串に七個くらい刺した物を何段かにまとめて干したもので、干しあがると換金作物として売ってしまうため滅多に口に入るものではなかった。

ただ、正月のお飾りに使った残りを分けてもらうのが嬉しくて、正月開けに竹の周りが少し酸っぱくなったのを貴重品のようにして、、、、、美味かった。

最近では、干し柿つくりも面倒なようで、ほったらかしの木をよく目にするが、日本文化の消滅と言うより、もったいないと言う気持ちが先にたつのは、子供の頃 指をくわえていた幻かもしれない。

ちなみに、干し柿には干し方によって、串柿、吊るし柿(写真上) ころ柿、あんぽ柿、巻柿などがあり、柿の種類で市田柿(長野)、蜂屋柿(岐阜)、甲州百目柿(山梨)などむかしから保存食料として珍重されてきた。

.

名古屋市の議会解散請求はリコール票が既定に達したようで、住民投票が行われる見通しになった。

また、これに先んじて、鹿児島県の阿久根市では住民投票の結果、市長を解職し選挙が行われることになった。

これらは、いずれも市長と市議会との対立が発端になっているのだが、先決処理を繰り返し議会を無視した阿久根市の場合、再再度の選挙になり経費を考えるとかなりの無駄遣いになる。

投票した市民も、前回支持した人を引き降ろすことになるのだが、この辺の矛盾はどう感じているのだろうか。

名古屋、阿久根とも市議会議員が、財政の逼迫をわがことと考えず、改善に、改革に、鈍感だったことが原因と思う。

長い間議員を続けているうちに、市民の生活環境を把握することが出来なくなり、国会同様世間の常識からはずれしまった。

静岡市議会選挙などを傍から見ていても、「あの人は政治力があるから、、、」といって多選議員や二世議員を作り出しているが、それが市民感覚から連れさせる原因であろう。

ともあれ、上の二市はまだ良いほうだと思うのは、オール与党の市議会は何をしているのか、任期中に一回も発言しない議員や居眠り議員、空視察の議員の巣窟になっている、とを知るべきであろう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

気のゆるむ

012 .

陽だまりにイソギクがいまを盛りと花を咲かせている。

黄色い筒状の花を密集させて咲いているさまは、菊とは名がつくけれど、と思ってみたが、、、、キク科だと言われればそうかというしかない。

東海地方の海岸で自生していたそうで、岩場など比較的乾燥したところにあることからイワギクともいう。

花も綺麗なのだが、イソギクの特徴である、葉っぱの縁が白く隈取られているのも園芸種として庭に植えられている理由のひとつ。

この隈取りを見ていると、どこか上品なお坊ちゃん学校の制服見たいな気がするのは自分だけなんだろう。

,

昨日に続いて朝から雨模様の薄暗い天気が続き、なんだか気だるい雰囲気の中、何すると言うこともなしにぼやっとして終日過ごしていた。

長野での二日間、毎朝、自動車のフロントガラスには霜がびっしりと張り付き、エンジンをかけてもすぐには発車できなかった。それに比べると、なんとも暖かい気温が気をゆるめてしまう。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

茂田井 間の宿

045 .この道を「下に~下に~」と行列が練ったのだろうか

見舞いに行った連れ合いの叔母の病院と義弟の家の間に中山道茂田井の間の宿がある。

間の宿とは、正式な宿場町であった芦田と望月の間にあって普段は通り道にそう農家の集落であるが、大きな行列などで、これらの宿場に止まりきれない場合に使われる宿である。

049 .自動車がなければ丁髷の人が出てきそうな雰囲気

当然、江戸時代には本陣もなかったのだが、良い米が取れるとのことで豪農がいたことであろう。明治になって中山道が今で言うバイパス工事で平らな道を作り、この集落を迂回したため、当時の建物と道路が残って面影を忍ばせている。

いまでは、武重酒造と大澤酒造と言う二軒の造り酒屋が少しの空き地を隔てて並んでいるが、いずれも白壁の土蔵造りで、この前の細い道路を「下に~下に~」と大名行列が通り過ぎたことが容易に思い起こされる。

中山道は、東海道に比べて大きな川もなく険しい山も少ないため姫街道とも呼ばれていて、江戸時代末期に皇女和宮が東下した際にはこの道を使ったそうで、お弁当を出したと言う記録があるそうだが、ゆるいとは言えこの坂道を駕籠で行くのは担ぐ人もだが、乗っている人も大変だったことが想像される。

034 また、明治になって若山牧水がこの地に逗留しいくつもの歌を詠んだようで、大きな岩に三首の歌がはめ込んだ碑がある。

.

.

.

一つには、       しらたまの歯にしみとおる秋の風

                          酒はしずかに 飲むべかりけり

.二つには、       ひとの世にたのしみ多し然れども

               酒なしにしてなにのたのしみ

そして、三つ目はこの酒造家の酒をうたいこんだもので、

              よき酒といふなる御園竹                                                            われもけふ飲みつ よしと思へり

いかにも酒好きだった牧水の真骨頂と見た。

.

閻魔様のいうとおり

さて、昨日につづき今日も見舞ってきたが、呼吸停止の状態で入院したため、自分たちがこの病院に来たときには意識もなく生命維持装置の管につながれていた。

この装置のお陰だろうが、呼吸も規則正しく、血圧も低いながら安定していて、十一日の夜が山場だと言う医者の言葉どおり、これからしばらくは安定期に入ったのではないかと思わせる雰囲気になった。

ただ、この生命維持装置は、先年聞いたところによると、一度つけたら回復するまで外せないそうで、高齢で呼吸停止だった患者が回復することは万が一もあるかどうかと思う。

自分の知り合いも、末期の病人を抱えたいたとき、医者からどっちにするか聞かれて困惑し、相談を受けたときがあるが返事に窮してしまった覚えがあるので、多分この叔母も入院したとき、気が動転した娘が生命維持装置の装着を承諾したのではないかと思われる。

科学の進歩は、完全ではないが人の寿命まで操作するところに来ている。果たしてこれが良いことかどうか。

自分の場合は閻魔様の言うとおりにするよう、延命処置はとらないでと、家族に言ってある。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

流れ星ふたつ

008 .

ヒヨドリジョウゴの赤い実が冬枯れの山でひときわ輝いて見える。

ヒヨドリが好みを喜んで食べると言うことから名付けられたと言う説もあるが、好みはソラニンと言う神経毒を含んでいるそうだから、この実を食べたヒヨドリが毒に犯されて酔っ払った状態になっていたのではないかと自分は思っているのだが、、、。

今にもとろけそうなほど熟れて輝いているのだが、ほかの鳥たちも学習しているためか、食べられた形跡は無い。このつる草はどんな方法で種の拡散をはかっているのだろうか。

考えると不思議な植物である。

.

002 .暮れなずむ浅間山

昔読んだ三国志の中で、蜀軍の孔明が五丈原の陣中で亡くなったとき、大きな星が流れ星になって墜ちたそうで、その星を見た魏の軍勢が撤退する蜀軍を追撃したところ、陣中に孔明がいるのを見て罠かと思い逃げ散ったことから「死せる孔明 仲達を走らす」として今に残っている。

偉大な人物がなくなるときは、大きな星が流れ星になって落ちる。という言い伝えは、今でも新聞や追悼文に「巨星墜つ」などと載ることがある。

十日の深夜、連れ合いの叔母(98歳?)が倒れ救急車で運ばれたが、呼吸停止だとのことで、夜明けを待って見舞いに長野へむかった。

行って見ると、人工呼吸器に繋がれており、意識は無い。

しばらく付き添っていたが、交代の人が来たので義弟のうちに帰り夜空を見上げた。

久しぶりに、満天の星空。

静岡と違って、山に囲まれたこの家からの夜空は星が大きく、瞬いている。

と、真上の空から流れ星が相次いで浅間山のある北の方向に流れた。

まさか、名も無いあのおばあさんがと思ったがそれも一瞬、、、、いま、ふたご座の流星群に地球が接近するため、十四日を頂点に流れ星の多くなる時期だと言う。

天文学に興味のある人はいざしらず、気温も0度に近いらしく、空を見上げるには寒すぎて、、、、、これ以上見る気はうせている。

家の中から夕食に準備ができたと言う声もかかり、即座に従った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

濡れ落ち葉は

012 .

落ち葉が風に吹かれて舞い上がり、ひとっきりころげまわったあと、最終的に落ち着く先は山の窪や家の片隅に吹き溜まりを作ってまとまってしまう。

木の上にあって青々として活気に満ちていた青葉もこの時期になると木からの養分も来なくなり干からびて落ちた後次第に土と化していく。

その上に、ポツンポツンと花びらが落ちているさまは、20年ほど前に流行語大賞になった「濡れ落ち葉」そのもの、、、、、、

仕事人間だったお父さんも定年を迎えるとからっきしだらしがなくなり、趣味もなくすることがなくなったあげく、連れ合いの後ろにベタッとついて歩くさまを言ったものだが、最近はどういわれているのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

花の蜜より

028 .

二十四節季のひとつ大雪も過ぎて、今日の気温は一段と下がってきたようで、散歩でかいた汗も空気に触れると冷たく感じてくる。

近ごろの温暖な気候に慣れすぎているため、このくらいは例年の気温だと言うことを忘れていた。

033 裏銀シジミを久しぶりに見かける。

蝶々の仲間も揚羽蝶はすでに姿を消し、シジミチョウもめっきり目にすることが少なくなるなかで、この裏銀シジミも年老いたためか、名前の由来になった羽根の裏の銀色に輝く部分も色あせたように艶がなくなり、羽根の先端も一部欠けて痛々しい姿でモチノキの葉に掴まっている。

飛び方もゆったりとした羽ばたきで、越冬するには少し弱々しい感じがする。

移動する距離も短く、日の当たる場所を選んでいる様は、花の蜜よりお日様をと言う感じがする。

,

今日は1,941年に日本軍が真珠湾を襲撃して、アメリカと戦争に入った日である。この襲撃に対してアメリカは通告なしに戦争に入ったと国民に告げ”remember pearl harbor"を合言葉に国論を結集させた。

それから、六十九年。今日のテレビは市川海老蔵一色で、あの無謀な戦争に突入した経緯は全然取り上げられたようすはなかった。

そして、偶然のことながらビートルズのジョンレノンが銃弾で倒れた日。命日を記念して演奏会をしている映像を見、少なくとも太平洋戦争よりジョンレノンか、と、思ってしまった。

しかし、彼らの歌であるイマジンを演奏していたことに、かの戦争と結びつきがあるような気がして、、、、、、、、

       imagine

imagine ther`s no countries    想像してごらん 国なんてないんだと

,,,,,,,,,,,,,,,

nothing to kill or dei for  殺す理由も死ぬ理由も

,,,,,,,,,,,,,,,,

imagine all people   みんなで想像してごらん

living life in peace   ただ平和に生きることを

.

.

この曲は、アメリカの9,11の際には放送禁止になったと聞くが、為政者にとっては面白くない曲なのだろう。地図の上だけの線で人々を殺し合わせる国というものの理不尽さ、、、

        イメージしてごらん、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

にぎやかなさえずり

005q .

006_2 ジュッジュッジュッとにぎやかな声が聞こえてきたので、そちらに目を向けると、真っ赤な実をつけたピラカンサスの木に雀が群がって話し合っている。

朝方のにわか雨で田んぼが湿っていたのを嫌ってのことだろうか、それとも、田んぼにある餌を食べ食後の雑談を声高にふけっているのだろうか。

赤い木の実も、かなり減っているところを見ると、ほかの鳥も入れ替わりに来ているはず、、、、、しかし、雀の勢いに圧されてかほかの鳥は近寄らないでいる。

また、ひとしきりにぎやかなさえずりを交わしてから、一羽去り二羽去りしてピラカンサスの食堂は静かになっていく。

.

昨日の疲れが身体に残り、散歩も形式的に歩いただけ6,700歩。

少し前まではこんなことぐらいで疲れなかったに  なぁ~ 」と言いながら、空模様同様に終日ぐうたらと過ごす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

雲散霧消

010 .

冷え切った空気は長良川の支流、津保川の川面から濃い霧を立ち昇らせ、日の出時刻というのに辺りを暗くしている。

岸辺の草には霜が降りて、葉も周りを白く縁取りし、灰色に煙った岸辺には鷺や鴨、カワセミが見え隠れしてしている。

011q 上空、霧の届かないところは晴天らしく、早朝に発した旅客機が朝の光を受けて白い尾を引いているのが透けて見えた。

もうすぐ、火の光に照らされれば、この霧も雲散霧消となるだろう。

.

.

この三日間、従姉妹の最長老が91歳が愛知県で亡くなったと聞いてお参りしたあと、岐阜県の従兄弟の子供の一周忌の法事にと巡ってきた。

自分たちもこの歳になると、伯父伯母は全ていなくなり、従兄弟が亡くなる順番になってきた。すでに何人かの従兄弟は亡くなっているものの、子沢山の時代だったので、数えてみれば40人近い従兄弟がいることになる。

人の寿命はそれぞれが生まれる前に天から授かってきているので、年の順にと言うことはなく次は自分かもしれない。

いずれ、全てが霧のように消え去って、誰の記憶にも残らなくなるのは三十年?五十年??

今日、ノーベル賞の栄誉に輝いた人たちとは違って何の功績もなく、歴史にも載るようなこともない身にとって、孫の脳裏に、、、、くらいであろう。

諸行無常 会者定離  全ては川の霧同然

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

気性(象)の激しい

002 .

明け方になって激しい雨風の音に目を覚ました。

稲光はするが音は聞こえず、裏の川も増水して道路すれすれにまで上がっている。

これ以上降るようなら自動車の移動もと考えたが、目を覚まさせた雨を境に小降りになり間もなく上がってしまい、青空が広がった。

気性の激しい女性のようにと書くと語弊があるが、、、その後の晴れようは大口を開けて笑っているかのようだった。

雨上がりに誘われて表に出れば、雨粒をいっぱいつけた水仙が早くも一厘の花をほころばせている。

日本海を通る低気圧に引き込まれた南海上暖かい空気が入ってきたようで、うららかな小春日和というより、暑いくらいの天気となったが、、、、、

午後三時すぎ、、、、、、突然一発の雷鳴がダダダン!と頭上で響き渡った

.

ユーキャンの流行語大賞が今年も決まった。

一位がゲゲゲの~二位がいい質問ですね。 ほかにもAKB48とか脱小沢などがあるそうだが、これが今年の流行語かと言われると、そんなに使われていた形跡も無いし実感が湧かない。

年を取って世間のことに関心ないわけでなく、テレビなどは働いていたときよりよほど見ているはずだが、、、、、

ちなみに07年は、どげんかせん、ハニカミ王子。08年はアラフォ、グー、名ばかり管理職。そして、去年は政権交代、子供店長、事業仕分けであるが、いずれも何かしろ感想がある。

なんだか選考基準が変わっているような気がしてならない。

流行語とは一過性のものであり、言葉として後世に残るのは、その内のごく一部であり、目くじらを立てるほどのことはない、、、、、。

ちなみに、自分が生まれた年の流行語の一つに「日の丸弁当」と言うのがあったそうだが、、、、、この言葉は栄養豊かになった今の子供は見たことが無いだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2010年12月 2日 (木)

川紅葉

004q .

一昨日、静岡でも初霜を観測したと報じられてから、木々も秋と別れ冬支度に入ったようで、ここ巴川の支流で、駿府城に資材を運び込んだと言われる十二双川の土手の木々も盛んに葉を散らし始めた。

幅5m、深さ3mほどの三面張りの水路に変わったこの川に、紅葉、黄葉が流れていく。水深が浅くしたの水草にからめとられた葉や、流れ行く葉っぱで川は多色刷りのキャンバスのようにみえる。

こんな現象をなんと読んだらよいのか、、、、さしずめ”川紅葉”というのはいかがだろう。

001 おりしも、この後の天気を予告するかのように、富士山をすっぽりと雲がつつんでいる。

その様子は、まるで布団を被っているように、富士山の容そのままに、、、、、、

今晩は、大雨が降るそうだが、増水した水はこのキャンバスを綺麗に拭い去ることだろう。そして、また新しい画はいつ、、、、、ひょっとしてこの次は桜の花びらだったりして、、、、、、、、、

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

冬来たりなば春遠からじ

010_2 .

「冬来たりなば 春遠からじ」とか、、、イギリスの詩を日本語訳にした言葉だが、この時期のイギリスは朝遅くまで夜が明けず、日没も早くて明るい時間は6~7時間程度になっている。

これからの冬は寒くて暗い、それだけに春を待ち望んでいる気持ちがこめられていると思うが、、、、ここ日本では、田んぼの二番穂の脇に蓮華が咲いている。

011n ポツンポツンとピンクの花が見られるところから、蒔いた種から芽生えたのではなく、春にこぼれた種が、芽を吹かせ咲き出したものであろう。

田植え前の田んぼで飛び散った種が、耕運機でかき回され、水を張った田んぼの中でほかの動植物が生を謳歌している間眠っていたものであるが、稲刈りまでの間散々踏みにじられていながら、芽吹き花を咲かせると言うのはそんじょそこらの植物ではまねの出来ないことである。

.

今日のテレビの話題は市川海老蔵の怪我でもちっきり、、、

それも、これまで海老蔵側からの話でなく現場にいた人からの話で、随分と印象が変わってきたようだ。

始めは暴走族の関係者からただ殴られたような話だったが、灰皿に酒を注いで飲めと言ったり酔っ払ったリーダーの頭を叩いたりしたそうで、そんなことをされたら自分も相手を殴りつけることぐらいはするだろうと思う。

そのあげく、自分は将来人間国宝になるくらいの人物だと言ったとか、、、、

花や茶の家元制度や歌舞伎や能に見られる権威主義的世襲制度に対して、ひごろから、一種の悪感情を持っている。

それなりの名前を名乗るにふさわしい芸域に達しているのか、外部の人に比べてどうなのか。切磋琢磨なくして、その家に生まれたため受けられる権威と言うか名跡は次第に衰退していくと思う。

梨園の御曹司とかいって、幼い頃から世間にちやほやされて未完成のまま大名跡をついでいけば、社会的な常識を持つことなく人間的に未完成のままこんな事件に遭遇する。

落語界にも落語が語れないのに大名跡を継いだ人や、国会議員にも二世 三世のお坊ちゃん議員もいるが、、、、日本人はよほどこういうのが好きなのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »