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2011年1月31日 (月)

転ぶのを待っていたが

028 .

今日は今年最大の寒波が来て気温もマイナス三度になりそうだと昨日のテレビは報じていた。

ならば、麻機の沼も久しぶりに全面結氷でもしていないかと出かけてみたが、そんなに寒くなかったと見えて岸辺よりの部分しか氷が張っていなかった。

033 それでも、自分同様に温かさに慣れた鴨たちは池の中央付近に避難していたが、背黒セキレイだけは氷が珍しかったのか、それとも氷上に餌でもあったのか氷の上を危なっかしげにチョンチョン足で飛び回っている。

時には転びそうになりながらもかろうじて羽ばたきで避けたり、スケーテイングしたりで、こけるところを写そうと身構えている自分の希望に沿ってくれない。

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「近頃の若いやつは、、、」というのは老人の繰言、何時の世にもあったそうで、エジプトの古文書にもあったというの聞いたことがある。

しかし、日本のゴルフやフイギュアースケート、そして、サッカーなどに関しては、「たいしたもんだ!」といわざるを得ない。

ゴルフに関してはやっと2~3年前までは十年二十年とプロの世界で飯を食ってきた選手がトロフイを掲げてきたが今やその選手たちの影は薄い。

また、フイギュアースケートにいたっては伊藤みどり選手の頃までは、容姿からいってもとても上位に入るのは無理と初めからあきらめていたものだが、このごろでは男女ともに上位に入らなければ、採点がおかしいのではといいかねない情勢になっている。

そして、一昨日のサッカーアジア大会での優勝選手の半分は国際大会に出たことの無い若い選手だと聞くとこれまた凄いというしかない。

その反面、スキージャンプやノルディック、また大相撲のように低迷してしまった種目もあって世の中の写り変わりは、スポーツの世界にも同じようにかげをおとしている。

スポーツの栄枯盛衰は、この先どんな風になっていくのか。

今どきの若い人に「今どきの年寄りは、無駄飯ばっかり食って」と言われないように、、、とは思っているのだが、、、、、

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2011年1月30日 (日)

西に向かって

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用宗で青空市が開かれて青物や魚介類が出てくるというので行って見たが、場所が分からずぐるぐると探し回って、ようやく海水浴場のある防波堤付近に見つけた。

自動車の数もかなり多く見えたので期待して行って見たが、なんだかフリーマーケット状態で、目的のものはほんの少しかなくてガッカリ、、、、。

多分、ここ一ヶ月に及ぶ雨知らずのため、青物を出荷する農家が少なかったのだろうと解釈した。

きょうは、風も強く海岸端で日向ぼっこというわけにも行かなかったが、太陽は燦燦として海面を照らし、海面は青いを通り越して黒く見える。

沖を通る貨物船は、重量オーバーなのか船べりの付近まで海に沈めて西に向かうが、いかにも苦しそうに波かき分けて進む。

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このまま帰るのも、とばかり、大崩海岸周りで焼津に入り東名北の福一水産という魚屋を回って帰る。

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2011年1月29日 (土)

右を向いても左を見ても

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またまた散歩中に出会った生き物を擬人化して見ていた。

水位が低くなって出来た麻機沼の堆積物の上に力関係から言って上位になる鵜がほかの鳥を寄せ付けず一番良い場所を独占し、羽根を広げて日光浴をしていた。

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002_2 .

そのさまを見て思うのは「見てみて、カラスの濡れ羽色ってのがあるけど、私のほうがもっといいでしょう。ね~よく見てよ」と周りの鴨や仲間の鵜に一張羅の羽根を見せびらかしている。

しかし、まわりの鴨たちは、羽根を広げている鵜を見張りにして頭をうずめて夜働きの疲れを癒している。また、隣の鵜にいたってはそっぽを向いて見もしない。

それでも、自己満足に浸った鵜は、羽根をたたもうともしないで右に向いたり左を見ては一生懸命呼びかけている。

そういえば、今度の国会を前にあちこちの政党に協力をお願いした民主党に置き換えてみても不思議無い光景に見えた。

映画唐獅子牡丹の主題歌にこんなのがあったっけ

右をむいても 左を見ても

馬鹿と阿呆のからみあい

、、、、  何所に国民の思いがある。 ってね

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045d 滅多に氷点下にはならないここ静岡では、北のほうから雪のかけらが飛んできても”風花”だといって騒ぎ、田んぼなどで土に含まれた水分が凍りでもしようものなら、足で踏んでパリンッと割れる音が面白いといって通学路から外れてしまう子もいる。

そんななか、一年で一番寒いというこのごろ、野だめの水槽にごく薄い氷が張っていたが、昼近くなると縁から溶けたようでぷかぷかと風を受けて揺れていた。

子供の目を逃れた氷。そっと引き上げてみると縁のほうがノコギリの歯のように規則正しくぎざぎざになっている。

こんな溶けかたをするなんてこの歳になってはじめて知った。

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2011年1月28日 (金)

目移りがして

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本日の散歩ルートは、流通センター脇の遊水地から沼上霊園~トンネルをくぐって瀬名に出て長尾川沿いにくだると言う自分にしては長距離散歩になった。

しかし、ここ一ヶ月に及ぶ雨知らずと霜のためどこまで行っても枯れ草の道が続く、、、、、、

ようやく、川沿いの道に至って水仙が土手沿いに植えられているところがあって、文字通り散歩に花を添えるといったところ。

007 水仙は水に映った自分の姿に恋焦がれて死んだナルシッソスにちなんで西洋では同じ名前で呼ばれているとか。

その水仙が、同じ高さに視線を移せば、みんなしてこちらを注目していた。

そんなにいっぱいで見てくるほど男でもないのだが、と言いながら出来るだけ綺麗に撮ろうと思うものの、、、、向こうは自分自身にほれているのであって、カメラを構えたむさい男は眼中に無いはず、、、

しか、こちらにも言わせてもらえば、ミス何とかの大会や今どきの女の子のように同じ顔ぶれが並べば目移りして焦点があい難く、わけが分からなくなる。

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2011年1月27日 (木)

恋は盲目

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今日もこの季節にしては暖かい一日になった。

久しぶりに麻機の山の農道沿いを登れば、途中から汗が出て尾根に着いたころには上の防寒着を脱いでしまった。

半袖の下着にセーター一枚、セーターの隙間から風が入って心地よくそのまま家に帰ってきたのは、下着の汗がそんなに多くなかったと言うことらしい。

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麻機の山の温州蜜柑も取入れが終わり、路肩に駐車している車はめっきりと減り、閑散とした感じの中ヒヨドリが恋啼きをはじめている。

普段は、人を見るとまるで抗議をするようなけたたましい鳴き声をあげながら飛び去っていくのに、そばに雌が居ると自分が近寄ってもお構い無し、普段では聞けない声で啼く、、。

まさに”恋は盲目”といったところ、、、それとも、「俺は人間なんか怖くないほど強い」と言うことを誇示しているのか、、、

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2011年1月26日 (水)

星屑にのって

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午後になって出かけた麻機の水面(みなも)

太陽の光が燦燦と降りそそぐ中、ひと群れの鴨が自分の気配を察して沼の中心近くに移動していく。

その鴨たちが立てる水面の波は、日の光を反射し、まるで星屑に乗ったような泳ぎ方に見えないでもなく幻想的な感じがした。

沼の西側が底土の入れ替え工事のため、鴨の飛来は少なくなっているが、鳥インフルエンザが九州から豊橋にまで及んできたと言うなかで、この沼の鳥たちはどうなのだろうか。

それとともに、鶏舎で飼われている鶏たちは、まるで大虐殺 ホロコーストのように全てが殺処分されている。

人に飼われている関係上いつかは全て殺される動物には違いないが、その鶏舎の鶏全てを殺さなければならない方法は何とかならないものだろうか。宮崎の口蹄疫で殺処分された牛の時も思ったものだった。

野生の鳥に予防注射というのは無理かもしれないが、家畜の場合そんな薬は無いのだろうか。

農家の被害は聞こえるが、牛や鳥の声は、、、、そんなことを思いながら歩き回る。

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2011年1月25日 (火)

出来立てほやほやの国宝

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今日も暖かい日になるとの予報のもと、久能山に行ってこようと思った。

海岸伝いのいちご街道もウイークデーのため比較的道路はすいていて、いちご模様のビニール袋を振り回す、おなじみの「いちご娘」は見かけない。

久能山下には公共の駐車場が無いので、300mほど離れた知り合いの家に止めて登ることにした。

012 久能山東照宮は徳川家康が駿府城で亡くなったその日のうちにここに運ばれて埋葬されたあと直ちに建てられた建築物といわれ、極彩色の社殿が今年国宝に指定されたので、出来立てほやほやの国宝と言うことになる。

その家康を葬った廟所まで、数えたのか1,200段になると言う石畳の階段を今回も登る。

この東照宮に行くには下から登る道と、日本平山頂からロープウエイで降ってくる方法があり、何度か下から登ってはいるがまだロープウエイをつかったことが無い。

二十分ほどかけてゆっくりと登れば、先年大改修の際に塗られた漆が艶々と光る社殿に着く。

024 冬桜も二本が淡い紅色で咲いていたが、梅はまだ。

日光には及ばないものの、自動車の入る道路の無い境内はポツポツと入ってくる観光客だけで静寂そのもの。

久しぶりに、拝観料を払って入った境内も、15分足らずで一巡り、以前と変わること無い散歩で終了する。

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2011年1月23日 (日)

本当は飛びたくない?

025 .

いつも散歩に向かう麻機沼はむかし捨てた塵からダイオキシンが出るので、いま土を入れ替える工事で騒然としている。

その音や作業者に慣れたのか、普段は池の真ん中にいて人を見ると集団で逃げ回って何時バンがすぐそばの草地に上がってきて餌を啄ばんでいる。

口ばしの上が白いほか全身真っ黒、そして、体つきが丸っこい感じのこの鳥、静岡では十一月過ぎにやってくる冬鳥である。

015 この鳥は、空を飛ぶことはもちろん、水の上を泳ぎ、水草の上を大きな足で歩くうえ、水中に潜るなど五種競技の選手のように水鳥の万能選手と言ったところがある。

人間は、むかしから鳥を見て、空を飛び水に潜ることに憧れてきた。

さまざまな機械を作って来たが、音がやかましく急旋回できないなど、なかなかバンのようにはなれないでいる。

しかし、バンを初め鳥にとって空を飛び水に潜ると言うことは、その他のことを犠牲にして成り立っており、本来なら人間のように陸上にだけ居たいのではないかと思う。

その証拠としては、沖縄のヤンバルクイナやニュージランドのキウイのように天敵が居なければ、空を飛ぶことを捨てて、地上で美味しい食べ物をとって、丸々と太る道を選んでいることからも分かる。

「鳥類はどんなに躾けても糞だけはどうしようも出来ない」と聞いたことがあるが、それは、体重を重くしないため、骨密度をさげ、食べ物が体内にとどままらせないためだという。

人間で言えば、太った体型ではモデルが出来ないのと同じである。

満腹で動くのも嫌になるほど食べたいだろうな、と思うと鳥の苦労が分かり、人間でよかったと思うこのごろである。

これは「どうせ飛べない人」の言うこと

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2011年1月22日 (土)

天まであがれ

008 .

「朝霧アリーナーで凧揚げがあるよ!」って聞いたので出かけることにした。

雄大な富士を背景にいろんな凧をあげる催しで、浜松などの町内会が競ってあげる喧嘩凧でなしに、おのおの個人が自由に上げるものだという。

空が澄み静岡からも綺麗に富士の姿が見られたので、朝になって出かけることにした。

場所は、139号を山梨県側に向かい「もちや」の先で右に折れた先にだと聞いて朝八時に家を出る。

少し早いので、途中岩本山公園の梅を見、その後に向かう。

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岩本山公園の梅は毎年のように行っているが、今年のように天気が良かったのは久しぶりだった。

梅の花はまだ一部でしか咲いていないが、裾にたなびく雲と紅梅のとりえは絶妙で、よい目の保養をさせてもらった。

梅の枝を剪定していた人の聞いてみたところ、早く咲くものから遅いものまでいろいろ種類はあるが、最盛期までまだ十日はあるだろうとのこと、こちらにしてみれば人でごった返した花見よりこの方が良かったと喜んでみる。

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034 .竜のように舞い上がる連凧

さて、朝霧アリーナに着いて見るとすでに第一駐車場は満車で順次奥にある駐車場に指定されているところであった。

「第10回 たこたこあがれ in朝霧」の会場は5万平方㍍の芝生のゆるい斜面で始められていて、何所の会場でも行うえらい人の挨拶も済んだのか太鼓の音が鳴り響いていた。

その会場の中、いろんな人が何の規則も制御もないようで勝手にたこを上げ始めていた。

028036 和風の凧は少数派で、ビニール製のカイトや連凧のほか何という名前か知らない凧が、、、、、、、、

ラッパを吹いて揃いのはっぴを着、隊列を組み見物だけの人はそこのけそこのけと言う凧揚げに比べれば、自分はこんなのの方が好きである。

043 しかし、富士山が綺麗に見え、ポカポカとした陽気は見て歩くものにとっては気持ちのよい天候だが、凧を上げるほうにとってはまことに不都合な天候であり、招待されてるらしい愛知県や長野から来た大凧を上げる会はかなり苦労していた。

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2011年1月21日 (金)

木の葉が落ちて

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ゆりのき葉が落ちた高い木の梢にユリの木の実が花のように残っていた。

006 色は枯葉色で地味な種だが、ユリの花のように開いた花びら状の鞘の真ん中からツンと突き出している格好が面白い。

そのままの形で、下に落ちているものが無いかと探してみるが、バラバラに分解されて落ちてくるようで下には原形をとどめているものは無い。

この実の形からユリノキと名付けれたのかと思っていたら、やんごとなき方が花を見て名付けたのだと聞くと意外であった。

花は、外国ではチューリップリリーと言うそうだからそれを直訳すればよかったと思うがやんごとなき方が言われれば否定するわけには行かなかったのだろう。

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今日は、バイパス脇の階段を上り初日の出を拝んだ原っぱまで登った。

この斜面の途中で畑をたがやし、いつも農産物を土産にもらう知り合いを尋ねて、、、、そこでの話し。

自分は、海老に限らず魚はほとんど綺麗に食べるほうだが、周りが嫌がる。

落語に出てくる殿様は、少し箸をつけただけで、お膳を下げるそうだが、育ちが下品なせいか、いわしや鮎はもちろんアジの開きなどでも頭から綺麗に食べ、皿に何にもなくするのが礼儀だと思ってそだった。

また、コリッコリッに上がった海老天の尻尾は歯ざわりも香りもよく、格別な食べ物と思い人のものまで食べたいくらいだが、下品だからやめろと言われる。

だから、自分流の評価では、海老天の尻尾がまずい店は論外で、美味い店に当たったときはミシュラン流に三ツ星を上げてもよいくらいに思う。

彼も、海老天の尻尾は食べるといい。その意見に同感する。そして、シジミの味噌汁はきちんと中味を食べ、いまの人のように面倒くさがらない。

この人、根っからの静岡っ子であるが、歳は自分より二つ下で食べるもの無い時代に育ってきただけに話が合う。

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2011年1月20日 (木)

奇すしきひかりよ

003m .

明け方になって小用のためトイレに行く。外が妙に明るいので窓を開けてみれば雲ひとつない空に満月がバイパスの街路灯にまぎれるようにして輝いている。

しかし、光の輝きが違い白っぽい色合いは地上を満遍なく照らし、まさに唱歌の冬の星座を思わせる光景が広がっている。

木枯らし途絶えて 冴ゆるそらより

地上にふりしく 奇すしきひかりよ

、、、、、、、、、、、、、、

その後、まだ夜明けには時間があると布団に潜り込んだが、冷たい夜気がパジャマにしっとりと粘りついていて、布団は一気に冷え込む、、、眠れないまま起きたと思ったが実際のところ時計は二時間ぐらいたっていたので眠っていたのだろう。

今日は大寒。一年で一番寒い時期だとテレビは一つ覚えのように繰り返し言う。

しかし、散歩で行き違う人は静岡流に「今日はいいですね」と挨拶される。こちらも「風が無いからね」と答えてすれ違う。

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巴川では、草食系の鴨に混じって肉食系の鷺が小魚を追って飛び回る。

それを岸辺からしばし眺める、おだやかな日よりは「いいですね~」

午前の気温は、日のあたるところで5度ほどと思うが、連日の寒波で身体が慣れてきたためもあるのだろう。ぐるりと一巡りしてきた頃には下着が汗でぬれていた。

北国では、今日も雪と格闘しているようだが、そのお陰と言うか関東東海地方は連日のカラカラ天気がつづき、日本も外国並みの雨季と乾季しかない国になってしまったような気がする。

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2011年1月19日 (水)

今年の啼き初め?

007 .

イソヒヨドリが恋を始めたようで、電線の上から小さな声で啼きだした。

背中の部分が青みがかった灰色なのに対して腹のほうが明るい茶色とダンデイな着こなしで飛び回っている。

昨年の春以来、恋の囀りをしていなかったので試し啼きなのか、昨年生まれたのが成鳥して始めて啼く練習を始めたのか分からないが、まだ下手である。

この鳥はヒヨドリと言う名がついているが、ヒヨドリの仲間でなくツグミに近い種類だと言う。道理で啼き方も随分違い、大抵は単独行動でいることが多い。

写真を取っていたら、通りがかりの人から「綺麗な鳥だけど、、」と聞かれて「イソヒヨドリ」と答えたが、聞いたほうはヒヨドリと受け取ったようで不審そうな顔をして去っていった。

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2011年1月18日 (火)

奥歯に別れを

002 .

これだけ寒さが続くと野生の花はかなり数を減らしてきて、散歩の途中に見かけることが少なくなってくる。

そんな中で独り舞台みたいに花を咲かせているのが、ホトケノザの紫色。その陰でタネツケソウを見かけたので写真にして見た。

タネツケソウ、籾をふやかすため水につけるころに咲き出すと言うので種漬草とつけられた名前だと聞いたことがあるが、農業のやり方もむかしとかなり変わってきた現在、タネツケソウも変わってきたのか、こんなに寒いうちから花を咲かせるようになってきたのだろうか。

差し渡し、3mmほどの小さな花をかためて咲かせることでようやくその存在が分かる程度の小さな花だが、よく見ると四枚の花びらを十字形に開いているさまはアブラナ科の花の特徴をすべて備えている。

この目立たない花にこんな名前がつけられたのも、田んぼに畦などを生息場所にしているためだろう。

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今日は、歯医者に行き奥歯を一本引っこ抜いてきた。

かなり前から、ぐらついてはいた。根元が歯茎から浮き上がり、そこの炎症がなかなか治らない、どころか、ほかの歯茎に悪い影響を与えているのでと言う説得に応じて、、、

ほとんどが歯茎から離れていたので、あっけないと思うほど簡単に抜かれてしまった。

その歯を見て「長い間よく持ってくれたものだ」とつぶやいたところ、医者のほうでは駄目になったので抜いたほうがよいと説得を始めてからの時間と取ったような相槌を打つ。

こちらとしては、永久歯になってから六十年くらいの付き合いがある歯の積りで抜かれた歯に手を合わせたいような気分だった。

サメの歯は駄目になると次々と生え変わると言うが、人間はどうしてこういう機能を失ってしまったのだろう。

今の心境は、#あの人は行っていってしまった  もう帰らない、、、と言ったところ

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2011年1月17日 (月)

鼻が詰まってカラッカラ

019  .昨年十二月岐阜県内で

日本海に面した地方に降っていた雪が、今日は伊吹山を越え岐阜や名古屋にまで下りてきたそうだ。寒のきわまりといったところか。

そのため、各地で交通網が乱れているようだが、普段降らないところほど影響が大きいのは雪慣れしていないためで、滑って転ぶさまは当人は別にして、、、、

ただこの寒波も静岡市内にまで雪を降らせるだけの力が無いようで、年末からこっち雨も降らない天気が続き、庭先もカラッカラといったところ、、

昨夜も、鼻が詰まってたらしく口で息をしていたらしく、咽喉が痛くなって眼が覚め、うがいをするために寝床から起きてしまった。

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009_2 「雪国では雪の多い歳はカマキリの巣の位置が高い」と聞いたことがある。昆虫にそんな予知能力があるのだろうかと疑問に思っていた。

そのとおりだとすると、滅多に雪が積もらない静岡ではどうなのだろうか。秋遅くまで庭の隅にいたカマキリは低い草むらに定住していたが、いま何所を探しても姿はもとより卵も何所にあるのか分からない。

そして、麻機で見かけた卵は自分の背より高いところにあるとなると、、、、、

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2011年1月16日 (日)

大さむ小さむ山から猿が降りてきた

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大さむ小さむ 山から小僧が降りてきた、、、、、とばかりに、茶畑に猿が降りて来ていた。

「あっちにもいる」 「こっちにも、、」数えれば七匹以上の猿が茶畑のあちこちから顔を出していた。

011  どの猿も結構大きな図体をしている成獣ばかりのようだが、相当寒いらしく、震えているのがその格好から見て取れる。

これだけの集団になれば小猿がいても不思議ない。親猿だけで餌を探しの出稼ぎに来ているとは見られないところから、小猿は茂みの中に隠れているのか。それとも、寒さをしのいでいるのかもしれない。

いずれにしろ、昨年三島当たりで暴れまわった咬みつき猿と違って、人なれしていないらしく道からかなり離れた岩の上にいる。

こちらの気配はとっくのとんまに知られているようなので、車外に出られず窓越しの写真のため焦点は甘い。

今日は、風は強いが天気もよかったので西のほう、掛川か袋井のほうに出かけて見ようとバイパスに乗ったものの日曜なのに安倍川から渋滞が続き車が進まない。

事故渋滞ならにっちもさっちも行かなくなるとばかり、端を渡りきったところでバイパスを降り、安倍川右岸沿いに上流に向かうことにした。

いつもの有東木の蕎麦にしようかと山に上がる。空には次第に雲が多くなるものの雪雲ではない。

014 蕎麦を食べ終えて、降りかかったところで岩の上に二匹の猿が寄り添っているのを見つけたのがきっかけだった。

強い風が時折白い雪片を交えて背中に吹きつけ、長くなった冬毛を吹き分けている。

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2011年1月15日 (土)

蔓紫は野菜

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蔓紫。東南アジアから入った野菜だと言う。

数年前から見ていたのだが、名前が分からなくて今日になった。ビタミンなどミネラルが多くて一時期あちこちで出回ったそうだが、そのとき見る機会がなくて知らずに過ごした。

東南アジアが原産地と言うだけあって、最近の寒さには耐え切れなかったのか表面が枯れたりしなびてしまっていたが、どっこいとばかりその下では桃色の花を付けている。

この花、名前の知らないときから何度も見ているが、蕾状のままらしく開いたところは、インターネットでも写っていない。それなのに次に行ってみたときには黒い実になっているどんな仕組みなのだろう。

サラダにして食べると言うことだから生食でも良いだろうと、葉っぱをつまんで食べてみたが、少々ぬるぬる感がありあまり美味いとは思わなかった。

この食感が定着しなかった理由なのだろうか。これが生えている場所も畠の隅の土手になったところで雑草を押しつぶすように繁殖していた。

いわゆる、ほったらかし状態。それでも絶えないと言うことは案外しぶとくて、、、、

外来種の草として繁茂するかもしれない。

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028 .

浅間神社で奉射祭大的式があると聞いて散歩を兼ねて出かけてみた。

午前十時半ころ、神主を先頭に行列が本殿を出てきて、大きな的のある駐車場にはいる。

この行列の後よりに直垂姿の射手六人が烏帽子と木履姿に、弓矢を持ってしたがい席につく。

直径五尺ほどの的から三十三間離れた位置に、六人が進み出て二本づつ交互に的を射るのだがその所作が興味深かった。

最初に射た人は、年齢も六十代と思われたが長年の弓達者なのか、小柄な身体ながら肩衣を脱いだ腕の筋肉は隆々としており、うらやましいものを感じる。

025 結局のところ、十二射中何射が的を射たのか知らないが、「当たりにて候」と言う声は遠くて聞き分けにくかった。

いずれにしろ、今年は五穀豊穣で平穏に暮らせるような卦が出ることを祈るばかり。

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2011年1月14日 (金)

モドキのモドキは

006 .

ツルウメモドキ、ここしばらくの乾燥と寒気のためか幾分しなびては来ているが、明るい太陽の下その赤い実を強調している。

年末までは、ほかの実に比べて魅力が薄かったためか、野鳥にも食い荒らされず、、、、、枝ぶりが良くなかったせいか正月用の花にもされず残ってきた実だが、さすがにこの季節になると容色の衰えはいかんともしがたい。

梅に良く似ているからとしてウメモドキという木があるが、それに似ている蔓性の植物ということからつけられた名前だという。

モドキのモドキは元の梅から随分と外れてしまって、比べると何処が梅なの?と言う状態となる。

つまり、従兄妹の従兄妹は他人であると言うようなものであろう。

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「いち~ に~ さん~ し~、、、、、、く~ じゅう~ 上がっていい!」汗まみれになった孫が風呂から出たたのはいつの頃だったか。

三歳の頃だったように思う。幼児が数を覚えかけた頃、最後に十まで数えたら上がってよいと言って肩まで沈めて、その甲高い声を楽しんだものだった。

その頃までは、こちらも風呂で長湯をすれば汗をかいたものだったが、最近はかかなくなった。風呂の温度を低くしたためばかりではないようだ。

先日もテレビで、「歳を取ると感覚が鈍くなり暖房器具で低温火傷を起こすお年寄りが増えています」とやっていたし、自分はいままで寒さに強いと思って、ズボン下を履いたことがなかったが、日の出の写真を取りに行ったら”寒冷蕁麻疹”が出てきたのも感覚が鈍って来た証拠なのだろうか。

そういえば、むかし、共同浴場しかなかった頃、先客が年寄りだと、とても入れないほどの熱い湯にして、若い者が浴槽の縁でうろうろしているのを「ムフフフ、、」と笑っていたのを思い出した。

老いは気づかれないように、気付かれないようにと近寄ってくる。何時までも若いままでいたいという心が現実から目を背けさせるのか、たまたま鉄棒にぶらさがったり、孫と腕相撲などしたときに愕然と思い知らされる。

老い支度という言葉を聞いたことがあるが、いよいよ、我が身のこととしなければならないのか。

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2011年1月13日 (木)

こじあけて蜜を吸う

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一匹のミツバチがまだ開ききっていないタンポポの花をこじ開けるかのように何度も飛び上がってはつかまるという動作をくり返していた。

こんな花にも蜜はあるのだろうか。果物は熟さないと甘くならないけれど、花だって満開でなければ蜜を分泌しないのではないだろうか。

009 しかし、蜜蜂の後足には、何所でつけてきたのか花粉もついている。

寒中で花の少ないいま、普通なら巣の中で秋に集めた蜜で過ごしているか、養蜂家が入れてくれた砂糖水などでじっと我慢をしているはずなのだが、、、、、

少し暖かくなった陽気に誘われたか、、、餌不足を女王蜂にとがめられて「蜜を集めていらっしゃい」と巣を追い出されたか。

後者だとすると、マッチ売りの少女のように何が何でも蜜を手に入れないと巣に戻れない状況なのだろう。

お昼近く、空には雲もなく、気温も10度を越したポカポカ(?)とした陽気なので悲惨さは感じないが、蜂が何度もトライしているのを見ていると悲愴感が伝わってくるのはあまりにも擬人化のしすぎだろうか。

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本当は正月前に床屋へ行ってくる積りだったのだが今日になってしまった。

わけは、長野での葬式で普段刈り上げのうなじをしているので、刈り上げた頭では寒すぎて風邪でも引かないかと言うのがあったから、、、、、

とにかく一段落がつくと、長くなって首筋にとどいた髪の毛がウザッタくて使用がなくなり行って来た次第。

予想は当たって、いま首筋がすうすうとしてうそ寒く、普段したことの無いマフラーをしている。

慣れるまで幾日かかるのか、それとも風邪っ?

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2011年1月12日 (水)

田の神様に

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一月も中旬にはいり田んぼの農作業仕事始めに入った模様で耕運機が田起しを始めた。

長野へ行く前にはなかった田の神様への神事も行われたようで、あちこちの田んぼには御幣が立てられている。

こちらでは、いつもどんな風にするのかと興味は持っているのだが、まだ、一度も行き会っていない。また、同じ地域なのに祭り方が少しづつ違うのも面白いと思う。

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いずれにしろ、8,9,10の三が日の間に行われる行事なので鬼が笑うかもしれないが来年の楽しみにしたいものだ。

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2011年1月10日 (月)

厚い外套を脱ごうと

012 .

寒に入ったばかりと言うに辛夷の花が厚い外套を脱ごうとしている。

寒さの厳しい北国と違って、滅多にマイナス気温にはならない土地柄のせいだろうか。

いくら春に先駆けて咲く花とはいえ、まだ花粉を運ぶ虫たちは冬眠しているはずなのだが、、、、、、

とにかく、少しでも早く花を開かせ春を呼び寄せようとしているかのように見えて、、、ガンバレ ガンバレと声援をおくりたい。

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最近の暦では一月の第二月曜日が成人の日だというに、振袖の女の子(?)を見かけなかったと思ったら、こちらでは一月三日、すでに済ませてしまっていたらしい。

成人の日は、昭和23年にようやく制定された新しい祝日で、江戸時代まで一月十五日の小正月に元服式を行ったことからこの日を「成人の日」と制定したそうだが、平成11年になって今のように毎年日付が変更するようになった。

それにしても、静岡市が一月三日に行ったのは驚きである。

よく田舎の人口の少ないところや、中学高校を卒業すると外に働きに出て若い人が正月や盆でないと帰省しないところでは、日にちを変更してやっていたとは聞いていたのだが、、、、

となると、静岡市は偉大なる片田舎と言うことになるのだろうか。

ともあれ、華やかな振袖の衣装で春を呼ぶ風景を見ることが出来なかった。

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2011年1月 9日 (日)

牛鹿の狐

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東信濃の立科町に牛鹿という地名がある。

地名のいわれは自分の聞く限りでは知っている人がいないし、読みかたも「ウシロク」といい、漢字からだけでは”ギュウロク”もしくは”ウシシカ”なのであろうが、ウシロクでは重箱読みになる。

多分何かの当て字になるのだろうかと余所者は勝手に考えている。

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朝起きてみると幾分咽喉がいがらっぽい。昨日の人ごみで風邪でも拾ったのだろうかと、砂糖湯を作って飲んでみるといがらっぽさが消え、すこし散歩に出かけてみようかという気になってしまった。

裏の山の一部を昨年伐採し、そのあとに植林を始めた場所が展望に良いと見て登りだした。

前日に比べると雲も多く、浅間も山頂付近はみえない。暗っぽい空は気分的には寒さを感じるが気温はマイナスにはなっていない様子だった。

高台からの景色はいまひとつで期待は外れたが、すぐ下の谷筋を一匹の獣が通りかかる。

038 太い尻尾からして、放し飼いの犬ではなく、狐のようだ。

向こうはこっちに気付かず足早に移動する。距離は30mほど野生の動物特有の一直線に急ぎ足で去っていった。

「牛鹿の狐」なんだか動物尽くめで”三題話し”にならんか知らんとと考えたが、良い落ちが無い。

それよりも、騙されないだけましか、、、、、

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天気予報は今日明日のうちに悪化すると言う。

雪の野辺山や和田峠は日陰が難所。天気の良いうちに静岡に戻ることにした。

午後一時過ぎ、清水の戻れば気温は17℃。長野で厚着をしていた身にはかなり暑く感じ、自動車の窓を開けて家に戻った。

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2011年1月 8日 (土)

蒲の穂を染めて

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やはり信州の夜明けは寒い。

三十数年の静岡暮らしで身体が順応したのか、歳を取ったためか、、、

用意してきたズボン下と長袖のシャツを数年ぶり、いやもっと前だったろうか、そんなことはどうでもよいがカバンの底から出して厚着をした。

東の空は明るくなり日の出が間近いことをしらせ、浅間から菅平のかけての山すそは白い霧が藻裾を引くようにまといつかせている。

この様子だと、小諸から上田にかけての千曲川沿いの街々は雲の下になっているのだろう。

防寒具の襟を立て、フードをかぶって外に出れば、冷たい風がどこか潜り込むところが無いかと探るように襟元をなでる。

七時少し前になって、浅間山頂の噴煙(雲?)が染まりだし、南東の空が燃える。

少しして、登りだした朝日は少し砕けた蒲の穂を燃え上がらせるかのように真っ赤に染め、幻想的風景をかもしだす。

018m

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同じ葬儀でも、宗派の違い、その地 土地の違いでやり方が随分と違い、余所者の自分は何も分からないので口出しもせず、さながら重鎮を装って、世話役の指示に従ってあちらに座り此方に座りと意のままに場所を変える要領も身につけてきた。

白さを増した髪の毛同様に、枯れ木も山の賑わいと言ったところか、、、

八時に朝の勤行と言ってお坊さんが来てから一連の葬儀は断続的に夜の九時までかかったが付き合いきれす、午後五時のお斎が済んだ時点でダウンしてご無礼をさせてもらった。

人が死ぬと言うことはこんなにも大変なことなのだ。自分の場合は、、、、なにかに書いておかなければならないのだろうか、「その土地に風習です」と言われれば遺族のものにとっては無碍にも出来ないし、、、

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2011年1月 7日 (金)

マイナス10度の世界

025m .ウインドーの塵を中心にして広がる氷の結晶、朝型には全てが繋がって一面真っ白になる

長野へ出かける前にインターネットで最大の難所と思っている野辺山の天気を調べたところ、あさがたの最低気温がマイナス16度と出ていたので、一番暖かくなると思われる時間帯に通ることにした。

しかし、十一時過ぎ、標高1,400m近くの最高点に到達した時、温度計を見たらマイナス10度であり、予想より5度ほど低くでていた。

そんな中でも塩化カルシュームを撒いているらしく、水気のある部分では前のトラックが跳ね上げる飛沫がフロントガラスにかかり視界が気になる。

ウオッシャー液で前面ガラスを拭くと、右側によった泥水が一瞬にして凍り、薄茶色の柱が出来、再度動かしたところ、ウオッシャー液が凍ったらしく水が出ない。

気温マイナス10度に加え、風を切って走るフロントの表面温度はどのくらいだろうか。

「しまった!、昨日、自動車屋に行ったときチェーンは用意したのだけど、寒冷地用のウオッシャー液まで気が回らなかったわい」

といっても、後の祭り。このトラックのあとをついて走れば、終いには前方が見えなくなってしまうと、思い切って追い越した。

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Img_0017 幸いにして以後は順調に進み、お通夜の合間に眠気を取ろうと外に出れば瞬く星の数は静岡とは桁違いに多いものの、子供ころ見た星、アンデス山中で見た星のには遠く及ばない。

文明とは、こんな所にも影響を及ぼしているものだとおもいながら、首を後ろにそらしているとブルルルッと震えが背中を走り、いそいで戻る。

自動車のガラスには細かい塵を中心にして氷の結晶が発達を初め、星のような文様を見せていたが、朝がたには前面結氷し一面真っ白に凍り付いていた。

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2011年1月 6日 (木)

春の野に出て芹を摘む

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君がため 春の野に出でて 若菜つむ

   わが衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇

明日の七草粥の材料にと芹を採りに前から目に付けておいた場所に出かけた。

びっしりと生い茂った小川の縁から一株引き抜いては見たが、歌の文句と違って明るい太陽が燦燦と降りそそぐ中での若菜摘みは情緒が無い。

しかし、自生の芹は強葉化しているものの香りも高く、茎のほうまで入れるわけではこれでよしとする。

そして、七草とはいえ、ナズナやホトケノザは初めから入れる気がないので、目にはするものの採る気がしない。

それでも、ほかのスズナ(かぶら)とスズシロ(大根)を加えた三種でおかゆにしょうとおもう。

一日二日は、食べ過ぎた気配があったが、さすが年を取ってからは無茶食いもしなくなり、胃腸を休める必要もないから、こんなとこでしょう。とのこと

七つ 七草 唐土の鳥が日本の土地に渡らぬうちに、、、というが、麻機の沼には例年に比べて渡り鳥が少ないように見える。

各地で鳥インフルエンザに感染した鳥がいるとかで、死んだ鳥には触らぬようにとの注意も出ている。つまり、「触らぬ鳥に祟りなし」と言ったところか、、、

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そんなことを思っていたら連れ合いの叔母さんが昨年末から生命維持装置で闘病していたが対に力尽き98歳で亡くなった。と言う連絡が入る。

おりからの小寒。寒の入りは一年で一番寒い季節であり、それが堪えたか、それにしてもこれから立科町に行くには何所を通っても1,000m以上の峠を越えていかねばならない。

明日、気温が上がってから1,300余mの野辺山越えをするつもり、念のため車のチェーンを買って来るなどの支度をしている。

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2011年1月 5日 (水)

麻機沼の夜明け

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今日は朝早く眼が覚めてしまったので早朝散歩に出かけた。

朝シャンプーをすることを朝シャンと言うらしいから、今朝などはさしづめ朝散と言ったところかななんて思いながら、防寒仕様で霜降る道を歩く。

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目的は麻機沼から朝日を見ること、、、、そんなことを思いながら歩けば、太陽はまだ海の彼方にあるにもかかわらず上空を飛ぶ飛行機はすでに朝日を浴びているらしく、赤みを帯びた空に光り輝く機体が黄金色の飛行機雲を引っ張って飛ぶ、、、、

七時少し前、竜爪山を暗い紫色に染め、いつもの散歩道がある麻機の山を染めて日本平の上から太陽が出てくる。

沼の水面は風も無く鏡のように水面に光の道を一直線に伸ばす、、、、沼の水鳥も一斉に鳴きやみ、、、、何回見ても荘厳

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376_2 今年のヒット曲に「トイレの神様」と言う歌があり、トイレには綺麗な女神様がいて、トイレを磨くと別嬪さんになれるとバァちゃん言った。という趣旨の歌を歌っていた。

この、おばあちゃんはどこでそんな話を仕入れたのか知らないが、自分たちは子供のときから、便所にはウスサマという明王様がいて、毎年お寺からおっかない姿の絵を、立春大吉などと書いた紙とともにもらってきて、立春大吉や歳神様は玄関にウスサマはトイレに飾った。

同じ仏さまなのに飾る場所が随分違うな、と言う感じとともにかなりおっかない絵だったので夜は怖い思いをしたものだった。

ウスサマは、後年「烏枢沙摩明王」と言う明王で、人間と仏界の間にあって人間の煩悩が仏界に及ばないように焼き尽くすのが仕事であり、大日如来の化身でもあると聞いているが、人間界にあっては便所を清めると言うこともしてくれる仏様でもある。

便所はそのむかし、怨霊や悪魔の出入り口で不潔にすると怨霊や悪魔に取り付かれ病気になる、と考えられてきたことから炎によって焼き尽くしてくれる。として信仰の対象になった。

高校卒業するまで学校の便所掃除は交代性ながらずっと続けてきたが、そんな綺麗な神様の話は聞いたことも見たこともなかったが、今現在こうしていられるのは、ウスサマのお陰だろうか。    それとも、、、、女神様が

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2011年1月 4日 (火)

花言葉は慈愛

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梅と競うかのようにしてロウバイが咲きだした。

艶々とした薄い黄色な花は一見蝋細工にも見えることから名付けられたことは一目で分かる。

普通ロウバイといえば、黄色い花びらの中心が薄紫になっているものを指し、花全体が黄色いものをソシンロウバイというそうだ。

ということで、写真の花は素心蝋梅とまるで坊さんのような名前がつけられていて、花言葉も仏さまのように「慈愛」とくれば、有りがたい花である。

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002 三が日も済んで世の中もふたたび動き始めたと言う感じがする中で、テレビもお笑い一色のバカ番組からニュースが入り始めた。

そうしたなか、今年の福袋商戦を解説した番組があったが、売れ行きは総じて良かったそうだ。

自分としては、下着は別にして上着やコートなどと言うものは袖を通して見なければ買うものではないと言うことを長年の経験から知っている。

品物を吟味して買ったものでも、家に持って帰るとサイズに違和感があったり、色合いがいまひとつしっくりこなくてたんすの肥やしになっているもののおおいこと、、、、、インターネットやカタログではどんなことになるか分からない。

しかし、テレビを見ていると、東京のデパートなどの福袋を目がけて徹夜で並ぶ人まで出る騒ぎだったらしい。

この点でも行列嫌いの自分には到底理解が出来ない行動だが、我先に取り上げて買った品物を開けて交換する風景も映し出されていて、これが当たり前のこと聞けば、自分はかなり社会常識から外れたところに行ってしまったようだ。

この不景気と言われる時代に、五万円以上のお金をもって福袋買いに走り回る、、、、、それも何が欲しいと言う目的もなく、ただ、お買い得と言うだけで、必要でもない品物を、無駄買いしたことになる、、、

日本国的には、市中で年越しした現金が82兆円になると日銀が発表していたので、そのお金が回ることの一助になったかもしれないが、、、、、、、、、、、、(いまに罰が当たるど)

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2011年1月 2日 (日)

文字通りの”迎春”

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元日の日の出を見た後、毎年行っている浅間神社まで歩いて向かう。

距離は三km程になるが、去年のお札なども下げて、途中で出会った親子連れと前後ろのなりながらボツボツと歩いて行った。

境内は思ったより人出もなく、お参りをしたあと歩いた浅間通りも店が開いてなくて閑散とした雰囲気がただよっていた。

真夜中の頃はどうだったのだろうか、、、、、、

Img_0096 市民病院脇の道から駿府公園をまわれば、早咲きの梅がちらほらと咲いている木もあり、穏やかな日差しとともにここは文字通りの”迎春”。

それではと、いつも早咲きの桜が咲く一角に行って見ると、此方も僅かだがちらほらと咲きだしてはいるものの、今朝がたの霜にあってかなんとなくいじけたような咲き方をしていた。

夕方になって、孫が勢ぞろい。婿がたの家で「散々よばれてきたので腹がくちくて」といいながらも、もう一組が「腹が減ってたまらない」と入ってくればつられ食い、、。

お年玉の交換では、今年、就職した一番上も配るほうに回ってくれて、じいじは嬉しさで、目じりが下がり、よせばよいのにうれし酒の酔いも手伝って「腕相撲をしよう」なんていきむ。    結果はまぁまぁとしておこう

九時過ぎ、みんなが一斉に帰った途端、しんと静かになった家で、連れ合いの「これで正月もすんだ」という言葉を聞いて此方もどっと疲れが出た。

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開けて二日、今日も穏やかに晴れたが、散歩に出ただけで一日中ごろごろとテレビ鑑賞ですごす。

夜になっての報道で、はやくもUターンラッシュが始まっていると放送し、東名が長くて赤い蛇のような筋を写していた。

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2011年1月 1日 (土)

あけまして おめでとうございます

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あけまして

    おめでとうございます

おだやかに初日の出を迎えることができました

黄金色の雲が彩を添えて なんだか今年は良いことがありそうな感じさえします

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