蒲の穂を染めて
やはり信州の夜明けは寒い。
三十数年の静岡暮らしで身体が順応したのか、歳を取ったためか、、、
用意してきたズボン下と長袖のシャツを数年ぶり、いやもっと前だったろうか、そんなことはどうでもよいがカバンの底から出して厚着をした。
東の空は明るくなり日の出が間近いことをしらせ、浅間から菅平のかけての山すそは白い霧が藻裾を引くようにまといつかせている。
この様子だと、小諸から上田にかけての千曲川沿いの街々は雲の下になっているのだろう。
防寒具の襟を立て、フードをかぶって外に出れば、冷たい風がどこか潜り込むところが無いかと探るように襟元をなでる。
七時少し前になって、浅間山頂の噴煙(雲?)が染まりだし、南東の空が燃える。
少しして、登りだした朝日は少し砕けた蒲の穂を燃え上がらせるかのように真っ赤に染め、幻想的風景をかもしだす。
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同じ葬儀でも、宗派の違い、その地 土地の違いでやり方が随分と違い、余所者の自分は何も分からないので口出しもせず、さながら重鎮を装って、世話役の指示に従ってあちらに座り此方に座りと意のままに場所を変える要領も身につけてきた。
白さを増した髪の毛同様に、枯れ木も山の賑わいと言ったところか、、、
八時に朝の勤行と言ってお坊さんが来てから一連の葬儀は断続的に夜の九時までかかったが付き合いきれす、午後五時のお斎が済んだ時点でダウンしてご無礼をさせてもらった。
人が死ぬと言うことはこんなにも大変なことなのだ。自分の場合は、、、、なにかに書いておかなければならないのだろうか、「その土地に風習です」と言われれば遺族のものにとっては無碍にも出来ないし、、、
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