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2011年3月31日 (木)

これも ど根性

024 .

ひとっころ道路際のアスファルトの割れ目などから植物が芽を出し花を咲かせると”ど根性○○”だ、なんて新聞に載ったものだが、このスミレもそのうちの一つ。

ただアスファルトの割れ目から芽を出し花を咲かせているのではなく、根付いた位置が通学路の歩道側に咲いていたからである。

毎日、小学校の子供が通る道ならば、何度も踏まれているはずであり、そのためか花の位置がぐっと低く、花も5mm前後と小さい。

植物は足が無いので、種が落ちたところで芽を出すしかない。場所が嫌いでも花を咲かせ次世代をうけつぐ実を作るしかない。

いまの人のように、やりたい仕事が見つかるまでなんて悠長なことを言わず、与えられた場所で精一杯の努力をし、失敗すれば当然、、、、

スミレの花言葉の一つに、「小さな幸せ」と言うのがるが、何時踏みにじられて実の結実を見なくなるかもしれない、こんな場所でも小さな幸せが来ることを信じて花を咲かせるのを見ていると、生活環境に愚痴をこぼさなかった先人を見る思いがする。

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2011年3月30日 (水)

円の不思議

018 .

022v さくらの種類は数限りなくあるので、染井吉野以外名札でも下がっていない限り正確な名前はわからない。

この桜も同様だが、山の際に沈もうとしている太陽の光。

残照というにはまだ早いが、力を失いつつある太陽の光は赤味が強い。その光を浴びて、ピンクの花びらは更に染まっていく。

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福島の原発もいよいよ末期的症状を示してきているようだ。

20km圏内は待避、30km圏内は、、、、と言われて久しい。ここから娘を頼って都内の施設に入ろうとしたら、証明書がなければ、、と断られた。と新聞に載っていた。また、この圏内へは静岡と群馬から派遣された救急車が出動を断ったとも書いてあるのを以前に見た。

なんだか、原発過敏症になっているのだろうか。十年ほど前に広島の被爆者と話したとき、自分が悪いわけでもないのに、いろいろと差別されてきたと言っていたが、今回も同様なことが起きつつあるようだ。

政府が、念のため待避圏を定めた場所で人が住んでいる場所。さらにその先で東京消防庁や自衛隊を含めて原発の近くで作業している人もいるのに、、、

浜岡で同様の事故が起きたとしたら、、、、一寸怖いね

そのことをさておいて、台風のときなどにも以前から疑問に思っているのだが、地図の上にコンパスでぐるっと円を書いてこの範囲は暴風雨ですとか、この円内は危険です。とか言うのはどうなんだろう。

台風の場合を見ても、日本に来る頃には丸い円ではなく細長い楕円であるのは、衛星や雨雲レーダーの写真を見れば一目瞭然だし、今回東京の水道水から放射能の影響が出て、子持ちの女性を中心にパニックを起こさせたことからも分かるように被害は円ではなく、風の影響で大きく違うことが気象庁では分らないはずは無い。

円の不思議、この線からの一歩うちそとで態様が全然違うと言うお役所仕事の改善が何時になったら出来るのだろうか。

そうそう、円の不思議といえば、もうひとつ、これだけ大打撃を受けた国の通貨が高くなると言うのも、おかしな話、、、。

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2011年3月29日 (火)

チョットコイ チョットコイ

003 .朝日を受けて輝く山桜

足元からバタバタバタッと飛び立った丸っこい鳥がすぐ下の藪の中に不恰好な姿で落ちていった。

飛騨言葉で言う”どぼしこむ”が当てはまるような落ち方である。

その少し前にけたたましい声で「チョットコイ チョットコイ」と鳴いていたコジュケイに違いない。

一寸来い、と呼ばっていたわりに、来れば逃げるというのは本音と建前が違うということなのだろうか、、、、

今日はひさしぶりに舟川のほうから満観峰に登ってみた。途中猪の仕業らしく土が掘り返されて、筍の皮が散らかっているところがあちこちに見受けられる。

その数から見て、かなりの数の猪がいるようだ。一番高値で熟れるこの時期に先を越された農家の人も悔しいこととおもう。

今日は気温も高く、30分と少しで登れるこの山は久しぶりの足慣らしには丁度良い。頂上までひと気もなく勝手な知った道を踏みながら鶯の声に混じってコジュケイの応援でのんびりと山行きを楽しむ。

ここしばらく、連れ合いの肝炎治療で出かけられなかったが、今日は調子が良いというので家に残して今年初めての山の空気は美味しい。

山桜も、朝日を浴びてきらきらと輝き、春が山を登りだしたことを教えてくれる。

帰り着いていつものワラビ採りをする場所に行って見たが、生えていない。

誰も先に採った様子も無いところ見ると、今年は遅いようだ。

それでも、その周りを歩き回り、ようやく集めたのが一握りに少しあまる程度。

初物は、寿命が延びるそうで、少し苦味の残したおひたしで、、、、、、

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2011年3月28日 (月)

プティットフール

010 .

茶畑の隅、石垣に近いところにヒメウズが小さな花を遠慮がちに咲かせていた。

ヒメウズとは、姫鳥頭と書くのだが、鳥頭とはトリカブトに似た小さな草という意味である。しかし、種類としては葉っぱがそうであるようにオダマキの仲間なので、トリカブトのような強い毒は無い。

011 とはいえ、花の格好は五枚の花弁で構成されており、オダマキって言うと少し疑問が湧かないでもない。

解説書には、花があまり小さいので観賞価値が無い、と切り捨てているが、その立ち居振る舞いはなにやら気品のある清楚さを感じてしまう。

こんな花のことをむかしピーナッツという双子の歌手が歌った”プティットフール(petit fleur)”って言うのかもしれない。

しかし、「観賞価値がない」とまで言われている花なら花言葉なんてあるまいと調べてみたらあるんだなぁ~   これが、、、、、

不変、志操堅固だって、少し古臭い漢字の花言葉だが、つけた人はよくこんな小さな花も見のがさなかったことに感心した、やはり、花の美しさは見る人が見ればって所なのかな。

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2011年3月27日 (日)

日の光を通して

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東南にある日本平のそのまた奥の上空は入道雲が立ち上がり、北のほうはパステルで書いたように濃い薄いを取り混ぜた雲が青空を背景に懸かっている。

風は冷たいものの上空は夏と冬が空の南北に共存しているような感じがする。

そんな中、侘助が最後の花を散らそうとしている。季節のうつろいは椿の仲間に引導を渡し、春爛漫のさくらに引き継ごうとしている。

そんな感じで眺めていたら、花びらを透き通して輝く午後の日の光も侘助に幸あれといっているように感じてしまう。

侘助、その名のいわれはいろいろあるそうだし、一寸見には椿と区別がつかないがものの本によると雌しべの先端が退化していることがまず第一に挙げら、写真のようにお猪口の形をしているのも多いが、だとしても証拠にはならないらしい。

一番の決め手は、幹に「何とか詫び助」と書いた札があったこと、、、、。

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2011年3月26日 (土)

ツクシ誰の子

008 .

「ツクシ誰の子 スギナの子」こんな言葉が何処からともなく耳に入ってきて憶えている。

ツクシを漢字で土筆と書くのはその形態から見てよく言い当てていると思う。

春先、地面からツクシが何も無い所からニョキニョキと突き出してきていたが、いつの間にか柔らかなスギナの林につつまれてしまった。

ツクシとスギナは地下茎で繫がっているはいるが、別に親子関係ではなくツクシが花粉を飛ばす花の役をつとめ、スギナが葉の役をつとめている古いタイプの植物である。

その古さは、三億年ほど前に遡り、当時は直径30~50センチにもなり高さも15mになったことは化石で分かっている。

そんなことを思いながら見ていると、当時人間がいたら蟻んこほどの大きさで見上げていたことになり、どうしてこんなにちっちゃくなったのって聞きたくなるところ。

しかし、三億年の間大きさは変わったものの姿をそのままに保ってきた生命力の強さは、かなりなもので少しでも根が残っていればすぐに復活し、一度畠に入られてしまうと取っても取っても生えてきて絶やすのに一苦労する。

一方でこのツクシが簡単に取れるとこから、幼児が喜んで摘み、母さんがそれを調理して食べたものだが、最近ではそんな姿も見なくなり、ツクシのほうも生え放題に生えてしまう。

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そして、同じ子供が摘んだツクシより少し難しい野蒜を今日も掘りに向かう。

以前は、これも小学生の子供が摘む春の味だったが、最近は野蒜を掘る小学生がいなくなり、変わって昔少年の年寄りがあちこちでシャベルや小鍬とレジ袋を持ってうろついている。

多分、この年代が掘るのを止めたら野山に山菜が手付かず、伸び放題に繁茂するようになるのではないだろうか。

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なにしろ、山菜は塵や煤煙など有害物質がついていたりで衛生的に悪いし、放射能がついていても誰も計測しないから、、、、、、パニック母さんは口に入れさせないだろう、、、、、、

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2011年3月25日 (金)

ケキョケキョケキョと

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下手な初鳴きを聞いたのはやっと先日だったような気がしたが、今日の鶯はもう縄張りを意識した、一般には谷渡りという名前で知られている「ケキョ ケキョ ケキョ」という連続した啼きかたを始めていた。

居場所を探してみると、芽吹きだした柳の陰でこちらを意識してか、木を楯にして全身を見せることが無いようにしている。

春もここに来て加速度的に足を速め、日増しに若緑が濃くなる。鶯もヨシキリもみどりの葉陰に身を埋もれさせ声ばかりで、姿を見ることが出来なくなるのはもうすぐのことだろう。

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買い置きの灯油も底を付き、もう少し書いたしをしておこうと思って、近所のホームセンターに行ってみれば、震災の影響でここでも品物の無い棚があちこちにある。

被災地向けに重点的に出荷しているばかりではないようだ。ここしばらく、日替わり定食のように買占められる品目が変わっているようで、いまは、水関連だそうだ。

それこそ、株の投機筋のように噂や感で次はこれが、、、と、買いに走っているかのようで一億総博打の様相を示してきているのかもしれない。

灯油のほうもかなりの値上がりで、年初には18リットル1,300円台と思っていたが、今回は1,700円を越えてしまっている。

それでも、寒い東北の人たちが燃料が無いといって寒さをこらえているのに比べれば幸せで、文句の言えた筋ではないが、、、、、、

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2011年3月24日 (木)

風にそよいでひらひらと

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シデコブシの花が風にそよいでひらひらと、、、、

004 シデコブシは幣辛夷と書き、花びらを御幣に見立てて付けられた名前であろう。

この木は東海地方にしか無い絶滅危惧種だそうだが、そう聞くとなんだかありがたみをおぼえてくるから不思議。

背景が暗い木立になって、花にだけ日が当たっている時間を見計らって写してみた。

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2011年3月23日 (水)

花いかだ

021m_2  .

月初めに咲き出した桃の花も役目を終えたかのようにハラハラと散っていき用水路に浮かぶ。

長い間、樹上にあって受精のため虫を誘う役目を終えたとはいえ、一昨日からの雨風にうたれて、いまは散りゆく身となって枝を離れる。

水路から見た、元の枝は水底に影を写しているが、見上げれば、はるかに高く手を伸ばしても、、、、、、、、、。

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無常の風と流れに身を任せ、元いた枝に別れの言葉を告げながら、一枚一枚の花びらが水に浮かぶ小枝などに堰き止められ固まって花いかだを作る。

そのさまは、寂しさのあまり身の回りにいた同じような境遇の者たちが、身を寄せ合っているかのような印象を持たせる。

025m  .

水の浮かんで流れる花いかだ、その色香を失わなわないで、あざやかに輝くほど、ものの哀れを感じてしまうのは、、、、、、、、

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2011年3月22日 (火)

被災者に届く担保を

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今日も終日雨もよいの天気で、あまり遠出が出来ないでいる。

そのため、人様の庭に咲くレンギョウ(連翹)を写してみた。

欧米では、春真っ先に咲く花として喜ばれ、花が下向きに咲き、葉の芽吹きに先駆けて、木全体が真黄色に染まる所からゴールデンベルという愛称までもらっているそうな、、、、。

その花も、昨日今日と二日にわたって雨に打たれているようで花のうつむき加減がなんとなく憂鬱そうに見えぬでもない。

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町内会の連合会が東日本地震の見舞金を集めに来た。

前にも書いたとおり、わずかばかりだが日赤に寄付した分は個人的だったので、周りの家にあわせて同じ額を寄付した。

最近は、震災に付け込んだ寄付を詐欺する人もいたり、先日も、コンビニの寄付金箱を盗んだ人や被災者の家の修理などで高額な請求を出す悪辣な業者がいたりして、「寄付を」といわれても街中ではしたくない。

同じ寄付をしても被災した人に確実に役立つ寄付をしたいものだと思っている。

今回の寄付も何とか役立ってもらえばと思うのは、寄付を受け取った側でとんでもないことに使った事例が神戸の地震のときあったことを憶えている。

何事も疑いの目で見るのはよくないことなのだが、何処にどう使われたぐらいの担保は欲しいというのは、言いすぎだろうか。

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2011年3月21日 (月)

じいじっちのさくらんぼ

006 .

012 昨日、静岡測候所のさくら開花宣言に驚いたわけではないと思うが、我が家のゆすら梅も今朝ほど見たら、一部で開花していた。

しかし、昨日遅くなって雨に打たれ、出足をくじかれた感は否めない。

花びらには、露をいっぱいつけて雄しべなどを濡らしているが、今年の収穫は大丈夫だろうか。

ゆすら梅、花の形が梅に似ているところから名付けられたのかとも思うが、漢字で書くと桜桃という。ただ、作家太宰治の命日を桜桃忌としているが、この場合はさくらんぼのことを言うと聞いたことがありややこしい話になる。

とはいえ、この木は自分の孫たちから”じいじっちのさくらんぼ”で通っているように、ゆすら梅、桜桃ともいわない。その実は、さくらんぼをポヨンとした感じの赤い実で、渋みもなくそのまま摘んでは食べている。

孫たちの興味はいつまで続くかは知らないが、、、、、、ジャムも良いかな

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今日はお彼岸の中日。故郷の墓の雪はどんな具合だろうか。と思いながら電話をして聞く。

終日雨降りやまず、幼い日、青春、父母と過ごした遠いふる里をアルバムをくりながら思う一日。

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2011年3月20日 (日)

沼の魚に転勤辞令

008 .名残の梅と富士 梶原山から

梅は咲いたか 桜はまだかいな

   柳なよなよ風しだい

山吹ゃ浮気で色ばっかり しょんがいな

俗曲のなかにこんなのがあって、宴席に芸者が呼べたころ聞いて憶えたひとふしである。

丁度いまがその季節なのか、、、、、、、

暖国 静岡では梅の花散ってしまい、残り花も僅かになった中で、桜の基準としている染井吉野はまだつぼみが膨らみだした頃、今年は寒波のためかほかの花も遅いので、、、当然桜もと思っていたが、今日、静岡の観測木が何輪か咲いたとて、開花宣言を出したそうだ。

これは、全国に先駆けて今年一番早い開花宣言だそうで、城北公園や梶原山の桜を見てもまだまだと思っていた。

018 なよなよと風にそよぐ萌黄のやなぎ

一方で、麻機のしだれ柳は少し前から新芽が吹き出し、日に日に萌黄みどりの色合いを濃くしている。

沼の魚の引越し

035_2 .

そんな中で、沼の底土を入れ替える作業は二年目を迎え、新しく工事にかかって排水をしている現場では、逃げそこなった魚の移動をするため、ゴム長のズボンを履いた作業者が大きなタモを持って水溜りをかき混ぜている。

人間で言えば、人事異動で転勤辞令が出たと同じで嫌でも動かなければならない。

遠目で見る限りでは、尺を越える大きな魚ばかりを救出しているようで小さなものはこの網目を通りぬけてしまうのだが、小物は官庁人事と同じで、新聞の片隅のも載らなくなった。

あわれ、取り残された小さな魚、鯉や鮒をはじめハヤッコなどは鷺や鵜の餌になるらしく、仕切りになった鋼矢板の上には鵜が並んで作業を見つめている。

そして、こんな仕事なら楽しみ半分にやってみたいもんだと、うらやましく眺めている自分がいる。

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2011年3月19日 (土)

吹き飛ばされまいと

002 .

004_2 午前中の富士山に笠雲がかかっていたので、久しぶりに梶原山からの富士山を見ようと出かけてみたが、着いたときには笠が消滅し、ただの富士山でしかなかった。

山頂は強い西風が吹き、天候を悪くしようとした低気圧の進入を阻止したようだ。

その勢いを駆ってか、舞い始めた黄揚羽が地面すれすれにしか咲いていないタンポポに掴まっているのさえ気に入らないようで、吹き飛ばそうと懸命になり、黄揚羽のほうも飛ばされまいと、身体を横倒しにされても離れないように頑張っていた。

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「ええ、別に構いませんよ。普段でもほとんど行ったことないんだから」静岡まつりが今回の地震で亡くなった犠牲者に哀悼の意を表して中止に踏み切ったそうだ。

引き続いて、浜松の同様の処置を取ったそうだ。

もともと静岡のまつりは、古い昔から延々と続けられてきたものでなく、戦後も19年以上たってから始められたようで、勤めていた市内の会社もその日を休みにしてまで協力している風にも見えなかったので、始めてみたのは静岡に来て、日曜と重なった5年ほどしてからだった。

そのときの印象は、古い伝統といわれるものが一切無くガッカリしたのを憶えている。

この風潮は、全国的なものなんだろうか。考えてみると少し不思議な気がする。

なんでも横並びの国、日本は周りを見ながらでないと物事が進まない。先日来のテレビも何処を回しても同じだったように、まつりまで横ならびにしようとしているのではないだろうか。

これでは、暗い日本がますます暗く沈み込む「震災シンドローム」になっていくような気がしてならない。

戦後、日本中が焼け野原になって、戦争で死んだ人が日本人だけでも200万人以上ともいわれていたときはもっと明るかったような気がする。

町には朗らかな「りんごの歌」が流れ、その後、岡晴男の「東京の花売り娘」笠置しず子の「東京ブギウギ」など明るい歌が戦後の復興とともに歌われたが、誰も不謹慎だとは言わなかったはず。

国民全てが自粛自粛で復興が出来るものだろうか。

抗弁するようだが、日本は毎年三万人を越える人が自殺という手段で命を絶っている。しかし、それに対して哀悼の意を表する人はその家族を含めて僅かな人しかいない。

事故と天災は違うという人もいるにはいるだろうけど、雷に打たれた人が一人だったならどうだろう、、、いずれにしろ人の死には変わりないはず、、、、

あえて、世間という誰が作ったかわからない風に吹き飛ばされないように

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2011年3月18日 (金)

枝垂桜も色づいて

015 .

005 城北公園の枝垂桜が池を挟んだ向かい側から見ると、薄ぼんやりと色づいてきた。

中の島に降り立ったアオザサギと眺めた後、池を回って近くで見ると、二~三分咲きといった感じで綻びている。

今日は三寒四温といわれる時期のなかで、寒の気候らしく冷たいといった感じの風が吹いていたが、散歩には気持ちよく感じる爽やかさがあり、家に帰り着いた頃には汗ばんでいた。

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2011年3月17日 (木)

優しさを感じて

025 .

紅雪柳の花。名前の通り真っ赤なつぼみが開くにしたがって薄紅色をした可憐な花に変わっていく。

花の大きさは、雪柳に比べて少し大振りで6~8mmくらいにはなろうか。

花言葉に、愛嬌、愛らしさ、静かな愛など愛を語る言葉が多い。

傍に咲く真っ赤な花桃が毒々しく感じられてしまうほど優しい花であった。

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010w いつものように麻機沼、第4工区を一周する。途中、一組の老夫婦を追いつく、多分、二人とも70代後半から80代の年頃と見受けられる。

どちらも小柄な夫婦が手をしっかりとつなぎあっているが、どうも、奥さんのほうが認知症らしくみえる足取りである。

多分家の中でこもりきりになっては身体によくないと連れ出したように見えるが、声をかけるにはためらわれる雰囲気で、こちらが様子を見て勝手に想像している。

奥さんのほうは頼りきっているらしく、途中靴の調整をしてもらっている間も、どこか相手の身体に力をこめてしっかりと掴まっているようすから見受けられ、、、。

男性がもし80代としたら、戦争中に青春期を迎え、ひょっとしたら戦争にも行っていた年齢で、亭主関白が多い年頃である。

そんな世代が、、、教会の結婚式の決まり文句に「逆境のときも 病めるときも 夫として愛と忠実を尽くすことを誓いますか」というのがあるが、キリスト教徒でなくても、、、、。

そして、近い将来の自分を見る思いもする、、、、どちらが介護に回るか分からないがあんな風に黙々と世話が出来るのだろうか。と、、、、、

静かに追い越して先に進む。

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2011年3月16日 (水)

なんにも無かったように

003n .

昨夕はブログを書き終えて、そろそろ、、と思っていたとき、いきなりゆっさゆっさとばかりに家がゆれだした。

また、東北で巨大余震でもきたのかなと、テレビを入れたら震源は富士宮で震度6だ。とのこと、長野北部に続いて今度は富士宮か。

静岡から糸魚川を結ぶ巨大な断層(フォッサマグナ)が東日本と西日本を分けているが、このところ東日本のあちこちで大きな地震が続いている。

まるで、神様が日本を碁盤に見立てて、あちこちに碁石を打ち込んでいるかのようだ。それかあらぬか、石原東京都知事は「我欲の突っ張った日本人に対する天罰だ」なんて暴言を吐いたが、地震の犠牲者は天罰を受けるほど我欲の突っ張った人とは思えない。

いっぽうで、今回の富士宮地震では、幸いといっては悪いかもしれないが、静岡糸魚川構造線のお陰で静岡はすぐ近くにありながら震度4であり、体感的には先日太平洋上で起きた地震より横揺れ時間が短かった分、軽く感じられた。

一夜明けて、震度の割りに被害が少なかったようで、テレビはほとんど言い流す程度で、何処がどう動いた地震なのか地元のメデイアでも報じらる様子は見えなかった。

012 今日も朝から快晴の天気が続く、バイパス裏の高台に登ってみれば、いま咲きだした白木蓮越しに富士山がなんにも無かったように雲をまとっていた。

震源地がすぐ足元にあり、余震もその後感じなかった。ということは、あまりの騒々しさに少し身じろぎをしてみたのだろうか。

昨日最後まで連絡の取れなかった、連れ合いの従兄妹の無事が確認できて一安心。いずれも不便をしているようだが、まだ物が送れるような状態では無いとのこと、、、、ひとまづ、従兄妹たちの無事を祝って日赤にわずかばかりだが、と、、、、、、

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2011年3月15日 (火)

鯨が池散策

010d .

久しぶりに鯨が池の周りを散策する。

第二東名の高架工事もかなり進み、水面に影を落としている。

001 .

近くでは、土佐水木の黄色い花も咲いている。

この花、満作科といわれているだけあって、開花時期も早く、一つの蕾からいくつもの花が房のように垂れ下がっている様は、水木とは何処も似ていないのだが、どうしてこんな名前がつけられたのだろうか。

水ぬるむ池のあちこちで釣り人が楽しんでいた。

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近所のスーパーに行って驚いた。

おにぎりのコーナーとカップラーメンのコーナーが全て空で、陳列棚がスカスカに見通すことが出来た。

商品が入ってこないのだろうか。それとも、テレビに煽られた主婦のおろかな行為だろうか。

東京では、被災地に送る食料などに支障をきたすので控えてくれという、話もあるそうだが、静岡辺りではそんなに買いだめに走らなければならないような事情は何にも無い。

出口で見ていたら、お茶のペットボトルを二ケースも籠に積んで自慢げに連れ合いと話しながら出てきた人もいて、むかし、トイレットペーパの買いだめで大騒ぎした当時を思い出した。

{そのむかし、1,973年のことオイルショックのとき、中曽根首相が「紙の無駄遣いを止めて」といったことに早とちりをした大阪の主婦がスーパーのトイレットペーパーを買い占めたことに端を発したそうだが、それを報道した新聞をみて、全国的にトイレットペーパーがなくなった現象。後ほど何の根拠もなかったことが分かったが、買い占めた主婦の家には山ほどのトイレットペーパーが残ったという話}

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2011年3月14日 (月)

遊びなの? 練習?

037 .

麻機の一角。綺麗に草を刈り取ったところで二羽の雉がいた。

どちらも派手派手しい羽飾りを持った雄同士で、何処を見ても雌は見えない。

026 .

027w

当然、相容れない雄同士となれば縄張り争いの火蓋は切って落とされると見て、物陰から気付かれないようにカメラを向けた。

二羽は期待通り、飛び跳ねて蹴りあいを始めたが、相手を縄張りから追い出そうとする真剣さがどうも足りないような気がした。

と、いうのは決着がつかないどころか、つかず離れずといった状態のままときどき餌をついばんでいる。

こちらが諦めて立ち去る20分ほどの間こんな状態で過ごし、羽打ちの様子も見せたがこちらも下手の限り、ケーンケンという雄たけびも小声でからっきし迫力が無い。

ひょっとして、恋の季節を控えて雄同士の遊びなのだろうか、練習なのだろうかと、思ってしまった。

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2011年3月13日 (日)

これ一本やり

Img_0033 .

010_2 花韮(ハナニラ)の花がやっと咲き出した。

深い青みをたたえて静かに咲いている様は貴婦人といった印象を持つ。

葉の形と匂いが似ていると言うことで名付けられた植物だが、花の形はまったく違う。園芸植物としてアメリカから輸入されたものだが、日本の気候にあったのか、「いつまでも人の世話にならなくても自活できる」とばかりに野山に繰り出していっている。

今年の春先の低温が厳しかったのか、野の花の開花が少しづつ遅れ気味に咲いている。

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010 今日は気晴らしに、先日来目に付けていた野蒜を採りに出かけた。

この場所は、例年なら枯れた雑草の間にあって目に付かないところだったが、去年遅くなって、市が土手の草を刈り取ったため目に付くようになったところ。

野蒜はそれこそ、小学校の頃から採っている春の味なので、散歩の折には何となく確かめている。

園芸用シャベルとレジ袋を持って、30分ほどで写真の大玉野蒜を採取する。それぞれ好みがあるのでおすそ分けにした残りを自分の好きなように調理する。

調理といったって自分の場合は、野の趣きを楽しむため刻んだあと塩昆布で揉んだだけの物が一番好きであり、ピリッとした辛味が、ビールによく似合うと思って、これ一本やり。

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2011年3月12日 (土)

春の小川は

005 .

春も本格的になってきたようで、巴川の土手の柳が芽吹きで新緑が先端を色づかせ、根元の菜の花は黄色い絨毯をおり敷くなど山野の色合いが多彩になってきた。

まさに、春の小川は さらさら流る といった情景をそのままに描き出している。

散歩が日課になってしまうと出かけない日はなんとなく居心地が悪くなって、尻がむずむずとしてしまう。

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今朝ほど起きてみてしみじみとなんでもない夜明けをありがたく思ったことはない。同じような言葉を以前に心臓病を患っている人から聞いたことがあるが、そのひとは「夜があけると今日も生きていた」と、、、

空気や水と一緒で、いつも平穏に夜が明けるということは当たり前と思っていることが、そもそもの間違いであろう。

それほど切迫感はないが、きのうの地震災害をみていると、東北で開放された地盤のストレスが何時東海地震を引き起こすフイリピンプレートに影響を起こすか分からない。

それかあらぬか、今朝ほど長野北部で大きな地震が有った。テレビに出ていた専門家は偶然の一致で関係ないといっていたが。これは、前に新潟県山越村で起きた大きな地震の近くであり、今回の地震と関係はあるのは間違いない。と非専門家の自分はおもう。

終日、テレビは震災の話題ばかり、たまには心の休まる番組でも見たいと思うが、各局とも同じ番組を延々とやっている。これは、娯楽番組をやっていると、不謹慎と取られるのを恐れているのか、日本人特有の横並び方式で自分の局だけ変わった事をしたくないということの表れか、、、

災害一辺倒でなく、たまには息抜きも有ってよいではないかと思うのは自分だけだろうか。とくにNHKにおいてはBS放送を加えて5チャンネルも放送しているのに全て同じ番組を流すのはどういう意味合いが有るのだろうか。

おかげで、震災以外のニュースも全然入ってこない。中国同様、情報の鎖国体制といわれても仕様が無い状況である。

そのほか、福島の原発事故やコンビナートの火災など言いたいことは山ほどあるが、当面は様子見で過ごすことにしよう。

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2011年3月11日 (金)

大地震の襲来

006o .岩手県釜石漁港の津波。NHKの画面から

始めは神棚に飾ってあるしめ縄の幣がゆれているのに気がついた。

おかしいな家の中まで風が入ること無いのに、、、と思っていたらゆーらゆらと家が揺れだして地震が来たことを感じさせ、その揺れがなかなか収まらない。

「これはでかいぞ」と思ってテレビをつけたら東北地方が震源地だという。

先日来、栗原市で何度も地震が起きていたというからその関係の地震だったかと思った。

それにしても、この静岡にまで届くこの揺れは大きい。と、聞いていたらマグニチュード8だととのこと。これは最近に無い最大級の地震だとおもっていたら津波警報が出て、10mにもなるという予想が出た。

最近の地震では何度か高い津波が来ると言って来たが、いづれも30センチ 50センチといったものばかり、早送りでなければ分からない程度のものが多かっただけに「今回も幾分大きめの予想をしているのだろう」と引き続きテレビを見ていたら地震から20分ほどして、岩手県釜石の港にすえつけられているカメラの映像が送れて来たが、本当に1分とはかからずに、岸壁を乗り上げてきた海水が自動車などを持ち上げ、さらにそれを内陸に運び去る様は、インドネシアの地震で撮影された津波を上回る規模であったことを証明していた。

さらに、ヘリコプターの撮影によって、仙台の名取川を遡る津波を写していたが、川からあふれた海水が漁船をはじめあらゆるものを浮かべて、沿岸の畠や田んぼを埋め尽くして行く様は、自然の大きさと人間の無力感をおもわせ、非難のためだろうが、道路を走る自動車まで飲み込んでいくのを写していた。

暖かい時期ならまだしも、場所によっては雪が降っている中での地震、被災された人は茫然自失といったところかもしれない。

連れ合いの、従兄妹が仙台、いわき市、そして青森にと、何家族もいるが、いずれも連絡は取れない。

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それにしても、東京近辺の被害が大きい。

人口が多いためばかりでないと思うが、今回のような地震が起きたらどうなるのか、、、、

まず、あの高さの津波が東京湾に侵入したら、地下鉄は一飲みにされて、地下街の人はまず助からないと思うし、先日も東京都庁のエレベーターが動かなくなったというから、建物のかなりの部分で被害が出て、、、、目の当てられない惨事がみえみえである。

そういう静岡も人ごとではないのだが、まずは自分の家自体が真っ先ということの心配をしておかねば、、、、

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2011年3月10日 (木)

故郷の”おばこ”に似て

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踊子草が咲き出した。

026w ちいさな姫踊子草と違って草丈30センチ以上にもなろうかという長い茎の周りに何段も重ねるようにして、唇形の花を巻きつけるようにして咲いている。

色は、淡い赤紫から真っ白なものまで有るが、混在はしていないところを見るとすでに分化しかけているのだろうか。

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017 唇の上の花弁には小さな四つの斑点がついていて、そこに一本雄しべがついているのは蘭の花にも「こんなのが有ったなぁ」と思ったが、紫蘇科の植物で関係は無い。

とにかく名前からして、故郷の祭りに出てくる”おばこ”花笠に似ててたのしくなる。

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久しぶりに、近くの総合病院へ見舞いに行ってきた。

患者は、そんなに重病でもないので少し雑談をして帰ってきたのだが、病棟に入ってみると、看護婦(もとえ、最近は看護師というそうだ)が病室から出たところに何人も立っていて、それぞれが、ワゴン車に乗せられたパソコンを打っている。

前回、三年位前に来たときはこんな光景を見なかったので、なんだか異様な感じがした。

多分、病室で患者を看たときの状況を瞬時に全てのパソコンを通じて共有し、知らせるためだろうが、、、、、帰りすなナースステーションの中を見ると机に座っている全ての人がパソコンに向かっていた。

これってどうなんだろう?    内実は全然知らないが、患者を人間というより、温室栽培の植物かなんかのように管理しているように見えぬでもない。

また、それぞれ得手不得手は当然あるだろう、子供のときからゲームなどで鍛えてきた今どきの若い世代はどうあれ、パソコンなどいじったことの無い高齢の看護師にはつらい時代になってのではないだろうか。

町工場でも、一時期老練の職人より、コンピューター制御の機械を扱える人のほうがもてはやされ、高給を取った時期が有ったが、、、、同じようにパソコンが使えないばっかりに四苦八苦している老練の看護師がいるのではなかろうか。

キーボードとにらめっこして患者のほうに回る時間が減らされるようになると、それこそ、注射の上手な看護師、患者の悩みに対処できる古手の看護師が、、、  

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2011年3月 9日 (水)

お日さまに挑む

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真っ赤で大振りな椿の花にミツバチがたかっていた。

椿の花の大きさに、蜜蜂が何処から攻めたらよいのか思案している様は、まるで昔はやった”ハチのムサシ”を思い起こさせた。

034_2 お日様に突撃し絡め取られる

、、、、、、、、

ハチノムサシは向こう見ず

真っ赤に燃えてるお日さまに

試合を挑んで 負けたのさ

焼かれて落ちて死んだのさ

、、、、、、、、、

045 この歌の歌詞のように、椿の蜜を求めて雄しべの根元に深入りし、からめとられるようになった挙句花粉まみれになって飛び去った。

その下には、役目を終えた太陽ならぬ花びらが雌しべともども落花している。

ハチノムサシが落としたのではないだろうが、きっかけは作ったはず、、、

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2011年3月 8日 (火)

隠れても現われる

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沈丁花の花が咲いているのは、離れた場所からも分かる。こういうのを「隠れても現われる」って言うんだろうな。

005 秋の金木犀と並び称される春の薫り高き花。いまがその季節で昔から愛されてきた花であるが、しばらく前から消臭剤の香りに、この両者の香りが使われるようになってから、なんだかこの匂いをかぐと別な場所を想像させてしまう。

沈丁花の名前の由来は、沈香という、香木に似た匂いが由来だと聞くが、沈香の匂いそのものは知らない。

ただ、ことわざの中に「沈香も焚かず 屁もひらず」というのがあることは知っている。つまり、悪いこともしないが良いこともせず、新聞種にはならない生活だが、これが一番幸せなことでこれに徹して残りのを過ごして生きたいものである。(ただ、災害は向こうからやって来るものだから何時までもこのままと願っても、、、、、)

ともあれ、よく茂った木の間から香りだけを送りつけて来る花の花言葉は、沢山有って「優しさ」「おとなしさは」そして、「栄光」「不滅」「不死」と来ると全然意味合いが違うような気がするが、花言葉とは誰が作ったのだろうか。

春も、日増しに加速度を加えてきて、、、、、野山を魔法の杖で一掃きする映画を見たことが有るが、ここしばらくは、次から次へと魔女が移り歩くことになるだろう。

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2011年3月 7日 (月)

花言葉は 私を忘れないで、、、

Img_0047a .

クリスマスから二ヶ月余もたっているのにクリスマスローズとはこれ如何に、、、

昨夜遅くから降りだした冷たい雨に打たれて真っ白なクリスマスローズが震えながら咲いている。(震えているのは時折強く吹く風のせいなのだが、、、)

正確にはこの花の名はレンテンローズといい、西洋でクリスマスのころに咲く花とは近い種類だが別物だという。

そして、原種は多分紫がかった花のようで、真っ白なのは改良し尽くされてできたものだと思う。そのためか、今月もお終いのころになると次第に薄紫のような色合いになり、もともと紫っぽい花と同じような色合いになってしまう。

花言葉は、いろいろ有って「私を忘れないで」とか「スキャンダル」「慰め」など他方向に渡って取りとめもなく付けられている。

つまり、これっ!といった特徴が無いのだろうか。

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昨日の夕方、前原外務大臣が引き止める管総理の説得を振り切って辞職した。

原因は在日の韓国人から政治献金を受けていたということだが、長年の付き合いが有ったそうで、どうも政治的思惑から受けていた献金ではないようだが、野党の追及に政治が滞る、ということを理由に挙げている。

献金の額は個人献金のため、たいした多額ではないようだが自民党などは鬼の首を取ったような追及の仕方をし、聞いていてもこれしかないのかというような切り込み方で、聞くのも嫌になってしまいチャンネルを変えてしまった。

しかし、夕べになって急に辞職を願い出た背景には、何が有ったのだろうか。

彼らのすることには自分らから見ると「狸のばかし合い」見たいなところが有るので素直に辞職の弁を聞くわけには行かない。

裏読みをすれば、沈みゆく管政権と一緒になって沈没するわけには行かないので鼠のように逃げ去ったのか。

いま辞職すれば、小さな違反でも毅然と自分の身を処することを知っている人、と逆手を取って次の党首選挙を有利にしようとしているな。くらいまでは想像がつく、、、、、、、

そのことを知らないこれも歴戦の管首相は、次の手をどう打つか、、、、、将棋の名人戦のような感覚で政局を他人事のような目で見ているのは、自分だけではないと思うが、、、、、、

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二ヶ月遅れのクリスマスローズの花言葉ではないが、政治家の人物評価が「私を忘れないで」とか「スキャンダル」になるようでは、、、、もっと政治をして~

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2011年3月 6日 (日)

とじこもりよ!

Img_0008 .

これも早春の花。サンシュウユの花が太陽の光を跳ね返すように黄金色に輝いている。

Img_0009 一つ一つは、四枚の花びらと雄しべを持った花なので、ポツンポツンと咲いていたのでは目立たないが、30個以上がひと塊になって沢山咲いていることから、遠目でも目立つ木である。

サンシュウユは山茱萸と書くが、中国の木の名前をそのまま持ち込んで日本語読みにしたそうで、難しい漢字である。

ともあれ、去年の実をそのままぶら下げているのは愛嬌。

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040w 「裏の山が火事みたいに杉花粉が舞っているので、うちの人、”外に出られない!”って、と閉じこもりよ」という声が、藁科川沿いの農家持寄りの野菜売り場に行っていたら聞こえてきた。

陽気と風に誘われてか、今日の花粉飛散量は半端ではないらしい。おまけに、昨年の猛暑のため杉の花が沢山咲くそうで、花粉症に悩まされる人にはつらい季節の到来となるようだ。

あまりの暖かさにウインドウを開けて車を走らせれば、ところどころでくしゃみを連発するところがある。

花粉症は、突然来るというので、少しでも遅く罹患するためには窓を閉めなければ、、、、

帰り右岸沿いを下って、国道一号に出れば、警備の人が沢山出ていて交通規制を強いていた。

「なんだろう、祭りでもやっているのかな」と前方を見たら、沢山のランナーが走っている。

「しまった、今日は静岡マラソンの開催日だった」、、、、で、もと来た道を逆戻り、

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2011年3月 5日 (土)

故意か ミスか

002 .

護国神社までの散歩のつもりだったがもう少し足を伸ばして、東静岡駅のガンダム像のあるところまで行ってみた。

001 足元にいる人に比べれば大きいのだが、、、、

このガンダムも、今月で展示が終わるそうで、駅の出口からさほど混雑しているという印象は無いが行列が出来ていた。

ガンダムについては、いま三十代のおじさん連中には興味のある像かもしれないが、我々世代には何の興味もなく、騒いでいるので知っているという程度なので、わざわざ入場料まで払って中に入る気はしない。

外から眺めて帰ってきたが、すぐ傍に背の高いビルが有るため、前に沓ヶ谷の尾根から遠望したときと一緒で、高さ18mも有るというのに、小さく見えてしまうのが難点。

そして、故意か計算ミスか知らないが、富士山と並べて写そうとすると、手前の大型テントが邪魔をしていいポーズにはならない。

ともかく、折角の展示だから見ましたというにとどめたい。

おりから、翌日の新聞によるとこの日、入場150万人目が達成されたとか、、、もし自分が入場してて当人だったらまた違った記事になっただろうな。

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昨日の新聞によると、この春は値上げラッシュだという。ガソリン、食用油、砂糖、小麦など、、、、がならべられている。

原因としては、中国などの新興国での需要が拡大したり、小麦などの農産物は天候不順などもあるが、先進国の金融緩和でだぶついた資金が先物取引市場に流れ込んでいるためという。

そして、テレビはそれを煽るように石油製品を少しでも使うものが値上がりし、円安に振れれば更に値上がりするといっていた。

いままで、円高の影響で、、、、と悪い面ばかりを強調していたが、今度は円安になれば、、、と言い出した。     まるで、大企業の提灯持ち、、(広告費をもらえば仕様が無いというのか)

結局は、どちらに転んでも国民は悪い籤ばかり引かされていることになる。

まるで、自分の地位を守るため自分の国民を殺しているカダフィ大佐みたいに、、、、、、、、その証拠に、毎年三万人を越える自殺者がいて、その全てとは言わないが、生活に行き詰って死を選ぶ、という粛清を行っている。

そんな国だから、企業には減税を!国民には年金支給額を減らし、支給を延期、そして、消費税の増額という予算を組みたがる。

そんな国会議員を選んだ積りではないが、なってしまうと忘れて官僚の言いなりの楽な道を歩きたがる。

予算委員会といいながら、予算の審議をせず揚げ足取りに奔走する野党にも愛想がつき、「誰に投票したって、、、」という無力感ばかりが残る。

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書き出したら止まらなくなり、何処に行くか自分でも分からなくなるので、この辺で、、、、、、、、

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2011年3月 3日 (木)

桃の節句

030 .

036 今日三月三日は桃の節句。老いた夫婦二人の家では雛を飾ることもなく、、、、

といっても、日増しに春めいてきたこのごろ、浮き立つような桃の花を見んものと出かけてみたが、今年は去年に比べると少し花の咲くのが遅いようで蕾の方が目に付くこのごろである。

毎年のように来ている桃の木の下からみあげれば、一羽の小鳥が人の気配にも恐れずに花のなかを覗き込んで回っている。

メジロを一回り大きくした体型に、薄緑の胸に黒っぽい縦じまが混じってダンディな感じの姿はアオジと見た。

この鳥は、虫や種が食べ物で蜜を吸う鳥ではないと聞いているので、花に来る昆虫を探しているらしい。

桃の節句は人間だけのもの、アオジは花を愛でに来たのではないと分かってはいるのだが、、、、、、花を順繰りに除いて回る姿が風流に見えてしまう。

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京都大学の入学試験問題を携帯電話を使って回答を求めた問題で、大学側が警察に告発したことからあっけなくといった感じで、予備校生が逮捕されたそうだ。

これは、一種のカンニングということになると思うが、警察沙汰になったことからイケイギョウムボウガイ(偽計業務妨害)などというおおそれた名前の事件になり、多分軽い気持ちでカンニングしたことが大ごとになって、予備校生はびっくりしているに違いない。

それにしても、国家権力というものを使えばこんなに簡単に、テレビドラマのように容疑者が割り出せるものなんだと再認識させられる。

一方で、メールを公開しておきながら、後は相撲協会に投げ出された八百長相撲の解明は一向に進まない。

考えようによっては、八百長もカンニング同様に真剣勝負と信じている人を欺く偽計行為なのだから、(自分としては昔から有ったことなので、、、、

また、この事件によって本場所はおろか巡業もできなくなって、協会の収益に大きな穴ができたとすれば、同じ名前の刑が問われてもと思うが、、、、、、この中途半端さに相撲関係者は、「全てを隠すかあばくかどちらかにしていてくれたら」と歯軋りしているのではないだろうか。

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それにしても、携帯電話を通話にしか使えないおじいさんから見れば、最近機能は魔法の杖のように見えて仕様が無い。この先どうなっていくのか見ものだね。

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2011年3月 2日 (水)

顔に似ず

036e .ようやくレンゲの進入を許したオオイヌフグリ、花は小っちゃいんだけど

野に咲く花のように、、、という歌があったが、麻機の田んぼ周りを見ているとオオイヌフグリやホトケノザ、レンゲを始めいろいろな花が咲き出してきたが、それぞれが島のように固まって咲いていて、多くの種類の野の花がごっちゃ混ぜに咲いているところはあまり無い。

010 004 オオイヌフグリと姫踊子草やツクシとのせめぎあい、は、、、、

多分、目に見えない地下ではそれぞれの草の根がここは自分の縄張りだといってほかの植物を追い出しているか、進入を拒んでいるに違いない。

そのため、混在している場所をさがして写してみるのだが、見たところオオイヌフグリと詰め草(クローバー)が一番勢力が強いように見られる。

コバルトブルーに輝き、宝石をこぼしたように可憐な花といった印象とは違って、、、、顔に似ずといったところか

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042 午後になって西からの風が強くなり、上空の雲を北東の富士山方向に押し詰め押し詰めして、入道雲のように積み上げていった。

これは、ひょっとして綺麗な夕焼け雲でも見られるかと、冷たい風の吹く日没少し前の出かけてみる。

この心がけを愛でたのか、日没時に北のほうから雲が移動し富士山上空の雲が切れ、遠目ながら赤富士を見ることが出来た。

光環

022

夕日が山の葉に沈んでから、賎機山の稜線が異様に明るく虹がかかっているような現象を見たので目の錯覚かと思いながら写していたが今朝の新聞によると「光環」という現象で光が大気中の浮遊物に当たって起きるとのこと。

まぁ、簡単に言えば虹の一種といったところか、しかし、こんな現象が見えると分かっていたら、夕陽の沈むところに行って見たかったのに、、、、、

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2011年3月 1日 (火)

ランプシェードのように

027 .

鈴蘭水仙が雨に打たれてもともと下向き加減だった花を更に下に向けている。

ランプシェードのような花びらのしずくが重い重いとでもいうかのように、、、、

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午後になって本降りになるという予報がそのまま当たったが、午前中は衛星放送用のアンテナを取り付けに来たので、出かけることが出来なかった。

それにしても、あんなに小さな円盤に当たる電波を反射させて、鮮明な画像が12チャンネルも受け取れるというのはまさに「科学だね~ぇ」ということだが、地球の周りを飛び回っている衛星からどれだけの人工電波が地上に降りそそいでいるのだろうか。

このほかにも、昔の職場に設置されたスーパーカミオカンデで捕捉されたニュートリノなどのように身体どころか地球まで貫通していくものまであるとなると、人間生きているのが不思議な気がする。

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