ツクシ誰の子
「ツクシ誰の子 スギナの子」こんな言葉が何処からともなく耳に入ってきて憶えている。
ツクシを漢字で土筆と書くのはその形態から見てよく言い当てていると思う。
春先、地面からツクシが何も無い所からニョキニョキと突き出してきていたが、いつの間にか柔らかなスギナの林につつまれてしまった。
ツクシとスギナは地下茎で繫がっているはいるが、別に親子関係ではなくツクシが花粉を飛ばす花の役をつとめ、スギナが葉の役をつとめている古いタイプの植物である。
その古さは、三億年ほど前に遡り、当時は直径30~50センチにもなり高さも15mになったことは化石で分かっている。
そんなことを思いながら見ていると、当時人間がいたら蟻んこほどの大きさで見上げていたことになり、どうしてこんなにちっちゃくなったのって聞きたくなるところ。
しかし、三億年の間大きさは変わったものの姿をそのままに保ってきた生命力の強さは、かなりなもので少しでも根が残っていればすぐに復活し、一度畠に入られてしまうと取っても取っても生えてきて絶やすのに一苦労する。
一方でこのツクシが簡単に取れるとこから、幼児が喜んで摘み、母さんがそれを調理して食べたものだが、最近ではそんな姿も見なくなり、ツクシのほうも生え放題に生えてしまう。
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そして、同じ子供が摘んだツクシより少し難しい野蒜を今日も掘りに向かう。
以前は、これも小学生の子供が摘む春の味だったが、最近は野蒜を掘る小学生がいなくなり、変わって昔少年の年寄りがあちこちでシャベルや小鍬とレジ袋を持ってうろついている。
多分、この年代が掘るのを止めたら野山に山菜が手付かず、伸び放題に繁茂するようになるのではないだろうか。
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なにしろ、山菜は塵や煤煙など有害物質がついていたりで衛生的に悪いし、放射能がついていても誰も計測しないから、、、、、、パニック母さんは口に入れさせないだろう、、、、、、
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コメント
まんぼさま、お久しぶり、、、、、。
お子さんはまだ小さいんでしょうか。ポカポカとした春の野に子供を連れ出しての土筆摘みは、まさに至福のひと時、、。
土筆そのものには味はありません。自分が摘んだという満足感と母さんの愛情だけでしょう。
大人が食べるには、少ししゃきしゃき感があったほうが良いので灰汁抜きに湯をかける程度にして食べるか、佃煮風に味を濃くするかでしょうが、私も娘が子供の頃ご相伴にあずかってからこっち食べていません。
投稿: オラケタル | 2011年3月28日 (月) 08時30分
こんにちわ。
土筆と言えば、昔よく近所の空き地に群生しているのを大量に取ってきて冠を取り、母に料理してもらったのを覚えています。・・・肝心の味のほうはイマイチ覚えていませんが
息子がもう少し大きくなったら、また一緒に取りにでも出かけてみようかと思います。
投稿: まんぼ | 2011年3月28日 (月) 02時10分