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2011年4月30日 (土)

安近短で

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さわやかな春の風がはるか海の彼方から吹き、その風になびく茅萱の草原。

御前崎マリンパークの一角に、白い穂先を波のように揺がせて茅萱が花を咲かせている。

砂地に生える植物の例に漏れず、地面深くに絡み合うように根が連結して這っているところを見ると、いかにも強そうな草という印象だが、ここにススキや背高泡立ち草など背の高い植物が進出してくると、日が当たらなくなって死滅するそうで、いわば、荒地の開拓者的存在の弱い植物ということになる。

以前は、飼っている動物のえさなどにするため繁茂していたが、最近は輸入の餌に頼るようになり、放棄された土地は荒地となってきたため生息範囲も少なくなる一方。

この茎はサトウキビの仲間であり、甘味成分があるため子供が茎を口でしごいたとのことだが、やってみると嫌味は無いがかすかに甘いだけ、、、。

甘味の無い時代には、こんな草でもままごとに使ったものらしい。ただ自分が育った土地には無い草なので味を見たのは今回が初めて、、、。

010z そして、まだ茅萱の進出していない砂地には、浜夕顔がちらほらと咲き初めており、後半月もするとピンクの絨毯になりそうな気配。

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今年のゴールデンウイークは”安近短”とのこと、毎日がゴールデンウイークの身にはわざわざ人ごみに行く行く必要もないが、C型肝炎治療中の連れ合いの気晴らしを兼ねて掛川から浜岡の海岸に出て御前崎を回ったところで、海を見ながらのお昼にしようと、”安近短”を実行してみた。

ただ来てみると、ディスクドック大会とかで、テントが山ほど張ってあり犬の吠え声とともにかなり騒々しく500mほど離れた海岸まで移動せざるを得なかった。

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2011年4月29日 (金)

出番を待つ

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暑さ寒さも彼岸までって言うけれど、日脚もどんどん伸びて朝は五時以前に日が昇り、夕日が山の端に隠れるのも六時半となり、夕食後に夕陽に映える富士を見ることが出来るようになった。

霞み立つ日が多くなると、富士山も滅多に顔を出す日が少なくなるなか、珍しく雪で厚化粧をした富士を見ることが出来た。

静岡から見ると、富士山頂は平ではなく、中央に最高峰の剣が峰が突出しており、むかしの行者は富士曼荼羅にこの場所を大日如来に模したそうだ。

国道一号のバイパスの高架下を通して、赤く燃えた富士は、手前の暗い山の襟元に顔をうずめ、一見恥ずかしそうにみえる。

005_2  遠く富士はまだ顔を赤らめているが、足元はうす闇がひたひたとせまり夜の世界に引き込まれ、夜咲く花”コマツヨイグサ”が出番をもどかしそうに待っている。

この花は、地面を這うようにして勢力を広げ、今頃の時期から花を咲かせる。

黄色い花は、夜の僅かな明かりにも目立つようで、名前の通り三センチほど、マツヨイグサでは一番小さい花を次々と咲かせている。

しかし、ほかのマツヨイグサ同様、ひと夜花の悲しさ、翌日には別な花と見まがうばかり、橙色に変わって萎んでいくのは哀れを誘う

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2011年4月28日 (木)

オッカノウエヒナゲシノハナデ~

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ヒナゲシ、この花を見るとアグネスチャンの「オッカノウエ ヒナゲシノハナデ~ ウラナウノ アノヒトノココロ、、、」と独特の甲高い片言の歌を思い出す。

006w 麻機 子供病院の北側の遊水地にヒナゲシの花が点々と咲いていた。

昨年までこのあたりは工事中で重機が走っていたのだから、種が何処から来たのか分からないが、工事が終わった後誰かが個人的に持ちこんだものかも知れない。

この花、正確には長実雛罌粟(ナガミノヒナゲシ)と漢字で書くそうだが、実がほかの芥子より細長いこと、雛は小さいもの、罌は口をすぼんだという意味だから、いずれも実の特徴ををあらわしているといっても過言ではない。

そして、この花の別名を”虞美人草”というのは、中国の戦国時代項羽の愛人だった絶世の美女虞美人が最後の戦いに出て行く項羽の邪魔にならないように自殺した後に咲いた花としていまに語り伝えられているが、今の美人とは違って豊満な人だったようだ、

いまどきのグラビアを飾る痩せぽっちのガリガリ美人ならどんな花を咲かせることだろうか、、、、

ともあれ、濃い橙色をした薄い花びらは、風にそよいで吹き倒れそうにお辞儀をしているが、これで結構生命力が強く、芥子粒といわれるほどの小さな実は遠くまで拡散していくため一度花を咲かせると、自然に絶えるということは無い。

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またしても、東北の大地震の話しになるが、この中で唯一といって良いのかどうかはわからないが、東北新幹線で人身事故が無かったことに感心している。

あの時間帯では、十一本もの列車が走っていたそうだが、いずれも急停車が出来、負傷者もいなかったのか報道では見ることが出来ず、東京電力のように予想外の連発をいわなくて済んだのはよかった。

先日も写真を見たが、電柱が線路内に大きく傾いて、停車が出来なかったり、高架や路肩に損傷が出れば大変なことになるところだった。

長野にいる甥っ子はJRに勤めていたので、こちらのほうに派遣で行っていると聞いたが、今度の連休には帰ってきている筈なので話を楽しみにしているところである。

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2011年4月27日 (水)

唐から来た

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午後になって雨もよいの空になり、暖かいながら重苦しいような天気になってきた。

002 そんななか、甘い感じの匂いが立ち込めていて、見上げればカラタネオガタマが咲いている木を見つけた。

昨日まで、晴れ渡った空の下、この匂いがなくて気がつかなったのだが、今日は空気が動かないので木の周りから、匂いが飛び去らなかったかも知れない。

黄色味のかかった3cmほどの花は、木蓮の仲間というだけあって、形はよく似ているが、赤っぽい縁取りやバナナに似た匂いがするなど、いかにも中国から来た”唐種”という名前の表されているような気配がする。

つまり、日本古来の植物が和風なら、唐風(チャイナー服)とでも言いたいような雰囲気。

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2011年4月26日 (火)

富士桜も散り初め

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昨日行って来た富士宮田貫湖の豆桜。

名前の通り、小粒で花の径は1㌢ほど、富士山を背景に白い花を風に任せて花びらをちらほらとなびかせていた。

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マメザクラ、別名をフジザクラともいい、このあたり一体に花を咲かせているのは、栄養や気候から生育難しいところでも成長する体質があるからとも言われている。

花は下向きに付け、淡紅色から次第に白っぽくなって満開になる。

この桜を湖畔沿いに追いかけて歩けば、今この辺りがダイヤモンド富士の出現する場所になり、田貫湖に写るダイヤモンド富士として全国からマニアが集まっているようで、駐車場はいっぱい、そして、一番よい場所には場所取りらしく三脚が置いてあった。

駐車場内には、かなり無茶な人もいるらしく、注意の立看板もたててあり、、、そんな時間に来なくてよかったとおもう。、来ていれば腹が立つことばかり、、、は請け合い。

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余談になるが、富士桜を四股名にした小兵の力士が昭和の後期に活躍した。

山梨県の出身の小柄な力士としてはうってつけの四股名であろう。

”突貫小僧”の異名を持って突き押し相撲を得意とし終生このスタイルでたたかったが、あまりの稽古熱心に親方が止めたほどの力士だったと聞いている。

これほど稽古熱心な力士ならば最近問題になった八百長相撲にも関与することがなかったと思うが、平成の八百長相撲は東北の大地震の陰に隠れてなんともあやふやな形で幕切れを迎えようとしている。

そのわけは、いくつかの証拠があった取り組み以外、確たる証拠や理由もなしにトカゲの尻尾きりといわれても仕方の無い処置であり、今後に大きな禍根を残した幕引きと言われることだろう。

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2011年4月25日 (月)

つまらないものですが

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花水木の花が先日来咲き出しているのは知っていた。

002 白いのと赤いの、二種類があるようで、アメリカから園芸種として持ち込まれたものだという。

日本の山法師の仲間で、よく似た花を付けるが、実が丸っこい赤だ、ぐらいにしか思っていなかったが、そばで見るとなかなか面白い花であることを認識した。

山法師と同じであるが、花がごく小さいこと、花びらのように見えるのが総苞といって花を包んで保護しているものであり、花は中にある粒粒が一つ一つの蕾である。

その蕾が開花すると十文字の黄色い花びらに四本の雄しべがつんと飛び出した花である。と主張しているが、果たしてどんな虫が仲介しているやら、、、。

そのなかで、この総苞が面白い格好をしていることに気がついた。

初めは、風呂敷包みのように先端がくっついているのである。山法師に比べて、花のような総苞がなんとも細いので隙間から花になる緑の粒々がのぞいて見えるのだが、日本流の挨拶の前置きみたいに「これ、つまらないものですが、ほんのご挨拶代わりに、、、」といっているように見えないだろうか。

そして、結び目を解くとみどりの金平糖が一粒現れる仕掛けに、、、思わず「本当 つまらないですわね~」って挨拶を返したくなる。

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ちなみに、花言葉の中に「返礼」ってのがあるが、この包みを見て作ったのだろうか、自分なら「つまらないものですが」にするんだがな。

そして、花水木の花はかくのごとし

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2011年4月24日 (日)

なにしてんの?と

004 .なにしてんの?と、ばかりに

昨日と打って変わって底抜けに青いい空が広がり、若葉の匂いがかぐわしく感じられると気分まではればれとしてきて、何を見ても明るく感じてしまう。

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「ん! あんた其処でなにしてんの?」ととがめるようにこちらを向く雄の雉。

「そう。モデルになってくれって言うの?」

「どうこのポーズ、自分なりに気に入ってんだけど」

002w 「そして、背中の羽根模様はさ、むかし伊藤若冲って絵描きがほれ込んで見に来たって先祖が言ってたそうだから、、、、さぁよく見て」

「早く写してくれ、昨日から食べていないもんで、腹が減ってたまんないだ」

そんな感じがするほど熱心に草の間を突いている雄雉に出会った。

熱心のあまり、人に気付いても逃げようとしないし、雌を求めての雄たけびも挙げようとしないで、ただひたすら餌探し。

「腹が減っては戦はできない」と言ったところか

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2011年4月23日 (土)

暗い波紋

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終日雨がふり、時折水面を強く叩いていた。

その雨の合間を縫って池の中ほどで、水草を食べているらしい鴨が二羽、、、、、、、、、波紋を広げている。

暗い空が、その波紋を大きく不気味にみせ、思わず原発の地図に書かれた同心円を思い出させてしまう。

この雨は、東北の被災地にも冷たい雨となって降っているのだろうか。先日の発表で30キロ圏外でも放射能が測定されて問題になったのは、上空に舞い上がった塵が雨に叩かれて落ちたためでないかと言われたが、今日の雨はどうなんだろう。

井伏鱒二の「黒い雨」は、広島の被爆者がいろいろ差別を受け、結婚できない娘をなんとか嫁がせたいと願う父親の話であったが、それに比べれば格段に低い放射能で風評被害や、他県に避難した人に差別的扱いをした自治体まであって、この小説の頃とちっとも進歩していないことをうかがわせる。

この小説を、映画化し、その主役をした田中好子さん(スーちゃんって言ったほうが良いのかな?)が先日亡くなったのも、何かの巡り会わせだったのだろうか。

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2011年4月22日 (金)

造花とは

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022 安倍川の上流から左岸の谷沿いに上った集落、有東木は毎年何回も青笹山や岩岳などを登るために行く場所だが、今日は蕎麦を食べるためにこの集落のおばさんたちが運営している”うつろぎ”に行って来た。

玄関先の花入れに木で作った花が桃の花と一緒に挿してあった。

写真にしてみると、新緑の背景が柔らかい黄みどりになって白木の花を染める。

直径1cmあまりの柔らかい丸太を、ナイフで薄くそぎだし何度も繰り返すことによって作り出す木の花は、直径が10センチくらいの白い大輪の花になる。

この地区の祭りなどの行事のには、木の棒や弓の先などに挿してあるのは今までに見たことがあるが、椿の木の先端に挿してあったのは始めてで、一見、造花とは見えず、なんの花かと疑問を持つほどしっくりとなじんでいた。

店に入って、「あの花に何か名前がありますか」ってきいてみたが、年かさのおばさんたちでも「名前は無い」とのこと、木の枝の先端につけるのは正月、花の少ない時期に使うそうで、、、、昔からの風習だと言う。

この形何処かで見たことがあるような気がして、何処の地方でやっているのか検索してみたが分からない、、、、きっと何処かで同じような花を造っているはずなのだが、、、、。

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2011年4月21日 (木)

また季節がひとつ

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026z さくら(染井吉野)の花も散って里の季節は初夏へと一コマ回転した。

”目に青葉 山ホトトギス 初鰹”という句もあるが、自分は芭蕉の「あらとうと 青葉若葉に 日の光り」と言う句のほうが実感として感じる。というのは、初鰹にそれほど執着しなかった地方で育ったためであろうか、、、。

手の届かない高みの梢を黄緑色に染めて風にそよぐケヤキの新芽はいかにも爽やか、、、

030 深い森の中で、日の光りを求めるようにして芽を伸ばす樫の木の新芽はゲーテではないが「もっと光りを、、」と言っているようにも感じてしまう。

ゲーテのこの言葉は臨終の際に語られた言葉として残されているが、力尽きていく間際、目が見えなくなって暗くなっていくので発せられたものと思う。

しかし、後世のだれかが、「この深く絶望的な世の中にもっと光りを、、」と言う意味で言った。さすがに哲人は奥深いことを言う。と言いたかったようだ。

それはさておき、夏になって固く、黒く猛々しいまでにした葉からは想像できないほど初々しい若みどりには心が洗われるものがある。

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今日、菅総理が被災地を視察し、避難所で「ごくろうさん」 と言っただけで通り過ぎようとして抗議されていたが、「この絶望的な状況にもっと目処をつけて欲しい」と言う住民の要望に応えることが出来なかった

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2011年4月20日 (水)

藤はまだすこし(蓮華寺公園)

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うららかな春日和の一日。

丸子のほうに用事があったのでそのついでに足を伸ばして、藤枝の蓮華寺公園に行ってきた。

019 ちょうど、ふじ祭が始まったところとかで、普段は無料の駐車場が有料になっていた。折角来たのだからと思い500円を払って駐車し、園内に入ったが、肝心の藤はまだ咲き出したところで、一分咲きと言ったところ、、、、藤しかないのなら金返せというような状態、、、、

ただ、今年の気候は、全般に遅れ気味なのか、いまは八重桜が爛漫と咲いており、”ふじ祭”ならぬ”八重桜まつり”としたほうがよかったくらい。

010 濃い桃色が岸辺の周遊道路に咲き競い、まだ時期で無いと見てか、あるいはウイークデーのためか、例の自粛のためかは分からないが、入園者も少なかったが、あちこちで弁当を広げていたので、自分たちも早めながら、ここで食事にすることにした。

コンビニおにぎりを中心に簡単な食事をベンチに腰掛けて済ませば、まぶたが重くなる、春の日を浴びて人工の滝の音を聴いていると、気だるい雰囲気がただよい、うつらうつらと眠気を誘う。

世は太平なり、春の昼下がり、、、、

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2011年4月19日 (火)

裏に粋を凝らす

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ムベの花が咲き出した。

Img_0009z .ムベの実、昨年11月に写す

アケビの仲間と言われ、その実はよく似ているが実が開くことがないため、食べにくいことと、実が小ぶりなため、あまり食べられてこなかった。

ムベは古来「郁子」と、女性のような名前で書かれ、以前は皇室に献上された果物だと言う。

これは、天智天皇が近江の年老いた夫婦に、長寿の秘訣を聞いたところ、この実を食べているからだと言い、天皇は「むべなるかな」と答えたという故事に倣って、長寿を祝う果物として扱われたようである。

030 そして、スカートを広げたように下向きに咲く白い花の内側はうすむらさきの上品な(?)裏地を使っている。

むかし、江戸の粋人は裏地に贅を凝らすことを究極の意気と称したが、これは贅沢を戒めるため華美な服装を禁止した幕府に対するしっぺ返しでしかなったようだ。

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以前に、母親から「自分が健康なものだから、病気の人に対する思いやりと言うものが無い」と何度も叱られたことがあった。

外傷は見ていても分かるし、全身に骨折13ヶ所以上という経験を持つものにとって、外傷の痛みと程度は理解できないでもないが、内科の病気はいまだに見当が付かない。

そして、最近では病気の人に「がんばれ」と言う言葉は欠けないほうが良いとも聞いた。

そんななか、東北の震災された人に「みんなで頑張れば絶対に乗り越えられる。日本の力を信じてる」と言う励ましのコマーシャルをはじめ何かにつけてガンバレという言葉が飛び交っている。

心情は分からぬでもないが、実際に親族を失い、家財を失って途方にくれている人や、生き残ったことが良かったのか、、などと思っている人の気持ちと言うものはどんなにしても分かるのは当事者以外には無い。

「東北の人は辛抱強いから、、」と東北出身のある歌手も言っていたが、何故「悲しければ我慢をしないで大泣きに泣いて下さい」と言えないのだろうか。

辛抱強くを表題出されて泣くにも泣けないでは、戦争中の戦争未亡人みたいに、世間が圧力をかけているように見えて仕方が無い。

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このブログで、3/19の「吹き飛ばされまいと」と言う表題でなんでも自粛を祭の中止に一言書いたし、3/30には「円の不思議」と言う題で、福島原発の放射能をコンパスで円を書いてこの範囲は危険、とする不思議さを書いたが、最近になってようやく自粛の解除、離れた場所に放射能が強く出るなどして、この考えが一般的になってきたようだ。

自分は、原子力のことに関しては「群盲 象を撫でる」たぐいの一人でしかないので、余計なことを想像で書かないほうが良い、と書きたいことも控えてきたが、そんな群盲でも不思議と考えることに何故マスコミは言及しないのか。

情報を公開し今の状況がどうなのかを説明して認識させようとする努力が見えないのは何故だろうか。

このまま今年いっぱいは、ドツボに嵌まり込んで目途がつかない。で過ごすことになりそうな予感がしてきた。

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2011年4月18日 (月)

いずれは語り草に

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近所の田んぼがレンゲの花に埋め尽くされた。

紫色の絨毯。以前はあちこちで見られた風景だったが、補助金が出なくなった途端、種をまく農家もなくなったようで、こんな風景もこの辺りでは僅かになり、貴重な春景色。

いずれ、「昔はこうだったよ」「レンゲの花を摘んで首飾りを作ったもんだ」とか話のうえだけの世界になるのだろうか。

とはいえ、しばしの語り草にほかの花とも共存している様を見てほしい。

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2011年4月17日 (日)

三十年ぶりに登呂遺跡

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麻機田んぼのあぜ道が米粒草で、黄色くなっている。

花は、名前の通り米粒のように小さいので、一つ一つは目立たない存在だが、ここに来て一気に増えてきた。

この草は、シロツメクサ別名クローバの仲間で、色が白ければ姿かたちは良く似ている。

シロツメクサ、白詰草と書かれるのは、明治の頃輸入された品物を保護するため、この草を乾燥させて、隙間を埋めた詰め物から来たと言うが、生で輸入したものではないはずから、どうして、帰化したのだろうか。

考えられるのは、輸出先からこれを詰めなさいと言われて持ち込まれたものでは無いかと想像する。

そのとき紛れて、一緒に入ってきたのかもしれない。何しろ花として目立つ存在ではないし、食用でもないとなると、、、、

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今日は、春植えのじゃが芋を買いに駿河区の種屋さんに行ってきた。静岡ではもう植え付けが済み、畠を見ればすくすくと目を出しているくらいなので、男爵やメークインと言った主流のじゃが芋はなく、仕方が無いのでアンデスという赤い種類のものと、瀬戸の何とかというものをあわせて8キロばかり買うことにした。

この芋は、五月の連休後に例年通り長野で植えつけるためのものだが、長野の義妹には、男爵を買ってもらったものの、今年はあちらでも少ないとのことだったので慌てて買ってきたしだい。

この、種屋さんから登呂遺跡まであまり離れていないことに気付き、久しぶり、、、、それこそ三十年ぶりくらい前に行ったきり、、、と思いよってみることにした。

正確には忘れてしまったが、静岡に来たばかりの頃、小中学生だった子供を連れて行ったはず、、だったが、その頃の面影は半地下式の藁葺き住居の復元が少しあったほか、そばにみやげ物店があったりしたと思っていたが、今はほとんどシャッターが下りたまま、観光客も日曜と言うのに子供を含めて30人もいただろうか、、、。

なんだか、記憶と随分違っていて、新しい遺跡を見に来たような錯覚で廻ってきた。

それにしても、この遺跡、最近あちこちで新しい遺跡が見つかったためか、すっかり霞んでしまい、自分も同じ市内に住みながら三十年という長い期間行かなかったというのは、一度見ればそれでお終いと言う存在になってしまったのだろうか。

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2011年4月16日 (土)

はい あ~んして

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放りっぱなしのシンビジュームに二本の花芽が付き、昨日になって開花した。

赤紫の綺麗な花が鈴なりに付いているのを見て、その花を接写しようとのぞいて見ていたら、なんだか、口の中をのぞいているような気がしてきた。

「はい、あーんして」上下に白い歯のような模様までが、、、、歯科医になった気分。

上の白いところが雌しべになるそうで、そのすぐ後に、花粉があるとのこと。

ランの花の構造は、桜などとは少し違った構造になっている。

また、花の付け根によく蜜のかたまりがついているが、これはどんな意味があるのだろうか。

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2011年4月15日 (金)

しずこころなく花の散るらん

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天気予報どおり昼前から雨が降りそうな気配だったが、持ち直して太陽さえ出てきてポカポカとする春日和となったので、護国神社に向かう。

024 途中、沓ヶ谷の尾根の桜はいまが満開。ちらほらと散り始めた山道を乗り越えて降りた護国神社は、高低差では100㍍足らずしかないが、こちらはすでに「落花盛ん」 風がなくてもハラハラと花びらが舞い、吹き溜まりにはレッドカーペットならぬピンクの花道が出来ていた。

こんな風景を紀貫之の従兄弟である紀友則が古今集で歌い、百人一首に取り上げられている。

久方の 光りのどけき 春の日に

     しずこころなく 花の散るらん

日の光りがのどかにさしている春の日に、桜の花は落ち着いた心もなくハラハラと散る。 どうして、こうも慌しく散るのだろうか。

紀友則は、いまから1,100年も前に生きた人だが、以来、桜花を見る心は、花も変わらず人も変わらない。(年年歳歳 花相似たり、、、)

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007 おくれて、いま、ウコン桜が満開。

鬱金桜と書くのだが、桜の中では異色の地味な色合いの桜である。

淡い緑色がかった黄色い花は、周りの色に溶け込んで遠目には写しにくい色をしている。

源平時代の武者の名乗りではないが「近くば寄って目にも見よ」とばかりに写したものが下の写真。

いかが。

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2011年4月14日 (木)

横並びニッポン!

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花梨と書いてカリンとよぶが、青い大きな実を梨になぞらえたのだろうか。

本来は、果実の香りと薬効を楽しむためのもので、花は付け足しだったのかもしれない。

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カリンの花は、咲き出しがもっとも上品で綺麗に見えるのは自分の思い込みなのかもしれないが、満開まで開くと、なんだかしまりがなくなって、しどけなく感じてしまう。

さしづめ、オボコと年増の違いか。ともあれ、短い花期を懸命に生きている。

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今年の開催が危ぶまれていた青森のねぶたが「復興のシンボルとして」実施されることになったそうだ。

そして、被害の大きかった仙台でも、復興のシンボルとして七夕祭を開催する方向で検討に入ったと言う。

”自粛自粛”と一時は大合唱していた人々はどんな思いでこれらの事を見ているのだろうか。

自分は、当初から話が違うのではないかと書いてきた積りだが、、、、時間がたって世の中が少しまともになってきたという感じがする。

本来、祭と言うものは、どんなことが原因で行われてきたのかを検証してから中止にしてもよかったのではなかったろうか。

{ 花火大会を含めて、中止したところはそんな理念がなかったと言うことなのだろうが 

京都の祇園祭も、疫病退散が目的だったはずだし、各地の祭りも豊年を願った春祭り、豊作を感謝する秋祭りなど人々の思いがこもって始まったはずである。

それなら、未曾有の地震被害に対しても犠牲者を慰めると言う意味においても行われてしかるべきだったし、これらの祭で生活が成り立っている人もいるはずである。

今日のテレビでも、自粛ムードのなか、観光地の旅館が困っていると言っていた。

なんだか、世間が自粛だから目立たないようにという、「横並びニッポン!」「自己満足の島国日本!」   では、この先の発展は無いと見るがどうだろう。

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2011年4月13日 (水)

長屋の隠居が名付けたか

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おなじみのこの花は、上からエンドウ、カラスノエンドウ、そしてスズメノエンドウである。

名前から見て分かるとおり、エンドウ(豌豆)は食用であり、花の大きさは2センチ以上もあるのがざら、そして、カラスノエンドウ(烏の豌豆)は頭にカラスとかキツネやイヌがが付くと、小さいとか食べられないを意味する。つまり、人間にとって役立たずと言った意味が含まれている。

ところが、更に小さくなるとカラスのした、スズメが冠せられてスズメノエンドウ(雀の豌豆)なんて名前が付けられてしまった。

実際に、花の大きさは1mmほどしかないので、束になってもカラスには届かないくらい小さく、色も控えめと来ている。

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008_2 エンドウと名の付く草はこれでお終いかと思ったら、今日の主役である、カスマグサの登場。

一見、何の関係も無い草の名前のようだが、これが解説書によると面白いので写して来た。

以前にへちまの名前の由来は、もともとが”と”と言う名の植物であったが、「いろは」の順で言うと、「へ」と「ち」の間にあるので「へちま」と名付けられたと書いたが、カスマグサの名前の由来はカラスノエンドウとスズメノエンドウの間の大きさなので、カラスの「カ」とスズメの「ス」の間と言う意味で「カスマ草」となった。と言うのだ。

もし、これが本当なら、落語に出てくる物知りの隠居みたいに、名付け親が「この花の名前はなんですか?」と、聞かれ、切羽詰った挙句、口から出まかせに言ったのではないかと、勘ぐってしまいそうな名前で面白い。

そんなわけで、花言葉を見たら、、、、、あまり適当な名前だったためか「ない」

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2011年4月12日 (火)

ツタバウンランに訂正

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001 家の入り口、南天の植え込みの下に(ムラサキゴケ)ツタバウンランの花が点々として咲いている。

いつもなら、雑草として引っこ抜いて捨てられるので、花が咲くまで見つからなかったことが幸し、そのまま毎朝鑑賞している。

そして、毎朝見るに付け、日陰の片隅にひっそりと咲くけなげさに、次第に愛着心がわいてくるから不思議で、このごろは無言ながら挨拶をしている自分がいる。

(ムラサキゴケ)ツタバウンラン。(見るからにコケの仲間ではいとわかるのにこんな名前が付いたのは、、、、)秋に紅葉する、ツタに似た蔓をを地面這わして、終いには一面覆ってしまうことから名付けられたそうだ。

Img_0044w .荒れた畠を埋め尽くして咲くトキワハゼ

ところが、この花にそっくりさんがいる。神様もある時期面倒くさくなって手を抜いたのかもしれない。

その名前は、トキワハゼという。花の大きさといい、色合いといい、それこそよく似ているので、花の拡大だけでは判定しにくい。

ただ、ムラサキゴケは地面を這うのに対して、トキワハゼのほうは僅かだが茎を立てていることや、葉っぱの形で判定するのと、名前の通り、ムラサキゴケは春の花なのに対して、トキワハゼは秋まで咲き続けることである。

つまり夏以降に見れば、トキワハゼといって過言ではない。

こんなに似ていれば、花言葉も一緒かとおもったら「いつもと変わらぬ心」だって、これってどんな印象で付けられたのかな。

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2011年4月11日 (月)

こき混ぜて

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古今和歌集に「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の 錦なりけり」という有名な歌があるが、淡い春の風景を歌ったものであろう。

しかし、北国の春は、梅も桃も桜も、、、何もかも一斉に花開くため、あかしろ黄色どころでなく賑やかな色彩で始まる。

そんな風景もかくやとばかりの光景を散歩道、麻機の用水路脇でも目にした。

世間は、桜があちこちの空き地や土手を淡い桃色でふちどっているが、ここの色彩は赤とピンクが花梅であり、黄色は菜の花、そして、白いのが雪柳とくる。

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東北の大地震から今日で丁度一ヶ月。震災地以外では茫然自失の期間も過ぎ、すこしは落ち着いてきたかに見えたが、それを呼び覚ますかのように、大きな余震がふたたび起き、我が家の蛍光灯のスイッチ紐がしばらく揺れていた。

ここまで響く余震は相当の規模であり、被災者に追い討ちをかけるような仕打ちはいい加減に止めてもらいたいものだが、天災というものは平等と言うことを知らない。

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2011年4月10日 (日)

パラボラアンテナのように

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オオイヌフグリ。その名前にもかかわらず春の花として人気が高いのは花びらの美しさではないだろうか。

030 明治の頃に日本に入ってきた帰化植物であるが、その色合いなどからすっかり日本に定着してしまった観がある。

底抜けに青いコバルトブルーは、いま田んぼのあぜ道に繁茂し、可憐な色合いから見て取れない強さを持っている。

太陽の光に照らされて、日本の雌しべとその中にはさんだ形になっている雄しべを太陽のほうに向けている様は、まさにパラポラアンテナといったところ。

この花がこれほど勢力を伸ばしたのは、虫媒花なのに虫のいない季節でも雌しべが真ん中の雄しべを抱きかかえるようにして自家受精を行うようで、この辺が、、、、

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今日静岡は、市長と県会議員選挙が行われた。

投票を終えて外に出たところで出口調査に掴まってしまったが、久しぶりに投票したい人のいない選挙だったので、次善 三善の候補の名前を書かざるを得なかった。

多分調査員も変な人と思ったかもしれない。「どこに投票基準を置いたか」と言う所とと「何に期待しますか」と言う質問にはこたようもなく、白紙で返そうとしたら、何でもよいからと言われ「う~ん どれでもないのだけどね、、、」

次善三善では、書きようがない。コマーシャルは「自分の声を政治に」と言ったところで当選すれば聞く耳を持たない候補者ばかり、、、

変革を期待した衆議院でも災害を機に「大連立」を模索するようじゃ  ねぇ~

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2011年4月 9日 (土)

満開の桜 見る人もなし

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昨日の夕方からポツポツと降りだした雨が、夜になって本格的になり午前中降っていた。

午後になって雲の間から薄日が漏れだしたので、行けなかった散歩に流通センター方向に向かう。と、裏山の桜が目に付いたので遊水地から面舵いっぱいに方向変換する。

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この一角には桜の木が三十本ほど植えられていて、遠目にもほんのりとした明るさで目に付くところ。

桜の木も植えられて四十年くらいか、結構大きくなって目通り1mを超えるくらいの、手ごろな大きさに育って、人間で言えば壮年期と言った風情がある。

例年なら、土曜日の夕方と言えばこの桜の下で花見の宴が開かれていたと思うが、今朝方からの雨のためか、世の中にあわせて自粛か、それとも、景気の悪さが影響してか、誰一人いない。

下の流通団地も、四時を回ってほとんど動いていない様子、、、で、物音がしない。なんだか、満開の桜がもったいないと言う感じがする。

酒なくて 何の己が 桜かな という文句があったが、現状はまったくその逆

喧騒な花見客の中で見る桜は好きではないが、誰もいないところでの桜見物もいままでなかったような気がするし、満開の桜の木に囲まれて佇んでいると言うのは、少し不気味な気がしないでもない。

トンネルの中のハロゲンランプのように、桜のほのかなピンクもどうやらほかの色を吸い込んでしまう作用があるのかもしれない。

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満開に咲き誇る桜の集団でその下に立つと、曇り空と相まって空と桜の境がはっきりしない感じがし、唱歌の文句が思い出される。

さくらさくら 弥生の空は 見渡す限り

     霞か雲か 入日に匂う 

     いざや いざや見に行かん

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2011年4月 8日 (金)

恋占いには向かない

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ハルジオンが薄紫の上品な花を咲かせている。

大正のころ日本に持ち込まれた花のようだが、いまでは、野の草であり園芸店では売っていないと思うが、、、、

007 菊の仲間で姿かたちはその特徴を持っているが、これだけ花びらが多いと「好き 嫌い」と恋占いするには時間がかかりすぎるだろう。

輸入された頃の名前はわからないが、春に咲く紫苑と言う意味で”春紫苑”と言う優雅な名前をもらっている。

また、花だけでは区別がつきにくい花に”姫女苑”と言うのがあるが、ハルジオンのほうが少し早く咲き出し、蕾のときは一般に垂れ下がっていること、茎が丸くて新が空洞ではないなどの違いで、五月頃からの混在時に区別するしかない。

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2011年4月 7日 (木)

鯉の恋

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”水ぬるむ”と言うのは丁度今頃の季節なのか。

麻機沼の水面があちこちで沸き立っている。

柴揚げ漁の頃は水の動かない深みや芝の陰にじっと静まり返っていた鯉たちが水面に浮かび上がってきて活発に泳ぎだしたようだ。

よくみれば、尺余の鯉が何匹も集まって騒いでいるようで、周りの水鳥はおろか、人間がそばに近寄ってもその騒ぎを止めようとはしない。

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鯉の恋。 鯉は盲目。これだけ大きくなればミサゴにも鵜にも狙われないとでも思っているのだろうか。

「心配ないからね、、、、、、

 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」ってね。

そんなにうまく行くものだろうか。

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「そこなら届きますよ」  ようやく、仙台へ宅急便が送れることがわかり、火や水を出来るだけ使わなくても良いものを選んで、、、、、、、

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2011年4月 6日 (水)

親指姫もいて

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咲いた咲いた チューリップの花が

ならんだならんだ あかしろ黄色

どの花みても きれいだな

雪国富山では、五月の初旬が砺波のチューリップフェアーで広い会場はもとより周りのチューリップ畑にも赤白黄色ととりどりの花が咲き乱れていたものだが、こちらでは、それに一ヶ月ほど先駆けて咲いている。

童謡にもあるように、どの花見ても形を崩さず綺麗に咲き揃っている。

このチューリップについては、1,630年代にヨーロッパで大ブームを起こし、大邸宅よりも高い値段で取引されたものの、1,637年になって買い手が付かなくなった途端大暴落し、多くの破産者を出すというチューリップバブルと言う現象を生んだことで有名である。

以後は、そんなに注目される花ではなくなったものの、愛好家がまだ沢山いて、昭和40年代まで輸出のため、新潟や富山では花畑のほか、球根を取るチューリップは花が咲き出したとき、花の部分だけを摘み取って川に流したため、畑といわず川と言わず、さまざまな色で作った花の絨毯で埋め尽くされたものである。

最近では川に物を投げ捨てることが禁止されているようなので、、、チューリップは別かな?

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003 また親指姫は、この花の中で生まれたと言うアンデルセン童話があって、子供の絵本にも載っていたのを見た。

開ききった花びらはシルクのようにきらきらと光り輝き、中を見れば、白い雌しべが、いかにもお姫様を思わせる雰囲気で立っている。

蛙やモグラがお嫁さんに欲しいと執念を燃やし、それを救ったツバメだが、その後出てきた花の国の王子さまに横取りされたような結末を迎えるなど、自分のブログ同様なんとも取りとめのない結末を迎える。

燕の心境は花嫁の父と言ったところか、、、、

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今日は、静岡市の小中学校の入学式。新一年生の親から見れば、子供は親指姫同様、将来のお婿さんの心配を晴れ姿を通して、、、、、、、、こんな時期に、はや、心配し始めているかも

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2011年4月 5日 (火)

駿河 西の枝垂桜

あまりに良い天気だったので、県中部の枝垂桜の花見に向かった。

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一本目は島田市大草 慶寿寺のしだれざくら。

国一バイパス野田インターで降りて北に二kmほど行ったところ、山際の森に囲まれるようにして門前の桜が美しい寺があった。

桜は、薄いピンクで若葉が開いているところを見ると染井吉野ではなく開山木とあるところから相当古い桜のようだが、開山は1345年と言うからそんなに古くは見えない。

001 石造りの仁王像と言う珍しい石造を見ながら石段を登れば、慶寿寺に至り、さらにその寺を回りこむようにして裏に上れば、本堂に覆いかぶさると言うほど大きくは無いが他の桜に混じって一本の枝垂れ老木に行き会う。

この木は、静岡県指定の文化財という重みからか桜目当ての観光客も多いらしく、足元の草原は人の足跡で踏みにじられ、土がむき出しになっている。

新聞テレビで桜が咲いたと書かれ、昨日一昨日は人出が大変だったことをうかがわせた。

この枝垂桜、立て札によれば開山当時から植えられていたもので、初代の桜は今川二代の範氏が藤枝の花倉に本拠地を移す際、この寺に父親の遺徳を偲んで植えたことから孝養桜といわれているとのこと。

そして、この桜は、その木が枯れた際、枝を移植した二代目と言われ、樹齢は350年にもなると言うことである。

幹の根元に近い部分はまるで岩を思わせるほど固そうな風合いをしているがよる年波と見受けられる。淡いピンクの小さな花が青空を透かして見えるが、木の大きさは想像していたよりもかなり小さく感じられた。

どうも、身延山の境内の桜と比較してしまうのが邪魔をしているようだ。

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大草から、最近出来た島田伊太の日帰り温泉をぬけ、むかし駿河の国と遠江の国を分けた大井川を北上して支流の笹間川沿いに川を遡る。

笹間上から道は仕事中にも来たことがなく初めての道だったので、途中心配になって行き会ったお婆さんに確かめたくらい山奥であった。

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目的の寿永の桜は意外とこじんまりとしていた。

樹高7,5m、目通り2mという。説明では寿永二年富士川の合戦で破れた平清久が落ち延びてきて、この地に久円寺を作ったときに植えられたとあるからおよそ八百年。岐阜の薄墨桜と同じ江戸彼岸桜と言うから長寿の桜ではあるが、あまりにも小さい。

おまけに、木が低いのを馬鹿にしているかのように、その上を電線が無数に張り渡してあったのが、第一印象としてよくなかった。

自分らを含めて四人しか観光客がいないのは、島田市の天然記念物にしては寂しい。ただ救いは近在の人たちが、この木を誇りにしているらしく途中で道を聞いたおばあさんもそうであったが、境内で色々と説明をし、お茶の接待をしてくれた人々からも察しられた。

そこで、初めてここに来たことを話したら、このまま上流に向かえば362号に行き当たると言うので細い道をたどり、蛇塚から静岡に戻る。

総走行距離120kmあまり、、、、午後早々に帰宅する。

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2011年4月 4日 (月)

貴方を待っています

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キランソウ。花びらの形に特徴があり、なんだかもろ手を挙げて春を謳歌しているようにも見えるが、別名を「地獄の釜の蓋」などというおどろおどろしい名前を持つ花だと前に書いたことがある。

乾いた地面や畑の隅などに生えている草で、地面を這って覆い隠すように広がっている所から名付けらたようだが、キランソウのキは古語で紫を指し、ランは藍色を指すんだといわれれば、花の色をそのまま言っただけじゃないと言われそう。

しかし、キランという名前がその後一人歩きして、金襴小草となると、織物の金襴に似ているからと言われて、、、、何度も改名させられてきた。

花言葉を見たら、「貴方を待っています」と言うのがあったが、これを可愛らしいと見るか、閻魔様が言ったと見るかで180度違う印象になる。

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042 太鼓の音が百段の石段の上の木陰から聞こえてきて間もなく、笙、ヒチリキ、横笛の神楽に先導されて、木花咲耶姫が黄色い衣装の仕丁が担ぐ神輿に乗せられて静々と降ってきた。

昨日の夕方、同じ石段を登り、一年ぶりに麓山神社に住まう大山祇命がその褄に「貴方をまっています」と声をかけて実現した逢瀬。

そして、瞬く間に過ぎた、一夜の契りの後に名残惜しげに降ってきた。

静岡浅間神社の例大祭廿日会祭が例年に比べて規模を縮小し、神事のみを行うことで開催していた。

境内には、いつものような露天商もいなければ人ごみもなく自粛ムード一色、僅かな人しか集まっていない。

最近では稀なことなんだろうけど、これも将来の語り草になっても慣例化して欲しくない光景だと思いながら夕暮れが始まった道を帰ってきた。

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2011年4月 3日 (日)

日は西に

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天気は暖かすぎた昨日に比べ、終日高曇りだったので日が差さず気温の割には寒く感じる一日になった。

それでも、夕方には霞のようなぼんやりとした夕陽を残しながら日は沈む。

先日来咲いていた菜の花も先端を残すだけになり、その花の先端に低い夕日がなめるように当たって輝かせているのがなんとなく哀れさを感じさせる。

与謝蕪村の句に”菜の花や 月は東に 日は西に”と言うのがあったが、まさにその情景、、、か、と思わせたが、今日は新月。

待てど暮らせど、月は後ろ向きのため何時昇ったものやら、、、何処にいるのやら皆目見当が付かない。

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ちなみに、大根の花にも

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2011年4月 2日 (土)

急に暖かくなって

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一気に暖かくなった空気が入ってきて、気温はぐんぐんあがり四月下旬の陽気だとテレビは報じていた。

半袖の下着とセーターで散歩に出かければ、身体の中を春風が吹き抜けていくようで気持ちが良い。

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かてて加えて、蜜柑畑の下には松葉雲欄が何時の間?にと思わせるほど背丈を伸ばし、青い花を風に任せて揺れている。

木の上には、これまたアケビの花が花のかたまりを優雅に揺らして虫を誘う。

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活弁張りに春や春 春南方のローマンス なんて言葉が頭に浮かんでくるから不思議。       急に暖かくなって頭も春か?

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2011年4月 1日 (金)

シカトされて

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「ねぇ雀さん、わたしシメって言うんですが、仲良くしません?」

「駄目ですか、出来れば一緒に食事でもと思ったものですから、、、、、、」

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と言ったかどうか、シメが一羽 雀の群れに入って餌を啄ばみながら挨拶をしたが、雀のほうは気がつかなかったような態度でシメをシカトしてすれ違っていく、ふられたシメは呆然と立ちすくむ。そんな風に思わせる光景を見た。

シメ 漢字で書くと”鴲”なんてとても難しい字になるが、体型から見て雀より一回り大きく、アトリやイカルなどと同じように木の実を主にして食べる鳥である。

性格もごくおとなしいようでほかの鳥と混じっても喧嘩などはしないのに、シメだけで群れているのは見たことが無いのはどういうことなのだろうか。

この鳥は渡り鳥のようで夏場は見たことが無い。静岡では多分、冬鳥になるのだろう。

最も木の葉が茂った時点で見えなくなるということあるので、正確には分からないが、、、、、

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今日四月一日は、日本では新年度になり社会人一年生が誕生する日である。

また、何処の風習だか知らないがエイプリールフール、四月馬鹿と言って迷惑のかからない嘘を言っても許される日ということで一時は流行ったものだが、日本人の性格にマッチしなかったのか、”四月馬鹿”ではバレンタインデーのように商売にならなかったのか、次第に廃れていった。

そのうえ、東日本地震の影響もあってうかつにものを言うと、本気にされかないため、今年はこれも自粛しなければならない。

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