タチアオイにかかる雨
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昨日の大降りから一夜開けても川の水はまだ高い位置にある。
そんな中、二羽のカルガモが八羽の雛を引き連れて泳いでいた。
昨日の大雨を何処でどうやり過ごしたのかと見ていたが、普段は人なれしているのか物怖じをしなくなった、街中のカルガモだが今日は様子が違い逃げ惑う。
それにしても、二羽の親鳥が雛に付き添って離れないのは珍しいことで、始めてみた。
カルガモは、雄雌の区別が付けにくい鳥であるが、雛を連れて歩くのはメスではないかと思っていた。
つまり、自分の想像だが、番でいるときは交尾するまでで、以後はメスが巣作り、抱卵、子育ての全てをする鳥だと思っている。
交尾が済むとペアを解消すると思われるのは、丁度今頃になると、田んぼの畦道で閑そうに何羽ものカルガモが列を成していることにある。
交代に抱卵しているのなら、あんなに閑そうにしていないで、交代に抱卵をしたり、警戒行動を取っていなければならないと思う。
さいわい、カルガモなどの場合、スズメや燕のようにえさ運びがなく親は、外敵の警戒と食べ物を教えるだけですむはず、、、、
ただ、外敵の中には同じカルガモも含まれるので、子供がある程度成長しなければみんなに紹介できないようだ。
ともあれ、これは、自分だけの感想から書いたもので、研究している人から見れば検討はずれかもしれないので、、、そこんとこよろしく
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台風二号の影響で午後になって激しく降りだした雨は、裏を流れる水路の水位を瞬く間に押し上げた。
以前は、このくらいの降りだと一気に路上まで上がってきたのだが、大谷川放水路というのができて、巴川の水が河口になっている清水まで行く前に一部を途中から駿河湾に抜けるよう改修がされたお陰で、それ以来の水害はなくなった。
この雨も、ありがたいことには五時過ぎには小止みになり、同報無線ではその後にも警報が出たが、、、、水位は下がった。
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.昭和30年代始めまで使われた鑿岩機、手回しのハンドルと被っているヘルメット、カンテラが当時を思い起こさせる。
先日、ユネスコの世界記憶遺産に故 山本作兵衛さんの炭坑の様子を画いた絵が指定されたと報じられていた。
同じ鉱山労働者だった自分はこの人の絵は何回か本などでみて知っていた。昭和初期頃まで労働基準法がなかった時代の採炭夫や坑内で働く女性、子供たちの様子を描いたものである。
多分、絵を勉強したことがないであろう人のもので無いだけに平板に書かれているが、それだけに迫力があり、当時の様子をうかがい知れるものである。
そのほかに、上野英信という人が、やはり、筑豊の炭坑を書いた「追われ行く坑夫」というものがあり、こちらは戦後から30年代まで炭坑で働く人を主題に扱った本であった。
鉱山とは大きく分けて金属などを掘る鉱山と石炭を掘る炭山とに分けられるが、主に硬い火成岩の中にある鉱石を掘る鉱山のほうが金銀や宝石を求め地下深くもぐる孔は古代から掘られていたが、石炭は産業革命が起きてから採掘されたため、歴史は浅い。
しかし、環境ということでは炭鉱のほうが過酷だったのか、有能な人が多かったのか山本作兵衛さんや上野英信さんがでている。
いま、日本には鉱山労働者と言われる人はごく僅かになってしまい、いずれ僅かな記憶の中に消えてしまうことになるだろう。
自分も、17歳から39歳まで坑内で仕事してきたものとして、いくらかでも書ければと思うが、情けないことに、あれから三十年余記憶がかなり薄れてきてしまった。
当時は狭い特殊な社会だけに、いろいろと思い悩むこと、苦しいこと楽しいこと、、、、これから、少しづつどこかに貯めてみようととは思うのだけど、、、
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「関東甲信越、東海地方が梅雨に入ったようです」とテレビは言う。
天気予報はフィリッピン海上で発達した台風2号からの雲が延々と伸び日本に達している衛星写真とともに、ここ三日、雨が続いた後ずっと雲のマークが並んでいる。
例年より十二日早く、観測史上二番めに早いという。「やたらと早いんではないかい。梅雨明けが七月末まで続いたら、、、」と思うとぞっとする。
いまにも降りそうな雨もよいの空のした、折りたたみの傘を持って麻機農道を登れば、ノカンゾウの花が一輪 二輪咲きだしていた。
濃いだいだい色の一日花。その花以外は全て蕾ということは、今日が咲き初め、入梅を聞いて咲き出したのか、、、、、、
六枚の花弁を反り返らせて、天の神に何か訴えているのなら、ついでに今年の梅雨はあまり大降りさせないでと付け加えておいて欲しい。
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散歩道の道端に野蒜(ノビル)の花が咲き出した。
細い茎の先端をほかの草より高くして、その存在を主張しているように見えるのは、先日来、我々暇人の野蒜掘りの目を逃れ、これ見よがしの誇りがあるような気がしてならない。
金平糖を思わせるむかごを付け、その中から六弁の花びらを持つ小さな花を幾つも爆発でもしたかのように飛び出させて開いている。
花はよく見ると、その先端を青く染め可憐といった感じがする花である。
野蒜とは野にある蒜、つまりネギだということだが、葱坊主の花の形と随分と違うところをみると、遠い親戚といったところなのだろう。
5月27日、折からの雨に打たれて、大きな水滴をつけたノビル、なんとなく愛らしく感じられて、、、
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5月22日に終わった大相撲審査場所の成績をもとに新番付が作られるそうだが、昨日の新聞によると、給金のもらえる関取に13人(?)という大量の力士が出世するそうだ。
これは、八百長問題にからんで退職させられた力士の補充ということでこうなったのだが、いつもの場所だと負け越した幕内力士が昇進することなどありえないのに二人が昇進し、十両下位で負け越した関取が陥落せずに残ったと書いてあった。
この辺のところは、よく知らないのだが、関取の定員というものが決っているのだろうか。本来なら資格が無いのに昇進させるというのは、ますます、相撲人気が翳っていくのが分からないのだろうか。
こんなことをしているから、何時までたっても身内だけの特殊社会といわれる。こんな団体を”国技”をするという公益法人にしては、子供たちをはじめ国民に害あって益無しといわざるを得ない。
「本場所ではない、技量審査場所なのだから」というが、負け越しては技量が無かったことにならないか。「運も技量のうち」なんて国民の目を逃れるようなことを言っていては、、、
現に維持員席をうめる相撲愛好家が減って升席が隙間だらけになってきていること確かだし、、、、
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国民健康保険のことで区役所へ久しぶりに行ってきた。
以前は、ただの市役所だったが政令指定都市にぎりぎりなったことから区役所を作らなきゃいけなくなったようで、はじめ、「区役所に来てください」なんて、通知が来たときには”はて?”と思ったものだ。
用事は簡単に済んだが、玄関入ったすぐのところにパスポートを申請するコーナーが出来ていたのには驚いた。 「さすがぁ県並みの権限かぁ」
そのあと、駿府公園を突きっきり歩いて戻ったが、途中の生垣の何箇所かに空木が植えられているらしく、花の香りがときどき匂う。
白い清楚な花の生垣は”夏は来ぬ”の歌の文句を思い出させる雰囲気だし、淡い桃色をした八重空木は匂いこそ感じられないものの優雅な雰囲気を醸しだしている。
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今日の新聞によると、茨城県の利根町で起きた布川事件で無期懲役の判決を受けた人が四十四年ぶりに再審無罪を勝ち取った。と書いてあった。
多分最高裁が、検察の特別抗告を棄却していることから、この判決で区切りがつくことになると思われる。
それにして、ここ65年間で重大事件で再審無罪判決が出たのはこれで七件目だそうだが、この人たちの人生ってのはなんなのだろうか。と考えさせられるものがある。
自分の無実を証明するということだけで半生を棒に振ったようなものではないだろうか。犯人といわれただけで自分はおろか周りの親兄弟、親戚を含めて辛い立場におとしいれ、、、、その損害は計り知れないものがある。
しっかりとした証拠もなく犯罪者と決め付けた警察官、検察官、裁判官。考えてみればおざなりの国選弁護人?、と周り中が敵だったことになり、その人の人生を無茶苦茶にした人たちは、四十四年間ほとんど責任というものを考えたことが無かったであろう。
そのむかし、帝銀事件の犯人とされた平沢死刑囚も状況証拠だけのため獄死するまで死刑の執行がなかったし、静岡でも、島田事件が再審無罪となっている。
そして、清水の袴田事件も新聞報道を見る限り、杜撰な状況証拠みたいだが、今後どうなっていくんだろうか。
テレビでは、警察24時などのタイトルで警察官の仕事を宣伝しているが、その陰で、こんなことが今でもまかり通っているのではないかと思うと、、、、
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昨夜来の雨がようやく上がったのは午後になってから、秋を思わせる爽やかな風が田んぼを吹き渡っている。
ここ麻機田んぼでは、早くも田植えをした田んぼもあるが、雑草だらけのところや起こしただけの田んぼなど、一枚一枚がてんでばらばら、パッチ模様を描き出している。
そこに、今年初めての亜麻鷺を見かけた。首から上が淡い茶色をしているところから名付けられた鳥だが、ほかの鷺同様人に対する警戒心が強く、なかなかそばに近寄らせてもらえない。
ここ静岡では、越冬するのかどうかは分からない。というのは、冬になると真っ白になるため、ほかの鷺とは区別がしにくいし、この群れでも、まだ寒さを感じるのか白いコートを羽織ったままの鳥が混じっている。
同じ群れの集団の中で、夏羽根と冬羽根が混じっているのはどういうことなのか不思議な感じがする。
冬を過ごした場所が違ったのだろうか、それとも自分の意思で衣替えが出来るのだろうか。
案外冷え性の鳥がいて「私まだ寒くって、、、」なんて言っていたとしたら面白いのだが、、、、
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.葦の葉陰で一休み 柳の綿毛はどこへ行く 風に任せた長の旅 ってか
午後になれば雨が降り出すとの天気予報があり、それを思わすように低い雲が竜爪山にかかっている。
そんな様子を見ながらいつもより早めの散歩に繰り出せば、柳の綿毛がふわりふ~わりと風もほとんど感じないなかで飛び交っている。
今日はウイークデーの早朝ということもあって、あたりには人の気配もなく音の無い世界に飛び交う綿毛は大小さまざま、一種幽玄の世界を感じさせる。
また、うねりの無い水面に目をやれば、アメンボがこれまた優雅に滑っていたが、草の茂った岸辺近くにはそれこそ2~3ミリの小さなアメンボが群れている。
「わぁ、こんなちいさなものがいるんだ」と感心してしばらく観察していると、大きなのが寄って来ると、いそいで逃げていくように避けているのが分かった。
アメンボ。子供の頃から水面を四本の足で押さえつけながらすいすいと滑っていき、捕まえにくい昆虫の一つだとは知っていたが、細い口とカメムシの仲間ということで少し嫌な臭いがすることしか知らなかったが、この嫌な臭いが、飴に似ているとしてアメンボという名前が付いた。となると、昔の飴の匂いはこんなぁ、、、、だったのだろうか
そして、華奢な身体付きにもかかわらず、これで結構獰猛な肉食昆虫であり、共食いまでするそうだ。
そのため、身体の大きさによって群れがいくつか分かれていたのかが分かった。なんだか、身体の大きさで学級編成が出来ているようで面白かったが、身体の大きいものを寄せ付けないため、先生にあたる大きなアメンボと一緒の画面には収まることがなかった。
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帰りの道すがら、同年輩の人とすれ違った「どうですか、よい写真が撮れました?」って聞かれたので、「歳々年々 人も花も同じからずの気持ちで写しています」なんて気障な言葉を返して、、、、
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今日の花。
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昨日は小満、気温もここしばらく夏日が続き散歩していても半袖で汗をかく、で夏に一歩また近づいた。
麻機の竹林のそばを通れば、茶色くなった竹の葉が、ひらひらと落ちてくる。葉っぱの形状によって飛行機のように滑空するものあり、くるくると回転しながら行方も定めず四方に散り、道端は吹き寄せられた竹の葉の絨毯で心地よい暖かさに満ちている。
そんな竹の葉を折敷いて、下界を眺めれば麻機沼の汚染除去作業で立ち働く重機の音もそばで聞くのと違ってのどかに聞こえる。
こんな季節を”竹秋”というが、竹林の中は今年土から顔を出した筍は、はや数メートルに背伸びし、青々とした昨年の竹、黄色味を帯び白くなりかけている老年期、そして、葉を落とし立ち枯れた竹と人間の一生を見るような風景が広がっている。
もちろん手入れされた竹林ではこんな風にはなっていないのだが、山の手入れは老人の手に負えないようで、成長力の強い竹になすすべも無いありさま、、、、。このさき、日本の風景はどう変わっていくのだろうか。
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近所の県立総合病院の敷地内にある”ユリノキ”がいま満開常態になっている。
高さは15mほどもあろうかという巨木が十本ほどもありその全てに咲いているが、花は木の上の高い所にしかないので仰ぎ見て花を確認しなければならない。そのため、花びらの中がどうなっているか自分の目で見たことが無い。
写真によれば、無数の雌しべが花びらの中に所狭しとばかり入っているようで、さしづめ、大奥状態のようだ。
カエデを小さくしたような緑の葉っぱに囲まれ、薄い黄色と花弁の中ほどにこれまた薄い橙色の横模様を入れた、どちらかというと派手さの無いシックな装いに花が点々と散らばっている。
日本では百合の花に似ているということをさるやんごとない人が言ったとかで、ユリノキという名前になったが、自分が見た感じではお猪口のような形にみえる。
花の印象はその人の生活が大きく影響して来るようで、名付け親によって名前は随分と違ってくる。北アメリカが原産地のこの花はチューリップに似ているところから外国では TULIPIFERAというそうだ。
ともあれ、目立たない花なのであまり人に気付かれないのか、地元の新聞にも取り上げられず、したがって、素人カメラマンが押し寄せて来ず、この花を独り占め出来ることが嬉しい。
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原発事故の責任をとって東電の社長が退任するそうだ。事故当時から雲隠れしたり、病院に入院したりしてリーダーとしての素質が懸念される人物だったが、本人もこれでやれやれといったところではないだろうか。
一方政界では、菅首相を引きづり降ろしたい人がかなりいるようだが、首相のほうは二枚腰三枚腰で対抗しているようだと新聞は報じている。
今回の震災ではいくつかの間違いもあったようだが、震災から二ヶ月もたつといろいろな裏話も出てきて、指示どころか命令を出さなければ動かない事情もあったようで、、、、
ともあれ、自分家の葬式でもあとで反省することが多々あるなかで、未知の原発事故では百家争鳴状態になり、どれを取るのか精一杯やってきたことの結果であり、ある程度は仕方の無いことのような気がする。
しかし、ここで首相以下を退陣させて、誰を変わりに据えようとしているのだろうか、、、とくに、身内の与党に聞きたい。
この国の政治家に、民主党の議員の中に菅首相より飛びぬけて洞察力がある議員はいるだろうか。小沢ダメ 鳩山ダメ、岡田?前原?、、百歩譲ってもどんぐりの背比べでしかない。
誰に譲っても同じ程度なら、いま政争をしている余裕はないはずだし、もし、不信任案が通って、血の気が昇った首相が衆議院解散などといったらどうなるのか、、、、、、、
いま、騒ぎまわっている与党議員の思惑が分からない、なんだか役職欲しさの馬鹿議員にしか見えないのは、自分だけ?
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落語の子褒めに、ただ酒を飲むには子供が生まれた家に行って、赤ん坊を褒めればよいと、隠居さんから教わった八五郎がうろ覚えの祝い言葉を述べて失敗する様が面白く語られている。
そのとき習ったのが「栴檀は二葉より芳しい、蛇は寸にしてその気をあらわす。私もこういうお子さんにあやかりたい あやかりたい」というものだった。
写真の花の名前は、この落語に出てくる「栴檀」、、、とはちがう、が同じ名前を持つ。
二葉より芳しいのは、白檀の木であり、この花は名前だけの栴檀である。ちょうど、仏法僧という鳥と”ブッポウソウ”となくコノハズクみたいなものであろう。
木の大きさからいって花一粒の大きさはごく小さいものだが、沢山花を咲かすので、遠目にはかなり白く見える。
冬になって、白っぽい実を鈴なりにつけているが、果肉が少ないためだと思うが何時までも鳥の餌になることがなく、風に吹かれて何時までも下がっているところが、この木の特徴である。
八五郎が赤ん坊を見て散々悪口を言った出だしが「栴檀の石は丸く あたしもこういうお子さんに蚊帳つりてぇ~、、、、」といったのは、冬の栴檀の実を見て作った話だったのかもしれないと思うこのごろである。
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今日の天気予報はすこぶる快晴というお墨付きがあったので、朝ご飯の支度した後家を出たのが六時少し過ぎ、、、。
安倍川沿いに遡り、有東木の集落を過ぎて正木峠まで自動車を走らせ、岩岳に登ることにした。
例年だと赤ヤシオが咲いているはずだし、地蔵峠近くのイワカガミも、そして、上手くすれば白ヤシオも、、なんて欲張りな注文をつけて登りだしたが、いつもと様子が少し違うのに気付いたのは地蔵峠に差し掛かってから、、
イワカガミの葉っぱが少ない上、花の気配がちっとも無いことからだった。
さらに、地蔵峠から岩岳に向かう道すがら、いつもなら赤ヤシオが咲き出しているはずなのに、全然見当たらない。
ようやく、少し赤みを持った蕾に出会えたものの、、この調子ではまだ二週間はあるのではないかという感触。
白ヤシオにいたっては、新芽をようやく尖らせたという段階である。
今年は、3月に入ってからの冷え込みが厳しかったので、里の花も遅れてはいたが、山もそれを上回る寒さだったのだろうか。
せっかく、看病の合間を見つけて今年初めての1,600m級の山に来たのだが、これではまったくの見込み外れ、、
花が盛りなら、岩岳から更に足を伸ばして、下十枚山までもと意気込んでいたのが、、、仕方ないので山頂まで登ってすぐに引き返す。
駐車場に戻ってきたのが午前十時、、、期待して登っただけに
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午後になって二時間ドラマの間中激しい雨が降ってきたので、どこにも出られず、とっくりと古い番組を見せてもらった。
その番組が済んだのは四時、そのあと雨が上がったと見て外に出てみたが、庭先の”ニオイバンマツリ”が雨上がりの露を付けたまま、淀んだような空気の中匂っていた。
匂いといえばかすかな香りは心地よくさせてくれるものだが、どんな匂いでも濃縮されてきつく感じると臭いになり、不快感でくらくらとすることがあり、その限度はそれぞれの香りにより、人の感性によって違う。
ニオイバンマツリ、漢字で書くと匂蕃茉莉となるが、蕃という字は外国という意味で、茉莉はジャスミンのことだから、外国から来たジャスミンの匂いのする花、と、情緒もなく、いとも合理的な名前がつけられている。
この花、咲き出しは濃い紫であるが次第に色あせるように白くなって落ちる。
普通は紫の色が三日ほど続くのだが、雨に打たれると早目に色あせるような気がするところを見ると、安いテーシャツのように水に溶けやすい染料を使っているのだろうか。
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さて、「雨も上がった」と見て、出かけては見たが、空には重い荷車が砂利道を動くように雷の音が長く尾を引いて西から東へ、南から北へと響き、時折傘が必要なほどに降りだしてくる。
そんななか、自分と同じように雨の切れ目を狙って出てきたのか、自転車に乗った女子高校生とすれ違う。
合羽を着た者も何人かはいたが、ほとんどが頭に雨しぶきをつけて自転車をこいでいる。
この按配では、家に帰り着いた頃には制服も雨でしっとりと濡れていることだろう。若くて新陳代謝の激しい彼女たちが少しでも汗をかけばさらに、、、、
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近年、この年頃の娘を持つ父親は”加齢臭”があるとして、洗濯は家族から別扱いにされるなど寂しい差別を受けるなどと言われているが、雨にぬれた学生服や汗にまみれた体操着(最近はジャージーと言うそうだが)はどうするのだろうか。
自分以外は臭いだが、自分のは匂いとでも言うのだろうか。ちなみに、自分のときはどういう処遇をされていたのか、、、20年以上むかしのことで知らずに過ぎていたのだが、、、
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ちなみ「くさいにおい」はどう書けばよいのだろうか、「臭い臭い」では今どきの子供名前同様読んでもらえそうも無い。
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浅間神社からの尾根道を歩いていたら、山桑の実が赤い未熟な実に混じって黒々と幾つもぶら下がっていたので、手でつまみ口の放り込んだ。
子供の頃、養蚕をしていた母方の本家の桑の木に登り、口中を暗紫色の染めて食べた懐かしい味である。
あのころは、幼かったためか、それとも手入れがよかったためか、葉っぱも桑の実ももっと大きかったような気がし、桑の葉摘みにかこつけて口に入れるほうが忙しかったものだ。
明治に入って、主要な輸出製品であった絹を作るため、かなりの家で蚕を飼い、その餌として桑の木を植えていた。
そして、作った絹糸は落下傘になると聞いたのは、戦争のさなかのこと、、、子供心に覚えている。
そのため、地図の記号のなかには桑畑の記号(Y の下に横線が付く)があるのは、当時、桑畑が広範囲に、そして、重要な産業であったことが分かる。
や~まの畑の桑の実を
小篭に摘んだは まぼろ~し~か
その桑畑も、今では何処へやら、桑の木も畑でなく、他の木に混じって見かけるだけになり、桑の実の味に郷愁を感じるのは、、、お年寄りだけ。
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おもえば、子供たちが木の実を食べなくなった。というか、木登りなどして遊ぶため、山へ遊びに行かなくなったのは何時のころからだったろうか。
足元にルビーのように輝くイチゴも誰も摘むものはなく、朽ち果てていくことに、山幸をもたらす神々もむなしく感じている昨今ではないだろうか。
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”駿河路や はなたちばなも 茶の匂い”
松尾芭蕉の句として、 静岡市内 清水寺の境内に大きな句碑が立っているが、お茶を取引する市内の茶町を別にして、麻機の農道を歩いていると、いまが盛りの蜜柑の花の匂いに圧倒されんばかりのところがある。
よく化粧品の広告で柑橘系というと、爽やかなイメージを意味するが、大きな甘夏の花の匂いは別。
甘くねっとりとした空気は風向きによっては、エレベーターの中のような感じさえすることがある。
五弁の白い花びらを大きく広げ、雌しべの先端に粘つくような粘液をひけらかして虫を誘う。いまようでいう肉食系女子というイメージがするのは、、、、、
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一昨日、昨日と浜岡原発は政府の要請を受けて稼動をやめ、運転を停止した。
そして、今日になって無事完了したものと思っていたが、19時間もたって5号機の停止の際、冷却水に海水が入って、その後水を切り替えて作業を続けていたことを発表した。
その際、廃炉に至る事故でなかったとも言ったと、テレビで報じ、その後、放射能が出たわけでないので即座に報告するような事故でなかったから、、、というのが19時間遅れて公表した理由だったという。
この放送を聴いて、やっぱり原発は危険だということを改めて認識した。
政府の要請を受けての停止なら、何も慌てふためいて停止したわけではない。それなのに、どうして手違いが起きたのだろう。
この調子では、危惧される巨大地震が起きたとき、建物に被害が出来て緊急停止しなければならなかったとすれば、福島の原発同様なことにならないという保障は無い。
それなのに、地元御前崎だけが「地元に相談もせずに停めるとは何事か」と息を巻いている。作る場合はどうあれ、危険を予防するために停めるときは地元に相談する必要があるのだろうか。
浜岡原発が、震源地の真上に建っていることが問題であり、そのことが分かっていながら特別交付金ほしさに、更なる増設を要望した地元に相談して、結論が簡単に出てくるはずが無い。
もし、福島同様の被害がでた場合、その被害は西からの偏西風であっという間に静岡はおろか神奈川、東京に行ってしまう。
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隠蔽体質は、残念ながら東電の専売特許ではない。
「大丈夫 だいじょうぶ!」といいながら、福島第一はメルトダウンを起こしたことを認め、事故から二ヶ月もたって福島原発の北西の町が30km圏外でありながら、避難をしなければならなくなったことを、身に染みて考えなければならない。
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カラーの花が日当たりの悪い水路で咲いていた。
花の周わりだけがひときわ明るくするような感じで咲いているは、仏炎苞と呼ばれる白い襟のためであろう。
この花の花言葉に「乙女のしとやかさ」というのがあるそうだが、キリスト教の修道女の大きな白い襟に由来する名前だといい、静岡にもセーラー服の後に大きい白い布をかぶせている学校があるが、確かその系統の学校ではなかっただろうか。
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今度中学生になった孫が、少し大きめに作った学生服の襟に止めるカラーが汗をかいたりすると「痛くて」とこぼしていた。
そういえば、自分も遠いむかしカラーのついた学生服を着た記憶がある。
その頃は、セルロイドでできていたと思ったが、すぐに折れ、その後補充品がなくそのままだったのではなかったろうか、記憶は折れて代わりのものが無かったところで終わっている。
近くに商店も無い山の学校だったので、すぐさま代わりがあるはずもなく、そんなに服装のことをとやかく言う風習もなかったに違いないと思っている。
とにかく小うるさいものだったことが記憶にある。
学生服に白いカラーが付くのは、明治になって、政治家や官僚が洋服につけていたことから始まったようで、そこから、高いカラーという意味で「ハイカラ」という言葉が生まれたようだ。
当初は西洋かぶれで外面を取り繕い形式ばかりにこだわる軽薄者という意味もあった、、、
そのご、軍服や学生服の襟の汚れを防ぐためと襟をピンと立てるためにつけるようになって、「ハイカラ」という言葉も廃れてきたようだが、首周りを固いものでぐるりと取り囲む窮屈さはセルロイドからポリエチレンなどに変わっても変わらない。
いまどき、カラーの着いた服は学生服にしかなく、活動が激しく成長期の子供には適した服装とも思えないが、これを廃止しようとする声が無いのは、学校側なのだろうか、保護者側なのだろうか。
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1,960年代だったか、コニーフランシスが歌い、中尾ミエだったかが日本語で歌ってヒットした「カラーに口紅」って歌があったが、これは、大人の話し。
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ゼニアオイの花が開いていた。
赤紫の濃い色をした花を、葉っぱの間に隠して、、、園芸品種として多様な色と形があるタチアオイに比べて、地味な色が好事家の目に止まらなかったのか、色変わりや、形の違ったものは無いような気がする。
名前の由来は、一文銭の大きさから来たというが、、、それにしては少し大きすぎないでもない。
おなじ、アオイ科の植物に、ウサギアオイと言うのがあるが、これは、花がまた小さい、差し渡し1センチはなく、ゼニアオイ同様に色合いは白一色しかないようだ、、
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今日は、雉の日とでも言おうか、あちこちで雄たけびを挙げていたが、ほとんどツガイになっていて、目にしただけで三組六羽、、、たしか、雉は一夫多妻だとも聞いていたのだが、、。
それにしても、この鳥とカワセミはかなり写しているのだが、目にすると慌ててカメラを引っ張り出すのは、国鳥というだけではなさそうだ。
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暗緑色のハート型の葉っぱに濃い紫の花。そばにはゲンジスミレと立て札があった。
「どこから来た名前だろうね」ふつう源氏と平家なら、赤白なんだけど、、、
「ひょっとして源氏物語?」「ふ~ん、そういえば紫の上ってのもあったね」
そんな会話の後、かえって調べてみると、やはり源氏物語から取られたことがわかった。
それも、葉っぱの裏が紫色をしているところから、源氏物語の作者。紫式部に例えての事だと言う話し、、、、葉っぱの裏だって「少し凝りすぎていませんか」、ってんだ。
素直に紫の上の印象で良かったのに、、、そうすると、またちょっと違うのかな?
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今日は雨。外には買い物以外に外出せず、源氏物語のあらすじで「若紫」を見る。
源氏物語は、貴族を中心にした物語で、庶民といわれる人々を踏みつけにした時代で、恋だの愛だのと遊び呆けていた人々の話であり、庶民は奴隷同然にみなし、一顧だにしていないところから、嫌いな物語の一つであり、その後に出てくる平家物語など武家が台頭する要因を作った、物語なので読んだことは無い。
この、若紫が後ほど紫の上になるそうだが、憧れの人に似ていたからといって(実際は憧れの人の姪っ子)十歳前後の子供を育てていた尼さんの反対にもかかわらず引き取り、自分好みに育てるなどという反吐の吐きそうな話を書いている。
写真の斑入りゲンジスミレは自然には無い種類であり、園芸種だとも書いてあったが、その点でも「紫の上」に似ているようで、一枚だけ葉裏の紫をを見せているのは袂を翻しているかのように見えた。 が
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朝方から蒸し暑い気候が続き、午後になって公式には清水が34,4度と全国一の気温になった。
昨日長野から帰ってきたのだが、蒸し暑さを伴う気候の急激な変化と、疲れから一日中家から出ることもなく、うつらうつらで過ごしてしまった。
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前日の早寝が効いて昨日は朝四時過ぎに眼が覚めてしまった。
外を見ると、綺麗な朝焼けが期待出来そうだったので、どこかへ出かけて日の出を見たいと考えていたが、何せ地元でないため、日の出スポットが思いつかなく、とりあえず浅間山が見える場所へと車を走らす。
車の窓から見える朝焼けは東の空を真っ赤に染めて、いやがうえにも期待させてくれたが、、、、日の出時刻には急速に広がった雲が太陽を遮り期待は萎んでしまう。
仕様が無いので、車から降りて早朝散歩に切り替え、津金寺にむかう。
今頃はどんな花が咲いているだろうか?と来て見れば、カタクリやキクザキイチゲなど早春の花は終わって、ニニンソウ、イカリソウ、ヤマブキソウ、ヒトリシズカなどがいまを盛りとしていた。
そのうちのいくつかを
左、クリンソウ 右、ラショウモンカズラ
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いまが盛りの林檎の花に見まもられて、久しぶりの農作業は身体にこたえた。
なにしろ、じゃが芋だけでも五種類。男爵10kgをはじめ、アンデス4kg、キタアカリ2kg、セトユタカ3kg、メークイン2kg、そして「難あり」2kg。ほかに葱と生姜、、、、
これだけ植えるに連れ合いの弟と自分が朝から、そして午後になって豊田から来た自分の弟夫婦を含めての一日作業になってしまった。
じゃが芋の「難あり」は種芋を使い尽くしたが、まだ、一うね何も植えるものが無くなり、肥料まで撒いた土地をそのままにしておくのがもったいなくて、近所の種屋に行ったら、「難あり」と書いた種芋があったので購入して、切って見たら1/3ほどが黒くなっている病気持ちの芋であり、そんな芋は廃棄処分にしたが、、、
静岡ではじゃが芋の花が咲き出している中、今年は、こちらでは、春先になってから寒暖の差が激しかったとかで、早く植えつけたほかの人の畑もまだ芽が出ていない状態とかで、通りすがりの近所の人も「丁度よい時期だよ」なんて挨拶をして過ぎていく。
今まで植えたことの無い種類のじゃが芋も植えて、さてどんな芋が出来ることやら、、、、夏のお楽しみ
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今日は、隣町の「みどりの村」という温泉で疲れ休みの投宿となったが、腕と腰に来た様子で、食事を済ませた後久々の再会にもかかわらず、眠気のほうが強くて早々に床に入ってしまった。
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#しらかば~青空 みなみ風
こぶし咲くあの丘北国の 北国の春
で、始まる「北国の春」千昌夫が1,977年に歌いだして延々と続くヒット曲であり、中国語やタイ国語でもリリースされて、今ではその国の歌だと信じている人までいるくらい国際的な歌の一つにまでなっている。
そして、この歌を歌いだした千昌夫が今度の東北大震の被災地出身ということもあって、歌謡ショーなどでシンボル的な歌として歌われているが、この歌詞を作詞した、いではく氏は生まれ故郷の長野県南牧村をイメージして作ったと後ほどはなしていたそうだ。
昨日、四月七日、例年より二週間ほど遅れていたが、長野でじゃが芋を植えるために野辺山を越えて南牧村を降る途中が丁度この歌の情景にぴったりだった。
青空を背景に、こぶしの花こそ少し前に最盛期を迎え散り始めていたが、桜が咲き、落葉松が薄蒼い芽を1~2cmほど伸ばし枝の先端を柔らかくみせていた。
まだ、体力が回復していない連れ合いの故郷へ、、、、普段でも五時間ほどかけて往く、信州への道をあちこちで休憩を入れながら七時間。
着いた町は、桜が済んだばかりなのに、気温は25度と静岡並みに暖かく、早速畑に入って、サツマイモの苗を25本ばかし植えつけて明日への英気を養う。
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ヤセウツボ。なんのも哀れな名前の花である。
ウツボというのは強面のする海のギャングから来たのではなく、矢を入れる靱から来た字であり、もともとはシソ科の青い花をウツボグサといっている。
しかし、この草はハマウツボ科の草であり、種が違う上青い色のハマウツボよりも地味な色の花を咲かせている。
そして、この種の特徴はナンバンギセルをふくめて寄生植物で、ヤセウツボはマメ科の植物、シロツメクサなどの根から栄養を受けて育っているため、葉緑素なしで成長し花を咲かせることが出来る。
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昨日、首相が記者会見を開いて、浜岡原発の停止を要請した。
これは電力会社の言いなりになってきた政府としては画期的なことであろう。
理由は、東海地震の震源域を直下に控えた場所にあり、その対策が十分で無いと判断した上でのことであるという。
自分も以前からそう思っていたので、その言や良しとする。
しかし、地元といわれる市の反応はいろいろあって、地元に相談してからというのがかなりあった。
しかし、原発事故を連日報道されても、この対策に異論があるのは、一つには原発からの補助金漬けになって市を運営している市長が如実に言っている「これまで国策に沿って協力してきたのに、地元の相談もなく、、、」という言葉であった。
今年もその補助金を当てにして予算を組んでいた六億円ほどが入らなくなったと嘆いていたこと、1、2号機のは廃炉が決った途端、6号機の設置を要望したことなどから、中部電力に”おんぶにだっこ” 麻薬を求めるような市政から抜け出せなくなっていたことわかる。
すこし、強い言い方になるが、原発が出来てから、四十年余、受けた補助金や地元の雇用などで落ちたお金で、別の産業などが興すなど自立の方向が見出せなかったのは、何時までももらえるあぶく銭という感覚がなかったの様な気がしてならない。
原発の無い他市町村が、それなりにやってきていたのに比べると、無策でしかなかった。
地元としては、東北の大地震によるとばっちりかもしれないが、もし、今回の地震が首相のいう東海地震でなく、東海、東南海、南海につながる超巨大地震だったら、同じ被害が浜岡で起きていた可能性が大いにあり、補助金どころの騒ぎ出なかったはず。
それらを考えて、百年の計を考える良い機会になったと思うが、、、、如何!
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うつぎ今日は立夏。春分の日と夏至の真ん中に当たる日で今日から立秋までを暦の上では夏となる。
そして、今日は旧暦の四月四日、弥生も済んで卯月に入ったばかりだが、この月を代表する花といえば「卯の花」しかない。
小学校唱歌「夏は来ぬ」にも
卯の花のにおう垣根に
ほととぎす早も 来啼きて
忍び音もらす 夏は来ぬ
上左、蔓になって伸び上がっていく額空木。上右、華やかな梅花空木
この歌を習った頃は、歌の文句が全て平仮名だったので、意味の分からない歌だったが、、、、、、、
卯の花、本名を空木(ウツギ)というが、その由来は木の中が中空になっておりその中をスポンジ状のしろい物質が詰まっている木で、その種類はアジサイ科やスイカズラ科、ユキノシタ科、バラ科など多岐にわたっている。
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ヒメヒオウギの赤い花があちこちで咲き出した。
漢字で書くと姫檜扇と書くそうだが、むかし、貴族が持っていた檜扇から来た優雅な名前なのだろうし、姫というのはお姫様が持っていたという意味でなく、檜扇という花を一回り小さくしたという意味である。
何時から家の庭に来たのか分からないが、その旺盛な繁殖力のためいたる所でこれから花が咲き出すことだろう。
アヤメの仲間だというが、その色といい花の形からおよそ考えられないし、花が終わると黒い種をあちこちに弾き飛ばすところもアヤメらしくない。
ともあれ、六枚の花びらの下のほうだけが口紅を塗ったように赤みが強いのがご愛嬌。
花びらの白いヒメオウギもあるそうだが、家の庭にはまだない。
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昨夜僅かながら降った雨で叩き落されたらしい黄砂が点々とウインドゥを汚していた。
ここしばらく、この黄砂のため山の端がぼんやりと霞んでいたものだが、次から次へと押し寄せてきているのか、今日もまたすっきりとはしない天気である。
最近では、中国の経済活動が活発になるにしたがって、この黄砂にも化学物質の量が増えてきていると聞くと、自動車の錆びが早くなるだけで済むのかと心配になる。
その一方で、目に見えない放射能ではこうも行かず、福島原発の近くに住む人々は、放射能にも色が付いていたらと思うのではないだろうか。
といいながら、この黄砂のように大量の死の灰が飛び交っては逃げていく先も無い。その危険は、直近の浜岡原発であり、北朝鮮の原子炉をはじめ中国やその他の国の原子炉であるが、こちらのほうは事故が起きてもすぐには公表しない可能性の強いところが多く、、、、
山の端がすっきり見えるようになっても、心はすっきりとしないことを今度の地震は教えてくれた。
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麻機田んぼのあぜ道にキツネアザミが紫の可愛い花を咲かせている。
やっと四~五日前に通ったときには気がつかなかったので、その間に咲いたようだが、花を付けている茎だけでも50cmはあるので、その成長力の旺盛さには驚くものがある。
この花は、どうも米の伝来とともに渡って来たそうだから、帰化植物といってもこれだけ古ければ、外国人三世みたいなもので日本古来の植物といって過言で無い。
筒状の花が束になって固まっており、その一つ一つから雄しべが突き出し、受粉すればタンポポのような綿毛で飛び散るので、そのいくつかが米にまぎれてきたものだろう。
名前の由来は、アザミに似てアザミではないというところからきているようだが、葉っぱに棘もなく、キツネアザミ科という一つの属を作っている。
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昨日の夕刊で、ビンラディン容疑者を殺害したと新聞に載っており、今朝がたのワイドショーはこの話題をかなり取り上げていた、アメリカ人は9,11の仕返しが出来たとして大喜びしている様子も写していた。
報道によると、前もってビンラディンの隠れ家をパキスタンン国内に見つけていて、ヘリコプターを使って急襲したそうで、その作戦はパキスタンにも知らせていなかったとある。
これって、取り様によってはテロというのではないだろうか。テロをテロで抑えれば、これでお終いというわけにはいかないだろう。
江戸時代の敵討ちでさえ、連れ合いや子供以外に出来ず、一度すればそれ以降の敵討ちは、たとえ返り討ちでも禁止されるなど厳しく規制されていたのだ。
いくら憎っくき敵とはいえ、他国の玄関先でそこの主人にも内緒で襲うというのは、、、、挙句の果てには、パキスタン政府は信用できないという話まで出てきては今後、国民感情としてはどうなるのか。
アメリカから見れば、アフガニスタンやパキスタン、イラクは属国としか見ていないような気がするし、中東問題でも、イスラエルに肩入れしすぎたことがアルカイダを作らせた元になっていることに気がつかないのだろうか。
また、ビンラディンを殺害した際に女性を楯に取ったので、ともに殺害したという報道がされて、彼を卑怯者扱いにしていたが、死んだものには口が無い。
生きて逮捕すれば後々国際法だなんだと面倒なので、生かしては置けないという西部劇的な乱暴なストーリーが初めから出来ていたに違いない。
とにかく、全てを闇の葬った報いは、、、、、。
追記
今日、5月4日になって、ビンラディンは武装していなかったそうだし、女性を楯にしていなかったそうだから、やはり初めから逮捕する気がなかったことは確かだし、事情も分からないうちに賞賛した日本政府はアメリカがなにをしても「ごもっともごもっとも」の茶坊主でしかない。
パキスタンが主権侵害されても抗議しないのは、洪水でアメリカに援助を受けているためと解説されていたが、今回の「ともだち作戦」も沖縄の基地問題を有利に進めようとする、意図があったのだろうか。 そんな風に解釈したくないのだけれど、、、、
原発に事故にしてもそうだが、国というものは、国民に情報を小出しにして、真相は闇に隠そうとしているのは何処の国も一緒か、、、、
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夏も近づく八十八夜 とんとん
野にも山にも 若葉が茂る とんとん
あれに見えるは 茶積みじゃないか
茜だすきに 菅の笠 とんとん
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今日は八十八夜、いまでも女の子たちはこの歌にあわせて手遊びをしているのだろうか。
お茶の取り入れもこの歌の頃と随分ちがってきて、手摘みのお茶もこの時期だけだし、畑には茶摘をする人もほとんどが爺婆のみになって、茜襷に菅の笠は夢幻に世界になった。
昨日の雨と打って変わって、気温はぐんぐんとあがり二十七度と夏日になり、艶々とした若葉の照り返しは気温を上乗せしているかのようだ。
ここ麻機の山は、新芽が出揃っているように見えるが、人手が無いのかシンと静まり返り、遠く県庁など静岡市街地が霞?黄砂の中にぼんやりと靄っている。
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尾根筋をぐるっと回ってくだり、城北公園に回ってみれば、ここも春の象徴ヒトツバタゴが雪を被ったように花を咲かせている。別名「ナンジャモンジャの木」といわれるこの木は一つ一つが細い花びらを持つ小さな花だが、なにせ、その数が多い。
気候を考えてか、大型連休中の登校日のためかいくつもの学校の生徒がこの公園に満ち溢れ、ナンジャモンジャノ下を走り回っている。
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狭い庭にも雑草といわれる草草が生えだしてきたので、蚊に食われ出す前に一度始末しておこうと雨が振り出すまでの僅かな間草むしりに励んだ。
その中の一つにオオバコがあった。草の割りに葉が大きいことから大葉古とも書かれ、牛車や荷車の通る道端に生えるところから車前草とも言われてきたが、昨日の茅萱同様背丈の高い草に負けてしまう弱い草でもある。
そして、草むしりをしていて思ったのは、普段人に踏まれている場所に生えているオオバコは指で摘まんで抜こうとしても中々抜けず、無理をすれば葉っぱは毟れても根が残る。
それに対して、踏まれない場所に生えているオオバコは簡単に根っこごとすっぽりと抜けてしまう。やっぱり雑草といわれる草は踏まれてこそ値打ちが出るものだなぁと、改めて感心する。
”草魂”をキャッチネームにしたピッチャーがいたが、、、、
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今日はメーデー。連合系の組合が東北地方大震災を機に自粛を名目に中止したが、その他の組合では小規模ながら開催したところもあり、静岡でも駿府公園で集会がもたれたようだ。
自分も昨年までは、駿府公園に行きかげながら見に行っていたが、空の具合をみていくのを止めた。
労働者を辞めて10年以上になるし、労働組合員というものは30数年前に脱退したきりだが、やはり、雨さえ降らなければ遠目に参加?してきた。
メーデーは、1,886年5月1日、アメリカで8時間労働を要求してストライキに入った日を記念して作られた労働者の国際連帯を強めるための日であり、日本でも大正になって行われ始めたが、1,936年2,26事件をきっかけに禁止された。
その後、敗戦によりGHQが許可して復活したが、自分たちで勝ち取った権利で無いだけに次第に腑抜け状態になり、労働組合が総評から連合という組織に大半がまとまると、闘うメーデーからお祭りになり、5月1日の意味さえ連休に関係のない日へと変更し、自粛で中止となってしまった。
前にも書いたが、理念の無い行事は当然廃止してしかるべきであり、労働者の苦しみを理解できず、自身の栄達を願うだけが能の組合幹部に支配された組織は、、、、、、、、、
ふかふかの土に根を張る雑草同様、あまりにも環境がよすぎる地には人も弱弱しくなってしまうものだ。
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