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2011年5月14日 (土)

ひときわ明るく

002 .

カラーの花が日当たりの悪い水路で咲いていた。

花の周わりだけがひときわ明るくするような感じで咲いているは、仏炎苞と呼ばれる白い襟のためであろう。

この花の花言葉に「乙女のしとやかさ」というのがあるそうだが、キリスト教の修道女の大きな白い襟に由来する名前だといい、静岡にもセーラー服の後に大きい白い布をかぶせている学校があるが、確かその系統の学校ではなかっただろうか。

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今度中学生になった孫が、少し大きめに作った学生服の襟に止めるカラーが汗をかいたりすると「痛くて」とこぼしていた。

そういえば、自分も遠いむかしカラーのついた学生服を着た記憶がある。

その頃は、セルロイドでできていたと思ったが、すぐに折れ、その後補充品がなくそのままだったのではなかったろうか、記憶は折れて代わりのものが無かったところで終わっている。

近くに商店も無い山の学校だったので、すぐさま代わりがあるはずもなく、そんなに服装のことをとやかく言う風習もなかったに違いないと思っている。

とにかく小うるさいものだったことが記憶にある。

学生服に白いカラーが付くのは、明治になって、政治家や官僚が洋服につけていたことから始まったようで、そこから、高いカラーという意味で「ハイカラ」という言葉が生まれたようだ。

当初は西洋かぶれで外面を取り繕い形式ばかりにこだわる軽薄者という意味もあった、、、

そのご、軍服や学生服の襟の汚れを防ぐためと襟をピンと立てるためにつけるようになって、「ハイカラ」という言葉も廃れてきたようだが、首周りを固いものでぐるりと取り囲む窮屈さはセルロイドからポリエチレンなどに変わっても変わらない。

いまどき、カラーの着いた服は学生服にしかなく、活動が激しく成長期の子供には適した服装とも思えないが、これを廃止しようとする声が無いのは、学校側なのだろうか、保護者側なのだろうか。

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1,960年代だったか、コニーフランシスが歌い、中尾ミエだったかが日本語で歌ってヒットした「カラーに口紅」って歌があったが、これは、大人の話し。

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コメント

おばさま
カラーの物炎苞が妙に輝いているのが気に入って写してみました。この写真を見ていて思いだしたことを書いてみた次第です。
私の父親も、戦後かなり遅くまで軍服を着ていました。と、言うのは、日中戦争初期に軍服だったので、生地もよかったらしく、冬になると引っ張り出して防寒具代わりにし、着つぶすまで使っていました。
この軍服も戦争末期、親の末の弟の軍服はほとんど使わないのによれよれだったことを思い出しました。

投稿: オラケタル | 2011年5月16日 (月) 07時42分

お久しぶりになってしまいました。
カラー清楚な感じですね。
愚息たちは詰襟ではなかった。
中・高校一環のクリスチャン校でした。
最近はブレザータイプの制服が多いように
思います。
軍服 わが父のものが一着あります。
なぜか 捨てがたく。

投稿: おばさん | 2011年5月15日 (日) 22時32分

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