« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月30日 (木)

国の名を冠した花 シモツケ

043 .

昨日登った真富士山の山頂にシモツケの花が咲いていた。

045 五弁の濃いピンクの花を密集させて咲いているさまは、最近園芸品種として庭に咲いている同じ花よりきれいに見えるのはこちらの思い込みであろう。

シモツケとは漢字で下野と書き、平安時代以前から歌に読み込まれるなどしてしられていたが、名前の通り茨木県の古名であり、そこで見つかったとされたところから国の名が冠せられた珍しい花である。

Img_0076 よく似た花にシモツケソウと言うのがある(写真、左)が、字の通りこちらは草でありシモツケは小さいながら木である。

静岡では、この山以外にも愛鷹山などにも自生している。自生地は冬になると雪も降る高冷地であるがかなり厳しい環境の中でも育つところを見ると花に似合わず強い植物なのであろう。

.

.

.

.

016a .第二真富士山山頂(1,401m)

.真富士山は、第一、第二という二つの頂上を持ち、その距離は2kmほども離れているので、これを一つの山と見るのは少しおかしいと思うが、地元の人がそう名付けたのなら仕様が無い。

017a また、第二のほうが第一より60mほど標高が高く二等三角点をもっているが、第一には無い。

いずれを比べても標高1,401mの第二のほうが優勢なような気がするが、この分け方はどうなんだろう。

これは、自分の想像だが麓から見たとき第二は山影に隠れ、第一のほうが目立つた目だったためにこうなったのではないかと思う。

.

先日、テレビを見ていたら劔岳に3等三角点が2,004年になってようやく設置されたと報じていた。

日本有数の高山に三角点が無かったことは、新田次郎の「点の記」で知ったことだが、昭和30年代(二十代の頃)あの山に何度も登ったときには気にもしていなかったことだった。

劒岳(むかしはこの字を使った)明治四十年、参謀本部の測量官柴崎芳太郎が劒岳に登り三角点をおこうとしたが果たせなかった。

その間のいきさつを書いたのが「点の記」であったのだが、そのとき剱岳の標高を2,998,6mとしていたが、その後の航空調査などで一時は3,003mに変更されたこともあり、自分らが登ったときはその数字だったように覚えている。

ところが、2,004年、三角点を設置しGPSによる調査の結果2,998mになったのだが、明治の測量地点は、僅か20センチほどの誤差しかないことが分かった。

あの当時、全てを人力で資材を担ぎ行った、トランシットや平板測量で出した数字なのだが、よくそこまでの精度が出せたものである。

学校の授業で、初測量の精度が150分の1だった自分から見れば人間の領域を跳び越して神業としか言いようが無い数字を明治の人が出していたのだ。

      敬服

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月29日 (水)

高い梢にみえた一輪 (真富士山)

025 .

朝起きて余りの天気のよさに驚いた。

「これは梅雨明けだぞ!」って言ったら「久しぶりだから山に行っといで、明日は注射でまたわたしの体調が悪くなりそうだから」とのこと

この時間では近場の山しかないな、真富士山にでもしようかと出かける。

途中、ラジオは名古屋方面は気温37度になりそうだという。駐車場に着いてみると車載の温度計はすでに二十四度になっていた。

ホトトギスが甲高い声で鳴き、春蝉がジーコジーコと啼きだしているなかを黙々と登る。

この山、自分なりに五段階に分けている。最初は手入れを放棄した檜の薄暗い斜面、それを抜けると谷までの緩やかな横道、ついで谷沿いの道を登ればヲイ平(多分大井平だと思うが案内板にヲイ平と書いてある)、道はここから急斜面になって尾根筋に上がる。

ここまで、一時間二十分。吹き上げてくる風が強く汗をかいた身には気持ちよく感じて一休み。

015 これから先には五月にはイワカガミ咲き赤八汐ツツジが咲いていたはずだが、今は何も無い。花のない山なのかと諦めも入れて登れば足元に白い花がいくつも落ちていた。

直径3cm余り、これは珍しい。ヒメシャラではないか。

この尾根筋には、かなりの数のヒメシャラの木あるのは知っていたが、いままで花咲くのを見たことが無かった。

一抱えもある木肌がスベスベの巨木で高さは10mを越しているだろう。自分がこの花を見るのは五年ほど前に沼津の愛鷹山で見て以来なので期待して仰ぎ見たが、下の葉が邪魔をして姿を見せてくれない。

あちこち場所を変えて、ようやく探し当てたのが、写真の花。高い梢に垣間見た一輪はかなりのピンボケだったが、、、、、、、

撮りおえて第二真富士山頂上に着いたのが、登り出して二時間少したった十時半。一休みの後尾根筋を引き返し第一真富士山にには十一時少したってから、ここで昼休みに入り下山したが、登るとき葉の一部を白くしたマタタビを見ていたのだが、葉の裏を見ると丁度花盛りの季節だった。

075w .

花の無い時期の山行きと思っていたら、一番最初に見た蔓が花盛りだったとは、何だかおとぎ話の「青い鳥」ようでおかしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月28日 (火)

ネジベェは

009 .

今年はどういうものかネジバナをあちこちで見かける。それも数多くの花が寄り添って咲いているのを、、、、、、

006 ネジバナは花の咲き方が一本の茎を捻じるようにして花を咲かせているところから名付けられた花であることは説明も要らないほど明確である。

その花一つ一つは、五弁の花びらを小さな唇状に尖んがらせており、淡いピンクの色とともに愛らしい姿をしている。

そして、人のすぐ傍に咲く愛らしいラン科の植物でありながら、家に持ってきて鉢に入れても育ちにくいのは、菌根と言って根にある種の菌が付かないと育たないことにあるという。

今年は、種はもとより、その菌が多かったのだろうか。

.

我が家は代代”ネジベェ”と言われてきた。もちろん自分もそうであり、飛騨人は一般にそういう傾向があり、明治維新の際には新しい改革を強引に推し進めようとした梅村速見という知事を百姓一揆で追い出したことでも知られている。

とにかく、”因習固陋”と言われようが権力者の言うことには疑ってかかる癖が付いている。

そのことは、先の大戦末期に富山を空襲するためにB-29が編隊を組んで頭上を飛んだとき、日本側の抵抗が何にも無かったことを不思議と思ったことに始まる。

生を受けて以来、大本営発表から福島原発まで、権力者は都合の悪いことは隠し、出し惜しみする。

”ネジベェ”はそんなこと幼児の頃から知っている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年6月27日 (月)

ランデブーに水を差す

002 .

青々として勢いを増してきた田んぼの中に赤いものが見えたので境界杭かなと思いながらもカメラのレンズで引き寄せてみた。

すると、ゆらりと動き出したので、雄の雉の頭部だということが分かった。

見つけてカメラを取り出して覗くまでの間ちっとも動かないでいたので、以外だった。しかし、向こうはその間中こちらを様子見していたのだった。

動かなかった理由は、ランデブー(いまでは古い言葉になってしまった)の真っ最中だったことにある。「ようよう ご両人」と古臭い言葉で水を差せば、気まずそうにこちらを向いたが、すぐに十月の鹿。

大体この時期、草木が茂るので”声はすれども姿は見えず”であり、見えたとすれば、雛を連れた雌鳥が急ぎ足に道を横切ったりする頃なので、今頃つがいでいるのは珍しい。

013 .

カメラを向けたことにより、あちらも人間が覗きをしていることを確認した様子。雄雉は「俺が責任を取る!」といわんばかりに、稲の上に上半身をさらけ出して注意を一身に引き受け田んぼの中をあちこちと動き回り、雌が藪に入ったのを見届けて後に続いた。

それにしても、今年はこれで何度目になるか、雉の当たり年といってよいほど見かける。

そして、雉とカワセミはどんなに写真があってもレンズを向けてしまうのは、どうしてだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月26日 (日)

見た目と味に差があった

006 .

梅雨明けを思わす猛暑日にはやはり身体が追いつかない。

昨日のブログ休みはそのため、そして、今朝がたのお湿りは最低気温が二十四度といいながら結構涼しく感じられた。

ほんの少しのお湿りのため、茂った葉陰に実るヤマモモは一滴の水滴も付かないでいたが、今にも追加の雨が降りそうな空模様は全ての色を吸い込むかのようにモノクロの世界を演出している。

ヤマモモは海岸近くの温暖な地に育つため、静岡に来るまで知らず、榛原町の山で見かけたときにはこれがあの木の実かとしばらく見つめ口にしたとき、少し松脂臭いような味わいに驚いたものだった。

熟れると真っ赤から黒っぽい臙脂色になって落果するのだが、その表面の粒粒はなんとも食欲をそそり、一粒二粒とつまんでみるが、、、見た感じと味わいに差が有ってその程度で終わる。

.

045 おととい、小笠原諸島が世界自然遺産に、昨日が平泉の中尊寺毛越寺が文化遺産に指定され日本の世界文化遺産がこれで十六個所になった。

これらは世界的に見て貴重な遺産であり後世に残して行かなければならないものとして認定されたのだが、そのための対策には周りの人々を巻き込んだ保護策がいままで以上に必要になってくる。

ただ、世界中にどのくらい自然遺産や文化遺産があるのか知らないが、認定されたときこんなに大騒ぎするのだろうかと疑問に思った。

テレビを見ている限りでは、ただ観光客が大勢来て落としていくお金だけが焦点になっているような印象を受けてしまうのはこちらの僻目だろうか。

静岡にも、暫定リストに富士山が入っていて関係者が躍起になっている。まえに自然遺産はリストから外れたため文化遺産でということらしいが、信仰の山というには木曽の御嶽山や大台ヶ原のように白装束の行者や山伏姿の人が登るのを見たことが無い。

前にも書いたことがあるが、富士山はそれだけできれいで象徴的な山であり、国立公園ででもある。

ただそれだけではダメなのだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月24日 (金)

虫酒場のように

016 .

アカメガシワの淡い黄色の花が咲き、虫たちが甘い蜜を求めて集まってくる。まるで虫酒場のように、、、

傍によって見ると、花びらも見えず、黄色い雄しべが密集して花開いている様子で丸い玉はその蕾だろうと推測する。

アカメガシワは赤芽柏と書かれるが、柏とは種類が違い、名前の言われは新芽のときの鮮やかな赤色と柏に似た?大きな葉っぱをしていることから名付けられたいい加減な名前である。

009_2 この木は雌雄別株で、左の写真の花は雌花。

雄花に比べると地味な存在であるが、虫たちには雄花ほどではないが、それなりの魅力があるようで、受精率は高く秋には真っ黒な実を沢山つけている。

また、生命力が強く、荒地に強いようで重機でかき回した土地に真っ先に参入し、茎を切っても横に這った根から新しい新芽を次々に増やしていくので絶やすには根から掘りあげないと出来ない。

今日も、麻機山の農道脇に咲いているアカメガシワにナミアゲハが食事に来ていた。

そして、すぐの選手交代するかのように新しい昆虫がいれかわり、あるいは同居するかのように立ち寄っていく、、、、、

023 029

ひだり、ベニシジミチョウ       みぎ、蜜蜂 ともに花に埋もれてご満悦

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月23日 (木)

屁の河童

「暑い 暑い」を連発しても始まらないが、この蒸し暑さだけは何とかして欲しい。

他所の国でもこの暑さを経験したことがあるが、同じ暑さでもオーストラリアなどは海岸でも湿気が少なく、暑さよりイタイ!っていう感じがしたものだが、これはこれで問題がありそうだ、、、、

とにかく今夜も寝苦しい夜がつづくだろう。

.

028 .

032 午後になって、茗荷の葉陰から何か音が聞こえるのでのぞきこんでみたら雨蛙が、大きな葉を日よけにして何かつぶやいているように啼いている。

顎の下を膨らませて、人間には聞こえない音波でメスでも呼んでいるのか、それとも、自分同様急な暑さに体力が追いつかないので雨乞いの呪文でも唱えているのだろうか。

面白半分に、井戸水をシャワーにして降らせて見ると、たちまち身体を細くしたものの”屁の河童”状態で気持ち良さそうにその場を動かない。

メタボの自分から見ればこの変化はうらやましい、しかし、当の蛙は「俺の雨乞いの呪文が天に通じた!」とでも言っているかのように、大威張り。

.

菅首相が野党はもとより身内の与党執行部の辞めろ攻勢にめげず、一向にやめる気配を見せることが無く、逆に内閣改造も視野に入れて追加予算はもちろん政権の延命策を図っている。

それだけ、日本では首相の権限が強いということである。

古くは細川政権が、そして、安倍、福田、鳩山とお坊ちゃん首相がいきなり政権を投げ出したのに比べると、その粘り越しの強さは目を見張るものがある。

見様によっては、権力に酔いしれ、しがみ付く醜態かもしれないが、周りの「辞めろコール」にも「屁の河童」で居られるのは世の中の風潮を見ているためかもしれない。

いまここで、首相を変えて震災復興が、東電原発事故が急に回復するのならそれも良い。しかし、変えてみても飛躍的に改善できるだけの力量がある人が何処にいる?と国民は見ていて、あれほど喚きたてている自民党や公明党にも強気を崩さないで居られるのかも知れない。

誰のための政治家か、、、この人たちに「首相交代」というシャワーを浴びせてみれば、みんな自分の手柄にして吹聴して回るだけ、”後は野となれ山となれ”では無いが、すぐ次の首相の首の挿げ替えに奔走する輩ばかりに見えて仕様が無い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

百合の花咲く掛川城

012k .

今日は夏至。一年のうちで一番日照時間が長い日?だという。そのためか、急に晴れ上がった空からの日光は、ギンギラギンと暑さを積み重ね、午前中に三十五度を突破してしまい身体が追いつかないでいる。

それでも。昨日「掛川の逆川の土手の百合が綺麗だから見においで」と言う誘いを受けて向かった。

駐車場に車を入れて、大手門をくぐった先の遊歩道からみた百合は聞いて想像していたより豪華であった。

散歩できる遊歩道からは掛川城の天守閣も見え、百合の花咲く天守閣と銘打ってもよいくらい、来年辺りから大々的に宣伝するとも聞いた。

005 .

なんでも、地元の園芸関係者が最近植えだしたとかで、川の両側600mにわたって40種、3万3千本が植えられたとのこと、、、、我々にとっては無料で見られるということが何より

008 逆川はもともと掛川城の外堀だったようだが、河床が高く、たびたび氾濫していたのを昭和のはじめ大改修で河床を下げ、さらに、最近になって両脇に鉄矢板を打ち込んで更に深くしたようで、道路から6~8mも下を流れている。

そのとき、川の流れを変えたのか、後ほど立て直したのか大手門の内側を川が流れている。と言う不思議な構造になっている。

ともあれ、坂を上るのがつらいという連れ合いのお供で、川沿いの遊歩道をゆっくりと往復し、茶屋で休んで帰ってきた。

.

夜になっても気温は下がらず、、、初クーラー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月21日 (火)

この田は豊年?

007 .

我が家から1kmと少し離れ、周りを住宅に囲まれた千代田の田んぼに今年もホウネンエビが戻ってきた。漢字で書けば「豊年海老」となり、豊年も海老も日本ではめでたい存在であり、その両方を掛け持っている珍しい生き物である。

021 .ガラスの器に入れて写してみると

011 体長、1cm少しとごく小さく、これといった防御方法も無いのに2億年前から姿を変えず生き残っているということは、案外生命力の強い生物である。

さらに、拡大してみると雄だといわれる個体には雌を捕まえる角みたいなのが突き出しており、カンブリア紀に栄えたアノマロカリスを思わせる雰囲気があり、いかにも古代の生物と言った雰囲気充分、、、

緑色の細かい足を小きざみに動かして移動し、時には背面泳ぎになって泳いでいる。目は先端両側に突き出しているがまるで身体から飛び出して離れているのでは無いかとも見られ、尻尾は赤く二股に分かれている。

毎年田んぼの水がぬるむこの時期に発生するが、本によると一ヶ月ほどの寿命だと言う。そして、卵を産むのだが、この卵が強いようで田んぼが干上げっても、重機などで踏まれても堪えないそうで、雨で出来た道端の水溜りで発生いしたれいもあるという。

この虫が発生すると豊年になると言ういわれは、田んぼが肥沃なところに出てくると思われたことによる。しかし、現代では農薬によって死滅させられていることから、豊年海老が発生する田んぼは農薬が少ないか無農薬の田んぼの証明になっている。

この生き物、田んぼにあっては細かすぎるうえ焦点が合わせ難いので、掬い取ってきていろいろな容器にいれ、角度、背景に工夫して写してみたが思うようにはいかない。

ようやく写し終えたあと、近状の田んぼに放して見たが、来年この田んぼに発生するかどうか、、、、また楽しみが増え

.

002 アノマロカリス、いまから5億2千万まえのカンブリア期に生存した肉食動物。

体長はホウネンエビと違って1mくらいもある大物だそうだ。

また、全体像が分かったのはごく最近で、以前は頭と胴体が別々な生き物として本に載っていた。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年6月19日 (日)

たら~りたらりと

018hiki .

さぁてお立会い、御用とお急ぎで無い方は見てごろう聞いてごろうじ

手前ここに取り出だしたるは陣中膏は”がまの油”でござる。

、、、、、、、、

この蝦蟇を四面張ったる鏡の中に入れ申すと、小心者の蝦蟇は己の姿の醜さにタラ~リたらりと脂汗を流す、その汗を柳の枝で集め三七 二十一日間ゆっくり煮詰めてできたのが、この油、、、

と、刀を腰に差して言う口上売はもう遠い過去のものとなった。

上の写真は、蝦蟇の油を取る四六の蝦蟇ではもちろん無い。用水路に落ち込んで這い上がれなくなったウシガエルであり、ガマガエルに比べればいくらか美人である。

飛び上がろうにもコンクリート壁が高すぎて思案に暮れているのだが、見た目にはおのが姿に脂汗を流しているようにも見えないでもない。

ウシガエル、その鳴き声が低温でボーボーと聞こえるところから名付けられたのだが、そのむかし、食用にと輸入された悲しい歴史を持つ。

いまでは、この蛙を捕らえて食べる人はまずい無いだろうが、これとよく似た蝦蟇蛙(ガマガエル)は子供の頃までは食べた。足の皮を剝ぎそのまま縄に刺して干したものは鶏肉にも似て美味い物だった。

蝦蟇蛙を食べる。これは自分だけの特殊な経験で無しに、自分の子供の頃まで飛騨では普通に行われていたことだし、全国的にも食べられていたはずのものである。

飛騨では、この蛙のことを”どんびき”と言ったが、土地によっては”ひきどん”といい、山の主的な存在として崇め奉って扱っていたことがわかる。

ともあれ、今日は父の日。

我も、ひきどんに似せておのが姿(こしかた)を眺めてみようかと思う。

たら~りたらりとあぶらあせ   

ただし、この油どんなに煮詰めても薬にならず、、、、、

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年6月18日 (土)

ガマズミの白い花

041 .

遠目には雪を被ったように白い花を付けた木があったので近寄ってみたらガマズミだった。

043 「ほう、こんな低い山にもガマズミの木があるんだ」と感心した。

花一つ一つの径は5mmほどか、小さな花弁に似合わず白い雄しべを精一杯突き出しているため、輪郭が幾分ぼやけたように見え、一つの大きな花かと思わせる。

この木は秋になると密集した赤くて丸い実を沢山つけ、口に入れるととても酸っぱい。子供の頃何度か食べているので、梅干同様木の実を見ただけで唾の出てくる実である。

よく、ナナカマドと見間違える人がいるが葉っぱは丸い形を、実は垂れ下がること無しに上向きに実らせている。

はたして、この木も実をつけるのだろうか、焼酎につけて薬用酒として利用されているが、熊もこの実は好物なので、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月17日 (金)

同情するなら

024 .

木偏に神と書いてサカキ(榊)といい、日本では神前に玉串をささげるときに使われる神聖な木である。

どんな理由があってこの木が使われるのか知らないが、その花はいかにも清らかげな花を咲かせる。

椿の仲間と言われ、白い六弁の花弁を下向きに開き強くは無いが芳香を放つ、、

蕾は、白い卵を思わせ、花に比べるとごく小さなものである。

.

三月十一日からこっちテレビのワイドショーは震災の関連ばかりなので余り見ないようにしているのだが、先日も集まった義捐金が震災から三ヶ月もたつのになかなか被災者のもとに届かないと言う報道が成されていた。

みずほ銀行のオンラインがパンクするほど善意の寄付は一日でも早く援けたいという思いが気持ちからだったのだろうが、なにせ、公平を気にする余り、上手く行っていないようで、日赤で渋滞しているそうな。

先日も伊豆のほうで震災ボランティアに行っていたことのある人が、あろうことかタコ糸で縛ってある募金箱を盗んだとして逮捕されていたが、そんな不祥事は「日赤なら無いか」と思って寄付したのだが、まだ届かない。

1,994年「家なき子」と言うテレビドラマの中で安達祐美扮するところの主人公が「同情するなら金をくれ」といって、その年の流行語大賞を貰っていたが、いま東北の震災被害者も「ガンバレ! 俺たちが付いている」なんて言葉百万回より、口には出せないが当面の生活を助けてくれ、(金をくれと言いたいのではないだろうか。

孫子の兵法にも「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とあるように、作戦会議で長引かせるより、少しくらいの失敗しても天の時地の時を見て早くしなければならないと説いているではないか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月16日 (木)

星の形のキキョウ

Kikyou .

今月初めに写したこの花の名前がようやく分かった。

015 桔梗に似た色合いと、雰囲気から桔梗の仲間とは思っていたが和名を”ホシキキョウ”というそうだ。六枚の淡いコバルト色の花弁から星を想像しての名前だろうことはわかる。

茎をスッキリと伸ばしている立ち姿は清楚なお嬢さんと言った雰囲気。

もともとの名前をセルビアンベルフラワーと言い、セルビアが原産地だと聞くと世界の火薬庫といわれる彼の地の原野にこんな花が咲くのかと不思議な気がしたのと同時に、美しい花の陰に別の姿があるのではないかなんて気もする。

写真を写した場所は、道脇の分離帯の中にほかの雑草に混じって咲いていたが、特に植えられたような形跡が無いところから、どこかの庭か園芸店から、いや戦乱のセルビアからの亡命?と思われる。

歩道との分離帯でしゃがんで見ていると、テレビ歌謡に「花とおじさん」と言うのを思い出した。

植木等も歌ったことがあるが、花にキスをしたら、おじさんあなたは優しい人ね、私を摘んでお家に連れて行って、、と言う歌があったがこの花もそういっているような気がした。

しかし、このおじいさんは誘惑にも負けず、様子見しただけで、散歩から帰ってきた。

Img_0005 今日の新聞には、麻機遊水地に咲いているオオキンケイギクを遊水地の「自然を守る会?」が外来種として繁殖しすぎるのを防ぐため抜き捨てていると報じていた。

どれほどの効果があるのか知らないが、このはなも将来は、、、、なんて思ってしまう。    それにしても可愛い花(プティットフール)である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

エコ刈り

011 .

015 麻機農道の脇にメハジキが一列になって咲いている。しそ科の花だけあって薄紫の筒状の花を15センチほどの花穂に咲かせている。

道路とブロックで作った石垣の境に根を下ろしているのだが、毎年咲いているので多年草かと思っていたら、二年草だと言う。

こんな窮屈なところで毎年花咲かせずとも、種を飛ばしてほかに移れば、、、と思うのだがここから動かず、周りにも種を飛ばしていないのか、育たないのかここから動こうとはしない。

そして、毎年のようにここには揚羽蝶が立ち寄っていく。きょうもナミアゲハがチョンチョンと花の蜜を吸いながら、ひと目を気にせず密を堪能していた。

019_2 名前の由来は、子供が茎を折り裂いて眼の上瞼と下まぶたに挟んで眼をパッチリとさせて遊んだとか、まぶたの力で遠くに飛ばしたので”目弾き”となったと言う話があるが、自分はあいにくそんな危険な遊びをしたことも無いし、静岡に来て初めて知った植物なので帰化植物かとさえ思っていた。

また、全草を乾燥させて女性用の薬として使ったことからヤクモソウというが、こちらは八雲ではなく母に益する薬と言うことで”益母草”と書くとのことである。

.

.

先日テレビを見ていたら、多分東京のほうでだったか男性の短い髪型を”エコ刈り”と名付けて普及させようとしている。と報じていた。

理由としては、髪の毛が短ければ、洗髪の後タオルで拭くだけで済ませることが出来るからと言うことで付けられたそうだ。

最近の男の子は、洗髪の後髪をドライヤーで丹念に乾かしているそうで、その電力も減らそうではないかと言うことだそうだ。

何時のころから男の髪が長くなったのだろうか、たしか、#僕の髪が肩まで伸びたら結婚しようよ、、なんて歌が流行ったのはフォークソングが流行っていたころだったから70年代だったのかもしれない。

その前は、慎太郎刈りなんていって短かったし、自分なんかも高校までは丸坊主、5分刈りでずっ~と来た。

一時は流行に従って耳が隠れるほど伸ばしたこともあったが、それもいっとき、またしてもうなじ刈りあげ 揉み上げの経験無し過ごしてしまい、いまでは、耳に髪の毛がかかるとうざったくなってしまい、それが床屋へ行く時期である。

つまり、エコ頭でずーっと過ごしてきたことになり、表彰者かもしれない。

同じように、聞くともなしに聞いていたので正確さは欠けるが、節電を15%減らした家庭には表彰し副賞に金一封と言った市があったようだが、夫婦二人の年金家庭では出来るだけ電気は使わないようにするのが常識。

そんな家庭では、電気を節約せよと言ったところで、これ以上無減らそうにも15%は難しく、寒冷地育ちの自分は暑さに弱く、夏場冷房をいれれば、逆に電気を使うようになりかねない。

止めて熱中症になっては元も子もなく、もし、静岡市でそんなことをしようものなら、電気使いすぎで逆表彰ものになりかねない。のだが、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月14日 (火)

霞む空が大きく見せる

033q .

久しぶりに夕焼けを見たような気がした。赤い夕日がタチアオイの隙間を縫って山の端に沈む、靄に霞む空だけに赤みが増し、大きく見える。

039 小さな田んぼばかりだから、欧米のような機械化は無理だと言われた日本の田んぼだが、最近では搭乗式の農機具などが入って、田起こしから田植えまでほとんど機械がするようになった結果。

雑草だらけの田んぼがあっという間に緑のミシン目が入ったような水田に変わる。

赤い夕日が田の水に入れば、黄金色に輝きまぶしい。カルガモのつがいだろうか、黄金色に輝く水で羽繕いをすれば羽根が金色に輝きだすのではないかと見守る。

.

今日は、用事のついでに藁科川沿いの道を遡り湯の島まで行ってきた。

ここは、今年になってサンプルのお茶っ葉に数値の高い放射線が含まれいたことが分かり、更に精密検査をするとのことで百余りのある工場のお茶を調べる段階に入ったとのことで、お茶農家の表情が暗い。

心配は的中し、今日の検査結果では10工場中2工場が基準を上回ってそうで、自主回収を要請されたとのこと、、、。

地震当初から、「大丈夫大丈夫」を連発しながら、被害はどんどん拡大していく、20km範囲をとっくの昔に逸脱し、静岡にまで影響が来るとは思わなかった。

それだけに、原発の事故は底知れないものがあると同時に、東京電力や政府が情報をひた隠しに隠していたことが分かり、むかしの大本営発表の愚を繰り返していることになる。

こんご、10年を待たずして、あの時はこうだったと言う内輪話や告発本が出たとき、国民がどれだけ虚仮にされていたのか分かるだろうが、自分なんかはそれを知らずにおさらばしている可能性がある。

静岡の工場もどの工場かは発表されていない。大体、一番最初のサンプルに引っかからなければ、その産地全てが基準内と言う見方からしておかしい。

そして、基準超えが出ても、その中のどれかだけ、、と言うやりかたは意図的に放射能隠しになり、ひいてはお茶全体に不信感を持たせることにならないだろうか。

そんなことを思いながら、知り合いの農家に立ち寄って荒茶を分けてもらってきた。

「ここはどうだったの?」の問いに「ちっちゃい工場だから、まだ検査はしていない。なんとも無いと思うけんど風評が心配だね」と、、、基準がはっきりしない上、風評と言う靄が更に大きくしているようで、、、

「このお茶にもし放射能が有ったとしても、この歳になればどうってことないよ。また貰いに来ますから、取っておいてちょうだいね」と

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

浴衣姿の椿

041 .

平家物語の出だしの文章に

祇園精舎の花の色 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色は 盛者必衰の理をあらわす

驕れるものは久しからず 、、、、、

とあるが、諸行無常であるという一本線を縄のように裏になったり表になったりとしてに繫がっているところに面白味がある。

044s_5 この出だしに出てくる沙羅双樹はインドの育つ木で、釈迦がこの木の元で入滅したことから神聖な木として仏教では崇められてきたが寒さの弱い木のため日本では育たなかった。

変わりに花が似ていると言うことから、この花を咲かす木を「沙羅」といってお寺などでは好んで植えられている。

花の径は5~8センチほど、純白の花に黄色い蘂を置いているがいかにも清楚な感じがする。木の仲間としては椿であり、別名を夏椿と言うが花びらの厚さは椿よりぐっと薄く涼しげなところが、いかにも椿の浴衣姿と言った感じがする。

.

.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

これって古臭い?

021 .

泰山木が善い香りを漂わせて白い花を咲かせている。

木がかなり大きくならないと花を咲かせない木だから、普通の家での庭木には少し難があり公園や街路樹などにしているのが多い。

016 花の直径は開ききると20センチを越えるが、一番見ごろの頃には盃のような形にんることから大盃木と名付けられたそうだが、木の形花の立派さから泰山木と変えられたと書いてあった。

しかし、そうなると、朴の木のほうが全てにおいて泰山木を上回ると思うのだが、、、、

とにかく、辛夷科の花の特徴として花の寿命は二~三日、あとは茶色く変色して色香を失う。

まさに、花の命は短くて、、、

.

050 左、NHKのテレビ画面から

午後になって面白いテレビ番組もなかったのでNHKの陸上日本選手権を見るともなしに見ていた。

韓国で開かれる世界陸上選手権の代表選考会を兼ねているということで、いつものようにただ勝てばよいと言うだけでなく、設定された標準記録を上まわらなければならないとあって、かなり真剣に競技しているのが見て取れた。

ただ、ここで不思議だったのは、短距離やフイールドに目立ったのだが、臍出しのユニホーム姿の女性がやたらと多いことだった。

何年か前からマラソンなどで、外国選手がこのスタイルになっていたのは知っている。しかし、このスタイルになったからと言って記録が伸びる可能性はほとんど無い、というのは、男子選手に臍を出して競技しているものがいないことからも分かる。

このスタイル、さらに進化したらどうなる?相撲取りのようなスタイルにまで発展するのだろうか?。スタンドにはこの手のマニアが超望遠のカメラを構えているは水泳などの競技で逮捕者が出ていることからも想像できる。

50有余年まえ、今では普通の水着になっているワンピースのマリナ ブラデイーの水着にさえびっくりしていた時代に生きた、おじさん連中(お爺さんだけど)は眼のやり場がなくなる、もし競技場に行って「じぃっと見れば」セクハラだの、スケベ~だのと言われ、見なきゃ見ないで意識のしすぎだと言う。

セクハラだのチカンだのという前に、そうされないだけの節度があっての話と思うがどうだろう。

        (こんなことに目くじらは 古臭い?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月11日 (土)

頑固かとおもったら

012 .

昨夜からの激しい雨に打たれてスカシユリが果敢に空を仰いでいる。いまが盛りの花菖蒲などは首をうなだれて哀れな格好をしているのに、、、

スカシユリは透百合と書き、そのもとになったのは花びらの付け根のところに隙間があるところから名付けられたようだ。

もともとは、山すそで真っ赤な花を咲かせる少し小さめの百合だったが、その小ささが家に持ち込みやすかったのか、江戸時代になってから、いろいろと人の手が加わって、色合いさまざまに変化してきた。

ただ、空に向かって開く格好と名前の由来となった隙間は頑固に守り続けているが、雄しべも雌しべもこんなにぬらして大丈夫なんだろうか。

虫を誘う蜜つぼに雨が入って、水割りならぬ、質の悪いブレンドになってしまわないかと余計な心配をしてしまう。

「山百合や鉄砲百合などのように、下向きなら雨がかかっても大丈夫なので下を向きなさい」と言っても頑固に聞こうとはしない。

こんな花だから花言葉は「頑固」かと思ったら「飾らぬ美しさ」だそうだが、これ以上飾らないということは一種の頑固かもしれない。

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月10日 (金)

茄子科の花は

001d .

茄子科の植物ってのはどうしてこんなにもよく似た花を咲かすのだろうか。

色合いといい格好を見れば、蔓であろうが茎立ちであろうが、「千に一つの無駄も無い」といわれる茄子にそっくりである。

この花、ヤマホロシ、漢字で書くと”山保呂之”と曰くありげな名前になる。別名は、ツルハナスとも言われているが、ヒヨドリジョウゴと咲く時期も同じなので見間違えるくらいよく似ている。

016こちらが、先月写したヒヨドリジョウゴ

違いは、花の色の付き具合がヒヨドリジョウゴのほうが白いくらいだが、実ができるとその違いがはっきりする。

.

.

テレビは、沖縄地方が例年より二週間も早く梅雨明けをしたといっていた。ということは梅雨前線が北上したようで、朝から曇り空ながらむしむしとする暑さになり、少しでもすっきりとした涼しさには山あいに入ってみたほうがよいかと、山梨の峡南、富士川を登ってみた。

しかし、一応目当てにしていたとうもろこしも少し早いようで、貧弱なものしかなく、何度か行ったことがある内船の紫陽花もまだ先の話のようで、、、

そうなると、温泉にでもと佐野川温泉に立ち寄って人風呂浴びただけで帰ってきた。この温泉、一般効能のほか皮膚病や傷によいと聞いていた。

そして、源泉と加熱しているものを交互に四十分ほど入っていたら、温まりの湯だったらしく出てからポカポカしだして、下着が汗で濡れてしまうほどの状態になり、涼しさを感じるつもりが逆効果になってしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 9日 (木)

おたまじゃくしのおじいさん

029 .

麻機遊水地の排水路に一匹の大なまずが身動きもせず水底に腹ばっている。

長さはおよそ50cm、丁度日の光りが斜めに当たりかけた場所に近く、その反射光でよほど注意しないと見えないことを承知で潜んでいるように見える。

#おたまじゃくしは蛙の子 鯰の孫ではあるまいに、、、”という歌があるが、頭でっかちのその体型はまさにおたまじゃくしのおじいさんを更に上回っている。

以前は梅雨の雨で増水すると、このあたりでは群れを成して川を遡り田んぼの中に入って卵を産卵していたが、水路がコンクリート張りになり川と田んぼに落差が出来だしてから鯰の数はとみに減ってきたようで、滅多に見ることが出来なくなった。

030l いま、頭の部分をレンズで引き寄せて写してみたら、その濁ったような眼といい、半開きにした口といいかなり不気味な風格があり、撮影後、自分が覗き込んでいるのに気付いたらしく尻尾を一振りし、川水を濁して姿を隠した。

その姿の消し方から、「今に見てみろ俺だって地震ぐらい起こして見せるから、、」というような不適な面構えを見たような気がした。

.”たられば”ならぬ「先悔」

今でも使われているのだろうか「たられば」という言葉。似ているが”ニラレバ”ではない。

あの時こうして”たら” あそこでこうして”れば”という言葉の語尾をあわせて使う言葉で、無意味な後悔をを言い、そのむかしは「後悔先にたたず」という立派な言葉があったが、”たられば”はいかにも最近の時代にマッチした感覚で使われだした。

もっとも、流行語の寿命も短くなった最近では、はや廃れてしまった言葉なのかもしれないが、、、

今回の、東北大地震ではさぞかしこの”たられば”で後悔している人が沢山いることと思う。

その最大の原因は、津波が来なかっ”たら”であり、津波に対する防御が原発で出来てい”れば”だった。

いままで、津波警報は出されてもよほど注意しなければ分からない程度であり、海岸まで見に出かける人がいるくらいの小さなものだったことが、「狼少年的」な効果をもたらした原因でもあったし、原発事故も津波を過小評価したことにある。

後悔は先に立たないが、災害復興もなんだか訳のわからない争いで先のめどがまだ立たず、後悔ならぬ「先悔」は目に見えている。

どんぐりの背比べではないが、おたまじゃくしが束になってかかっても何の力にもなりえないのだろうか。

.

030 六月十一日の朝まで降った大雨で田んぼに上ったナマズ。取り残されたように植えたばかりの稲の間を動き回っていた。

運よく、伴侶に出会えたのならこの田んぼで野たれ死にしてもよいが、そうでなかったら、、、無駄になる。

恋は盲目。一か八かで命を懸ける。こんなことは自分には出来なかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 8日 (水)

集団の力(イタチハギ)

006 .

そういえばイタチハギのやつどうしているかな?と思って見に行くと開花時期もすでに終わろうとしていた。

008 毎年見てはいるのだけれど、今年はどの花も開くのが遅く、イタチハギも遅いと思っていたのだが、、、つい忘れていた。

イタチハギは遠目では濃い紫の花穂に金色の蘂が飛び出しており、長い穂先が黒地に金色をして風に揺れているさまは、金蒔絵のように見えて渋い感じのする花である。

いたちの尻尾に似ているとして名付けられたとのことだが、もう少しよい名前がなかったものかと思っていた。

しかし、花を一つづつ拡大してみると、花びらが見当たらず、葉巻の先端か雄しべ雌しべを突き出しているだけでなんともお粗末な花である。

ただ、これが固まって咲くと集団の力、というものを感じさせ、例えは悪いかもしれないが、我々が若い頃歌声運動で歌った歌のように、音痴も混じっているはずなのに全体として纏まっていたのと似ている、ことに気がついた。

034 ちなみに、一つ一つが整っている萩もこれこの通り咲き出していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 7日 (火)

姫桔梗草  念のいった名前

010 .花の径が2センチ以下と書かなければ

バイパス側道の植え込みに姫桔梗草をみつけた。

012 もともと植えてあったツツジが枯れてむき出しの荒地になっていたところなので、誰かが種を蒔いていったのか、何処からか種が飛んできたのかわからないが、ぽつんぽつんと五本が小さな桔梗に似た花を付けている。

桔梗はそもそも草なのに、似ているからと言って更に下に草をつけるとは念のいった名前であり、桔梗草を更に小さくしたという意味で姫が付く。

花の径は2センチに満たない小さなもので、頭頂部にしか花を咲かせないらしい。下のほうの蕾は開くことなく自家受粉で種を作るそうだ。

.

本日は、網戸の張替え

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 6日 (月)

虫たちには評判がよい花

004 .

麻機まわりに荒地花笠(アレチハナガサ)沢山咲き出した。昨年から今年春にかけて工事していた場所に繁茂しているさまは、まさに、名前の上に”荒地”が付くだけのことはある。

012 .

南アメリカが原産ということだが、高さ1m前後になる草の先端に2mmほどの小さな花の集団を乗っけている。葉の少ない茎の上にぱらぱらと咲くさまはあまり見栄えがしないので、園芸種として輸入されたものとは思えない。

しかし、この花は虫たちには評判が良いようで、蜜蜂や蝶が傍のハルジオンなどには見向きもせずたかっている。

虫たちにも占有範囲みたいなものがあって、一つの花に群がることも無いのだが、花によっては蝶のなる草みたいな感じがすることがある。

よく似た花に柳花笠というのがあるが、こちらは荒地花笠に比べて繁殖力が弱いようでまだ園芸種として庭先にとどまっているのが多い。

.

またこの歳になってミリシーベルトなんていう余計な言葉を覚えさせられた。

多分原発事故が無ければ知らないで過ごした単位であろう。

ところで、シーベルトとは何ぞやということになってネットで検索してみたら、スウェデンの科学者ロルフ、マキシミリアン、シーベルトの名を取ってつけた国際単位だとあった。

そのついでに、同様の単位ははと見てみるとベクレルはフランスのアンリベクレルであるし、古いのではフランスのノーベル賞受賞者のキュリー夫妻からとったキュリーやレントゲンを始め、そのほかにもパスカルだのヘルツ、オーム、ボルトなど数えかけたら数限りなくある。

ところで、日本人の名を冠した単位が見当たらないのは、それほど偉大な発見や科学の功績を残した人がいなかったのか。それとも、学界が西欧中心だったためかなのだろうか。

しかし、ホッとする面もある。もし、日本人の名を冠した単位が出来たとなると、300田中とか、200マイクロ鈴木なんてものが出来かねず、田中さんや鈴木さんという名の姓を持つ人はどんな気がするのだろうか、同級生にそんな名前がいたら言いにくい面もあるし、からかいの対象になるような気がする。

フランスやスウェデンではどうなんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 5日 (日)

第一関門

031 .

今日も雨は降らなかったがうっとうしい一日。

藤枝の瀬戸谷を遡り、ぐるっと一周して戻ってきたが、こちらのほうは花の端境期なのかめぼしいものは無し。

途中、朝比奈の山あいで見つけたアオモリガエルの卵。水たまりの上に差し出したカエデの葉っぱにいくつもの白い泡のかたまり。

新しいうちは純白の泡だが、次第に塵もついたり、酸化?して茶色くなり、溶けるようにして崩れていく。

崩れだした泡の中は、卵から孵ったおたまじゃくしがいるのだろうが、間近に見える白い泡にはまだ乳白色の卵が点々と散らばっているだけ、、、

なんだか、宇宙望遠鏡で写した”星の卵”ってやつを想像してしまった。しかし、宇宙と違うのは、下の水溜りに落ちてくるおたまじゃくしを狙ってイモリが待ち構えていること、、、

おたまじゃくしになった途端、生存競争の第一関門が待ち構えているのだ。

,

もう一週間くらい前のことになるのか、テレビで傷害の疑いで逮捕された男のことを一度だけ聞いた。

原因は、ブロック塀にサッカーボールを蹴っていた子供が塀を越えて飛び込んだボールを取りに行ったとき、そこに住んでいた男に叩かれたことが始まりだった。

その後、叩かれた子供を連れた両親がその男の家に行ったところ、今度は男親が半殺しの怪我を負わされ、助けを求めた子供の声で警察が出てきて、現行犯逮捕ということになったそうだ。

逮捕された男は「謝りに来たと思ったが、、」といっていたそうだ。

この放送は、一度聴いただけで、その後放送されたのを見たことがなかったので、何処の土地で起きたことか、ここまで書いたことが正確かどうかについては判然としない。

半殺しにするほど暴力を振るった男がどう言おうと悪いことには間違いない。しかし、むかしならこんなことに親が子供を連れて抗議に来ることはなく、逆に家で「お前が悪い」と、もう一つ拳骨の追加があるくらいだった。

塀に、ボールを何度も蹴飛ばせば中の住人はいらだつこと間違いない。現に、公園などで子供に大きな声を出させないように、と市役所に抗議が来る時代である。

子供に鷹揚だったむかしでも、野球のボールが飛び込めば取ってくる者を決めるのに揉めたり、家主に叱られたり、追っかけられたりはあたりまえで、漫画の題材にもよく使われたもの、、、ボールを取りに行くときは拳骨の一つくらいは覚悟して行ったものだ。

そして、そんなこととぐらいで親には報告なんてしたことがなかった。ただ、親が付き添っていくときは、その家の窓ガラスや鉢植えを壊すなど弁償がからむときなどで、玄関で頭を何度も下げさせられ、それが当たり前だった。

それは、暗黙のうちに人に迷惑をかければそれ相当の痛い目にあうということを教えられることであり、社会人としての第一関門であった。

しかるに、最近ではクレーマーといわれる世間知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが親になり、相手を謝らせることに快感を覚えたらしく、学校などでも理不尽なクレームをつけるなど問題になっている。

今回の親も、この手合いの人だったかどうか、以後のテレビはもちろん新聞やネットで検索しても出てこないので分からないが、どんな話し合いだったのか逮捕されたときの男の言葉として「謝りにきたと思った」にある。

それで想像して書いたのだが、重傷を負わせたのに報道されなかったのは、双方が社会的に無名の人だったためか、福島原発のためだったのか。

海老様のときとはえらい違いで、マスコミ的にことが始末されたようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 4日 (土)

虫(歯)の日

015q .挨拶を返されて気分よし

今日は一日中雨の気配はなかったが、湿気の多いむしむしとする気候で、気分的にはすっきりとしない日和になった。

011 これからどうする? とうちゃんってば

午後になって、麻機の散歩道を巡ってきたが、土用休みだったためか幾組もの小学生や親子連れが虫かごを持って昆虫を探して歩いている。

最近は、「知らないおじさんに声をかけられても無視して歩くように」なんて教えられているようで、前に何回か声をかけても無視されるので、だまってすれ違おうとしたら、「こんちは」と、挨拶され、慌てて挨拶を返した。

すれ違った後、振り返ってみると子供っちはスキップするような足取りで草っぱらのほうに向かう。とたん、気分がすっきりとしたから現金なものである。

.

今日は、「虫歯予防ディー」。調べてみると昭和3年から13年まで歯科医師会が語呂あわせでこの日を制定していたが、昭和33年になって厚生省が歯の衛生週間として制定したと書いてあった。

どういう理由で、昭和13年で虫歯夜予防を言わなくなったのか知らないが、自分たちの子供の時代はすっぽりと抜け落ちていたことになる。

戦争に駆りだされて子供の歯など診る余裕がなくなったのか、そこいら辺の草ばかり食べていて虫歯にならなかったのか、、、。学校に通っていた頃歯ブラシなどみたことがなかった。

当然、歯を磨く習慣はなく、歯を磨いていたのは良いとこのお坊ちゃんぐらいだったのか、自分の周りで見たことがなかった。

それでも、歯はいたって丈夫なままで過ごしていたが、恋知り染めた頃からようやく磨きだしたしだいであり、これは歯を磨くというより口臭を防ぐのが目的と言っていい。

また、この頃の歯磨きの方法は、歯に傷をつけないようにと歯ブラシを上下に擦るように磨くということであったが、仕事もリタイヤーしてから歯茎が弱くなって、初めて歯医者に行って指導された歯の磨き方は、「細かく左右に動かしなさい」と変わっていた。

しかし、その効果もなく、というか、手遅れになっていたためか、親知らずのほうから抜くようになって、今では乱杭歯やぐらつく歯を含めて36本になってしまった。

以前、80歳で20本の自分の歯を残すという運動があったと聞いたが、歯茎の状態からあと8年持つのだろうか。

もっとも、それまで寿命があればの話だが、、、、、、

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

再度のご出演

003h .

昨年も登場した八重のどくだみの花。

007 薄暗く湿気の多い場所に、点々と白い花が咲いているのは一種神秘的でさえある。

どくだみは、古来薬草として珍重されてきたが、栽培しているところは見たことがなく、いわゆる雑草である。

そのため、斑入りの葉を持つどくだみ、写真のように八重のどくだみは園芸家が品種改良の結果作ったものでなく、突然変異で発生したものではないかとおもう。

それだけに余計可愛らしいという感じがもてるのだが、よく見ると一重の花の蘂の部分から花びらが出てきているようで、ほかの花の八重のように、額から花びらが出てきているのとまた違っている。

しかし、そんな詮索を抜きにして、あまり綺麗なので、再度ご出演を願った。

.

015 .

鉱山の思い出話。なにから書いて良いのか整理が付かないまま、まず入社時から書いてみた。

「57111」は自分が鉱山会社に採用されたとき付けらたコード番号であった。

はじめの57は採用された1957年を意味する数字であり、次の1は10っ箇所くらいあった事業所のうちの1の付く事業所で採用されたことを意味していた。この数字が0なら本社採用を意味していた。つまり、公務員のキャリァーと一般職違いといえようか。

スタートラインが違うことを意味しており、給料体系や昇進、社宅など何かにつけて差別されていえて、コンプレックスと同時に反抗心や擦り寄って何とかしようという人が出てきて、まとまりを欠く不安定要素の一つになっていた。

そして、最後の11は採用順で、自分の番号は事業所付属の高等学校の50音順で30人中11番目という意味でいとも明快なコード番号であった。

その当時、その会社の全従業員は一万人を越えていたと思うが、毎年の採用はどのくらいだったか知る由も無かったし、この事業所でもその年何人採用したのか関心がなかったので知らないものの、後ほど永年表彰を受けた際、70人くらい居たような気がした。

昭和32年高校在学中から実習という名目で大人の社会に入ったわけだが、当時、失業対策事業法(?)というものがあって、一日働くと240円の賃金が支払われていた(いわゆるニコヨン)が、自分たちの賃金も実習中は247円でほとんど変わらなかった。

余談ではあるが、当時の円ドルレートは一㌦360円の時代であり、一日仕事しても一ドルが稼げない時代で、いまから考えるとゆめまぼろしの感がある。

それが、実習2年目で18歳になり、労働基準法で坑内に入れる歳になったとして、坑内で実習を始めたが、賃金は一躍500円と倍増し、卒業とともに”雑夫”として、働き出すと一日千円と倍々昇給をした。

当時、一般サラリーマンは「13,800円」という歌があったように、この程度の給料のころ、学校出たての若造が、この給料をもらうようになった。

この給料が手に入るということは、危険がともなう職場ということである。が、長くなりすぎたのでまたの機会に、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 2日 (木)

おかしいよ

004 .

今日は、旧暦の五月一日。

昔流に言うと今日降る雨から五月雨(さみだれ)といい。松尾芭蕉が読んだ”さみだれを 集めてはやし 最上川”は梅雨時の大雨で増水した川を歌ったものであると学校で習った覚えがある。

同様に、五月晴れも梅雨の合間に晴れ上がる空であり、日ごろのじめじめした長雨から開放される雰囲気を言ったものである。

そして今日も本格的な梅雨空が続く、普段なら、梅雨に入った途端青空が戻ってきて、梅雨は何処?なんて記事を書くのだが、、、、

そこで、梅雨が似合う花、といえばなんと言っても紫陽花に尽きるのではないだろうか。その中でも、淡い青色が、、、、と思うのは自分だけでは無いような気がする。

というわけで、雨の降りしきる午後になって青い紫陽花を探し回るというばかげた行動をした。

しかし、季節は梅雨入りしたとはいえ、あまり早かったせいか紫陽花の方が追いついていないようで開ききったものが少なかった。

.

Img_0085 .

まだ青い

今日は午後になって、内閣不信任案が提出されたことにともなう衆議院議員の投票が行われた。

結果としては、予想に反して民主党議員の謀反がほとんどなく自民、公明の党首は揃って「茶番劇だ」と口をそろえて言っていた事に茶番劇(未曾有の震災復興をそっちのけにして政争に明け暮れる)の茶番劇たる所以を見たようで、、、

このなかで、「おやっ!」と思って見たのは、羽田元首相のヨタヨタ投票。何年か前に脳梗塞を起こして身体が不自由になっていると聞いたが、前回の選挙で当選してきたのでいくらか回復したのかと思っていたら、そうでもなかったようだ。

介添えの議員に助けられての投票はどう評価したらよいのだろうか。病身を押してまで議員の職務を遂行するけなげな行動なのだが、、、、ここに至れば引退をして後進に道を譲るべきではなかったろうか。

とにかく、彼が投票を済ませた後、五月雨式に流れていく後続の議員が壇上で牛歩戦術のように立ち止まっていた。

前に長野の選挙区で聞いた話では、「息子に譲りたいといっている」とのことだが、それが本当なら議員職を私物化する老醜の限りであるし、そんな人を当選させる選挙民も、、、、である。(政治に対する情熱や理念をお持ちなら、中曽根元首相のように事務所を持って活躍されることをお勧めする)

それと、本題はこちらのほうであるが、かねてから小沢側近を自称して強硬論をはいていた、松木議員が党議拘束を破って不信任賛成の票を投じたことである。

1,959年生まれというから、50歳と少しという年齢で衆議院三期だそうだ。

たぶん、小沢派の会合などで長老といわれる老獪な議員の意見を聞いていきり立っていたに違いない。それが、今朝になって焚きつけていた長老が急旋回し、それぞれ反対票を投じたり、巣穴にこもったりしたのだが、若い松木議員は会派の急先鋒を自認し、長老の意見を代弁している積りで発言していただけに、急ブレーキーが効かずそのまま突っ込んでしまった、という感がまぬかれない。

投票の始まる前に、親切ごかしみたいに同僚議員が集まっているのをテレビは映していたが、それを見てそのむかし「加藤の乱」というのを思い出した。

当時の森内閣打倒のため、加藤元幹事長が不信任案賛成をしようと決起しようとしたが、仲間の議員から「あんたが大将だから」といわれて涙を流していたのを、、、、

しかし、その諌めは真に加藤代議士を思ってことだったろうか、どうも、変わり身の早い先生たちのポーズではなかったかと思うのは、その後、加藤代議士だけが泣かず飛ばずになり、誰もその乱の後、彼を支援する人がいなくなったことでも分かる。

そのなかには、小沢鳩山系の議員と裏工作して不信任案を出して失敗するという、茶番劇を演じた自民党谷垣総裁もいた。

松木代議士は、年の割には精神的に幼すぎる。国民がなにを希望しているかを汲み取ろうとしないで、会派(派閥)内の意見だけを盲信しすぎて発言し、引っ込みがつかなくなったこと、国会議員を三期も務めながら、議員の本音と建前、保身と変わり身の早さを見抜けなかったなかったこと。

それにしても議場の外に出てからのインタビューに泣き顔で「民主党も自民党もおかしいよ」には笑ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 1日 (水)

美女?はどの花にも

044 ,

今日も午後から雨になると言う予報の元、近場で一万歩を稼ぐべく散歩に出かければ、北側の山、竜爪山は雨雲を被り何時降りだしても不思議無い空模様となっている。

麻機遊水地の土手では、紅シジミ蝶が雨降る前に「花蜜を吸えるだけ吸っておけ」とばかりにあちこちに出没していた。

明るい赤色系の羽根は、シジミチョウのなかでも派手なほうになりよく目立つ。

丁度いまが盛んな姫女苑の白い花にはよく似合う姿かたち、いやどの花にもと言い換えておこう。

大きさは、3,5センチ程度か、黄色い雌しべの間を丹念に突いていた。

030 コウゾリナにも似合うでしょう。とばかりに

.

.

今日は衣替え。昨日までと打って変わったように寒くなり、気温は二十度に達することがなかった。

そんななか、お役所仕事をしている人だろうか、クールビズとかで、薄着でラフな服装の人が「寒くて、、、」とインタビューに応じていた。

今日が寒くなることは、昨日の天気予報でも分かっていたこと、それでも、「衣替えです」「夏服で出勤」と言われれば、薄着をしなければならないのだろうか。

杓子定規の硬直化した職場を見る思いである。生涯、現場で過ごしてきたものにとっては笑止千万なこった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »