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2011年7月31日 (日)

恋のかけひき

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瀬名、長尾川の岸辺で(アブラゼミ)クマゼミが自分より少し大柄な雌の下から近づき、耳が痛くなるような声?で歌いだした。

鳴きながら少しづつ間をつめていく。歌が上手なのかメスは動かないで聞き惚れているようにも見えたが、手がかかりそうになると少し動く、そしてまた近づくと動くを繰り返して上に、、、を繰り返しなかなか雄の目的は達成されそうも無い。

見ているこっちもやきもきしてくる。メスというものはどんな生物においても雄をじらせて手玉に取ろうとするものだろうか。

020_3 見ていると、メキシコで行われている好きな女性の家の下で歌を歌うmachismo(マチスモ、男意気)や歌劇ドンジョバンニに出てくるドンフアンのセレナーデを思い出してしまった。

それにしても、この(アブラゼミ)クマゼミよほどの歌うたいらしく、気がつくともう一匹がすぐ傍に来ていたが、変に恋の手練手管を使っていると、新しい恋人に横取りされそうなのが分からないらしい。

すがっている木はタラの木。

棘が胸刺す痛みは刺された後出なければ分からない。

アブラゼミとクマゼミを間違えて書いていました。思い込みとは怖ろしいもので、頭でわかっているのに、手が違う名前を書いてしまったようです。

惚けたのかな?pend-3さま、ありがとうございました。指摘されなかったらそのままにしていたと思います。

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001 これが本当のチキチータ

テレビからアバが歌う「チキチータ」(chiquitita)が流れてきた。

BS放送でスウェーデンの「ニルスの不思議な冒険」という童話に沿ってヘリコプターでそのルートを飛びながら観光するという筋書きで、キャーキャーと騒ぐだけのおねぇちゃんリポーターが出てこない番組だったので見ていた画面に挿入されていた。

この歌を初めて聞いたのは、昭和50年代の初めであった。先輩で、同じようにペルーのケチュアでボーリングに携わっていた人が土産代わりに持ってきてくれた録音テープに入っていた曲のひとつであった。

チキチータとは、小学校低学年くらいまでの可愛らしい女の子を意味していて、当然、ほかの曲同様スペイン語で歌われていた。

そのため、この歌は南米の歌手だとばかり思っていて、スウェーデンの歌手と知ったのは随分後だった。

歌は、スペイン語を少ししか分からない自分にも理解できたし、その透明感を持った歌声は印象がよかった。

chiquitita dime por que`  tu doler hoy te enncadena

チキチータ どうしたの     つらい顔をして(鎖に縛られたような痛み)

の歌いだしではじまる。この場合は幼い子供のチキチータではなくセニョリータなのだろうが、、、、、失恋の痛みから子供のように打ちひしがれているので、、、その辺の所はよく分からないので

ただ、一番最後にでてくる otra ves quiro ,,,は、「もう一回やり直し」と鬼のような顔をして仕事の中でよく使わせてもらった。

    

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2011年7月29日 (金)

黄色い花蜜吸った

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オグルマソウの黄色い花に紋黄蝶が戯れている。

まるで、黄色い花の蜜を吸ったので黄色くなった。と子供に話して聞かせたいような光景である。

むかしの童謡に 赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた  ってのがあっただだろう。 

それにしても、紋黄蝶の羽根の先端が黒いのは粋だねぇ~、、、よほどおしゃれな蝶だよ。

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いまアメリカの議会が日本同様にもめている。

膨大な国債を発行しているアメリカが債務不履行(いわゆる破産)にあと僅かでなる可能性が出てきたためだ。

ワールドニュースを見ていたら、現地の解説者が「問題の解決をそっちのけにして、党利党略で動いている」と言っていた。

国会議員が当面の重大問題を棚上げして、無駄な論争を繰り広げるのは、そのまんま日本にも当てはまることであり、万が一「債務不履行」、となるとその影響は計り知れないだろう。

ドル中心経済になれた世界は、経済大国のアメリカがそうなるとは今まで考えなかったことだけに、世界中がその行方に固唾を呑んで見守っているのに、当のアメリカが解決できないでいる。

これは、民主主義の悪いところかもしれないが、何処の国も支持者のほうを振り返って見てばかりいて先に進めないでいる。

経済のことは分からない男がこんなことを書くのもなんだが、20年も続く不景気なところに東北地方の地震でヨタヨタになっているはずの日本の円のほうが安定しているとばかりに、円買いドル売りで円の水準が最高値を窺っている雰囲気になってきた。

経団連は例のごとく「困った 困った」を連発し、政府に圧力をかけているが困っている業界ばかりではないはず。

円安になれば「困った」を合唱し値上げで転嫁してきた石油やガスなどをはじめ輸入関連企業は、逆に儲けている筈だが、そちらのほうは中国同様、ほうっ被りをして「無かったことにしようね!」と言っている。

何かといえば「消費税増税」「震災増税」に向きたがる政府、財界、一番困っているのは町工場や低所得国民なんだけど。

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2011年7月28日 (木)

何が魅力的なの?

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庭先で、こぼれ種から毎年花を咲かせるショウジョウソウ。

外来種ではあるが、繁殖しすぎて猛威を振るうような植物で無く、毎年10本ほどがあちこちに散って花を咲かせている。

010 漢字で書けば猩猩草。名前のいわれは花の傍の苞が花が咲き出すと真っ赤に染まることから名付けられた。

赤いものを猩猩という化け物にたとえて言うのはおかしいものかもしれないが、猩猩トンボ、猩猩袴などいろんなものに使われている。

そのショウジョウソウにハート型の文様を持ったヤマトシジミがいくつも訪れてきた。

まるで、ショウジョウソウに幸せを運んできたかのように見えるが、、、、、

多分、軒下にあって雨に濡れていないのが気に入ったのだろうか、それとも、花は地味だが蜜が甘いのか、、、、

ショウジョウソウだけあって赤い苞が魅力的だったのかシジミチョウならぬ自分には分からない。

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2011年7月27日 (水)

雨に打たれて

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朝からゴロゴロと尾を引くような雷の音で眼がするが稲妻は見えない。多分、この厚い雲の上で雷さまが太鼓を叩いて踊っていなさるんじゃろうな。

そして、#アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい、、、って歌があったが、ずぶ濡れになって帰ってきた。

とはいえ、夏の雨は生暖かく、身も心も冷え込んで死んじゃうようなことも無くシャワーを浴びたような気分の散歩であった。

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先日来、流通センター内のアカシアがそろそろ咲いているころと思って、今日の散歩はそちらのほうに廻ったことが濡れた原因であった。

行って見ると、どのアカシアも木元に白い絨毯を敷いたように、歩道を染めていたが、近寄ってみるとまだ蕾のままのが多く、一斉開花はしない花のような気がする。

ひとっころ、荒地に強い木としてニセアカシアが道路道肩などに植えられていたが、その木とは葉っぱがよく似ているものの花の付き方がかなり違う。

ただ、マメ科の植物だけあって花の格好は豌豆や萩などと色は違うが同じ格好をしており、色はニセアカシヤ同様、純白に輝いている。

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2011年7月26日 (火)

田んぼに侵攻

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010 隣の畠から5mほど離れた田んぼに侵入してきた蓮の花。

目まぐるしく変わった今日の天気も朝がたは、東の空が赤く染まる朝焼けであった。

そんななか、ポンッって後を立てような開き方の薄いピンクの蓮の花が一輪、ゆっくりと風に任せて首を振っている。

成長力の強い蓮は、30cmほどに育った稲を追い越し、すっくと起って葉を広げ花を咲かす、地価では四方に根を伸ばし、多分深さは違うだろうが、稲の根と肥料を求めて覇権を争っているのだろうか。

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それにしても、中国新幹線の脱線転覆事故はその後処理にびっくりしてしまう。

重機でめちゃめちゃに壊して穴に生め無かったことにしてしまい、翌日にはもう次の列車を走らせる、と言うのは、どう考えても無茶苦茶な対処の仕方。

「人の命は地球より重い」とは、福田赳夫元首相の言葉だが、それほど偽善的な気持ちはもっていないとしても、まるで、戦場のようなやり方であり、国際的には遅れた国、異質の国という印象は拭えない。

強権的な共産党一党支配のお国柄ゆえのことなのだろうか、、、、若い頃、社会主義に共感したこともある身にとって、中国は独裁国家であり、社会主義国家ではないと思っている。

旧ソ連も北朝鮮も同様で人民のための国家なんてものはこの地球上に成立したことは無い。

そういえば、いまの民主党もそうであるが、いきなり政権を取るということはこうなのだろうか。政権を取るまでは一致団結しているが、取った後は血を血で洗う権力闘争に入ってしまい、国民のためにと言いながらどっかに吹っ飛んでしまい、党内の内輪もめに入ってしまう。

フランス革命は言うに及ばず、スターリンがそうだし、毛沢東や金日成が政敵として元協力者を大勢粛清し、恐怖政治で独裁者になっていった。

中国国内では漢民族がチベットやウイーグルに侵攻し、どう見ても中国の領土には見えない南沙諸島に橋頭堡を作ろうとしているのは、内政の矛盾を国民お目からそらす目的だと言う説もある。

しかし、一番の理由は、経済の自信からなりふり構わぬ行動に出てきたもので、覇権国家としてアメリカが嫌われたように中国もしばらくは、この轍を踏んで行くに違いない。

ちょうど、日本もバブル最盛期には、金に任せて海外の土地を買い漁ったりして嫌われたように、、、、。

田んぼの蓮根ぐらいなら、どうにでもなるんだがな~

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中国鉄道省は翌日批判を受けて、埋めた新幹線を掘り起こし原因究明をすることにしたそうだが、何処までやる気になっているか、、、ただ、世論に慮ってのことでしかないだろう。

原因のひとつは、雷による停車した車両だと言うことを言っていたのだから、緊急停車装置などの点検をしなければならないはずだが、、、、

また補償金が600万円ほどだそうで、随分安いとおもったが、中国の平均年収25年分だとか30年分だとかと聞くと、日本に来る観光客の使いっぷりに比べてと随分ギャップがあることを感じてしまう。

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追記*中国新幹線の事故報道の中で評論家は「日本では、ATS装置しっかりしている日本では絶対に起きない事故」だと強調していた。

しかし、そのむかし、カルフォルニヤの地震で自動車道の橋脚が壊れた事故のとき、同じようなことを評論家が言っていたが、そのすぐ後、阪神の地震の際には自動車道の橋脚が倒れていたのを覚えている。

評論家の絶対は近いうちに同じ事故が起きる予兆で無ければよいが、、、

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2011年7月25日 (月)

麻機の朝

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夜中に降った雨で草に露がたっぷりと水玉を載せている。

麻機沼の散歩道、朝日を受けた芦の葉は大小の水玉を光らせて、溶けかかった氷菓子のよう。

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朝日を受けた氷菓子、たちまちにして霧になり、

木々の輪郭を薄れさせていく

山の端から八雲起たせて沼を静かに覆う。

朝は、ヨシキリの歌声に応えて、雲の布団を溶かす、

蒼い空は今日も夏の暑さを予感させて、、、

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2011年7月24日 (日)

いま変脱皮のとき

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住宅街の庭先で一匹のクマゼミが脱皮し羽根を乾かしていた。

蝉は、地中で七年生活したあと、地表に出て蝉となった後七日間の命だと聞いている。

そうすると、この蝉も乳白色した羽根を大至急乾かして相手を探さなきゃならないのだが、羽根の乾き具合で空を飛べなくなる可能性があるので、今が一番危険なときであり、じっと我慢のしどころといった時間に違いない。

七年前、この場所はどんな所だったのだろうか。産み落とされた木は無く、仕方無しに上った園芸用の支柱、景色はまったく変わっている。

しかし、近くの血液センター付近の蝉に比べればまだ幸せなのかもしれない。あそこは、いま、蝉がケヤキの木に登って羽化の最盛期を迎えているが、それを知っている椋鳥が三十羽ほども集まり、地表に出てきた幼虫を食べるのに夢中になっている。

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今日で、テレビのアナログ放送は終了した。

画面がきれいに見える。使用電波が変更したことによりいろいろな機能を楽しめることになる。などを理由に挙げているが、どうも政府が政策として、電気会社を儲けさせるために行ったように感じて仕様が無い。

デジタル移行にともなってどれだけのテレビが売れたことだろう。こんなときに限って経済効果は、何兆円とは言わない

携帯電話のように、どんな機能をつけてくれても使いこなせないし、必要ないが、それも値段に加味されているはず、、、。

まだ使える機械(テレビ)を使えなくし塵にする、これが、いま流行のエコに逆行することは理の当然。

しかし、いま変革の時、脱皮の時と言われると、じっと我慢するしか無いような気分にさせらっるが、それが自分のためになるのかどうかは分からない。

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2011年7月23日 (土)

腐れ玉ではない

030 .草連玉と書いてクサレダマ

先日の台風一過から暑さが和らいだのか、身体が順応してきたのか気温が三十度を超してもそんなに熱さを感じなくなってきた。

(ふたたび、三十五度を越すとどうなのかは分からないけれど、、、、)

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久しぶりに富士宮の田貫湖周辺を散策してきた。このあたりまでくると富士山もすっきりと地肌を見せ、静岡から見るような靄は消えている。

夏休み入った今頃は、富士登山道には人があふれ山頂近くでは上り下りの人が交錯して渋滞を起こしているのではないだろうか。

砂糖の山に登った蟻んこのように、、、

それに比べ、田貫湖の傍の長者が岳登山道には車が三台停まっているだけで閑散そのもの、、その脇を抜けて小田貫湿原の駐車場は更に人気が無い。

037 右、小さな花が密集して咲くチダケサシ

湿原を横切る木道にしゃがみ込んで、熱心に何かを写している女性が居るだけ、ウグイスの声ばかりが高らかに響くのど間風景が広がっている。

いま、この湿原は真っ黄色のクサレダマと薄い紫のチダケサシが主役、浅間フウロや釣船草はこれからだが、草の生え具合から今年も沢山咲きそうな感じに見える。

ちなみに、クサレダマは腐れ玉でなく草連玉と書き、チダケサシは乳茸刺と漢字で書かれている。

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新聞によると警視庁捜査一課の現職警部と退職した元警部二人が公務員守秘義務違反の疑いで逮捕されたそうだ。

捜査一課といえばテレビの刑事役として華々しく活躍する課であり、警部と言えばその捜査を指揮する重要人物である。

そういう立場の人が、捜査中の状況を捜査対象の病院に勤務する元警部に流した疑いをもたれている。

まるで、ドラマもどきの展開になっている。いずれも五十代、働き盛りで資料分別のあるはずの男たちが、自分たちの将来を棒に振ってまで行ったこの事件、何が裏であったのか、それとも、こんなことは日常茶飯事に行われていることなのか、警察の信用問題でもあるので、今後の展開を注意深く見ていく必要がある。

これも報道によると、昨年脂肪吸引手術で亡くなった人の医療にからんで三月に家宅捜査したときに捜査資料を見つけたそうで、、、、

それが、やっと先日になって公表したと言うことは、テレビの推理小説流に言うと、警察全体で隠そうとしたが、熱血警官が「それでは駄目だ」と言ったか、裏情報をかぎつけた陰の男(記者)が公表しそうになったので、先手を打って公表したと言う筋書きを何度か見ている。

とにかく、臭いものに蓋をしたがる巨大組織(政府や東電もそうだが)が取りたがる戦術が崩れた背景を見たいものであり、警察の中身が腐れ玉でないことを祈る。

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2011年7月22日 (金)

赤く染まった川面で

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今朝も東の方は雲が無く日の出を見ることが出来た。

何時見ても同じ雲の形は無く、日の出の景色は毎日変わっているのだが、朝焼けに染まる空は何度見ても荘厳である。

今日も、その荘厳な空の反射を受けて赤く染まった川面にカルガモが雛を連れてきている。

鴨はほかの鳥と違い、親が雛に餌を獲ってきて与えると言うこが無いため、「楽なもんだ」と思っていたが、怖いもの知らずの雛は親からすれば一時も目を離せない、というハンディーを逆に背負っていることになる。

今年は、どういうものかカルガモの雛を見る機会が少ない。例年だと何羽もの雛を引き連れて行進するのだが、、、、これも天候不順が原因なのだろうか。

それとも日本人並みに少子化現象?ってなことないか。

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001q 110度だって

昨日、テレビを見ていたらアメリカの気象状況の開設を中継していたが、東部を中心に110前後の数字が各州に当てはめられていた。

その前後の画面から、気温だということが分かったが110度?って????

アメリカは、まだ華氏を使っているんだ~   それにしても110度は摂氏の何度なのかと調べて見たら、「ギョヘ~  43,3度だって」先日来の高い気温で二十二人も死者が出ているそうだが、さもありなん。

華氏。1,724年 ドイツのファ-レンハイトという人が、提唱した温度で彼が体感した最低の温度を0度とし、人間の体温を100度にした、というきわめていい加減な数字、、、、よく言えば生活感覚に直結した数字であるが、基準が明確でない「浮いたかひょうたん」的な数字でもある。

そのため、摂氏との対応は0度がマイナス17,8度Cで100度は37度Cということになり、日本人の平均体温からすると0,5度C 高目である。

アメリカは、長さ、重さを量るにもヤードポンド法という人の身体を基準にした数字をいまだに使っている。

そのため、人工衛星のドッキングさせるきわめて機密性が要求される部分でメートル法を使う世界一般の国と違うため困難をきたしたそうだ。

世界の覇権を握っていると言う意識がそうさせているのだろうか。それにしても、尺貫法を簡単に止めてしまった日本に比べるとなんと言う頑固さなんだろうか。

しかし、日本のロケットが尺貫法で打ち上げたとしたらこれまた面白いような気がしてきた。

「高さ30間 重さ200貫の三段ロケットが轟音とともに飛び立ちました」なんて実況放送があると、、、メートル換算でどれだけだっけ、、、なんてね。

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ちなみに、華氏のいわれは中国でファーレンハイトを漢字に当てたとき、その一番最初の漢字であり、摂氏は同じく中国が考案者セルシウスに当てた漢字の最初の一字だというそうだ。

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2011年7月21日 (木)

赤に白

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「台風一過とはこういうことだ」と言わんばかりの天気になった。

吹き渡る風は、湿気もなく清々しい、、、というより、人によっては涼しいくらいの気温になった。

こんな天気の夏だったら過ごしやすいのだが、農作物には困る陽気かもしれない。

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春先に植えておいたダリアの花。真っ赤な花をようやく開き始めた。

早速モンシロチョウが蜜を吸いに来たのかと思ったら、遅れてやってきた雄を待ち受けていた様子。

赤と白のコントラストを考えてのことだろうか、よく目立つ。

しかし、それは人間の目で見ている感想であり、蝶の世界ではどんな色に見えるのだろう。

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2011年7月20日 (水)

直進禁止?

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ルリヤナギ。漢字で書けば瑠璃柳となるが、瑠璃とはこんな色だったのかと認識させる空色の可憐な花をぶら下げている。

開花時期は六月から八月半ばまでと長いため、咲いては散り咲いては散りを続け、一斉開花ということが無いため写真にしにくい花である。

葉っぱが柳に似て細いところから名付けられたようだが、花を見ても分かるように茄子科の植物だという。

昨夜来の雨に打たれていつもよりうな垂れているように見えるところが可愛い。美人はなにをしてもよく見られるという典型かもしれない。

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いま、台風が一番近くに来ているはずなのに風もなく細かい雨がちらついているだけである。

今回の台風は今までに無い動きをした。まるで、四国の太平洋岸に直進禁止と書かれた交通標識があったかのように、上陸直前で右折をした。

それも、ほとんど直角に、、、そして、曲がったことをいぶかしむようにゆっくりと時間をかけて南海、東南海、東海沖と予想される地震の震源地をなぞるようにして東にむかって進む。

台風の速度がゆっくりと、、、、そのためもあってか、四国沖に中心があった昨夜から朝にかけて断続的に大雨をふらし、大台が原で1,200mmと言う驚異的な降雨量を記録し、奈良では一日で850mmを越える観測史上最大ともいえる雨をもらしたそうだ。

静岡でも、雨による避難勧告が昨夜出されたのを同報無線で放送していたのを初めて聞いた。そして、我が家でも壁の隙間から吹き込んだらしい、雨水で畳が濡れる被害が出た。

それが、台風が紀伊半島を抜けた正午頃を境に風も雨も収まってしまった。しかし「静岡葵区で避難」と言うテレビでの放送が全国的に流されたらしく、あちこちから安否の問い合わせ届き、「こんなに心配してくれて」と嬉しいやら、応対に困るやらで忙しい午後になった。

今日から夏土用にはいった。昨日までの蒸し暑さも台風による雨が一気に冷ましてくれホッと一息、この気温が続いてくれと思うのだが、、、何せ、土用だからな「儚い願望さ」とあきらめる。

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2011年7月19日 (火)

スイッチョは肉食系

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子供の頃は、虫の名前はその地方独特の呼び方をされ、全国共通の名前は知らなかった。

たとえば、クワガタは鬼虫であり、キリギリスはギス、そして、ウマオイはスイッチョなどであった。

009 「ギスを取りにいかまいか」と言って手ぬぐいで作った虫取り網と、これまた手製の竹かごを持って出かけるが、獲物は何でもよいのはいまの子供と同じである。

ただ、鬼虫とスイッチョは割合簡単に捕まえられるが、ギスは草むらの中で啼いていても足音を聞きつけると啼きやんでしまうため所在が分からず、小学校も高学年にならないと捕まえられない高嶺の花であった。

それに比べると、スイッチョは草の天辺に居ることが多く、格好の獲物であった。ただ、この虫は優しい姿の割には肉食だったとはその頃知らなかった。

捉えられたスイッチョは、もっと怖い顔をしたギスと同じように胡瓜のへたの餌をばかりを貰い迷惑していたことだろう。

写真のウマオイはマツヨイグサの陰に隠れて小さな昆虫を待ち伏せしていた、ハナグモを捕らえて食べていた。獲物を待ち構えていた肉食昆虫が更に大きな肉食昆虫の餌になってしまうとは、、、自然はキビシイ~

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今日は午後から中央公民館で「古代の静岡」と言うテーマの講習会が有り出席した。

月に一回のこの講座、先月が初めての講座であったが、”静岡歴史愛好会”の会長という人が来て長い話をはじめたのと、静岡市の地質と言う題で専門家で無い副会長が話した(地質はこちらのほうが、、、)ので予想とは違いガッカリしていたが、二回目の講習を聞いて後で判断しようと今回も出席した。

と、言うのは、二回目以降は講師が静岡市の文化財課の職員がなり、静岡市の縄文時代から弥生時代の遺跡を中心に講義するということだったからである。

今日の講師は、市役所勤務10年という自分の子供より若い講師で、短い時間ながらよく資料をまとめて話してくれたことに好感が持てた。

講義は後ほど試験などのあるもので無いだけに、気軽に聞き流せる。

そのなかで、一番印象に残ったのは縄文人の骨格と弥生人の骨格の違いであり、その復元された顔には、現代の人は細長い顔、目の細いの弥生人型が多いものの、四角い顔つきで目玉がぐるっとした縄文人を見ていると、よく似た知り合いを何人か思い浮かべ、、、

あの人は肉食系の縄文人、あの人は米食系の弥生人など、講義をそっちのけにして知り合いを区別しているうちに、どんどん進んでしまい、学校に通っていたときと同じように上の空状態で授業は終わってしまった。

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2011年7月18日 (月)

あきらめない

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ナデシコ。ピンク色した五弁の可愛い花。

ふちが深く切れ込んでいて、むかしから日本人に愛されてきた花で、清少納言も枕草子に「草の花はなでしこ 唐はさらなり 大和のもいとめでたし」と書いている。

中国産の石竹に対して区別する意味もあってか、この花を大和撫子といい。日本の女性を意味する言葉として戦争中にもよく使われた。

花言葉としては、純愛、大胆などがあるが、今日以降「あきらめない」も付け加えたほうが善いだろう。

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今日も早朝散歩から帰って来て、時代遅れになった朝シャワーを浴びた後、朝食の支度をしながらテレビを入れたら、ワールドサッカーの延長戦をやっていた。

六時も過ぎていたし、もうこの時間では出かける前に済んでいたゲームの再放送かなと横目で眺めていたが、ああリ長いのでようやくライブでやっていることに気がついた。

一対一のまま延長戦に入ったようで「よくやるな、、」なんて思っていたらアメリカが1点入れた。「これまでかな、それにしてもよくやったものだ」とお粥の支度をしながら耳だけそちらに向けていると、また入った模様。

見ると、日本人選手が喜んでいた。「あれ追いついたのかな?」とサラダにする野菜を刻む

そして、引き分け、PK戦対決となり、日本が3-1で優勝した。朝ごはんの支度が終わる。

この試合を聞いていて思ったのは、アメリカとしてはいやな展開だっただろう。というのがPK戦前の印象、点を入れてもすぐに追いつかれる。

こういうしつっこい展開は、精神的に参ってしまうものだ。長距離レースでも引き離そうとしてペースを上げて一時は引き離しても、いつの間にかすぐ後に来ているように、、、これで、精神的に参っていったのだと思う。

つぎに、延長戦で先取点を取られてとき、同点に追いついた後レッドカードで日本選手が退場となったとき、、自分は「これでお終いかな」と思ったのに、選手は諦めていなかった。この粘りと言うか精神力の強さにはほとほと感心してしまうものがあった。

最後余談をひとつ、主将を務めた澤穂希選手の名前が「サワホマレ」と言うそうだが、その名前は今日のためにあったような気がする。

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2011年7月17日 (日)

雲のいずこに月宿るらむ

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今日も早朝散歩から、、

墨絵ぼかしの富士山も赤色が付き出したがぼかしは消えず輪郭がはっきりしない。

しかし、この時間、富士山頂では澄み切った空気の中、大勢の人が遥か彼方から昇る太陽にどよめいていることだろう。

030 西のかたには十六夜の月があわてて隠れようとするが、真澄の空には隠れようにも雲ひとつ無くとまどって居るかのようだ。

そのむかし、清少納言の曽祖父にあたる清原深養父(きよはらのふかやぶ)と言う歌人が古今集に「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずこに 月宿るらむ」と詠ったそうだが、この状況は千数百年経った今も変わらない。

ステンレスの貯水槽は登ってきた朝日を受けて黄金色に輝きまぶしい。

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いま巷では、なでしこジャパンがアメリカを相手に女子サッカーの決勝戦を行うとかで盛り上がっているようだ。

強敵、難敵を撃破してここまで上がってきたのは、ミラクルかサプライズか、、。

今晩も眠れない人が沢山いるようだが今回は明日も休みの人が多いので心配はなさそうだ。

しかし、テレビなどを見ているとサッカーに限らず、高校野球やオリンピックなどあらゆる競技の応援のため、競技場の外や大型テレビの前でよくあれだけ興奮し騒げるものだと感心する。

とても、サッカーなどしたことも無いような人、ルールもよく知らない人が足の踏み場も無いほど狂喜乱舞する。

考えてみると自分は、いままであれほど夢中になり、興奮し騒いだ経験が無いような気がする。

柔道、剣道、相撲、陸上競技、スキーなど、三十代までは小さな大会に参加したが、スポーツの応援に我を忘れるほど興奮し騒いだ憶えはない。

今夜も、とても起きていられそうも無いので早々に寝て、明日の朝結果を聞くことになるのだろう。サッカー史上に残ることをライブで見る権利を捨てることになるのだが、、、、「これって 不幸なことなの?」

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2011年7月16日 (土)

今日も暑くなる

004 .

日の出時に起きる朝凪のなか太陽が顔を出す。

今日も暑くなるよって言わんばかりの顔をし、夜来咲いていたマツヨイグサに「お前さんの役目は終わった」と引導を渡す。

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2011年7月15日 (金)

怖い夜の話し

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今日は旧暦の六月十五日であり、水無月の満月である。

そういえば、ここしばらく雨のふらない蒸し暑い日が続いている。

そして、今日もぬるま湯のような気温の中、上ってきた月は異様に赤くて大きく、なんだか不気味な感じをさせる。

日が落ちてからしばらく夜も更けての散歩に出かけてみた。

街中の夜と違って田んぼの中の道は街灯も無く闇夜の世界。

その闇の中、カラスウリの花は、何かをからめ採ろうとしているかのように、漆黒の空に向かって大きく網を広げ始め、その脇にはカマキリが自慢の研ぎあげた鎌を持って、今や遅しとばかりに獲物を待ち受けている。

030 .

道の両側に広がる水溜りで蛙どもが集まって呪文を唱えているらしく騒がしい。田んぼに写る月影と遠くの人家の明かりは十字になり、怖い夜を演出している。

所によっては、今日お盆の供養をしているところがあり、迎え火によって迎えられた霊は自宅の仏壇で歓待を受けていることだろうが、そうでなかった霊はこの暗闇を彷徨っているはず、、、、、、

九時になって地面はかなり揺れ、早々の帰宅をうながしている。

やはり夜の散歩は止めたがよい。な~んちゃって!

何も出来ない霊より、生きてる人間のほうが怖いそうだよ。

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2011年7月14日 (木)

誘い誘われ

052 .

053 ヤブカカラシの花の上でナミアゲハが戯れていた。

雌雄の区別は動きが早くてつきにくいので、恋の駆け引きなのか、雄同士の喧嘩なのか、花の蜜の奪い合いなのか定かではないが、ひとしきり縺れている。

もし恋の駆け引きなら「夢芝居」と、いう歌の中の最後に

#対の揚羽の 誘い誘われ 

心はらはら 舞う夢芝居 

恋はいつでも初舞台、、、と言う舞台の再現を見ているのか知らん、、なんて除き見根性丸出しで眺めていた。

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昭和27年4月まで日本は連合国軍によって占領されていた。いわゆるoccupied japan であった。

そのころの話の中で、泥棒にあったアメリカ軍人が犯人を見ていたので警察が容疑者を何人か連れて面通し、つまり、「この中にいるか?」と聞いたところかなり人相が違っていたにもかかわらず区別がつかなかった。という。

そのくらい当時、、今でもかもしれないが一般の外国人は東洋人の区別が出来なかったようで、人は興味が無いと憶えようとしない傾向はかなりあるようだ。

それかあらぬか、最近テレビに出てくる若い人たちがみんな同じ顔に見えて、顔の区別もつかないし名前が覚えられない。

当然、いま流行のAKB48のメンバーは板野何とかという子以外誰が誰だかわからない。みんな同じような卵型の顔をして同じ髪形に見える。

これも、歳のせいかもしれないが、興味の範囲が狭まっているのだろうな。と感じる。

それが嵩じると自分の周りの人まで分からなくなるようで怖い、、、、、ことだが、惚けてしまえば怖いもの無しになるから   これはこれで、また善しとしよう。

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2011年7月13日 (水)

金属光沢のチョウトンボ

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午後になって今にも降りそうな黒い雲が北のほうからかかってきて、久しぶりのお湿りを期待したが、、、、気を持たせただけで終わってしまった。

そろそろ、雨乞いの祈祷でもしないと畑の生りものから悲鳴が聞こえてくる。

プランターに植えたナスやトマトも、日中の暑さで何度も葉っぱを萎れさせ、そのたびに水遣りをしているが、人間の肌と一緒で一度萎れると水遣りで回復しても、完全に元に戻ることが無く、ダメージが積み重なって実の方に栄養が行きにくくなってしまうようだ。

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いま、麻機沼のあちこちにチョウトンボが大量に発生している。

チョウトンボ。黒っぽい金属光沢の大きな羽根を持ち、ほかのトンボのように一直線スイーッと移動することが無く、ひらひらと飛び交うさまが蝶々に似ているところから名つけられた。

その姿から、そのむかし、十字軍の重装備のキリスト教騎士と戦ったイスラム戦士を想像すると一昨年のブログに書いたことがあるが今もその思いは同じである。

さしずめ、この群れの中にオニヤンマが紛れ込んでくれば余計に面白いのだが、「そうは問屋が卸さない」と言う言葉通り、ヤンマトンボはその辺には見当たらなかった。

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2011年7月12日 (火)

主人は多忙

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ふと気がつけばフウセントウワタがトゲトゲの青い実を膨らませていた。

なんとすばやいことか、傍にはまだ咲き出したばかりの花もあるが、この膨らんだ風船状の実をつけたところは何時花開いていたのだろう。

花の中心に太い柱の雄しべと雌しべらしき物があり、たっぷりと蜜を溜めているらしく虫酒場の体をなしており、しばらくじっとしていたら、黄色スズメバチが取っ付いたところへセセリチョウが割り込みをはかり、更に蟻んこまで近寄ってきた。

花言葉の中に「多忙」というのがあるが、フウセントウワタの主は「はい!お客さん注文は」と、客あしらいに多忙をきわめている。

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今日も暑い。”暑い!”をいくら連呼しても涼しくはならないのだが、暑さに弱い男としては、無駄なことと分かってはいるが、、、、、、

なにしろ、過去に何度か「クールな男」といわれたことがある。

この場合のクールは、すっきりした好い男と言う意味でなしに、冷たい男。つまり、人情味が無いという意味だったので、褒め言葉とは受け取っていない。

とにかく、育った町は小さな町であり、親戚や知人が沢山いるため、揉め事に首を突っ込みたくなかったので、なるべく、そうなりそうなところは避けてきたのと、いまだにそうであるが、単独行動が好きで徒党を組むことが嫌いであった。

夏目漱石も「知に働けば角が立ち、情に棹させば流される」と書いていたが、とにかく”長いものには巻かれろ”式のことが嫌で、よくネジベエと言われるほど突っ張ってきた若い頃、、、。

そして、言われたのが「クール」だった。

とにかくこの時期、心身ともにクールを求めている私である。

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2011年7月11日 (月)

セピアがかかって

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麻機農道の中腹でヒオウギスイセンが朝日を浴びて幾分セピア色がかって咲いていた。

015 ここしばらく日の出時に歩いているが、低い雲がかかっていて、山の端に昇る太陽を見たことが無く、今日も日の出時から20分過ぎになってようやく雲の切れ目を見つけた。と言う感じの夜明けである。

それだけに、普段は真っ赤な色で自己主張をしているヒオウギスイセンも波長の長い赤色を捉え、反射できなかったと見えて幾分色あせている。

ヒオウギスイセン。漢字で書くと”檜扇水仙”となり、祭りのときしか見たことが無いが、平安貴族の女性が檜で作った大振りな扇を想像させ、何やらゆかしい感じがする名前なので、日本古来のものかと思ってみたが、これも明治になって日本には行ってきた外来種だとのことである。

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連日の暑さであせもの患者が増えてきているそうだ。それも、大人が、、、、、

たしかに、朝 日の出前の散歩でもTシャツが汗でぐっしょりになり、着替えなくてはならない。自分の場合シャワーを浴びて着替えるので問題ないが、外の仕事をしている人は困ることだろう。

そんな自分でも、ときどきは顎の下や腕の脇などに汗をかくことがあるので、最近では孫が使った天花粉(シッカロール)を出して叩いている。

これは、どの孫かは分からないが、一番下でもいま12歳だから、、、近くてもそれほど年数がたっている。

連れ合いは、「また、そんなもの使って」というが、十日ほど前押入れの中を整理していたら出てきたもので、孫の尻を拭いたものと思えば汚くも何にも無い。

今年の夏は、これを使う積りでいる。もちろん左団扇 右扇風機が主体であるが

なにせ、エアコンはあまり使いたくないし、熱中症の最初の兆候は汗が出なくなると言うことだから、天花粉が必要なければ要注意と言うことで、、

         乗り切れるかな?

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2011年7月10日 (日)

濃淡繰り返して

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朝日の出る午前五時前後、丁度朝凪の時期に当たるようで重苦しいような暑さに満ちている。

そんななか、ツクバネウツギの甘くねっとりとした香りが塊のようにあるらしく、流通センター北側の道路は、歩を進めていくと濃淡繰り返して匂う。

ツクバネウツギは、花が済んだ後追い羽根の羽根のような形になるところから付けられたもの、、、

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余り福島原発のことを書きたくないのだが、静岡のお茶が汚染された経緯をNHKでやっていたのを見たとき、一時期汚染された大気が北関東をぐるっと回り込んで流れた時期があったためだとしていた。

そして、それ以外の時期は西風により煙突から出る煙のように太平洋を東に向けて放射能が流れて行くのが示されていた。

これを見て、原子力発電所が福島にあってよかった。と言うか。恣意的にあの位置におかれていたのか判ったような気がした。

もし、東電の原子力発電所が三浦半島辺りにあって、同じような事故を起こしたとしたら、それこそ東京や横浜、千葉の辺、全てが避難区域になりかねない事態になっていたにちがいない。

現在の福島原発を完全に過去のものとするには、四~五十年かかるとされるそうだが、その間の費用を考えると原発の電力は安いと言う想定は根本から崩れることになろう。

政府や電力会社のまやかしに乗せられた「原発は安全」と言う神話が崩れ去ったいま、福島が立地条件に適ったと言う話も、信用できず、、、上のような配慮があったのかもと思ってしまった。

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2011年7月 9日 (土)

一日三度の水浴びも

朝から気温が上がり、じっと座っていても汗が噴出してくる日中。

いつもの通り、早朝散歩の後シャワーを浴びたが、午後になって汗臭いと言われまたシャワー、食後に風呂、と一日三度の食事ならぬ、三度の水浴びをしてしまった。

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朝の散歩で見かけたハスの花。

この辺りでは「麻機の蓮根」と言って、当地の人が自慢する蓮根畑のあちこちで栽培されているが、その中の一本、、、

一度、何かの加減で倒れたようだが、また持ち直して花を咲かせている。

映画「男はつらいよ」の歌詞の一節

どぶに落ちても 根のあるやつは

いつかはちすの 花と咲く

あの歌を地で行っているような光景。

いちど、蕾をつけた以上なにが何でも責任を果たそうとがんばっている。

それにくらべ、当方は、、、、

目方で男が売れるなら

こんな苦労も かけまいに

75kgの体重がどんなに歩いても下がらないことが最大の悩み。

夏ばてしても食欲が衰えず「水を飲んでも太るんだから、、、」と嘆いている。

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2011年7月 8日 (金)

梅雨も開けたそうで

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今日も午後から三十度を越す真夏日になるとの予報があったので五時に家を出て散歩に向かう。

空からは、小粒ながら今朝方まで降っていた雨の残り香みたいな水滴が落ちてくる。

012 田んぼの上には、ツバメが遅くなって植えた田んぼの水面から2~30センチくらいの所まで降りてきて、水を舐めるかのようにして飛び交っている。

その姿は、餌になる虫を取っていると言うより、自分の姿を水面に写して姿勢を点検しているのか、ナルシストのように、自分の飛ぶ姿に恋をしているかのように見えて仕様が無い。

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お昼になってテレビを入れたら、「東海地方が梅雨明けをしたらしい」と気象庁が自信なさそうに発表し、例年より半月も早い梅雨明け宣言になったそうだ。

そうなると、今年こちらでは七月になってから雨らしい雨も降らなかったので空梅雨気味ということになるのだが、これも異常気象のひとつということになるのだろうか。

それにしても、「電力切迫なので節電をして欲しい」という一方で「熱中症で搬送される患者が急増しているので、、」が交互に入り何処まで我慢すればよいのか見当が付かない。

おりしも、九州電力が公聴会に一般市民を装った”やらせのメール”を送ったことが表面化し、東京電力ばかりでなく電力各社の本質を隠そうとする偽装体質で信用が失墜し、「なにを言っても、、、」と言う状態になってしまうと、電力不足も何処までどうなのか分からなくなってしまった。

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2011年7月 7日 (木)

 じゃが芋の実

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久しぶりに雨が降り、連日の猛暑も中休み、当方も一息ついた。

暦の上では小暑、そして、七夕。暑さが「少少退く」という意味だと駄洒落て見ても誰も笑わないし、「この雨空は空の彦星に水を差した」といっては滑っている。

年寄りは下手な口出しはしないこと、と言うのを再確認。雨が草木の葉を叩くのをじっと見ている。

085e_2 そんなわけで、外出の機会も無く、写真が出来ていないので先日長野で見たじゃが芋の実を紹介する。

じゃが芋の花はふんだんに見られるものの、実となるとアンデスで見たきりだから、およそ、30数年ぶりといったところか、、、。

じゃが芋の発祥地であるペルーではそれこそ百種類を越すじゃが芋があり、色も日本で見られる白いのはもちろん赤いのやら黄色いものなど濃淡さまざまなものが道路上で売られていた。

それが、最近日本にも持ち込まれたようで、長野の畑でも四種類は植えており、実をつけたのは「セトアカリ?」とか言う名のじゃが芋であり、三株続けて実をつけていたということは、原種に近い種類なのだろうか。

草むしりの途中見つけた直径2センチに満たない小さな実。まるで、外観はもちろん輪って中味を見てもミニトマトにそっくりな実であるが、それもそのはずトマトとじゃが芋はごく近い種類なのである。

この実が赤くなるまで育ててみたいとは思っていたが、なにせ長野は遠いところ赤くなるのを見届けることはまず無理だし、そちらに栄養を取られてしまうと聞いたことがあるので、一株を除いてむしって捨てた。

ちなみに、人類は、南アメリカで発見?されたトマト、じゃが芋、それにトウモロコシのお陰で飢饉から免れることが出来た救世主であり、世界の人口急増の元になったと言われている。

しかるに、スペインではトマト戦争とかいって、トマトを大量にぶっつけあう祭りがあるそうだが、あんまり食べ物を粗末にすると罰が当たるど!。

これは、戦後の食糧難を経験した年寄りの感想、、、.

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2011年7月 6日 (水)

ギボウシ

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蒸し暑い夜も朝がた日の出前は涼風が吹き渡る。

夏至から二週間もたてば、日の出も少し遅くなって五時前後になる。

昨夜のうちに雨でも降ったのか?。

地面は濡れていないのにギボウシの花に水滴が付いて、遠くの山が逆さに写りこんでいる。

「さあ、今日も暑くなるぞ」

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まだ梅雨も開けぬと言うのに、早くも夏ばて気味。

散歩以外何もする気がなく終日うだうだと、、、

熱中症で何人もの人が病院へ運ばれていくそうだが、、、、、、

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2011年7月 5日 (火)

大臣なんて止めちまえ

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スグリのま~るい実がいろんで来た。

透明感のある赤い実はよく見ると縦に縞模様が入っており、まるで、盆踊りの輪を照らす提灯のように見えないでもない。

スグリという字は酸塊と書き、このように密集しているのは房スグリと言う。

写真ではいかにも美味しそうな木の実であり、カタカナでは分からないが、漢字で見るとこの実がいかにも酸っぱいかを証明していて、自分なんかも子供頃の記憶があるので、梅干並みにこの実を見ると唾がたまってきて、手を出す気がしない。

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やっと先日震災復興相というのに決った松本大臣が今朝方辞任した。

就任して10日目だという。原因は初めて震災地に入って宮城県、岩手県の知事と会談した際に暴言と言うか上から目線の発言に批判が集まったためである。

テレビを見ていても、編集の仕方があるにせよ、あの発言はばかげている。

少し待たされただけであの怒りようは異常であろう。これも大臣と言う職のなせる業であろうか。

話し外れるが、むかし外国で移住した日本人が大使に苦情を伝えようとしたとき、「自分は天皇の名代で有るから気安く会えない」と面会を拒絶したと言う話しに似通っている。と感じた。

形式的にせよ大臣になるのに天皇の認証が必要と言うところに間違いがあり、大臣と言う名前がおかしいと前から思っている。

大臣とは、天皇に仕える平安時代以前からのの名称であり民主国家にそぐわない、ほかの国のように長官に出来ないのだろうか。

国会議員は国民から選ばれた公僕であるはずなのに、いったん大臣と言う肩書きを持つと、貴族にでもなった感じを持ってしまう輩が多く、大臣と言う肩書き欲しさに何も知らなくても引き受けてしまった法務大臣も最近いて”大臣病”という言葉さえある。

また、「こんな話し方だから悪く取られてしまう」とか「血液型がB型なので、、」「九州の人間だから東北の何処になんと言う町があるか分からない」とか言い訳していたが、弁舌で当選し国全体を見る目を持つことを職業としている国会議員としては、自分の能力の無さ人間性の欠如をさらけ出してしまったことになる。

そして、責任を九州や血液型に転嫁してしまう幼稚な言い訳であり、全ての九州の男は怒らなくてはならないし、、、B型人間はこんな人ではないはず、、、

選挙民もこんな人を選んで恥ずかしくないだろうか。そして、一番の責任は、こんな男と知りながら?、知らなかったとすれば見る目がない男を大臣に据えた菅首相にある。

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2011年7月 3日 (日)

ヤナギランが涼しげに

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069 夏、高原の花。ヤナギランもようやく咲き始めている。

まだ数はまばらで寂しげだが、淡い赤紫の花は涼しげに咲く、、、、

葉が細いことからヤナギ、花の形がランに似ていると名付けられたようだが、アカバナ科の草で、荒地などに先駆けて咲くためほかの草木が茂ると負けてしまうようだ。

静岡でも、山伏(ヤンブシ)岳の自生地が数を減らし保護策施しているようだが、これは山の自然と言う意味からはどうなのかと言う声も聞く。

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立科町の夏。日中は気温も三十一度になり日差しの厳しさは静岡より少し低い程度だが、湿気が少なくむしむしとした暑さではない。

当地の人たちは、「暑くてあつくてとても外に出られない」なんていうが、静岡の蒸し暑さに少しなれた身にとってたいした気温に感じられず、着いた早々から畑に出て草むしりの励む。

なにしろ、昨年は四人がかりで行った作業を、今年は手抜きしながらでもひとりで片付けなくてはならないからだ。

抜きあげる雑草の出かたは幾分少ないようだが、それに増してじゃが芋の育ち方も悪く、それが、ひとり作業のためばかりでなく気分を滅入らせる。

午後四時過ぎ、疲れが急速に出てきたため、本日の作業を取りやめ

020 日暮れを待って蛍狩りにでかける。

標高で、600m付近のこのあたりいまが丁度ホタルの出る時期。

一時はかなり数も少なくなっていたようだが、最近はあちこちで見かけるようになり、遠くまで出かけて人ごみの中で見なければならないようなことも無くなった。

ただ、勝って知らない土地のこと、子供のとき畦道で蛍狩りをしていて田んぼに転げ落ちた経験もあって、道路から中には入る勇気が無く、風に吹かれるように稲の上をゆ~らり ゆ~らりと飛び交うホタルを遠目で眺めるばかり、、、

それでも、夕風に吹かれて身体の疲れは幾分和らいできた感じがする。

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2011年7月 2日 (土)

この青空に翼広げ

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いつも行く長野の立科町へは野辺山を越えていくか、茅野から山越えで向かう野が多く、気にはしていたのだが長坂町にある「オオムラサキセンター」はこのコースから外れているので行ったことがなかった。

今回思い切ってここに寄り道することにした。

オオムラサキは、タテハチョウの仲間で羽根の表面が濃い紫色に輝く蝶で羽根を広げると10センチにもなり、昭和32年日本の代表的な蝶として「国蝶」にきまっている。

自分も何度か目にしたことがあるが、まだ写真にしたことがなく、このオオムラサキセンターでは網で囲ったゲージの中で飼育しているとのこと、ここでならゆっくりと見られることと思い受付に向かった。

受付で「沢山見られそうですか?」と聞いたら、「いますよ、少し遅いかもしれませんが脱皮しているところも、、、」なんていわれて喜んで入っていった。

長い展示室を兼ねた通路の先に二重の扉の先に高い屋根を持つ目的のゲージがあった。

入って周りを見回したが、人だかりしている一角に一頭いるらしく、後から覗かせてもらった。

一番よいところを、大型の三脚にビデオカメラを乗せた人が陣取り、その横には学生が携帯カメラで写真を取っている。

004 仕方が無いので通路を先に進むと、係員の女の子が「ここに脱皮して羽根を乾かしているのがいます」と木の葉の下側を指差してくれた。

014  結局間近で見られたのはこの二頭だけ、、、、沢山いますといった受付の言葉は?と辺りを見回したところ、ゲージの一番上の金網のところどころに逆光ではっきりしないが、いくつかつかまっているのが見られ、おもわず「翼をください」と言う歌の一節がよぎった。

# この青空に翼を広げ 

             飛んでゆきたいよ

ゲージ内で人に育てられたオオムラサキも折角羽化した以上、大空を自由に飛び立って青春を謳歌したいのだろうな、、、、

六月下旬から七月初めが最盛期だとパンフレットに書いてあったが、、、、今回は期待が多かっただけにスカを食った感じで戻ってきた。

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2011年7月 1日 (金)

寝苦しい一夜

寝苦しい一夜が明けた。

赤ん坊が珠の汗をかきながら眠っているのや、自分自身も一日中眠っていた若い頃の経験から、眠るということは体力がいることだと自覚している。

よく、医者が「安静にして過ごしてください」と言うが、若いときはいざ知らず、歳を取るといつもかもうつらうつらとしているので安静と言う言葉は体力ある人にしか通用しない。

自分も眠りに関しては老いの坂を認めざるを得ない。夜、十一時まで我慢をして起き床に入っても朝五時前後に目覚めてしまう。それ以上早く寝れば朝の目覚めがもっと早くなり迷惑がられることを承知しているからだ。

しかし、睡眠不足を補うため昼寝をたっぷりと取る。

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天気の様子を見ていたが、今日これから長野へ行ってくることにする。

途中昼寝休憩を入れながら、、、

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