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2011年8月31日 (水)

麻機の朝焼け

006 .街灯も残り、頭上には明けの明星も輝く、暁?黎明?

日本語の繊細さは、色使いはもちろん夜明け前の朝から日が落ちての夜まで数え切れないほどの呼び方がある。

たとえば、朝太陽が地平線に顔を出す前だけでも薄明かり、黎明(れいめい)、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)と言った言葉が思い浮かぶ。

035 .麻機沼に雲を浮かべて、東雲?

まだこの外にもあるのだろうが、これだけとっても何処で区別するのか浅学の身、見当が付かない。

ただ、これまで読んだ本に出てきた感じから察しているだけである。

今朝方の散歩は、この一連の朝焼けを眺めて歩いた。

031 .そして、雲を黄金色に染めて、曙?

これだけ、壮大なドラマを演じて登ってきた太陽も、間近にせまった台風12号の前衛にはばまれて、すぐに厚い雲の下、、、

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2011年8月29日 (月)

空蝉を透き通して

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久方ぶりに東南東の方向、雲の無い朝になった。

早起きの太陽は、欅の木に掴まっている空蝉を透き通して赤く染める。

いにしえの人はこの空蝉を見て魂の飛び去った身体を想起していたようで、いろいろな歌が今にのこされている。

   うつせみの 殻は木ごとに とどむれど 

         魂のゆくえ 見ぬぞかなしき   読み人知らず

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015 百年河清は待っても無駄

明治の演歌師に添田唖蝉坊という人がいた。

芸名のいわれは”歌を歌う唖の蝉”と言うことから名付けたそうだが、声のでない蝉とは自分の想像では空蝉のことではないかと思っている。

真夏にわめき散らす蝉はオスなのだが、添田唖蝉坊は男だから、、、、、

社会批評を得意とする歌い手で アノンキダネの言葉が最後に入るのんき節やラッパ節など辛らつに政治を批判が出来たのは、軍国主義になる少し前までのことだったらしい。

しかし、のんき節やラッパ節をバイオリンの伴奏で歌っているのを聞いたのは戦後のラジオだったのだろうが、、、、、何時のころか覚えが無い。

とにかく、のんきなとうさん お馬に乗れば、、、、と言う歌いだしで聞いたときはそんなに痛烈ね社会批判とは思っていなかったが、、、、のちほど、ラジオで長い歌を聞いたときには驚いたものだった。

戦後になって、歌謡曲全盛時代に入ったが安保時代のフォークソング以来、このような社会批判をする曲は聴いたことが無くなったし、フォークソングもこのように直接的に批判することなしに、柔らかさを表面に出すよう配慮していたし、それも最後にはラブソングへと消えていった。

今日行われた民主党の代表選挙。

そのむかし、唖蝉坊は”のんき節で”このように歌っていた。

           ギインへんなもの 二千円もらふて 

                     昼は日比谷で ただガヤガヤと

           わけののわからぬ 寝言を並べ 

                   夜はこそこそ烏森 アァ(ハハ)ノンキダネ

この歌が歌われて100年ほど、、、いまだに同じ状況が続いている。

中国古代の文章に「百年河清を俟つ 人寿幾何ぞ」という言葉が残っているが、政治の世界は黄河の流れと一緒だと言うことらしい。

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ついでに、ラッパ節から

    待合茶屋の夜明かしで お酒が決める税のこと 

    人が泣こうが困ろうが  委細構わず取り立てる

                             トコトットット

     大臣大将の胸元に  ピカピカ光るは何ですえ

     金鵄勲章か違います 可愛い兵士のしゃれこうべ

                             トコトットット

    

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2011年8月28日 (日)

鄙には稀な美人

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岡部町から静岡にいたる峠道にタマアジサイが咲いていた。

蕾のうちは固い苞につつまれて擬宝珠のような格好をしているところから付けられた名前だが、淡いコバルト色が美しい。

040 そして、この花、紫陽花のの特徴である七変化どころか茶色く萎れるまで色を変えない。そんなところからか花言葉は「あなたは冷たい」だそうで、こんな言葉を当てはめた人はそのときよほど気分がよくなかったに違いない。

咲いているところは土に湿り気の多いところで、小さな沢筋が多い。

開花時期は、八月には入ってからが多く、ほかの紫陽花が終わってから咲くようで、いまが最盛期といった感じである。

音は立てないだろうが、珠がポンと割れたように開き、苞が落ちると小さな額を五~六枚おずおずと広げるところが奥ゆかしい。

ほとんどが野生で、庭先では見ないところから、園芸種としては育てにくいのだろうか、、、、、、鄙には稀な美人?

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今日は、藤枝の瀬戸川上流にある温泉から山越えで朝比奈川に出てきたが、夏休み最後の日曜とあって、どの河原も家族連れで賑わっていた。

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2011年8月27日 (土)

羊が一匹 羊が二匹、、、

017 .

ひつじぐも羊が一匹 羊が二匹 羊が三匹が眠れぬ夜に数えると聞いているが、数えても眠れぬ夜は、頭の中一面に白い羊が住み付いてしまうことだろう。

その頭の中のように空一面に羊雲ひろがっている

この羊雲、よく見ると左下から右上に整然と歩いていくようだが、行く先は?、、

羊雲は気象学的には高積雲といい、五千メートル付近発生する雲で、天気が悪くなる前兆だと言われるが、ここしばらく悪くなろうにもよかったためしがない。

とにかくこんなに、羊がいては頭の中の草もたちまち食べつくしてしまうに違いない。

ちなみに我輩、眠れぬ夜と言うものはほとんど経験が無く、徹夜マージャンはおろか、お通夜も満足に出来ない体質、、、、

而して、秋も本格的になり、読書三昧と行きたいが、根気も無く、目が悪くなったせいかあまり長編は最後まで読むことが出来ない。

たいてい、2~3ページで意識朦朧、翌朝は何処まで読んだか覚えがなく、またはじめからの繰り返しでちっともすすまない、、、、

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2011年8月26日 (金)

たゆとう霧を見る

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ひさしぶりといった感じで朝焼けの朝を迎え、早朝散歩にでかけた。

朝もやがたちこめる中、ここしばらく、雨もよいの日が続いたため、道の両側の草が急成長し、場所によっては背丈を越し、展望が悪くなってしまった。

風の向きか、気温の差があるのか広い麻機の中でも、流通センター裏側の谷津にはいつも霧がたちこめ、朝日がその霧を溶かして夜が明ける。

今朝も、発生してたなびく霧を見る。ゆっくりとたゆとう霧をみていれば、人間のテンポを無視して滑らかに動く太極拳を見ているようで心が和む。

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016 .

菅総理が記者会見で辞任を発表した。

予定通りの詰め腹で、次の代表選挙が行われることになったが、どんぐりの背比べのような候補者ばかりで魅力を感じていないのは自分だけかと思ったら、朝のワイドショーで一般の人100人に聞いたアンケートでも、前原元外相が47%、ついで誰もいないと答えた人が43%で後は幾人かの候補にぱらぱらといった感じの票しか入っていない。

もちろん選挙権を有する人はひとりもいないわけだから、実際の票はこんな風になるわけは無いのだが、世間は大事な日本の首相に対してこんな感じしか持ち合わせていない。

政治評論家の菅首相に対する評価は極めて低いが、それでも、突然政権を放り出した前首相や自民党のお坊ちゃん首相よりはよいとしたい。

みんなで祭り上げておいて、すぐに足を引っ張る悪い癖が何時まで続くのか、、、次に誰がなっても半年と我慢が出来ない国会議員。と、それを煽るマスコミ、細かいあらをさがしてつつきだす週刊誌、、、

おりしも、麻機の一角にあつまった、白い鷺たちがあちこちで思い出したように飛び上がって足で蹴りあいを演じている。

密集しているので餌を巡ってか、ストレスからかとも思うが、そんなにしてまで固まっていなくても、、と、見ているほうは思うが分散しないで、また別な場所で、別な鷺が蹴りあっている。

そして、その騒ぎは二~三羽がいいとこで、周りの鷺たちは我関せず、、、、

まるで、国会議員を見ているようでおかしい、、、、

ただし、派閥が無いのでボスもいないのだが、、、

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2011年8月25日 (木)

金持ちほどケチ

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韮の白い花があちこちで固まって咲くようになってきた。

一つ一つは5mmに満たない小さな五弁の花だが、すっくと起った茎の上に山盛りといった感じで咲いているさまは集団の力といったものを感じさせてくれる。

この花、昆虫には評判がよいのでセセリチョウを始めモンシロチョウやシジミチョウが群がっている。

そうした中、一匹のコガネムシが一房の花を占拠してほかの昆虫を寄せ付けないでいる。

蜜を吸おうとしているのか、花びらを食べようとしているのか、ただの意地悪か

子供の頃の歌に”コガネムシは金持ちだ 金蔵建てた蔵建てた 子供に水あめ買ってきた”というのがあったが、子供心に金持ちの癖をして土産がやっと水あめかいな、とおもっていたが、、、、、、

金持ちほどケチなんだって。というのが世間に出て教えらたものだが、、、、、、その反対に、貧乏人ほど、「宵越しの金はもたねぇ」なんて粋がり、無い金を無駄に遣っていることも知ったもんだ。

昨日、日本の国債の格付けがまた一ランク下がって、先進国といわれる国の中で最下位になったそうだが、国民一人当たり800万ほどになる借金を心配しないところを見ると、、、、、

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2011年8月24日 (水)

森を見て木を知らず

004d .真新しい白い石段には人影も無く

今日は掛川から法多山をまわり、南下して海岸通りの国道150号線を廻って帰ってきた。

空模様は、ずっと曇り空ながら蒸し暑いのはいつものこと、、、。

先日は、スカシユリで色とりどりだった掛川城付近も妙に静まり返っていて寂しげだったのは、夏の終わりと言う雰囲気も手伝ってのことだろうか。

子供の姿もめっきり見ないのは、新学期を前にして溜め込んだ宿題にとっくんでいるためか、、、、、、、。

そんなこんなで、連れ合いとともに片側に杉の巨木を立て並べた参道をゆっくりと進んだが、最後の石段が登れないということで、代参をかねて真新しい石段を一気に登る。

006d 今日は、観音様の御縁日とはいいながら、ウイークデーのため人影は決して多くなくまばら、、、参詣のあと本堂を透かしてみれば護摩の火がかなり大きな炎を上げているのが垣間見られる。

お茶の接待を受けた後、下り道で追い越した親子連れらしい老婦人が参道の両側に「観音様御縁日」と書いたのぼりを見て、子供夫婦らしい人に「観音堂は何処かしら、お参りしてこないと、、、」といっていたが子供夫婦は無言のまま、、、、

すでにお参りしてきた法多山の本尊が正観音菩薩と言うことをご存じなかったらしい。

いかにも八百万のカミホトケがまします国、日本人らしいと思った。人のことが言えるほどカミホトケへの信心が厚くない自分も同様、、、、、

木を見て森を見ずの逆で、大きなお寺さんや神社に行っても本尊や神が誰だか興味が無い、と言うのは、”森を見て木を知らず”といったところか。

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012 氷の浮かんだ冷たい味噌汁?  がわ料理

帰りは旧大須賀町のサンファームに立ち寄って野菜を買ったあと御前崎まで海岸通を走り、磯料理専門の店に入る。

ここで、刺身定食を注文したが、メニューの最後に「がわ料理」というものがあるのを見つけ、これも注文した。

でてきた定食はかなりのボリュームがあり、それだけで十分に満腹感を感じていた頃に、ようやく”がわ料理”がでてきた。

がわ料理とは、ひと言で言えば冷たい味噌汁で、漁師が船で沖に出たとき食べていた郷土料理、と言うのは聞いていたが食べたことはなかった。

今回ようやくお目にかかったわけだが、出てきたものは野菜と魚を細かくした後冷たくした味噌を水に溶いてかけ、さらに氷を入れて冷やしてあった。

多分、同じように注文していたのに、こんなに遅れたのはただ、サラダの上につめたい味噌汁をかけただけのものではないと思うが、なにせ、でてくるのが遅かった。

味は思っていたより淡白で、魚の臭みも無く、時折混じっている梅干が顔をしかめさせる。夏の暑いさなかには美味いと言うか面白いたべものであるが、なにせ、大きな器に入って出されたものを見ただけで食欲が減退する。

折角の頼んだものだし、もったいないとは思いながらも満腹感が邪魔をしてなかなか食べきれない。

次に頼むときは、これだけでじっくり味わってみることにしようと、完食出来ずに店を出た。

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忍び寄って来ていた

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今日は処暑。夏の暑さも一区切りをつけて次第に涼しさを伴って来るころと言う。

麻機の原にも秋の七草の一つ、葛の花が茂った葉っぱの裏に一つまた一つ、そして、庭の手入れを怠った草むらから虫の音がして、秋は鉞に向かって進行してゆく。

まるで、子供の頃の遊びにある「達磨さんが転んだ」のように、目をそらしている間に、足音も立てずにすぐ後に寄って来るかのように、、、、。

しかし、昨日まで雨に降られて涼しかった夜も、湿気がはいってきて一気に蒸し暑く感じてしまう今夜である。

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先日天竜川で、川くだりの船が転覆し五人の人が亡くなった事故は、日がたつに連れてその杜撰さがあからさまにされ、よく今まで事故が無かったものだとおもう。

一つには、天竜浜名湖鉄道という会社は、県や近隣の市町村が出資して作り上げた第3セクター会社のだが、専従の取締役は社長一人だったと言う。

会長が県知事で、後は各市町村の長が取締役に名を連ねているものの、全ては兼業であり取締役会といっても形式的なものでしかない。

今日も知事が、このことで会見していたが、会長という立場を知ってか知らずか(そんなことないはず)まるで他人事のような話しぶり。

普通の会社なら、会長、社長、担当重役が雁首を並べて頭を下げるのが普通だろうに、そんな席には一度も立っていない。

こんな会社だから、現場のことは現場にまかせっきりだったようで、取締役は川のことを何も知らないでいた。

昨年も、浜名湖で青少年の家のボートが転覆、ひとりの少女が亡くなった事故も県は、委託した業者にまかせっきりにしていたことが指摘されている。

担当が違えばよそ事なのだろうが、現場のほうでも何も知らない連中に口を挟まれたくないとしていたところがなかったか?。

乗客名簿もいい加減だったそうだし、救命胴衣の説明も無かったやに聞くと、4割近くを出資している県は、「お金は出すが口出しはしない」と言ういいスポンサーに見えるが、管理の不十分さが観光事業の汚点となって跳ね返ってくることを予想していなかったことになる。

事故を起こしても、責任を感じないお役所体質は国のみならず全てのお役所に通じるものがあることを今回も知らされた。

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2011年8月22日 (月)

ゲーム機が流行っているのは

003s .

天気予報で見る今週の静岡は、ず~っと傘模様がつづく、

圧真夏日が続くかと思えば、梅雨時でもないのに一転して雨降り続き、、、

今朝方から断続的に強い雨が降る中、ムクゲの花に二匹のセセリチョウが雄しべの両側に並んでとまっている。

「月さま雨が、、、」 と、雨宿りを口実に雄雌のランデブーと艶っぽく見るか、「腹が減っては戦は出来ぬ」とばかり無粋に蜜に吸い付いているとみるか、、、、、

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このところ、アメリカのドルやヨーロッパのユーロに比べて幾分安定感が有るとして、円高が続き戦後の最高値を記録した。

バブル期の記録でも一ドル76円は突破できなかったのに、それを上回ったのだが、海外旅行にいけない最近では、個人的メリット届いてこない。

それにしても、東北地方の震災と福島原発の事故でよれよれになっている日本のほうが、安定していると見られるということは、よほどドルやユーロといった基軸通貨の値打ちが落ちているのを再認識させられる。

また、それに影響を受けてかほんのちょっとした発言や予想に敏感と言うか過剰に反応して、世界中の株価が乱高下を繰り返しているさまを見ると、トレーダーと言われる”経済やくざ”連中の泣き顔が目に見えてくるような気がする。

昔とちがって、コンピューターが瞬時に判断して、一瞬の間に売り買いが成立してしまうようで、指先のタッチの差が大損、大儲けを決めてしまう博打社会になっているそうだ。

傍目で聞いていても、まことに油断もすきも無い世の中、忙しない世の中になって、多分当事者は胃炎で寿命を縮めていることだろう。

まるで、クイズ番組の早押しボタンを見ているようなものだが、最近ゲーム機が子供間で流行っているのは、案外早押し競争を勝ち抜く練習かもしれない。

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2011年8月20日 (土)

秋の小手しらべ

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020 面高とも沢瀉とも書く植物、オモダカが白い花を田んぼの中で咲かせている。

面高は葉っぱの葉脈が盛り上がっていることから付けられたとも言うが、三角(みすみ)が尖って、鏃のような形をしている葉の形のほうが特徴的な草で、戦国武将の紋所などに好まれて使われた。

花も清楚な感じの三枚の花びらで、受精すると丸い玉のような実が花びらの落ちる前に膨らんでくる。

沢瀉は、中国から入ってきたときの名前で、漢方薬の名前でもある。

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昨日、大雨注意報がでたものの、静岡市内は小雨で終わった。

しかし、天気予報は当たり、気温は一気に下がって、久しぶりにクーラーをかけず、窓を開け放しただけで寝付くことが出来た。

前線の後には、こんな気持ちのよい宝物が隠れていたのだ。

自分としては、もう少し湿気が少なく、気温が低いほうがよいのだが、秋の小手調べは苦情はいえないほどありがたい。

この涼しさもまたぶり返すかもしれないとのことだが、それこそ ”秋よこい 早く来い”といったところで待ちどおしい。

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2011年8月19日 (金)

涼しげに咲く

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水辺に咲くから涼しげなのか、濃いコバルトブルーの花びらが涼しげなのか、今年もミズアオイが咲き出した。

昨年は、地域の人が土をかき混ぜたため大発生したが、今年は気候のためもあってか、数も少なく、開花もかなり遅れて咲いている。

この花は条件が揃うまで土の中で何年でも眠っていられると言う特異の才能を持ち合わせていて、同じように蓮の種では2,000年前の地層から大賀博士が見つけて再生させた大賀蓮というのがある。

土の銀行、シードバンクといわれている、この保存方法は、また勢いの強い草が衰えるまで永い眠りに入るのだが、次に人を喜ばせるのは何年後?。

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「辞めろ !辞めろ!」の大合唱の中菅首相も近いうちに辞職し、その後継者選びが始まっているようだ。

しかし、どの候補を見ても”帯びに短し"ばかりで、適任はおろか”襷に長し”さえいないように思う。

自民党との大連立だの、増税だの、小沢元代表の党員資格復帰だのばかり、どの候補も自分の当選のため支持者集めの口実ばかりで、国民のほうを向いてはいない。

更に追い討ちをかけるようで悪いが、どの顔も暗い感じしかしない。これは、いずれがなっても指導力を感じさせず、菅首相以上に迷走しそうな気がして仕様が無いのはこちらの思い過ごしだろうか。

公約を全て投げ捨てて自民党に擦り寄るのもいい加減にして欲しいし、増税の前に「隗より始めよ」ではないが自分たちの歳費や定員を削り、官僚の天下り、税金の無駄遣いを省いての上でのことならまだ納得もしようが、そんなことはおくびにも出さない。

また、小沢チルドレンの票を欲しさに、小沢詣でを行い党員資格の復帰を言うにいたっては「あほもいい加減せい」といいたい。そんなことは裁判が終わってからのことではないだろうか。

こんなことばっかりが新聞に載るようでは、ますます支持率が落ちて地獄を見るのも遠くないと思うが如何。

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2011年8月18日 (木)

喋っちゃ嫌よ

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今日も最低気温が26度もあり、最高気温が37度にまでなった。

気象台では、36,7度と細かいことを言っていたが、これは風通しのよい百葉箱内でのこと、実際の街中は照り返しを含めれば40度を越えていたと思う。

あと一日、あと一日と、日中は我慢しているが、夜になっても下がらない蒸し暑い夜はクーラー無しでは寝付けない。

高砂百合の下から這い上がった蝉は行き場が無くて、垂れ下がった蕾の上で脱皮したが、しっかりと爪を立ててから脱皮したため、今度は百合が花開こうとしても開けないでいる。

まるで、高砂百合に「木と草を間違えたなんて恥ずかしいから、喋っちゃいやよ」と口封じをしているかのように、、、

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八月四日、ラフテイングと題した記事の中で、日本の川降りは優雅なもので、、、と書いたが、昨日、天竜川でその川くだりの遊覧船が事故を起こし、今日現在死者二人 行方不明三人となっている。

自分も何度かほかの川降りを経験しているが、やはり、素直に降るのではなく少し激流的なところに船を近づけないと面白くなく、船下り会社でもそうしているところが多いのは当然のことだろう。

今回事故は、前例があったのかどうかは知らないが、海ではいくつもの事故が有り、救命胴衣をつけることが義務付けられていると思っていたら、そうではなかったようで驚いた。

なんでも、業界団体が強く反対をしたため成立しなかったそうだが、被害にあった人からすれば悔やんでも悔やみきれないといったところだろう。

今回は、暑いから、無理して着用しないでも、、、、というのが理由だったそうだが、冬の川くだりで炬燵に入ってと言うのもありぶあつくて硬い救命胴衣を着けてのるのも無粋ではある。

なんとか、着心地によい物が出来ないものだろうか。簡単なことだと思うのだが。

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2011年8月17日 (水)

草木も眠る午満つ時

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草木も眠る丑三つ時、家の棟も三寸さがり、水の流れも止まると、いずこからとも無く、、、、、

ご存知江戸時代の怪談に出てくる前置きである。当時は、街灯も無く夜になれば真っ暗闇が支配する世の中だったので、幽霊も出やすかったのだが、最近では電力使用を「自粛!」と叫ばれているにもかかわらず煌々とした明かりは幽霊はもちろんお化け、物の怪も出てくる余地を失った。

変わって、三十六度を越える真夏の午後は人通りも絶え、我が家の庭でも枯れた鉢植えがいくつか、、、これを、草木も眠る”午満時”(ウマミツドキ)ということにしようか。

丑の刻というのは、季節によって違うとのだが、今の時間に直すと大体は午前二時ころ、午の刻というのはお昼過ぎからの二時間くらいを言い、夏場の一番暑い盛りにあたる。

Ootuyama5 むかし栄えた鉱山寮の防火壁、今では住む人も無く草に埋もれて

天気予報では、後三っ日が峠だと言うが三十五度を越える日が年毎に増えていくそうで、異常気象と騒がられる回数はもっと増えてくることになるそうだ。

これも、すべてが近代文明が吐き出した二酸化炭素のせいだと言う人もいるが、何処までどうなのやら、と言う感じがする。

というのは、今から7万年前~一万八千年まえのウルム氷河期には水が凍ってしまい、海の水位は140m以上下がったとされているが、六千年前の縄文海進の時には今より三~五m海面が高かったとされており、現在よりかなり暑かった事が知られており、短期間に気候の変動が起きていたようだ

そして、乾燥地帯で有名なサハラ砂漠やアラビア半島が湿潤多雨の気候でエジプト文明やインダス文明が出来た時期と一緒になる。

つまり、人間が排出する二酸化炭素が問題にならないくらい少ない時期であった。

それでもこれだけの気候変動が起きている。と言うことは、これからの解明に興味がある。

消えた文明と興味本位にテレビで放送されるが、その当時と今の状況が一緒だったという前提によってなされているが、人間の文明なんてもろいもので、自然現象の前にはなすすべも無い。

メキシコのマヤの遺跡やカンボジアのアンコールワットのように、ここがどうして放棄されたのかと将来悩ますような現象が起きる前ぶれかもしれない。

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2011年8月16日 (火)

ドロンとした朝日が

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ひぐらしの寂しげな声とともに夜が明けてくる。

麻機の農道から見ると、梶原山の上あたりからドロンとした感じの太陽が上がる。

地平線の霞を通して、まぶしいと言う感じでなく文字通り”日の丸”のような、赤い太陽が次第に勢いを増して、早くも汗ばみ始めていく。

西の空に浮かんでいる十七夜の月は、暑い日差しに溶け込むかのように消えていく、、、、、

今日も暑い一日になりそうな予感をもって、、、、

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028 午前六時過ぎて、麻機田んぼまで下りてくれば、草ぼうぼうの荒地になった休耕田に看板が見えた。近寄ってみれば”STOP THE「遊休農地」”と書いてある。

看板は立てたものの、手がつけられないのだろう。

こんな田んぼが今年は余計に目だってきているような気がする。耕作者の老齢化で放棄される田んぼが増えてきているようだ。

先日も、食料自給率が40%を割り込んだと発表された。これだけ、低い数字ならばもっと耕作地を増やす努力をしてもよいはずだが、ここでもいろいろな規制が邪魔をしている。

戦後、農地解放によって実際に田畠を耕している人に土地が分け与えられたが、以後農家は減る一方。つまり、新規に農業を始めたい人の門戸を閉ざしてしまったためである。

会社組織にして大規模にやりたい、新規に農業をやりたいと思っても、農業者でなければ土地が手に入らないことがおおきいだろう。

そして、農水省の言う39%には裏が有り、カロリー計算上の数字だと言う。

ほかの計算方法でいうと、生産額では69%だというし、主食に限って言えば59%、米になるとおそらく100%にごく近い数字であろう。

自給率39%で危機感をあおっても、競争の無い社会は発展が無い。

補助金狙いに”STOP THE「遊休農地」”と書いただけでは、日本の農業に先は無いと見るべきだろう。

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2011年8月15日 (月)

誰それ命

028s .提灯の下の短冊の数以上の悲しみが、、、

自分が生まれる前から日本は戦争で多くの人が死んでいった。

自分の父親も、上海の西で負傷をして帰国、そして自分が生まれた。

もしこのときの傷、肺への盲貫銃創で死んでいたら、自分はこの世に生きてはいなかったはず、、、、、

多分アメリカを相手に昭和17年末からの戦争の統計で、戦病死者が212万人、空襲での死者が24万人だと、NHKは報じていた。

自分の周りでも、叔父がひとり、従兄弟が一人南洋の海でなくなっている。

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今日は、この戦争が日本の無条件降伏で終わった日である。

世間は、終戦記念日というが、ありていに言えば敗戦記念日であるべきであろう。

「臥薪嘗胆」と言う言葉がある。そのむかし、中国春秋時代に呉王夫差が越王勾践と闘って破れたのを忘れないために、薪の上で寝て痛みを、熊の肝を舐めて苦い味を忘れまいとした故事であるが、全体主義、軍部の暴走に嫌気のさしていた日本国民は、悔しさを全て忘れようとばかりにアメリカ軍を迎合した。

しかし、静岡護国神社の万灯みたま祭に行って見ると境内いっぱいにかけ並べられた提灯の下には小さな短冊が下がっており、その短冊全てに何人もの「誰それ命」と書いた名札が下がっている。

戦火が絶えて六十六年、世代は変わり、少なくなっているはずなのに、いまだにあの戦争で亡くなった兵士を偲んで名札をかける人は絶えない。

沖縄で、東京で、広島長崎をはじめ各地で多くの命を犠牲にした民間人は、この提灯の下には書いてないはず、、、、

もっと戦争の悲惨さを後世に伝えなければならないはずなのに、、、、、、、、、「うみゆかば」が大きなスピーカーで、今日の町に流れていた

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2011年8月14日 (日)

坊んさん走る

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師走とは、古来十二月のことを「しはす」と言い、それに当て字をしたという説や、年の終わりを言う言葉だとかいくつもの説があって定かではないそうだ。

そうしたなか、坊さんが走り回るからというのが一般的俗説であろう。

お盆を控えたこの時期、急に街中にお坊さんが増えてきた。

普段寺に閉じこもってあまり見ることも無いが、夏の師走(?)檀家の各家を走り回り、どの家でもお茶の接待を受ければ、多分衣の下はお布施とお茶でガボガボと揺れているに違いない。

田舎の坊さんは檀家が各地に散らばっているため、乗用車で回っているが、あまり高級車だとなんだか嫌味にみえて仕様が無い。

一方、近回りで済む坊さんの場合、自転車で行脚しているが、この暑い太陽のもと、文字通りの坊主頭で走り回っているのを見ると「大丈夫かいな?」と心配してしまう。

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2011年8月13日 (土)

てんやわんやの大騒ぎ

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Img_0073_2 昨夜、朧ながら満月のもとに花開いた月下美人も、美人薄命の言葉通り首をうなだれての朝を迎えていた。

午後になって、ほんのお湿り的な夕立にあって、小さな水滴を付けているのは、さらに哀れを誘う。

花のあと、ほかの植物と違って実をつけることも無いので、すぐに切り離すのだが昨夜以来のごたごたで、誰も気がつかなかった。

日本にある月下美人は、輸入された時の単体を株分けされて広がったもので、すべてがクローンのため、実をつけることが稀だそうだ。

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戦後すぐの頃ヒットした、笠木シズ子の買い物ブギではないが、

”今日は朝から私のお家はてんやわんやの大騒ぎ

盆と正月一緒に来たよなてんてこ舞いの忙しさ

何がなんだかさっぱり分からず どれがどれやら、、、、”    

こんなことを書いていられるのは、結果的には大したことにならなかったためである。

午前二時、十一日にインターフェロンの注射をしたあとほとんど食べ物を口にしていなかった連れ合いが、トイレで気分が悪くなり出てきたところで倒れてしまった。

C型肝炎の治療を続けていて、赤血球、白血球ともに少なくなって「要注意」と言われていたが、食欲が無く、無理して食べるとあげてしまうため食べる量ものが偏り、少なくなっていた。

身体中白くなり、意識不明に陥っため人工呼吸が先か、救急車が先か迷ったが、胸を強く押し、空気を肺に吹き込むとようやく目を開いたので119番に電話した。

救急車が来るまで、下の始末をし保険証などを探し、かかりつけの県立総合病院に行ってもらったが、初めての救急車は戸惑うことばかり、、、

救急隊員に、病状の説明を求められても病院通いは送り迎えはしていたものの付き添ってはいないし、どの薬を飲んでいるのかも正確にもわからない。

おまけに、生年月日を聞かれても、年月までで何日だったかはっきりしない、これも普段から誕生祝と母の日を一緒にしてつじつまを合わせていた結果で、、、面目ない!の一言。

救急外来での処置は担当医もいないためはっきりせず、とにかく、赤白血球、血小板が少ない重度の貧血と言うことで点滴を打ち、安静というで様子を見ることになった。

ほかに誰もいない場合、救急車が先か、人工呼吸が先かと迷ったときは、自分の処置の仕方で、このままと言うことも脳裏をかすめた。

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こんなことを今だから書けるが、佐久のぴんころ地蔵に10円しか納めなかったのがここに来てよかったのかも、、、、、、

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2011年8月12日 (金)

甘い香りの愛染かつら

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桂の木。まあるい心臓形の柔らかい葉を広げて水気の多い土地に生えている。

秋には黄色く黄葉し、ひらひらと降り積もるさまは銀杏のようにも見える。

木の部分にキャラメルに似たような甘い香りが微かにするため、自分の親はこの木で戸棚を作り自慢していたのを思い出す。

しかし、最近は木材になるような木も無くなり、桂材の家具は見たことが無い。

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028 通称温泉薬師瑠璃殿、下には句碑、歌碑がたくさんある。

別所の朝は早い。

昨夜、早く寝たことも有って五時過ぎに北向き観音に出かけてみれば、明かりのついた本堂脇のお堂では早くも読経の声がするのはとうぜんのことだが、近くの公衆トイレには早くも掃除のおばさんが入っていた。

すでに別所温泉と周りのお寺には何度も来ているので、特別な感慨はなくなっているが、やはりこの地に来ると北向き観音に寄らなければ、故郷に行って親戚の家に寄らないのと同じような気がしてしまう。

で、今回は宿の位置関係で裏口から初めて入った。境内は近く盆踊りが始まるようで、櫓と赤白の提灯が四方八方にむけて吊り下げられ華やかな雰囲気をかもし出していた。

そこから少し離れて、鐘楼脇に桂の大木が有り、昭和13年に作られた映画で有名になった「愛染かつら」がある。

映画「愛染かつら」は、続編を含めれば何度も製作されているすれ違いドラマであるが、自分が見たのはどれだったのか、、、

上原謙と田中絹代ではなく、昭和23年に作られた水戸光子のものと思うが、あまりにも、はじめてのが印象深く、スチール写真で出回っていたため、、、

なにしろ、主題歌#花も嵐も踏み越えて、、で始まる「旅の夜風」と「悲しき子守歌}は戦地でも愛唱されたそうだし、自分の母親たちも口ずさんでいた。

父親?、、、土地の民謡「船津めでた」以外ついぞ聞いたことがない。

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2011年8月11日 (木)

この子の七十のお祝いに

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日の出前の深い霧も次第に薄れるなか、朝五時半から畑に入る。

昨日の夕立で地面が濡れて、鍬では土が重くてやり切れないだろうと言うことで、ロスが多いかもしれないがユンボで掘ろうと言うことになっていた。

朝飯前に真っ赤なじゃが芋、アンデスという品種から掘り出した。

八時までかかって、林檎のコンテナーに三箱収穫したところで、朝ごはんの支度が出来たとの呼び声で作業は一時中断する。

Img_0154 秋のトンボ、アキアカネもここで一服のあと、、、

ふたたび掘り出したのは、九時過ぎだったが、すでに気温は30度に近く直射日光はヒリヒリと肌の染む。

ユンボで掘り、バケットをゆすって土を落とした中からじゃが芋を拾い出す、「これじゃ静岡と変わんないね」と愚痴をこぼし始めたときには、幾分バテ気味になっていた。

一ヶ月前に成長が悪く見えたときから覚悟はしていたのだが、男爵、キタアカリ、セトなんとかと白い系統のじゃが芋は実りが悪く量が少なくて、気落ちがしてしまったことも拍車をかけたようで、昼休みにはバテバテになり食欲も落ちてしまった。

食事中「東北へボランティア行こうか、なんて言わなくてよかった。こんな調子じゃ行ったところに迷惑を掛けてしまう」と、この歳になっても自分の体力がわからない。    いや、都合の悪いことに目を瞑って、分かろうとしないのではなかったろうか。

午後になって、豊田市から弟夫婦がやってきたので、大変なほうはそちらに任せて、一線を退く。

3時過ぎようやく作業が終了し、シャワーを浴びてようやくホッとする。気温は34度とか、、、良くぞ熱中症にならずに済んだものだ。

四時半まで涼んだ後、今夜の宿がある別所温泉にむかう。と、いうのも今年は弟夫婦が数え年では有るが古希を迎えているので、そのお祝いを兼ねて招待することにしていた。

そのことを食事が始まる前まで伏せておき「我々の幼い頃はこんなに長生きするとは思いもしなかった。まずはおめでとう、、、」

七十歳を迎えた弟夫婦、前期高齢者の真ん中、、、通うりゃんせ通りゃんせ、、、この子の七十のお祝いに、、、行きはよいよい帰りはどうなる。で、あと何年。    目出度くもあり目出度くもなしのお祝い。

で、乾杯をし、食事の後もゆっくりと話し合う積りだったが、疲れは予想以上に激しいらしく九時を過ぎたところでまぶたが重く、とてもとてもそれ以上は無理と、床に就く。

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2011年8月10日 (水)

ぴんころの願いも中途半端

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いやぁ~まったく暑い3日間だった。

涼しさを求めていった長野も猛暑続きでへたばってしまった。

八月九日の甲府盆地の36℃は半ば覚悟済みだったが標高1,300M余の野辺山でも29℃、その先を下った佐久平では35℃になり焦熱地獄の有様。

吹き渡る風も無くジリジリと暑い太陽が降りそそぐなか、沿道の畠はおろか道行く人もほとんどいない国道141号線。

それでも、と、千曲川左岸のぴんころ地蔵で最近有名になった成田山薬師寺に初めて行って見たがここも人けなし、屋台も三軒ほど出ていたもののお参りする人も無いと見えて店じまいの最中、、、。

山門入り口左側にある真新しい地蔵があった。正式には長寿地蔵と、地蔵の正面に大きく書かれていたが、通称ピンピンコロリと逝きたいという願いをかなえてくれるそうだ。しかし、地蔵は首を傾げて静かに笑っている。

とりあえずは、と10円玉一つお賽銭にあげて門をくぐりの愛染明王堂にもお参りして義弟の家に行ったが、話しの中でそんな話をするとなんだか知らないがお賽銭は45円だそうで、、、、「それじゃ願いも中途半端になってしまうのかね」と大笑い。

午後になって、早々にじゃが芋畑に入ってみたが、一ヶ月前に草をとり土をかけてきた畠は、それこそ草に埋もれていて、何処から手を付けよいやらと思案に暮れる有様。

頭上から照りつける太陽光線は、畑仕事を続けようとする気をたちまち失せさせてしまう。

そのうち、浅間の山から、蓼科の山から沸き立ったいた雲からガラガラと雷が鳴り出し、四時頃激しい夕立が来た。

浅間の山から雲が出た いまに見てみろ

 ぴっからじゃっから どんがらりんと音がする

暑い午後には恵みの雨だが、土が濡れて畑仕事を邪魔する雨でもある。

土地あえずはシャワーを浴びて、、、、後はビールってとこでおしまい。

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2011年8月 8日 (月)

じゃが芋掘り遠足

本当は明日に予定していた長野行きだったが、あまりの暑さに耐えかねて十時過ぎに急遽向かうことにした。

目的は、一月に亡くなった人の初盆も有るが、”じゃが芋堀り遠足”と言った感じの旅行である。

さてどんな旅になるのやら、、、

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2011年8月 7日 (日)

稲の出穂

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今日はこの夏一番の蒸し暑い日だったような気がした。

暑さとしては七月末のほうが暑かったように思うが、肌にへばりつくような粘っこい暑さには参ってしまう。

最近では、言わなくなった不快指数と言うものであらわせばどんな数値が出ただろうか。

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立秋を明日に控えて麻機の田んぼにもようやく稲の穂が出始めた。

まだ直立した穂先から、白い雄しべ雌しべを出し、田んぼの上を吹き渡る風にのせてゆらゆらとゆれているさまは、実際より涼しげに見えて和む。

そろうたそろたよ 踊り子がそろうた

稲の出穂より よ~ なお揃うた

ありゃよい よ~い よいとな

ありゃりゃん こりゃりゃん よ~いとな

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今年は、福島の原発からセシュウムが大量に飛び散ったため、東北をはじめ静岡、長野、新潟から東北の地方で検出されないかと戦々恐々のありさまで、収穫の秋を素直に喜べないような気配がただよっている。

政府は、以上が検出された米が市場に出回らないように対策を打つというが、米農家はそれを素直に喜べない。

折角丹精をこめて作った作物が、飼料にもならないと言うのではもっともなことである。

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2011年8月 6日 (土)

弱いものにたかる

006 .日の出時の富士山、朝日はとどかず

臙脂色といったらよいのかもしれないほど赤黒い空から始まった今朝の朝焼けも、日の出頃には、すっかり色あせて白っぽくなってしまった。

原因は、近くの山から立ち昇ってきた低い雲にあり、富士山も見る間に姿を消してしまった。

011 .

久しぶりに向かった城北公園では、蝉の声をすっかり消えていたのは、昨夜降った雨のためだろうか。

早起きしたらしい子供がひとり、蝉を探していたのだが、声の出さない蝉では居所がつかめない。

しかし、やぶ蚊のほうは子供を逃がさないらしく、しきりに足をさすっていたが、たまりかねてか早々に帰っていった。

自分にはたからない蚊だが、子供にはたかる。

体温の違いだろうか、皮膚が柔らかくて刺しやすいと見たのだろうか。

なんだか弱いものにたかる、いじめを思い出してしまった。

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今日は広島に原爆が落ちた日である。

当時、この原爆を新型爆弾と言ったそうだが、ラジオしかなかった当時の国民は原爆が落ちたことさえも知らされずにいたため、原子爆弾という名を知ったのは戦後のことである。

それから十数年たって、同じ職場に広島で惨状を見てきた人がいることを知った。

その人は、あまり語りたがらなかったのは悲惨さもそうだが、被爆者ということを知られたくなかったことのほうが、大きかったようだ。

僅かに聞けたのは、当時軍隊にいたため原爆投下の後広島に派遣され、亡くなった人をトラックに積み込んで処理場にまで運ぶことを命じられたこと。

その間のことは、とても話せないと言っていたが、爆死した人々は人間の体をしていなかったし、扱いも同様だったようだ。

とうぜん、そのころは原爆に対する知識も無く、高い放射能が充満する中を防護する装置どころか服も無く、、、、、、、二次被爆で、一時はかなり重症だったといっていた。

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このときの状況に比べれば、福島原発ではそれほど重症になる人も出ていないようだが、この先どうなるのだろうか。

その時に比べれば、情報が格段に進歩したとはいえ、政府と東京電力は相変わらず臭いものには蓋をした結果、次から次へと被害が拡大し、東京電力だけでは被害の補償が出来かねないようで、国民からなんとか税金で補償させようと画策しているのがありありと見える。

「止むなし」と簡単に応じるようだと更に付け込んで来るので、ここはしっかりと眉に唾をつけて凝視しておかなければなるまい。

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2011年8月 5日 (金)

雨に濡れた岩場に

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降って、晴れて、曇って降って、また曇るという朝から変転極まりない天気の一日。

多分沖縄にとどまっていると言う台風が影響しているのかもしれない。

おかげで、竜爪山のキツネノカミソリを見に行くのを止めざるを得なかった。

先日この山で老人(86歳とか)ひとり行方不明者を出しているので、途中で雨に降られても、と思ったのが止めた理由。

途中で咲いていたイワタバコ、今朝方の雨で濡れた岩場に幾株か咲いていたものうちの一株。

曇り空の中、谷に面した斜面はそれでなくても暗い場所に、白で縁取りをした赤紫の小さな花を密集させて咲いているさまは、そこだけぽっかりと色づいていてしっとりとした趣きをかもし出しているが、人間の見た目よりは暗いらしく、フラッシュを焚いてやっとこの程度。

葉っぱがタバコの葉に似ているからと名付けられたが、タバコとは一切かかわりの無い植物。

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昨日だったかの報道によると、空港の税関で没収されたタバコが今年に入って五万本になると言っていた。

(この五万本と聞いて、クレイジーキャッツの五万節を思い出すあたりが我ながら古臭い)

東北の地震以来、国産のタバコが少なくなり自販機はいずれも空っぽ状態が続いているそうで、愛煙家と言われる人はタバコを手に入れるのに四苦八苦してそうで、中には賞味期限を過ぎたタバコを自販機に入れて販売したとして逮捕された人もいるそうで、とんだ「煙草狂想曲」を演じているようだ。

それにしても、海外から日本製煙草を逆輸入をしていると言うことは、どういうことなのだろうか。

売れ残りか、はたまた輸出優先なのか。

煙草を止めて五十年の者にとってはどっちでもよいことだが、、、、、、

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2011年8月 4日 (木)

ラフテイング

023 .

今日も蒸し暑い一日となった。

市内を流れる巴川の支流長尾川の堤防を歩いていたら、小学校低学年らしき子供一人、浮き輪を持って川に入っていた。

周りを見ても、仲間や保護者が見えないのでどうなのかな、と、半分心配をしながら見ていたが、慣れているらしく浮き輪を尻の下にしてラフテイングのように流れに身を任していった。

夜になっても水の事故が放送されていないので、、、

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テレビを見ていたらラフテイングという豪快な遊びが有り一度体験してみたい思いに駆られた。

画面は、アメリカのコロラド川をゴムボートに乗って降る場面だったが、名前の通り赤く濁った急流を10人くらい乗り込んでくだるというもの、、

日本でも川降りをする場所は何箇所も有るが、そのほとんどは川舟で下る優雅なもので、ゴムボートで降ると言うのは、近くでは富士川の元芝川町付近に有る。くらいにしか聞いていない。

テレビの様子からラフテイングとは、荒っぽいという意味かと思っていたが、筏降りのことを言うそうだ。

そうなると自分らも子供の頃、木を組んでは毎年やったことなのだが、テレビのような急流ではなく、どっちかと言うと海賊船気取りでやったものである。

そしていま、体力が衰え、バランスが悪くなっていることを自覚できない老人は、テレビを見てとても出来はしないだろうラフテイングに荒々しい思いを走らせている。

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2011年8月 3日 (水)

輪廻転生

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若い栗も5センチくらいになってその毬は鋭くなってきた。

その毬の上に一匹の蟷螂が、、、、

なんだか、地獄の針山で大きな鎌を振りかぶって罪人を追い立てる獄卒に見えないことも無い。

こちらはいま、焦熱地獄で炙られている身、次は針山に追い立てられるのだろうか。

輪廻転生。いずれはそちらに行く身なれど、、、、なるべくお手柔らかに

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2011年8月 2日 (火)

朝は朝星

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むかしこんな言葉があった。

「朝は朝星 夜は夜星をいただいて働く」 労働基準法もなかったころ。夜が明ける前から動き出し、仕事を終えて帰るときには星が明かりの中、と言う働き者を言った。

耕運機も田植え機も無く、鋤鍬で田を耕した百姓にもそういわれた人がいて、小原庄助さんや二宮金次郎みたいになれた人ごく僅かいただろうが、大半は食うや食わずのままで生涯を閉じている。

自分の先祖も小作ではなかったが、高冷地で戦後まで米も出来ない土地にしがみついて代代生き永らえてきた家柄の分家である。

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今朝も日中は暑くなるかもしれないという予想の下、早朝散歩に出かけた。

日の出時間は五時少し前だが、さらにその時間の少し前朝焼けに染まる空の下、ヒルガオの花の蜜を集めにミツバチが来ていた。

それも、後ろ足にはすでに花粉玉を付けているところを見ると、巣箱を離れたのは何時のころだろう。

空には、低い雲が有ったので朝星は見えなく暗い空だったに違いない。

人に横取りされるとも知らないで蜜や花粉をせっせと集める。

働き者と言われる日本人同様、蜜蜂や蟻は全てがこんなに働くものばかりでなく、二割ほどの怠け者がいると聞く中で、朝星で働く蜜蜂をみると、その健気なさが愛おしく見えてくる。

「何のため、そんなに働いて生涯を終えるのか。」

そういえば”名も無く貧しく美しく”って映画の筋書きはどうだったのか、、、、

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2011年8月 1日 (月)

男ありてモロコシを焼く

028 .

このトンボ、名前をコシアキトンボと言う。

名前の由来は、見たとおり胴のすぐ下に白いテープでも巻きつけたかのようにくっきりと白くなっているところから、「腰空蜻蛉」といわれるようになったそうだ。

今どきの臍だしルックを当のむかしからやっていたとは、恐れ入るばかり、、、、

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005 先日、長野からトウモロコシを10kg箱で送ってくれた。

本数にして何本あったのか知らないが、孫たちに、連れ合いの知人たちにと、、残った四本が自分のの割り当て、、、、

折角のトウモロコシ、美味しくいただかなければ、とて、七輪で焼くことにした。どうも、以前にガスで焼いたのだが火力が強すぎて、、いまいちだったので

佐藤春夫ばりに「男ありて、モロコシを焼く」の図

倉庫からここしばらく使っていなかった七輪を引っ張り出し、お盆の迎え火に使う松の根を焚きつけにして30数年前の骨董品みたいな炭を引っ張り出して、庭先に準備した。

七輪には痛みもなく、炭も湿気てはいない。風上に七輪の口を置き、団扇ではたいて炭を熾す。

お一人様のトウモロコシは、一本づつ味わうのが一番。

皮をむいてじっくりと時間をかけて焼けば、焼きむらがあちこちに出来て見栄えは悪い。

「もっと簡単にできるのに」と嫌味を言われながら準備から、食べられるようになるまで40分以上。ふうふうと吹き、口の端を炭で黒くしながらのモロコシは甘味がのって非常に美味かった。

また、あしたも、、、、、願わくば、むかしのように完熟し硬くなって、焼くとポップコーンのように爆ぜてくれると嬉しいのだが、今ではそんなトウモロコシは無いそうだ。

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ちなみに、タンゴの名曲で有名なエルチョクロ(el choclo)はトウモロコシのことであるが、あの悩ましい音色のどこにトウモロコシを想像できる日本人がいるだろうか。

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