空蝉を透き通して
久方ぶりに東南東の方向、雲の無い朝になった。
早起きの太陽は、欅の木に掴まっている空蝉を透き通して赤く染める。
いにしえの人はこの空蝉を見て魂の飛び去った身体を想起していたようで、いろいろな歌が今にのこされている。
うつせみの 殻は木ごとに とどむれど
魂のゆくえ 見ぬぞかなしき 読み人知らず
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明治の演歌師に添田唖蝉坊という人がいた。
芸名のいわれは”歌を歌う唖の蝉”と言うことから名付けたそうだが、声のでない蝉とは自分の想像では空蝉のことではないかと思っている。
真夏にわめき散らす蝉はオスなのだが、添田唖蝉坊は男だから、、、、、
社会批評を得意とする歌い手で アノンキダネの言葉が最後に入るのんき節やラッパ節など辛らつに政治を批判が出来たのは、軍国主義になる少し前までのことだったらしい。
しかし、のんき節やラッパ節をバイオリンの伴奏で歌っているのを聞いたのは戦後のラジオだったのだろうが、、、、、何時のころか覚えが無い。
とにかく、のんきなとうさん お馬に乗れば、、、、と言う歌いだしで聞いたときはそんなに痛烈ね社会批判とは思っていなかったが、、、、のちほど、ラジオで長い歌を聞いたときには驚いたものだった。
戦後になって、歌謡曲全盛時代に入ったが安保時代のフォークソング以来、このような社会批判をする曲は聴いたことが無くなったし、フォークソングもこのように直接的に批判することなしに、柔らかさを表面に出すよう配慮していたし、それも最後にはラブソングへと消えていった。
今日行われた民主党の代表選挙。
そのむかし、唖蝉坊は”のんき節で”このように歌っていた。
ギインへんなもの 二千円もらふて
昼は日比谷で ただガヤガヤと
わけののわからぬ 寝言を並べ
夜はこそこそ烏森 アァ(ハハ)ノンキダネ
この歌が歌われて100年ほど、、、いまだに同じ状況が続いている。
中国古代の文章に「百年河清を俟つ 人寿幾何ぞ」という言葉が残っているが、政治の世界は黄河の流れと一緒だと言うことらしい。
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ついでに、ラッパ節から
待合茶屋の夜明かしで お酒が決める税のこと
人が泣こうが困ろうが 委細構わず取り立てる
トコトットット
大臣大将の胸元に ピカピカ光るは何ですえ
金鵄勲章か違います 可愛い兵士のしゃれこうべ
トコトットット
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コメント
おばさま
現時物語にそんな章がありましたね、人妻のところに、、、、
魑魅魍魎の政治の世界、憤慨しても届かぬ世界。
源氏物語の頃、律令制の元奴隷扱いを受けていた庶民の思いと一緒ですか?
最も当時は、情報が無いのと雲の上のことなので、、、、、立ったかもしれませんけど
投稿: オラケタル | 2011年8月31日 (水) 22時04分
空蝉・・・・源氏物語思い出しました
のんき節・ラッパ節
現在の日本を映したような歌ですね。
でもタイトルが面白い。
不謹慎かな。こんな世をもっと嘆くべきか・・・
投稿: おばさん | 2011年8月31日 (水) 20時40分