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2011年10月31日 (月)

落ち葉焚きも夢のかなた

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稲を刈り終わった田んぼのほうが多くなった昨今、麻機のあちこちで煙が上がっている。

最近では、落ち葉焚きも出来なくなって、市街地で煙を立てようものなら消防自動車を何台も呼び込むようなもの、、、、、

童謡の”落ち葉焚き”も過去のものとなって、さつま芋を放り込んで焼きあがるのを固唾を呑んで見守っている。なんてことは夢の世界になってしまった。

代わって、静岡市では野焼きをしないと決めているようで、沼の周りの雑草も、この時期になると草刈機で刈り払い、トラックに積んで焼却場に持っていくのだが、これが良いのやらどうやら、、、、、

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今日で地球上に住む人間が70億人になるそうだ、どういう計算でなったのか知らないが、戸籍の完備していない国やジャングルの奥地に住む人や生死不明の人などをどう処理しての数字だろうか。

もっとも、戸籍が完備しているといわれる日本においてさえ、先日のニュースであったように、所在の知れない高齢者がかなりの数いたのだから、、、、まぁ細かいことはいいにしようか。

この70億人のうち、中国人が一番多く、ついでインド人になるそうだが、この二つの国で総人口の1/3を占め、近い将来中国人を抜いてインド人が一番になるという予測されているそうな。

まさに、「インド人もびっくり」といったところである。

さて、そうなると世界の食料事情はどうなっていくのだろうか。

いずれ、食料をめぐって戦争がおきかねない状況になることは必至であろう。

どんな生物も、限界というものがあってひとつの種のみが世界を席巻するということはないと聞いている。

百獣の王といわれるライオンさえ、増えすぎると食料の草食動物がいなくなり飢え死にして適性の量まで数を減らすそうだから、人間も同じ道をたどるのは間違いない。

メキシコで繁栄したマヤの都市から人がいなくなったのも、人口の増えすぎからではないかという説もある中で、地球温暖化とともに人口の削減というテーマも議題に載せなければ、、、早晩行き着く先は見えている。

それにしても、あとが短い我々は最後のよい時代をすごしたということになるのだろうか。

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2011年10月30日 (日)

採ってはきたが、、

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006s昨日、知り合いの山から採ってきた”蔓梅もどき”、軒下につるして一晩ですべての種の皮がはじけ、赤い実がでてきた。

赤く輝く実は、見るからにきれいである。

水揚げが、止まるとすぐに中身が飛び出すのは、危機に際しては少しでも早く鳥に食べてもらおうとする、自己保存能力からであろうか。

すぐに次の手を打つところは、どこかのお偉いさんのように、想定外でなすすべもなく、ただ自分に火の粉が飛んでこないような方策に腐心するのとはずいぶん違う。

それにしても、この植物の名前の由来がよく分からない。

つる植物の常として、立ち木などにつかまって成長するので蔓がつくのは分かるが、その後の梅もどきは、”梅もどき”という小さな木がやはり赤い実をつけることしか似ていない。

さて、採ってきたものの、このあとどうしようか。

あいにくと生け花の知識はないし、このまま吊るしておくのも一興かと思うのだが、、、、、

そうすれば、鳥寄せになって楽しみが増えるかもしれない。

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2011年10月29日 (土)

色あせて

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かなり気温も下がって、身体が不調の人には温度変化が激しく、
かなりきつい季節になったようだ。

006それかあらぬか、一頭のルリタテハがいかにも疲れたように陽だまりの板の上に休んでいた。

時折、羽を広げるのだがけだるそうに、ゆっくりと開き、それも、完全に開ききらないでいる。

夏の間、あちこちを飛び回り、子孫を残して役目を終えようとしているのだろうか、、、、、、、、

名前の元になった自慢の羽根の色も瑠璃というには少し色あせたように見受ける。

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話は変わるが、大王製紙の前会長が多額の融資を受け、それを返せなくて告発をされたと報道されている。

元会長というからかなりの高齢者かと思ったら、まだ47歳だという。創業者一族ゆえの役職だったのだろうがそれにしても若すぎる。

創業以来の三代目というから、世間知らずのぼんぼんなのだが、創業者の権威がまだ残っている二代目に比べると三代目が一番危ういと昔から言われていて、徳川も足利も三代目が名君だったので長続きしたそうだ。

ところが、大王製紙の場合はそうでなかったようで、ラスベガスで遊ぶ金を融資という名の借り入れたのは総額は106億円以上と聞くと、驚くよりあきれてしまう。

子会社に向かって、「明日までに何億円、この口座に振り込め」ということは、会社の金は自分の金としかおもっていなかったことになり、それだけでも経営者として失格であり、言われたまま振り込む子会社も、会社の体をなしていなかったことになる。

融資を受けたお金の0、1%。一千万円さえ手に持ったことがない自分にとって、「回収できない五十数億円を、創業者家族で返済する」というにいたってはあるところにはあるもんだね、いうしかない。

そして、こんなどら息子を持った親は、「創業者一族を排除するための画策だ!」というにいたっては、この先まだいくつかの笑い話を聞かせてくれるものと期待している。

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2011年10月27日 (木)

行き当たりばったり

065花の都公園の紅葉

昨夜来の天気予報は今日の気温は十一月中旬の気温にまで冷え込むと脅していた。

そのため、朝九時半ころ御殿場のインターを出たとき車載の温度計が10℃を示していてもちっとも驚かなかった。

しかし、御殿場からの富士はさすがに大きく感じた、空気が澄んでいて、稜線がくっきりと見えるためもあってのことだろうが、、、、

そこで、箱根に登ろうか、籠坂峠を越して富士五湖を回ろうかと思案したが、ハンドルは富士五湖のほうに回った。

013とにかく行き当たりばったりで向かった先は、山中湖そばにある”花の都公園”に行ってみることにした。

ここは、先日の台風で、花が相当痛んだという報道もあったが、行って見ると無料エリアはとにかく何にもないといった状態で、結局料金300円を払っての入場となった。

そして、入ってすぐ左にある花畑は、霜にあったようでかなり広い面積がしおれてしまっている。

おかげで期待もないまま、三連水車のあるところに行ってようやくほっと息をついた。

この区画がいま紅葉の盛り。すぐ西側の山が風除けになったのか、赤色、黄色に緑と富士山がうまく配置されて、ここでしばしの休息をとって出る。

048道はずれ峠にある天祥庵
このあと、忍野八海には何度も立ち寄っているのと、昼食時間が迫ってきたので、河口湖よりにある蕎麦の店「天祥庵」に立ち寄る。

何度も評判は聞いていたのだが、時間の都合などもあって今回が始めてたずねることが出来た。というのは、11時開店の後手打ちの蕎麦がなくなるまでの店だから、、、

駐車場に入ってみると、茅葺の田舎風の店の周りの駐車場に、先客が八台ほど入っており、スペースには余裕があった。

この店は、蕎麦の店といいながらメニューに載っているのは冷たい蕎麦が四種類しかない。

で、もって、自分はざるそばを取り、連れ合いはからみそばを取ることにした。

なにしろ、接客のお姉さんが一人である上、嫌味はないが、割合無愛想なのではっきりと聞けない。

しかし、待つほどもなく出てきた蕎麦は適度に腰があり、噂に違わずおいしかった。

少し紫色がかった辛味大根の辛いこと、つゆが甘くないことなど自分らの好みによくあった。

次は、別のメニューで食べてみようと言いながら店を後にした。

ついで、富士吉田の浅間大社の参道をつめたくて身の引き締まるような風を受けながら歩き、”道の駅なるさわ”で野菜を買って帰る。

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2011年10月26日 (水)

依頼心がつよい

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田んぼの稲刈りが進むにつれて、赤とんぼの数が妙に少なくなってきた。

黄金色の稲の上にたくさんいた赤とんぼはどこに行ったのか、去年あたりは、小さな水溜りを見つけて卵を産み付けていたような気がしたんだが、、、、

017かわって、稲株の周りにはそれまで邪魔者扱いにされてきた、雑草が、来たる冬までの短い間、小春日を浴びんものと葉を茂らせている。

そんななかのひとつ、ヤノネグサが濃いピンクの蕾を目だたさせている。

葉の形がヤナギタデほど細くはないが、矢尻のような格好をさせているところから名づけられたそうだ。

所々に開かせている花はソバタデやサクラタデなどと同じ格好と色合いをしておりタデの仲間であることに間違いない。

花言葉を調べてみたら、「依頼心が強い」というのがあったが、ほかのタデに比べると、横に這った部分が多く、自立して立ち上がることがないからだろうか。

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昨日の新聞によると、TPPに賛成の経団連に押されるようにして首相以下政府首脳は参加の方向に見ているのを、反対の農協は衆参の議員350人に働きかけて請願書を出そうとしている。と書かれていた。

国会議員は衆参合わせて722人だから半数近くの数になるし、その議員たちに選挙での支援をちらつかせて態度を強要しているそうだ。

当然、農協の勢力が強い地域の議員心理としては、TPP参加の反対に姿勢だけでも回らざるを得ないだろうし、輸出企業のをかかえ、国外へ工場移転で雇用がなくなるといわれると反対しにくくなり、どっちにつくか信念がないだけにふらふらと迷っているに違いない。

聞いていると、どちらも自分のことだけにしか目を向けず、相手の事情を知ろうとしないところに問題がある。

経団連も儲け話ばかりに夢中になって利益を吐き出そうとせず、海外に工場を移転したり、内部留保に自分勝手の理屈を並べている。

輸出で儲けたうちの何割かは、農業支援に回すと言うこと考えられないのだろうか。

経験したことがないことに対してむやみに怖がる農協は、いままでの過保護補助金に慣れて自立するすべを失っているのではないかと反省してみる必要がある。

とにかく、農家の資格を持たないと田んぼも買えないような今の制度は既得権を保護するだけで、新しい血を排除することで農家を囲い込んできた。

オレンジやりんごの自由化で国内市場が同変わったのか、、、あのときの騒動はもう忘れてしまったようだ。

国会議員も、自分の再選ばかりを気しているようだが、最大の有権者はそのどちらにも属さない消費者にあることを自覚しないと、、、、、、、、怖いよ。

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2011年10月25日 (火)

草ホトトギスが咲く

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007d_2いま、家の庭にはホトトギスの花があちこちに咲いている。

名前の由来は、杜鵑(ホトトギス)という名の鳥の胸の斑点によく似た感じの斑点が花びらにあることからいう。

この花は、10年ほど前に、相良町の道端にあった花を一本茎で折って持ってきたものを地面にさしたのが始まりであった。

その翌年、出来た種が散らばってこの時期になるといろんなところで花を開かせている。

そして、毎年のように写真に収めているが、ホトトギス模様が目をくらませるのか、なかなか焦点を合わせさせてくれない。

今日で三日目、今年はこんなところで収めておこうと思う。

花びらの中央におしべがすっくと立ちその奥にめしべがあるのだろうがはっきり見えず、先端に蜜の玉を並べているという、変わった造りになっている。

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今日も穏やかに晴れ上がって、気温も25度を越していたそうだ。

その暖かさに誘われ、清水の船越堤公園をぐるっと散策してきた。

この公園はもともと灌漑用の小さな農業用ため池が元になった丘陵公園であったが、周りに植えた桜がたくさんあって、その季節には駐車場が満杯でなかなか入れない公園である。

しかし、今日は時期はずれということもあり、子供ずれのお母さんと、同年輩の人がわずかにいるだけ、、、、、、

遠くに霞んだ富士山は、天気が悪くなる前触れを示すという笠雲を山頂にかぶり、葉を落とした桜の枝越しに眺めることが出来る。

急な階段と緩やかな山道をぐるっと一周し、近くの大型スーパへ寄り道してかえる。

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2011年10月24日 (月)

十月桜の淡い色

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十月桜が名前をたがえず律儀に咲いていた。

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淡い桃色をたたえた花びらは、その先端を千千に切れさせて、五枚の花弁を七枚八枚にも見せ、春の桜と一味違う風情を見せている。

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昨日になってどっと疲れ出て一日ぐったりとしていた。

走行距離は800kmほどを三日かけて走ったのだから大したことないはずだが、やはり人いきれというか、酒の飲みすぎのどちらかと思う。

同級会や友人との付き合いだから本来は楽しくてリラックスしていると思ったが、やはりどこかで気を使っていたのか、のめりこみすぎていたのだろうな。

それでも、雨水をうけて水滴を作っている南天の葉先を見ながら、彼はこういった、あれはこうだったなどと思い出にふけるにはちょうどよい時間でもあった。

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この間の大きなニュースのひとつに、リビアのカダフィ大佐の逮捕、そして死亡の記事がある。

四十数年前、若い彼が王政を倒して政権をとったときにはこんな風な結末を迎えるとは思わなかった。

当時は、ほとんど無血革命といったような状況だったから、国民はもとより軍隊も王室から離反していたし、彼も国に対する情熱はあったこととおもう。

しかし、四十数年はあまりにも長かった。

途中からは、どの指導者も陥る権力への執着が日増しに強くなり、民衆の反感を買い、それを押さえつけるため権力を行使し、まわりを親類縁者で固めてしまう。

地球上には、北朝鮮を初めこのような国はいくつかあり、例外なく民衆を権力で押さえつけている。

そして、いったん権力の座を追われると、、、、、映像で見られるように無残な最後を遂げなければならない。

それが分かっているだけに、権力の座にいてもいつも恐怖感を味わっているだろう。

また、「革命」という言葉の裏で、民衆の蜂起を後押ししている欧米列国の独裁者がいなくなった後の利権が目当てという、不気味な影も垣間見えて、本当にこの国がこの後どうなるのか見当がつかないのもこれまた困る。

ぬるま湯の国日本に住んでいて思うのは、先の大戦に負けて以来、目に見える形で権力が警察権を使ったのは安保騒動以来、大掛かりなものはないが、大阪府、市の選挙に際してある候補予定者は「独裁でなければ」という言葉を使ったそうだが、世の中が混迷しているとき、大衆に受け入れられて突っ走ってしまうことがある。

おりから、貧富の差をやめさせようと、世界中でデモが起きているのが気にかかる。

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2011年10月22日 (土)

さながら浦島太郎


116w_2謡曲 ”藤橋”に謡われた両岸が切り立った場所にかかる真っ赤な藤波橋を見る

「ふるさとは土まで優しい」という意味の言葉を前に聞いたことがある。

誰の言葉だったのか、検索しても分からないのだが、いまその言葉を除外しても、久しぶりに見る山河は、故郷を離れた三十三年前とほとんど変わってはいない。

しかし、勤めていた鉱山も廃墟と化し、すれ違う人の中に知った顔が見えない。当然向こうにしてみれば自分はエトランゼ。

なんだか浦島太郎もこんな雰囲気を味わったことだろう。ただ、物語では絶望した浦島太郎はあけてはならぬといわれた禁断の玉手箱を開けてしまうが、自分にはわずかながら友達が残っている。

急遽声をかけて集まってもらい、旧交を確かめあう。

自動車は船津座の地下駐車場に置き、歩いてかえるは従兄の家。翌日は川霧に沈み込んだ街中を抜けて駐車場に向かったが、その昔通学に使った道を眺めながら真っ赤な藤波橋を望む、、、、。

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帰りは、岐阜県八百津町に住む従姉妹の家によるため、高山を経て南下する、道路もよくなって予定したより早くつき、仏壇におまいりしお悔やみを述べてそこを出たのが午後一時。

朝方放送していた事故処理も済んで順調に走っていたが、豊田ジャンクションの合流から東名の集中工事による渋滞に巻き込まれ、普段は三時間足らずで移動する焼津インターチェンジについたのが午後六時を過ぎてしまった。

JRなら、遅延払い戻しもあるところだがそれもない。

渋滞承知で東名を走ったのではないかといわれればそうかもしれないが、なんだか納得できないものが気持ちの底にはある。

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2011年10月20日 (木)

逃げ場をなくした二十三夜

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今日も朝から快晴の一日が予約されているような青空がひろがり、気温もこのあたりにしては暖かい。

北アルプスが飛騨と信濃のくにざかいをなしている中で、正面に見える笠ヶ岳は周りがすべて飛騨であり、名前の通り山の形が市女笠のように秀麗な姿をしていることから、飛騨山として子供のころから親しんできた。

その山を正面に控えた、新穂高ロープウエイに今日は登る。

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昨夜は久しぶりの再開に若いころ青春の思い出と近況を交換しながら一室で談笑した。

宿のほうも同級会とは騒がしいものと思ってか、ほかに騒がしい声が聞こえない一区画三室を提供してくれたので、気兼ねはなかったが、さすがに歳のほうは争えないもので、九時を過ぎると一人二人と消え、十一時前には自然解散となった。

近況の中で少し気になったのは、断捨離という本の影響か、ものをどんどん捨てている、という話が出た。

断捨離とは、、自分もその本を見たことがないのでよく分からないが、ヨガの考え方の応用でおよそこんなことらしい。

断は、入ってくる要らないものを断つ。

捨は、家にずっとある要らないものを捨てる。

離は、物への執着から離れる。

その場では、これといった意見は言わなかったが、自分なりに思うのは、そんなに早く身辺を整理しなくても、いずれ、自分がこの世にいなくなったときに誰かが”断捨離”をしてくれるはずだから、どんどんと身の回りに思い出を集め、それに包まれながら生きていきたいと思う。

自分の両親は明治の生まれ、物を捨てることは「もったいない」の精神で要らないものでも何かのときに使えるのではないかと、いろいろガラクタを含めて溜め込んでいたが、亡くなったあと、自分の考えで大半を処分した。

また、ある知り合いは、余命三年といわれ、やけ気分もあってか、旅行をなどで散財し、衣類も早くから形見分けみたいに処分したあと十余年生きたが、三年の予定が延びた後、生活が窮屈になったといっていた。

自分は生きている限り断捨離はしない。

幼い日からを記録した写真を繰り返し開き、自分の青春から子供の記録の思い出にふけり、今は使わなくなった古い道具をなでさすって、後の始末は次世代に任す、、、、

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快晴の朝、仰ぎ見れば二十三夜の月が、逃げ場を失って紅葉の葉陰を捜し求めている。

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2011年10月19日 (水)

錦で飾って迎えてくれる

056k黒い錫杖岳を映えさせようと錦で飾って

さる十九日、心はずませて故郷に向かう。

三年ぶりの同級会、他愛もない話にうつつを抜かすため、、、、

空は、今日も青く突き抜けて山の稜線が線を引いたようにくっきりと浮かび上がらせ、ここしばらくの寒さは、山の木々は赤青黄色と染め分けている。

101よく、何事かに成功した人が「故郷に錦を飾る」という言葉を使ってお国入りするが、何も飾るものもない自分を、故郷が気を使って、錦で飾って出迎えているようでうれしい。

今日の宿は、西穂高に登るロープウエイのすぐ脇にあるホテル。

四時集合という案内に、まだ間があるけれど、、、と思いながら幹事の部屋に向かえば、すでに入り口には無数の靴が散乱している。

「いよ 久しぶり」という挨拶をしながらテ-ブルを見れば、すでに空の缶ビールが並んでいて、みんながとっくの昔に来ていたことが分かった。

楽しみは、取っておくものではなく、少しでも早く味わうもの、と見つけたり。

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2011年10月18日 (火)

蕎麦の実に似て

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003ミゾソバが放棄された田んぼの一角を埋め尽くしていた。

薄桃色の可憐な花だが、一年草がこれだけ繁殖するのは、かなり生命力が強い植物である。

湿り気の強いところを好む性質があり、ほかの植物が入りにくいこともあるのだが、閉鎖花と言って、花を開かないでも自家受粉ができ、種を大量に作れるそうだ。かんたんにいえば、処女懐胎といったところか。

この花の実は、正三角錐に近い形をしていて、蕎麦の実とよく似ている。そのため、ままごとの材料にもされ、噛んでみたこともあるが、種の皮が幾分硬くてプチッとする感触が面白かったものの、味も素っ気もないものであったことを思い出した。

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さて、明日は奥飛騨温泉で同期会が行われる。

三年ぶりの再会である。

同期会というのは、ごく短い間しか存在しなかった高等学校であり、卒業した生徒は全部で200人くらいしかいなかったと思う。

その中で、我々は創立して八期目に卒業した生徒である。卒業したときには30人はいたのだが、今回は12人しか集まれない。

亡くなった者をはじめ、現在病気のものといろいろ都合があるなかで、今回顔を合わせられるのはこの年にしては多いほうかもしれない。

また、この次にはもっと都合の悪い人が出るかもしれないと思うと、いくらかでも元気な級友の笑顔を刻み付けておきたい。

静岡からは、韮崎を抜けて松本、安房トンネルを通り、新穂高まで、、、、

途中思い出し笑いを浮かべながらいくんだろうな、、、、

対向車は不気味なものを見た。と思わせながら

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2011年10月17日 (月)

ヒキオコシは

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013草むらで見つけたヒキオコシ。

しそ科の植物の特徴を葉っぱ以外すべて持っている。

淡い紫の唇方の花、花は小さく5mmはないだろう。

名前の由来は、倒れていた行者にこの草を揉んですりつぶした汁を飲ませたところたちまち回復した、ということで名づけられた万能の薬であるという。

どんな症状に適用されるのか知らないが、むかしの人は抗生物質など薬漬けになっていなかったため、ゲンノショウコヤドクダミでいとも簡単に直ったようで、民間薬や漢方薬には野の草が多く含まれている。

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今日も、中央公民館で静岡の古代史の講和があり、今日は「静岡の弥生時代」というタイトルで、静岡市文化財課の職員による話があった。

午後からの講義で半ば眠気を抑えながらの聴講で大まかなことしか覚えていないが、静岡で発掘された土器や田んぼの遺構、そして、前方後円墳で有名な古墳の話が中心であり、その中には登呂遺跡とそのまわり、浅間神社横にある賎機山古墳の発掘結果などもあった。

弥生時代は縄文時代から一気に変わったものでなく、徐々に移行したようでまだらな時代もあったようだが、もともとは朝鮮などから渡来した文化でなかったかといわれている。

そして、銅器や鉄製品が日本で作られるようになってきたのは弥生時代も中期になって三世紀過ぎてからのことだという。

そこで、講師に「大和朝廷の威厳が伝わってきたのは何時ごろでしょうか?」と聞いてみたところ、書いたものがないので何時ごろとは正確に言えない。という。

実は、自分たちが生まれたころ、世の中は「紀元は2,600年、、、」という歌が歌われていた。

どれだけ流行した川知らないが、そのまま続けば今年は2,671年になる。

当時、御用学者を集めて日本国が成立したのは何時だろうか、と政府が研究させた結果、何を根拠にしたか知らないが西暦に660年足した年ということに決まった。

となると、日本国誕生は、弥生時代をとびこして、縄文真っ盛りになる、という荒唐無稽なものだった。

そのころ、ヤマトタケルノミコトが日本坂の峠を越して草薙で火責めにあったとき、絵に描かれたあの服装ではなく、獣の皮や貫頭衣の山賊と変わらない姿だったと思う。

歴史は夜作られる。ではないが、御用学者の捏造には、原子力をふくめてくれぐれもご注意を、、、、。

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2011年10月16日 (日)

気(木)が折れて

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そんなこと 柳に風といえなくて

 折れた木もあり 人もいて

フォト川柳をまねて一句。

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021m

016m舞台の幕明けのように雨雲が西の空から東に引いていき、午前中に真澄の空が復活してきた。

それを待っていた子供たちがいっせいに田んぼに入って稲刈りを始めた。

先日は、隣の田んぼの稲刈りを見ていた案山子は、今日で役目が終わるとばかり子供たちを見下ろしている。

その表情には子供たちの歓声と、笑顔に誘われて柔らかく、台風をともに潜り抜けてきた稲とともに、豊作を喜んでいるのだろうか。

雨上がりでぬかるんだ田んぼは子供たちの足をつかんで離さない。それがまたうれしいらしくはしゃぎ声がはじけてる。

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2011年10月15日 (土)

吊花がはじけて

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ツリバナ、赤い実がはじけるように割れて、中の種がぶら下がってからはじめて目立つ。

花は、ごく小さな五弁の花だが、うす緑の硬い感じの花であるため目立たない。

花のときからそうだが、細い茎によって木の枝から下がっているのことから、つけられた名前であるが、花より実で目立つ木である。

もう少し秋が深まれば、葉っぱも紅葉して山の彩りになる。

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昨日閣僚の資産公開が新聞に載っていた。

首相の資産は17,74万円。そんなに資産の少ない首相は今までなかったというし、外国の首脳に比べても格段に低い額であり、一部を除いてそんなに高額な資産を持っていないようだ。

ただ、これをもって清廉潔白な閣僚たちといえるのだろうか。

次の選挙のときの準備金はこの資産の中からは出さなくてすむように出来ている。

たしかに、金権政治で金まみれだった自民党のお歴々に比べれば身の回りはきれいだろうということは想像できる。

しかし、今までの資産公開はあまりにも笊法で、実態が分からないとされてきただけに、この数字を素直に信用できない自分がいて、、、、、悲しい。

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きょうは、世界中で反格差のデモがあった。

富める者とそうでないものの溝が広がり、埋まらない世の中に世界中がなってきたのは、コンピューターによるマネーゲームで架空と現実の境目が分からなくなってきたためであると思う。

いまだに、お金は額に汗して稼ぐものと思っているものにとって、この世はユメマボロシの世界になり、それを現実に引き戻すための戦いのように見える。

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2011年10月14日 (金)

せっせせっせと

032w


天気図では西のほうから雨雲が近寄っており、久しぶりの雨が降りそうな気配が感じらている。

026w麻機一帯の荒地には、外来種を代表するセイタカアワダチソウが蕾から黄色の花に変化を初め、いろんな昆虫が今年最後のご馳走とばかりせっせせっせと花を巡り歩いている。

たぶん今のうちに、栄養を取っておかないと、明日の雨で断食をさせれるのが分かっているのだろう。

そして、花の陰には、蜜集めに夢中になっている虫を狙ってカマキリが待ち伏せしているが、こちらも、雨が降れば食べ物をとりにくくなるのを承知しているのか。

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午後になって、髪の毛が妙にうるさく感じてきたので床屋へ行ってきた。

来週は三年ぶりの同級会が故郷で開かれるため、いずれ近いうちに行ってこようとは思っていたのだが、もう少し後でもよいかと先送りしていた。しかし、気になりだすと我慢ができず、、、、、、、

その床屋での談義のひとつに、今はやりのTPP(環太平洋経済連携協定)が話題になった。

行っている床屋が、農協の前にあるだけに反対を声高に言う客もおり、その声に圧倒されて雰囲気は反対。

この問題、産業界の賛成意見と農協の反対意見はかみ合いそうもないが、何とか日本を取り込もうとするアメリカは、韓国の大統領を下にもおかぬ歓待を日本に見せ付けている。

当然アメリカの言いなりになるのが日米の信頼関係と思っている首相は「早期に結論を出せ!」と指示するが、結論は決まっている。

一方で、「農業が壊滅状態になる」と農協は農林大臣および経験者を通じてねじを巻いているが、結果はどうなるのだろうか。

以前にかんきつ類の自由化をしたとき、そして、りんごの自由化したとき、中国の野菜が入ってきたとき、そのたびに農協は同じように反対をした。

しかし結果はどうなっているのか。どちらも、ほとんど影響がなかったに等しいと思っているが、、、、

なんだか、産業界も農業も表向きのいうことと違って、補助金や税金の免除などをこの騒ぎに便乗して有利な既得権を作ろうとしているように見えて仕方がない。

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2011年10月13日 (木)

いつまで運転するの?

025夕日を背中に受けてますます色鮮やかな赤とんぼ

夕焼け小焼けの赤とんぼ

負われて見たのは いつの日か

赤とんぼが赤く染まって川岸の折れた草の茎にとまっている。

大気が冷えてくるとアキアカネが次第に赤く染まり赤とんぼになる。

三木露風の、この歌が作られたのは大正10年だったそうだから、90年前の歌ということになり、歌の意味が今では通じなくなったのか、先日民放のなつかしの歌のなかで、テロップには”追われてみたのは”と書いてあった。

この歌は作者の子供のころの思い出を歌ったものとすれば、いいところのお坊ちゃんだったか、大きな商家の子供が、ねぇやの背中に負ぶわれてみた景色を歌ったもので、今ではありえない話のひとつである。

そして、二番の”十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた”という歌の意味は、我々の世代が最後で、それより若い人では全然分からないことと思う。

006とまっているよ竿の先

以前「明治青年会」というのがあり、ある人の批評の中で「会員が次第に先細りする会なんて、、、」というのがあったが、明治生まれは百歳をこし、その数4万人を超えているそうだ。

この人たちから見れば、われわれはまだ”ひよっこ”に過ぎないが、このごろ外目にも大分草臥れてきたようで、先日も娘から「じいじはいつまで運転するつもり?」って聞かれ「運転試験所でボケましたね」って言われるまで、、、、、と答えたが、「免許書を返せば、運転の代行をしてくれるかね?」という言葉に返事はなかった。

今日は”赤とんぼ”を見た感想から話はとりとめもなく散らばってしまった。

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2011年10月12日 (水)

今日ばっかりは

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のどかに晴れ上がった麻機の田んぼ、稲刈りも今が盛ん、散歩に出かければあちこちの田んぼでいろんな種類の稲刈り機や稲扱き機が音を立てている。

そんななか、稲刈り用の小型コンバインの新車?が一台。

始めて田んぼに降ろしていざ運転に取りかかったところと見た。新型過ぎてかボタンの位置やハンドル操作の調整に手間取っているらしく、なかなか前に進めない。

ゆっくりゆっくりと慎重に進む。

隣の田んぼに立っている一本足の案山子が、不思議そうに眺めている。

普段は歩けない案山子を馬鹿にしているが、今日ばっかりは面目ない。

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2011年10月11日 (火)

散歩の余禄

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緑の葉っぱの陰に隠れていたアケビの実が、ころは良しとばかり紫色に変色し、中身を食べてくれる小鳥や動物を誘っている。

子供のころは、山の果物が実るのを心待ちにし、少しでも熟したものを、と思いながらもほかの子供に横取りされるのはもっと嫌。というので人に知られないように工夫し、サルナシやマタタビはまだ硬いのをとってきて米びつの隅に入れて熟すもを待ったものだった。

ところが、食べ物が豊富になった今、子供たちはこれらの山果には見向きもしない。

024散歩の余禄を手土産に

今日も今日とて麻機の農道沿いを登っていけばちらほらと頭上にアケビの熟れたのが見える。

ぱっくりとたて目が入って、どうぞ食べて種を遠くに運んでと言っている。

「散歩の余禄」いくつか摘んで口に入れれば、ほのかに甘く、葛湯を思わせる上品な味が口中に広がる。

しかし、その後に大量の種が残るので、アケビの注文どおり道下に向かって豆鉄砲のようにブウッと吹き飛ばしてやる。

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013

今日は旧暦九月の十五日。

夕方薄い雲に霞んでいたまん丸の月も、夜半になるにしたがって雲ひとつない空に煌々と輝きだした。

春の月は朧に霞み、秋の月は清清しく冴え渡るのがよい、というが、あんまり月に添えるものがないとこれまた味気ないもので、月に群雲、月に薄と添えるものがほしい。

「なんだかんだ」と注文の多いお客さんは満月を見上げて減らず口をたたく。

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2011年10月10日 (月)

人に見せるためではない

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009明日葉の花がにはの隅に咲いている。

葉っぱを摘み取っても翌日には新しい葉を伸ばしてくる生命力の旺盛な草であり、その生命力にあやかってか、いろんな病気に効くといわれてきた。

この草の実を、伊豆に行った折一掴み持ってきて庭に撒いたものが翌年大量発生し、あまりの多さにびっくりして、かなり引っこ抜いたのだが毎年場所を変えてどこかで芽を吹きかなり大きくなる。

シシウドの仲間だというだけ有って、花の形もよく似ているが、その一つ一つはごく小さな五弁の花びらにおしべを突き出させた色合いも地味な花である。

しかし、この花も人間に見せようとして咲かせているのでないことは明白で、カナブンを初め小さな昆虫が群れになってたかっている。

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今日は体育の日だった。

カレンダーに赤丸が打ってあるところを見ると祝日なのであろう。

最近は、「成人の日」に始まっていくつかの祝日が日曜日の次の日に移動して以前のように何月何日と決まらなくなったおかげでなんだか値打ちが下がったような気がしてならない。

つまり、連休を作るための祝日となったおかげで、祝日そのものの意義が薄れてしまう。

それもあってか、体育の日とはいいながら体育に関連したことはなんに意識せずにすごしてしまった。

秋晴れの一日。空のように今日もぼうっと一日が過ぎていった。

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2011年10月 9日 (日)

鴨と亀の会話

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「ちょっとぉ 困るんだけどぉ~、 場所譲ってくれないかしら、さっきから待っているんだけどぉ~」

「私もここが気に入っているんよ」

「甲羅が乾いてきたんだけど、尻がさ、濡れているんでなんだか気持ち悪くって」

そんな話が聞こえてくるような、川岸の鴨と亀。

秋の陽だまりは、そこそこに温いが、この暖かさもいつまでのことやら、雪情報も入りかけてきた。

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039今日は街中で例年春に行われるサンバの行進が始まるというので、出かけてきた。

例年五月の連休に行われるのだが、東北の地震に慮って秋まで延ばしてきたらしい。そのためなのか、本家ブラジルの人が少なくなってきたためか分からないが、前に見てきたときに比べて少しさびしげに感じたのはこちらの気持ち?か。

しかし、穏やかな日和の中、肌を露出した踊り子たちには心地よい天気で、見ているほうもゆったりとした気分で見ることが出来た。

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2011年10月 8日 (土)

濃い緑に映える

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007星型の真っ赤な花を咲かせたルコウソウ(褸紅草)がまだ元気に咲き続けている。

朝顔やさつま芋の仲間だというが、針のような濃い緑の葉っぱの中で咲いているさまは反対色だけあって、小さいながらもよく目立つ。

横から見ると、漏斗型の花の中央にポチッと白いおしべを覗かせているのは造物の神も気障なことをするものだ。

この花のごく近い仲間に、マルハルコウソウというものがあり、名前のとおりさつま芋を小さくしたような葉をしているが、こちらの花は幾分柔らかな赤色でなんとなく和風な感じがする。

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014よく似ているが左が丸葉ルコウソウ


今日は、藁科川沿いに湯の島温泉まで行ってきたが、沿道のあちこちで幟を立てお宮さんを飾っていた。

たぶん明日あたりが秋祭りのピークになるのだろうが、豊作を祝えるような秋だったのだろうか。

台風の傷跡をあちこちに残し、野菜の出来もよくない昨今、追い討ちをかけるように伊豆のしいたけから基準値を超える放射線が検出され、お茶に続く風評被害が懸念される。

それにしても、福島で作られた花火を拒否したり、鉄製の橋げたをかけさせないようにするなどちょっとヒステリックになりすぎていないだろうか。

口先では、”がんばろう東北”などといっていながら、そこで出来た製品に放射能があるといってつぶしてしまうのは、かなり矛盾した行為ではないかと思うが、、、、、、、

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2011年10月 7日 (金)

靴が壊れたのに気付かず(龍爪山)

027登山道の真ん中で通せん棒でもするかのかのような杉の古木


今日も朝から気持ちのよい快晴。

久しぶりに山に登ってみようと考えたが、先日の台風であちこちが倒木やがけ崩れなどで通行止めになっているようなので、静岡で一番登る人が多い龍爪山を試すことにした。

向かってみると、麓の平山集落を過ぎたあたりから通行止めの看板が立っており、この山もやっぱりか、と思う。

どこまで行けるのかとさらに車を動かすと、穂積神社の鳥居がある駐車場は十台ほどの車で満杯状態になっていた。

仕方がないので、道路が広くなっているところまで行って駐車し支度して登りだす。と、すぐに同年輩の人に追いつかれる。

自分とは支度が違うので、聞いてみると「魚釣り」だという。「へぇ こんなに小さくて滝だらけの谷に魚がいるの?」「結構いるよ、だけんど危ないんでヘルメットをかぶらにゃならんけんどね」とのこと。

10分ほど歩いて「じゃここから入るよ」と分かれる。

むかし、修験者や穂積神社を参る人が歩いたという道は、写真にするものもなく黙々と登り、四十分ほどで穂積神社に到着。

穂積神社のシンボル的存在である杉の巨木。何年か前の台風のときは何本か倒されていたが、今回は見るところ一本も倒された木はない。

風の向きがよかったのか、それとも、丈夫な木ばかりが残っていたためか、なんだか神の力が示されたような気がしないでもない。

その杉林を抜けたところから、コウヤボウキ、カニコウモリ、関谷の秋の丁子、シモバシラと花が目に付く、、。

それを見ながらほぼ四十分で頂上に、、、、そこには10数人の先客がいてにぎやか、、、、独り身の自分は片隅でコンビニおにぎりをほうばって早々に下山する。

028駐車に戻って靴を脱げば、長年履き慣れたトレッキングシューズの裏が毟れたように開いていた。道理で今日は足に違和感があったのか。

こんな状態になっていたのをまったく気付かなかったとは、、、、

よく足を捻挫しなかったものと驚く、、、、、おりから、七月にこの山で消息を絶った老人の顔写真つきポスターがあったが、岩場で転倒したり崖で滑落したりしたときには、この靴では踏ん張りが利かなかっただろうなと、改めて反省した。

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新聞によると、この日、龍爪山ハイキングの下見に言った小学校の先生二人が行方不明になったとのこと、まさかすれ違った人の中にその二人がいたとは思わなかったが、遅くなって山に登る人には、いつも「大丈夫かいな」と心配してしまう。

秋の日は、つるべ落とし、迷えばすぐにとばりが下りて動けなくなるからだ。

幸いというか、翌日怪我もなく救出されたというが、ヘリコプターでの下山は格好悪い。 

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2011年10月 6日 (木)

花びらが縮れて

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009コウヤボウキ。そのむかし、高野山でこの木をまとめて箒として使っていたのが語源だといわれている。

小さな木で、箒にはなりにくいと思われるが、高野山では大きくなるのだろうか。

しかし、今頃になって咲き出すこの小さな花は、花びらが細くて縮れているさまが面白くて写してみた。

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今日は小沢一郎元民主党代表の第一回公判ひらかれた。

以前から、説明責任を明確にしないまま国民の疑惑が向けられていた事件だけに注目度が高い。

午後六時過ぎの記者会見を少し見ただけだが、記者の質問にかなりいらだっているようで焦りが感じられる。

それにしても、四億円の出所がはっきりしないのと、これだけの巨額(我々から見た場合)のお金を指示もなしに秘書が勝手に使った。という説明には、どうしても納得できない。

これを擁護する取り巻き連中にはやはり国民と乖離した金銭感覚しかないのだろうな。

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2011年10月 5日 (水)

鷺の目

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昨夜来から小雨が時々降ってはいたものの、地面を濡らすほどでもなかった朝方。

稲架を連ねる一角に小サギが二羽あちこちを見廻している。

たぶん、住処を追われた蛙が出てくるのを”鵜の目鷹の目”ならぬ鷺の目で何一つ見逃さないぞとばかり見張っている。

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九時過ぎになって一気に雨脚も強くなり、今日は一日読書でも、、、、と思っていたが、根気がなくなっているため長続きはしない。

それでも、塩野七生の緋色のヴェネツィアを読み返した。

この小説は、このあと銀色のフィレンツェ、黄金のローマと続く三部作のひとつで、16世紀ヴェネツィア全盛時の青年貴族がこれらの都市国家を舞台に陰謀と愛の物語であるが、二度目とは言え展開の面白さに休み休みながら読み終えた。

この作者をはじめて知ったのは、今から20年ほど前、「レバント海戦」が最初だったと思う。

中世の海の戦いが面白く、子供ころ読んだ平家物語や太平記の戦記物語のように”血湧き肉踊る”までは行かなかったが、面白かった。その後「ロードス島陥落」「コンスタティノーブル陥落」と次々とこの作者の本を読み漁った時期がある。

のちに、橋本元首相が、首相当時この作者の本を愛読している。と聞いたときには不思議な気がしたが、案外彼もこれらの戦記物語が好きだったのか、それも政治家らしく「わが友マキアヴェッリ」だったのもしれない。

いずれにしても、今では分からないこと、、、、、、、

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2011年10月 4日 (火)

蚤の夫婦

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気持ちよく晴れ上がった空には、白く雪のかかった富士山がみえ、秋もまた一段と深化しているのがわかる。

家の小さな庭にショウリョウバッタのつがいが幾組も現れ始めた。

どこからか飛んできたものか、もともといたのかは分からないが、急に目立ち始めた。

こんな状況を「蚤の夫婦」とでもいうのだろうが、本家蚤の夫婦でもこんな差がないはずだから、親子といったほうが通りよさそうな雰囲気である。

その印象から、むかし、背中に小さな子供をおんぶして歩いていた母親を思い出し、”律義者の子沢山”という、古いことわざを思い出してしまう。

オスとメスの体の違いは四倍は超えているのではなかろうか。しっかり背中につかまったオスのことなど苦にする風もなく、人が近づけば後ろ足で軽々と飛び跳ねていく。

名前の由来は、旧暦のお盆のころに現れるとか、精霊船に似た格好をしているからともいわれるが、そのとがった顔つきは目の位置が分かりにくい所為か、とぼけた顔をしているように見え、なんとなくほほえましい感じがしてならない。

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野田総理が朝霞の国家公務員宿舎へ視察に行って住宅建設を5年間凍結することに腹を固め?財務大臣に指示したそうだ。

この話は、二年前に華々しく行った事業仕分けで建設を凍結していたはずなのだが、いつの間にか復活し、野田元財務大臣が着工の判子を押して、工事が始められたものだった。

自分で判子を押して、世論の批判があれば自分の責任で取り消すというふらふらとした姿勢に、「やっぱりねぇ」という感を強くした。

財務大臣として、自らの意思で「事業仕分けで凍結」していたものを解除したのではないと思う。たぶん官僚がほかの書類に紛れ込ませてきた書類にめくら判を押したに過ぎないのではないだろうか。

このことにより、工事を請け負った会社に違約金を払うことになり、またしても税金の無駄遣いしたことになるが、自分の懐が痛むわけではないから「まっ いいかっ!」って声が聞こえそうな気がして仕方がない。

”綸言汗の如し”君子は一度言葉に出したことは汗のように元に戻すことが出来ないので慎重にことばを進めるものだ。という話があるが、自分がやったことをすぐさま否定するということは、恥ずかしいことで、これをなんとも思わなかったとしたら、、、、、君子の器ではない。

就任早々、事務次官会議の復活を初め、官僚政治を否定してきた民主党の公約をなし崩しにしてきたのは、官僚に操られやすい性格というか、確固たる信念がなかったためであろう。

自らを泥鰌にたとえて総理になった人だが、役所という泥に隠れて逃げ回るだけの能力しかない首相に見えてきた。

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2011年10月 3日 (月)

水涸れる

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「水はじめて涸れる」今日を表わす雑節を言う。

この涸れるという言葉は、川の水が涸れることでなく、稲刈りに備えて田んぼから水を引くことで、むかしはそろそろ稲の借り入れを準備する目安だったという。

しかし、ほかの農作物同様季節感の薄くなった最近では、お盆前から早場米の刈入れが始まり、麻機の田んぼでも刈り入れて何にもないところ、稲架にかけて干してあるところ、黄金色やまだ青々とした田んぼなどが混じり、パッチワークを地表に現出させている。

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021_2 .

024 そして、街中はいま金木犀の香りに満ち満ちていて、大きな木の下ではむせ返るくらいの迫力でもって圧倒してくる。

花の一つ一つは2mmくらいの四枚の花弁を持った小さな花だが、なんと言っても数が多い。

先日まで、硬くて濃い緑の木が、突然といっていいくらい濃い黄色に輝きだす。

流行歌を聴いて、その時代を思い出すように、この花の香り漂いだすと、姪っ子の結婚式を思い出す。

名古屋城の近くの式場に行く道すがらこの香りに包まれていったのを、、、

その姪っ子も今では五十代の肝っ玉母さんになり、孫まで出来たと風の知らせが、、、、

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2011年10月 2日 (日)

千本松原も

033q .海岸に出てみれば

久しぶりといった感じで沼津まで行き、帰りは旧東海道伝いに帰ってきた。

海岸線沿いに西に向かうこの道は、沼津港から富士まで続く千本松原を左に見ながら走り、ゆっくり走るには気持ちのよい道路である。

029q しかし、今回はいたるところで先日の台風15号の爪あとを見た。

土砂崩れなど起こし死者が出た土地に比べればたいしたことがないのだが、防風林の役目を果たしていた松があちこちで、ねじ折れ、根こそぎ倒れている。

また、海岸に近い部分では、塩水をかぶったと見えて、葉っぱが茶色く変色した松とその下草、、、、。

027q そんななかで、彼岸花が何事もなかったかのようにして、真っ赤に燃えさせている。

それは、被害を受けた草木を慰めるかのようにして、、、、、おもわず行ったことのない東北地方や紀伊半島方面でも同じように彼岸花が鎮魂の灯りをともしているのだろうな。と改めて感じてきた。

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沼津に行ったのは、ドライブがてらおいしい魚があればと思ってのことだったのだが、沼津港についてから、今日が日曜日ということに気がついた。

駐車場はどこもいっぱい、路上は人であふれている。

いくつかの食堂は、どんな宣伝をしているのか入り口の前には行列が出来ている。

行列嫌いの自分としては、どんなに美味いといわれてもこういう店は敬遠するのだが、中には行列好きがかなりいるそうで、何か分からないけど並んでいれば後ろにつくという人までいるそうで、そんな人の気持ちは理解の外にある。

食事の感覚というものは、母親の影響が大きいようで味付けなどは、各人各様とはいいながら、育った土地、おふくろの味が忘れられないものだ。

そのため、我が家ではすき焼きや薯の煮っ転がしなど一部を除いて砂糖が入った料理はないし、科学調味料も使わない。

したがって、店に入っての食事も変に甘い味付けがしてあったり、薄口醤油で材料を美しく見せていないと以後は行かないようにしている。

つまり、気難しいお客サンなのである。

この味覚死ぬまで変わらないとすれば、静岡の甘い味付けと黒い醤油は食欲を減退させる。

したがって、自炊してでも老人ホームのご厄介になることを避け、自宅に少しでも長くいるしかないのだが、、、、はてさて、神様はこんなわがままを聞き届けてくださるのかな?。

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2011年10月 1日 (土)

まだ残っている

057 .

スイフヨウ。漢字では酔芙蓉と書き、朝咲いて夕方に終わる一日花ということになっている。

あさ、白く咲き次第に赤みが差していくことから、酒に酔った楊貴妃の頬に赤みが差していくのになぞらへて、優雅な花の代表のように言われている。

しかし、気温も下がって涼しくなったためか、最近では朝までしぼむことがなくなり、使用前使用後みたいに両方が花開いている時間が出来てきた。

自分ならさしづめ深酒をした翌日みたいなもので、「昨日の酒がまだ残っているよ」ってんで自動車の運転はおろか、二日酔いで頭が痛いと寝込んでいるようなもの、、、、。

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折から今日は衣替え。

古くは宮中の儀式として、夏服から脱却する日だとしているが、すごしやすい季節になったとはいえ、まだ今日のように30度を越す日もある時代、、、。

学校を初め、お役所は暦どおり着替えたのだろうか。

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