水涸れる
「水はじめて涸れる」今日を表わす雑節を言う。
この涸れるという言葉は、川の水が涸れることでなく、稲刈りに備えて田んぼから水を引くことで、むかしはそろそろ稲の借り入れを準備する目安だったという。
しかし、ほかの農作物同様季節感の薄くなった最近では、お盆前から早場米の刈入れが始まり、麻機の田んぼでも刈り入れて何にもないところ、稲架にかけて干してあるところ、黄金色やまだ青々とした田んぼなどが混じり、パッチワークを地表に現出させている。
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そして、街中はいま金木犀の香りに満ち満ちていて、大きな木の下ではむせ返るくらいの迫力でもって圧倒してくる。
花の一つ一つは2mmくらいの四枚の花弁を持った小さな花だが、なんと言っても数が多い。
先日まで、硬くて濃い緑の木が、突然といっていいくらい濃い黄色に輝きだす。
流行歌を聴いて、その時代を思い出すように、この花の香り漂いだすと、姪っ子の結婚式を思い出す。
名古屋城の近くの式場に行く道すがらこの香りに包まれていったのを、、、
その姪っ子も今では五十代の肝っ玉母さんになり、孫まで出来たと風の知らせが、、、、
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