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2011年11月30日 (水)

水鏡とはかくの如し

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003昨日今日と高曇りながら、おぼろげに太陽も雲のかなたに存在していることが分かる空模様であった。

気温も二十度前後と、この季節にしては高く、風もないため麻機沼の水面には波も立たず、水鏡とは「かくの如し」と言わんばかりの様相を示していた。

昨日は、久しぶりに女の子の孫が泊りがけで来てくれて、少し遅くまで語らったがため、ブログは休み。

女の子は、じいじの話を嫌がりもせず、ときどき合いの手を打って聞き、上手に載せてくれる。

ひごろは、「そんな話しは前にも聞いたよ!」って、話の腰を折る、そばの人と違って、、、、、、、

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このごろは、次から次へと新しい話題があって、テレビのワイドショーは楽しくて仕方が無いような雰囲気で放送している。

そのなかで、大阪の選挙は格別だと思ったのは自分だけだったろうか。

なにしろ、知事が辞職して市長に立候補し、代わりに子分とも言うべき人を府知事に立候補させるなど、ロシアの大統領選まがいの選挙をやった結果、両方ともかなり大差で当選してしまった。

しかも、それぞれの相手候補が各政党相乗りのオールジャパンみたいな候補に、、、、、

これほど大差が出来たのは、大阪の人たちが大きな変化を求めた結果であろうと思われる。

いままでの、政治では動かないことでは定評のある地方公務員に喝を入れることを望んだに違いない。

本来は、タカ派的主張をする”大阪維新の会”の主張には危うさを感じ、大阪人の気質には合わないと思うのだけれど、この際四年間は目をつぶってみようと言う気になったに違いない。

とにかく、大差で敗れたと知った後の、国会議員の先生たちの反応には驚かされるものがある。

前日まで対立候補を押していたのに、一夜明ければ手のひらを返したように、擦り寄ろうと一生懸命。つまり自分の次の選挙のことしか頭に無い。

官僚に取り込まれて、これと言った政策を持ち合わせていない、政治家の素顔が露呈した。と、しか言いようが無い。

これでは、神輿に乗って、戦った人はたまったものではない。

普通なら、「次の選挙にまたお願いしたい。」と、後顧の憂いを絶つように慰めるはずなのに、梯子をはずして「知らぬ顔半兵衛」を決め込んでいるようにしか見えない。

こんな人たちを次の選挙に出してなるものか。と、しっぺ返しをする必要がある。

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2011年11月28日 (月)

効果はてきめん

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気温は十度を越しているのになんとなく肌寒いような陽気の一日。

こんな日には、日帰りの温泉にでも入って温まってくるのが一番、とばかりに安倍川を遡り、梅が島温泉に行ってみた。

途中、赤水の滝の駐車場に車を止めて、散策してみた。

赤水の滝。高さ40mくらいはあろうか、上から次第に大きくなる三段の滝になって水をほとばらしている。

この滝は、1,700年代の大きな地震の際、八紘嶺直下の山肌が崩壊し、その土砂が川を埋めたため、長い間、濁った水を流したことから赤水と言われる滝になったそうだ。

ただ、今回の台風の影響もあって滝の下まで行くことができないので、はっきりしたことはいえないが、遠目でもこの滝は頁岩の岩盤をえぐって落ちていることから、一般に言われているせき止められた土砂によって出来たものではなく、それ以前にも存在した滝のように見える。

005そして、滝の前景が見える展望台への道すがらは、紅葉がいまちょうどこの辺りまで降りて来ているようで、赤黄緑の配色もよく、明るい落葉樹の森を形成していた。

滝の見物も終わり、目的地の日帰り温泉”黄金の湯”に来てみれば、驚いたことに、今日は定休日と書いてあり、工事の車が何台か居るだけ、、、、

どこか、ちかくの民宿の風呂にでもと思ったが、前のかなり高額の料金を請求されたことを思いだし、もと来た道を下り、そこから一番近い公営の日帰り温泉”口坂本温泉”に方向変換する。

012口坂本温泉は、黄金の湯よりアルカリ性が強いのか、ぬるぬる度は高いのだが、「安かろう悪かろう」のたとえに似ていて、値段は一日入っていても280円と格安であるが、何せ施設が悪いうえ、手入れが行き届いていないようで風呂以外は汚らしい感じがしてならない。

と言うことで、温泉を出来るだけ長湯をし、そのまま帰ってきたが、、、、、、

温まりの湯の効能はてきめんで、家に帰り着くまで車の窓を開け風を入れながら車を走らせた。

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2011年11月27日 (日)

返り咲きのスズムシバナ

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挫折を知らない植物 スズムシバナ


前にもらった鈴虫の鉢、九月の終わりころには羽根を広げて啼き続けていたオスが死に絶え、残ったメスも次第に数を減らし、十一月初めには最後の一匹を残して死に絶えた。

鈴虫は、放って置くと共食いをすると言うが、死んだ仲間も食べるらしく最後に残った虫以外はすべてきれいに無くなって、黒い羽が少し散らばっているだけになったが、これはひょっとすると仲間の身体を食べることが、次世代につなぐ重要な栄養なのかもしれないと思うようにもなった。

そして、最後の一匹を鉢の中で死なしてそのままにしておくより、外に放して自然に任すほうがよいような気がして、月下美人の根元においた。

腹の大きなメスだったので、上手くすれば、来年の夏には命をつないだ子供が啼くかも知れない。

と、言うことでいまは誰も居なくなった鉢の中に、いくつもの次世代が眠って来春を待ちわびていることと思う。

そんななか、麻機の山の農道でスズムシバナを見つけた。

この花はスズムシの鳴きだころに咲く花として名づけられた花なのだが、ちょうどそのころ下草刈で、この一帯がきれいに刈られた場所である。

多分これから花を咲かそうとする矢先の挫折ではなかっただろうか。

しかし、暖国の気候が幸いしてか、それとも、草の執念がそうさせたのか、今頃になって花が返り咲きに咲き出している。

020釣鐘人参もよみがえり

そばには、やはり同じ色合いの釣鐘人参も負けてたまるかとばかり幾株も花をつけて、このあたりに秋を再現させている。

セイタカアワダチソウもそうだが、一度刈り取られても、使命を全うさせようとする生命力にはほとほと感心させられるものがある。

挫折すれば、そのまま敗退してきた自分にはとても出来ないことで、敗退の結果はあきらめ上手で、楽な道を歩く世渡りを覚えてしまった。

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2011年11月26日 (土)

射光を透き通らせて

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日の暮れるのも早くなり、三時過ぎれば日脚は長くなって、遅咲きのハイビスカスを真っ赤に染めていく。

斜めの光線は赤色がさらに強くなるようで、薄い花びらを透き通らせて輝くさまは、情熱のバラを上回る赤色に燃えている。

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先日無くなった立川談志の追悼番組を見た。

毒舌を吐いたりなどで何度も批判を受けた人だったが、落語のうまい人だった。

ただ、この毒舌も、その信念に裏打ちされてと言うか、世の中の現象を疑ってみると言うことから出てきていることが多いそうで、その原点は先の大戦にあると言う。

昭和11年生まれだと言うから、戦争に負けたときは小学校3年生くらいだったとようだが、それまで正しい戦い(聖戦)だと思っていたものが、一夜にして悪い戦いだったと言われたことにあると言う。

それ以来、世間が正論だとか、美談だとか優しいという言葉の裏には何があるか疑ってかかるようになってのことだとそうだ。

このことには、彼より三年ほど遅く生まれた自分にもよく分かることであり、自分も世の中をはすかいに見る癖がある。

たとえば、原発ひとつとっても、政府と電力会社が安全、安心を歌っても納得できなかったし、美談の後ろに何か隠しているもの無いか見る癖がある。

世の中の体制に従わないものを爪弾きする世の中にあって、覚めた見方をするものは邪魔で仕方が無いのだろうが、、、、

射光がハイビスカスの花を透き通らせるよう監視の目を怠らないと後になって正反対の結論が出てくることになる。

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2011年11月25日 (金)

ご辞退申し上げた

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竹は草とも木とも分からないそうだが、この”皇帝ダリア”明らかに草である。

花までの高さは四mは優に超えて咲かせている、草がこんなに大きくなるのは、ほかでは見当たらないだろう。

寒さに弱いと言われ、十九日の雨風でかなり倒されながらも、残りはいまだ元気に咲き続けている。

今日も今日とて秋の夕日に染められて、直径は20センチもあろうかと言う大きな花を、高い空に揺らめかせて立っている。

このダリアの繁殖方法は、普通のダリア同様、地下の芋で増やすのだが、意外と生命力が強いようで、茎を短く切って挿し木するだけで増殖することが出来るそうだ。

「お宅も持って行かんかね」と言われたが、こんなに高く育つ草は狭い庭には似合わないし、離れてみる場所もないのでご辞退申し上げた。

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2011年11月24日 (木)

地表の紅葉

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005_2天気晴朗なれど 風強し

木枯らし何号になるのかは知らないが、落ち葉を巻き上げて冷たい風が吹きつのり、散歩を見合わせることしばし、、、、

ようやく腰を上げたのは、午後も四時になってからだった。

日ははや西に傾き、賎機山に隠れようとしているときだった。

その赤い夕日に照らされて、地表の紅葉 小錦草がさらに赤みを増している。

相撲の小錦八十吉といえば、身長187㌢、体重は300kg近くになる巨体を生かして大関になった人だったが、地表の小錦草は地面から立ち上がると言うことなしに枝分かれを繰り返して広がる小さな草である。

したがって、花もごく小さく眼で見てもよく分からないくらい小さい。

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これとよく似た草で、大錦草と言うのもあるが、小錦比べて大きいと言う意味だけでつけられた名前で、草丈は立ち上がって50㌢にもなるのがあるが、やはり花は小さく、、、、実のような丸い玉の先にちょこんと髭のような蘂を立てている。

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2011年11月23日 (水)

小雪は小雪でも

今日は小雪

「冷ゆるがゆえに、雨も雪となりて下るが故なり」と解説してあり、決して同名の女優の記念日ではない。

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すっかり葉が落ちた山椒の木に黒々と光っている実がぶら下がっていた。

鳥に食べられ、運ばれることもなかったようで、皮がはじけ実がむき出しになっている。

まさに”山椒は小粒でもひりりと辛い”と言うことわざどおり、こどものころ口の中で噛み潰したとき、辛いより苦かった思い出がよみがえり唾がたまる。

この木の若葉をつぶした匂いが好きで、春先には少し失敬してきて、すり鉢のなかに、味噌と若葉を入れ、すりつぶしたものをご飯の上に乗せてを食べるのが好きである。

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2011年11月22日 (火)

馬肥ゆる初冬

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天高く 馬肥ゆるの秋

季節は初冬に入って、気圧配置も冬型になった、と、お天気ねぇさんは言う。

その言葉通り、時折木枯らしのようにつめたい風が、セーターの中を吹き通していく。

しかし、秋の果物はいまが盛ん。

我が家の納屋には先日長野から持ち帰ったりんごが30kg以上残っており、そのりんごと物々交換のようにしてもらった蜜柑が10kg、そして、今日届いた富有柿が10kg以上と小さな果物店を負かすほどの秋の味覚が詰まっている。

いずれも、店頭には並べられないような傷物、半端物だが、味は引けをとらないどころか、こちらのほうがよい。

新鮮な果物はいずれも芳香を放っており、小さな納屋の中はえもいわれぬ香りでいっぱいである。

今日も病院へ行けば「また体重が増えていますね」と言われたが、手の届くところに好物があれば「食べるな」と言うのは無理。

看護婦さんに、「りんごダイエットってのがあったよね」、と、冗談半分に言えば、「あれはりんごだけしか食べない療法だし、栄養が偏っているから身体に悪いですよ」と真剣に忠告してくれる。

あまりの真剣さに冗談だよって言いも出来ず「そう思ってご飯も食べているんだけどね」と、分けの分からない、つじつま合わせの言い訳をするが、、、、、

キッ!と睨まれて、、、青菜に塩みたいになって出てくる。

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2011年11月21日 (月)

すすき 輝いて

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ススキの穂が朝日を通してレースのカーテンを思わせるように光り輝いていた。

枯れススキというには、まだ、葉の色も青いし、種を持つ穂もしっかりとついているので、まだ少し早いかもしれないが、日本人はこの草を見て、人生の落ち目を感じるようで、野口雨情の「枯れすすき」や「昭和枯れすすき」などで歌われている。

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プロ野球の日本シリーズも、3勝3敗の後を受けた試合は、ソフトバンクのほうに勝利の女神が手を上げ、中日は惜しくも敗れ去り、落合監督に有終の美というドラマチックな演出はならなかった。

しかし、負けて去ると言うのも一種の美学かもしれない。

それにしても、名選手であり、名監督だった落合監督を切らなければならなかったわけは何だったのだろうか。

漏れ聞くうわさでは、ファンサービスの面が熱心ではなかった。彼の哲学である「おれ流」が災いをしているとも聞いた。

彼の経歴をきくと、体育会的な序列主義が嫌で大学の野球部をやめたり、おべっかを使わない、義理人情におぼれることなくクールに振舞う、など、随所でプロ根性を発揮し、先輩もかまわず批判したことで物議をかもしたことも再々あった。

どうも、こういう性格は日本では受け入れられない。巨人オポチュニスト監督のように波風を立てず、日和見の上手な人でないと、、、

そして、自分もどちらかと言うと落合的な世渡りをして、あちこちで衝突をし損をしてきたので、落合監督には喝采を送っていたのだが、、、、

これからの日本は、出る杭を打ってばかりいたのでは立ち行かなくなくなると言われているが、はたしてどうなるのやら、、、、

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2011年11月18日 (金)

接客下手が玉に瑕

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十六日の夜は人里離れたロッジで気兼ねなく、食べて飲んで歌った後、床に就いたのだが、年寄りの早起きは直らず、日の出時間を待ちきれず早朝散歩に出かけた。

”朝寝 朝酒 朝湯が大好きで”は、いまのご時勢赦されないことは承知の上だが、せめて、朝寝だけをしたいと思いつつ出来ないのが爺。  婆連は床から出ない。

寝室が、爺婆別でよかった。とつくづく思った。

今日も空には雲もなく、東の空から昇る太陽はまだ葉を残した落葉松を真っ赤に染めて、先端から徐々に燃やしていく。

下弦の月はいそいで姿を隠そうとするが、、、、、、、

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084_2せっかく信州まできたのだから、新蕎麦のおいしいところへ連れて行けという要望に何箇所か考えてみたが、帰り道に近いと言うことで別所温泉の東側二kmほどのところにある”美田村”に案内することにした。

この店は、三年前に行ったきりだったが、その後その傍を通っても時間が合わなくて入らずじまい、、。

そのわけは、営業時間が十一時から三時までとなっているためで、ここで、蕎麦を食べるためにだけ行かないと、宿に入る前では早すぎるし、出てからからでは時間をもてあます。

そのうえ、店主がかなりわがままで自己流を通し、自分たちには良いのだが店先にも「はしゃぐ子供の入店はおことわり」の張り紙などもある。

我々がこの店に着いたのは、開店早々、、入り口脇で丸刈り、もみ上げだけ伸ばした店主が一人で蕎麦を打っていた。

じろっとこちらを向いて、何人?と聞いたので六人と答えると、「ん じゃ、そっちの部屋」と指定。

座っていると、「蕎麦を切り終わるまで待って」という、、切り立ての蕎麦に否も応もなくしばらく雑談していると注文に来たので店主おすすめという「おしぼり蕎麦」と言うものを高いと思ったが注文した。

注文した蕎麦が行き渡ると、今度は蕎麦の食べ方指導。

まず、蕎麦をそのまま一口食べて味を見る。ついで、塩を少しかけたのをまた一口。

次は、辛味大根おろしのつけ汁に漬けて口に入れた後味噌を口に含んで食べる。

そこまでしたところで、遅れて出勤したおばさんが普通の漬け汁を持ってきて、これに、味噌も大根おろしの漬け汁も混ぜ合わせて食べてください。とのこと。

なんともはや、蕎麦打ち教室ならぬ蕎麦食べ教室に入ったよう、、、、、、、、、、麵は細くて幾分白っぽいが腰があって歯ごたえがあり旨い。

しかし、前回は何を注文したか忘れているが、こんなに食べ方の指導はなかったような気がする。

一番客で、少し暇だったためもあって、主人が蕎麦掻を持ってきてまた講釈、「この蕎麦掻は、打った蕎麦のものでなく、ダッタン蕎麦で作ったもの、、、」

「味はどうだった、おいしかったかい?」と聞かれて「おいしかったよ」と答えると、最初のこわもて振りを忘れたように大喜びする。

案外単純で人の良い男なのだろうが、接客下手が玉に瑕

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2011年11月17日 (木)

りんご摘みにはしゃぐ

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トンネルを抜けるとそこは雪国だった。の逆、と言うほど大げさなものではなかったが、飛騨と信濃をつなぐ安房トンネルを抜けると見上げる山々に雪の気配もなく晩秋と言った趣きが残っていた。

やはり、国境は何かが違う。

それでもしばらくはトンネル続きの山道なので地面が凍っているのを心配しながら梓川沿いに下る。

松本を抜け、三歳山トンネルから長和町、そして、立科町に入ると通いなれた道であり、道の両側のりんごの色付きを見ながら義弟の家に車を入れる。

義弟に、りんごの木を一本世話してもらい、兄弟夫婦六人でそれぞれ勝手に摘み取る。兄弟たちはこれが最大の楽しみだったようで大喜び。

このほかに、贈り物や頼まれているりんごは、いつも世話になっている農園に行って注文するまでが今回の仕事。

日もようやく傾く、と言うにはまだ早い三時過ぎだったが、ここ連日の運転などで疲れを感じてしまい、早々に宿に入ろうと言うことになり、今夜の宿に向かった。

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宿は、望月町の”みどりの村”というところで、今回始めてロッジ泊まりをすることにした。

このロッジは、いままで見たことはあったが、誰かの別荘だとおもっていたものであり、ログハウス風の建物六棟が松や白樺の木の間に立っている。

070なかは、10人までが泊まれる一戸建てで、簡単な台所とカラオケがついたダイニングキッチンと寝室がついたもので、内風呂はあるが、食堂と温泉は200mあまりはなれた本館まで出かけなければならない場所にある。

昨日、平湯温泉で話は尽きたと思っていたが、温泉に浸かり食事の後、またしても話が続く。

静岡のみかん、岐阜の富有柿、長野のりんご、そして、、、、、、テーブルの上には食べ物がとりどりに並び、食堂で腹いっぱいになったはずなのに、、、また食べ、歌い夜は更けていく、、、、、。

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2011年11月16日 (水)

昔を思ってさまよう

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冬来たりなば 春遠からじ

とか、うっすらと葉の上に雪を積もらせた石楠花には、来春に咲かせる花の蕾が膨らんでいた。

昨日十五日)母親の十七回忌を故郷 神岡の寺で子供たちだけが集まるというささやかな法事を行ない、その足で奥飛騨温泉は平湯で一泊することになった。

天気予報も降るかもしれないと報じていた通り、法事の始まる少し前に大降りしたが、墓に行くときには晴れていた。

そして、宿に向かう手前からぽつりぽつりと降り出した雨も、宿の仲居さんの説明を聞く間に白っぽくなり、細かい霰状になって篠つくといった感じで降りだした。

「あぁ、とうとう雪になっちゃったよ」と思わず声に出したら仲居さんはさも迷惑そうな声で「今年は、ずっと気温が高かったので、これが初雪ですよ」という。

さもあろう。自分たちも飛騨にいたころは雪は迷惑な存在。

車は動かしにくいし、屋根雪は降ろさなきゃならないし、、、、」など、数々の不便がのしかかってくる。暖い土地の人のようにはしゃいでなんか居られない。

早速、駐車場にもどって、自動車のサイドブレーキを開放しワイパーを立ててきた。

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朝起きてみたら意外と雪の量は少なかったものの冷え込みは予想通りで、自動車のウインドウはもちろん、あちこちが雪の前に降った雨をあわせて凍りついていた。

車のエンジンをかけ、暖気で氷を溶かしている間に、そのあたりを散策する。

風はないが、気温は零下5℃、空気はピンとした感じで静まり返っている。

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シラビソの林の中、熊笹にかかった雪を見ながら子供のころを思い出し、散策用の通路を
さまよう。

雨が降らなければ、霜柱をさくさくと踏みしめて歩くのだが、今朝は氷で滑らないようにして歩くのが肝要。

西のかたは雲が多くて、シンボルの笠が岳は見えないが、東側は雲も切れて青空の下雪をかぶった尾根筋の木々が朝日を受けて輝いている。

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2011年11月13日 (日)

円くなんてならない

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ヒイラギの白い花が咲いていた。

米粒のように白い花。四枚の花弁は元のほうでつながっており、筒状の花が割れたともとれる。

この木の名前は、葉っぱの縁に鋭い刺があり、うかつに触るとひりりと痛いことから名づけられたようで、当て字ではあるが木偏に冬と書くくらいだから、冬に目立つ木なのであろう。

ただ、この刺も木が生長するとなくなる。人間同様丸くなるからといった人がいるが、、、、、

歳をとってから分かったことなのだが、性格なんて円くなるわけがない。

ただ面倒くさいのと言っても仕様がないのでどうでもいい態度をとっているだけで、腹の中は「近頃の若いもんは、、、」と煮えたぎっている。

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例年のように、兄弟夫婦で集まって三泊四日の法事とりんご狩りをすることになり、明日からしばらくは、、、、、、、留守

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2011年11月12日 (土)

どんぐりころころ

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夜半まで降っていたらしい雨空も明け方には一転して晴れ上がって日の出を迎えていた。

ポストの新聞はビニール袋がかけてあるところを見ると、このあたりに配達される時間は四時半なので、それこそ一瞬といってよいほどの晴れ方だったに違いない。

021道路は濡れ、季節の花コスモスには露がついて朝日を反射している。

久しぶりに顔を出した富士山も、朝化粧を済ませてすっきりとした顔で高部の山のかなたに立って、西の方に沈もうとしている満月を見送っている。

今日は気温も高くなり、昨日と打って変わって過ごしやすい一日が約束されている。

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昨夜、総理の記者会見を見て思わず思ってしまった。

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どんぐりころころ どんぐりこ

お池にはまって さぁ たいへん

泥鰌がでてきて こんにちは

坊ちゃん一緒に遊びましょ

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どんぐりころころ よろこんで

しばらく一緒に遊んだが

やっぱりお山が恋しいと

泣いては泥鰌を困ら

さて、泥鰌はご案内の人だが、、、どんぐりは推進を強く主張している財界人になりそうな歌のような気がしてならない。

これは、歴史が決めること、、、、なんだろうけど

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2011年11月11日 (金)

水晶玉か星屑か

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厚く垂れ込めた雲の間からしとしとと途切れなく雨が降る。

急に気温が下がって体が追いついていないいないようで、外を歩いてみても雨が冷たく感じて体がなかなか温まらない。

氷雨というには早すぎるし、気温も10度を超えているので真冬になったらもっと寒いのだろうな、と思いながら、、、、

Img_0147と、道端に咲き遅れていたカンナの花がそこだけ光が当たっているかのように真っ赤に咲いている。

そして、その葉には降り注ぐ雨を受け止めて、丸い水滴がいくつも出来ては転がり落ちる。

はじめは、水晶の玉をばら撒いたかのように見えていたが、そのうちに、一つ一つが星のようにも思えてきた。

この小さな一粒一粒に、それぞれの世界があり、それぞれがさらに降ってくる雨を受け止めて大きくなったり、不規則に動き出したり、見ていて飽きないものがある。

こうなると、雨もまた楽しいもので、足元が濡れてくるのも忘れて見入っていた。

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2011年11月10日 (木)

三羽鴉

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いったいに、日本人は三という数字に特別な感情があるようで、解説にも「方向性を生み出し発展を表す」と書いてあった。

そして、世界三大○○を始め、三原色、三国なんとか、、、そして、三羽ガラスと.

何かの種をまいたのかきれいに均された畑に舞い降りた三羽ガラス。

まさに、「権兵衛が種まきゃ カラスがほじくる」って図なのだろうか。

土の中に何かあるはずだと来てみたものの、遠くでカメラを持った怪しげな老人が気になるのか、どうも落ち着かない。

フクロウなどを除いて、鳥の仲間は顔の両側に目があるため、人間のように顔を正面に向けなくても物を見ることが出来、両眼を合わせるとほとんど360度が見えるようで、このカラスたちも別の方向を見ているような振りをしていながら、実は人間に注意を払っていて、えさを探すどころではないのだ。

これも野生として生きるためには必要なことだろう。

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そして、このごろ世間を騒がせている三羽鴉といえば誰であろう。

人それぞれに得意分野の人を思い起こすであろうが、自分の場合今日の新聞記事から「県民の幸福度」に福井、富山、石川、北陸三県が一、二、三位を占めたことであろうか、

なんでも、医療、安全、生活、仕事の四部門でランク付けした結果だというが、幸せというものがこれだけでは測れるのだろうか。

一番大事なのは、当の県民が幸せといっているのかどうか、に尽きるので、他人が推し量ることではないような気がする。

前にも、世界の幸福度を調べて結果、たしか、ヒマラヤの懐に包まれたブータンが一番になったように聞いている。

ブータンといえば、国民所得も低く、医療も交通も不便なところという印象があったが、国民がそれでよいと思っている人が多かったそうだ。

今回の発表に当たって、北陸三県の人を初め全国の人にアンケートをとったのだろか。

原発は、、、豪雪は、、、過疎化は、、、

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2011年11月 9日 (水)

物づくりは優秀だが

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このあたりで一番早く紅葉する木はナンキンハゼではないだろうか。

015まだ周りの木が青々しているなかで、早くも秋の気配を悟って青黒い実の殻をはじかせて白く粉を吹いた実を見せて鳥を誘う。

そして、役目を終えた葉を赤く染めて引き立て役に回らせるなど、手の込んだ演出をしている。

この木は、もともとが中国台湾から入ってきたもので、その葉の紅葉が美しいので、植木などに喜ばれていたが、発芽率が高いのかあちこちに鳥が種を運んでひろがる。

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001イギリス人の前社長を就任半年で解任してからオリンパスという会社がガタガタになった。

当初は、ただの内紛かと思ったが、どうも経理に大きな問題があってそれを解明しようとしたことが、前の経営者の逆鱗に触れたようで、自分たちの失敗を隠そうとした行為だったことが分かった。

監査ぐるみの損失隠しは日本の会社全体の信用にもかかわることで、しっかりとした解明と対策が迫られることになった。

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昭和32年はじめてもらったボーナスの半分くらいつぎ込んで買ったのが、オリンパス35Eというカメラだった。

いまから見ると、すべてが手で調整するカメラで、空模様に合わせて感で絞りやシャッタースピードを決めて写した。

しかし、ピントの深いレンズはあまりぼけるということがなく、10年くらい使ったような気がする。

その後何度もカメラは買い換えたが、最近では8年前に連れ合いのため,オリンパス製のデジカメを買ったが、このカメラも期待通りの性能で気に入っている。

このように、製品は良いが会社経営者がだめという事態が、先の大王製紙でもそうであったが、日本の経営者といわれる連中にモラルの欠如が多く見られるのはどうしてだろうか。

TPP問題に見られるように前のめりになって参加を要請しているのも、本当に参加すればバラ色の未来が待っているとでも思っているのだろうか。

深く考えないで行き当たりばったりで経営方針を決めるのは、短期に収益を上げなければならないという強迫観念にとらわれすぎているような気がしてならない。そのため、儲かれば何をしてでもという姿勢が見て取れる。

物づくりは優秀だが、政治も経済も経済も信用できないという日本の将来はどこへ行くのだろうか。

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2011年11月 8日 (火)

身の程知らず

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今日は暦の上では「立冬」である。

冬の気たち始めて いよいよ冷ゆれば也。とある。

そして、昼近くから雲も厚くなり暦どおりの冷気が入ってきた。

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010麻機の一角に若い山柿が一本ある。

若いゆえにすくすくと伸びきり横枝を出すまもなく花を咲かせ実がなった。

初めは、何のこれしきと思っていたのだろうが、実が赤くなるころからとても支えきれずに大きく先端を下げてしまって、意味は違うが”山柿の門”が出来上がっている。

山柿の門とは、山上赤人と柿本人麻呂をいうと聞いたことがある。

山柿は誰がここに種を持ってきたのか、、、、野生ゆえに誰も世話する人もない。

鈴なりの実は、えいようが足りないか、回りきれないと見えていずれも小さいなかで、病気や害虫に襲われないような丈夫さがあったようですべてが育ってしまった。

もう少しの外力が加われば幹が折れたり、根元から倒れかねないほどの実、まさに”身の程知らず”に育ててしまった。

いまはもう、早く熟ささせて、鳥に啄ばんでもらって身軽になることを目指している。

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この柿の木を見ていて、、、、、実力もないのに若くして名声を得、ちやほやと過ごした男が中年になって、かっての名声が重荷になっているさまを連想してしまった。

ちなみに会津身しらず柿というものがあるそうだが、この木は若すぎるという意味で書いてみた。

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2011年11月 7日 (月)

ファ~ッとよぎる

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ファ~とした動きで目の前をよぎったものがあったので、よく見たら雪虫であった。

正確にはトドノネオワタムシというそうだが、こんな名前は誰がつけたのだろう。

3mmほどの小さな身体に白い綿毛のようなものをまとって飛ぶ姿は、飛翔力が弱いため、風の少ない日でないと見ることが出来ない。

夏の間は草や野菜の汁を吸うアブラムシの仲間で、飛ぶことはないのだが、冬篭りの時期になると、こんな風に越冬するところか卵を産み付けるところを探して飛び回るそうだ。

今日のように暖かいとまだ冬支度には早いような気もするが、虫は暦を持たない。すべて本能で「冬来たりなば春遠からじ」とばかりに飛び回る。

この虫もこれから大量発生するかと思うが、最近ではいたって目にすることが少なくなったように感じているがどうだろう。

026_2この虫を我々は小さいころ雪虫といって、飛び交う時期になるとこれからくる冬の季節を思って身震いしたものだった。

雪の降らない土地に住む静岡の子供たちは、たまにちらつく雪でも大騒ぎし、雪見遠足なるものまで催すが、毎日降る陰鬱な雪の中に閉じ込められて過ごした少年時代には、雪などみたくもなかった。

また、この虫を本の題名にしたのが、井上靖の「しろばんば」だが、伊豆のほうでも、この虫は子供のおもちゃだったらしく、夕方のに飛び交うしろばんばを素手で掴まえようとしたり、檜葉の枝を折ってからめとったりする大正の風景を冒頭に書いている。

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2011年11月 6日 (日)

チョモランマー

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「ふ~ん」と感心している年配の人の後ろから見た電動の車椅子。

先日、駿府公園で見かけたものだが、その値段は背もたれに立てかけた看板に「世界最高峰297万円」と書いてあった。

まさに、「車椅子のチョモランマーだ!」と彦麻呂なら言いかねないし、乗用車が平気で買える値段に、おもわず、こちらもうなってしまった。

どんな機能がついているのか知らないが、こんな車椅子を誰が買うんだろう。

乗り心地はどうなんだろう。

高級宝石店と一緒で、店頭に飾って見せるだけのものだろうか。

介護にかなりの出費がかかると聞かされる中、いろいろと考えさせられる物件を遠くから見させてもらった。

もちろん、今のところ用事はないし、必要になっても買えない我が家の財政、、、、遠くから眺めるのが精一杯。

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2011年11月 5日 (土)

木とも草とも

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「おや、こんなところでもパパイヤが実をつけているんだ」懐かしさのあまり眺めたあと写真を撮っていたら、険しい顔つきで畑の地主が近寄ってきた。

016木の幹から直接花を咲かせ、実をつける様子は、日本の花ではほとんど見かけない。

大体が、パパイヤは八手のような葉っぱをし何年も成長するが、年輪もなく風などに弱く倒されてしまいすぐに腐ってしまうなど草なのか木なのなのかはっきりしない植物で、学者によってさまざまなようである。

パパイヤをはじめて食べた(もちろん見たのもその時がはじめて)。というか、ジュースにして飲んだのはペルーのリマであった。

泊まっていたペンションのパテオ(中庭)に植わっていたもののなかから黄色く熟れたものを、セニョラーが無造作にもぎ取り皮をむいて作ってくれたものだが、その味が少し変わっていたものの、果物好きの自分の障害に成ることがなかった。ただ、あまりにもねっとりと甘く、コップも大きかったのでさすがにお変わりは遠慮した。

このパパイヤも最近では沖縄や南九州で栽培されているとは聞いていたが、静岡でも実を付けるようになったんだ。と驚くやら感心するやら、、、

何しろ地球温暖化だから

追、パパイアの別名として日本では乳瓜”と書くが、これは切り口から乳液がたくさん出ることから名づけられたという説があるが、どこの国でも隠語で女性の乳房を意味していて、街行く女性を見た現地の人からよく聞いたものだった。

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今日は、中央公民館でモンゴル大草原の写真展示会があり、なんだか行事があると聞いたので行って見たが、予想していたのと違ったため、写真だけを見て出た。その後、早すぎるとは思ったが駿府公園まで再度出かけてみた。

公園内の準備はすでにはじまっており、観客もシートを敷いて座り込んでいたのでその後ろに立ってみていたら、ボランテイアの男性が開演までまだ一時間ありますと説明した。

それほどまでにして見たい人がこんなにいるんだと感心したが、こらえ性のない自分はそれを聞いて退散することにし、土産ついでに焼き栗とホットドックをかってきたが、、、、、あれは雰囲気で食べるものだね。

家に持って帰ったお土産は、、、結局自分で処理するしかなかった。

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2011年11月 4日 (金)

大道芸を

037沈む夕日をうけて、綱上の大回転

ぽかぽか陽気に誘われて今年も静岡大道芸に出かけてきた。

静岡大道芸も今年は数えて二十年ということもあって、演じるほうはもとより、見るほうもかなり慣れていて、ボランティア参加のクラウンたちもどうにはまっている。

しかし、期待して言ったにもかかわらず、駿府公園の中には毎年のように演じられている大仕掛けの出し物が見当たらなかった。

本来大道芸は、街中のちょっとした広場で行われるものだから、あんな大仕掛けのものはサーカスで演じるのが本当なのだろうけど、、、、、やはり見てみたい。

そんなこんなを思いながら、駿府公園内だけを巡り歩いて三ヵ所だけ見て帰ってきた。

その中のひとつが、王輝という人の演技。前にも見たことがあると思っていたが20回中13回出場となれば当然かもしれない。

得意の綱渡りの宙返りもそうだが、仮面の早変わりは何度して見せても分からなかった。

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2011年11月 3日 (木)

ブンカブンカドンドン

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麻機の休耕田にはいって虫取り網を振り回している子供たちに声をかけた。

「何が獲れるの?」って、そうしたら「カマキリ!ほれこんなおおっきいやつが、、」と得意そうに虫籠をあげて見せてくれたが、なかみまでは見えなかった。

カブトムシもクワガタも消えたいま、一番の大物はカマキリなのであろう。

また一匹獲物を獲ったようで、二人で品定めをしていた。

得意になってもって帰れば、またお母さんの頭痛の種になりそう。

でも、ゲームに夢中になっているより、このほうがよっぽどいい。

「腕白でもいい、、、」

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今日は「文化の日」自由と平和を愛し、文化を進める日。となんだか分かったような分からない祝日である。

それかあらぬか今年も文化勲章受賞者を大量につくって巷に話題をふりまいているが、ある会合で聞いた「文化勲章とか功労賞ってやつは、政府や市町村長にべったりの団体に入っていないと貰えないからね」という言葉が耳に残っていて、、、、            (下司のやっかみといわれそうで)

文化という言葉が初めて日本で使われたのは江戸時代の中ごろ、”文化”という年号ではないかと思うが、中国の周易や後漢書の中から二文字を歯抜けの形で引っ張り出したもので、いま使われている「文化」は明治になって英語のカルチャー(culture)に漢字を当てはめたものという。

そして、その意味合いは人間が社会に順応していく術をいうらしく、曖昧模糊としたもので、機械などを使う文明と区別しているがその境界線も分からない。

戦後になって、なんでも文化を頭につければ人々を納得させたようで、文化包丁や文化シャッター、文化放送、文化大学、、、そして、おとなり中国では文化大革命などがあって多くの人が苦しめられた経緯を持つ。

街中を鼓笛隊が通れば、ブンカブンカドンドン ブンカドンドン、、、、これも文化である。

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2011年11月 2日 (水)

さつま芋の花

さつま芋の花がこの時期になると咲きだしてくる。

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同じ芋でも、ジャガイモの花は開花する量が多いので目立つが、さつま芋の花は、ぜんぜん咲かない畑のほうが多いので珍しいうちに入るだろう。

中央が濃い紫をしているが、外に向かって次第に白くなっていく。

花の径は3~4cmほどで、星朝顔を大きくしたような漏斗上の花を咲かせるところからみると、おなじアンデス高原が発祥地であるけれど、植物学的には縁もゆかりもない種のようだ。

ペルーの露天を見て歩いたときもジャガイモはいろんな種類のもが並んでいたが、さつま芋にいたってはついぞ見た記憶がないし、食事の席でも見かけた覚えがない。

このさつま芋は、いたって生命力の強い草のようで、植え付けは茎をいくつかに切って土に刺しておくだけで成長するものだが、戦後の食糧難の折には葉っぱのしたの部分を切って食べて覚えがある。

味は無味無臭で、ともするとぜんまいのような歯ごたえがあったので、結構旨かったように記憶しているが、先日富士宮の農産物売り場にこの部分が売られているのを見て、懐かしかったのと、「今でも食べられているんだ」と感心したものだ。

023uちなみに、星朝顔の写真を参考に、、、、星朝顔の大きさは1cmくらいでかなりの差があるが、色と形は、同じユウガオ科だけあってよく似ている。

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2011年11月 1日 (火)

美人薄命

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今年最後とおもわれる月下美人が花開いた。

003午後七時ころ咲き出した花も二時間後には上のように
近所の人を招いてたった一輪の花を眺め、香気をかいで、昨年この花を焼酎付けにした”美人酒”?を飲む。

「きれいだ」「よい匂いだ」ともてはやされて、花も満足げに揺れながら少しづつ開いていき、二時間ほどで満開を迎え一夜限りの愛嬌を振りまく。

この花がもてはやされるのは一夜限りの薄命のためもあろう。

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世に「美人薄命」という言葉があるが、美人の条件はその時代によって違っていたようで、茅野市の尖石遺跡などから出土した土偶はどっしりとした重量感を持つ女性像が出ている。

時代は下がって平安時代ともなるとお多福顔がもてはやされたようだし、江戸時代に入ると面長で細い柳腰がもてはやされて美人の代名詞になってしまった。

当然、こんな身体では健康あふれる寸胴大根足と違って胃下垂型の病弱な人を美人といったのだろう、と思う。

して、現在はどの子も背ばかり伸びて八頭身(むかし流行った言葉)は当たり前、小顔の肉食系とやらが売り物だが、なんだかどの子を見ても同じ顔に見えて区別がつきにくくなっている。

この子らも薄命かどうか、、、

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