納めの夕日
元旦の日に朝日が登るのを”初日の出”というのに大晦日の日の入りはあまり語られることは無い。
師走の気ぜわしい午後、暢気に日の入りを見るなんて、、、と言ってのかもしれない。
朝から曇りがちに続いてきた天気も、午後になって雲は東の空に吹き寄せられ富士山から伊豆のほうにかけて黒い雲が積み上げられて、上空から西の空は青く晴れ上がっていった。
そんなわけで、特に正月支度をしないと言っていた自分としてはすることがなくなって、粗大ゴミ同様ごろごろとしているしかなくなったのを幸いに、梶原山まで出かけてみた。
山の頂上にある、鎌倉武士梶原親子の追悼碑越しに見た今年収めの夕日がこれ。
地球が誕生して45億年、単細胞ながら生命が発生して40億年?とかいう。
その間、何度か一種類の生物が大発生し、また、ほとんどの生物が死滅すると言う繰り返しの中、命をつなぎ種類を多様化させて現代に至っている。
古くは、三葉虫、そして、恐竜などがあり今は哺乳類の中の人類がこの地球で全盛を迎えている。
これらの生物は、原因は究明されていないが、地球の変動で気候が暑くなったり冷たくなって環境に適応しきれずに滅んだものと言われている。
そしていま、地球は人間が作り出した、二酸化炭素により滅びの前兆に入ったと言ってよいのではなかろうか。
三葉虫は何千万年の繁栄の後、滅びの前にはかなり奇形の化石が出土しており、恐竜同じくらい繁栄した後、隕石墜落が原因ではなかろうかといわれるなか、人間はわずか20万年といわれている。
漏れ聞くところによると、聖書の中に人間は昔同じ言葉を持っていたが、天へ上るため「バベルの塔」と言う高い建造物を作ろうとして、髪の怒りに触れ、言葉を通じさせないようにして建設を妨害したと言う。
そしていま、地球温暖化を阻止しようとして、各国が話し合ったが、それぞれの国の利害を主張してまとまれないで居る。
聖書のバベルの塔によく似た話が進行中。
こうした中、表舞台には顔を出さず、地球の変化を潜り抜けてきた生物がいくつか居る。いわゆる生きた化石と言う生物で、シーラカンス、メタセコイア、ワニ、カメ、など細くなが~く命をつないできている。
これらの生き物が、なぜ絶えることなくいきつづけることができたのか、、、、
今日のテレビで、大晦日に年越しそばを食べるのは、細く長くを願ってのことだと言っていたが、、、、、さてと、、、とりとめも無く今年も終わる。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント