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2011年12月31日 (土)

納めの夕日

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元旦の日に朝日が登るのを”初日の出”というのに大晦日の日の入りはあまり語られることは無い。

師走の気ぜわしい午後、暢気に日の入りを見るなんて、、、と言ってのかもしれない。

朝から曇りがちに続いてきた天気も、午後になって雲は東の空に吹き寄せられ富士山から伊豆のほうにかけて黒い雲が積み上げられて、上空から西の空は青く晴れ上がっていった。

そんなわけで、特に正月支度をしないと言っていた自分としてはすることがなくなって、粗大ゴミ同様ごろごろとしているしかなくなったのを幸いに、梶原山まで出かけてみた。

山の頂上にある、鎌倉武士梶原親子の追悼碑越しに見た今年収めの夕日がこれ。

027地球が誕生して45億年、単細胞ながら生命が発生して40億年?とかいう。

その間、何度か一種類の生物が大発生し、また、ほとんどの生物が死滅すると言う繰り返しの中、命をつなぎ種類を多様化させて現代に至っている。

古くは、三葉虫、そして、恐竜などがあり今は哺乳類の中の人類がこの地球で全盛を迎えている。

これらの生物は、原因は究明されていないが、地球の変動で気候が暑くなったり冷たくなって環境に適応しきれずに滅んだものと言われている。

そしていま、地球は人間が作り出した、二酸化炭素により滅びの前兆に入ったと言ってよいのではなかろうか。

三葉虫は何千万年の繁栄の後、滅びの前にはかなり奇形の化石が出土しており、恐竜同じくらい繁栄した後、隕石墜落が原因ではなかろうかといわれるなか、人間はわずか20万年といわれている。

漏れ聞くところによると、聖書の中に人間は昔同じ言葉を持っていたが、天へ上るため「バベルの塔」と言う高い建造物を作ろうとして、髪の怒りに触れ、言葉を通じさせないようにして建設を妨害したと言う。

そしていま、地球温暖化を阻止しようとして、各国が話し合ったが、それぞれの国の利害を主張してまとまれないで居る。

聖書のバベルの塔によく似た話が進行中。

こうした中、表舞台には顔を出さず、地球の変化を潜り抜けてきた生物がいくつか居る。いわゆる生きた化石と言う生物で、シーラカンス、メタセコイア、ワニ、カメ、など細くなが~く命をつないできている。

これらの生き物が、なぜ絶えることなくいきつづけることができたのか、、、、

今日のテレビで、大晦日に年越しそばを食べるのは、細く長くを願ってのことだと言っていたが、、、、、さてと、、、とりとめも無く今年も終わる。

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2011年12月30日 (金)

観音様の垂れた手

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人様の庭に仏手柑が植えられていて、そろそろ色づいているだろうか思って見に行くとすでに熟し終わっていた。

インド原産のこの実は、寒さに弱く初めて伊豆の宿で見たときはびっくりしたものだった。

かんきつ類には違いないと分かったが、名前を聞いて如何にも観音様の下に垂れた手に似て入り手、よく名づけたものだと感心したと同時に、この実の本名がシトロンと聞いてまだ驚いた。

なんでも、フランスではレモンのことをシトロンと言う聞いていたので、どっちが本当のシトロンなのかと思って調べて見ると、フランスのほうが間違っていたようで、スペイン語を含むラテン語では”リモン”という。

中国と並んで食べ物ではじふしてふらんすがねぇ~、、、他国のことは言えないが

とにかく、伊豆でこの実に包丁を入れてみたが、実が小さすぎて生で食べる木の実でないこともそのとき知った。

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野田総理がインドから帰ってきて、消費税の増税案をどうにか取りまとめた。

ここに至るまで、離党者を出し、党内の不満分子を押さえつけるような格好で形を整えたが、この先どうなるかまだ一波乱もふた波乱もありそうで、先行きは見えない。

同様に、普天間基地を辺野古に移設するための前段として、環境アセスメントも未明に沖縄県庁守衛室に置いてくるというなんとも格好の付かない届け方を防衛庁がしたが、これも初めから結論ありきの報告書でありそれゆえにこんな方法をとるしかなかったようだ。

どうもこの内閣は、国民のほうに向いているのではなく、財務省官僚のほうに、アメリカに向いているようにしか見えない。

また、消費税値上げの前に自らの身を引き締めるということも無く、このままで行くと解散し選挙で当選したとしても最高裁判所で認めた憲法違反で、無効になりそうなのだが、その辺をどういう言い回しでごまかそうとしているのだろうか。

しばらくやっていない国民的デモを行って、追放しなくてはならないのだろうか。

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2011年12月29日 (木)

もういくつ寝ると

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静岡の浅間神社へ伊勢神宮の中麻を請けに行って、境内に開きかけたマサキの実を見つけた。

桃色の外皮がはじけて、その中からもっと赤い実が舌を出したようにしてぶら下がっている。

マサキ、漢字としては正木とか征木などと書くが、どの字が本当かは知らない。

常緑の低木で高くても四メートルほどにしかならないのと刈り込みに強いので生垣などに使われるようだが、天然にも時々見かけることがある。

実の格好は、マユミに非常によく似ているが、こちらは落葉樹であり容易に区別が付く、、、、

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もういくつ寝ると お正月 

お正月には凧揚げて 独楽を廻して遊びましょ、、、

と、無邪気に歌ったのは何時のころだったか、いや歌ったことが無いかもしれない。

子供ころの正月は、格別だった。

子沢山の我が家では、普段質素なもので過ごしているのだが、正月になると、朝からコタツに入ってひっきりなしに餅を食べ、みかんや菓子を食べても叱られず、普段はむっつりして近寄りがたい親父も、花札や百人一首の輪に入り、負けると悔しがる姿を思い出す。

戦後のもの無かった時代で、いつもすきっ腹を抱えていたのに、正月だけは別である。親たちも苦労したことだろうと思ったのは、父親が死んで、自分も子供の親になってからのこと、、、

また、学校に行くとなにやら難しい話のあと、紅白の饅頭が全員に配られた。いまから思うとそんなに大きいものではなかったと思うが、自分の手いっぱいの大きさがあり、大変な満足感とともに、家へ持って帰るのが惜しい気がしてならなかった。

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その正月も後二日、今年は連れ合いの身体が本復しないので、何もしないでおこうと思っていたが、少しづつ気ぜわしさだけがつのってきた。

孫たちも大きくなってきたし、餅つきはよしにしよう。

掃除もいい加減にしておこう。とにかくまいにち毎日が昔から見れば盆と正月みたいに好きなものを食べているのだから、年越しの鰤と雑煮さえあれば普通の日並みにして過ごそう。と言っていたのだが、、、、、

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2011年12月28日 (水)

見ただけでは分からない

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ヤブランの実。

黒々とまぁるい実を光らせている。

何時のころだったか、どこの山から取ってきたのか覚えていない。

しかし、この庭が気に入ったのか、この鉢が気に入ったのか、、、、、

とにかく毎年律儀に花を咲かせ、実をつける。

細い葉が蘭に似ているので付けられた名前だそうだが、、、どうもユリ科の植物であり、物は見ただけでは分からないものである。

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北の将軍様が亡くなられて、今日が告別式だとテレビは報じていたが、これでようやく報道も下火になるのだろうか。

泣き叫ぶ市民の姿を繰り返し報道された。感情表現の激しい国だけに割り引いてみるのだが、これも指導者から強制された演技だと解説されると、、自分なんかは「やってられない!」と言いかねない。

ともあれ、彼の死によって沢山の評論家や、北朝鮮通と言われる人々が、「群盲象をなでる」と言うことわざそのままにいろいろと述べ賜ったが、実際どうなることやら、、、、、、、久々のテレビ出演で舞い上がっている人もいるやに見受けた。

それにしても、今年の重大ニュースの一番に地方新聞が持ってきていたが、あんな小さい国の独裁者の死を一番に挙げてくる新聞社の素質を疑ってしまう。

とにかく、久しぶりに出てきた北朝鮮の名物女性アナウンサーの荘重な言葉しか公式な発表がないわけだし、流される映像を見ただけでは分からないものがある。

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2011年12月26日 (月)

耳を澄ませて

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我が家から南に2km。愛宕山の道脇に冬イチゴが赤い実をつけていた。

またしてもこの冬一番の寒さと言うが、霜も見当たらず、街中で吹いていた風も雑木に囲まれた細い道にまで浸透してこない。

子供ころ、このイチゴをつまんで食べたものだが、いまの子供たちには興味の無い果実であろう。

こんなに熟れているのに酢っぱみは思った以上でが硬い種を口中に感じる。

食べ物ないころは、こんなものでもごちそうだったのだ。

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001i愛宕山城の二の郭の下辺りに「耳を澄ませてごらん、、、、、」と言う立て看板が木にもたせ掛けてある。

こんな風の吹く日は、職業性難聴で耳の遠い自分にも、いろいろな音が聞こえてくる。

孟宗竹が隣の孟宗竹と触れ合って、カンカンと幾分乾いた音を発し、直径20センチほどの木がよじれるのか「キュウッ」とため息を漏らす。

遠くで、東海道本線を走る列車のせわしげな音と汽笛。合間を縫って部活の高校生が発する掛け声、、、、、

芝生の広場に仰向けに寝転がり見上げる空には雲もなく、絵の端に葉をきれいに落とした桜の木が揺れている。

年の瀬に忙しく働く人々をよそ目に、、、こんなことでよいのだろうか。

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2011年12月25日 (日)

ホトケノザはサンタの落し物?

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報道は各地でこの冬最大の寒波襲来を告げ、各地でホワイトクリスマスに接しているという。

しかし、ここ静岡は飛騨山脈、南アルプス、そして、賎機丘陵と言う三つの関所に守られて、雪のかけらさえ届かない。

しかし、地面には、霜をかぶったホトケノザが花を咲かせていた。

花のほうはどうした加減か赤いままで、その下の葉っぱが白いトゲトゲ状態に霜がくっついているのは如何にもサンタ風、、、、、昨夜のサンタがこぼした汗の一部に見えないでもない。

スーパーに出かけてみれば、すでにクリスマスは気の抜けたサイダー同様で、ローストチキンが這いつばってお辞儀をしている脇に「半額」札が立っていた。

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013夜になって司馬遼太郎原作の”坂の上の雲”があっけなく終了した。

日本海海戦の後に奉天まで退却したロシア軍との戦いで、主人公の一人秋山好古が悪戦苦闘する場面があるのだが一切カットされている。

原作とはいろいろな意味で違ったものを感じたが、これが脚本と言うものだろう。原作に忠実にやっていては、とてもこれくらいの量では済むはずもないから、、、

今年は、日露戦争が終わってから106年になる。

日本がおびただしい人の犠牲によって、ようやく手に入れた勝利も外交ではなんら得るところが無く終わった戦いに国民は憤ったが、舞台裏を解説できなかった政府と国民をあおったマスコミと言う構造は今に通じるものがある。

そして、静岡の三松に陸軍墓地と言うものが残っており、その一角に四十基を超える当時の戦死将校の墓が立ち並んでいる。

墓の側面には、どの場所で戦死したかが刻んであるが、読み取れにくくなっている。しかし、そのうちの大部分が遼陽南方首山保の戦いがあった明治38年8月31日であることから、凄絶な戦いがあり、多数の死者を出した旅順同様の戦いがあったことが分かる。

「一将 功なって万骨枯れる」という古詩があるが、これら将校の何十倍もの、、いやもっと多くの兵士がなくなっているがその墓はこれより小さくひとまとめにして別の地にある。

015この勝利で、大隊長橘中佐が海の広瀬中佐に対応する形で”軍神”に列せら、この墓地に連隊長の関谷大佐の隣して立っている。

倒されても殺されても次々と兵士をつぎ込む戦いを人海戦術というが、旅順以来この戦法は日本軍の十八番となり、装備の劣勢を精神力で補おうと万歳突撃など、先の大戦まで無駄に死んだ兵士数知れない。

テレビドラマでも、旅順要塞攻撃でこの光景を写していたが、砲弾のもと、機銃掃射の前の飛び込んだ兵士はもっとむごたらしい死に方をしたはず、、、、、、

しかし、ドラマはそれを賛美しているようにも見えて、また歴史は繰り返すのではないかと心配するのは危惧であればよいのだが、、

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2011年12月24日 (土)

まさか四年前の?

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麻機の沼に小白鳥が久しぶりに飛来してきたと聞いて行って見た。


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右が四年前の幼鳥 左
が今日の小白鳥 

子供病院の北側の遊水地に一羽だけ居るのを見たが、成鳥であり、ひと気を警戒したバンやカルガモとともに葦の茂る対岸に向かっていく。

この遊水地に、前に幼鳥が飛来してきたのは、四年前のことなので、ひょっとしたらその鳥なのかもしれない。と思ってみたのだけど分からない。

ただその鳥だとしたら、連れ合いや子供を連れてきてもよかったのだが、まだ独身なのだろうか、、、、

静岡出身の人気落語家に独身を売り物にしている人がいるが、まさかそれに見習ったわけではあるまいに。

それにしても、新潟や東北の白鳥が大量に飛来している沼や湖に比べて、静岡に飛来してくる数が格段に少ないのはどうしたことだろうか。

雪が降ったり、水面が凍るところに比べてずっと過ごしやすいはずなんだろうけど、、、、

餌が少ない?工事ばっかりしている?そして、暖かすぎる?

カラスや鵜、バンなど黒い鳥ばかりでなく白い鳥がもっと来てくれるようには出来ないものだろうか、、、、、

ジンゴベー ジンゴベー ジンゴオーザエー

昭和も20年代。進駐軍が持ち込んだクリスマスソングがラジオから流れ、聞き覚えたジングルベルの歌は、こんな調子のもので、少なからず期待がこもっていたが、仏教徒の家には何も来たことは無かった。

そして、自分の子供がクリスマスソングを覚えたころは、日本中がバブルに湧く少し前であり、何がしかのサンタになった。

今から考えると、本当に浮かれきった時代であり、当時の若者は、一年も前からこの日のホテルを予約していたし、繁華街は酔いどれで賑わっていた。

彼女も居ない若者も、出来たときには困ると思って予約し、、、、泣きの涙で解約。と言う話もどこからとも無く聞いた。

ちょうど、いまの日本が、景気が回復して国の借金が返せると当て込んで、予算を組んでいるのに似通っている。

それから、三十年。最近街中はどうなっているのだろうか。めっきりと出かけることの無くなった爺婆二人の我が家では、、、ケーキも無く、元の仏教徒に戻って土鍋を無言でつついている。

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2011年12月23日 (金)

思わぬ余禄

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みずみずしい笹の若葉に包まれて富山から鱒寿しが送られてきた。

006丸いうつわから、見覚えのあるピンクの川ますをのせた押し寿司があらわれる。

駅弁大会などとデパートが行うと、その一つに”富山の鱒寿し”が陳列されているほど有名なものだが、どの会場でも大抵決まったメーカーのものなので知らない人はこれしかないと思いがちである。

しかし、今回は、地元の同級生が折り紙つきで送ってくれたものだけに、味は一級品。

上品な味わいを楽しんだ。ただ、足の速い食品だけに三個も送られてきたのにはびっくり。

とても食べきれない。聞けば一個送るも三個送るも送料は一緒と言うことで送ったそうだが、おかげで、思わぬ余禄に孫たちの家では大喜び、、、。

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大阪新市長の橋下氏が上京して、あちこち挨拶をして回った結果面会した大臣が八人、そして自民公明の各党首もニコニコ顔で面談し、彼のいう「大阪都構想」を早速検討するとご機嫌をとっている様子がテレビに映し出されていた。

この映像を見ていたかどうかは知らないが、橋下氏と争って敗れた陣営はどう思っただろうか。

あまりにも変わり身の早さ、節操の無さにあきれ果てていることと思う。

おりしも、民主党が政権をとったとき、公約の一番にあげていた群馬県八ッ場ダム中止を反故のようにして捨ててしまった。

八ッ場ダム、そのものの効果はどうなのか知る由もないが公約と言うものを考えたら、この時期反故にする理由は何なんだろう。

さすが、これには発足当時の国土大臣前原氏が噛み付いていたが、民主党が公約したマニフェストの重要項目はほとんど保護にされたことになり、次の選挙では過半数はおろか1/3さえ難しくなるに違いない。

もともと民主党の主だったところは自民党脱党者であり、期待はしていなかったが、これほど”どじょう宰相"が公約破りをするとは思っていなかった。

坂本竜馬を代表する明治維新を導いた脱藩者は命をかけて現体制を壊そうとし、北朝鮮からの脱北者は自分や家族の命をかけていただけに、その覚悟が違っている。

しかし、最近の日本の政治家の脱党者は主義主張で命を掛けたわけでなく、自己保身で右往左往しただけであり、これらの話を真剣に考えて投票した自分が馬鹿だった。

で、今度の選挙はどうするか、、、、政治化全体に期待が持てない以上白紙しかないが、それもね~ぇ

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2011年12月22日 (木)

カンカンとおもえば

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日本水仙の花がここ2~3日で一気に開花した。

白と黄色の二色刷り、まるで、スカートの下から覗きこんでいるようで気が引けるが、パリーはムーランルージュで見た(フレンチ)カンカン踊りだと思えば、これまた、あっけらかんとしてこれまた面白いもの、、、、、、。

                         

今日は冬至。日中時間が一番短い日であるが、あしたからは米一粒づつ日が長くなる太陽復活の日だと思えばまた楽しみが沸いてくる。

冬至の行事と言えば、冬至かぼちゃにゆず湯といったところか。

なんでも、かぼちゃや柚子にはカロチンとビタミンAが多く含まれているようで、これが、風邪とか中風によいと言われ古来から冬の食べ物に使われてきたそうだが、どうしてそんなことを知ったのだろうか。

そこで、とりあえずかぼちゃのポタージュを飲み、3個のゆずを入れた風呂に入って、この冬の風邪を蹴散らすことにした。

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2011年12月21日 (水)

右肩下がりの寒さだが

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ここの所しばらく天気情報は「この冬一番、、、」を連発し、気温は右肩下がりに下がっていく。まるで失われた20年といわれる日本の景気のように、、、、

しかし、自分にとっては夏場の「この夏一番、、」と言う言葉よりは耳に心地よい。

厚いのは、裸になってもまだ暑いが、寒いのは着込めばよいからだ。

そして、そんな寒い冬の朝を喜んでいるものが、麻機の沼にも居た。

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先日来、遊水地の第四工区といわれる部分の一角が底の泥を入れ替える作業に入り、生えていた葦などの植物を取り除くのと同時に、水抜きをを行っている。

おかげで、その部分は干潟のような状態を呈し、鷺の仲間餌とりばになってしまった。

大きな魚は、ほかに移したものの小さなものまで移しきれなかったのが、たくさん居るようで、小鷺がひっきりなしに啄ばんでいる。

先日の麻機沼のシンポジュームでも最近、増えた鳥は鵜と鴉とムクドリでいずれも黒い鳥ばかりだといっていたが、その後、鷺の仲間でもダイサギと青サギは増えているが小サギはかなり減ってきて、ひょっとすると絶滅危惧種になるのではないか。なんて発表があった。

022どうも原因は、サギの集団営巣地でほかのサギによい場所をとられて、身体の小さいさ小サギは弾き飛ばされているのが原因ではないかと推測しているようだ。

いままでは、各種のサギが入れ混じっているのを見て、同じ種類の餌を前にして喧嘩もせずに仲良くしていると思っていたが、人から見えない営巣地に帰れば陣取り合戦をしていたなんて知らなかった。

余談ではあるが、同じような現象が、スズメとムクドリの間でもあるようで、最近はスズメの数もめっきり減ってきているそうだ。

しかし、この干潟状の工事現場は、道路から近いためか小サギの独誕生になっていて、次から次へと飽くことが無いような食べっぷりに、「せいぜい栄養をつけてがんばって!」とエールを送りたい。

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2011年12月20日 (火)

ハーブティになる?

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のばら先日、娘の家でローズヒップスというハーブティを味わった。

001qほのかな香りがするが、なんだか分からないので聞いてみると、なんでもノバラの実でつくったお茶で、ビタミンが豊富に入っていて、美容によいそうで、これで作った化粧品もあるんだそうだ

五月半ばに、麻機の荒れた田んぼにも最近は、白い花を咲かせこの時期は、赤い小さな実をつけているあれか?って聞いたのだが分からない。

早速帰って、インターネットで検索してみると、原料は西洋野イバラの実だと言うが、写真を見てみると日本のノイバラと同じようなものがあったかと思うと、ハマナスのような写真もあって定かではない。

019それでは、いま手近に見えるノイバラで試してみようと一つかみ取ってきて、とりあえず干してみた。

さてどんな味の飲み物が出来るのか、、、、、

野茨の実を集めるため、実のある部分を手繰り寄せ、しごいて採ってみたが、思わぬところに刺があって、ちくりちくりと手のひらを指し血がにじむ。

わらべは見たり 野中のばら、、、で始まる「のばら」と言う唱歌の二番に

手折らば手折れ

思い出ぐさに 君を刺さん

と言う部分をそのままに実現してしまった。

はなしは違うが、この歌はゲーテの詩にシューベルトとウエルナーが別々に曲をつけている。

自分としては、ポンポン飛び跳ねるようなシューベルトの曲より、ウエルナーのメロディーの方が好きなのだが、、、、

世間的にはどっちかな?

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2011年12月19日 (月)

誰も食べない

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城北公園のヒトツバタゴ、別名を「なんじゃやもんじゃ」の木に黒い実が鈴なりになってぶら下がっている。

木の根方にはその実が熟れてぼたぼたと落ちているのに、食べようとする鳥も居ないようだ。

反対側の、ナンキンハゼの白い実にはからすがたくさん取り付いていたのに比べると、この差はなんだろうという気にする。

ナンキンハゼの中身は硬く、表面に粉を噴いたような薄い部分しか食べるところしかないのだが、、、、、

旨くないのだろうか、毒でもあるのだろうか、特定の生き物にだけ種を食べてもらいたい様子だが、落ちた実さえそのまま朽ちていくのはわからない。

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008ガラス越しの丸木舟

今日は清水でご馳走してくれると言う。

つい嬉しくなって向かった結果、、早くつきすぎてしまったので、かねがね気になっていた、静岡市埋蔵文化財センターに立ち寄ってみることにした。

ここは、名前の通り静岡市の遺跡を調査発掘展示などを一括して行うところと聞いていた。

そこで、初めて入ってみたのだが、館内は最近出来たと言うだけ会ってきれいに整備されている。

そして、見学者は自分ら夫婦だけとひと気も無く、事務室に一人だけいるようだが奥のほうに居て出てくる気配も無く、「勝手に展示物を見てくれ」と言った感じである。

そこで、ぐるっと一回り、と言っても展示場はそんなに広くはなく、丁寧に見ても2~30分がいいところである。

展示物の中で一番の見ものは巴川の河川改修工事で出てきたと言う丸木舟である。長さが5m15、幅が1m34と言う一本の丸太をくりぬいた船で、クスノキで作ってあるとのことだった。

制作年代は、自分が思っていたより新しく、鎌倉時代ではないかということであるが、当時はよくこんな木があったものだと感心する。

船としては、5人から10人くらいは乗れそうに見えたが、舳先も無く両切りと言った感じの船なので、何に使ったのか想像できなかった。

ともあれ、7世紀のかわらを焼く窯の復元などが大物で、あとは各時代別の土器などがあり、、、、、思っていたよりさびしい感じの展示である。

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2011年12月18日 (日)

この実は危ない

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アオノツヅラフジ。青葛藤と漢字では書く蔓植物である。

蔦の葉っぱも落ちて、5mmほどの黒い粒をたくさん各所にちりばめていたのがあらわになった。

複雑に絡み合った蔓から、”葛藤”(カットウ)と言う言葉が出来、つづらを織り込む模様から「九十九折り」(ツヅラオリ)と言う言葉が出来たとも言われれば、さもあろうと気がしてくる。

そして、この蔓で編んだ入れ物を「つづら」というが、自分の知る限りではこの蔓で編んだ籠は生け花用のしゃれた籠ばかりであり、この蔓で編んだつづらはみたことがない。

そして、ツヅラと言えば舌切り雀の昔話以来竹で編んだ籠になっており、引越しの荷物を入れる行李のことも言ったように思う。

つづらと行李、違うものではないかと言う話もあるが、一般につづらは竹で編んだ四角い箱に和紙を張って漆掛けしたものをいい、行李は縁を補強せずそのまま使ったものをいうが明確な区別は無く、舌切り雀のおじいさんは小さな竹かごを背負っている絵もあって、昔はツヅラフジで編んだ入れ物を全てを言ったのではないだろうか。

そのうち、竹を同じ大きさに割り揃えたものの方が、見た目もよいし、長持ちするなどのことから、材料は違っても名前が残ったものと思う。

中学を卒業して、寮生活に入るとき着替えを初め、布団以外のすべてがこれに収まり、その後、寮を移り変わるときもこの行李を担いで回れば済むという便利な収納家具であった。

同じもので、柳の木でつくった柳行李もあったが、竹製のものは丈夫で乱暴に扱っても傷が付きにくく、両親を呼び寄せるまでこれひとつに所帯道具が納まっていた。

しかし、この写真に見る蔓の実はかなりの猛毒であり、子供のころ草葡萄(エビヅル)と間違えて食べた子がいたようで、「黒い蔓の実を食べると危ない」と注意されたことがあった。

追*いまでもあるかもしれない蔓で編んだ入れ物のひとつにネコダというものが飛騨にあった。

隙間だらけのぺっちゃんこの入れ物に背負い紐をつけて、山仕事の鉈、のこぎり、鎌などを入れた人をよく見かけたものだが、これもツヅラと言うのか知らん。

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2011年12月16日 (金)

天気晴朗なれど

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電線を切る風の音ともに、木からはがされた枯葉が忠を飛び転げまわる。

天気晴朗なれど風は冷たく、遠くに見える富士の山肌は雪煙を上げて地肌が出ていく。

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県西部の高校で、万引きをした生徒が70名を超えていたとかで、あまりにも悪質だと、県の監査委員会が学校名を公表したそうだ。

このことで、知事は「あまりにも悪質であり公表はやむをえない」といい、弁護士会は「関係の無い生徒もいる中で人権侵害の疑いもある」といい、教育長も「問題発覚後学校の対応は充分だったので公表はしてほしくなかった」と言う発言をしている。

しかし、この公表も二年前の生徒のことであり、本人たちは卒業しているものがいるようで、卒業後の公表では、後輩に迷惑をかけているだけであり、まさに”飛ぶ鳥 後を濁して”といったところ、もっと迅速な処罰が必要である。

多数の生徒が万引きをしていた学校は、このほかにもあるようで、今後どのように処分するのかわからないが、以前にも本屋で新しい本を盗んで古本屋へ売っているため、本屋が店じまいをした。という報道があったが、今回の発表された高校でも同様に盗んだ品物を転売したケースもあるという。

「万引き」と言うとなんだかかわいらしい響きもあるが、刑法の上では窃盗罪であり、一般の人が捕まれば処罰の対象になる。

同じことを、集団心理からか、あれがやるから俺もやる。みたいな雰囲気があるのではなかろうか。

あまり甘いことを言っていると、かえって生徒のその後によくないはず、、、学校名がよくないのなら人数の高で公表するのではなく、丸々学校の X Z くらい間での公表ではどうだろうか。

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2011年12月15日 (木)

口無し

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人様の庭にではあるが、あちこちでクチナシの実が色づいてきた。

濃い橙色の実の先には六本の角を出しているが花弁の名残だそうだ。

木の名前であるクチナシは実になっても口を開かないところからとか、鳥のくちばしに見立ててとか言われているがわからない。

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静岡県でも東北の瓦礫を処理しようとしているが、なかなか引き受ける市や町が無いそうだ。

原因は、やはり放射能を心配してとのことだが、現地でも検査して出すと言う瓦礫でも、一部ヒステリックな慎重論者が声高に反対しているのを映像で見、テレビのコメンテーターは同調的な意見を出している。

今年の世相を漢字一文字で表す字に「絆」と言う字が採用された。

「絆」と言う字の語源はさておいて、一般的な受け止め方は、連帯感を言うのではないだろうか。

三月十一日の震災以来、この言葉はもう嫌と言うほど見てきたし、聞いてきた。

いま、被災地では何十年分と言う処理量の瓦礫が蓄積されていると言うのに、この瓦礫の処理を手伝おうと言うところは、東京にしかないと言うのはどうしたことだろう。

「絆」と言う言葉、字を口にした人たちは、ただ流行語同様に口にしてみただけで、実際の行動を伴わない人でしかないのか。

ヒステリックな人を前にして、クチナシを決め込むようでは、、、、、、

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2011年12月14日 (水)

気になる木

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市内のとある家の庭先。

いつも気になっている木がある。

007プラスチックの黄色い入れ物は、多分レモン果汁でも入っていたような如何にも酸っぱそうな感じのものである。

これに気がついたのは、かれこれ二年以上前のことで、いつも15~6個はぶら下がっている。

今の時期は、甘夏系のみかんが黄色く色づいて、入れ物と競合しているが、どんな意味があるのか、”気になる木”である。

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「雪を蹴立ててさくさくさく、、、目指すは本庄松阪町」    歌の文句にある吉良上野介の屋敷に赤穂浪士が打ちいった日と言われている。

もっとも、旧暦の12月14日だと言うから、現代に直すともう一ヶ月先のことであり、あのころの江戸では雪が降っても無理からぬ情景であるが、芝居であまりにも脚色されすぎて、浅野内匠頭を美男俳優に、吉良上野介を憎憎しいおじいさんに仕立て上げている。   しかし、本当のことは分からない。

ただ、この討ち入りの原因になったのが、主君 浅野内匠頭の刃傷に発したことであり、これも原因ははっきりしていないと言うことであるが、坊ちゃん育ちの大名が何か癇癪を起こして、家来を路頭に迷わせてしまった。

現代なら、さしづめ大王製紙やオリンパス工業の元社長たちということになるか。

大大名なら、越前の守とか、駿河の守などと国名が付くのだが匠頭では大名と言えどかなり軽く見られていたに違いない。

しかし、プライドだけは高かったに違いない。

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最近、全国あちこちで刃物を持って子供を切りつける事件が発生している。

どんな理由で、同じような事件が起きているのかわからないが、、、

多分、普段の鬱憤を晴らすための模倣犯みたいな気がする。しかし、被害にあう子供たちは災難である。

これでは、「人を見たら泥棒でなく刃物男と思え」になってしまい、いつも散歩であちこ歩き回っている怪しいお爺さんは、刃物は持っていないが人相はよくないと見えて、話しかけることも遠慮している。

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2011年12月13日 (火)

ついていけない

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木立アロエの花が日当たりの悪い庭の隅っこで赤い花を咲かせ出した。

009静岡では、以前からあちこちで咲き出しており、中には直径1mを超える大きな株になって花を無数につけているところもあるが、我が家で咲き出したものは、大きくなるたびにあちこち切り取られてしまう上、ほかの背丈の高い木と競合しなければならず、傷薬や胃腸によいといってもらってこられた割には冷遇されている。

そのため、切って捨ててもなかなか枯れないどころかその地で根を張り出すほど生命力の強いこの草も、花のつきも悪くふたつみっつしかない。

今日も細い筒状の花を下からのぞけば、花びらの先端まで雄しべと雌しべを突き出しているが、この時期、花粉を交配してくれる虫も見ることが無い。

アロエの原産地はアフリカはマダカスカルということで、筒状に見える細長い花びらも6枚の花びらからなっているが、かの地では長い歴史の中で蜜を吸い花粉を交配してくれる虫と共生していたのかもしれないが、日本にはまだなかの蜜を吸う虫も居ないようで、花のあと種を見たことが無い。

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先日、テレビで昭和の歌と言う番組を見ていたが、どの歌も店舗がゆっくりとしており、当時は、もっとリズミカルだと思っていた歌までしみじみと歌われていることに気がついた。

もともと日本の歌と言えば、民謡であり、長唄、義太夫などテンポのゆっくりしたもので、子供のころは聞いていても間延びがしすぎて、言葉の意味が分かりずらい面があった。

しかし、そのころの年寄りは、それが普通だったので流行歌などについていけなかったのかもしれない。

しかし、戦後しばらくと言うか昭和50年代まで子供から大人までみんなが知っている流行歌が年に何作もあって、レコード大賞などではかなりの数知っていたが、最近のこの翔は見ていても知らない歌ばかりで、見る気がしない。

そして、自分らが年寄りの仲間入りをした現在、いまどきの歌の歌詞が全然分からないくらい早口になっている。(前にも歌詞付きの歌で書いたことがあるが、、、)

テンポ、リズムを大事にするあまり、言葉がどこかに吹っ飛んで英語の歌かと思ってしまう歌もあるくらいになってしまい、むかしの年寄り同様についていけなくなった。

この先どこまで早くなっていくのか知らないが、いっそのこと、「夜明けのスキャット」みたいに歌詞など捨ててルルルルー、、、、、とやったほうがすっきりするのではないだろうか。

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おりしも、東京のほうから電話がかかってきたので、「どなたですか」って聞いたら、「何とかの何とかです」って言うが、あまり早口すぎて爺さんの耳には理解できない。

はぁ!   はぁ! って何度も聞き返したら電話を切られちゃった。

こんな爺さんを相手にしても証券は買ってもらえそうにも無いと向こう様が判断したらしい。

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2011年12月11日 (日)

顔を真っ赤にして

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ハナミズキの葉っぱが残りすくなくなってはいるが、まだ木に先端にしがみついている。

先端には、来春咲かせる蕾が丸くなって準備を整えているが、葉っぱのほうは顔を真っ赤にさせて「なにくそ!」と言わんばかりの形相で一日でも長く、一秒でも長くと付いている。

まるで、周りから「ここまでがんばったのだから、、、、」と優しげな言葉で引退勧告を受けているのに、現役にこだわっている○○選手のように、、、、

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011今日は市内の「もくせい会館」で”麻機遊水地の魅力を語る”と言うテーマーの講演会があったので出かけてみた。

リレートークとかで、植物、昆虫、魚類、両生類と爬虫類、そして鳥類をそれぞれ別な講師が15分から20分の持ち時間で話をした後、パネルデスカッションをした。

一人ひとりの持ち時間が少なかったためもあって、それぞれが上っ面をなでただけの感じで消化不良というか、週に四~五回歩き回っているものにとっては、目新しいことは無かった。

ただ、昭和49年の梅雨終期におきた静岡を中心にした大雨で、市外北部から清水市にかけて浸水被害が多かったところから、この土地に大規模な遊水地を作る計画がおきていま工事中の場所である。

もともとこの土地は、沼地だったのだが、戦後の食糧増産の掛け声の下、かなりの部分を田んぼにして米を作ってきたのだが、それが、水害をつくる元になったと言うことから四工区200ヘクタールという広大な土地を遊水地に戻している。

このほか、我が家の傍に第二工区を買収して遊水地化する工事が始まっており、その面積は100ヘクタールほどにもなろうとする遊水地が近いうちに出来そうである。

これらの土地の買収金額もかなり高額なものになっているらしく、噂を聞いてびっくり、、、(ただし、あくまでも噂なので単価は控えるが、、、、)

とにかく、県はこの辺りで300ヘクタールの土地をもつ大地主になった。

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2011年12月10日 (土)

初霜初氷そして月食

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今朝方の冷え込みはこの冬一番で、静岡でも初氷を見ることが出来たと、テレビは報じ、散歩道の麻機田んぼの中までテレビ局が出張ってきて、総長散歩をしていた人からインタビューを取っていたらしい。

雪国と違って、雪や氷に対して異常なほど関心を示す静岡気質を垣間見て気がする。

そんな現場らしきものを遠目で見ながら、いつものように出かけてみれば、地面を這っている低い草は、白い霜で葉っぱの縁を白い線で囲っている。

そして、霜のかぶった草を写しながら、自分も、、、、、、だな、と苦笑する

多分気温は、氷点下になっていないと思うのだけど、雲のない空は放射冷却で地表を冷やしたようだ。

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今日は、久しぶりに月食が見られる夜になり、天文ファンには眠られぬ夜がくるとのこと、、、

にわかファンにもなれぬ自分だが、野次馬根性で写した一枚。

時間は、10時25分。1/3ほど隠れたころか、空には早い雲が流れときどき雲を覆い隠している。

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2011年12月 9日 (金)

磯菊のおもいで

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磯菊の細かく黄色い花がてんこ盛りになって咲き出し、今朝の風の冷たさもあいまって、冬も本格的なものになりかけた。

磯菊は、千葉県から静岡にかけての海岸に咲いている菊だと聞くとなんだか暖かい地方にしか咲かない菊のような気がするが、そればかりではないようだ。

この菊をはじめてみた場所は、寒い西風が直接吹き付ける伊豆の西海岸の現場で仕事をしていたときで、すぐ傍の崖に咲いていた。

一般的には伊豆は暖かい。と言うことになっているが、自分的には海を渡って吹き付ける風は、耳が痛いほどの冷たさを持っており、寒い冬の海を連想してしまう花なのである。

黄色の小さな花は、筒状の花びらの中に雄しべ雌しべを包み込むように咲かせており、花も防寒着を着ているのかなと思わせてしまう。

ただ、この花の葉っぱが白い縁取りをしているさまを見ると、なんだか、子供のころに見たい「いいとこのお坊ちゃん」を見るようで、、、、

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2011年12月 8日 (木)

茎まで赤く染めて

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アカザが茎まで赤くして初冬を告げている。

002アカザとはどんな字を書くのだろうかと調べてみたが、藜とも赤座とも書かれるとのこと、しかし、藜は「ヒ」と呼んで漢方薬?の読み方なので、赤座という漢字が当てはまるらしい。

これは、若芽のとき先端が濃い赤紫色をしているためだろうか、、、ちなみに、ウイキペアでは苗字としか出ておらず、自分もこの姓の人をひとり知っている。

この草は、もともとは食用野菜として中国から来たそうだが、いまこれを食べたことのある人はまずいないと思う。

春先の若芽を食べるそうだが、なんだか白いきらきら光る粉のようなものがついているし、いま流行りのアントシアニンを大量に含み、ほうれん草のような味がすると書かれていても、あの、食糧不足だった戦後の一時期でも食べた覚えが無いところから、食べようとは思わない草である。

誰か食べた人が居たら感想を聞かせてもらいたいものと思う。

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さて、70年前の今日は明け方に、ハワイの真珠湾を攻撃し、日米開戦となった日である。

「宣戦布告前の不意打ちだ」と、アメリカを一致団結させたこの攻撃も、いろいろ裏事情があるそうだが、この開戦を指導した当時の軍幹部は、日米の国力の差を知ってのことだったのだろうか。

無謀な戦いに導いていった人たちは、当然戦後の国際裁判という、戦勝国の裁判で有罪になったが、本当は日本の裁判でも有罪になってしかるべきだったはずである。

自分としては、野田総理が以前に述べたと言う「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」と言う責任をあいまいにする言葉に「では、戦争で殺された人たちにどう説明していくのか、、」と聞きたい。

無謀な戦いを始め、日本国民のみならず東南アジアを含めて数千万人以上に被害を及ばした責任は重い。

そんな戦略をかけなかった、指導者を持ったことが日本にとって不幸であるが、それがトラウマになってか、それ以降の日本はアメリカの言うことに忠実なポチからの脱却はできずにいる。

もっと外交に力を入れれば、例としては悪いかもしれないが、北朝鮮やイランのようにしたたかな外交で、アメリカを手玉とまでは行かなくても渡り合えたはずである。

それが出来なかったのは、外交に対する信頼の無さと、増長しきって楽観主義になった軍部を抑えるどころか後押しをしたマスコミ、、、、。

そして、もともとがせっかちな性分で結論を早く求める国民性からきたものではないだろうか。

この性分は、今でも直らず毎年のように総理を変え、だんだん粒が小さくなって、先を見通すことの出来ない指導者をつくってしまった。

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2011年12月 7日 (水)

柔らかな斜光に染められて

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暦の上では「大雪」だという。

静岡では、”大雪”と言ってもぴんとこないが、生まれ在所の飛騨や信州からは雪が降り出したという電話が入っていて、熊や栗鼠も冬眠に入る温度をとっくに超えている。

008今日も、雨が降りだす予想であったが何とか持ちこたえ、かわって、公孫樹の葉っぱを降らせて木の根元に柔らかそうな黄色い絨毯を敷き詰めていた。

その絨毯に午後の長い日脚がふりそそぎ、黄色い公孫樹の葉っぱを黄金色に染めていた。

我が家から、ほぼ2km南側のところにある三松山尊永寺の公孫樹がこの辺りでは一番大きな木になるだろう。

麻機の山に植えてある銀杏の木はようやく黄ばみだしたので、このお寺の木はどうだろうと見に行ってみると、予想に反してほとんどが落葉していた。

麻機の銀杏は標高で100mに少し足りない高さであり、お寺の公孫樹は標高15mほどと低いのにと思ったのだが、やはり冷え方の違いだったのだろうか。

公孫樹と銀杏。同じ木だが自分なりに区分けしたのは、お寺のものは雄株で銀杏が出来ず、山のものは銀杏を採る目的で最近植えた雌株で木の高さは低い。

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2011年12月 5日 (月)

もみじ園でくつろぐ

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「秩父宮記念公園の紅葉がまだ盛りだそうだよ」って聞いたので、だまされたつもりで行ってみた。

御殿場の市役所が標高450mほどだったとおもっていたが、富士山と箱根の山の間に位置し風の通り道であることからして、暖かい静岡の中では1、2を争うほど寒さの厳しいところである。

インターチェンジを降りて、すぐのところにあるこの公園は、昭和天皇の弟になる秩父宮の別邸として使われていたものを、御殿場市に遺贈され、平成15年から公園としてオープンされたもので、自分らとしてはこれが六回目の入園と言うことになる。

さすが、この季節になると花の数も少なく周りの杉木立を抜けた先の”もみじ園”まで見るべきものも無かった。

そして、もみじ園は少し盛りを過ぎたようだったが、木の葉の間から差し込む光がほどほどにあり、くどいほど赤い京都のもみじと違って落葉樹独特のあっけらかんとした空気が流れるような雰囲気のもみじ園であった。

さいわい、バス旅行も一組あったが、別方向に行った様子であり、ひと気の無い静かなもみじ園ゆっくりと散策し、陽だまりのベンチに腰を下ろして仰ぎ見るなど至福のひと時を過ごした。

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記念館の庭に立つ銅像。昔風のいでたちで富士山を望む、秩父宮を模したとか

030_2寒い御殿場の気候を配慮してか、縁側のガラス戸は二重になっていた。

その後、記念館をまわり、下の入り口から始めて入ってみたが近代的な造りの展示室と、戦前の造りを残す母屋と対照的な構造になっており、さすが皇族の別邸は違うなと感心するも、西洋の貴族と言われる人たちの豪邸から見ると、とこれは話にならないほど質素なものと言えよう。

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記念館で昼過ぎまですごし、すぐ傍にある岸信介元首相が晩年をすごした豪邸もあるのでそちらを回ってこようかとも思ったが、腹の虫も鳴いてゆるしてくれないので、平和公園近くのイタリヤ料理店に入りパスタで昼食。

帰りは、少し遠回りをして、御胎内温泉に浸かってから、十里木をまわり富士市に下って帰る。

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2011年12月 4日 (日)

絶滅危惧種”タコノアシ”

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昨日空一面を覆っていた雨雲も掻き消えて、空のどこを探しても一点の曇りなき青空がひろがり、東の方には富士の嶺が線で区切ったように白く輝いていた。

昨日の駅伝にこの半分でもまわしてあげたいような青空が、、、、


絶滅危惧種「タコノアシ」が正月を間近に控えて赤く茹で上がってきた。

タコノアシという変わった名前の由来は、写真でも分かるように、細い幹から放射状に広がった部分に白い花を咲かせているところが、まるで蛸の足についた吸盤に見立てている。

そのタコノアシも細い葉を落とし、赤茶色の実になってきた。

この草、絶滅危惧種と言うことで、指示があったのか草刈りを済ませた麻機遊水地の土手に残してあった。

これほど大事にしても、増える気配の無いところを見ると、発芽率が悪いにか、生命力が弱いのか、、、、、、

いずれにしろ、ひ弱な草、蛸の八ちゃんがんばれと声援を送りたい。

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そして、今日福岡で行われた国際マラソンも見ごたえがあった。

日本人最高位で入賞した川口選手は、いつものように、20km過ぎた辺りで先頭集団についていけなくなり、画面から消えてしまったが、36km過ぎに日本人選手の先頭に立っていた。

その後、抜きつ抜かれつ、、と言うものの、ほとんど先頭に立って揺さぶり最後には、箱根の「登りの神様」と言う異名を持つ今井選手を突き放し、ゴールに入った途端ぶっ倒れる。といういつものパターンを繰りかえした。

定時制高校の事務員を務めて居る彼が、実業団でコーチのついたノンプロ選手に打ち勝つと言うことは、見ているほうにとっては判官びいきというかおもしろいし、どこまでこの人の力があるんだろうと思ってしまう。

しかし、日本人最高と言っても、初出場のケニア人選手に優勝をさらわれ、ごく平凡なタイム、と言うより世界では通用のしないタイムしか出せない日本人はどうなっているんだろうか。

ぬるま湯に浸かっている選手にあるのか、選手の育て上げ、能力を引き出せないコーチにあるのか、、、、

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2011年12月 3日 (土)

咲かせようか 止めようか

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今日も一日小雨が降り続いていた。

秋咲きのバラにも雨が降り注ぎ、バラのほうでこのまま咲かそうか、やめようかと迷っているようにも見受けられた。

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降り続く雨は、周りの山を山水画の世界にいざなう。晴れていればこの後ろに富士山が、、、

静岡県市町対抗駅伝が催されていたが、この雨の中出向くのも億劫になってテレビで見ていた。

自分も中学から30代後半まで走るしか能力が無いので、陸上競技に出ていたが、その中でも駅伝は一番遅くまで走らされたものである。

駅伝に限らず、長距離競技は、走り出さないとその日の調子が分からないものであるが、個人競技で無いだけに、途中でやめるわけにいかず、走り終わってからぶっ倒れてしまうほど、精根使い果たすのは、この競技に多い。

特に今日みたいに雨に降られて気が滅入ってくると、一流選手でないかぎり、平常心を維持するのは難しく、気分的に自滅してしまう。

ただ、これを直す良薬は、まず目の前の一人を落とすことである。出だしでひとつ順位を上げると途端に強気になって、、、、、、普段以上に記録が伸びてしまうこと確実、、、上手くすると区間賞も夢で無くなる。

とはいうものの、前を走る選手が見えないときにはこれも難しく、一人旅は侘びしいものになる。

ともあれ、精一杯の力を出し切って走った選手も、今頃はほっとしているに違いない。

とにかく結果はどうあれ、済んだことは済んだこと。

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2011年12月 2日 (金)

作っては落としの繰り返し

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一日ごとに気温が大きく変化する。

春先の三寒四温は、日ごとに草木の芽も伸びて明るくなっていくのに比べると、今の時期はその反対であり、先行き暗く感じるのは世相のせいばかりでは無いような気がする。

冷たい雨に伴って吹く風に誘われるように、木の葉が舞い落ちて、地面にびったりと張り付く、そんななか、秋の初めに実をつけだす風船蔓がいまだに青々としているのは、少し違和感を感じる。

風船蔓は、夏の終わりに小さな白い花をつけるが、その花より種の入った風船が面白くて栽培される草である。

細かく降りしきる雨をうけて、蔓に小さな水玉を作っては落とし、作っては落としの繰り返しを続ける。

花言葉は、「いつまでも貴方の傍に」と書いてあったが、蔓にたまる水玉を見ていると、こちらが花の傍から離れがたいものを感じてしまった。

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十二月に入って最初の仕事は、年賀状の用意と先日長野からもらってきた新米を精米してきた。

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2011年12月 1日 (木)

あと一枚

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田んぼの用水路をを覆いかぶさるようにして、野ぶどうが茂っていた。

その中に、青いから紫っぽい丸い実があちこちについている。

とても食べてみようとは思わない実であるが、なんとなく古代の人が喜んだ玉(ギョク)のように見えてきた。

玉は、ヒスイを丸くしてつくったものだが、ダイヤやエメラルドのように透明感を喜ぶヨーロッパの人に比べて、半透明、もしくは光を通さない奥深い青は東洋人により好まれたようだ。

そんな気持ちで見ていたら、なんだか高貴な玉のように見えてきたから不思議である。

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暦をパラッとめくれば、その下には後一枚残すだけになり、今日から気ぜわしい”

師走”となった。

そして、今日は戸籍上の誕生日である。

生まれたときのことは、言い伝えだけで知る良しもないことだが、自分が生まれた時は、まだ、太平洋戦争が始める前のことであり、気ぜわしいとは言え今から見るとのんびりとしていた時代であった。

その言い伝えでは、生まれてから何日か後に役場に行って、出生届けを出すとき、何日に生まれたか分からなくなり、12月1日といい加減に書いて来たとのこと、、、、、

帰ってから、実際より早く書いてしまったことに気がついたが、そのままにしておいたそうだ。

こんな話は、ほかにあって、知り合いの人は半年ほどちがっていると、自慢げに話していた。

そして、自分たちより一世代も前の話によると、夭逝した兄の戸籍をそのままに引き継いだと言う話もあり、今のように産婦人科の医者が何時何分まで細かく書くようになっては夢のような話であろう。

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