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2012年2月29日 (水)

仕分けた後は

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この辺りも麻機になるのだろうか。麻機遊水地を作るためにバイパスと巴川にはさまれた地域を昨年買い上げて、予備工事に入っている。

前に、この辺りで田んぼを作っていた人に聞いた話では、川の水位とあまり変わらない湿地だったそうだが、巴川の掘削と、田んぼになっているところにコンクリート廃材を入れてかさ上げして、現在の地盤が出来ている。とのことだった。

そのため、上に埋まっている廃材を仕分けする作業にかかっているが、ホッパーに入れた土砂を、ふるいに掛けて、コンベアで四方に大中小と仕分けている。

大きさごとに仕分けた廃材、この後どこでどう処理するのやら。

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この光景を見て、民主党が政権をとって昨年まで何回か事業仕分けをしていたのを思い出した。

蓮肪議員や枝野議員が、痛烈な言葉でお役所の担当者をとっちめていた。初めのうちは、これで、日本の官僚体制もすっかり変わるものと期待をし、注目し喝采を送っていたが、なんだか、回を重ねるごとにその期待はしぼんでいった。

果たしてこの仕分けで、どれだけ無駄が省けたのだろうか、どれだけ簡素化したのだろうかと。

公約の一つだった、八ッ場ダムも復活するようだし、天下りも一向に収まる気配は無いし、特殊法人、外郭団体も整理できないようだが、、、

そして、野田総理になって、枝野大臣はは原発復活に意欲をもやしかけて忙しいのだろうけど、お役御免になって閑になった蓮肪さんはいま何を考えているだろうか、、、あの美しい眉が般若のように顔の中心に集めているのか、脱力感やむなしさで眉尻を垂れさせているのか

結局は民主党がまるごと狡猾な官僚のとりこになって、何一つ出来なくなったむなしさだけが残っているように感じられるのだが、、、。

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2012年2月27日 (月)

うつらうつらのひと時は

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ひねもす春の海 ひねもす のたりのたりかな

っていう蕪村の有名な句があったが、静岡の大浜海岸は風もなくのどかに揺れていた。

012海岸べりの砂浜に腰を下ろしていると、つい眠気が襲ってくるが、時折、沖合いの貨物船からの波らしきものがひとしきり波除ブロックに当たって、しぶきを上げる音で単調なひと時が破られる。

遠く、伊豆半島がかすみ、淡い灰色で墨絵のように見え、左手には昨年国宝に指定された久能山東照宮のある位置が、日本平からの流れを少しさえぎるようにして眺めることが出来る。

国会を中心にして、日本は低迷期の雲の下にいるが、大浜海岸は子供や孫たちを連れてプールに来た十数年前に比べると、砂浜も大きく復活しており真上の太陽はさえぎる雲も無く穏やかに光と熱を降り注いでくれている。

夏休み中の暑い砂と熱気も良いが、今日のように人の気配も無く静かな午後のひと時を、うつらうつらで過ごすのは”極楽 ゴクラク”が口をついてくる。

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2012年2月26日 (日)

久しぶりのご馳走

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Img_0054約一ヶ月遅れの緋寒桜、重たげな花びらをたわわにつけて、枝を飾り始めている。

名前の通り、赤を通り越して緋色の一重の花を重たげに咲かせているさまは、これから咲くほかの桜に比べて、くどいようだが、このくらいのバイタリティが無いとまだ霜が降りるような気候の中ではやっていけないことなのか。

群れを成してやった来ていたメジロも久々のご馳走に、人目も構わず堪能してしている様子だった。

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今日は、四月十四日に開通が予定されている第二東名のインターを開放すると言うことなので、芝川の温泉に入りがてら清水インターを見てこようかと出かけてみた。

家を出てすぐに、流通通りが大渋滞を起こしていることに気が付いた。

なので、遠回りをしてバイパスに入り清水から山梨に向かう52号線に向かってみたが、52号線の起点からすでに渋滞が始まっており、抜け道を通ってみたが、52号線と合流するところからすでに車は動かない状態になり、目的地までとてもいけそうに無いと判断して、戻ってきた。

天神様の細道でも、”行きはよいよい 帰りは怖い、、”のだが、この道は行くときからして怖い道になってしまった。

自分たちは市の広報で、インター開放を知ったのだが全てがインター開放を見に行くわけではないにしても、野次馬がこんないるとは知らなかった。

それにしても、山梨やそちらのほうに行く用事のあった人は、大きな迷惑だっただろうと同情申しあげる。

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2012年2月25日 (土)

ちょっと臭いますか?

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明け方になって激しくなった雨も八時過ぎから幾分小止みになった。

三寒四温の兆しを早くも感じ取った紅梅もこの雨で、蘂の先にまで露を滴らせていたが、せっかくの蜜の味まで水っぽくしてしまわないようにと花びらをうつむかせている。

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本日は、トイレの交換をするため知り合いの水道屋さんが一日かかりっきりで仕事に入った。

トイレの交換については、今年に入って便がゆるくなっていたことから、便座だけでも交換しようと相談していたが、メーカーの展示場で思い切って最新式を購入することにしてきたものだった。

しかし、先週になって大腸内視鏡を入れることになって、もし、「癌」と宣言されたら、その治療費や、「末期症状です」と言われたらろくに使いもせずにあの世に行くのではもったいないなんて思い、設置を待ってもらっていた。

しかし、ポリープ二個で切除で気を良くし、当面三年は大丈夫と言うことで工事をしてもらうことにした。

築五十年にもなろうかというボロ屋に似つかわしくは無いが、一点豪華主義を売り物にこれからやっていこうと思う。

これまでに、いろんなトイレを使ってきたが、人間どこまで手抜きをしていくかを象徴するような便器で、そのピカピカ光るトイレを眺めた。

トイレ、日本ではこれを表す言葉が無数ある。

まず、川屋、側屋、厠、閑所、雪隠、青椿、思按所、洗所、便所、用達所、手洗、ご不浄、化粧室、東司、はばかりなど主なところでもこれくらいあり、後は隠語も含めれば数限りなくといった感じである。

これらの中で、自分が経験したユニークなものとしては、肥溜めの上に渡した二枚の板にまたがってするもの。鉱山の独身寮では谷の水を引いて流した下水に、列を作ってしゃがむ便所、もちろん仕切りは付いていたが一番下流に入ると目の下を次から次へと行列で流れていく、、、、

文字通り川のそばに建てた川屋。下で豚が待っている持浄屋などが、、、

書いているうちになんだか臭ってきそうなので今日はこの辺で、、、

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2012年2月24日 (金)

先端を切り取られても

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013麻機沼に立つこぶしの木。昨日今日と十五度を越す暖かさに誘われ、ニョキッという感じで花びらを突き出していた。

この花、かなり早くから、つぼみの外皮を脱ぎ捨てて一番乗りに花を咲かせようと狙っていたのだが、少し顔を出したところで霜に会い、先端だけ凍らせてしまった。

もう少し顔を覗かせていれば、花すべてが凍り付いて、せっかくの努力をふいにするところだったのだが、危うく難を逃れたようで、先ほど見るに花びらの先端を切り取ったような形で花びらを解こうとしているが、、、、、、

これで春が一気に来るとでも思っているのだろうか、、、、

一番乗りの醍醐味は味わったもので無ければ分からないが、それにしてもねぇ、、、、、、

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2012年2月23日 (木)

今日のいて座は最悪です

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春、ほかの花に先駆けて”まず咲く”と言う意味から万作と言う説もあるようだが、雪国ではいざしらず、静岡辺りでは「そう言われてもねぇ~」というくらい、特に早い花ではない。

ひらひらとした紐のような花びらは決してきれいとは言えない。ただ、名前が目出度いといったところか、、、、、、

この木は、粘り強くなかなか手では折って千切るということが出来ない木であり、飛騨では祭りの時など幟を台木に縛り付けるときや合掌造りの木組みの際にこの木をねじり、締め上げるのに使われてきたのだが、この伝統もいつまで守られていくことやら、、、、

この伝統細工が廃れれば、この木もただのじゃまっけになるに違いないだろう。

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昨夜、雨が降るころから未体験の作業に入った。

一週間前のこと、「じゃ、来週の木曜日に大腸の検査をしましょう」と言うことから始まって、先ずは、十時に二種類の薬をコップ二杯で飲み、今朝の七時から15分おきに下剤を溶かし込んだ水を二時間半掛けて2リットル飲んだ。

絶食の上、まずい水を毎回コップに一杯飲むのだが、1リットル飲んだころからようやく効果が出て、完全にきれいになったのは午後一時。

それまで、数知れずトイレに通い、大腸を掃除する。

そしてようやく、雨の上がった午後二時から腸の検査をするために、お尻から管を通された。

この検査を始める動機になったのは、一月以来、下痢とは言わないが便が柔らか気味であったことで、ひょっとしたら癌が原因ではなかろうかと言うことであった。

横になって検査を受けている目の前にテレビのモニターがあり、これが自分の腸内なのだと思ってはいるがなんだか他人事みたいに緊張感が無い。

言ったり来たり止まったりして三十分ほどようやく済んだのだが、結局はなんに分からず、済んでからの診断では「ポリープが二個あったので切除しましたが、いずれも良性と認められ、細胞の検査はしますが癌ではないでしょう」とのこと、、、、、

朝のテレビで、今日最悪の運勢の人は「いて座です」とか言われ、幸先の悪い雰囲気の中「癌」と言われるのを半分?覚悟していたが、、、これでまた旨い酒が飲めるぞっ、てとこ。

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2012年2月22日 (水)

山に来た 里に来た 野にも来た

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二日続きの暖かい日ざしを浴びて空気がもやって来て、とおく静岡市の中心部が霞みにつつまれている。

いよいよ三寒四温の始まりなのだろう。

春が来た 春が来た どこに来た

山に来た 里に来た 野にも来た     とばかりに

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2012年2月21日 (火)

急に春めいて満開

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先日までこの梅の花の後ろにあった松が主役だったが、今日は覆い隠されてしまった。

花札ではないが、一月の松から、二月の梅へと遅すぎた代替わりが完了。

025暖かい日差しの中気温はぐんぐんと上がり、三月下旬の陽気になり、今まで寒くて遅れていた分を取り返すかのように、梅を一気に開花させたようだ。

散歩の途中の家の庭の白梅、紅梅は八分咲きになり、ミツバチなどの昆虫も激しく飛び交っていた。

ただ、あまりの急激な変化に戸惑っているのか、ひとつの花にじっくりと掴まって蜜を吸うのではなく、文字通り花から花へと、、、ただ忙しく

まるで、新年のあいさつ回りをしているように見えてしまったのは、人間のさがかな

しかし、夕方になって、富士山の頂上には笠雲がかかり、明日は雨模様の一日になりそうな雰囲気を伝えている。

せっかく咲いた梅の花も、あすは訪れるものも無い一日になってしまうのかな?

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毎週月火の二日間だけテレビで放送している”孫氏”を欠かさず見ることにしている。

中国で製作され後二話終わるそうだが、史記で読んだ中国古代?の歴史をほとんどそのままなぞっているようで中国もずいぶんと変わったものだと言う印象をった。

今日までの三十九話は孫武を中心に展開し、斎の人孫武が呉王闔閭(コウリョ)の下、戦いを進めて連戦連勝し慢心した闔閶が戦いに敗れて亡くなった後、次の王夫差に仕えて死を賜るまでの物語である。

今日の三十九話は呉の王夫差が越の王勾践を会稽山に追い詰めたところまで来たが、孫子の兵法で有名な孫武、死者に鞭打つの伍子胥、范苓など知った名前がいくつも出てきて面白く見ている。

この後、”臥薪嘗胆”や”呉越同舟”など四字熟語で知られた話になるかと思うが後二話なのでどこまで行くのやら、、、

ただこの物語は、いまから2500年以上前のものであり、そのころの日本はまだ竪穴式の住居で弥生時代に差し掛かってきた時代であるころと思うと、、、、中国四千年の歴史は壮大である。

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2012年2月20日 (月)

ヨッ 見返り美人

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麻機を流れる巴川の川岸にはいくつかのカワセミが棲んでいて、小魚をめがけてダイビングしていくのを良く見かける。

しかし、野生の生物はひとつことに没頭していると、何時自分が襲われて危うい目に会うかも知れないので、周りを警戒しながらの餌獲りをしている。

今日も今日とて枯れた枝に一羽のカワセミが下を流れる川面を見つめていたが、後ろからその様子を伺っている自分に気が付いていて、タイミングが合わないのか連続して失敗をしていた。

向こうにしてみれば「チエッ うるさいな、どっかへ早く行ってよ」なんて思っているのだけれど、観客の自分にしては、大きな獲物をしとめた姿を見たさに動けない。

「ヨッ!見返り美人素敵だよっ」と大向こうから声を掛ける機会をうかがっているのだが、、、、千両役者は観客の声を無視している。

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ヨーロッパの中世、ハプスブルグ家のマクシミリアンと言う王様は、紋章のほかに「A E I O U」と書いたリボンを持って戦場などにでかけ、その様子を自分の柩にもかいているそうで、その意味をめぐっていろいろな説が飛び交っているそうだ。

マクシミリアンについては、神聖ローマ帝国の法王にもなった人物だから、それなりの伝記も残っているのだが、この暗号のような五文字が分からないと言うのはおかしい話である。

いっぽうで、中学のとき発声練習として、ピアノの伴奏入りで「ア~エ~イ~オ~ウ~」なんて変声期で出もしない声を張り上げさせられて、腹を立てたら通知表に②の評価を付けられたが、この順番は今になって考えれば、母音をアルファベット順に出していたことになる。

そこで思ったのは、アイウエオというのは何時出来たのだろうか、アカサタナ ハマヤラワの順はどう決まったのだろうかと言うことであった。

初めは、明治になってから出来たもので、それ以前は、いろはにほへと、、、なんて言っていたのかなと思った。

なにしろ、テレビで見る寺子屋の習字ではそうやっていたような気がしものだから、、、、

そこで、検索してみたら、以外や以外、どうも室町時代に確立していたそうで、人によっては奈良時代、仏教の梵語とともに入ってきたようなことが書いてあった。

”目から鱗”そんな昔からあるとは知らなかった。しかし、この順番は誰がどうして決めたのかはどこにも書かれていない。

謎がなぞを呼んで迷路にはまって行きそうだが、素人はこの先深入りすることは無理な相談。

いずれ誰かが解明してくれるまで待つことに、、、、、そんな時間は無いか

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2012年2月19日 (日)

硬いコートを脱ぎ捨てて

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今日は雨水、降る雪も雨に変わるころで、さしもの冬将軍も一歩引き下がる時期だというがそれを確かめたくて麻機の一方のどん詰まりである南沼上霊園まで歩いてみた。

風もなく穏やかな日差しではあったが、空気は深沈として冷たい。

別に知っている人の墓があるわけでもなく、調子に乗ってただ歩いただけで帰ってきたのだが、一時間半で約10kmほど歩いたことになり、いつものことだが家の近くまで帰ってくると疲れが出た。

この疲れ感は不思議なもので、距離の長い短いでなく、家まであとわずかというころになるとでてくるものである。

通りすがら見る風景は、枯れた草木ばかり、芭蕉が「旅に病んで 夢は荒れ野を駆け巡る」と詠んだ光景そっくりな状態。

そんななか、ようやく見つけた春の兆しが上の写真。

川やなぎの花が硬いコートを脱ぎ捨て、ベルベットのように柔らかですべすべとした穂(ねこねこおんぼ)を出していた。

昨年の写真にくれべて見ると、これも三週間くらい遅れているようだ。

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昨日テレビを見ていたら、政府が一般の人を対象に対話集会を開いているそうだ。

テレビのわずかな画面でしか分からないが、安住大臣が15人の市民と言われる人といすに腰掛けて、消費税を上げなければならない訳を話していたが、これってなんだろうと思った。

どんな基準で、15人が選ばれて座っているのだろう。原発のやらせと一緒でシンパの人だけを集めて、形式的に「やりました」と言う実績作りなのだろうか。

いやしくも、国民に負担を求めるときにはもっと一般の大衆を集めて、意義を説得しなければならないのではないだろうか。

岡田大臣の集会に集めた人の200人が最高だと聞くと、この国のというか、民主党の言うか分からないが、国民軽視もここに極まれり、、、、

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もうひとつのニュースに去るやんごとなき人の手術経過を克明に報道していたが、最近インターネットを検索してみても、水島製油所でのトンネル事故が一言も載っていない。

どうも二人目の遺体が揚がってから作業が進んでいないのではないのだろうか。

どんな状況なのか、報道はパタッと止まってしまった。もうあの現場には報道陣はだれもおらず、家族のものだけが呆然とたたずんでいるのが目に浮かんでしまう。

行方不明者の家族の心境はどうなのかと思うと胸が痛む。「人の命に重い軽いはない」なんて言葉はたわごとなんだろうね。

東北の震災で、いまだに行方不明になっている人の場所は難しいが、トンネル事故の被災者は目と鼻の先に確実にいることがわかっている。

いずれにしろ、報道と言うものの足の速さにはあきれてしまう。

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2012年2月17日 (金)

花より団子とばかり

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毎年一月下旬に梅の花を見に行く富士の岩本山公園に出かけてみた。

002家を出るときには、湯腰を巻きつけたように裾のほうに雲を漂わせていた富士山だったが、清水から由比 蒲原と近づくにしたがって、湯腰が高くなり、チマチョゴリと雲の位置は次第に高くなり、目的地に着いたときには、完全に姿を消してしまった。

公園に入ってすぐの場所では、梅祭りとかで屋台のテントが10個ほど並び、駐車場も午前十一時前だったが、八割方埋まっていた。

そこで、この歳になっても”花より団子”とばかり、串を打った焼肉二本を注文、温まるのを待っている間に、開花状況を尋ねると、「おぼこい娘同様、まんだ口開けが出来ていないのが多い」「今日はぬくといけんど、昨日は寒くてね。午前中入るのがやっとこだよ、、、店しまって帰った」「熱海の梅も遅いらしいからね」と矢継ぎ早に話しながら、串肉に塩コショウを振りかける。

お返しにこちらも「梅は咲いていないらしいけど、おばさんが咲いているから、いいとしなきゃね」など、、、

どうも、この調子じゃほとんど望み無いらしいな、、などと肉をほうばりながら、ゆっくりと散策路を登る。

咲いていたのは、ごくわずか、昨年より三週間は遅いのに、そのときよりまだ遅い。

途中で話しかけてきた、女性も、一本の木を指差して、”十日前に来たときと同じくらいにしか膨らんでいない」という。

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2012年2月16日 (木)

口笛を吹くように鷽(噓?)

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異常な寒波のため、散歩道にしている野山に花がなくなっている。

今日も久しぶりに見かけたウソを一枚。

この鳥の名を漢字で書くと”鷽”となる。旧字の学にも似ていたり、鶯(うぐいす)にも似ているが、どうも小さな声”ホウホウ”と口笛を吹くような優しい声で鳴くところから表した名前だと言う。

古いむかしに、口笛のことをウソといったという記述がある)

赤い喉首と、黒い帽子をハンサムに着こなして、枝から枝へと移り歩いているが、故郷では桜の蕾が緩みかけたころ大量に来て食べつくしそうなほど荒らしてしまうので、春告げ鳥の一面もあるがあまり好かれていなかった。

また、人に対する警戒心もあまり無いようで、鳥もちを持った子供の格好な遊び相手で、鳥かごに何羽も入れて帰ったものだった。

その鳥も、こちらでは、、最近といったほうがよいのか、めったに見る機会が無く数を減らしているように見えるのは、、、、われわれのせい?

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鳥の鷽と噓が同音であることから、天満宮では、前年についた噓や曲事などを拭い去ってもらうため、鷽をかたどった木彫りの細工に背負わせて毎年交換する行事があり、鷽替え神事という。

鷽には迷惑な話であろうが、もし、そんなことが本当に出来るなら利用したい人はわんさといる。

特に選挙のときの公約を、鷽に託して、、、綺麗さっぱりと、、、

中世のヨーロッパで宗教革命の元になった免罪符と同じようだが、日本の場合それほど真剣に考えず、茶化していたことに先人の知恵を感じる。

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2012年2月15日 (水)

白と黒のコンビ

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子供病院北側の麻機沼に今年住みついた小白鳥に今日も出会った。

この鳥は、夜どこまで出歩いているのかは知らないが、日中はほとんどこの区域で過ごしているので、行けば大抵見ることが出来る。

004今日も今日とて、のんびりと葦の枯れ原で水中に首を突っ込んでなんだか餌探しの様子であるが、その傍に一羽のバンがくっついて離れようとしない。

ただ、小白鳥のほうは迷惑なので、追っ払いたいようだが、バンのほうは小白鳥が水に首を突っ込むたびに傍に近寄ってくる。

その行動から見ると雑食性のバンは、小白鳥が水面下の葦の根元をかき回したとき出てくる水生昆虫などのおこぼれを狙っているのであろう。

しかし、遠目には白い白鳥の周りをうろうろする黒い鳥との釣り合いがいろいろなものを想像させてくれて面白い。

たとえば、白い衣装の騎士に黒い衣装の小者が世話を焼いている。とか、善の心と悪の心の葛藤だとか、、、、

とにかく白と黒は絶妙な距離を持ったコンビに見えた。

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白と黒のコンビと言えばオセロ。朝からワイドショーは”オセロの中島何とか”で盛り上がっている。

占い師に洗脳されて、訳が分からなくなっているとか、、

そういえば、オームのときもそんな話があったっけ、、、あちこちにやたらと白い幕を張ってさまよった団体もあったっけ、、。

周りから見れば荒唐無稽な話を聞かされて、信じ込む人のなんと多いことか。

赤いトマトで痩せられると聞くと、スーパーにならび、ヨーグルトが流感によい、罹らなくなるといっては買い物に群がっているが、、、、、

紅茶きのこはどうだったの、バナナダイエットはどうだったの

何もかも不安で、自信が無く、人の話を鵜呑みする。

世間が正論だ、美談だ、優しそうだ。というとき疑ってかかる気持ちが無くてはいつも被害者の立場から抜け出せないものだが、、、、

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2012年2月14日 (火)

あぶくと消えて

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朝、塵だしに外に出てみると、空気がしっとりとしていることに気が付いた。

「久しぶりだね、こんな感じはこれで流感も納まればいいんだけど、、、」そう思っていた矢先から雨が降り出し、一日中続いている。

結構激しく降りだした雨は、小さな水溜りに無数のあぶくを作る。

少し風にあおられて動いたあと、音も無くはじけては生まれ、まるで人や社会の移り変わりのように消え去っていく。

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今日の夕方のニュースを聞いて驚いた。

日銀が、物価を前年比1%上げを目指していく、と表明したとのことだった。

物価が上がれば企業の収益があがり、収益が上がれば賃金が上がって経済が上向くと言う理由からだった。と、テレビのアナウンサーが説明した。

それを聞いて、おもわず「風が吹けば桶屋が儲かる」の平成版を持ち出さなければならないところまで落ちぶれてしまったかと思ってしまった。

第一にどうやって物価を上げるのか。資本主義国家の日本でどうやって物価を統制できるのだろうか。一部企業で物価を上げれば、必ず安売りする業者でてくるのは間違いないし、それでなくても海外から安い品物が入ってくる。

さらに、この先消費税が上がり、物価が上がるとすると、一般国民の懐は痩せ細って、必要以上にものを買うことをやめる。とすると、外食産業、レジャー、観光地を含む旅行業などにしわ寄せが来るとともに、社会に明るさがなくなる。

そして、一番の決め手は、政府を初め官僚や経済界の「お偉いさんの話には信用できない。」と言う風潮が蔓延していることであろう。

また、企業が儲かったとしても、それを従業員に配分するとは考えられない。やっと三年ほど前、いまの円高が始まる前まで企業は大儲けをしていたが、そのときは内部留保として懐に溜め込むばかりで賃上げには一切応じなかったではないか。

戦後の復興には、労働組合が強かったこともあるが、企業は所得を分配し所得倍増論からバブルまで来た。

しかし、バブル以降は会社の経営陣は自分のところさえよければ、とか、法に触れても見つからなければと言う風潮に変わってきて、「法人税が高い」「エコ家電に補助金をだせ」など好き放題なことを言い、儲かった金で海外へ工場を移転した。

海外に工場を移転するのは、経済上やむをえないとしても、そこからの収益や、就業人口の減は政府にまかせっきりと言うのは自分勝手に過ぎないか。

エコエコと騒ぎ立てて、家電業界、自動車産業などは潤ったはずだが、農業のように補助金を国から受け取るようになると、その産業は駄目になるという定説がまたしても証明されたような気がしてならない。

どうか、この先日本人が明るい未来を夢見ることが出来るような、構想が出てこないものだろうか。

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2012年2月13日 (月)

より から 考

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”真富士の里”の駐車場脇でカケスを見た。

中学生のときこの鳥を飼っていたことがあるのでつい懐かしいと言うような気持ちでその行動を見入ってしまった。

カケスのほうも見られていることを承知のうえで、落ち葉の中をあれこれと丹念につついては歩き回っていたが、目当てのどんぐりを見つけて飛び去った。

その後を、足でかき混ぜてみたが、ほかのどんぐりは出てこなかったので、闇雲に探し回って見つけたものか、去年のうちに隠しておいた保存食だったのかは分からないが、この鳥なら隠しておいた可能性は充分にあると思う。

飛騨では、この鳥を指してカセッパとかカシッパとか言う。その地声は「ガーシー ガーシ」と言う調子で、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、その鳴き声から名づけた名前なのではなかろうかと今でも思っている。。

この鳥は鳩より一回り小さくて、ヒヨドリくらいの大きさで、雛のうちに山から獲って来て餌付けすると、(今では鳥獣保護の観点から出来ないことだが、、人の言葉や鶏の鳴きまねをするようになった。

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今日の夕刊を見ていたら、「、、四月からより厳しく、、」という見出しを見て、初めての会社の入社教育を思い出した。

この会社の入社教育で今でも覚えているのは、電話の応対と「より、から」の使い方で、とくに「より から」は今でも気になる言葉の一つである。

この会社の文章は、「より」は比較するときに使い「から」は経過を意味するときに使うと言うことだった。

「より」と言う言葉は、AよりBのほうが遠い」という比較の意味で使うもので、天気予報で「北よりの風がふきます」と言う場合は「北からの風が吹きます」でないと意味が通じにくいという。

北よりと言うのは北に寄っていると言う意味もあり混同する。また、大阪より東京と言う場合も「大阪から東京に行きます」と言うのが明確な言葉であると言う。

立て看板に「二月十三日より」とあればなんとなく察することが出来るが、明確に言えば二月十三日から、と言うのが本当ではなかろうか。

しかし、「より」と言う言葉方が最近は多用される傾向が多くなってきているが、この原因はなぜなのだろうか。周りの人に聞いても分からないと言う。しかし、どうも「より」といったほうが上品と捉えることが多いそうで、明確な言葉を嫌う最近の傾向と合致しているのかもしれない。

新聞記事も意識して書いたのかも知れないが、「四月よりより厳しく、、」では、よりより難しくなってしまう、、、

三つ子の魂では無いが、十代の青年の脳みそにこの言葉はストン!と落ち着き、以後はこういう言葉遣いが出来ない人を、、、、見てしまう傾向にある。

箸の使い方を含めて、小さなひっかりだけど、こんな目で見ている人もいるんだよ。

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2012年2月12日 (日)

いっせいに微笑む

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八重咲水仙が大きな群落を作っていた。

002これだけ集まると、一本一本はかすかかもしれないがかなり強い香りが一帯に漂っている。

向日葵よろしく、太陽に向かって一斉に花開いているさまは、まるで自分に向かって微笑んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。

若いころ、自分の後ろにいる人に手を振っていた見知らぬ女性を見て、おかしいとは重いながらもこちらも思わず手を上げてしまった恥ずかしい経験があるが、勘違いを意識的にする場合は恥ずかしいともなんとも思わない。

八重咲水仙は、人工的に作り出したものでは無いそうで、山野に自生しているところもあるという。

八重咲きの花言葉は「田園の幸福」と言うそうだが、咲いている場所が田園と言うにはずい分違った場所であった。

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時々出かけるバイパス上の農地へ行ってみると珍しく孫連れの夫婦が来ていて、賑わっていた。

この畑は、安東に住まいする人が耕しているのだが、気のいい人柄で階段を六~七十段も上がったところにありながら、話だけをするために登ってくる人がかなりいて、自分もそのうちの一人である。

また、この畑のもうひとつよいところは、日当たりがよく、西風が吹き込まないため、今の時期、日向ぼっこにもってこいの場所でもある。

今日も今日とて、傍らに立つ八朔の木から、実をもぎ取り食べながら四方山話。

そのうちのひとつ、「人間は生まれて二~三年の間に、汗の出る穴が決まるそうで、寒い地方の子供は汗をかく機会が少ないので小さく、暖かい地方では汗腺が大きくなるんだって、、よっ」と言うことから始まった。

「ふ~ん それで、雪の降る地方は新潟美人だの秋田小町だの東北美人といって色白の肌のきめが細かい美人が多いのかな?」

「静岡は暖かいからなぁ 不幸だね」「うん、何でも富士山の神様が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)っていうそうで、美人に生まれるとやきもちを焼かれて長生きできないんだって、、、」「けんど、ミスユニバースかなんかで優勝した人もいるんだぜ、、、」

「あの人はスタイルがいいけんど、、、美人?肌がきれい?」

「あの人の母さんが麻機沼の周りを散歩しているけんど、見たことがある?」「見たかどうかわかんない、知らないひとだもの」

「親のスタイルもいい人だから、ダンスをしたいって申し込んだらどう?そのでっかい腹も引っ込むと思うよ」

そんなこんなで、昼飯解散をするまで話は続く

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2012年2月11日 (土)

少し不安そうに

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緋連雀(ヒレンジャク)が一羽、真上の電線に止まっているのを見つけた。

大きさはツグミよりは少し大きいかどうかといったところ、羽根に特徴のある派手ないでたちで、乙に澄ましているが周囲に仲間もいないし、なんだか不安そうである。

冬になって日本に渡ってくる鳥であるが、群れになって飛んでいるのを時たま見るので、一羽と言うのは迷い鳥なのだろうか。

前に聞いた話では、シベリヤなど北方大陸で餌が多い年は渡りが少ないそうで、その年によって多い少ないの差が大きいそうだ。

この冬は、はじめて見るので少ないのかもしれないが、となると、極寒のあちらではこの寒さをどうしのいでいるか、、、、ダウン(羽毛)のコートはよほどの上等品と見た。

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アメリカ軍の再編見直しで日米政府が協議し、沖縄にいる米遇軍の一部をグアムやオーストラリア、岩国基地などに分散したいそうで、これは普天間基地の移転とは切り離して行うと共同声明を発表した。

米軍の再編配置については、新興の中国脅威論が元になりアメリカ軍の都合であるが、いつものように新聞を見ると、アメリカの言い分を聞く外交に変化は無い。

そして、移転費用などは日本がかなりの額を要求し、日本は沖縄にあるほかの基地を返還するよう要請したとある。

この二国間交渉ではいつも、要求と要請がつきまとう。

翻訳の仕方でこうなっているのではないと思うが、この文字の解釈ではアメリカは何時までも日本を属国と思っているのだろうか。

なぜ日本は何時までもへりくだっていなければならないのだろうか。

まえに、イスラエルがパレスチナの土地に入植地と言うものを拡大させ、アメリカが止めようとしたが駄目だった際、オバマ大統領は「何でも言い合える対等の立ち場なので、、、」と言葉を濁したことがあるが、日本は一度だってアメリカにたてついたことは先の敗戦以来一度も無い。

今回の発表には外務大臣と防衛大臣が行っているが、史上最低に防衛大臣はどんな観点で交渉したのか、議事録があれば見てみたい気がする。

まさか、震災の後の会議のように取っていませんでしたということは無いはずだから、、、

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2012年2月10日 (金)

花もだけどミツバチも健気

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今年は全般的に春が遅れている。

いつもなら、菜の花ももっと咲いているはずだが、、、、、、ところどころに黄色く咲いているだけ。

その花も、連日の冷え込みから、花びらが霜にやられたようで、いじけたような格好で咲くしかない。

そして、そんな花に一匹のミツバチが少し鈍く見える動作で蜜集めをするために掴まっていた。

どこから来たのだろうか、こんな時期には巣箱の中でじっとしているのが常のはずだが、巣箱の蜜が底をついたのだろうか。

巣箱まで花粉の匂いが届いて、我慢しきれずに出て来たのだろうか。

花を咲かせた野菜も健気なら、飛んでいたミツバチも健気なもんだ。

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この頂上に”いほはらの君”は眠る
今日は清水の河岸の市まで魚を買いに行ったついでに、前から行って見たいと思っていた三池平古墳を見に行った。

006三池平古墳は、古墳時代前期に建造された、いおはら(庵原)の君の墓であるが、詳しいことはまだ分かっていないようだ。

庵原といえば、今では清水の北側を表す言葉になっているが、この古墳が作られたころは、大井川から清水に至る広範囲を治める大王だったようで、朝鮮半島で当時高句麗、新羅、百済と分かれて争っていたころ、日本(倭国)は大化の改新で有名な中大兄皇子が百済に加担して戦ったが、そのとき、いおはらの君は万余の軍勢を引き連れて戦いに加わったとある。

当時これだけの軍勢と、朝鮮半島に渡る船を作れたと言うのは、よほど有力な大王だったに違いない。

その、大王の一人の墓であるが、芝を植えられてきれいに整備された前方後円墳は、やっと先日作られたかのように端然として座している。といった表現が合っていると思う。

もともとは、この小さな丘はみかん山だったそうだが、発掘調査の結果前方後円墳と言うことがわかって、保存されたものと聞いている。

しかし、これだけ綺麗な古墳は見たこともなく、教科書どおりといってよい。

円頂部は、柵で囲われ、墳墓を覆う石が見えていて、多分埴輪や供物を備えたであろう平らな場所からは、いまは清水の港にっている白砂青松が一望に出来たことは難くない。

これだけの場所でありながら、我々のほか誰も見に来ている人がおらず、ただ風が音を立てて吹き渡るだけ、当時の大王もしばらくぶりに目覚めたのかもしれないが、参る人も無く無聊を囲っているだろう。

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2012年2月 9日 (木)

突風は轟々と吹きすさぶ

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杉の木立を轟々と後を立てて突き荒ぶ強い風が吹き抜けていく。

西高東低冬型の気圧配置がもたらす西風である。

竜爪山から発して浅間神社に至る長い尾根を賎機(シズハタ)丘陵と言うが、その尾根道と近くに作られた麻機農道を今日も散歩した。

小さく上下しながらも北に向かって次第にせりあがる尾根筋の少しくぼんだ峠のような地点が風の通り道となり、かなりの風速が出ているのだろう。

その場所を過ぎて、山陰に入れば一転して穏やかな日差しに戻り、足元のタンポポは日の光を跳ね返して、きらきらのまぶしく見える。

上空、雲ひとつない空をジェット機が一機風に逆らうように西に向かうが、音は風に吹き消されて地上まで届かない。

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2012年2月 8日 (水)

花見ならぬ鼻で嗅ぐ

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014今日は医療費控除の袋をもらうため税務署まで散歩がてらに行ってきた。

往路は三十五分、帰りは駿府公園で梅の花見をして一時間余、合わせて一万三千歩ほどになる。

駿府公園では中央に白梅が、東側34連隊記念碑の近くで紅白の梅が咲いていた。しかし、例年に比べて開花はかなり遅れているのは、この公園も同様なようで、まだ本格的ではないし、早咲きの小室桜もまだ蕾が緩みかけたところであった。

ともあれ、梅もこのくらいになるとほのかな香りも漂い、しばし、花見ならぬ鼻嗅ぎをして、最近乾燥でつまり気味の鼻の通りを良くしてきた。

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今日のテレビのワイドショーから二つ。

ひとつは、倉敷市水島のトンネル事故。鉱山の坑内で働いたほか静岡に来ても何度かトンネル内に入って仕事をした経験からこういう事故にはつい夢中になってみてしまう。

トンネル工事で自分たちが仕事していたころは、映画「黒部の太陽」とほぼ同じ方法で、削岩機で岩に穴を開け火薬をつめ発破をかけて先に進むと言うやり方だったが、最近では特殊な場合を除いて行われなくなった。

変わってトンネルボーリングマシーンと言う大型機械で全断面掘削と言う方法になった。

その方法で怪我などの事故も少なくなり、掘削スピードも早くなった。機械がトンネルを掘る。その分経験とか感というものは幾分ないがしろになってきたのではなかっただろうか。

また、静岡に来てゼネコンや土建業者の下請けに入って思ったのは、なんと彼らの威張りかえって尊大な態度をとる社員の多かったことか。あきれ返った現場も一つや二つではない。

それを見ているだけに、今回の鹿島建設の所長以下の記者会見がお芝居に見えて仕様がなかった。

実際この事故で、現場には鹿島の社員が一人もいなかったことや、モニターテレビさえ誰も見ていなかったことが明らかになっている。

それが、会見の場で「作業者は仲間でした」といって号泣して見せたのは、自分から見れば同情心を買う責任逃れにしか見えなかった。

この結論は、もう少し時間がたてば、さらに明らかになるだろうけど、、、すべてではない、原発同様隠せるだけ隠した残りであろう。

もうひとつは、岩手県で起こった屋根雪の落下による生き埋めで小学生がなくなった事故。

久しぶりに帰ってきた孫たちがおじいさんが少し目を離した隙に起きたという。

多分、おじいさんにしてみれば、悔やんでも悔やみきれぬ事故で、その心情には自分らでははかりきれぬものがある。

しかし、不思議なのは、岩手県と言えば冬になれば雪が積もるところだろうし、屋根雪もそのままにしておけば落下するのは分かりきっていることと思うのだが、、、、

どうも、テレビで見ている限りでは、屋根に雪止めがなかったように見えたことである。

自分らの住んでいた飛騨市では、降り積もる雪の重みをかんがえて、合掌造りのように急傾斜の屋根にしたところもあるが、圧倒的にトタン屋根の家が多かった。

明治大正のころまではくれ板葺きといって、栗や楢の木を薄く割って屋根に敷き、その上に細い丸太や板で押さえ、その上に川原から石を拾ってきて乗せていた。

この石や、丸太が屋根雪を滑らせない工夫であり、現在はトタン屋根の上に、鉄のL字型アングルを2~3本平行に並べて雪止めにしている。

そんな工夫は雪の降る土地では当たり前と思っていたのが誤りだったのだろうか。

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2012年2月 7日 (火)

陽春? 18度にも

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むかしから「寒の中休み」と言う言葉があって、寒中にときどき南風が吹いてきて気温が上がる現象があった。

ふるさとの飛騨でも、雪が降り続いているときに「寒の中休み」に、突然雨が降り、その後降った雪が表層雪崩を起こすのを見た。

今日の天気もそんな感じの雨である。

立春も過ぎたのだから寒ではないが、低気圧から吹き込む暖気とも言うべき風で、雨が降っているにもかかわらず気温は16度にもなり、午後になって一時的に日差しが回復すると18度まで上がり、春を感じさせるよう気象になってしまった。

これが続くようなら、三寒四温の始まりなのだが、天気予報はまた寒くなると言うから、、、、、、、、、暖かさもまたしばらく御預けと言うことになるのだろう。

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2012年2月 6日 (月)

孫の成人に

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終日暗い空から雨が降り続いている。

軒下から落ちる大きな雨粒を見ていると”氷雨”かなと言う気がしないでもない。

そんな雨に打たれて、庭の鉢植えに咲いた一輪の椿の花。

昨日までは、幾分空を仰ぎ見ていたが、雨のしずくが重かったのか、雄しべ雌しべに雨をかけさせまいとしてか、うつむき加減になっている。

小枝を地面に刺して三年、ようやく三十センチばかりに育って咲かせた一輪の花。まさに虎の子と言った感じの咲かせかたである。

もう少し我慢のときと思うが、花を開かせてもう三っ日、あきらめれば何時落ちても不思議ないほど、花びらは傷ついている。

芭蕉の句に  落ちざまに 水こぼしけり 花つばき

と、いうのがあるが、何時この雫ととも落ちるやら

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012「じいじ 遅くなってごめん」と言いながら一番上の孫が成人式の写真を持ってきた。

「ふ~ん 今では男の子もこういうことをするのかね」って言わずもがなの言葉をはきならが見入った。

「大人っぽくなったでしょう」と自慢げにいう。「うーん たしかにね」男と言うものはこんなとき、素直に喜びの声で祝ってやれない。   不便なものだ。

そして、その挙句が、またしても、、、、、、

お前さんが、こうしていられるのは親のおかげだが、じいじの親、つまり、曾じいちゃんが中国で戦争していたとき、背中に鉄砲の弾が当たって帰ってきたのだけど、そのとき死んでいたらじいじは生まれいなかったし、じいじも若いとき大怪我をして出血多量で死にそうになったときがあったけれど、そのとき助かったからお前の母さんが生まれた。

つまり偶然が重なっていまがあるんだ。

やっと四代でこれだけあり、さらにその昔になると江戸時代何回もあった飢饉をしのいできた先祖がいたから、、、、、、

つまり恵まれた人たちの子孫なんだから、それを誇りにして、、、、なんて余計な説教になってしまった。

しかし、この子の将来はどうなるんだろう。

いまの政府の試算によると重税にあえぐ暗い未来なのではなかろうか。

どうぞ、自分たちが成人式に持っていた「未来はいまより明るく安定した社会になる」と言うような希望が与えられないものだろうか。

わが孫をやっとこの間まで、、、、と思いながら

 

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2012年2月 4日 (土)

小さな花芽にがっかり

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「立春大吉」 先日、故郷の寺から送られてきたお札を玄関の入り札板に貼って春を祝った。

昨日に比べれば格段に暖かい一日とはいえ、今年の寒さは例年にないくらい厳しいようで、春の訪れは半月以上は遅いそうだ。

麻機を飛び回っている小鳥のひとつ、エナガの集団も小さな声でチチチッと啼き交わしながら柳の木の枝を渡り歩いているが、いつもなら芽吹きかけた柳の花穂に集まる虫もいなくて、硬く蕾んだままの花芽にはがっかりした様子で足早やに通り過ぎていく。

春はまだ名のみ、、、、、、

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沖縄防衛局長の選挙にからんだ発言で、更迭と予想されていたのが一転処分保留となったことに、今日のワイドショーは大騒ぎをしていた。

多分政府は、前回の局長更迭と大臣の問責決議案の二の舞になるとして、結論を先送りしたに違いない。

それにしても、今回の防衛大臣もお粗末極まりない人を選んだものだ、、、、野田総理に見る目がなかったのか、誰かの圧力に屈して任命だのか、、、、

まるで野党に揚げ足を取ってくれと言わんばかりの人を選んだものだ。田中角栄(昔)首相の娘婿と言うだけで当選してきただけの人のようだが、こんな人が誰のメガネにかなってお婿さんになり、国会議員になり、大臣になったのか(角栄さん?真紀子女史?新潟県民?)

これまた不思議、、、、

また、防衛局長を追及する自民党の体たらく、多分自民公明の候補を推薦した人物を後ろから鉄砲で撃つようなことが出来ないと思ったのか、自民公明が与党だったころからの慣例を探られたくなかったからに違いない。

そのことを、大きな声で言うことでダメージを払拭させたい民主党、結局はうやむやにしてしまうか政局の材料にしようとする魂胆が見え透いている。

しかし、防衛省職員という国家公務員が政治に首を突っ込んで罰せられない慣例をつくると、軍部が次第にのさばってきた昭和初期を再現しかねない。

この際、国家公務員の職務規定を厳格にし、違反者や怠けたもの本人の罰則をしないといけないときであろう。

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2012年2月 3日 (金)

小さな声で「福は内」

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今日もまた格別に冷え込んだようで、テレビは日本中が氷点下を記録し、冷蔵庫に入ってしまった。と報じていた。

いつもの散歩道、麻機沼も前面とは言わないまでもほとんどが結氷し、マガモの仲間が乗っかっても割れないようで、氷の上でなれないスケーテイングをしていた。

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静岡県では熱海の梅園が今年は遅れに送れて、まだ、二~三分咲きでいつもより一ヶ月遅れくらいだと言うが、暦は待ってくれず節分になり、あちこちで「福は内 鬼は外」の声も聞こえてくる。

そんななか、すっかり臨済寺のリピーターになってしまった自分は今年もここへ行ってきた。

いつもどおり、午後三時から本堂に300人ほどの善男善女?が集まり、荘厳なお経の中、六匹?の鬼とともに節分を祝う。

自分は、同じ禅宗でも曹洞宗なので、国家鎮護を願う臨斉宗とはちょっと違うが、八百万の神仏を信心する日本人の常として、あまりこだわっていない。

一時間余のお経と豆まきの後、お札と箸一膳、味噌をいただいて帰路に着く

山門まで降りてきた鬼は、まだ少し怖さが残る小学生と戯れたり、カメラマンの注文に応じてポーズをとったり、、、、、

日も翳って、肌寒い空気が流れているが、心はあったかい気持ちで帰り、家の中で、お下がりの袋入りの豆を各部屋にそっと置いてくる。

ちいさな声で「福は内 福は内」と、、、、、、

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2012年2月 2日 (木)

事無草

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真上の空には、雲ひとつないといいほどの青空が広がっているが、周りの山々は雪雲らしい低い雲がかかっており、静岡県西部では平地でも白くなる程度の雪が降ったそうだ。

その浜松に負けまい、とするかのように静岡の気象台も「雪が降った」と発表したが、その時刻散歩に出ていた自分には雪どころか風花さえ見ることがなかった。

しかし、風は昨日に引き続いて冷たく乾燥しており、欅の木にしがみついているノキシノブを揺らしていた。

湿気の少ないこの時期、なかば枯れたかのようにして休眠しているのもあるが、こういう条件化で耐えて生き続けるところから、”軒忍”という優雅な名前が付けらたそうだ。

羊歯の仲間だけ有って花は咲かせず、胞子を細い葉っぱの裏側に蓄えて時期を見計らっている。

ノキシノブ、別名を事無草というそうだが、その意味が分かる年頃になってきた。

よく老人が「今日も一日何事も起きませんように、、」と仏壇に向かって手を合わせている。

何事も起きませんように、と言う意味は、歳をとると至るところに危険が待ち構えていると聞いた、、、。

玄関に始まって階段、風呂、餅、、若いときに気にしなかったことが危なくなり、さらに数え上げればきりがない。

だれしも、最後のときまでピンピンコロリと生きたい願いを持っている。しかし、前途に何が待ち構えているか分からない、ならば、今日一日が、、、今日一日も無事でありますように祈るしかない。

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2012年2月 1日 (水)

尖塔に見えるメタセコイア

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午後になって急に雲が厚くなったと思ったら、強い風が吹きだした。

気温は、割合と高めなので雪にはならないまでも雨でも降り出すかと気になっていたが、そのままで夜になった。

電線がビュービューと吠え出し、何かが右に左に転がっているらしく、ガラガラってあっちに行ったりこっちに来たり、こんなときは家の中にこもって過ごすのが一番 一番。

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午前中、散歩に行った城北公園のメタセコイア並木。

秋になって葉を落として今は枯木立となって散策路両側に20本ほど立っている(数えたことがないのでいい加減だが、、、)

曇った空を背景に、その尖った先端はなんとなくキリスト教会の尖塔を思わせるものがある。

おりから雲を通した薄日がその雰囲気をいや増していて、なんとなくありがたく見えたから不思議だ。

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