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2012年3月31日 (土)

翡翠蔓 ジエイドバイン

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先日、下田からの帰りに立ち寄った熱川バナナワニ園で見た翡翠蔓。もともとの名前はJADE VINEというそうだから、珍しく直訳の名前の植物であった。

静岡に来て三十有余年、仕事で何度も熱川に行ったことはあるが、一度も入園したことがなかった場所であったが、その規模の大きさには外から見ただけでは分からない場所もあって驚いた。

最も一緒した夫婦も三十年ほど前に前に来たときには、大きな穴の中にワニがごろごろしていただけと言っていたから、長年営業を続けるにはそれなりの進化が必要なのだろう。

とにかく、所変われば品変わるのたとえ通り、その光沢には人工的な感じさえするほどすっきりとした色合いである。

また、この植物はフィリッピン原産だそうだが、かの地でも開発が進み、絶滅危惧種になっているそうで、下手をすると日本の浮世絵のように海外に流出したものしかない。と言う状態になりかねない。

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”春一番”と言うのは、立春から春分の間に吹く強い南風で、低気圧が日本海を通るときに発生するという。

強い雨風で明けた今日の天気は、春一番がなかった今年にしてはよく似た荒れ方であった。

今年は桜の開花も遅れているようだし、、、、、

ただ幸いなことには、開花が遅れている分、花散らしの風にはならなくて済んだ。

そんな雨風の中することがなかったので、傘をさして床屋へ行ってきたが、路線バスの中で買った500円の傘は強い風のため布地の部分がへこみ傘の骨がしなり、、、、いつ壊れるかと心配しながらの行き帰りになってしまった。

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2012年3月30日 (金)

陽光を跳ねかえして

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034ムラサキシジミを久しぶりに見かけた。

濃い青紫の羽根を飛ぶたびにチラチラッと見せるのだが、とまるたびに羽根をたたんで青木の花の蜜を吸っているので、裏がわの茶色く地味な部分しか見えない。

蝶の羽根は、広げた状態で背中側から見える部分を表側とし、下側を裏としているためこういう表現になってしまう。

紋白蝶やアゲハチョウの場合は、閉じても広げてもそんなに変わりない羽根の色であるが、中にはこの蝶のように裏表ぜんぜん違う色合いのもいる。

江戸時代、幕府の贅沢禁止令で派手な色合いの着物や羽織を切ることが出来なくなった大商人たちは、裏地に金をかけ、これを”粋”だといったが、さしづめこの蝶はその逆と言うことになる。

もっとも、鎌倉時代末期から戦国時代の武将などは、ど派手な色合いで妍を競い、これを婆娑羅(バサラ)とか傾く~歌舞伎者(カブキモノ)といったそうだから、幕府の禁止令がなければ江戸時代は元禄時代を上回って、もっとすごい衣装が出ていたことと思う。

そんな意味で権力が芸術(?)を歪めてしまったのだが、幕府の権威も鳥や蝶の世界にまで及ぶこともなく、ムラサキシジミは春の目覚めとともに、繁殖相手にアッピールすべく食事が済むと羽根を広げて、陽光を跳ね返し、光沢のある衣装を見せびらかしていた。

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消費税値上げを閣議決定したことで政界はまた騒然としてきた。

国民新党は分裂し、民主党の中でも役職を辞す人が出始めている。

野党がどう対応するか分からないが、まず与党の中から崩壊が始まったと言う感じである。

一体改革をした後で増税に、、、とは、やっと先日まで言っていたことだが、身を切る改革と言うのは一向に目鼻がつかないでいる。

国民新党出身の大臣と役職者は本心はいざ知らず、外見では役職にしがみついているとしか見えない。

この先、どれほど信念のない行動を見るのかと思うと、情けない気持ちになってしまう。

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2012年3月29日 (木)

雪をかぶったように

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028毎年初日の出を迎える場所のハクモクレンが真っ白に雪をかぶったようにして咲いているのが下から見えた。

標高差は120~130mくらいなのだろうが、階段状に作られた道を一気に上るため、最近では息切れするようになった。

それでも、登ってみると真っ白に化粧した富士山と相性もよく静岡ならではの春景色となる。

そろそろ、田んぼの準備にかかる春つげ花の開花でござい、、、。

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今朝の新聞に二年ぶりに三人の死刑執行が行われたと報じていた。

いずれも、四十代の男で、普通の生活をしていれば働き盛りの年頃である。

ひとは、物忘れをすることで生きていけるそうだが、この三人の名前を聞いてすぐどんな犯罪を犯したかを思い出せる人は関係者をのぞいてごくわずかな人であろう。

現在日本には130人を越える死刑囚がいるそうだが、法務大臣の決済がなければ、執行できないことになっているため増え続ける一方だそうだ。

司法の場で宣告された刑が行政の長に再判断されると言うのもおかしなことで、それを嫌がる人が法務大臣になると刑が執行されることがない。

つまり、職務放棄であり、大臣の資格がないと言うことにならないだろうか。

日本でも、過去に沢山の誤認や誤審があり、冤罪事件が発生しているので、状況証拠だけで有罪になった人もいるので、一概には言えないが、明確な証拠や現場での逮捕などの場合は仕様がないのではないかと思う。

今朝、池上彰の「20世紀を見に行く」と言う番組を途中から見たが、ナチスの将校が次々と銃殺されていく画面映し出されていた。

どんな裁判の末かは知らないが、何の変哲もない場所に柱が一本立っているだけと見受けられた。

画面からの印象としては、銃殺される将校が毅然として所定の場所に歩いていく姿が印象的でそれを銃撃する連合軍兵士はまるで機械かなんかのようにしか見えなかった。

ひとは、こんなに簡単に銃を向けて発射させ、こんなに簡単に死んでいけるものか、、、映画などの画像と違って、考えさせられるものがあった。

おりしも、今日は「八百屋お七」が火あぶりの刑に処せられたとか、もちろん旧暦のことだから実際はもう少し後のことだが、江戸時代にも「恋は盲目」を実践した少女がいたが、その応報は厳しいものであった。

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2012年3月28日 (水)

はち切れんばかりの

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黄色い毛氈を敷き詰めて

下田市から南伊豆町に入り、いつもなら終わりかけているはずの菜の花畑によった後、宿に向かう。

宿にはすでに知人夫婦が先着して待っていた、玄関前に植えられている大島桜は満開、まるで「歓迎 ○○さま御一行」とでも言いたげに迎えてくれている。

宿の手続きのあと、さっそく一風呂、三つある貸切風呂のうち二つをつかって贅沢する、こんなことが出来るのも、早く到着したのと、今夜の客は自分たちを含めて四組しかいないからである。

夕食は、魚料理が中心で食べ切れなくて、もったいないと言う感じ、やはり年齢が胃袋を小さくしてしまったか、、、、、

さて、満腹の腹の始末は長話しだが、その合間に飲み物とつまみで収まるどころかさらに膨らみ、はち切れんばかりの丸い腹を抱えて寝苦しい夜を迎えてしまった。

目の前に好物があると、「戦後の飢餓を経験した世代は堪えられない」と言う話を聞いたがまったくその通り、食べ過ぎては後悔している。

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074宿の展望台から見た蓑掛け岩遠望


二十八日、夜が明けるのを待ちかねて奥石廊崎に向う。

海から上がる太陽を見たくて車を走らせる。宿から三分とかからないところに大瀬の蓑掛け岩があり、此処からの初日の出が有名なのだが、今日は三月も下旬になっているので太陽の位置は、もっと南下し、奥石廊崎辺りから出ないと見られない。と思い向かうことにした。

ところが、空が赤くなっているのは左手のなだらかな山の上。それじゃ、あの山の上ならばと強烈な西風に吹かれながら展望台の上に登ってみるとさらに奥の山からドロンとした感じの真っ赤な玉が昇ってきていた。

太陽も眠そう、まるで生あくびをかみ殺したような上がり方だった。しかし、これは自分が望んだ日の出ではない。

あきらめて、宿に戻る途中蓑掛け岩に戻ってみると、少し昇っていた太陽は完全に目を覚ましたのか本来のまぶしい輝きを取り戻していた。

宿に帰って、朝風呂と朝食を済ませたが、これが意外と腹持ちがよく、この日は昼になっても食欲が湧かなくて、夕食まで食事抜きで過ごしてしまった。

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2012年3月27日 (火)

お吉祭りと聞いて

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お吉を慰める献花、 早咲きのソメイヨシノ? これだけ咲いていたのは此処だけだった
先月末辺りからどこかへ旅行に行こうという話が知り合いの夫婦から持ちかけられていたのだが、あいにくの空模様で、せっかく出かけても「傘をさして歩くのは御免だね」と、いうことで、昨日まで延ばしに伸ばしていた。

おかげで、河津桜は散り、ソメイヨシノにはまだ間があるこの時期になってしまった。

行く先は、南伊豆町の石廊崎に近い宿で、評判の良い宿で二部屋が取れたので、それぞれの都合で好きな時間に出かけて行き、宿には四時前後に到着と言う方法をとった。

我々夫婦は、中伊豆から天城峠を越え、川津には行かないで途中から逆川 稲生沢川のコースを取ることにした。

005命日にしてはさびしいお堂
途中で、唐人お吉が身を投げたお吉が淵で祭りがるのではないかと言う話を小耳に挟んだためもあった。

現地に到着してみればすでに祭りは終わってようで人っ子一人とまでは言わないが、年齢がごく近いと思われる人と、幼子連れの夫人がいるだけであった。

後で聞くとやはりこの日はお吉の命日に当たる日で、法要は市外の中心地のお寺で行われたとのこと、そして、お吉の命日であるこの日は、毎年決まって雨が降ることから、この辺りでは涙雨と言うそうだとのことも、、、、、

幕末開国の際に利用され、ハリスが帰国した後は周囲から散々いじめを受けたお吉がこの場所で身投げをしたそうだが、その遺骸を引き取る人もなく、最後まで無情の仕打ちを受けたこの人を、今では観光の目玉の一つにして利用している。

その目玉に、釣られて立ち寄る自分も心無い観光客にしか過ぎない。

誰が立てたか、岸辺には小さなお堂があり、”お吉祭り”提灯は下がっているが、命日で祭りをやったにしては花もなくあわれである。

かろうじて、その少し下流の土手に咲く早咲き?の桜が薄墨色の花を目一杯広げていた。

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そのあと、港に出た我々はお決まりの観光として、港内遊覧船「サスケノハナ」号に乗りカモメの餌やりに嬉々としてすべてを忘れる時間をすごした。

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2012年3月26日 (月)

どっちだったんだろう

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草丈10~15センチの先端に白い花を咲かせているノースポールの小さな花壇があって、その花にベニシジミが蜜を吸っていた。

051羽根の様子を観察すると、どうもこの冬をどこかで生き延びてきた成蝶の様で羽根の一部が綻びているのが分かる。

長いつらい冬を過ごして、どうにか春を迎えつがいになる蝶が来る前に、精力を蓄えておこうかと言う風情に見えた。

と、そのとき、別な場所から近寄ってきた別のベニシジミを見かけると、急いで飛び出し、もつれるようにして姿を消した。

傍の花には、花アブがいても見向きもしなかったベニシジミだったのだが、同類には激しい反応を示す。

つがいになるべき相手だったのか、縄張り争いだったのか

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昨夜は娘夫婦と孫たちを呼んで焼肉パーティを一年ぶりくらいにやった。

昨年の3月から連れ合いの肝炎の治療に入って、一年ほどの間家に人を呼んで食事を、と言う雰囲気になれなかったが、ようやくその快気祝いをかねて、、、、

久しぶりの食事では、次から次へと鉄板の上に肉や野菜が上げられ瞬く間に消化されて行く、、、それにつられて、こちらも飲み、かつ食らうを続けた結果、食べ過ぎてしまい今朝になってもまだ腹がもたれ、部屋中に焼肉の臭いが立ち込めている。

少し食べ過ぎている昨今、胴回りを少しでも減らそうと言う気持ちは充分持っているのだが、ブレーキが利かない。

周りにつられて自制心をなくすとは、まだまだ、修行が足りないと言うべきか、人間食べられるうちは食べておけということか、、、。

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2012年3月25日 (日)

花相が違う東と西

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キセルのようなエンゴサク
真澄の空のした、出かけるときは肌寒さを感じるくらいであったが、次第に体温が上がったためか、暑さを感じ出してヤッケを一枚脱いで歩いた。

家から歩いて十五分ほどのところにある天徳院という禅寺の脇から賎機山のほうに登りだせば、春も本格的というか、道脇にはタンポポ、ノゲシをはじめ、オオイヌフグリ、ワスレナグサなど野の花ががかたまり、あるいは乱れて咲き出している。

そして、西風が強く吹き付ける峠から西側斜面をくだれば、ムラサキケマン、エンゴサクとタチツボスミレと花の様相が一変する。

風の当たり具合なのか、日当たりのためか、土の湿り気の違いなのか、、、同じ山でも印象は違う。

009エンゴサクの傍に咲いていたムラサキケマン
ムラサキケマンと同じ仲間だと言うエンゴサク。筒状の花の真ん中に柄がついたように咲き、まるでバランスをとっているかのように、折からの強い風のなか茎ごと倒されるように靡いている。

エンゴサク、漢字で書けば延胡索と書くそうだが、どういう意味か分からない。どうも昔から薬草として用いられていたので、和漢薬の名前なのであろう。

013そんな花見ながら、下ればすぐ傍を国道一号の賎機トンネルがすぐ傍に見える、この道は今年に入ってようやく複線化し、上り下り二本のトンネルが完成し、それに伴って、自転車と歩行者専用の側道も併設されている。

その結果、自転車の通行帯も一方通行になり、違反した場合には罰金もしくは、、、となった。

まだ、罰金を取られたという話は聞いていないが、出口と入り口ではかなりの高低差があるだけに良いことであり、制度の定着がいつまでも続くことを祈る

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2012年3月24日 (土)

明鏡止水か腐った水か

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「明鏡止水」って四文字熟語がある。

出典は中国古代の荘子に書かれていて、明鏡とは曇りのない澄み切った鏡であり、止水は動かない水のことをいう。

つまり、邪念がなく澄み切って落ち着いた状態を言うそうばが、一方で「動かない水は腐る」と、いう言葉もある。

写真は、麻機の一角にある小さな池。もともとは広い沼の一部だったのだが、茂る芦にどんどん埋められて隅に残った水溜りと言うには大きな水面である。

この池の奥のほうは、周りの枯れた葦や木を映しこんでいるが、手前のほうから緑色した藻が徐々に増えていく気配を見せている。

明鏡止水と見るべきか、腐ってきた水面なのか、、、、

いずれにしろ、明鏡となるにも、腐るのも水そのものが変化するわけではない。

水面に芥が浮かべば止水でなくても水面は曇るし、藻が生えすぎても水そのものが化学変化をするわけではない。

そうみてくると、人は表面上のことに惑わかされすぎていることになる。

国会議員の空疎な言葉の投げあい、東北の震災瓦礫の処分、”絆”と言う言葉も、、、、

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2012年3月23日 (金)

木蓮の涙

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終日雨もよいで過ごした。

気温は、十三度でこの時期としては「まあまあ」の暖かさであるはずだが、体感温度はもっと低い。

033先に咲き出した、白木蓮は背景の曇り空に吸い込まれでもするかのように存在感を消して行く、、、そして、つぼみを膨らませかけている木蓮には冷や水のような水滴が次々と数を増やしていく。

もう20年も前になるか、、、「木蘭の涙」歌が流行ったことがあるが、、、、木蘭ってのは木蓮の中国読みっだって言うそうだから木蓮の涙でもよさそうなものだが、、、、どうなのだろう。

ただ、この歌を最初に聞いたのが小田和正だった。オリジナルは別なグループなのだそうだが、こちらの印象が強すぎて一般にオリジナルに勝る歌はないといわれるなか、この歌と坂本冬実の歌った「また君に恋してる」は例外のように自分は思う。

まあ、歌の好き好きはそれぞれにあるとしても、紫の濃い木蓮のつぼみを、人の目にたとえれば、涙はいろんなところから出てくるのかしら、、、ってことないか。

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2012年3月22日 (木)

紅一点

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万緑叢中 紅一点

まさにそんな言葉が当てはまるように咲く緋寒桜の大木。

009先日来、近所の池ヶ谷から見える賤機山の中腹、杉林の中に一本の大きな緋寒桜が満開になり、赤と緑の対比がよく目立っている。

この桜、花の時期が済めば全山濃い緑一色にうずもれるため、この木の存在を知らしめるのは今の時期しかない。

精一杯、真っ赤な花を咲きそろえて我ここにありと言わんばかりに輝いている。

ここには農作業小屋があり、その持ち主が植えたようだが、今では訪れることも無いようで、道は荒れていて近寄りがたい場所になってしまった。

しかし、今日も尾根に登る道の途中の道ですれ違った人も、この色の正体が知りたくて行って来たといっていたので、気になる存在なのであろう。

万緑叢中 紅一点は、緑の叢の中に赤いざくろがひとつだけあるという意味であるが、緑と赤い色には変わりは無いじゃなしで、、、、めでたしめでたし

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2012年3月21日 (水)

花から鼻へと

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てふてふ てふてふ 菜のはにとまれ

菜のはにあいたら  桜にとまれ

桜の花の 花から花へ 

とまれよ遊べよ 遊べよとまれ

まだ戦時中だった幼い頃、歌った歌だが、歌詞は少し違っていた。うろ覚えだが後半は「桜の花のさかゆるみ世に とまれよ遊べよ 遊べよとまれ」だった。

002今日の暖かさに誘い出されたモンシロチョウが、麻機の川の土手に咲いた菜の花の上を滑るように飛んでいく、、、

後を追いかけてみたが、ミツバチと違ってなかなか花にはとまらず、とまってもすぐに飛び立つので写真にするのが大変だった。

どうも、卵を産み付けに、、と言うわけでもなさそうだし、、、春が来て花の上を飛びまわれるのがさも嬉しいといった風にしかと取れない。

こんな調子では、菜の花に飽きるのはいつのことやら、、、それにしても、桜の花に蝶々がとまっているのを見たことがない。

ミツバチの仲間は桜の花にも群がっているのだから、蜜がないわけではないと思うのだが、、、、、、

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おりしも、ここ二~三日の好天で、テレビの花粉情報はかなりの激しさを予告し、すれ違う人の中には、マスクで厳重に防御している人が多く見られた。

まさに、蝶々なら花から花へと飛び交っているが、人間様では花から鼻への花粉に悩まされる季節になったようだ。

            へークション

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2012年3月20日 (火)

暑さ寒さも彼岸まで

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見た目では区別の付きにくい杏の花
今日は彼岸の中日。

暑さ寒さも彼岸まで、と昔から言われてきたが、賤機丘陵の尾根を歩いて帰ってくれば、下着が汗でビッチョリと肌にへばりつき気持ちが悪いくらいであった。

静岡の挨拶のひとつに「今日はいいですね」と言うのがある。冬の間は暖かい日差しのある日を言っていたが、これからは、、、、

そんななか、雪国並みに春がいっぺんに訪れ、緋寒桜、河津桜、大島桜に加え、桃と杏の花までいっせいに花咲かせている。

021地面には、柔らかいハコベにも、白い花が咲き、島崎藤村ではないが「敷くによしなし」といった状態で広がっている。

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18日川根本町で町長と議会に対する解散請求のリコール投票が行われ、どちらもわずかな差で否決された。

人口が八千人ほどしかいない山あいの小さな町では町長はもとよりであろうが、町議会議員はほとんど地区の推薦と言う名のボス政治で決まっているくらい、地縁、血縁がつよく、それを跳ね返すのが難しい地域でリコール投票にまで発展するのは余程のことだったに違いない。

もともとは、町内すべてに光ファイバー網を整備することにあったが、町の予算から言って費用対効果が疑問視され、アンケートで四割の人が反対していたことを、町長や町議会が無視したことに始まっている。

いま、国でも消費税の引き上げについて、与党内でさえ混乱をきたしていた、国会に提出しても通過する見込みは今のところまずないように見える。(自分のことしか考えていない議員さんたちだからどこでどう変わるか分からないが、、、)

国の経済情勢から見れば、幾分上げるにはやぶさかでないと言う国民も増えているのであるが、今の内閣は財務省の操り人形の態をなして国民に充分な説をしているとは言いがたいし、自らの身を切るという部分を置き去りにしている。

川根本町同様、国会でも国民投票でリコールできるものなら、26%ほどしか支持率のない政権は確実にリコールされてしまうことは確実であろう。

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2012年3月19日 (月)

出だしから間違っていた

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我ながら今日の発想はおかしなものだった。

朝の空模様を見たときにまず浮かんだのは、そろそろセツブンソウが咲き出しているのではないかと言うことだった、支度して車を走らせてからようやく、節分と彼岸をごっちゃ混ぜにしていたことに気が付いたしだい、、、、。

今年は寒さも厳しく、すべての花はおそくなっているようだが、節分からは四十数日はたっており、暦どおりにに咲かなくてもこれは、そろそろどころでなく、遅過ぎたのだ。

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しかし、富士五湖のひとつ精進湖に入ると、日当たりの悪いところには雪も消え残っている、、、。
精進湖の湖面には、ワカサギ釣りの小船も出ていて冷たい風が吹き渡っている、この調子ならひょっとしてという一縷の望みも出てきた。

精進湖隧道を抜けて旧上九一色村役場の前を通った後、芦川沿いに目的地まで下る。

セツブンソウは地味を選ぶ植物で、静岡近辺ではここしか自生地はない。

去年は来ていないので二年ぶりの訪れだったが、地主はどこかへ出かけて留守の様子、その脇を声を掛けながら向かっていくと予想通り、花は見当たらず、、、、ガックリ

それでもどこかにとあたりを探し回ってようやく、あちらに少し、こちらに少しとそれこそ狂い咲きに近いような花を見つける。

最初の出だしからして間違っていたのだが、、、神は日ごろの行いを認めて印ばかりのようでも情けを掛けてくれた物と解釈すれば、満足感はいやがうえにも増す。

帰りは、そのまま川沿いに降り、途中日帰り温泉に浸かって、、、、ゴクラクゴクラク、、と、、ちなみに一昨年のセツブンソウは下の通りだった。

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2012年3月18日 (日)

いい湯だなって

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天気予報では青空が戻ってくると言うことだったが、終日曇り空で押し通してしまった。

023しかし、風もなく、奇妙に暖かく感じる空気が流れ、鳩たちも今朝方まで降っていた雨で出来た水溜りに、群れをなして浸かっていた。

稲の切り株が残る田んぼの中のくぼみ。

春がまだ来たばかりというのに、水ぬるむと感じているのだろうか。それとも、寒さと言うものの基準が違うのだろうか。

水しぶきを上げて水浴びをしているもの、その横で、迷惑そうな顔もしないでうつらうつらと目を閉じている鳩をみると、「いい湯だな」と人間なら鼻歌が出そうな雰囲気で、じっと動かないで水たまりに浸かっているのもいる。

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2012年3月17日 (土)

気付くことなく

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終日の雨は薄暗く霧の底に沈めて、暗い一日を演出していた。

007どこかへ出かけた帰りか、傘の下に入りたがらない小さな娘をすかしだましして歩かせる若い母親。

こんなことも、「幸せだった」と気付くことなく、時はながれていく、、、。

しかし、気付かないで過ぎていくのが一番、、

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2012年3月16日 (金)

さっと一刷毛 ヤナギの木

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033k_2葦の枯野の中からウグイスの鳴き声がもれ聞こえる。

まだ初音からまもないようで、最後まで歌いきれなくて寸詰まり、、、、

その先には、萌黄色の刷毛でなぞったようなヤナギの木が立っている。

風もなく、薄い靄のかかったような春霞が立ちこめているかのような春の野は、心をのんびりとさせてくれる。

038_2特にすることもない日々なのに、なんとなく心せわしい気持ちが立ち込めているのは、春に恋をする動物と同じで身体が本能的に燃えているのだろうか。それとも、急激に暖かくなって気温の変化に追いつけない体調のためか、、、。

前者ならうれしいことだが、”老いぼれ”といわれる昨今では、、、、、、

帰り道、山の端に見え隠れする真っ白な富士の嶺も灰色にくすみ、かすんだ空に同化してしまったように見える。

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2012年3月15日 (木)

紙細工のような花

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012濃い緑の葉陰に、淡い緑の花、シキミが咲いているのに気が付いた。

仏前に飾る木ということで、こちらでは”香花コウバナ)と言うそうだ。

実際、沢山葉が茂っているところや、端をむしって揉んで見ると良い香りを感じることが出来る。

しかし、これが曲者でうかつに口に入れると中毒症状を起こし、ついには命さえもと言うことになりかねないほど強力な毒をもっていて、この木の実は、毒物劇毒物に指定されていて、許可がなければ売り買いや譲り渡しが出来ないと言う。

この毒性のためか、古来神前や仏前に榊(梻)として飾られるのは魔物を避けるために使われたとかで、漢字で”樒”と書くのは密教に関係のある木という意味だと聞いた。

ともあれ、薄い紙細工のような花びらは、太陽の光に透けて見え、ますます、神秘性を帯びて見えるのは、この花の毒性を感じているからだろうか。

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新潟の上越市で大規模だがゆっくりと進む地滑りの状況が何回も放送されている。

なんでも、気温が上がって雪解け水が地下に浸透し、地面が滑りやすくなったとのことだが、一瞬の崩壊でいえがつぶされるのも怖いが、何をしてもとめられずずるずると住宅を押しつぶしてくる地すべりを見ていると、被災者ならずとも実に切ない気持ちになる。

さて、ここからは、映像だけしか見ていない者のたわごとになるかもしれないが、この地すべりはどうして起きたのだろうか。

この集落が、いつの頃できたものか知らないが、山の地形から行って最近出来たものではないことが分かる。

と、なると、今年に限らず過去にもこういう状況の雪解けはあったはずとするのが当然であろう。

いままで、滑ったことのない斜面が滑り出したと言うのは、地下構造が変わったわけでなく、地表に雪解け水が入りやすくなったのが原因ではなかろうか。

どうも、映像を見ていて思ったのは、崩落している傾斜のゆるい斜面に立ち木が少ないことに原因があるような気がしてならない。

つまり、近年になって立ち木を皆伐したのではなかっただろうか。

日本では戦後になって杉の木を植えすぎたきらいがある。自然の山では混合林といって何種類もの木が生えてくるものであるが、効率を考えて杉ばかりを植え、その後の事情で杉山の手入れが出来ていない山が多くなった。

手入れの出来ていない杉の山は、表土が流失してしまい、静岡でも地すべり地帯と言うと杉の山が多かった。

そんな山の木を切れば、耐水層のない地面からの水は地下に浸透しやすくなって、地すべりの元になっていた。

今回の報道からも、斜面と住宅の間には何枚もの田んぼがあったそうだが、この田んぼの水も上の斜面からの絞り水だったとすれば、、もともと滑りやすい斜面だったことになり、これも、状況を考えずに木を切った人災と言うことになるだろう。

もうすこし、ときがたてば、自分の妄想が的外れだったことになるかもしれないが、映像を見た限りでは、そんな想像をしてしまった。、、、、ので

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2012年3月14日 (水)

チョットチョットチョット

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「おや?こんなところに、、、一初が、、?、それにしても早いな」と思って近寄れば、あやめの仲間にしては雰囲気が少し違う。

004草丈が三寸ほどしかないところから、うわさに聞く”三寸菖蒲”?、、でもなさそうだし、、、それにしても一本だけと言うのはどういうことだろう。と不思議に思って帰ってきた。

草花辞典によれば、葉っぱが大きな刺のように尖っているところから、どうも”チリアヤメ”ではないかということに行き着いた。

しかし、図鑑によれば、花びらがプロペラのようだとあるが、この花びらはアヤメを小さくしただけのようだし、、、まだ確定はできない。

一寸と書いて「ちょっと」というが、高さが三寸ほどのこの花、「チョットチョットチョット」といったところかもしれない。

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静岡市の元パチンコ店を解体しようとしたときに出てきた白骨化した遺体の身元が分かり、その関係者と見られる元夫も、遺体が行方不明なった翌月に、県東部のほかの場所で遺体で遺体で発見され、病死と確認されていたことが分かった。そうだ。

警察は、元夫が女性を遺棄したとして被疑者死亡のまま書類送検するかどうかを検討していると、今朝の新聞が報じていた。

最近、午後のテレビでサスペンス物や刑事ドラマの二時間ものを良く見ているが、こんな事件があると必ず、何か不審なものを感知した主役が出てきて事件に発展して思わぬところから犯人が浮かび上がり逮捕される。と言う筋書きが多い。

その伝で行くと、この事件もその口でなかろうかと言う想像に掻き立てられてしまう。

実際に、過去には冤罪事件もかなりある以上、警察の思い込み、見込み捜査などで見過ごされてきた事件や証拠を破棄され、事件から免れた加害者もいることと思う。

また人が人を裁く以上、感情や証拠のあり方で大きく捻じ曲がり、ドラマのように、犯人が素直に犯罪を認めるとは限らない。

いま、首都圏で起きた三人の男性不審死で裁判になっている木嶋被告の場合も確たる証拠がなく状況証拠だけで裁判が進められている。

これも、男性が連続して死亡して時点で警察の捜査が自殺として充分な証拠をつかんでおかなかったことが原因と見られる。

今頃にたって、「チョットチョット、、」といっても、証拠が消されてしまった中では裁判員が難しい判断を強いられているそうな。

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2012年3月13日 (火)

同じ名前でも

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タビラコの小さな花が咲き出した。

よく知られているオオタビラコと比べると、花の小さいのは当然ながら、鼻の高さも低く地面から5センチほどしか立ち上がっていない。

葉っぱもロゼット状に広がって地面にくっついている様子から、”仏の座”と名づけられ、春の七草のひとつとして食膳に上ったものだが、これだけ地面にぴったりとくっついていると採取して泥を落とすのが面倒くさい。

Img_0109一般に知られている、紫の筒状の花を咲かすのもホトケノザと言うのでかなりややこしいが、こちらを食べるとどんな味がするのか、、、、一説には強くはないが毒があるという人もいるらしいが、きのこ同様食べてもまずいと言う意味かも知れない。

自分としては、どちらも口に入れてことがないので、、、、、、味知らず

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2012年3月12日 (月)

梅の花越し朧月

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明け方に近い夜の空に半月がかかっている。久しぶりに見たような感じがする月だが、今日は旧暦の二月十九日の月。

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とすると、寝待ちの月ということになる。

日本人ほど、月にいろいろな名前をつけた国民はいないのではないだろうか。

三日月、満月、半月は太陰暦を使用した国なら、名づけているかもしれないが、十五日を望月といい、十六日を十六夜とよぶ、、、、。

ついでに順を追っていけば、十七日は月の出をまだかまだかと座敷で立って待つから「立ち待ち月」。十八日は座って待つため「居待ちの月」そして次は待つのに疲れて寝て待つため「寝待の月」

だんだんつきの出る時間が遅くなり、夜更けにならないと出ない二十日の月は「更け待ちの月」

そして、二十三夜の月は、真夜中に出るため二十三夜待ちといって、酒肴を凝らしながら出てくる月を勢至菩薩に見立てて待った。

またこのころがちょうど下弦の半月であるため「弓張月」ともいい、二十六夜になると三日月の反対向きになり、真夜中過ぎて出てくることから「有明の月」とも呼んだ。

このほかにも、二夜の月というのは八月と九月の中秋の名月をいい、夕月とか幻月なんて言葉もあり、分からないのは「雨夜の月」と言うのはあの辺にあるかなという梅雨時の想像の月を言うらしいこと、、、

つまり、この想像の月,幻の月が幽霊、妖怪などの怪しげな世界”雨月物語”を生み出したのだろうか。

まさに月見る月はおおけれど、、、、梅の花越しに見る春の朧月夜もまた格別であろう。

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2012年3月11日 (日)

忘れたころ

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沈丁花の花がようやく開き、香りがあたりに立ち込めて出だした。

先日来、濃い赤紫の蕾みをつけていたが、ほかの花同様寒さが去るのを確かめるようにして咲き出したが、昨年より二週間は遅れての開花である。

沈香の香りと、丁子に似た実をもつということから名づけられたそうだ。

花言葉は、栄光、不死、不滅など古来権力者が望んだ、究極の望みが冠せられているが、果たしてその効果はいかが、、、

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今日三月十一日は、昨年の東日本大震災のため、今後しばらくは日本人の記憶に残るメモリアルディーになった。

災害は忘れたころにやってくるとか、、、、。

昨年の三月は何かにつけて、「想定外」と言う言葉が飛び交った。

しかし、これは、日本人が過去の災害を忘れたか、無視したから起こったことで、本来は想定外ということには当たらなかったはずである。

人間にとって、千年は長いスパンであるが、地球が誕生してからの45億年から見れば、人類が誕生したのはほんの一瞬にも当たらないような時間であり、その中の千年はそれこそ、、、、、、、

その千年前に、今回のような地震が起きたのは、記録にも残っており、その後繰り返された数々の津波では教訓のためあちこちに石碑を建てたりして記録されていた。

福島原発に災害対策にも最近になってそのことが警告されたが、経費との関係で故意に無視されたとの報道もあった。

そして、いまから89年前の9月1日、17年前の1月17日も風化して何の日だか分からなくなっていく、当然昭和に入って無謀な戦争で沢山の兵士と日本中が焼け野原になったのもすべて、紙の上の記憶にだけになってしまう日もそう遠くなく、またしても「想定外」を繰り返していくのだろうか。

むなしいことかもしれないが、一人くらい不老不死の人が出て

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2012年3月10日 (土)

キケマンの花やわらかく

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空き地の一角にキケマンの花が咲いている。

昨年の暮れにすぐ傍で、紫ケマンが咲いていたのだが今年に入ってからの霜にやられてあとかたもなくなっており、変わってキケマンの登場となった。

028005右上、昨年四月に写した紫ケマン


ケマンとは、お寺などの仏前に飾られる華曼から名づけられた芥子科の植物でその柔らかそうな葉っぱは人参にも似て、食べられそうな感じだが、ケシの仲間と言うだけあって、アルカロイドがあるとか、、、と、聞いたことがある。

ともあれ、黄ケマンと紫ケマンとは色が違うだけで形はそっくり、筒状の花の先端にポチッと斑点が付いているところまで同じである。

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あれから一年、今日はテレビのどこをまわしても震災一色の報道で、飽きもせず同じ画像を繰り返し流していた放送局もあった。

まだ3,000人よの行方不明者があり、新聞の片隅にはいまもなお毎日ひにち死者の名前が載っているが、遺骨などのDNA鑑定で確認するしかない人たちであると思うとせつない気持ちになる。

東北の復興は、瓦礫の処理からと言われているが、放射能を含んだ瓦礫はまだどう処理するのか全然決まっていない。

ただ、先日島田市で受け入れて処分した無放射能の瓦礫の処分さえそのほとんどが出来ない状態が続いているのは、一部反対のための反対をしている、クレーマー的な人々によるところが多い。

先日も、静岡新聞の声の蘭に、瓦礫の放射能を心配し、現地での処分をし、被災者を静岡に連れて来れば良いという意味のことを書いていた女性がいた。

よほど、反論を新聞社に送ろうかと思ったが、、、、、

この人に言わせると、子供に対する影響を心配してと言う言葉を大義名分にしていたが、島田市に運び込まれた10トンと言うわずかな量の木屑みたいなものに、搬入反対派も測定器をあてがったが反応は、影響のなかった島田市並ということであり、その後の矛は収まったのか報道されていない。

地震による被害は、日本列島に過ごす以上次はどこに起きるか分からない。静岡だって30年来「今来るか 今来るか」といわれ続けてきていても、実際にくれば、想定外の被害が出て右往左往するに違いない。

そのときはまた、「絆」とやらで助けもらう時期が来るかもしれない。そんなときにクレーマーみたいな人にかき回されればどんな思いをするだろうか。

自分が静岡に来て今年で33年になるが、いまだに生まれ故郷を捨てきれず、奥に言葉もちょいちょい出て、いまだ静岡は仮住まいといったきぶんでおり、静岡人と言うには程遠い状態である。

新聞投稿をした人は、静岡に転居すればよいといっていたが、それは、故郷を離れて知り合いのいない土地で生活したことの無い人には分からない話ではないだろうか。

なつかしの山、なつかしの海をそんなに簡単に捨てきれるものではないし、原発の事故によってそんな人がどれだけいるか考えることが絆であろう。

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2012年3月 9日 (金)

雨が幸いか、、?

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安倍川左岸、遠藤新田というところに、長さ1km、107本の河津桜七分咲きになっていると新聞に載っていたので出かけてみた。

あいにくの小雨が降っていたが、それが幸いしたのか訪れる人もまばら、車を停める場所も充分にあったのでゆっくりと傘をさしての見物が出来た。

桜の大きさは、ここ十年以内に植えられたものらしく、目通り10から15センチ程度、高さも4m以内の若木ばかりだったのが残念。

現在は安倍川堤防の外側の側道沿いに植えられていて周りからは目立たない存在であるが、河津桜は成長の早い気なので、あと5年もすれば立派な並木になり、この辺り一帯をピンクの帯で包んでくれることになりそうだ。

003遠景は来月完成の第二東名

ともあれ、今日は雨に濡れ、周りの山の端には雲がかかって薄ぼんやりとしているあり様は”霞か雲か、、、”と、いったところ、、、

やはり、本来の花見はうららかな陽気の下花を見上げて歩くのが一番かと、、、、反面、天気がよければ、茣蓙を敷いて酔客が無粋に奇声を発して気分を害することもあり、さてどちらを取るべきか

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2012年3月 8日 (木)

春の小川は

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先日来、芥子菜の花が巴川沿い一帯の土手に咲いていたが、今日辺りから、絨毯のように一面黄色く染め始めた。

018春の小川、にしては少し川幅が広いかもしれないが、黄色い土手の間を、音もなく流れるさまはまさに春の小川はさらさら行くよ、、、、って所である。

この花が、巴川の土手に咲き出したのは、なんでもミツバチの養蜂家が種を蒔いたためとも聞くが、もともとは蕪など菜の花の仲間であり、古くから日本に帰化した植物で野菜として栽培されていたようなので、かなり繁殖力の強い野菜だったことになる。

芥子菜、西洋辛子(マスタード)と原料となる白辛子菜に近く、摘んで湯がけばピリッとした辛味がでてくる野草である。

四~五年まえまでは、山菜ブームのあおりを受けて、出てくる新芽が次々と詰まれた時期もあったが、最近ではブームも去って、ほとんど見かけることもなく伸び放題に伸びている。

春は、黄色い色の花が多いが、これだけ一面に咲けば気分的にもあったかくなるから不思議、、、、

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2012年3月 7日 (水)

首をかしげて

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ここ二~三日の高い気温に、地面が温められたためか、急に春めいた感触を感じている。

003土手のつくしも不思議に思ったか首をかしげながら「ほんまかいな」と言っている。

その脇には、少し早く芽を出したため、霜にやられて真っ黒になった先輩がいる。

しかし、このまま暖かさが続くわけでなく、明日からはまた寒気が入ってくるそうな、首をかしげたつくしの穂も大至急花粉を飛ばさなくては、、、、、、、

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昨日は、静岡県内公立高校の受験日だったようで、学校を締め出された在校生の孫が久しぶりに泊りがけで来ていった。

この時期になると思い出すのは、五十数年前自分の高校受験のときのことである。

当時もいまほどではなかったが就職難の時代であり、高校進学率が五割もなかったころであった。

流行歌「ああ上野駅」で有名になった就職列車はその後のことになるが、山の上の鉱山の社宅街には通える高校も仕事場もないため、卒業イコール各地に散りじりとなる土地柄だった。

そんななか、自分が目指した高校は鉱山専属の私立高校で合格すれば、鉱山に就職できると言う保障があったため、地元以外に他県からも志願者が集まり競争率は四倍にもなった。

さて、試験会場には朝出てからでは間に合わないため、同級生五人だったと思うが同じ宿舎に止まったのだが、その夜更けてから、宿舎の塀の上で猫のラブコールと縄張り争いが一晩中続き寝ることが出来なかった。

翌日、寝不足のまま試験を受けたが、、、、結果的には自分以外はであった。

結局は、この試験の結果、各自その後の運命が決まり、、、大きな分かれ目だったことになる。

いまでも、猫のラブコールを聞くと、ふっ!と、幼かったむかしを思い出す。

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2012年3月 6日 (火)

これしきの雨風には

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明け方になって激しい稲光と雷鳴をうとうとしながら聞いていた。

その雨も、早くに上がり散歩に出かけるころには、青空の部分が多くなった。

018今日は、市内城北公園のほうを目指したが、その前に河津桜を見ようと大岩のほうに寄り道をしてみると五分咲きくらいに開花した桜は、枝にも花にも露を滴らせ、まるで、イルミネーションのように逆光で光らせていた。

満開を過ぎていたら、夜来の風雨で花びらを敷き散らせていたことだろうが、まだまだこれからの花びらは、これしきの雨風には負けない。

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それにしても、日が当たりだしてからの気温の高さには驚いた、手元の寒暖計は22度まであがって、夏日真近といった感じ、、、

これでは、三寒四温を通り越して、一暑いを付け加えなければなるまい。

おかげで、普段より一枚上着を少なくして過ごしてしまった。

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2012年3月 5日 (月)

年年歳歳とはいうけれど

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雨脚の隙をついて出かけてみれば、遠目にも木のふちが黄色くなっているのがわかる。

019あれは、銀葉アカシアの木のあるところだが、いつの間に(?)と言う感じである。

今年はどの花も遅いとばかり思っていたが、この花はそうではなかったようだ。

「年々花 相似たり」 小さなボンボンのような丸ぁるい花をこれでもか、と言うほど几帳面につけてよく飽きないものだと思う。

枝の先端に房状につけている花の数の多さか、うっすらとついたしずくのためか、花の房はしおれたように下向きに下がっている

とてもじゃないが、花の数など数えようもないが、良くぞこれだけ同じものをつけたものだと感心する。

これも神のわざ?

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2012年3月 3日 (土)

桃は間に合わなかった

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本来の菜種梅雨は三月末から四月の頭に掛けて季節の変わり目に降る前線をとなった雨のことを言うが、今日の天気予報の画像を見ていると、梅雨時のように長い雨雲の帯が日本から中国大陸南方に向かって帯を引いたようになっていた。

ここしばらく、こんな気候が続くようで、今日の天気も晴れる予想が出ていたが、頭上の雲に切れ目なく、明日からもしばらく天気が回復しないようだ。

しかし、この雨も春の誘い水のようで、田んぼの縁には一度消え去っていたレンゲも花を開かせてきたし、菜の花もあちこちで見られるようになった。

ただ、今日の上巳の節句に桃の花は間に合わなかったようで、いつもの場所には膨らみかけたものの、固いからを破くほどにはまだ遠い木の芽ばかりの枝であった。

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2012年3月 2日 (金)

雉も花見に行く?

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二羽のケリの攻撃をものとせずに直進する
鍋蓋のような厚い雲の下、「泥鰌や鮒っ子が氷の下で天井っこ張ったと思うべな」と歌わせたようだな。なんて思いながら歩いていると、ケリが田んぼの中でけたたましい叫び声をあげながら上下に舞い狂っていた。

もう卵を産んでいるのかな、それにしてもかしましいものだと、その方向を見ると雉の雄が一羽、切り株だらけの田んぼを横切っている。

たぶん、その進行方向に卵があるんだろうか、ケリのほうは必死になって妨害しようとしているのだが、雉のほうは何がなんだか分からないといった風に見え、迷惑そうながら歩くことをやめない。

そのうち、水路をはさんだ隣の畑に行くことで騒ぎは収まったが、雉のほうはさらに進んで梅の木の下に行き、しばらくはその辺で食べ物を探していた。

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そのうち、はたと止まって上を見上げている。まさかとは思うが、雉も花見をするの?

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原発事故からほぼ一年がたったことになるが、先日民間の事故調査委員会が、関係者の話を聞き取りした報告書がマスコミを通じて発表された。

詳しいことは、報告書を読んだわけではないので分からないが、当時の政府の対応を散々にこき下ろしているといった感じがする。

いわく、泥縄的なその場しのぎの対策、菅前首相の苛立ち、補佐する官僚や原子力保安委員の無能などでレイムダックになっていて、ひとつ間違えば最悪に事態になっていたとしていた。

確かにそういわれれば、そんな面もあろうが、翌日民放の番組に出演して委員の一人があまりにも自国政府をこき下ろし、アメリカが冷静な判断をしていたとの見解をきいたとき、判官びいきではないがアメリカだってそんなにいつも冷静だったわけではなかったし、今回は幾分対岸の火事だったと言いたかった。

キューバ危機では古過ぎるかも知れないが、9.11のテロのときのブッシュ大統領とアメリカ国民のあわてぶり、迷走ぶりはいまの日本以上だったでは無かったろうか。

ブッシュ大統領とその政府は、そのとき犯人が誰か分からないうちから、アルカイダの犯行にし、その報復のためイラクとアフガニスタンへの攻撃に踏み切った。

結局は、自分たちがあまりにもイスラエルへの一方的肩入れのため、アラブ社会が反発したのが、9.11の遠因であり、イラク、アフガンへの攻撃で9,11の犠牲者以上の数の戦死者を出しまだおさまっていないし、攻撃した国の市民の犠牲が何十万人とも言われている。

結局あのときの混乱は、いまの日本以上にしっちゃかめっちゃかだったことを忘れてはならない。

今回の事故は、範囲も規模も、アメリカの二つビルや神戸の地震とは桁が違っている。

対策の遅れや想定した規模を小さく見積もったのは、東電であり堤防を設計したお役所であり学者だった、、、、、、、、

その結果を、泥縄式、レイムダックだと批判する委員会の委員はそのときどうしていたのだろうか。

批判するだけなら、自分にも出来ることである。

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2012年3月 1日 (木)

満腹の後は

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駿府公園内の梅ノ木の中、二羽のメジロが身を寄せ合って羽根を繕っていた。

012眠気も差してきてうつらうつらと


この木に来る前は、いま満開の小室桜という柔らかなピンクの桜で腹いっぱい蜜を吸ってきたのを見ている。

節操の無い人間のように、桜の蜜を吸いながら、意気投合してつがいになったわけではないと思うが、込み合った枝の間なら外敵にも狙われないのを承知のようですっかりリラックスした様子。

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税の申告書を持って税務署まで散歩がてら行ってきた。帰りはいつものように駿府公園を一巡りして一万五千歩弱。

申告書についていた一枚の紙には400万未満の人は出さなくてもよろしいとあったが、すこしでも先取りされた税を取り返すべく、二日弱の計算で税金の八割弱二万四千円を返還請求した。

毎年のことながら、億劫な仕事であるが、アルバイトと脳の活性化という面では良い仕事であり、出し終わると身も心も軽くなるから不思議である。

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