キケマンの花やわらかく
昨年の暮れにすぐ傍で、紫ケマンが咲いていたのだが今年に入ってからの霜にやられてあとかたもなくなっており、変わってキケマンの登場となった。
ケマンとは、お寺などの仏前に飾られる華曼から名づけられた芥子科の植物でその柔らかそうな葉っぱは人参にも似て、食べられそうな感じだが、ケシの仲間と言うだけあって、アルカロイドがあるとか、、、と、聞いたことがある。
ともあれ、黄ケマンと紫ケマンとは色が違うだけで形はそっくり、筒状の花の先端にポチッと斑点が付いているところまで同じである。
.
あれから一年、今日はテレビのどこをまわしても震災一色の報道で、飽きもせず同じ画像を繰り返し流していた放送局もあった。
まだ3,000人よの行方不明者があり、新聞の片隅にはいまもなお毎日ひにち死者の名前が載っているが、遺骨などのDNA鑑定で確認するしかない人たちであると思うとせつない気持ちになる。
東北の復興は、瓦礫の処理からと言われているが、放射能を含んだ瓦礫はまだどう処理するのか全然決まっていない。
ただ、先日島田市で受け入れて処分した無放射能の瓦礫の処分さえそのほとんどが出来ない状態が続いているのは、一部反対のための反対をしている、クレーマー的な人々によるところが多い。
先日も、静岡新聞の声の蘭に、瓦礫の放射能を心配し、現地での処分をし、被災者を静岡に連れて来れば良いという意味のことを書いていた女性がいた。
よほど、反論を新聞社に送ろうかと思ったが、、、、、
この人に言わせると、子供に対する影響を心配してと言う言葉を大義名分にしていたが、島田市に運び込まれた10トンと言うわずかな量の木屑みたいなものに、搬入反対派も測定器をあてがったが反応は、影響のなかった島田市並ということであり、その後の矛は収まったのか報道されていない。
地震による被害は、日本列島に過ごす以上次はどこに起きるか分からない。静岡だって30年来「今来るか 今来るか」といわれ続けてきていても、実際にくれば、想定外の被害が出て右往左往するに違いない。
そのときはまた、「絆」とやらで助けもらう時期が来るかもしれない。そんなときにクレーマーみたいな人にかき回されればどんな思いをするだろうか。
自分が静岡に来て今年で33年になるが、いまだに生まれ故郷を捨てきれず、奥に言葉もちょいちょい出て、いまだ静岡は仮住まいといったきぶんでおり、静岡人と言うには程遠い状態である。
新聞投稿をした人は、静岡に転居すればよいといっていたが、それは、故郷を離れて知り合いのいない土地で生活したことの無い人には分からない話ではないだろうか。
なつかしの山、なつかしの海をそんなに簡単に捨てきれるものではないし、原発の事故によってそんな人がどれだけいるか考えることが絆であろう。
| 固定リンク
« 雨が幸いか、、? | トップページ | 忘れたころ »
コメント