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2012年4月 5日 (木)

春はさくらの綾ごろも

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ここ二~三日近状の桜を見て回っている。

今日は、家から南に下り、沓谷の霊園周りのさくらから護国神社を通って谷津山に登り三松の寺に下って帰ってきた。

013その至るところでさくらはいまを盛りに花開き、遠く富士山を霞でおぼろにさせていた。

そして、満開のさくらの高い梢ではヒヨドリが花をついばんでは甲高い声で鳴き交わし、お前ばかりが花見ではないと言わんばかりに声を張り上げている。

おかげで普段は一万歩を目安に歩いているのだが、桜見物のため山坂を越えて一万五千歩前後になり、少々足が疲れ気味になっているのを感じてしまう。

これだけ根気に桜を追っかけるのは、自分もやっぱり日本人なのかなと、、、、

よく日本人は、桜好きで新聞やテレビなどで、桜の開花状況や桜前線などと言う言葉を使うのをほかの国の人たちが不思議がると言うのを、聞いたことがある。

しかし、桜に限らず入梅や紅葉なども話題になるのは、それだけ、日本の自然には変化があり、それを愛でる繊細な観賞眼というものをもっているためではないだろうか。

前にも書いたことがあるが、世界には雨季と乾季しかない砂漠のような土地、タイガーなど同じ種類の木ばかりで一面緑の針葉樹林だったり、同じ色の紅葉だったりと変化の少ない国もかなりある。

仕事で行った南米のアンデス山中で、小さな高山植物の花を見つけて名前を聞いたところ、どの花を指差して聞いても”フロール”と言う返事しか帰ってこなかったことがある。

チンドン屋の定番のジンタといえば”美しき天然”と言う曲を思い出すが、この歌の歌詞は最近の若い人は知らないらしい。

もっともチンドン屋だってめったに見たことがないのだから無理なことだろうが、、、この歌の出だしは#空のさえずる鳥の声で始まり、二番は下のようになる。

春はさくらの綾ごろも

秋はもみじの唐にしき

、、、、、、、

この天然のおりものを

手際みごとに織たもう

神のたくみの 尊しや

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