静岡市谷田の県中央図書館は、隣の美術館に比べて人の出入りはぐっと少ない。
その図書館の出入り口に程近いところで花を咲かせているユリノキの巨木を見つけた。暖かい日差しのためか、一部散りかけているものもあったが、まだ、薄黄色に赤い縞模様の入ったお猪口のような花を間近に見ることが出来た。
というのも、ユリノキが生えている場所が、出入り口より少し下がった位置にあるためで、我が家の近所でもある県立総合病院に咲くユリノキも一抱え以上ある巨木の上のほうに咲いているため、これまで下から仰ぎ見るしかなかった。
前にも書いたが、ユリノキとはさる皇室関係の人が名づけたため、本来の産地である北アメリカでは花の形がチューリップに似ていることからチューリップツリーと言う名前を直訳することが出来なかったようだ。
何事も高貴なお方が決めると訂正はむつかしいようで、、、、
.新東名の下には遺跡が
今日、県立の中央図書館に行ったのは、新東名の工事予定地にあった遺跡からの出土品を展示してあるというのを聞いて行ってみた。
下の駐車場から、若葉が茂るプロムナードをゆっくりと歩けば、小学校低学年までのスタンプラリーやっていた。
小さな身体にリュックを背負わされて、意味も分からずスタンプを押してもらう二歳くらいの子、スタートしてすぐに抱っこをせよと駄々をこねる子など、、、母親とのほほえましい光景を横目で見ながら「自分たちもこんな時期があったのかな?」なんて話しながらむかう。
入ってみると、すぐ先の二階にその展示があると示してあったので、上がってみる。
展示場には誰もいなくて、ポスターや掲示板ばかりが目に付く、ようやく最後のスペースにガラスケースの中に一列だけ、目的の出土品が展示されている場所を見つけた。
思ったより少ないなと思いつつ、展示品を見たが、森町で出土したという短甲には驚いた。
埴輪の武人が着けているのを見たことがあるが、実際にこのようなものがあったとは、、、はじめて見た。
説明書にもあるように、鉄が貴重品で中国辺りから輸入していた頃に、これだけ鉄を使う人がいて、それを副葬品として地中に埋めることが出来る豪族の財政力。
実際に、鉄が貴重品だったのは江戸時代に入っても、そうだったようで、木の鍬の先端に鉄をつけただけのものを見ている。(これのほうが軽かったからと言う負け惜しみの解説もつけて、、)
弥生時代の鉄製品が2,000年近く土に埋まっていたとは思えないほどしっかりとした形で残っていたことになる。
同じようにして出土した刀は、錆びて細い鉄板状になっているのに比べると、鉄に打った鋲や留め金までが残っている不思議さ。
また、愛鷹のサービスエリア付近で出土した太刀の鞘に巻いた金具の色と柄の色合い、木目などもよく残っていたの一言。
こんな調子では、まだあちこちに同じようなものが残っているのだろうな、、、、
この時代、静岡近辺では”庵原の君”の勢力範囲がこの付近まで広がっていたのか、、、それとも、庵原の君に匹敵する豪族がいたのだろうか、、、
そんなことまで空想の範囲は広がっていく。
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