« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月31日 (木)

しつっこい

012

ムシトリナデシコの花が群生して、一面マッカッカ、、

一本一本は可憐な花だが、これだけ密集するとうざったくなってしまう。

ムシトリナデシコ、花の下の茎に茶色く粘り気のある液体が付いているところから名づけられたそうだが、この粘液は虫を消化するためでなく、蟻など受粉に関係のない虫を上に揚がらせないためのものだそうだ。

つまり、虫によって差別していることになり、一種の会員制バーみたいなものだろうか。花が、客種を選ぶというのは珍しいことである。

花言葉に”未練、しつっこさ”などがあるというが、時によっては川原中赤く染めるほど繁殖するのを見ていると、、、くどく感じるところから名づけられたように思ってしまった。

.

最近のテレビを見ていると、コマーシャルの多さに嫌になってしまい、画面を消してしまうことが良くある。

それも、入れ替わり立ち代りに出すのならともかく、同じ画面を繰り返し繰り返ししつっこく映し出す。

そのため、出てくる俳優まで嫌になって、最近では、栄養食品や保険のコマーシャルにこれでもか出ている船越英二や地位武雄など本来好感がもたれているところから採用になったらしい俳優が出演しているドラマまで見たくなってしまった。

コマーシャルに出演しているこれらタレントが、本当に効果があると確信してのことだろうか。もし出演料だけに出ているとしたら、本業のほうにも差しさわりが出てくるように思うのだが、、、、、

とにかく  しつっこい!  のは嫌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月30日 (水)

白いドレスの踊り子

009

014この花は何の花?  白いドレスを広げた踊り子のような小さい花。

いわゆるプティットフールである。

じつはこの花、ドクダミの花で、隣町の大岩、バイパス下の斜面に咲いている野生の花である。

花言葉は、「白い追憶」と、なにやら懐かしい響きの意味を持たせているが、北海道土産にもこんな言葉の菓子があったのは、まさかこれから採ったわけではないと思うのだが、、、、

薬になる野草といえば、まず、ゲンノショウコ(現の証拠)にドクダミ(毒痛み)が上げられるが、ドクダミは臭いのきつさから一度覚えたら忘れない草であろう。

繁殖力の強さから、抜いても抜いても絶えることがなく、一度生えたら庭のどこかで今頃になると、白い十字の花を咲かせているのを見かける。

この草は、今でこそ臭いが手についても気にも掛けないどころか、嫌な臭いでなくなっているが、子供の頃は神経質なほどこの臭いを嫌って砂や泥、水で洗ったものだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月29日 (火)

大荒れの一夜が明けて

011

大荒れの一夜が明けて、午前中は空澄み渡るってほどでもないが、気温が昨日より少し低くすっきりとした感じだった。

今日も今日とて、麻機の田んぼ周りを歩けば、どの田んぼも水浸しで鴨や鷺、ツバメは領分が増え、雉や鳩は餌場が少なくなっている。

018そして、どこでどう過ごしたのか、鳥たちが開放されたように人目につくところに出てきた。

雉は、その雄たけびでいる場所がすぐ分かり、カワセミは水面近くを一直線に飛んでいく。

それにつられてか、ヨシキリは葦の間で風に揺られ、雀は夜中に降った水溜りで水浴びをしている。

.

午後になって、また雷が鳴り、稲妻が走って昨日の再来になった。

これも自然の摂理なら仕様の無いこと

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月28日 (月)

愛嬌のある花

019


Img_0089左、秋になれば赤い実がわれて


木の枝から細い蔓を伸ばした先端に小さな花がふたつみつ。

ツリバナの花は、花びらもとってつけたように五枚の花弁を真っ向に開き、雄しべも雌しべも退化したように、ぽつんとぽつんとその痕跡を残している。

こんな花だが愛嬌があって好きな花のひとつである。

きょうも風に吹かれてゆらゆらと

.

新潟県の民謡に、三階節というのがあって、その出だしに

米山さんから 雲が出た

いまに夕立が来るやら

ピッカラシャンカラ 

ドンカラリンと 音がする

今日の天気は、この歌ではないが、午後になって西の空から雲がかかってきたかと思ったら、雷がなり、雹が落ちてきて雨になった。

テレビは、竜巻注意報まで出していたが、、、、、、

気象に「異常、が付き物の昨今、静岡で5月にはいって二度も雹が降るのは珍しい事で、、、このさき、どんな異常なんとかがおきるのやら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月27日 (日)

ケリをつける?

011

羽根を折りたたみ急降下の姿勢をとるケリ


いま、麻機の田んぼ道を歩けば、ケリがけたたましい声を上げて上空を旋回し、攻撃を掛けるような姿勢を示す。

017甲高い声で警戒と脅しの声を出す

多分田んぼの中に生まれたばかりの雛を抱えているためであろうが、名前の由来にになっている「ケリケリケリッ}という甲高い鳴き声は、人間が来たという警戒警報に他ならない。

この鳥の、気の強さは人間のみならず、自分の体重の何倍もあるから巣にさえ向かっていき、追い回している光景を好く見る。

人間では、水の入り始めた田んぼに入ってまで、雛を求めるようなことはしないが、カラスの場合は空からだから、、、、、

おかげで、この声につられて鴨や鷺の仲間までが警戒態勢に入ってしまい、飛び去っってしまうことがある。

この鳥の名前は感じで鳧と書くそうだが、物事の決着させるとき、「けりをつける」というときの当て字(?)にも使われることがある。

.

いま国の内外で、すったもんだと揉め事が多くなっているが、「早々に、けりをつけたい」人が沢山いるようだ。

しかし、相手の理解を得ようとする姿勢もなく、ただ「自分について来い」と言っても信用が出来なくて、”お任せするにはチョッとね~”ってことが多すぎる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月26日 (土)

満天の星か妖精のスカートか

059

062真っ白な鈴のような花を下げて咲くドウダンツツジもよいが、それより少し遅れて花開く更紗ドウダンツツジもまた味のある花である。

ドウダンツツジは灯台躑躅とも書くが、満天星とも書かれることが多く、写真の更紗満天星は、高さが四~五メートルにもなる大きな木だったので、低い花でも自分の背丈を越しており、茂った葉で空が見えない。

そんな状況から、まさに満天の星を見るかのように思ってしまった。

黄色っぽい花びらには細かい赤い筋が入り、まるで妖精のスカート、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月25日 (金)

優しい花言葉

054

ヒメジョオンの薄紫の花が上品に開いていた。

草丈、40センチくらい、花の径は2cm弱真ん中の雄しべ雌しべを取り囲んで小さな針状の花びらを無数突き出させている。

この花は、蜜が美味いのかよく虫たちが通ってきて、今回は花アブが熱心に食卓の蜜を吸っていた。

029麻機に咲くハルジオン、蕾が下向き以外よく似ている

ヒメジョオンとハルジオン。名前もよく似ているが花の形もそっくりで初めのころは区別がつかなかった。

区別の仕方としては、まず名前を漢字で書いた場合、ヒメジョオンは姫女苑と書き、ハルジオンは春紫苑と書く。

女苑は中国の花を意味し、紫苑は菊を意味するとのこと、どちらもキク科の草で、いずれも海外から入ってきた帰化植物、その繁殖力の強さから、どちらも特定外来植物に指定されているが、花言葉は、前者が「素朴で清楚」後者が「追想 愛」と優しい意味づけをされている。

さて、このほかの違いとなると、ヒメジョオンのほうは蕾みのうちから立っているが、ハルジオンのほうは蕾が下を向いていることが特徴で、後は茎を折ったとき、ヒメジョオンは中身が詰まっているのに対して、ハルジオンは中空であることが違うくらいで、葉のつき方は専門家任せの領域になる。

.

ヒメジョオンとハルジオンは「似て非なるもの」

この言葉から思い出したのは、先日の行政改革の懇談会を「土光臨調」に重ねるような格好で行いたいと、いっていたが、、、、、

どうも今の国会論議を聞いていると、まず、増税ありきの話ばかりで、行政改革については「やるぞやるぞ」というばかりで、何も決まっているものはない。

この内閣は、初めの演説で使った「どじょう」いらい、人の話を引用してばかりで、言葉遊びに終始している感がぬぐわれない、、、、、自分の言葉でしゃべることが出来ない内閣であろう。

そんな内閣が、増税、原発の再開ばかりに前のめりなって納得出来る成果をひとつも出していないような気がしてならない。

刈り取っても、抜き取っても絶やすことが出来ない外来植物のように、議員と言うものが、その職で初心を忘れていくのを止めることが出来ないのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月24日 (木)

花より団子?

097

山あいでは、ミツバツツジの花期も済んで、ヤマツツジの季節に入った。

この花が咲き出すと、木陰では春蝉が鳴きだし、暑さもそろそろ本格的になるのが体験的に分かる。

このヤマツツジの色も好きである。園芸ツツジのようにその辺り一体が真っ赤に燃えているのより、薄緑の若葉に包まれて、ポツンポツンと橙色がかった暖色がなんともいえない。

016s森の一角にそれこそスポットライトを浴びたように、そこだけ明るくなっているのはいつ見ても気持ちがよい。

ちなみに、この花の花言葉は「燃える思い」というそうだが、まったくそのとおりの咲きかたをしているように感じてしまった。

そのツツジを見ていたら、クロアゲハが参加させて、とばかりによってきたように見えたのだが、、、、。

クロアゲハのほうは”花より団子”ならぬ蜜、とばかり、花の中に顔ごとのめり込ませて、容易には揚がって来ない。

「一緒に花見をしよう  って来たんじゃないか。蝶々なら花から花へと、、、、」と、下から抗議してみたものの       まあいいか。

.

.

七十代も前半なかばになって年寄りマークを付けることにした。

気持ちはまだそんな年ではないと思っているが、娘の薦めもあって従う、、。

このマークは、初心者マークと違って強制をされないが、年々落ちていく身体能力は、一気に悪くなることもなく、本人がつけたくないという気持ちもあって普及が遅れている。

しかし、自分らから見てもよたよたと運転しているおじいさんを見ると、どうしてって思ってしまう。

きっと、頑固一途で自分の老化を認めたくなさそうな顔つきで運転しているんだろうと想像してしまう。

一方、女の人は案外抵抗がないのか、近所のおばあさんなんか、評判の悪かった”枯れ葉マーク”もあわせて前後に四枚も張っている。

このマーク、100円ショップに行けば、何枚でも買えるので、そうでない人もつけているのかもしれないが、外国製高級車に身体障害者のマークを付けている人が、通行料金の割引を受けているのを見たことがある。

どんな障害があるかは分からなかったが、こんな高級車を買える人にまで割引をする必要があるのだろうかと思ってしまった。

先日の国会で、高額所得者の親が生活保護を受けた問題で、追求されていたが、身体障害者なら、何でもかんでも割引を受けるのはどうなのかと思う。

ただ、その辺のところを分かる人がいたら教えてほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月23日 (水)

ひょっとして

083

人はいざ知らず、始めて見る蝶に、どきどきして何度もシャッターを切る。

以前のように、フイルムで写す被写体なら、プロでない限りそう何度もシャッターを切ることはないが、そこはデジカメのよいところ、、、失敗すればその場で消せばよいのだから、、、、、、、、と

.

.

009朝からのあまりよい天気に誘われて、富士宮方面へ、新東名を使って出かけてみた。

いつもどおり、あちこち回った末、お気に入りの田貫湖付近を散策する。

お気に入りだけあって、何度も来ているが、このあたりは桜の花も済み、いまちょうど若葉の季節に入ったところ、湖の上を吹き渡る風邪は気持ちよく、よく整備された芝は足の裏に心地よく響いてくる。

一通り散策した後、いつもどおり小田貫湿原に向かった。

087小田貫湿原では、水も少なく、お目当てだったモリアオガエルの産卵床も見られなかったのは、例年より遅れているためか、湿原の水が少ないせいかわからず、、、、

これといった成果もないまま駐車場に帰りかけたとき、白い蝶々が何頭ももつれ合いながらひらひらと飛んでいた。

一瞬、モンシロチョウではないことを確認したが、頭の中は「もしかしてミヤマシロチョウ?」と思ってしまった。

この蝶は、氷河時代の名残で、雷鳥などのように氷河期が終わるとき、北に帰りそびれて気温の低い高い山などに取り残された生き物のひとつで、めったに見られないものと聞いていた。

それが何頭もいるということは、、、、ひょっとして大ニュースかも、、、

しかし、写真にして図鑑に照らし合わせたら、どうも、ウスバシロチョウではないかと、、、と、言うことになった。

ウスバシロチョウも同じ仲間なので、希少価値はあるが、それでもミヤマシロチョウには適わない。

しかし、久しぶりに心ときめいてシャッターを押した感触は、金冠日食に負けず劣らずであり、このドキドキ感が身体にはよいらしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月22日 (火)

悪臭が魔よけに

016

トベラの花が咲いていた。

咲き出しは白い花だが、次第に黄色くなって枯れて落ちる。イチジクと同じで潮風の吹かないところでは育たないと聞いたことがあるが、太平洋側沿岸に多く、内陸部では見たことがない。

この花には芳香があるが、枝や葉っぱには嫌なにおいがあり、正月に鰯の頭とともに玄関先に飾るところもあるといい、トベラと言う名前も扉から来たという説さえある。

玄関に鰯と一緒に魔よけとして飾るのは、葉っぱの棘が鋭いヒイラギが一般度と思っていたが、棘の変わりに、悪臭が魔よけとして使われるようだ。

そういえば、外国ではニンニクを魔よけに使うとも聞いているが、悪魔は悪臭に弱いとするのは、世界共通のことなのだろうか。

と、すると、これら悪臭をものともしない人間は悪魔以上の存在ということになるのだが、、、、、

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月21日 (月)

金環食に


009_2


002
午前7時過ぎ欠け始めた太陽は不安定な雲越しに、、

今日は朝から大天体ショーがあるというので、麻機の草の生えた農道に言ってみた。

じつは、前々からスーパーで遮光眼鏡を売っていたのは知っていたのだが、五月二十一日に空が晴れているかどうか分からないので、買っても使い道のない代物になるんではないかと、買わないでいた。

それが、どうやら薄いながら雲を通して見られるんじゃないかと言う情勢になったため、急遽遮光グラスを作ることなった。

まず、物置からガラスの破片をもって来て、蝋燭の煤を付けることにした。

これは、小学生の頃、カンテラの火から出る煤で黒くしたものを作った経験からである。  (後で考えたら、マジックインクの黒でも好かったかな、なんて思ったが、そのときはこれしか思い浮かばなかったので、、、、)

舗装した道路では、車の邪魔になると選んだ未舗装の道は雑草が生い茂り、周りに人影もなし、何の気兼ねもなしにカメラを設置した。

040しかし、空模様が次第に怪しくなる。高層の入道雲は微動だにしないのに、その下の雲は西から東にかなり早く流れ、焼津との境は黒い雲が次第に押し寄せてくる。

そして、一番下の雲は、東から西へと薄くたなびいている。なんだか、上空の空は複雑な動きを示しているようだ。

039一瞬の晴れ間に

撮影ポイントに着いたときは既に1/3暗い欠けていることが分かっていたが、時折、黒い雲が太陽を隠し、なんともやきもきとさせるひと時が過ぎていく。

7時32分、予定通り完全の金環食を見ることが出来た。あたりは少し薄暗くなっていることが分かる。

周りの、風景がセピア色に近い色合いとなり、カラスも不安げに鉄パイプの先端で身動きをとめている。彼らにも何か異常を感じさせているのだろうか。

その間にも、何枚もシャッター切ってみ、その合間に、遮光ガラスを掲げてみる。

いままで、何回か日食を見てきたが、金環食と言うものははじめてである。

月は地球の周りを完全に同じ間隔で回っているのではないことがこれでよく分かる。そんなことを思いながら、薄雲越しの天体ショーを満喫させてもらった。

すぐ側の、新東名取り付け道路には信号で止められた車が波を打って走っている。この人たちは金環食どころではないのだろう。

なんだか申し訳ないような気持ちで、帰り道についた。

太陽のほうも、沢山の人にみつめられ疲れたのか、以後は布団をかぶったように終日顔を出すことなく長い一日を終えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月20日 (日)

ウオンテッド

022

静岡市の広報に「この花を見かけたらご連絡ください」とオオキンケイギクの写真入りのコーナーを見た。

オオキンケイギク。アメリカ原産のこの植物は繁殖力が強いことから、1980年代、河川改修や緑化工事になどのときにグランドカバーのため、種を蒔いたそうだ。

しかし、その繁殖力は予想以上に強く、他の植物を圧倒していくところから、平成18年に特定外来生物として、栽培はもとより移動、販売が禁止され、駆除することになった。

なんだか、招待した客があまり大食らいなので出て行ってくれと言うようなもので笑ってしまった。

花自体は、キク科の黄色い花で見事なものだが、、、、いかんせん

で、広報では「見かけたら、日時、場と写真を提供してください」とのこと、まるでウオンテッドと指名手配をしているよう。

なんでも、特定外来生物に指定された動植物は100種をこえるそうで、この中にはアライグマや台湾栗鼠、カミツキガメなど名の知られた猛者が沢山あり、それに互して、この花も指名されたということは、ほかの生物と違って、個人の持込みというより、国や自治体が緑化工事と言う公けの仕事のために持ち込んだものなのだが、、、、、。

その植物の生態も分からないままに輸入して、害があるでは、すこしばかりむ腑に落ちないような気がするが、、、、、、、、

.

.

昨日、連れ合いと中央図書館に行った際、後ろから来た女性が追いつき、我々のすぐ前を歩いて、階段を昇って行った。

その女性の、スカートの短いこと短いこと、、、膝上何センチでなく、股下10センチもないほどで、下着が見えてしまった。

それでも、気になってはいたらしく、持っていたバックで尻を隠して行ったが、、、

この場合、見たら痴漢になるのだろうか。見てくれといわんばかりの服装をして、見ればセクハラでは、、、、

なんだかオオキンケイギクによく似た状況では、、、

われわれ、年寄り夫婦はまだしも、若い男性では「鼻血ブー」になること請け合い、と思ったが、、、、。    

娘に話したら今の若い男の子はそうならないんだって、、、、

またしても思う。     昭和も遠くなりにけり

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月19日 (土)

ユリノキを間近に見て

013

019静岡市谷田の県中央図書館は、隣の美術館に比べて人の出入りはぐっと少ない。

その図書館の出入り口に程近いところで花を咲かせているユリノキの巨木を見つけた。暖かい日差しのためか、一部散りかけているものもあったが、まだ、薄黄色に赤い縞模様の入ったお猪口のような花を間近に見ることが出来た。

というのも、ユリノキが生えている場所が、出入り口より少し下がった位置にあるためで、我が家の近所でもある県立総合病院に咲くユリノキも一抱え以上ある巨木の上のほうに咲いているため、これまで下から仰ぎ見るしかなかった。

前にも書いたが、ユリノキとはさる皇室関係の人が名づけたため、本来の産地である北アメリカでは花の形がチューリップに似ていることからチューリップツリーと言う名前を直訳することが出来なかったようだ。

何事も高貴なお方が決めると訂正はむつかしいようで、、、、

.新東名の下には遺跡が

005

006今日、県立の中央図書館に行ったのは、新東名の工事予定地にあった遺跡からの出土品を展示してあるというのを聞いて行ってみた。

下の駐車場から、若葉が茂るプロムナードをゆっくりと歩けば、小学校低学年までのスタンプラリーやっていた。

小さな身体にリュックを背負わされて、意味も分からずスタンプを押してもらう二歳くらいの子、スタートしてすぐに抱っこをせよと駄々をこねる子など、、、母親とのほほえましい光景を横目で見ながら「自分たちもこんな時期があったのかな?」なんて話しながらむかう。

入ってみると、すぐ先の二階にその展示があると示してあったので、上がってみる。

展示場には誰もいなくて、ポスターや掲示板ばかりが目に付く、ようやく最後のスペースにガラスケースの中に一列だけ、目的の出土品が展示されている場所を見つけた。

思ったより少ないなと思いつつ、展示品を見たが、森町で出土したという短甲には驚いた。

埴輪の武人が着けているのを見たことがあるが、実際にこのようなものがあったとは、、、はじめて見た。

説明書にもあるように、鉄が貴重品で中国辺りから輸入していた頃に、これだけ鉄を使う人がいて、それを副葬品として地中に埋めることが出来る豪族の財政力。

実際に、鉄が貴重品だったのは江戸時代に入っても、そうだったようで、木の鍬の先端に鉄をつけただけのものを見ている。(これのほうが軽かったからと言う負け惜しみの解説もつけて、、)

弥生時代の鉄製品が2,000年近く土に埋まっていたとは思えないほどしっかりとした形で残っていたことになる。

010同じようにして出土した刀は、錆びて細い鉄板状になっているのに比べると、鉄に打った鋲や留め金までが残っている不思議さ。

また、愛鷹のサービスエリア付近で出土した太刀の鞘に巻いた金具の色と柄の色合い、木目などもよく残っていたの一言。

こんな調子では、まだあちこちに同じようなものが残っているのだろうな、、、、

この時代、静岡近辺では”庵原の君”の勢力範囲がこの付近まで広がっていたのか、、、それとも、庵原の君に匹敵する豪族がいたのだろうか、、、

そんなことまで空想の範囲は広がっていく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月18日 (金)

我ここに在り

008

 

南から南から 飛んで来た来た渡り鳥

うれしさに楽しさに 富士のお山を眺めてた、、って歌があった。

麻機沼に生えている葦のあちこちからオオヨシキリのさえずりが聞こえる。

オオヨシキリは静岡辺りでは、夏の間だけ姿を見せる渡り鳥だが、渡って来て一ヶ月余。旅の疲れもいえたようで縄張りを構え、恋の季節に入ったようだ。

名前の由来は、葦の幹を引き裂いて、中に潜む昆虫を取り出して食べるからと言うらしいのだが、枯れた葦の中で食べて恋して、住まい(巣)を構えてとなると食住一体の生活になる、、、、

漢字では書きにくいが、ギョギョシ チュクチュクといった複雑な鳴き声で妍を競っている。

そのうち我慢が出来なくなったらしいのが、葦中に立っている枯れ木の上に上揚がって、我ここに在りといわんばかりに大口を開けてさえずり出す。

春真っ盛り!

.

今日は、かかりつけの内科医院に行って、三ヶ月に一度行っている血液の検査を行ってきた。

血液を採取するさい、看護師さんとむかしは”売血”と言うものがあって、これを輸血に使うと、ほとんどが肝機能を損ない黄疸が出たものだった。」と、はなしたところ、”売血”と言うものを知らなくて「それってどんなものですか?」ときかれてしまった。

「売血を知らない?看護学校でそんな話を聞いたことがないの?」

「どんな字を書くのですか? 売る血?」「むかし、日本の血液はそのほとんどがお金を払って血液銀行が買い集めていたんだよ」「仕事がない人や出来ない人が、自分の血液を売ることで生活費にしていたから、栄養状態も悪いし、黄色い血なんて言い方もあったんだよ」

「いつごろまでそんな制度があったんですか?」と看護師さん。「たしか、昭和40年代まであったと思うよ」と、、、

別な看護師に「あなた知っている?」「私、知らない。だって生まれる前の話だもの」

昭和も遠くなりにけり、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月17日 (木)

細い刺で武装して

015

016大岩の山の中腹にある天神様。

山を削って作った日の当たらない小さな敷地の岩が露出している斜面のすそに、白い粉を撒き散らしたようなところがあったので近寄ってみたら、アリドオシの花だった。

高さが20センチに満たない小さな潅木に、名前の由来となった細くて鋭い刺をあちこちに突き出して、木を守っている。

この木がこれだけの武装をしていると言うことは、草食動物にとって、よほどおいしいご馳走なのだろうか?

木に見合った小さな筒状の花を下向きに下げ、それこそ地面すれすれに咲かせているのだが、花の数が多くて、遠目にも目立つ。

.

いまから1,800年ほど前、中国は魏の国に日本の卑弥呼が生口と言われる人を10人献上していることが、魏志倭人伝に書かれている。

当時の日本と中国の文明の差が大きく、献上する物産もなく、代わりといったら人間しかなかったのだろう。そして、その中に書かれている一説には、生口の顔を含めて全身に刺青が施されているのが書いてあるのは、かの国の人にとってはよほどの驚きだったのは間違いない。

時代は進んで、江戸時代になると”遠山の金さん”が白州の前で「おうおう この刺青を忘れたとは言わせないぜ」ってんで、悪人を観念させる設定をテレビで繰り返し放送している。

どの程度の刺青があったのか、なかったのか。面白おかしくするための刺青で、毎回片肌を脱いで刺青を見せたとは思わない、、、、

刺青は、儒教の教えにもあるように「身体髪膚 これ父母より愛く あえて毀傷せざるは孝の始めなり」とあるようにご法度であり、江戸時代までは、痛みを我慢できる男とか、罰の対象として刺青が入れられてきた。

そのため、近代に入って刺青をした人は堅気ではないとして嫌われてきた経緯がある。

然るに近年になって「タトゥー」なんて横文字にして、若者がファッション代わりに入れる人も良く見るようになった。

先日、例の大阪市長が刺青をした職員を配置換えなどして、人目につかない職場に異動すると発表した。

たしかに、このことの発端は、刺青した職員がそれを見せて子供を脅かしたことにあり、論外の行動であったが、このアンケートをとる際に回答しなければ、業務違反で処罰の対象とする。という、権力乱用の気味もあり、、、、、

なんだか報道を聞いていると、刺青の力を借りて威圧感を与えようとする人、市長と言う権力を盾に自分の正義を貫こうとする人。

虎の威を借る狐ではないが、刺で武装しているアリドオシに劣るような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月16日 (水)

虹色に光る露

009

昨日の雨が露となって残る散歩道。

012今日は気温が30度近くまで上げると言う天気予報を聞き、遅く出かけては暑さに慣れていない身体が熱中症になっては困るので、朝早く出かけ予定の歩数を歩いて帰ってきたのが九時過ぎだった。

027道端の草についた、玉の露は朝の光を受けて、きらきらと輝き、屈折率の違いで、七色の宝石をまいたように輝いていた。

そして、淡い紫の蕾みを持つレモンも、開けば真っ白な五弁の花びらを開き、芳香を放って虫を待つ、、、。

学校に向かう中学生は、信号のたびに押し出されるのか、波状になって集団を作ってすれ違う。

急ぐ用事ではない自分はそのたびに道を譲ってたたずむ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月15日 (火)

匂いを消して

016

激しくは降らないが、一日中休みなく雨が降っていた。

013庭先の、ニオイバンマツリもその雨に濡れて昨日はよく匂っていたのに、まるで眠ってしまったかのように隠してしまった。

この花は咲き出しが濃い紫色をしているが、次第に脱色して白くなって散る。そして、最盛期には、紫と白のコントラストが絶妙なのと、名前の由来にもなっている匂いが強く漂う花で、下田には境内一面にこの花を咲かせている寺もあると聞く。

ニオイバンマツリ、漢字で書くと匂蕃茉莉とかき、蕃は外国を意味し、茉莉はジャスミンを意味するそうで、原産地は南アフリカ。なんでも、寒さにはあまり強くないそうで、よそではコモを掛けたりして寒さをやり過ごしているそうだが、我が家ではほったらかし、、、、、

今年の寒さはことのほか厳しくて、いくつもの植物が霜にやられた中で、何事もなかったかのように花咲かせている。

.

今日五月十五日は、沖縄が本土に復帰して以来40年になるとテレビで報じていた。NHKでも政府が毎年2000億円以上の特別融資をしているのに、経済が立ち直れない原因を放映していた。

ひとつには、やはりかなりの土地を占拠している米軍基地もあるが、補助金漬けで自治体の体質がおかしくなっている現状を映し出していた。

そういう現象は、原発がある市町村にも通じる現象であり、それがないと予算を組めない、、、いわゆる、努力をしないで得た泡銭みたいなものに頼ってきた結果であろう。

補助金、エコカー、エコ家電などにも税金をつぎ込み補助してきたが、これら基幹産業は、補助金が打ち切られると途端に悲鳴を上げている。

政府のほうも、このような弊害に気付かなければならない時期に来ているのでなかろうか。

そして、もうひとつの五月十五日は1932年の5.15事件、これによって、政党内閣制が消滅し、軍を中心にした挙国一致の政治に変わっていく節目になった日でもある。

いま政府は、自民党と一緒になって大連立を模索しているとも聞くと、なんだか政党政治の末路を示しているようで怖い気もするが、そのことを論じる気配はまったくない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

こんにゃくの花

061

草むらの中にすっくとぼったってる(静岡言葉でぼうっと立っている)一本の塔、しばらく何の花か考えてみた。
と、こんにゃくに行き当たった。

060d葉っぱらしきものもなく、濃い紫の襟巻きの中から槍の穂先のようなものを飛び出させた、細長い円錐柱。

図鑑で見たことはあるものの、現物は初めて、、、、、どうしてこんなものがここにあるのだろうか。

自分が、この場所を歩き始めて、かれこれ十年にはなるが、この地が畑だったことはない。

こんにゃくが花をつけるのは六年以上たってからのことだそうだが、大抵のこんにゃくは、三年めに掘り出して出荷してしまうので、まず花を咲かせるまで植えておくことはないそうだ。

と、なると、このこんにゃくは誰かが塵と一緒に捨てたのだろうか、とにかく珍しいものを見つけた。

珍しいものついでに、匂いを嗅がせてもらったが、評判のとおりの悪臭、、、、どこか同じような匂いを嗅いだことがあるが、これといったものが浮かび上がらない。

ただ、ハエなどは腐ったものの匂いに集まると言うことからそんな種類の昆虫を相手にしているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月13日 (日)

愛の絆

006

スイカズラの花。上下二枚の花びらのように見えるが、実際は上が四枚下一枚の五弁花である。

咲き出しは、白く、しばらくすると黄色になるところから、別名金銀花とも言われ、寒い冬も常緑葉っぱを落とさないことから”忍冬”とも言われている。

スイカズラを漢字で書くと、吸い蔓となるのは花びらの付け根付近に甘い蜜があり、その花を採って蜜を吸ったからと言うのが一般の開設だが自分なりに感じるのは大きく口を開けてもその奥が見えずまるで吸い込まれるような花の形から来ているように見えるからではないかと思っている。

しかし、スイカズラは日本ではそんなに猛威を振るっているようには見えないが、帰化した先の欧米では何が適したのか、繁茂しすぎて有害植物に指定されているそうな。

花言葉は、”愛の絆”と言うそうだから、愛情表現を大きく外に出す欧米で自己表現を出しすぎた結果?

.

新緑がまぶしく感じる安城で従兄の法事に出席し、久しぶりに会った故人の姉妹やその子供たち、最初は戸惑いは目の前の人だけでなく、自分も同じだけ歳をとってしまっていることに気が回らないことにある。

しかし、すぐに昔の顔と合致する、同級会と一緒の雰囲気、、、、。

そうした中で、故人のいろいろと思い出話の中にこんな一面も、あの時は、、、、と、偲ぶ話が次々と出てくる。

これが法事を行う意味合いであり、親戚の絆でもあるのだが、、、、、、。

そして、岐路は再び新東名を走って帰ってきたが、テレビなどで報じられているほど走りやすい、サービスエリアが充実していると感じなかったのは、期待しすぎていたためか、強い横風に車がふらふらとしたためばかりではないようだったが、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月12日 (土)

白花夕化粧とでも

002

068左が本来の赤花夕化粧


今では全国的に繁茂している赤花夕化粧(アカバナユウゲショウ)

しかし、これが?ってのが発生する。

まだ、めったに見られないので、突然変異なのであろうが、これも数が増えれば、白花夕化粧と別種として認められるかもしれない。

なにごとも、”継続は力なり” 種を飛ばして子孫を増やせ

.

八十四歳になる従兄弟が亡くなった。それも三月中に、、、、ちょうど寒い時期だったらしく、「遠いところから葬式に来た人が風邪をひいたら困るので内内だけで済ませてほしい。」と言うのが遺言だったそうで、やっと一昨日になって四十九日の法事をするといって連絡が来た。

なくなる間際まで意識がはっきりしていたのだろうが、そこまで配慮する必要はなかっただろう。

最後に会ったのは、その人の姉が亡くなった時だったので三年前だった。

その連絡が来た夜は、床に入ってもあれこれと思い出が浮かび上がり、寝つきが悪かった。

明日の法事を控えて、これから東名をくだり安城にむかう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月11日 (金)

緑に赤い帽子が映えて

030


034遠くのほうでわいわいがやがやと子供の声がしていると思ったら、刈り取りが済んだばかりの茶畑の間から、小学生の姿がちらほら、、

その列は、早緑の丸い茶の木の間から次々とあらわれて、途切れなく続く、、、何が入っているのか一様にリュックを膨らませてさも重そうに担ぎ、前かがみになって登ってくる。

しかし、そろいの赤い帽子は茶畑の緑に映えてまぶしく見えるのは、こんな時代をすごしたのは60年以上むかしの年寄りのうるんだ目なのかもしれない。

こちらに気付いた、子供のうち何人かが、手を振ってくれる。それに呼応して手を振れば、気持ちが和らぎ、目じりが下がり、口角が上がるのを自分でもよくわかる。            子供は薬。

.

043


044帰り道、道脇に麝香揚羽が落ちていた。

死んでいると思ったが、摘み上げてみると、雄雌二頭のつがいであることが分かった。

人間につまみ上げられても、離れられないほどしっかりと抱きあっている激しい恋。 つながりあっている部分が離れられないばかりでなく、手足のほうも互いにしっかりと絡み合わせ離そうとはしない。

まさに生死をかけた恋と言えるのか、それとも、体内に有毒物を持っていて誰も手出しをしないことを承知の上でのことか。

ともあれ、最近では、いとも簡単に相手を見捨てて去っていく人間も多い中で、これほど激しく抱き合うのは、、、、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月10日 (木)

関東一円雷鳴るときは

007

今日も天気が安定せず、雷が発生し竜巻がおきるかもしれないと言うので、早めの散歩に出た。

010道端には、白いノバラの花が放棄された田んぼを白く染め上げ、よい香りを放っている。

白い5弁の花びらを平らになるまで広げ、花期の終わりには白くなる雄しべ雌しべを黄色く染めて昆虫を誘っている。

一つ一つには鼻を近づけても分からないほどの微香だが、、、、やはり数の力、、、歩いていても感じる香りを靡かせる。。

東屋で出会ったご同輩も、春の香りを嗅ぎに来たといっていたが、風の吹き具合で、強く弱く取り混ぜて流れてくる青葉若葉の香りは、それこそ、ハーブの香りで気が休まり、同じベンチに腰掛けていても、言葉少なくなっていく、、。

.

042

午後になって、予想通りの雨が激しく降る。

ほんのいっときで雨はやんだが、家の裏の水路は幅5mほどもあるのだが、水位が一気に4~50センチも増水する。ほんの五分ほどであれだけの水を天から落とす自然にはただ唖然とするばかり。

その雷雨も次第に東に移り、北関東は連日 激しい雷雨にさらされている。

美空ひばりの”関東春雨傘」と言う歌に#関東一円雨降るときは さして行こうよ蛇の目傘 どうせこっちは分流し、、、ではじまる。

最近の降り方は、とても春雨とは言いがたく、夏の夕立と同じで蛇の目傘などでは追いつかない。

そして、「分流し」の意味を調べたら、ぶっ壊すと言う意味があるという。

おりしも、政界のぶっ壊しや小沢一郎の党員復帰と裁判が二審で争われることが決まり、、、この歌はこのあと#切れるもんなら切ってみな    と啖呵を切っているが、、、、、、、、、

なんだか意味深に聞こえるのは、野次馬の耳のせいか   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 9日 (水)

昼咲き月見草

011w

006麻機の遊水地の一角で今年も昼咲き月見草が咲いている。

この花、もともとの原産地はアメリカらしいのだが、ここに咲き出したのは沼の改良工事の際、堤防の緑化工事の一環として種が蒔かれたのが原因だと言う。

植えられた当時は、一面に咲き誇り、外来種の種を安易に入れたものと批判もされたが、その後、勢いも衰え最近ではなんだか可哀相な気がしないでもない。

花の径は5センチ近くにもなる大きな花柄と、薄いピンクの色合いは綺麗なものだったが、この程度の繁殖が一番よいのではなかろうか、と思う昨今

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月 8日 (火)

花の色は

018
静居寺の残り花 前日の雨に打たれて、花も下向きに

花の色は うつりなけりないたずらに 

わが身よにふるながめせしまに  

あの絶世の美女といわれてきた小野小町のうたという。

「春の長雨にうたれ色があせてしまった花を見て、自分もいたずらにこの世を生き長らへてしまったことよ。」と解釈しているが、、、

平安朝の宮廷美人は百人一首で見れば、いずれも十二単に身を包み、さながら牡丹、芍薬の花といった感じで坐っており、当時の貴族は女性の身体や顔を見て恋をしたというより、御簾の影にうっすらぼんやりと浮かぶ姫君を想像して歌や恋文でかわしていたようだ。

したがって、実際に姿を見てがっかりしたことも多かったのではなかっただろうか。

現代でも、姿だけを見て惚れてしまうのもかなり多いが、やはり一緒に生活するとすれば、話が合う人、料理が上手な人、掃除がきちんとできる人などなど、、、いろんな条件が折り合わなければ、すぐに破綻してしまう。

しかし、当時の歌詠みをする人たちは乳母日傘で、そんなことに頓着はなかった男女の恋、、、、、、、、

.

012我が家の芍薬、主人に似てこじんまりと

先日、掛川に行った帰り、島田の静居寺へ寄ってみた。

毎年、四月の終わり頃牡丹が境内に咲いているのだが、今年はどの花も遅れ気味。と思い。ここも遅れていると予想して寄り道をした。

しかし、その予想は大きく違っていて、その前日に降った大雨が完全に止めを刺した格好でほとんどが花びらを地面に打ち付けていた。

まさに、小野小町が歌った世界の再現のよう、、、

そして、庭先の芍薬が花開いているが、こちらは主人に似て小ぶりで地味な花

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 7日 (月)

気持ちは若くても

005

モチツツジ。珍しい花とは思っていなかったが、静岡辺りから岡山、四国辺りまでしか咲かず全国的に見ると、分布の少ないツツジだと聞くと、この地味な花でもなんだか有り難味が出てくるから不思議。

008漢字で書くとこれが難しく、黐躑躅となる。

この木は、葉っぱや花を虫に食われないため、花の顎や柄、葉や若木の回りなど柔らかいところに繊毛が生やしていて、これに粘り気のある液体が付いている.

その粘液で、虫が絡め獲られて死んでしまうところから、鳥黐(トリモチ)にたとえられて付けられたそうだ。

で、写真の蜂は、クマンバチによく似た蜂で、トラマルハナバチ?

これだけ大きくなると粘液で絡め獲られる心配もないし。花粉の運搬する蜂として、花のほうとしても大歓迎。

.

長いゴールデンウイークも終わってみるといろいろなことが新聞を賑わしていた。

ずいぶん前だったが、切り傷が意外と治りが遅かったので言外に藪医者と言う意味を含めて「今回は傷の治りが遅いのはどんなことが原因でしょうか?」って聞いてみた。

すると、その医者の言うことには「自分では若いと思っていても、身体は歳相応ですからね」と返された。

たしか、五十代頃までは身体の衰えと言うものを認めたくないし、腕力も若い者に負けないどころか、「最近の若い者は身体を使わないから、、、」なんて言っていたころだった。

それが、医者に指摘され、抵抗力というか蘇生力が衰えているのを自覚した初めだった。

そして、この連休中に10人を越える人が遭難死し、そのほとんどが六~七十代の人だったと聞くと、この人たちはそうした自覚のない人だったのかと思ってしまった。

また、以外だったのは、白馬で遭難した六人のうち四人までがそうしたことを知っているはずの医者だったという。

これでは、紺屋の白袴以外の何者でもない。多分、人はそうでも自分は違うという意識が強かったか、、、、、、

若い頃は、今のように遊びの種類が多くなかったし、自分は北アルプスのすぐ側にいたためもあって、この時期の山は晴れていさえすれば楽しいものだった。

日中の暖かい日差しで雪が溶け、夜の寒さで凍るを繰り返す毎日の中で、雪の表面は硬くしまり、夏山では行けないルートを好きなように歩けたものだった。

その反面、”地こすり”といった全層雪崩も発生するため、危険な場所を察知することも必要で山全体を見渡すことも大切である。

しかし、今回の遭難の遠因として感じるのは、遠いところから来てせっかくのチャンスを潰したくなかったという意識が、引き返す決断をさせなかったのか。もう少し我慢をすれば天候が回復すると思ったのか、、、、、

とにかく自分の体力を過信したのか、天候を自分の都合のいいほうに解釈したか、、、、、、、、人のことを言えた義理ではないが、山は甘くなかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月 6日 (日)

雷とともに雹が

017

それは雷とともに突然やってきた。

午後二時半を過ぎた頃、遠い雷とともに激しい大粒の雨が降ってきた。

021予感としては、雹が降るのではないかと窓を開けて外を見ていたら、期待にそぐわずバラバラバラッと激しくトタンをたたく音。それ来たっとばかりに傘をさして外に出る。

傘に手ごたえを感じるほどの手ごたえがあり、直径5mm前後の氷の塊が芝の上に転がった。

時間にして5分も降っただろうか、再び雷が鳴ったかと思うと一気に日が差し、降雹もおさまった。

雷に始まって雷に終わった。この程度ならこの辺りでは農作物に被害が出るほどでもなさそうだ。

それにしても、今回のはしゃぎようはすっかり静岡人並みになってしまった、、、これも歳のせい?。

.

夕方のテレビでは、北関東方面が竜巻による被害がかなりでていると報じていた。

これも、北からの冷たい寒気のため起きた現象だとのこと、今日の降雹は自分たちのところだけに起きた気象だと思っていたが、テレビの画面を見ると屋根瓦が飛び、自動車がひっくり返されるなどかなりすざましい猛威を振るったようで、死者まで出ている。

なんだか、少しぐらいの雹を見てはしゃいでいたのが不謹慎なように感じられてしまった。    

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月 5日 (土)

柳の川で泳ぐ鯉

068

ひさしぶり、新緑の柳を川に見立てて鯉のぼりは泳ぐ


#屋根より高いこいのぼり、、、と歌った頃(昭和20年代)は、どこの家も貧乏で鯉のぼりなど上がっている家はどこにもなかった。

その後、少しは上がるようになったものの、住宅事情で大きな鯉を泳がせる家は、大きな庭を持つ農家ぐらいになり、その農家も過疎化とともに子供がいなくなり上げる家も少なくなった。

しかし、少し余裕が出来た昭和の末期に上げられた、大きな鯉のぼりは、子供の成長とともに、押入れの奥深く舞い込まれた末、永の眠りにつくかと思ったが、観光名所にと町などに寄付され、河川敷などに目刺しのように列を成してぶら下げられることになった。

064_2久しぶりに、大空を泳ぐことになった鯉のぼり、張り切って大暴れし隣の鯉のぼりといさかいを起こし、絡み合ってにっちもさっちも行かなくなってしまった。

こんなことなら暴れるんじゃなかった。と後悔し、今度はおとなしくぶら下がってみたものの、、、、、、、  やっぱり我慢が出来なくて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 4日 (金)

新緑の茶畑に吹く風

009

ここ二日続いた雨模様から一変した青空に誘われ、掛川まで出かけてみた。

家を出てすぐに気が付いたのは、毎日が休みの我々が出てくる日ではなかったということ、、、、

掛川に通じるバイパス。その至る所で渋滞が発生しており、幹線道路ばかりでなく細い道まで車だらけだった。

それでもどうやら掛川まで行って、新茶を手に入れ、帰りはそれこそ江戸時代の東海道の一部を使ってみた。

020z_2


写真は、遠州七不思議のひとつとして有名な”夜泣き石”がある、小夜の中山から見た粟ヶ岳。標高532mの山頂近くに「茶」の一文字が入った山で、桜見物に何度か行った山。

その山を見ながら、折からの強い風で近くの茶畑の新芽がなびくさまを見ると気分がすっきりするように思われ、しばし、車から降りて景色を楽しんだ。

そして、菊川から牧の原に昇り、下って金谷、、、、、大名行列が「したに~ したに~」と歩いていた当時を想像して回ってみたが、金谷からこっちは旧東海道も定かでないため、国道一号を信号のたびごとに止まりながらの帰宅となった。

途中、瀬戸川の側にある「ながいけ」と言う蕎麦屋に立ち寄ってみたが、ここもえらい混雑。

しばらく待たされて、”笊かも南蛮?”を注文して食べた。

味は甘味が少なく、蕎麦の腰もあってよかったが、店員に「この混み具合はいつもですか?連休のせいですか?」ときいてみたところ、「テレビで放映されたからこっち、づ~っとです。」とのこと。

うわぁ ここもテレビ公害か!と驚いてしまった。

店には四テーブル、20人ほどが定員なのと、道が複雑で狭いため観光バスが来ることがないとは思うものの、味が落ちるのでないかと一瞬危惧してしまった。

テレビで放映された影響は、しばらく続くかもしれないが、何とか店の人たちが舞い上がらないよう頑張ってもらいたいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月 3日 (木)

雨上がりの麻機沼

025


昨夜は夜も更けてから雨音が激しくなり、かなりの雨模様と言うの聞きながら眠ってしまった。

静岡では、伊豆半島を中心に激しく降ったようで、連休を利用して行った人々は飛んだ災難だったようだ。

021一夜明けても雨は降り続け、散歩に出られたのは午後三時過ぎであった。

遊水地と言うだけあって、麻機の沼は水位が上昇し緑の色を濃くした枝垂れ柳なども根元に水が押し寄せてきて、写真の撮りようでは趣のある風景になった。

手前の足元では、レンゲやツメクサ(クローバー)、オオタビラコ(ホトケノザ)の花が乱れ咲き春を満喫していた。

.

今日は憲法発布記念日。NHKだけがまともにこの日のことを取り上げていた。

朝の討論会を少し聞いていたが、途中でこらえの症のない自分が出てきて、テレビのスイッチを切ってしまった。

この討論会には、いつも決まり文句しか言わない政党関係者が出ていなかったが、”日本国憲法”については、保守と言われる人が憲法を変えようというのに対して、革新といわれる人たちが憲法を守ろうと主張する不思議な逆転現象を起こしている。

と、言うのは、日本の憲法と言われるのは日本がアメリカを主とした連合国によって占領下に作られたことを上げ、何とか自分たちの意思で新しい憲法を作ろうという動きであり、その理想とするところは戦前までの欽定憲法に戻したいと言うことらしい。

一方、革新といわれる人たちの主張としては、戦争放棄と民主主義にあり、保守の人たちに画策する憲法改変阻止のためには、幾分不満はあっても今の憲法を守り抜こうと運動している。

自分もどちらかと言うと、現憲法を守らなければと言う思いは強いが、一般国民ではどうなのだろうか。

自民、民主は国会議員の過半数で変えられるようにと、ハードルを低くしようと画策しているが、一度決まった憲法はそう簡単には崩せないものである。

近代国家になって、この65年有余戦争にかかわってこなかったのはこの憲法にあることを若い人たちにも認識してもらいたいものである。

戦争が起きると、真っ先に犠牲になるのは若い人であり、その後ろにいる太ったおじさんからどんなに褒められようと、命までささげる必要はないはず、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 2日 (水)

そぼ降る雨

005


そぼ降る雨を縁側の先に眺めて過ごした。

暗い空から落ちてくる雨で体感温度は、寒暖計よりかなり低めに、、、

庭の、オダマキも滴り落ちる雨を受け止め、幾分透き通った感じの花びらになり、艶かしい。

退屈な一日、することもなく終日うつらうつらで過ごせば、妄想かけめぐり、それを吹き払おうと外に出てみたがすぐに引き返えしてかえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 1日 (火)

而してその正体は

033
大きくくちばしを広げ、空まで届けとばかり囀るウグイス


「梅に鶯 ホーホケキョ」で知られるウグイス。

春を代表するウグイスであるが、その姿はめったには見られないし、梅の花咲く頃はまだ地鳴きで、ホーホケキョとは啼かない

日本古来の花札には、梅の枝に掴まっている緑の鳥をウグイスと思っている向きもあって、ウグイス色と言うと緑色を言うことが多い。

名探偵多羅尾伴内風に言うと「あるときは声だけ、あるときはメジロ風に、而してその正体は、、、」といって覆面を脱いだウグイスの正体がこの写真である。

023

麻機沼のまだ芽吹かぬ木の枝に上り、周囲を睥睨してさえずる姿は、臆病なウグイスの中では異色の存在か、すぐ側に人間がカメラを構えているのを知りながら、ホーホケキョをさえずったあと、さらにケキョケキョとと連続して谷渡りと言う囀りまで披露してのけた。

しかし、さすがに人間が側にいたのでは彼女が近寄ってこないと悟ったのか、最後に一発糞をひって飛び去ったが、ひとつには人間なんか怖くないと仲間内に誇示したのだろうか。

.

今日五月一日は労働者の祭典、メーデーである。

発祥は1,886年、アメリカで8時間労働を要求して労働者が集会を行ったのがきっかけで、その後、労働条件、待遇改善を総資本、政府に働きかけたて来た。

日本でも、戦時中、政府の弾圧下細々と続けられてきたが、戦後にいたって大規模な集会が行われるようになった。

そして、食うや食わずの人たちの労働争議は力を持ち、昭和30年代まで「むかし陸軍 いま総評」と言われるほどになったが、40年代辺りから生活が向上し、バブルを迎える頃になると労働組合の力をそぐ要素が増えて衰退期に入って今に至っている。

労働組合が、力を失ったのは三池争議などによる、資本側の懐柔政策で第二組合など分裂工作に載せられたのが大きかったと思う。

また、分裂とまでは行かない組合でも、組合幹部が労働貴族化したり、自己の立身出世などを目的にしているのが目に見えて分かったため、一般労働者が組合に距離を置き始めてしまったことが大きかったようだ。

ともあれ、昭和30年代の高揚した組合運動を目にし、50年代の衰退まで一組合員として、メーデーに参加した身にとって、三年まえの駿府公園の集会を見に行って以来、寂しいと言うか、、、、、、無残なというか、、、、、今年も行くのをためらってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »