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2012年6月30日 (土)

純白のオオヤマフスマ

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一般にはオオヤマフスマでとおっている可憐な花。

花の直径は、5~8mmほどの小さな花なので、ひとつだけ咲いていてもハコベの花なんかと間違えてしまいそうなプティットフール。

拡大してみれば五枚の真っ白な花びらと蘂が純白でまことにきれい。

こんな小さな花でも、大問いう字が初めにつき山に咲くフスマだということになるが、フスマとは何だろう。

戦後食べるものがなかった頃。小麦の糠のことをフスマといって、アメリカから輸入されたものだが、動物の餌にするもので、あの頃でも食べるのに苦労したものであるが、それではないし。

建具の襖でもないだろうし、江戸時代の妖怪変化にノブスマというものがあったが、こんな可憐な花とは結びつかない、、、、結局は糠が細かいことからだろうか。

そして、別名を”誰が袖草”という優雅な名前も持っている。

すれ違った人の袖の袂から微かに匂う焚き染めた香のかおり駕する花、、、なんて、、、しかし、花を近づけても衰えた鼻にはひびかなかった。

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昨日今日と首相官邸前に群衆が集まり、大飯原発反対のシュプレヒコールが高くさけばれたそうだ。

参加者はインタネットなどの呼びかけに応じて三々五々集まり、主催者調べで20万人、警察の調べで二万人を越えたようだ。

この数字は、労働組合や政党が動員を掛けて集めた安保闘争と違って、市民が自発的に集まった数字としては最高のものではないだろうか。

主催者の20万人は、首相官邸に集まれなかった人を含め呼びかけに応えた人を指すとしたら順当ではないかと思う。

今年に入ってアラブで次々と政府が倒れたきっかけは、やはりインターネットを使っての呼びかけに始まったものだが、これから世界を動かす原因となり、マスコミが世論を代表する座から転落することを意味しているかもしれない。

テレビを見ていても、各社ほとんど虫に近い格好なのは、経営者からの圧力か、現場の危機感なのか、、、

それにしても、外の声を聞いた首相が賑やかですね、と馬耳東風を装ったとかどうとか。

いずれにしろ、消費税の投票で身内から大量の謀反者が出えては、そろそろ首筋が寒くなりそうな気配である。

これから、暑い夏を迎えるというのに、、、外が暑く身内が寒いのは予防注射を打たなかったときのインフルエンザのようなもの

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2012年6月29日 (金)

女神湖の朝

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淡い霧の向こうに咲くレンゲツツジ

空一面に雲のかかった朝は夜が明けたのだが薄暗い。

二十七日に止まった宿を出て女神湖一周の散歩に出かけた。

標高2500mほどの蓼科山も見えることから雲はさらにその上、、、

六月のこの時期は、蓮華躑躅が真っ盛りとはずだが、この池の周りには特に大きいものが見当たらず、といって、夏の高山植物の花にはまだ早いようで少しさびしい景色の展開になった。

池には、温度の差にともなって発生する薄い霧がただよい、半そでの服では肌寒い心地がする。


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ひだり、露を宿して九厘草  みぎ、泡盛草



ほぼ一周した地点で、息吹虎の尾、九厘草 アワモリショウマなどがようやく見つかり、出てきた甲斐があったとほっとする。

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2012年6月28日 (木)

火を吹くか 眼が光るかと

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夏至からわずか、一番日脚の長い時期の朝は早い。

浅間の山の右から登る朝日は四時五十分くらい。にぶい光を放射しながら上がり、公園の龍の口元に近づく。

いまに、火を吹くのでは、眼が光り空に舞い飛ぶのでは、、と、眺めていた。

この丘は、付近の名刹津 津金寺の表鬼門に当たる場所に鎮座する九頭竜権現を奉っていることにちなんだ権現山運動公園の子供広場にステンレスで作った龍のシンボルタワーでが作ってある。

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遅れに遅れていたじゃが芋の草取りを終えて今日ホウホウの態で帰ってきた。

50センチほどに伸びた草を引き抜く作業だったためであろうが、両腕の付け根の部分が痛くてたまらない、いままでこんなところが痛かったことがないだけに、驚いている。

やはり、”よる年なみ”と言うものを実感させる出来事であろう。

それでも、地主でもある義弟の手を借り、豊田から来た弟夫婦の手を借りしてどうにか草取りと、土上げを片付けることが出来た。

多分このあと二~三日は使い物にならない身体になっているはず、、、、

NHK長野の「撮るしん」と言うコーナーに同じ場所で写した写真を投稿してみたところ、翌翌日から採用され掲載された。

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2012年6月26日 (火)

おばちゃんのほうが派手

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アレチノハナガサの小さな花に吻を器用に差し込んだ雌の褄黒豹紋蝶


普通動物は、雌より雄の方が目立つ色合いなどを持っているものだが、ツマグロヒョウモンチョウに関しては雌のほうが色彩豊かとおもう。

008左が、雄の褄黒豹紋蝶

自分が見る限りでは、豹柄を好む大阪のおばちゃん同様で、派手派手しくにぎやかな柄は、名前の由来となった褄黒をより強烈な印象にみせている。

しかし、蝶の目から見るとやはり雄の方が、、、、なのだろうか。

この蝶は、ほかの蝶より大胆で、近寄っても案外平気で花の蜜を吸っているのは、まだ、東日本に現れて間もないためか、毒をもつ蝶として知られている、カバマダラに似ているためなのか定かではない。

ただ、1980年代までは近畿地方にまでしかいなかったのだが、90年代になると東海、北陸、関東南部の沿岸地方にまで生息地域を広げ、2000年代になると北関東でも見られるようになったそうだ。

長崎揚羽も、同様にして次第に生息範囲を広げているということは、目に見える地球温暖化の現われと見て間違いないだろう。

ともあれ、今日も悠々とした飛び方で花から花へと飛び回っていた。

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明日から、長野に植えたじゃが芋の草とりに出かける。

「何で長野まで、、」と言う人もいるが、草取りに口実をつけた行楽だと説明すれば、大抵の人は納得してくれる。

しかし、弟や義弟を入れて、丸一日で済むかどうか分からないほどの重労働は行楽にしては少々きつい、、、!

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2012年6月24日 (日)

化粧用の刷毛?

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012ねむの木の花が咲き出して、緑の木の先端が薄桃色のリボンを飾ったようになってきた。

近くで見ると、まるで化粧用の刷毛のような細い花びらが無数に突き出しており、一つ一つがどんな格好をしているのか見分けにくい。

この木の葉は、オジギソウとよく間違えられ、葉っぱを触ると折たたまれると思っている人が多いが、なかなか閉じない。

しかし、夜になるとゆっくりたたまれることをむかしの人は見ていたようで、区別して名づけたようだ。

また、川原などの荒地に、ニセアカシアなどとともに真っ先に進出していくところから、強い木と思われるが、ほかの木が大きくなり、日当たりが悪くなると衰退していくところからこんな地でないと成長できない弱い木と言うこともできそうだ。

ともあれ、柔らかい桃色は、お色気たっぷりに感じるのは、化粧用の刷毛から連想する、、、、生臭さじいじ?

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2012年6月23日 (土)

象に似てる?

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精米した米がしばらくすると、もやもやっとした糸が絡まったようになって、コクゾウムシが発生したことがやっとわかる。

米をより分けてやっと分かるほど小さな虫だが、どこから入り込んだものやら、といつも思ったものだった。

あの小さなコクゾウムシに比べれば、このオジロアシナガゾウムシは1㌢ほどにもなる、巨大なゾウムシと言うことになる。

白黒のツートーンカラーのこの虫は、ゾウムシの中では目立った存在であるが、動作は鈍くあまり足早に歩いているところは見たこともなく、触るところっと下に落ちて身動きをしない。

ちょうど、人が熊にあったら「死んだ真似をせよ」と言われていたように、、、、、、しかし、これでは、人同様餌食にしている動物から逃げようもないことになるのではないだろうか。

ゾウムシと言うのは、象のような尖った長い吻を持っている甲虫、つまり、”象虫”と言う意味であり、この尖った口先でどんぐりなどに小さな穴を開けることで知られている。

今日の散歩道。麻機沼の葛の葉に身動きもせず掴まっている、”尾白足長象虫”を見て一言。

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2012年6月22日 (金)

今日の天気は?

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雨もよいの暗い空のした、睡蓮が重苦しい空を仰ぎ見て、アヤメに聞く「今日の天気はどうかしら?」なんて、、、

聞かれたアヤメは、もうどうでもいいの、私たちの花の盛りはもう過ぎて、姥桜ならむ萎みアヤメを沢山抱え、ひとっころの威勢をなくし、先行きはこの空と一緒なのだから、、、、、、それにしても花の命は短いのよね。と

009それを聞いた、ハスの花。「あらいやだ、私って寝すぎたかしら」といいながら寝乱れた襟をかき合わせている。

そんな情景が感じられるような上足洗の池。

これから、スイレンとハスの花が咲き競う季節になりそうだ。

今日の散歩は、駿府城公園と名を変えた公園まで折りたたみの傘を携えてでかける。

気温は低いが、湿気が高いため、かいた汗がねっとりと肌着に染み付いて蒸発しない。

うっとうしい梅雨空はいつまで続く、、、、、しかし、梅雨が明ければ頭から熱射が振付ける最悪の季節が来るかと思うと、これまたねぇ。

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2012年6月21日 (木)

ヤマモモも熟れて

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道端に生えているヤマモモの木。葉の隙間から赤黒くなった実が顔を覗かせていた。

こちらの人は、子供の頃食べた思い出の木と言うが、常緑の葉を持つこの木は桃の仲間でなく、寒い飛騨では見ることの出来なかった木である。

初めて食べたときの感想は、少し異臭があってとても桃に似ているとは思えなかった。姿も違うところを見ると、ヤマモモと言う名はどこから来たのだろうか。

そして、この実もご多分にもれず最近の子供の食欲をそそる果実ではないようで、誰も食べる様子はなく、地面に熟れた実がぼろぼろとこぼれていた。

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パソコンのキーボードを見ないで文章を打つことを、ブラインドタッチ、またはタッチタイピングというそうだ。

六十歳過ぎてパソコンを購入した自分にとって、とても出来る技でない上、親指以外を使ってキーを打つなど夢のまた夢である。

いまも、右手も中指と左手の人指し指で、位置を確かめながら打っている身にとって、眼が非常に重要な要素であり、とて目隠しして打つことが出来ない。

しかし、最近のハローワークでは、これが出来るか出来ないも重要な要素のひとつだと聞くと、早く生まれてきてよかったと思うばかり、、、、、

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先日、衛星放送を見ていたら、盲目のピアノ奏者 辻井伸行君の演奏を放送していた。

ラ、カンパネラと言う曲でかなり技巧を要する曲だと聞いたことがある。

カンパネラ、スペイン語でcanpanario(鐘楼)と言う意味だからイタリア語でも同じ意味であろうと思いながら演奏を聴いていると、日本のお寺の鐘でなく、教会の鐘楼に大小いくつもの鐘がぶら下がって、高く低く鳴り響くさまが想像できた。

この曲を弾きこなせるには、どんな方法で習得したのだろうかと考えた。

楽譜が見えない以上、人のレコードなどを聞いてのうえだろうか、それとも横にコーチのような人がいて指導していたのだろうか、、、、、と

それにしても、この指でこの鍵盤を、、この流れは右手でと言うのはどんな指導をするのだろうか、、、早い指のタッチを見ていると素人の自分にはまったく検討もつかない技である。

そして、もし彼が、五体健全であったなら、果たしてピアノ奏者として世界に認められるような人になっていただろうかと考えたとき、人生と言うものの不思議さを認めないわけにはいかない。

子供のころ読んだ偉人小説のヘレンケラー物語は、ヘレンケラーよりその側に付き添っていたサリバン先生の方がよっぽど偉人なのではないかと、へそ曲がりな感想を持ったものだが、二十三歳にして世界に通用する辻井伸行君にはただ脱帽である。

と、同時に、彼の両親が裕福であったことを思うと、このほかにも能力を引き出せないでいる身体障害者もかなりいることであろう。

ひるがえって、自分たちの若いときにも、高校進学が半数、大学にいけるのは、、

止めておこう、ひがみ根性はみっともない

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2012年6月20日 (水)

台風一過の夜明け

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台風一過清清しい朝を迎え、麻機田んぼは水辺に朝日を映し出していた。

昨夜を、どこでどう過ごしたか分からないが、鳥たちは、何事もなかったかのようにあぜ道や、まだ幼い稲の間をめぐりながら、朝の食事に夢中の様子。

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018富士山は、布団を着たようにそのままの格好を雲に包み、その南側につるし雲を三段重ねの布団のようにして横に置いている。

朝早く起きた日は、久しぶりの日の出を見ようとでかける。

昨夜あれほど激しい雨風で、よほど荒れていたり、雨水で田んぼが満々としているかと思って出かけてみたのだが、予想に反して平穏な夜明けの風景が広がっていて、「昨日の雨風は無かったことにしよう」と、言わんばかり。

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2012年6月19日 (火)

最悪のコース

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嵐の前の静けさとも言う静かな朝を迎えた。

近所の生垣に咲くフェイジョア、雌しべを赤く突き出した特徴のある花は、名前を聞かなくても一目で外来種と分かるバタ臭い花である。

もともとは、食用として輸入されたようだが、その実は硬くて、生食には向かなかったため、ほとんど花としての木になってしまった。

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天気予報が、なかった頃なら、この時期の台風は定めし不意打ちの感があって、肝を潰したことであろう。

そして、この台風は、中心が静岡からそれたというものの、少し北を通過したため、前半は大雨が降り、雨が去ったとの風は近来になく強かった。という最悪のケースであった。

おかげで、県内のあちこちで一時間当たりの雨量が100mmを越える猛烈な雨風になり、普段と違った方向から吹き込んだ雨が天井に入り、畳を濡らしてしまった。

また、十時すぎに吹いた風は、庭の植木棚を転がし、鉢植えの月下美人も横倒しに倒されているようで、明日は後片付けに手間がかかりそうな気配がする。

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2012年6月18日 (月)

綿菓子のように

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モリアオガエルがその名前を世間に知られているのは、姿形でなくその卵を水溜りの上にある木の枝などに大きな綿菓子(関東では綿飴という)のような泡の玉に、卵を産み付けているためであろう。

モリアオガエルは普段、山の中の落ち葉の下など湿った場所を住処(すみか)としているため、自分も見ているのかもしれないが、その正体を知らない。

いつもの散歩がてらに麻機の農道を上がって、その道沿いにあるみかんの木にその白い綿菓子が二つ三つと絡まっていた。

下には、散水用の古い浴槽を水ためがあり、この水溜りにおたまじゃくしを落とせばよいと知って、どこからか集まってきたもののようだが、日も高くなった時間にはどこかへ去った後である。

泡の色はまだ純白と言っても良いほどなので、多分ここ一日二日の産卵であろう。

摘み遅れた夏みかんの下は、この暑い太陽の日差しをさえぎり、後半月もすれば、下の水槽にはおたまじゃくしが一杯落ち込むに違いない。

中を見たことがないので分からないが、捕食者がこられる場所でないようだから、うまい場所を見つけたものだ。

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2012年6月17日 (日)

蒸し暑さにへきえき

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気温はそんなに高くないのだが、湿気がきつく身体に変調をきたしたようで、外に出るのをためらわせるほどの蒸し暑さを感じさせる一日になった。

その立ち込める空気を染めるかのように、くちなしの花の香りが重く漂っていた。

くちなしの花という歌の中に、「旅路の果てまでついてくる くちなしの白い花、、、」というのがあったが、このしつっこい白い花の香りもも次第に黄色くなる頃には容色とともに衰える。

しかし、人間の場合は容色をカバーするため、または、加齢臭をごまかすため香水を濃くし、エレベーターでご一緒するときは、、、、、。(最近では男女問わず)

春の沈丁花、秋の金木犀に並び評せられるクチナシは夏の香り、、、、。

秋から冬に掛けて朱金色の細長い実は、この辺では餅や沢庵のの色付けにつかわれ、道の駅や農協直売店などで鮮やかな黄色でお目見えさせている。

クチナシの語源は、実になっても口を開けることがないからとも、クチナワ(蛇)ぐらいしか食べる物がいないからとも言われているが、、、さてどっちかな?

願わくば、この匂いを閉じ込めている湿った空気にもう少し新鮮な風を望む、、。

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今日のワイドショーを見ていると、もう愚痴を言っても仕様がないと思いつつ、政治の世界の、、、野田政権の貞節のなさにあきれてしまう。

消費税は、使い道がどうあれまず上げること。原発は何の検証も安全策も出来ていないのに再稼動をする。

財務省の思惑通り、財界の思惑通りにことを進めようとしているにしか見えず、以前の自民党と一緒であり、成立した当時の期待感は崩れ去ってしまった。

むかしから、世間の反対を押し切ってことを成し遂げ、後世にその先見性を謳われ名をなした人物は数多い。

しかし、政治生命を掛ける。国民の安心のため、という野田首相の言葉は空虚にしか聞こえない、衆寓の一人としては、彼にその評価が与えられる可能性はまずないどころか、平成の三悪人言われること間違いなしとおもっている。   ほかの二人は元総理かこれから出てくるか分からないが)

古代の天皇に民のかまどの煙で、民の生活をおもんばかったという話が残っているが、消費税は困っている人にさらに重圧を与えるものであり、古代の天皇が考えたこととまったく反対の施策であろう。

まして、集めたお金を何に使うか先送りしするのは、財務省の最も望むことである。

しこうして、この先どうなるのか、狐と狸の化かしあい、衆寓が愛想をつかして物をいう気がなくなるのを待っているのだろう

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2012年6月16日 (土)

雨の名残を残して

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天気予報は、軒並み雲と傘マークで一週間を埋めている。

朝からの雨模様は、時には激しく、時にはそぼ降りを繰り返す、

我は、降りこまれて家から出るチャンスを失して、閉じこもりの一日。

熟れた梅の実に、残り少なくなった花ショウブに雨の名残をとどめて今日は暮れていく。

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2012年6月15日 (金)

類は友を呼ぶ

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021カワラナデシコがの花、花びらの裾を乱して舞い踊る。

カワラナデシコは別名をヤマトナデシコというのは、中国から古い時代に入ってきた石竹を唐撫子といったのに対して付けられたようで、清少納言も「草の花はなでしこ 唐のはさらなり 大和のもいとめでたし」と書いている。

古来から日本人に愛されてきた花でいろいろな句が残り、江戸時代になるとこの花も園芸用にいろいろ改良(?)されて、花合わせ(品評会)も開かれていたことが記されている。

しかし、このところ、サッカーの女子選手にお株を奪われたのかあまり見る機会が少なくなったのは、日当たりの良い草原に咲いていた花で、以前は頻繁に草刈されていた生息場所が、草刈もなくなり他の雑草の繁殖力に追い出されたためだとある。

人間の、自然利用が植物に大きな影響を与えている一例かもしれないが、ナデシコジャパンも他の競技が隆盛になれば、、、、、、、、、

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017”類は友を呼ぶ”ということわざがある。

友達として付き合うには、自分と同じ程度の人と付き合うのが、気楽と言うか居心地が良い。

よく「うちの子が悪いのは、あの人と付き合っているから」と言うお母さんがいるが、自分の子のことは分かっているようで、分かっていないことに原因する。

親の欲目、と言うやつでみるため、贔屓の引き倒し、点数が甘いのだろう。

麻機の一角に写真のように地主が怒り狂っている場所がある。

いつの頃農地の区画整理が済んだのか知らないが、ほぼきちんと東西南北 十文字に区切られた道路の両側に田んぼがあり、その間に盛り土された畑がある。

そして、この場所は通りに面した畑であるが、ここ何年来、いろいろなものが捨てられ、その始末をどうしているのか、、、、噂を聞いているが確実ではないので

そこで、”類は友を呼ぶ”式に考えてみると、もともと、地主がこの場所を汚くしていたことにあるのではないかと、、、、

たしかに、このゴミを退けてみても、ここで、いろいろなものを燃やして捨てていたようで、地面が燃え残りや灰で汚れているし、トタンなども乱雑においてある。

捨てに来る人は、ゴミを捨てるにはゴミの中にみたいな気持ちなのか、嫌がらせか、、、、、、、いずれにしろ、ゴミがゴミを呼んでいるように見えるのだが、、、、

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今日はを境に本格的梅雨入りとなり、台風も合わせてくるような報道に、ビールと少しのつまみを持ち寄って、近所(大岩)の小山に登る。

バイパスを走る自動車を眺めおろし、涼しい木陰を見つけて語れば昼の酒は心地よく身に染み込む、、、、

類は友を呼ぶ、午前中から酒を飲む老人の程度は如何ほどか

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2012年6月13日 (水)

踊るダイサギ

今日は、麻機遊水地で舞い踊るダイサギ。

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やっと一匹の小魚を得るため走ったのだが、堤防の観覧席からは、踊っているようにしか見えないのは、その走り方が優雅に、しなやかにリズムを刻んでいたため。

腕の良い職人の技は、無駄がなく、はたから見ていると踊っているように見えるものだ、、、、

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2012年6月12日 (火)

沙羅双樹の花の色

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夏椿の花、清楚の咲きにけり

別名を”沙羅の木”といい、お釈迦様がこの木の下で入滅したと、あるお寺に立て札があったが、沙羅双樹の木は熱帯のインドに育つ木で、まったく別物だという。

ことしのNHKの大河ドラマは「平清盛」平家物語の主人公で、その生涯は平安朝末期に武士社会を一気に頂点にのし上げた人物で、その功績は大きいものがある。

ただ、そこで得た力が絶大すぎため、反感を買い滅びていくさまを書いた物語が「平家物語」でその出だしは、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色は 盛者必衰の理をあらわす 、、、、とあり、沙羅双樹に見立てられた、この白い花に滅びの哀れさを見ている。

花の直径は、4~5センチ、白い花のなかにわずかだが紅を差したような淡い赤が見えるところは、この木だけの特徴かもしれないが、お釈迦様がこんな木の下、花を見上げて亡くなったとしたら、、、、、、、

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2012年6月11日 (月)

紅一点

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034春から夏への季節の変わり目に、柘榴の花が赤々と咲き出した。

丸い玉のような蕾が、細長くひょうたんのようになってから花開くが、花びらも雄しべ雌しべも真っ赤なため、もう一工夫がほしかった神様に言いたい。

真っ赤な花を咲かせ出した、花の中から傷のない形の良いものがないかと見ていたら、いまや開かんとする花に、キリギリスがしっかりとしがみついていた。

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男社会に女性が一人いることを、「紅一点」というが、出所は、いまから千年ほど前、中国の北宋時代の政治家、王安石の詩によるものと言われている。

内容は、”万緑叢紅一点 勧人春色不須多”と言う詩の中にあり、題名を詠柘榴詩ということから、紅一点は柘榴の花ということになっている。

この、王安石と言う人は、当時の君主に重用されて政治改革を行おうとしたが、皇太后を主とする守旧派と権力闘争になってしまい、いったんは改革派の勝利となったが、君主の死去に伴って、守旧派が押し戻し、以後は勢力争いで改革が進められたり戻されたりを繰り返しながら国が衰えて言ったという。

郵政改革などを初め、なんだか、いまの日本にも当てはまるような事態が繰り返されていたことになる。

先日も、首相がテレビで原発再開について国民に説明したというが、一方的に政府と言うか首相の意見を述べただけで、到底納得できるものではない。

例の一体改革についても、政治生命を掛けるとか、責任を取るといわれても、何か起きたらどんな責任の取り方をするんだろう。  「辞めました。はいお仕舞い」では、一国の宰相にしてはあまりにも言葉が軽すぎる。

多分、こんな調子では、政権党の交代ばかりでなく、首相が変わるたびに政策が、「あっちへ行ったりこっちへ行ったり」の繰り返しが続くのが目に見え、政治不信はさらに増大することだろう。

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2012年6月10日 (日)

花の白さと香りに見とれる

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近くにある県立総合病院入り口付近の泰山木に花が咲き出した。

花の直径は、優に20センチは越え、その白さと香りには気品さえ感じてしまう。

今日よってみたら、いつもは高いところに咲いていて、仰ぎ見るだけの花が、ひとつだけ目の高さに咲いていたので、ためつすがめつ眺め、その芳香をかがせてもらった。

021泰山木は、名前が東洋的なのと雰囲気がしっとりした感じなので、もともと日本にあったか、中国辺りが原生地かと思っていたら、これもが大違い、北アメリカだという。

そして、日本に入ってきた当時の名前は、横から見ると大きな盃に見えたことから大盃木と呼ばれていたのが、大山木そして泰山木へと変化したそうだ。

ともあれ、よく似た花にこぶしや朴の木の花があり、傷つきやすくその場所がすぐ茶色くなるのは、これらの仲間の特徴なのかもしれない。

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泰山は中国において、神の住む山として絶大な人気を誇り、標高は1500m少しとそんなに高くはないが、歴代の皇帝のうち記録に残っているだけで75人の皇帝が、封禅の儀を行っているそうだ。

以前には、黄山とともにいってみたかった場所だったが、その機会はなく、写真で見るだけの山になっている。

その写真によれば、奇岩怪石、霧沸き立ち、如何にも神仙の棲む神秘性を持っており、遠望は悠然と平原の彼方にある。

そんな山の名を関している泰山木、、、、、、

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本日は、孫娘を預かっているお礼にと、娘夫婦が食事に招待してくれた、生ビールをしこたま、、、、、、と、言っても中ジョッキー三杯飲んで、じいじは出来上がり、、、、

調子に乗っての自慢話に婿と孫は嫌な顔もしないで聞いてくれてご機嫌で帰ってきたが、家についてから連れ合いに叱られた。

天下泰平に、いつもおんなじ話ばかりして、、、、と

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2012年6月 9日 (土)

梅雨入りの田んぼ

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関東甲信越地方までが梅雨に入った模様と気象台は宣告し、律義者の空は未明から如何にも梅雨といわんばかりの雨を降らせていた。

しかし、その雨も午前中でとりあえずは役目を果たしたとばかり上がって、午後からは日差しさえ見られるほどになったため、近周りの散歩。

先日田植えしたばかりの田んぼは、稲が整然と並び午前中まで降った雨にも負けず、水面に顔を出すほどまでに成長している。

その、水面に影を落として、一群れの花ショウブが稲を見守っている。

あぜ道に近く本来なら、田んぼの農作業に邪魔になる場所のはずだが、こんなところに植えたのは、平らな場所で、畦塗りをしなくてもよい、ここらの特性ではないだろうか。

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003花ショウブ、最近では品種改良とかでいじくりまわした挙句、外国種まで入り込んできたため、名前だけでも何百種、いやもっとあるそうだ。

花ショウブが、これほど種類を増やしたのは、江戸時代に入って、仕事のない武士が増えたことと関係があったそうだ。

給料に当たる禄はもらえたので、苦しい下級武士は内職などをして生活をまかなっていたが、戦いもなくなってくるとお役目御免で閑をもてあましている人が増え、花ショウブはもちろん、金魚や釣りなどで無聊を囲うことになり、その結果が品種改良や、道具にこだわるなど江戸文化を高めたということらしい。

ということは、江戸時代をやたらと評価する人々がいるが、これらの人々を養うため、年貢や上納銭の負担が大きかった。

つまり今で言う、寄生虫的階級が多かったということで、庶民は大変な時代だったことを無視していることになる。

花ショウブが、とんだところに脱線して、今日はおしまい。

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2012年6月 8日 (金)

ふさふさしていれば

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013オカトラノオの白い花がわずかな風でゆらゆらと揺れている。

漢字では”岡虎の尾”と書くが、比較的乾燥したくさはらに咲く、白いふさふさした虎の尻尾のような花という意味であろう。

このほかに花の種類が違っても、花がこのように連なっていると”虎の尾”をつけたようで、ただの”虎の尾”を初め、水虎の尾、春虎の尾、花虎の尾、伊吹虎の尾などいくつもあるが、いずれも白い筒状の花穂を持つ。

この花は日本全国の野山に咲く花だけあって珍しい花ではないが、麻機遊水地で見かけるのは久しぶりである。

直径3mmくらいの白い花を長さ2~30センチほどの花穂に沿って無数のつぼみをつけ、根元に近いほうから順に咲かせていく。

花には、蜜が多いのか虫が入れ替わり訪れてくる。

子供の頃は、この葉っぱを摘んで口に入れると少し酸っぱい味がして喉が渇いたときなど食べたことがあるが、イタドリやスイコなどともに蓚酸を含んでいるのであろう。

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昨日の報道によると、15年前に発生した、東電の女性社員殺害事件で無期懲役に服していたネパール人男性の再審が決定し、即時釈放された。

なんでも、捨てられていた精液のDNA鑑定で男性のものと一致したものがあったことが決め手で一審が無罪だったものの、上級審で有罪になったというものだった。

今朝のテレビで、当時の捜査一課長のコメントが出ていたが、刑事の勘で犯人と決めつけ、それを補充する形で証拠が集められたということだそうで、日本の警察の恐ろしさを再認識させられた。

この事件の怖さはほかにもあって、女性の体内に別の精液があったにもかかわらず、そちらのほうは表に出さず、裁判が続けらたことにあり、裁判官も、その証拠を指摘されたにもかかわらず状況証拠という自分自身の頭の中で、この人が犯人と決め付けたことであろう。

人間だから間違いもある。とはいうものの、日本の刑事事件の90何%は有罪と言う中にあって、このほかにも”刑事の勘”と言うやつに被害を受けている人が多数いるのではないだろうか。

そういう意味で、取調べの状況の画像化も必要だろうし、警察機構の改編も必要である。でないと、警察も国会議員並みに信用されなくなるのは目に見えている。(いや、もうされていないようだ)

テレビドラマに「これ 主婦の勘」といって事件を究明するのがあるが、いつまでも刑事の勘に頼り、自白を重大な証拠にするのは止めてもらいたい。

また、無実の罪で収監された人には、わずかばかりの補償がされるが、そんなことで癒されるものではないが、この保証金は、無実の人を作った刑事や裁判官が支払うのでなく税金からの支払いである。

そんな意味で、二重も三重もの損害を回りに与えたことになる。

また、一番の被害者は、無実が認められず収監された人で、その絶望感は想像するに余りある。

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2012年6月 7日 (木)

異業種交流会?

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「おでかけですか」「ええ まぁちょっと、女房の散歩に付き合わされて」

「そうですか、うちもそうなのですが、、、、ちょっとへそを曲げていましてね」

なんて会話が聞こえそうな、カルガモ夫婦と雉のとうさん。

この少し前まで、雉の雌が側にいたのだが、鴨が近寄ってきたら草むらに入っていってしまった。

そこで、雉の父さんはばつが悪そうに目を合わせないでいるという筋書きが出来上がる。

これらの鳥の間に縄張り争いのようなものがないのだろうか。両方とも地面を探りながらの餌探しの最中だったのだが、、、、

人間で言えば、異業種の交流会みたいな雰囲気を思わせる。

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2012年6月 6日 (水)

藍色の集まり

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031入梅を間近に控えて、六月の花、ガクアジサイが花を開き始めた。

濃い紫の花と見間違う飾りを周囲に配置し、中央に細かい花を密集さている。

拡大すれば、直径5mmに満たない小さな花の中央に雌しべを配し、その周りに6本の雄しべで囲んでいる。

ガクアジサイの額は中央の花を目立たせるための飾り花を額縁に見立てているところからで、アジサイの意味は藍色が集まっていることを意味しているという。

となると、この花が、花の名前に一番忠実なことになるのだが、、、、、

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2012年6月 5日 (火)

むかしの味は

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麻機遊水地の観察会で、先を行く一団の声が聞こえた「大丈夫美味しいから」とか「この実でジャムを作ったりするんだから、、」と、小学生に桑の実を摘んでたべさせようとしていた。

しかし、子供のほうは嫌がって食べようとしないのは、その後の説得状況から察しとれた。

自分たちが子どものころは食べるものもなく、いつもひもじい腹を抱えていたので、桑の実などはこの季節には上等な水菓子というより、飢えた腹を満たす食料であった。

そのころは、何軒かの家でお蚕様を家の二階一面に、何段も蚕棚を積み上げ、毎日のように桑の葉を摘んできて餌としていた。

この葉っぱに水気があると良くないとかで、雨の日などは、露払いなどと横綱のように、また一仕事が増え、子供も貴重な労働力になっていた。

この、蚕から取れる絹糸もシルクといわれる頃は、だんだん廃れてきて、桑畑も次第に少なくなったが、桑の実の味はいまだに記憶に残っている。

子供連れが先行したあと、通りかかったので見上げると、黒い大きな実が沢山ぶら下がっている、麻機の山に自然に生えている山桑の実に比べると三倍くらいはありそうだ。

葉っぱも大きいところを見ると、改良された品種なのだろう。黒い大きなものを選んで、そっとつまんで口に入れてみると、こわいかに、味が薄くて水っぽい感じで美味くない。

先ほどの小学生ならずとも果物好きの自分もあまり口に入れたくない代物だった。食べるのが目的でないので最近の桑の実はこんな風になったのか、自分の舌が美味い物に慣れたのか、、、、、昔の味を忘れたのか、、、

019ついでに、もう一度とばかり、すぐ側の熟しきっていない赤い実を口に入れてみると、こちらは、すこし酸味が入っていて、熟しきったのよりは風味があった。

してみると、むかしの桑の実はやはり記憶の中の味のはずであり、それこそ「むかしの光 いまいずこ」ではないが、    ”昔の味はどこ行った”

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昨日の新聞に、健康生命社会というのがあり、静岡県は女性が75,32歳で全国一位、男性が71,68歳で全国二位という輝かしいというかめでたい成績を上げていた。

健康生命社会とは、健康面で生活に支障のない生活を送れる年齢を言うそうで、自分なんかはこの年齢をクリヤーしているので、これからこの年齢を引き上げていく一助をになっていることになり、自分なりの健康管理もあるが、先祖からもらった素質だと思うとありがたいことである。

ちなみに、静岡県の平均寿命はと見れば女性が86,06歳、男性で79,35歳だということになるそうだが、この統計から見ると、健康を害して障害を持ってからの余命は女性で10,74年、男性で7,67年ということになる。

と、言うことは、男性のほうが人の世話になる年数が少ないことになり、あくまでも統計の数字上のことであるが、、、、、

今日も、病院に勤める娘から「そろそろ遺言を作っておいたほうが、、」なんていわれた。

何年も病室で患者を診ていると、ぜひ本人の意思表示が必要と言うことから「回復の見込みのない状態になる前に治療の仕方を書面に、、、」という趣旨のものだった。

実際、本人が生命維持装置を要らないといっても、子供が医者に懇願してつけ、その結果マスクによる褥そうと床ずれで悲惨な状態になっている人や、子供が迷っていると遠い親戚が「生かせるだけ生かしてあげて」なんて、面倒を見る気もないくせに、、、

生命維持装置は、一度つけたら日本の法律でははずせないのだが、この辺のところが患者家族には分からないようで、医者に判断を迫られて安易につける傾向があるそうだ。

どれもこれも”聞き物語”の域を出ないが、自分に言えることは、ホースにつながれて流動食で命ながらえる処置をしないでほしいということ、さらにいえば、自分の家で往生したいという昔風の希望があるが、、

        さて、どうしてくれるだろうか

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2012年6月 4日 (月)

仏教と一緒に、、だそうだが

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晴れれば25度の夏日になって蒸し暑さを感じてしまう今日この頃、ラッキョウの花が一輪、畑の片隅で見かけた。

薄紫の六枚の花弁を広げて涼しげな花を咲かせているのを見るとほっとする。

ラッキョウは古来中国から仏教と一緒に伝来したと聞いたことがあるが、禅寺山門の脇には”葷酒山門に入らず”と書いてある”葷”のひとつであることから、表向きは臭いからと嫌っていても身体に良い食べ物として食べていたのかもしれない。

酒のことを、般若湯と言っていたように、何か別名があるのかと探ってみたが分からない。

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思えば、やっと二週間前に金冠日食があり、太陽が月を飲み込むのを固唾を呑んで見守ってきたが、今日は、月が部分月食になる日だという。

七時頃から始まって九時頃まで、最大は八時ころというので外に出てみた。

しかし、空には日食のときと同じようにうす雲がかかり、秋空のように澄み切った状態でないと見られないと思っていたが、この様子では無理。

空には、雲を通して朧に霞む月がにじんで見えるだけ、、、

あさってには、太陽の前を金星が横切るというし、半月前に続いて今日も、、、、月と地球と太陽が同じ平面に一直線に並ぶというが、天文学ファンならずとkもうれしい年である。

陰陽道ではこういう年をどう見るのだろうか。

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2012年6月 3日 (日)

白い蝶に見える?

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道路を走る自動車の風にあおられて、”ガウラ”の花がゆったりと揺れ動いている。

ガウラ、この花もアメリカから持ち込まれて雑草化した植物で、道路わきの荒地でもでも平気で繁殖区域を広げてきた。

007花を逆さにしてみると白い蝶に

帰化してからの日本での名前は、白蝶草というが、花びら形が蝶のように見えるところから名づけられてようで、下の写真は花を上下さかさまにして見た。

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017きょうは、麻機遊水地の「お散歩観察会」をしますので、と言う知らせが届いたので、流通北側の集合場所に出かけてみた。

午前九時、集合場所に行ってみると、三歳児くらいから八十代とおぼしき人までを含めて、ざっと30人ほどが来ていた。

河川管理財団が主催している事業なので、何か面白い話か、耳新しいことでもと期待していったが、冒頭で「お散歩ですから、、、」と強調され、このメンバーでは、焦点を絞るのが難しいだろうし、毎週歩いている自分としては「こりゃ駄目だ!」の感が先行してしまった。

その印象は間違いなく、途中でリタイヤしてしまった。

     年よりは気が短くて奈何は、、、

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2012年6月 2日 (土)

体力をつけてまた旅に

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白い燕尾のタキシードに黒い帽子をかぶってアジサシは飛ぶ

麻機遊水地の上空に何羽もの白い鳥が飛び交い、ときどき水面に急降下して魚を獲っている。

飛び交うスピードの速いこと、決して木の枝などにとまらないで常に空中にいるところからなかなか写真の真ん中には納まってくれない。

ようやく何枚か飛んでいる写真を見れば、白い燕尾と黒い帽子のようなあたま、アジサシであることを確認した。

アジサシは、アフリカやオーストラリアで越冬をし、ユーラシア大陸や北アメリカで卵を産み雛を育てるという。

日本には、そのついでに立ち寄る鳥と聞いている。

ということは、そのうちのごく一部がここで餌獲りをし、体力をつけて大陸に飛んでいくのだろうが、地球を1/3週ほどしてまで移動する必要がどこにあったのだろうか。

鳩ほどの大きさしかない彼らにとっては、それほど苦にならない距離なのか、、、、いやいやそんなことはあるまい。

晴れた日ばかりではなく、雨の日も、風の日も目印のない海面を飛んでいくのは、どう考えたって、難行苦行の連続はずであろう。

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見事に小魚をゲット


上空から、獲物を見つけて一直線に飛び込む先には青鷺がいて、思わず逃げ惑っていたが、確率はどのくらいなのか、、、小魚を銜えている写真がとれたが、引き続き飛んでいたのを見ると、空中で食べているようだ。

とにかく、春と秋の渡りのとき以外は見ることの出来ない鳥なので、”興味津々” 遊水地の一角で飽かず眺めていた。

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三日前から、孫が一人我が家から学校に通っている。

孫の家は自動車で十五分くらいの距離なので、近所の人は不思議に思っているのではないだろうか。しかし、どう説明したって誤解を生むかもしれないので黙っている。

原因のひとつは、生活改善にある。

最近の子供たちに良くあるらしい宵っ張りの朝寝坊。じいじの家は、早寝早起き、朝の六時に食事をとるので一緒に生活して、、、、ということが主眼。

自分の家には、共働きの両親と弟がいるのだが、朝忙しくて他のもののことにかまけていられない。いきおい朝寝坊の姉ちゃんは朝ごはん抜き、学校の支度はときどき手抜きしてしまうなど、、、

これでは駄目!と本人からの申し出で、じいじの家にとりあえず一ヶ月下宿してみようと言うことになったしだい。

これで、生活様式も改善してくれれば良いのだが、親のほうとしては何でもかんでも面倒を見すぎて、、、と心配している。

アジサシではないが、長い旅路の途中、体力、気力の充実の一助になってくれれば嬉しいのだが、、、、

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2012年6月 1日 (金)

ムラサキシキミだった

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紫式部の花。秋の実同様の色合いで咲いている。

花びらは四枚羽根を広げたように開いているが、花が密集しているのと、雌しべが花の外に飛び出しているため、区別がしにくい。

この花は、もともとの名前は紫重実と書いてムラサキシキミと言ったそうだが、重実とは「重なる実」つまり沢山の実がつくという意味だが、いつの世にも早とちりがいるようで、いつの間にかムラサキシキブと言い換えられたようだ。

ちょうど、将棋の形のひとつで王将が隅っこに追い詰められてにっちもさっちもいかなくなることを雪隠詰めといったのがいつの間にやら”センチヅメ”といわれるようになり、いつの間にかこの言い方でも認められるようになったのと似ている。

ともあれ、この花も日本を代表する花として見られているようで、学名をcallicarpa japonica いい、いま話題の巣立ちの朱鷺(トキ)のニッポニア ニッポンほどではないが、ジャポニカと言う字から想像できる。。

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