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2012年7月30日 (月)

早速じゃがバターに

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「この暑さでは、静岡と変わらないね」といいながら、じゃが芋畑を見てくる。

じゃが芋の蔓は枯れ、周りの草に埋もれてしまって、、、、そんななか、五本鍬で試し掘りをしてみると、長さ10センチを越す大きな芋がごろりと転がりでてきた。

試し掘りをした場所の、薯の茎はかなり貧弱なものだったので期待をしていなかっただけに、続けざまに転がり出てくる芋を見て嬉しいやら驚くやら。

早速持ち帰って、洗ってじゃがバターにする。

軽く茹でたあと、電子レンジで七分、ホクホクの新じゃがはぱっくりとはじけて粉を吹いている。

皮をするりと剥いて、バターナイフで傷口に薬を塗る要領でバターを塗り込めば、、、、、

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午後四時過ぎ、やっと風も出てきたところで、本格的に芋ほりを始める。

掘り方は、例年おごとく、中型のユンボで掘り起こし、バケットの中の芋を集める。

一見乱暴な掘り方に見えるが、少し離れた位置から掘り出すので、鍬で掘るより芋を傷つけないで済む、、、

午後六時、りんご箱に六箱、重量にして200kgほどを掘って、今日の作業を終える。

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あせで、づく濡れの作業衣を脱ぎ、近くの「権現の湯」に浸かって、食事し、少し話をしている間に、睡魔が襲い掛かり、誰ともなしに無口になり、布団に転がり込む、、、、

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2012年7月29日 (日)

機械の目

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この暑さが、稲の生育に必要だとわかっているのだが、麻機田んぼの間ですれ違う同年輩との挨拶は「今日も暑いですね」

最近になって、急に背伸びをした稲は40センチを越えそろそろ花を咲かせる時期が迫っていることを示す。

曇り空の隙間から日がさせば、夜の間に吸い上げた水が尖った葉のあちこちに水玉になって吐き出され、きらきらと宝石をばら撒いたように光を屈折する。

写真にして見るが、なかなかこの情景が絵にならない。腕の悪さを棚に上げて言えば、情感のこもった人間の目と無機質な機械の目の違い。

機械であるロボットがなかなか人間を越えられない。こういった感情の表現が難しいためであるが、鉄腕アトムのような存在が出来るのはいつの日だろうか。

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明日、涼しいうちに長野に向けて発つことにした。

主目的は、避暑でなくじゃが芋掘り、、、、

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2012年7月28日 (土)

開店を待ちかねて

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静岡ではしばらく雨も遠のいているが、湿気のほうは相かわらず強く、蒸し暑い日が続いている。

そんななか、少しでもほっとさせるところを選んで、散歩に出かけているが、午前も九時過ぎる頃には温度計も三十度を越している。

各地の報道でも、熱中症で何百人もの人が搬送され、何人もの人が連日亡くなっていると聞くと、うかつには外に出られないという雰囲気にされてしまう。

体力保持のためにはと出かける散歩は、いつものように早朝散歩しかない。今日も今日とて、麻機の沼に咲くハスの花を眺めながら歩いた。

朝凪で、そよとも吹かぬ風。ハスの花は一度開花したあと、日が暮れると花を閉じ、夜明けに開くを三日ほど繰り返した後花弁を散らすそうだ。

しかし、朝早くからひらくため、巷間「ハスの花が開く時はポン!と音がする」なんて話まで出ているくらい、、、、。(本当にそうなら、朝の蓮田はにぎやかなのだが、、、)

そして、今朝も日の出前からハスの花はお椀のような店を開き、中に平らなテーブルを置き、その上に花粉と蜜のご馳走をひろげてお客さんを待つ。

お客さんは、いわずと知れたミツバチさん。開店を待ちかねたようにどこのテーブルに腰掛けようかと、争うように下見して、、、

こんな情景を見ていると、瞬く間に時間がたち、そばの木からはシャリシャリシャリとクマゼミがさも暑さを強調するかのように啼き出だす。

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2012年7月27日 (金)

源内の呪縛から抜け出せ

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一般にトンボといえば、イトトンボの仲間を除いて、羽根が透明なものと思うが、この蝶トンボは赤紫の金属光沢をもった一風変わった種類である。

羽根の面積も、幅広くそのためひらひらといった感じでと飛び回っている。

今回は 麻機の沼のうえをいくつもの蝶トンボが乱れて飛び回っているのを見て舞踏会を想像してしまった。

舞踏会といったって、自分はダンスを踊れるわけではないので、映画で見た西洋貴族の舞踏会でしかないが、

この時期、水の上では何種類ものトンボが飛び交っているが、まだ若くて疲れを知らないのか入り乱れて飛び回り、秋のように枝の先に一休みをするということが無い。そして、ほかのトンボが直線的に飛び交う中、蝶トンボだけが違った飛び方で交わっている。

そんななか、たまたま一匹が抜け出してきて、葦の葉にとまり、しばらく休んだ後、また踊りの輪に復帰していった。

人間のように「お嬢さん お手をどうぞ」といって誘いに来るものもいなかったが、少しでも、踊りの輪から外れることを不安視するかのように、、、、、

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今日は土用丑の日であり、日本ではウナギを大量消費する日でもある。

どうしてこうなったかと言う話は、江戸時代に平賀源内が知り合いのうなぎ屋に頼まれて「土用にうなぎを食べると元気が出る」と宣伝したのが初めと伝えられている。

当時の日本は、穀物と野菜を中心にした生活であり、たんぱく質や動物性油脂を採ることが少なかったため、夏場に脂っこいものをとって体力を維持しようとした効果があったようで、明治の初期でも「肉を食べると眼がしゃっきとする」と言う話があるくらいだった。

本来、うなぎばかりでなく冬を前にして動物が一番うまいのは、秋から冬にかけての時期であり、熊なども初冬に獲ったものが一番うまいと聞いた。

そのうなぎが、多分乱獲だと思う、本来なら川を遡って成長し、海に戻って産卵するのがうなぎの一生で、その合間に少し漁獲して食べるというのが、たしなみであったはず。

それが、稚魚のうちに河口で捕獲しては、卵を産むうなぎがいなくなってしまうのは自明の理であろう。それが分からないようでは、、、、、、毎年のように続けられた乱獲がたたって今年は、かなりの高値になり、昨日もスーパーに行ってみると、豚バラ肉の蒲焼が売られていた。

細長く崩してうなぎのように見せかけていたが、そんなにしてまで食べなきゃならないものだろうか。

昔と違って、今ではふんだんに動物性蛋白や脂肪を取っていて、太り過ぎの人が多い中で、江戸時代の呪縛からいい加減逃れてはどうだろうか。それとも、人と同じことをしないと不安でたまらない日本人根性からなのだろうか。

そういえば、七月初めに赤黒いこんにゃくを、レバ刺し風にして販売していたが、こんなまがい物で誤魔化されるような舌しかもっていないのだろうか、、、、、

もっとも、元祖まがい物料理といえば、お寺で使う精進料理と言うものがあるが、いまの時代肉を食べたことのない坊さんははたしてどれだけいるのだろうか。

肉を知らなきゃそんなまがい物作る必要が無かったろうにと思ってしまう。      と、なると、精進料理と言うものが考え出されたときから、戒律は破られていたことになると、思うのだが、、、、如何!  喝!

ちなみに、自分はここ数年土用の丑にうなぎを食べていない。秋、肌寒くなってからが、一番の食べごろと分かってからのことだけど、、、

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2012年7月26日 (木)

レース編みをする蜘蛛

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生物の本能と言うか、遺伝子に組み込まれている何かだろうが、高等動物と言われるもの中には、親に教えられないと子育ても出来なかったり、獲物をとることができないなど、生きていく上でのことが何にも出来ず、野垂れ死ぬしか無いものも有るが、昆虫などになると、親の顔さえ知らなかったり、親を食べて成長するものなどいるが、これといったことを教えてもらうすべがない。

写真の蜘蛛はレースを編んだようは巣を作る。

始めてみた巣なので名前から調べてみたところ、ナガコガネグモというそうだ。

そして、不思議なのは自分が知っているナガコガネグモはもっと黄色っぽい感じの蜘蛛と思っていたので、間違いかと思ったら、幼生のときにこんな巣を作るということだった。

そして、その理由はレースの陰に隠れて、天敵の目をかすめるためだと聞くと、またしても、遺伝子の不思議さに驚いてしまう。

それにしても、このレースの編み方。蜘蛛の中にどう組み込まれているのだろう。

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先日、BSニュースを見ていたら、アメリカ地図のあちこちに100と言う数字が散らばっていた。英語が苦手な自分にも画像などから華氏100度を越える気温が続き、農作物に被害がでているということが分かった。

アメリカと言う国は不思議な国で、いまだにメートル法の採用が出来ていなくて、人工衛星ですらヤードポンド法で作られていると聞いた。

いまでは、ヤードポンド法発祥の国イギリスでも主計測としては使わなくなったのに、アメリカだけが頑なに使っているというのは、覇権主義で国際協調できないのか、民度が遅れているのか、、、、

メートル法だって、厳密に言えば完全なものとはいえないが、1メートルは地球の円周の4万分の1、温度は水の氷を0度、沸騰した温度を100度にしている摂氏なのだが、アメリカでは、1712年にドイツの科学者が、風邪を引いたときの自分の体温を100度にし、その頃計れた最低の温度を0度とした、、、、つまり華氏といわれる温度表示を後生大事に守っている。

つまり、これらは、ほかの人で計測すれば、また違った数字になるという、いわば、人の身体の脛の長さや大昔一日に食べる小麦の重さなどで決めたらしいという、きわめていい加減な基準と言うことではないだろうか。

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今日は、今年に入って最高の気温だったといい、我が家の寒暖計も35度越えをしており、静岡県では佐久間が37,5度 岐阜の多治見で37度にもなったようだ。

これらは、管理された百葉箱で計測された気温であり、炎天下では40度越えもかなりあったに違いない。

つまり、アメリカ流に言うと、日本はオール100度越えになり煮えたぎっている。

これは、高校野球のせい?それとも、いつ暴発しても不思議ない野田内閣のせい?

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2012年7月25日 (水)

辛い日々

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今日も暑くなるとのことだったので、早朝散歩に出かける。

麻機の田んぼ道、最近はどういうわけか同年輩の男ばかり、女性陣は鳴りを潜めてしまった。

夏になると靄が多くなり、どんよりとして輝きを失った太陽が昇るのが常だが、今日も期待にそぐわず昇りだしたものの、すぐに上の方から雲間に没してしまう。

なんだか起きては見たものの、、、、早すぎるので二度寝にしよう。といった感じがする。

上空は、厚い雲で蓋をしたような状態になっているの違いない。この蓋が熱を逃がさないので、ますます気温を上げるのだろう。

車や工場の排気ガスで二酸化炭素が増えるとこういう現象が起きるというが、今日はさしづめ、その予行演習であり、神が啓示している現象なのかもしれない。

午後になって、堪らずエアコンを入れたが、人間生きるのも辛い日々である。

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2012年7月24日 (火)

丸に抱き茗荷

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小さな庭の片隅、日当たりの悪い場所に捨て置かれた茗荷に花が咲いていた。

高く伸びた茗荷の葉っぱに隠れて、地面から丸っこい花茎を少し出して、二輪の花を順に咲かす。

031薄黄色の白っぽい花びらは、なかば透けて見え、雄しべ雌しべはなかなか見にくく有るか無いかの見定めがたき花である。

早速、茗荷の間を掻き分けて、探し回ったら十個ほどを収穫することが出来たが、薮蚊に三か所刺されてしまった。

しかし、これも明日の朝の味噌汁の具だと思えば、、、、なんのこれしきである。

茗荷の味噌汁はあまり煮込まないで、香りとしゃきしゃき感が残るようにして食べるのが自分の好みであるが、我が家の紋所は丸に抱き茗荷であるところから、、、、なんとなく後ろめたい気分になるのはいたし方の無いことか。

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茗荷を紋所にしている家はかなり有るようで、十大紋所のひとつとさえ言われている、、、、、、、、

本屋に行くと、「紋所」で薀蓄を傾けている本があり、この紋所はどこそこの誰を先祖に持っているなんて書かれていたり、「私の先祖はこの紋所を持つ元幕臣で、、」なんて言っていた人もいたが、、、、、

自分の家はどうなんだろう。先祖代々、小前ながら百姓だった筈の先祖が江戸時代になって適当に見繕って決めたのか、何か訳があって決めたのか、なにも伝わっていないのでわからない。

紋所の初めは、平安時代の末期になって出来始めたようで当初は、貴族や武家を中心に同族意識を高めるために旗印や道具に家紋を打ったようだが、江戸時代に入ると農民や商人なども勝手に付け出したようである。

ゆえに、家紋を二つ三つと持つ家まででてきた、当初の意味合いは薄れてきた。

さて、茗荷紋であるが、茗荷は茗荷宿という落語にもあるくらい物忘れの妙薬といわれ、生で齧ると口に強い苦味を感じるところから風邪、肩こり、などの薬とも言われている。(薬効のひとつに苦味のある精油成分で頭がしゃっき、とするというのがあったが、これでは物忘れを出来まいに、、、)

ほかに、神仏の加護を受けることを”冥加”というが、これと同音であることから、約240種ほどある家紋のなかで多くの人々に使用されてきたのではなかったろうか、、、、というのが、独善的で物忘れの激しい自分の考え

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2012年7月23日 (月)

麻機に見る夏

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またまた暑い夏が復活した。

昨日に比べれば、気温で十度は高くなっているようで、日課としている散歩も涼しい時間に行くしかない。

日没前になって、ようやく出かけた麻機田んぼ、植えてある向日葵の若い花は、沈む夕日ににこやかな顔で見送っているが、何日も前に開花しきっている花は、この暑さに負けて、くたびれたようにうなだれているのは、人間を見るようで、、、、、、、、、、。

なんにしても、「若いってすばらしい」と、このごろ思うようになった。

010_3鷹の仲間にミサゴと言う鳥がいる。

主に、魚を主食としているため麻機沼の上空にも来て、鯉や鮒を取っているのを時たま見ることがある。

翼を広げると1,5mから2,0m近くになるという大きな鳥だが、水面からかなり高く、そして、遠くを飛んでいるためなかなか大きさが実感できないでいる。

この鳥の特徴は、アジサシもするように、上空の一点でホバーリングをして、下の魚が浮かんできた瞬間を見透かして、急降下し水面に突っ込んだ際に、足でがっちりと魚をつかんで飛び上がるという行動が見られる。

羽根の長さが、1,5mほどとすると、魚の大きさは30センチはありそうなこともあるが、見ていても獲物が大きすぎてやっとかとみたいにふらふらと飛び去るのを目にした。

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今日、岩国の米軍基地に陸揚げされたオスプレイと言う最新型飛行機(?)の名前は、ミサゴの英語読みだそうだ。

たぶん、上空の一点で静止できることに由来しているのだろう、しかし、一度水面に突っ込んだら二度と飛び上がれないのは見え見えである。

なんでも、ヘリコプターと飛行機の特徴を兼ね備えた飛行物体だというが、これまでに何度も事故を起こして死者を出し、別名「未亡人製造機」などといわれているそうな。

この飛行機を、岩国基地で組み立て整備し、日本中を飛び回らせた後、沖縄の普天間基地に配備しようとしている。

市街地に取り囲まれた、普天間基地では以前にもヘリコプターが、墜落したことがあるが、さらに危険な飛行機を配置するのに、装備変更だから日本の同意が必要ないと政府は言っている。

自国の基地にそんな危険な飛行機をいれて、墜落でもされたら、、、、、自国の民の生命より、アメリカの言うことなら何でも「イエス」としか、いえない国日本。

独立国家としての体をなしていないようなこの仕組みを何とかすることが出来ないのだろうか。

明治政府は、江戸幕府が結んだ不平等条約の改定にかなり努力をし対等を目指したが、敗戦ショックでそれも”元の木阿弥”

真の友好国を目指すなら、対等にものが言える国でなければならないはずだが、、、、

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2012年7月21日 (土)

オモダカ咲いて

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オモダカの白い花が遠目にもさわやかに見えた。

矢じりのようの中がへこんだ三角形の葉っぱを持ち、白い花びらは風にそよそよと揺らいでいるが、以前は駆除しにくい雑草として嫌われたこともある。

しかし、今では、探さなければ見当たらないほど減っているというのは、人間がそれなりの手を加えたということか、、、、、

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2012年7月20日 (金)

蛇の目菊ともいう

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013ハルシャギクが文字通り乱れ咲いている。

花期が長い花だけに、つぼみもあれば、いま満開を迎えたもの、とっくに種となっているものがまぜこぜになって、脈絡もなく、、、、、、

次第に花も株も大きくなって、麻機のあちこちを黄色く染めてきた。

ハルシャギクは漢字で書くと波斯菊となり、波斯は今のイランの昔の名前でペルシャを意味し、原産地の名前をそのまま名前にかぶせた珍しい名前でもある。

今でこそ、イランは西欧の嫌われ者として、国連などでたびたび矢玉に上がっているが、日本人にとってペルシャの国というのは、、童謡”月の砂漠”や”ペルシャの市場”など異国情調あふれる国であった。

また、自分の同僚は革命前のパーレビ国王時代にイランでボーリング作業に従事していたが、その話しから、イラン人は日本人には好意を持つ国であることなどなど、、、、

また、この花の、中央部が濃い紅色をしているところから別名を蛇の目菊とも言うそうだが、そういわれれば日本の和傘”蛇の目傘”に似ており、うまく名づけた名前でもある。

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朝起きてみて、外の空気のさわやかさには驚いた。

しばらくこんな感じの朝はなかっただけに、このまま一日が過ぎて欲しいと願った。

日中になって、小雨も降り出し昨日より十度は低い気温で推移しているようだ。

自分にとってこんな日が続けば”御の字”だが、このままで行けば冷夏といわれようし、いろいろと支障が出てきて、結局はこちらに跳ね返ってくる。

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東京電力の料金値上げが8,45%にきまり、九月から値上げになるそうだ。

前にもこんな方法で物事が決着したことがあって、なんだか、出来レースのような気がするのは自分だけだろうか。

まず、とても受け入れられないような額を提示し、少し下げて様子見し、また少し下げて様子見、、、、、、

結局「不満ながらこの線で妥協しました」ってやつ、、、

つまり、初めっから8,5%くらいと瀬踏みしていて、目的どおりに達成って方法、だって、最初の10,28%も決まった8,45%もどこをどう計算してこの数字になったという根拠はないのだから、、、、、

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2012年7月19日 (木)

森の水車

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みどりの森のかなたから 陽気な歌が聞こえます

あれは水車のまわる音 耳を澄ましてお聞きなさい

コトコトコットン コトコトコットン ファミレドシドレミファ

、、、、、、、、、、、、、、、楽しい春がやってくる。

少しでも涼しいだろうか、と標高400mの有東木へ行って見たが気温は午前11時頃で30度に達していた。

しかし、”うつろぎ”の奥に回る水車を見ていると、そのゆっくりとした回り方に癒されるものを感じる。

手前のもみじの茂みの奥に回る水車は水を滴らせて、人の思いなど知らん顔。

戦後に流行した、NHK歌謡の”森の水車”のような軽やかさはないが、、、、、

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ところで、この曲は戦争中に作られた曲だったが、作られた当時は発売禁止だったということを知ったのは、ずいぶん後になってのことだった。

理由としては、メロデイーが軽やかだったとか、敵性用語であるファミレドシドレミファという部分だったとかあるが分からないそうだ。

多分審査官の気に入らなかったというだけだったのが一番でなかったろうか。

先の大戦中に、敵性用語として外国語を使うことが禁止された。

ドレミファソラシドという音階をハニホヘトイロハと改めさせられ、野球用語のストライク ボールなども対象になった。

今から考えると、ドレミは枢軸国イタリア語から出ているというが、それさえ分からない人が、国を指導していたことになる。

ひとつの考えで国民を縛るのは、そういう意味でも怖いことだが、維新の会の橋下大阪市長のように独裁が必要だという意見が受け入れられる素地が育っていることに危惧を抱く。

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2012年7月18日 (水)

千々に裂けて

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タケニグサの白い花が咲き出している。

ふっくらとした蕾がはじけて花になると、千々に裂けて、どれが雄しべか花びらか区別が付かない状態になってしまう。

タケニグサは、茎の中が中空になっているため、”竹に似た草”ということから、漢字では”竹似草”と名づけられたそうな。

草丈は、場所によっては2m近くなる木のようなくさであり、アルカロイドの毒をもtことから毒草としている本もあるが、毒も薄めれば薬になるとかで、自分たちも以前には「疣とり草」といって、茎を折ったときに出てくる黄色い液を疣の上に塗ったが、効果があったような気がしなかった。

ただ、本などによると、この液を食べると下痢を起こし、塗るとかぶれるなどと書いてあった。しかし、口にはしたことがないので下痢は分からないが、肌が荒れるということもなかったので、面の皮ばかりでなく皮膚も生まれつき丈夫だったようだ。

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2012年7月17日 (火)

三伏の候

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三伏の候、36度を越える急激な暑さ続きで早くもばて気味、、、

今日になって、ようやく「梅雨明けをしたもようだ」と歯切れの悪い言葉で気象庁が発表したが、連日の天気マークにこちとらは、 遅すぎる!そんなことは素人の自分にもとっくに分かっていることだ。

と、言いながら涼みを求めて、池ヶ谷の高台に登ってみたが、せっかくの木陰も風がなくては、汗も引かない。それどころか、昇りきったとたんに汗がツルツルツル~と背中を流れるのを感じた。

一方で、北九州一体は台風も控えて、雨はこれからも続くようで、神様は辛く当たる人にはこれでもかと徹底しているのは、学校のいじめに似ているような気がする。

しかし、この暑さも一方では、焦熱地獄であり,連日かなりの数の熱中症患者が出ているそうで、日中の外出がままならないことも、、、、、、ただ、こちらは我慢すれば済むことなので、文句は言うまい。

そんななか、黄花コスモスが、太陽に向かって果敢に花びらのパラボラアンテナを向けている。

庭の草花が、半ば萎れている中でこの元気さは何なのだろう。

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020今朝の新聞を見て、マスコミの一方的報道にはあきれてしまった。

共同通信社の全国世論調査の結果と言うことだが、一面トップの見出しに五段抜きで”小沢新党「期待せず」81%”と書いてあった。

しかし、この見出しかなり恣意的で、中身を見ると、政党支持率は4,8%あり、自民党、民主党、みんなの党についで多いことになっている。

そして、この結果を知ってか知らずか、支持率3,0%の公明党の山口那津男代表は「新党が創造的なものでなく、単に権力獲得するための政局的なものだと国民は見透かしている証拠だ。新党に展望はないと断じた。」と書いてある。

とても、3,0%が自分より多い4,8%に言うことではないと思う。その逆なら「目くそ鼻くそを嗤う」と書きたいところだが、、、、、やはり、国会議員の先生たちの感覚、そして、マスコミの偏向ぶりが示されている例になりそうだ。

今日も参議院民主党から三人の議員が離脱した。なんだか、「沈む船から逃げることねずみのごとし」と、いうことわざを思い出してしまったが、これからの暑い夏を政界はさらに暑くなっていくのだろうか、、、、秋風を予想して身震いしているのだろうか。

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2012年7月16日 (月)

泡から誕生

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暑さをおして池ヶ谷から麻機の農道を登っていく。

標高差で、200mに満たない斜面だが、汗だくだくで登る。

天気予報は、30度だというがそんなはずはないだろうというのが体感温度。

実際に、軒下にある温度計は33度を示している。

丘陵の稜線に近い高みに上がるが、風はそよとも感じることが出来ないうえ、肌に粘りつくような湿気は、汗を全身から離さない。

この時期は、花の数も少なく、草も急激な暑さにぐったりと萎えている。

とにかく何にもないので、先月18日見たモリアオガエルの泡の状況を見に行くと、泡に守られた卵も白くなり、ところどころで長さ一センチ程度のおたまじゃくしが育っていて、ときどき身をくねらせて、下の水面を目指していた。

西洋神話のビーナスは海の泡から誕生したというが、この泡をモリアオガエルが作ったと知らなかった人は、、、、どんな神話を作ることだろうか。

見かけてからほぼ一ヶ月、泡の大きさ、数とも半減し一部が下に落ちているのは、この間に雨風に打たれ、暑い日にさらされたためなのか、おたまじゃくしとともに泡が解けているためなのか、、、、

とにかく、おたまじゃくしが到達点でなく、来春卵が産めるかどうかまで考えると、おたまじゃくしは、小学生といったところか、、、、

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2012年7月15日 (日)

赤い夕日に照らされて

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いやぁまったく暑い一日だった。

朝の三時頃、ねっとりした暑さに耐え切れず起きてみたところ、顎の下から胸にかけて汗をかいていた。

雪国育ちの自分には、これからのこのねっとりと肌に巻きつくような暑い季節が一番苦手で、早くから秋を待ちわびている。

「夏来たりなば秋遠からじ」とばかりにいって欲しいものだが、近年いつまでも暑さが続くようになり、気分的に滅入ってしまう。

おかげで、これまで我慢をしていた、エアコンを使用せざるを得なくなってしまった。

この暑さは、買い物に出かけようとした午前十時には三十一度になっており、最高気温は三十五度くらいまでいったのではなかっただろうか、、、、一番暑かったはずの午後には家の中に閉じこもり、温度計を見ていなかったのでわからないが、、、

それでも、夕凪が終わってそよ風が吹き出した日没ごろ外に出てみると、夕日を受けて、赤いカンナの花びらの夕日が透き通してさらに赤みを増している。

思わず、「赤い夕日に照らされて、、、」と言う古い歌を思い出したが、一方で仏教で”釈迦の血の色”というそうだが、、、、こんな色だとしたら、サラサラ血液の代表かと思うほど濁り気のないきれいな色だと別な考えも浮かんでいる。

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2012年7月14日 (土)

対の揚羽の

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町の玉三郎とうたわれた梅沢富雄のヒット曲”夢芝居”の歌詞は

  ”対の揚羽の 誘いさそわれ

    心うらはら舞う夢芝居 恋はいつでも初舞台” で終わる。

散歩の道すがら、自分の身体を掠めるようにして降りてきたアゲハチョウが、昨夜の雨で溶け出した路上のミネラルでも吸うかのように羽根を休めた。

羽根の中央に白い紋所を打ったような黒い揚羽だったので、すぐに黄揚羽だと気が付いた。

少しして、もう一頭が舞い降りてきて、もつれるように飛び上がったので、別の種類のアゲハチョウとテリトリー争いでもしているのかと思った。

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というのは、後から来た揚羽にはこの紋所が確認できなかったのと、降りてきたとき迎え撃つように、下から飛び上がったためである。

黄揚羽は、成熟するとこの白い部分が黄色くなってくることから名づけられたため、この揚羽は冬越しの揚羽でなく二世代目の夏型であり、日本の蝶では最大級の大きさになっている。

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この、二頭が高く舞い上がるでもなく、二~三㍍の高さでもつれた後、同じ場所で並びあって、同じ地面に口吻をつけたのは、雄雌の恋愛の初めだったのかもしれない。

”恋は盲目”と言うが、すぐ側で一部始終を眺めている人間は、眼中になかったようで、互いの羽根と羽根を触れ合うように細かく羽ばたきを繰り返している。

人間のほうも、ここまで熱くなっている揚羽にあきれてその場を離れる。

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2012年7月13日 (金)

とっかえひっかえ

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今朝方雨の後、機会をうかがっていた朝顔の花。雨粒を喉元にしたたらせて咲いていた。

七月七日の朝顔市には間に合わなかったものの、そのすぐ後から、次第に数を増やし、毎日毎日雨さえ降らなければ、とっかえひっかえと咲きつづけている。

朝顔は、明け方に花開き昼過ぎには萎むという短い開花の間に受粉をしなければ種が出来ない花だが、結構秋口には種になっているところを見ると、虫のほうも早起きと言うことになる。

朝顔は、平安時代になって薬として入ってきたそうで、今でも漢方薬の中に入っているが、当時はかなり貴重な薬として使われていたと聞くと、こんなに種が沢山出来るのにと思ってしまう。

そのご、江戸時代になって、暇な武士階級がこの花もいろいろといじくって、一時は1100種類とも言われるほど多様化したときもあったが、この花はやっぱりシンプルに限ると思うのは素人目かな?

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例年、梅雨末期には九州北部には集中豪雨が降り、被害が出ているが、今年もまた異常な降りかたで、気象庁は「いままで経験したことのない、、、、」と言う言葉を使って警告した。

たしかに、テレビを見ていても集中豪雨による濁流は恐ろしいばかりの迫力を持って流れていたが、土砂崩れの現場や、水の引いた場所では杉の大木が根こそぎ流れ積み重なっている模様が映し出されている。

先年、静岡の東北,小山町でも台風による災害で杉の木が流されてきて被害を大きくしていたが、戦後の国策で、山中を植林したことが裏目になってきているとしか思えない。

そのむかし、山で木を集め薪として使っていたころは、山の手入れも出来ており、杉の木の森はでは間伐材は足場丸太などにつかわれ、枝打ちされた枝や葉は誰でもが使ってよく、子供は学校に持って行ってストーブで燃やしたものだった。

ことさら、リサイクルなどといわないでも無駄のない暮らしが出来ていた。

それが、次第に崩れていったのは、ただ便利と言うだけの化石燃料を使い、海外の安い木材に押されたといって山の手入れをしなくなったため、山全体の保水力と根が浅くすぐに倒れる杉一色にしてしまったことにある。

このサイクルを崩すことなくして、山の防災の手立てはないと思うのだが、識者でこれを指摘する人がいないのか、マスコミの関心がこちらに向かないのか、、

ただ、災害現場に合羽とヘルメットをかぶっていって、金切り声を上げているだけが現場である。

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2012年7月12日 (木)

幾つになっても子供は子供

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左から三羽目が親鳥

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道端にいた子供をようやくまとめて


麻機田んぼに子供を連れてきたカルガモ一家。

早く生まれた子供らしく、もう、親とは区別がつかないほど大きくなっている。

しかし、子供のほうは、まだ子供気分で人に恐れると言うこともなく、道に出てきたり、田んぼの中でも気ままに振舞っているので親は気が気ではないようす、低くうなり声のような声を上げて誘導し、人間に向かって威嚇までしている。

人間にもある、もうすぐ子別れ出来るのか、「幾つになっても子供は子供」が抜けきらずにいるのか、、、。

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2012年7月11日 (水)

虫の酒場

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子供病院の近くの、リョウブの花にいろんな虫がたかっている、その中でもアゲハチョウの仲間がが一番目立ち、カラスアゲハ、麝香揚羽、長崎アゲハ等々、、、さながら虫の酒場といったところ、、、

遠目には、木の上を真っ白な花を房状に咲かせているが、その一つ一つは五弁のかわいらしい花の集団である。

リョウブは令布と漢字で書くのだが、なんだか生真面目というか、堅苦しいというか、変な字を当てられているが、お寺の参道近くで見られるのは、何かいわく因縁があるのかと調べてみたところ、

まだ、律令制度が厳しく、農民が奴隷扱いにされていた平安時代の初期、飢饉に備えて植えるよう強制した名残だといい、今でも地方によってはリョウブ飯といって食べる習慣があるところがあるそうだ。

しかし、戦後の食糧難のときでいろんなものを代用食として食べたが、この木の葉は記憶にない。

かわりに、葉っぱを摘んで、少し水をつけ手のひらで揉み潰すと、白い泡のようになるところから、子供のとき、石鹸の木なんていい、おもちゃにして遊んだのを思い出す。

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2012年7月10日 (火)

何度見ても(鉄道員)

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クサレダマ、初めて聞いたときには”腐れ玉”と言う字が浮かんだ。

しかし、そんな臭いはついぞすることもなく、図鑑を見てはじめて草連玉であることを知った。

なんでも、マメ科の外来種に連玉(レダマ)と言う草があり、その花に似ていることからというが、色が黄色いだけで、連玉とは似ても似つかない花の形であるうえ、クサレダマのほうが日本古来の草なのであるから、母屋をとられたような感じさえする。

花の名前をつけるとき、もう少し慎重であって欲しい草の名のひとつであろう。

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今日テレビで何度目かの映画「鉄道員」を見た。

この映画は、見るたびに違ったシーンで新しい発見をしたと思う箇所が出て来るのはこちらの環境が、前の時には気にもしなかった箇所で共感するからであろう反面、前はどこで感動したのか忘れてしまっている。

しかし、今回も最後のシーンでは涙が出てきた。

クリスマスの夜、仲直りした友人たちが大騒ぎをして帰った後、ギターを爪弾きながら、誰にも気付かれず逝く場面。そして、サウンドトラックによく使われる「シニョーレ ボンジュール」から始まるテーマ曲至る間、、、

1950年代の洋画は、「禁じられた遊び」や「ジェルソミーナ(道)」をはじめ指を折っても数え切れないほどあるのは、自分が二十代と言う年齢もあったかもしれないが、次に来るテレビ時代に押されて斜陽産業に転落していく、直前のきらめきだったのかも知れない。

そして、同じ時代の洋画でも、アメリカ映画は、唯一第二次世界大戦を戦った国で、戦場にならず、わが世の春を謳歌した底抜けに明るい映画が多かった。

さて、この後時代はどう変わっていくのだろうか。

いずれ、何十年か過ぎたときに、あの頃は良かったというだろうか。

いや決してそんな評価をいまの時代に与えられないことは間違いない。と思うが、その頃は、この世ではなく、雲の上から下界を覗き込んで「オレは良い時代を過ごして来たもんだ」といっているに違いない。

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2012年7月 9日 (月)

賑やかに四万六千日

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018今日は静岡音羽町の清水さんの縁日で、公園を含め一帯を通行止めにして賑やかに行われていた。

実際は明日が四万六千日で、この日にお祈りすると四万六千日分の効果があるいわれているのだが、門外漢はすぐに、四万六千日が何年になるのか換算してしまう。

この祭りは梅雨のさなかに当たるので、あまり天候に恵まれず、今まで行ったことがなかった。

しかし、今年は昨日今日と好天に見舞われ人でも多かったようだ。

夕ご飯をすませ、少し入ったビールのおかげで、気分は高揚しているのだけれど、身体は少し重い感じがする。境内につづく公園に入ると肉の焼ける臭いが充満していて、お腹が一杯の筈なのにまた食べたくなってしまうのは、、、、、パブロフの犬並みか

夜店も、かなりの数が出ていて子供は目を輝かして、覗き込む、、、

金魚すくい、じゃがバター、お面に焼肉と、、、軒を連ねている。

023いまの子供たちが大きくなったときには、暖かい感じの電灯のもとにお金を握り締めて、あれもこれもと思う中、選びかねた思い出が楽しい物として記憶に残ることだろう。

しかし、我々が夜店の記憶として残っているものの中に、風天の寅さんみたいな啖呵売やカーバイトの明かりはもう残っていないように、白熱電球の明かりもあと何年残っていくのだろうと思うとき、夜店も時代とともに変わっていくのだろう。

おりしも揚がりかけた花火を後にして帰途につく、、、、。

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2012年7月 8日 (日)

濃い緑をバックにして

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エコと言うより隣との目隠しが目的で植えたゴーヤの花。

昨年黄色くなった後、はじけて真っ赤な実が飛びだしたがこぼれて出来たものだった。

その後移植したときは、ひ弱いものだったが、その後ろにあるミョウガと競合して花咲かせるまでに育ってきた。

いま、濡れ縁越しにみると、青黒くといったほうが適切なミョウガの葉を背景にして、黄色い花を点々と咲かせているさまは、カーテンコールに応じて舞台に出てきた女優なみに映えている。というのは言いすぎか、、、。

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昨夜は七夕だったので、夜空を何度も見上げては見たが、星の影も見ることが出来なかった。

もっとも、夜の空がこんなに明るくては、雲がなくても見ることが出来ない昨今であり、”満天星”を見たのはいつの頃からだったか忘れるほど前rのことになってしまった。

そもそも七夕とは、七月の夜という意味もあるようだが、ひとつには旧暦の七月十五日に帰ってくる先祖が着る衣装を、布を織る機の上に置いていたことから”、棚機(タナハタ)”が語源になったという説もあるそうだ。

そして、静岡には”機”と言う字を使った地名がいくつかあり、静岡の元になった「賎機(シズハタ)」やいつも散歩に向かう麻機、そして、安倍川の向こう岸には服織と書いてハトリという地名もある。

この辺の考察はまだ聞いたことがないが、偶然の一致でなく何か意味でもあるような気がするのだが、、、。

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2012年7月 7日 (土)

こんな菓子があったような、、

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001スグリの実が色づき真っ赤な風船のようになっている。

子供の頃、縞々の模様が入った。こんな感じの飴だったか、よく似た菓子があったっけなんて思いながら、ひとつつまんで口に入れてみたが、あまりの酸っぱさに口が尖ってしまった。

スグリには、いろいろな当て字があるが、やはり、この酸っぱさに関係があるのだろうか。

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いま、滋賀県大津市で、中学二年生の生徒が自殺したことから、教育委員会の対応が批判されている。

なんでも、この少年が自殺した後、アンケートを取ったところ、同級生から自殺の予行練習をさせられたとか、お金を取られていたとか、担任の先生があまり介入したがらなかったとか、、、、、と言う、答えがあったにもかかわらず、いじめた生徒の人権もあるからとかで、一般には発表をせず、究明もいい加減に打ち切っていたことが分かった。

また警察も、父親の要請を三度も断っていたことがあかるみにでており、2ちゃんねるではいじめた生徒の名前やその親が有力者だとかを含めて盛り上がっている。

いつものことながら、自分を守ろうとする、教育委員会や警察の対応には、いままで、いくつも批判されてきながら改まる気配はない。

最近静岡県でも、教職員の不祥事が連続して起きており、県の教育長をしてどうしてよいか分からない。とまで言わしめている教育委員会の無能さ、、、、

原因は、原子力村といわれる癒着体制に似たところがある。

教育委員会の構成メンバーは主に学校長を経験した人や名誉職のような人が多く、外からの批判を受け付ける機構にはなっていないことにあるようだ。

若いときから先生先生と煽てられ、学校と言う窓からしか世間を見たことのない人たちは、自分たちの後輩の不始末をかばい組織の批判の防波堤になっていることに生きがいを感じていては、”百年河静を俟つ”でしかない。

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2012年7月 6日 (金)

暑さも知らぬげに

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曇り空ながら気温は今日も30度を越して、蒸し暑さをいやがうえにもかき立てる。

029そんななか、麻機田んぼのあぜ道に咲きだしたミソハギに蝶やミツバチを始め昆虫が群がってせわしく蜜を吸っている。

ゆっくりと歩いていても、下着が汗だくになっているのに、、、、彼らは暑いということを知らないのだろうか。

最も汗をかいている虫と言うものはみたことがないので、汗をかくという機能はないに違いない。

ミソハギが盆に使われる花と知ったのは静岡に来てからのこと。

どうも、この花の名前の由来は、禊に使う花ということで、一種神聖な花として扱われてきたことによるという。

しかし、新暦の7月15日頃に咲くためというのが、一番大きな理由ではないだろうか、8月15日を盆にしている長野などはオミナエシや蒲の穂などを使っていることからも想像でしている。

ともあれ、甘い蜜で虫を誘って、暑さも知らぬげに賑やかに咲いている。

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六月末にあれだけ大騒ぎをして、牛のレバー刺をあおっていたマスコミも、秋田で八人が食中毒を起こしていたことはちっとも放送していなかったようだ。

その前にも、福岡で四人出ていたそうだから、この問題は厚生省のほうに分があったことになる。

大体、動物の内臓は一番最初に腐敗する場所であり、ただでさえ危険な箇所なのに、牛のレバーの内部からもO-157 が検出されたというから、もっと早く禁止してしかるべきであった。

それを、「自己責任で規制するのはおかしい」などとあおり、馬鹿面をした一部の人に「うんめぇ~」などと言わしめたマスコミの世論捜査にはあきれてしまう。

食中毒が自己責任というなら、食中毒を起こしても病院にはいかないで、、、店を訴えないで欲しいものである。

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2012年7月 5日 (木)

ダンデイーに着こなして



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足元に舞い降りたカワラヒワ、チョンチョンと飛んで枯れた芥子菜の茎に飛び乗った。

カナリヤの中間だと言うだけあって、明るい黄色と暗い緑色を上手に着こなした衣装が映えるダンデイーな小鳥。

目当ては、実だったようだが、それにしても人間の側に舞い降りるとは大胆不敵な行為である。

それとも、よほど腹がすいていたか、日がささないのだが、湿気でむんむんする中判断力が鈍ってしまったか。

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今日磐田市のスーパーに84歳の人が運転する自動車が飛びこんで死傷者が出る事故があった。

原因は、後ほどはっきりすることと思うが、やはりこの年頃になると、個人差はあるだろうが運転は無理なのかかなとおもってしまう。

この歳になって、「人をあやめる」というのは悔いても悔い切れないもが残る。身代わりに自分が、、、ということもできないし、、、

状況は違うかもしれないが、若い人は子供の通学時に痛ましい事故を起こす。

幸いと言うか、偶然だったのか、自分自身はまだ人身事故は起こしたことがないが、今までに何回か娘から「じいじ 一体いくつまで運転する気?」なんていわれ、、、、、そんなに危ういのかと振り返ってみたこともある。

郊外型ショッピングセンターや家電量販店、故郷に帰るたびに自動車を動かしているのだが、、、、、、

徐々に迫り来る”老い”はなかなか自覚しにくい。さて、このさき踏ん切りは何を機会にすべきなのか、、、、、、

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2012年7月 4日 (水)

キバナノヤマオダマキは

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"静や静 賎の苧環くりかえし むかしをいまになすもよしかな”

そのむかし、静御前が頼朝の前で舞ったときに謡った今様の文句だそうだ。

苧環が、園芸種になったのはいつの頃か分からないが、当時は自然に咲いていた山苧環なのだったろうか。

この苧環は、その近縁種キバナノヤマオダマキと言われる花である。

こんな花を手にかざして白拍子が、

”吉野山 嶺の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき”と歌われたのでは、日ごろパトロンでもあった北条家の娘、政子に頭の上がらなかった頼朝の怒りはいやがうえにも増したことだろう。 

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2012年7月 3日 (火)

超能力で感知?

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もう終盤を迎えているアカメガシワの花に、ヒメアカタテハが来て丹念に蜜を吸っていた。

小さなボンボンのような真ん丸い花に、、、、

まもなく、降りだすという雨を蝶(超)の能力で感知しているのか、すべての蜜を吸い尽くすまで、と言わんばかりにして、花から離れようとはしない。

十時頃から降り出した雨は、時には強く弱くと降り方を変えながら降り続く。

梅雨末期の豪雨は、北九州を中心に降り続いているようで、テレビの画面を見ていても心苦しい。

静岡でも、四十年くらい前に七夕豪雨があって自分の家のあるところで、一㍍余も冠水したと聞くと他人事ではない。

まだ人間の力では、台風の進路や雨の降り方は制御できない自然であることは百も承知で言うんだけれど、「もう少し優しくして欲しいものだ」

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今日のテレビを見ていたら、昨日離党した小沢グループの批判一色に反感を覚えてしまった。

自分なりに、昨日のブログで先行きは明るくないと思ってはいるが、さも憎憎しげに語る解説者、国会議員を見ていると、、、

さて、「あなたが離党すると言ったとき、こんなに沢山の人が付いてくると思いますか」と聞きたい。

そして、優柔不断、成り行きで反対投票しながら民主党に残った一部の人たち、「あなたの将来も先行き真っ暗なことをお気づきでしょうか」と言ってあげたい。

もっとも、赤穂浪士のときも、いざとなったとき脱落した人もいたのだから、その場その場で、先のことを何も考えず行動したり、態度を豹変させるのは昔からあることなんだけど、、、、

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2012年7月 2日 (月)

葉が柳に似てるので

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012夜明けとともに雨が上がったようだが、まだ、道端の草に露置くころ散歩に出かけた。

田んぼのあぜ道に咲くルリヤナギ、葉の形が細く薄いと言うことから、ヤナギに似た瑠璃色の花という意味でつけられたようだが、ヤナギの仲間ではない。

薄紫の花何かに似ていると思って調べてみると、ナス科だという。そういわれれば花の形はよく似ている。

日本に入ってきたのは、江戸時代であり、琉球を経由してきたため当時はリュウキュウヤナギとも言ったそうだ。

ともあれ、梅雨の晴れ間に似合う花であろう。

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すったもんだの末ようやく小沢代議士が、50人ほどの仲間を引き連れて、離党することになったそうだ。

これだけ多数の人が従うというのは、やはり大物である証左であるが、さてこの先どうなるのやら、、、

多分次の選挙では、かなり目減りしてしまうことになるのは、ほとんど名前を知らないか、知っていても国会審議で知った人でなく、小沢チルドレンとして黄色い声を上げたことで知った人もかなりいる。

政治の話には、もううんざりであるが、民主党も中の勢力が様変わりしたことからこの先の政治行動は、民主党の看板を自公民党と書き換える必要が出来てきた。

次の選挙には、いままで以上に選択の目を光らせなければならないが、その願いを托せる候補者がいない。

棄権はいけないとすると、白紙で、、、というしかないか。

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2012年7月 1日 (日)

雨の中でも明るく

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朝から降り続く雨の中アガパンサスの淡い青色(水色といったほうが良いのかもしれないが)の花が、花のあちことに水玉を飾って毅然と咲いている。

この花も、日本の風土にあっているのか、最近あちこちで大きなかたまりを作っているのが見られるが、梅雨時のじめじめした空の下でも清清しい花の色は一幅の清涼剤のようで晴れてもよし降っても良しというような感じがする。

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今日は、前から招待状をもらっていた、駿府博物館の”巨匠でたどる日本の洋画”と言う展示を見に行ってきた。

実は、この展示会は、五月の後半から今日まででの開催であり、もらった関係上一応報告しなければ、、、、見ないで見た振りも出来ないと思い出かけた次第。

静岡で言う”オマチ”はボーナスサンデーとあって、あちこちの駐車場の入り口付近は駐待ちの車であふれ、交通障害を起こしている。

そんななか、駿府博物館はひっそりと静まり返っており、今日が今回の展示の最終日とは思えないほど閑散としていた。

中の展示は、信越放送の所蔵品だというが、美術には暗い自分としては名前の知らない人が多すぎるのと、作品に影響を与えるとして、証明を落としているためなかなか見ずらい展示だと思った。

ただでさえ暗い絵が多い中、ガラスケースに見る人の影が映り、さらに見にくくしている。

70点ばかりの油絵を中心の展示も、30分ほどで見終わり、ボーナスもなく、懐の寒い自分は駿府城公園を横切って、バスに乗るつもりでバス停に行ったところ一足違いで、乗り遅れていた。

次のバスまで、15分が待ちきれず雨の中傘をさして家まで帰る。

むかし見たことのある、”雨にうたえば”ほど、タップを踏んで軽快には歩けなかったが、、、、、、Im`"singin"in the rain  と出だしを口ずさんで

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