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2012年8月31日 (金)

愚か者の金

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季節の変わり目なのか、今日の天気は「晴れときどき曇り所により雨」という、どんな天気にも当てはまる言葉がしっくりと来る空模様だった。

知り合いが、午後に来て言うには、安倍川左岸の畑で作業をしていたら、急に暗くなって激しく降り出し、これでは土が濡れて何にもできないと作業を中止し、桜トンネルをくぐって麻機に出たら地面がからからに乾いていた。

(まるで、川端康成ではないが「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」をもじりたくなる)

「トンネル手前では、自動車のワイパーを最大に振っても前が見にくかったのにだよ」と言う。

自分たちも、その時間藤枝の山間部を走っていたが、道路が50~100m間隔でマダラ模様に濡れており、小規模の区間を激しく降らす、変な天気だったようだ。

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上の写真のものは、鉱物好きの人なら、大抵は持っているものと思うが、別名を”愚か者の金”といい、大きな石の間にばら撒いたように散らばっているのを見て金と間違えたことによるらしい。

自分の周りの人に見せると、大抵はびっくりして「何ですか、作り物ですか?」と聞かれるし、孫の一人に「じいじが死んだらお前さんにやるよ」と言ったら、「そんな高いものほかの孫が怒らないかね」と言ったことがある。

今では、その値打ちがわかってきたようで、、、、、、、

この鉱物の正体は、パイライトと言い、日本では黄鉄鉱の結晶である。

パイライトとと言う意味は、火打石と言う意味だそうで、鉄を人類が使い出す前には、この鉱物と石をたたき合わせて火花を散らし枯れ草などに火をつけたことがわかっているそうだ。

なにしろ、鉄と硫黄の化合物なので固くて重い。

この鉱石は、地中深いところに存在するガマと呼ばれる晶洞で採取してから、40年ほどになるので、酸化が進んでかなり色あせてきたが、いまだに素人衆を驚かせるほど輝いているし、黄鉄鉱と知っている人は結晶の大きさを褒める。

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”愚か者の金”と言う言葉を聴くと、むかし、金が本物かどうかを確かめるとき、歯で噛んで確かめたとも聞く。

純金は、柔らかい鉱物なのでそんな方法で確かめられるのか?(噛んだことが無いので知らない)とも思うが、不純物が入ると次第に硬くなる。

そのため、金時計などは傷がつくのを嫌って、18金と言うのを使ったが、これは、25%の混ぜ物をした金であり、むかしの質屋さんは目で見て判定するため、苦労したとか、、、

その伝統が残ってか、最近オリンピックで金メダルを齧って見せる人がいるが、なんだかこの光景を見ていると、、、、、

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 愚か者の金と言う言葉を思い出すのは自分だけ、、、、。

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2012年8月30日 (木)

普通の花に並みの蝶

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アレチノハナガサの群落にアゲハチョウが蜜吸いに来ていた。

花から花へと、あまりの数の多さに目移りがしたのか、小さな花なので蜜の量が少ないのか、落ち着き無く飛び回っている。

このアゲハチョウの別名をナミアゲハという。初めはこの”ナミ”と言う字がどこから来たのか分からなかったが、波ではなく並であり、ごく普通のと言う意味だということがわかって、もうすこし、昆虫学者も名前の付けかたに気を使って欲しいと思ったものだった。

さて、蝶が並なら、アレチノハナガサも最近ではどこにでも生えている雑草で、ごく普通の草になってしまった。

日本に入ってきたのは、昭和30年代と言うから、ごく最近になって入ってきたものようだが、持ち前の生命力の強さから、範囲を広げ在来の植物を圧倒している。

おまけに、多年草と来て麻機の一角には直径3センチほどの茎を持つこの草の切り株を見たが、どう見ても木にしか見えない状態である。

先日も麻機沼の観察会で説明役で来ていた”何とかNPO”の腕章を巻いていた人が「困るんですよね、この草は、、、」と言ったが、何もしないでそのままにしていたのを見て、、、、、、、「なんだかなぁ~」と

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2012年8月29日 (水)

レデイガガと言ったほうが

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以前は、静岡近辺でガガイモの花を見ることはほとんど無かったが、いま、麻機の一角ではあるが、花で白く見えるほど大発生している。

もともとは、日当たりの良い原っぱを好む植物なので、あっても不思議なかったのだが、、、、、

ガガイモの名の出所は、船のような格好をした実を包んだ鞘から来ているようで、日本名を羅摩(カガミ)という。

羅摩とは、古事記にでてくる出雲の国を造った大国主命を手伝ったという少彦神が蘿摩の船に乗ってきたということからだそうで、こんな花だけどむかしから関心を持たれていたようである。

とにかくややこしい。

しかし、一部ではあるが花が密集してあたりを白くしてしまうほど咲きそろうと、花の外観に似合わず、甘い香りが辺りを包む。

なんだか、日本好きの”レデイガガ”の名前から来たといったほうが、説明が簡単そうである。

もっとも、レデイガガの実物には会ったことも無いので、どんな香水で身を包んでいるかはしらないが、夏場なのに、毛皮のコートのような毛むくじゃらの花も、そんな印象を与えているとは思わないかい、、、、

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今日は久しぶりに見慣れない客が来た。

玄関先で「久しぶりです。○○です」といわれたが、誰だか思い出せない。

向こうはニコニコと笑っているが、、、、頭の中で○○?、、、脳みその引き出しをあちこちひっくり返してみたが、顔と名前が一致しない。

相手が、笑顔だけに早く思い出さなければとあせってしまい、パニック状態。

それを察してか、ヒントを当てえるように会社の名前言った途端、霧が晴れるように記憶が戻り、顔と名前が一致した。

自分が使っていた機械の販売会社の社員。仕事していたときにはたびたび来ていたのはもちろん、やめてからも何度か来ていたのに、、、

最後に会ってから五年くらいしかたっていないのに、、、

きけば、その会社も倒産し、いまでは一人で前の経験を生かして小さくやっているとのこと、、、

その間の苦労が人相を変えたのかもしれない。

今日は、近くの会社まで来て、少し時間があったので、、、、、寄らせてもらったとのこと。

.自分も、廃業してからかれこれ十年余。業界のその後を、、、あれはどうしている?彼は元気かな?などと聞いているうちに、昔の顔になってきたのは、久しぶりに会う同級生と同じで垣根はなくなってくる。

それにしても、商売抜きで訪ねてくれるのは嬉しい。

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まさに、朋あり 遠方より来る また楽しからずや   と言ったところ。

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ちょうど、来月半ばに八年ぶりの同級会があるのだが、、、、、、 

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2012年8月28日 (火)

そんなに咲かせなくても

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お茶の木に這い登って、その上を真っ白に花咲かせ、お茶の木を覆いつくしてしまった仙人草。

078一つ一つの花が区別も付かないほどに咲きそろえているのを見れば「そんなに花を咲かせなくてもいいだろうに、」といってやりたいほどの量である。

名前の由来は、花が終わって実をつけるころになると白い綿毛のようなものを仙人の髭に見立てて名づけられたという。

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Img_0052wよく似た花に、牡丹蔓があるが素人目には花の形で区別が付かず、葉っぱを見てようやくきめている。

ひだりが牡丹蔓、拡大して見比べて

ただ、静岡では、自分の見た範囲で、牡丹蔓にお目にかかっていないので、、、咲きやすい気候や土があるのだろうか。

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2012年8月27日 (月)

違うように見せかけているが

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イボクサ。いわゆる典型的な雑草である。

018夏も近くなると、田んぼのあちこちに繫茂し、取っても取ってもその範囲が大きくなり、稲刈りの時期には、、、、

花の時期には、可憐なピンクの花を咲かせ、いかにもおとなしい雰囲気をかもしている。

花の色、形は青系の色合いと横向きが多いツユクサの花とは違う雰囲気を出そうとしているが、葉の形以外からも、これはツユクサの仲間と思わせるものがあり、髪を金髪に染めても”日本人!”って分かる人みたいでおもしろい。

ちなみにイボクサとは、この草の汁を疣につけると取れる。と言う話から来ているとのことだが、これもテレビで連日放送しているサプリメント同様、「本人の感想です」という域を出ない話である。

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今日は久しぶりに、朝霧高原からあちこちの道の駅などで野菜を買ったりしながら河口湖に向かった。

と、いうのは、途中で河口湖の北岸に大石公園の四季というきれいなパンフレットを見たためである。

ところが、着いてみてがっかりもいいところ。

夏の部の花が四十種類以上も書いてあり、花のナイアガラなんて写真もあるので期待していた。

いくら端境期とはいえ、”お粗末”、、、、、二人の感想は、これで入場料金が懸かるのだったら、「お金を返せ!」って言いかねないよな。

出かけるときには、黒いながらもくっきりと見えていた富士山も、この状態を恥ずかしがってか厚い雲の陰、、、行き交う人も足早に帰っていってしまった。

そんなわけで、この公園での写真はなし。

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2012年8月26日 (日)

宿題はできたかい!

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朝早くに子供たちが、首からカードを提げて、三三五五 集会場の前に集まってきて、ラジオ体操を始めている。

小学校も、低学年はまだ張り切って手を大きく動かしているが、高学年になるとさも眠そうにだらだらと手足を動かしている。

この子達の表情からは伺えないが「宿題は出来たのかい。先延ばししようにも後がないよ」って、声掛けてみたい。

自分が子供の頃過ごした山の学校は、冬の厳しさから”寒休み”と言うものあったため、夏休みがほかより短くて、損をしたような気分になったものだった。

と、いうのも、夏休みに入ってすぐに、宿題に取り組み、今年こそすべての宿題を早く終えて、悠々と新学期を迎えようと心に決めているからだ。

しかるに、怠け癖はすぐに身につき、もう一日ぐらい良いだろうなんて思い始めたのをきっかけにずるずると、、、、、、気が付けば、休みはあと少し、、、、

結局は、休み前日になっても終えることが出来ず、半泣きの時間切れで夏休みを終える。

そして、未練多らしく「ほかの学校並みに、もうすこし休みが長かったら、、、」と愚痴をこぼしたものだった。

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先日、”ターニングジャパン”と言う新語が出来、その意味は「日本化」と訳され、「物事を先送りするこ」とを示す言葉になっていたそうだ。

国会などで何事も決めきれず先送りすることが世界中に広まってのことらしい。

このことは、千年以上前に聖徳太子が「和をもって尊しとなす」と言って以来、この国に根づいた風習ではなかっただろうか。

欧米のように、まず話しを始める前に「イエス」か「ノー」を言ってからその理由を述べる言語圏では、曖昧模糊とした表現は嫌われる。

そして、日本語は結論を一番最後に持ってくるため、発言中に相手の顔色を伺いながら話を展開するため、最後まで聞かなければ賛成反対がわからない。

そのうえ、国会での答弁を聞いていると、はっきり断定しないことが最上とも取れる、答えに終始していている。

なにしろ、物事極力もめさせないで終えるには、早急に結論を出すことを、控えるお国柄なのだから、、、、、、そして、切羽詰ってから論議もなしに、たとえ、拙速と言われようと結論を出さなければならないようになっている。

比較的長い付き合いをしてきたアメリカは、その辺の空気を呼んでいるから、切羽詰った情勢を作り出し、自分に都合の良い方向にいくよう「恫喝」すると、日本政府は譲歩してしまう、、、の、繰り返しで国民のいらいらは募る。

しかし、ヨーロッパなどの他の国、いわゆる外人にとってはじれったい国民と言うことになるんだろうな。

比較的、イエスノーを明確にしている自分でも、そんな気質を継いでいたようで、学校の宿題は上記のとおりだった。

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2012年8月25日 (土)

固い苞を割って

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062ほかのアジサイが萎れてくる八月になってようやく咲きはじめたタマアジサイ。

さしづめ、アジサイのしんがりと言ったところだろうか。

森の木の下で、水気の多い場所を選んで咲くタマアジサイは、固い苞に包まれて時期を待っているのが面白く、よく写真に写してみるのだが、この花も写しにくい花である。

江戸時代末期に、シーボルトが持ち出したもののなかに、アジサイもあったそうで、その後いろいろと品種改良の末また日本に逆戻りしたといわれている。

しかし、その中にはタマアジサイの系統が無かったのは、どうも、日本の庭に植えられることが無かったためなんだろうが、その理由はどの辺にあったのだろうか。

そして、いまだにタマアジサイを庭に植えてある家を見たことがない。

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ひょっとしたら、”野に置け蓮華草”ではないが、山に置いてこその花かもしれない。

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長く続いた暑さも一段落になるのだろうか。台風が沖縄から九州の西をかすめて、大陸に登っていくようで、先日来被害の出ている地方に影響が々でてくるのを心配しながらも、秋風を待つ複雑な心境の毎日。

そして、風もはたと止んで蒸し暑さが頂点にたつ、午後になって、夕べの残り湯に入るべく支度をする。

これだけ暑いと、残り湯といっても、老夫婦二人なら湯も汚れていなし、そのまま捨てるにはもったいない。しかし、いくら温めだった湯もも気温以下には下がっていないので、水道の水を足し増しして温度を下げる。

その後に、動物園の河馬かカビバラのように水風呂に顔だけ出して沈み込み、じっとしている。

充分に身体が冷えてから、生渇きの身体を扇風機に当てる。

これで、日中はエアコンを入れずに過ごせるのだが、、、、、

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2012年8月24日 (金)

虫の神様は

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あれ まつむしが ないている

チンチロチンチロチンチロリン

あれ すずむしもなきだした

リンリンリン リィ~ンリン

秋の夜長を鳴き通す ああ 面白い虫の声

ご存知「虫の声」と言う歌だが、今では遠いむかしの歌で、いまの子供はこの歌を知らないそうだ。

歌とともに、野生の虫の声をか細くなったようで、少なくなったと思うのは、耳が遠くなったせい?、、、、、農薬で絶えてしまったのか。

三日ほど前から、家の玄関に飼っている鈴虫が啼きだした。

正確に言えば、羽根をこすって音を出しているのだが、その音は同族にはよほど魅力的なようで、周りに何匹ものメスが集まって聞きほれている。

鈴虫もご他聞にもれず一年ごとに世代交代をしているのだから、当の鈴虫たちはいざ知らず、自分はこの虫たちのご先祖を何代も前から知っていて、鈴虫からすれば、高い天空の神様のような存在になるはずである。

それかあらぬか、餌にしているキュウリなどを取り替える際、手に掴まってくることがあるが、振り落とそうとしてもまつわりついてなかなか離れてくれない。

結局何世代にもわたって、人間に接していると怖いという感覚がなくなるのだろうか、、、、、、、

むかし聞いた話では、平安時代のマツムシはいまの鈴虫であったそうで、いつの頃からか名前が入れ替わったとか、、、どうしてそうなったのかは分からないが、上の歌がその頃出来たものなら、歌詞も変わっていたことと思う。

とにかく、長い間新しい血(?)が入っていないので、どこか早い時期に何匹か入れ替えてやる必要があるのでは、、、と、虫の神様は考えている。

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2012年8月23日 (木)

信号をやりすごす

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007西洋朝顔。ものすごい勢いで高さ8mほどの檜の木を駆け上っていったと思っていたら、いつの間にか、檜の木をすっぽりと包み込んでしまった。

そして、八月にはいると、大輪の青いはなをあちこちに咲かせだした。

原産地アメリカではこの花をヘブンリーブルーと言うそうだ。

宗教観の違いもあって、この花に天国を感じているのだろうか、、、、、、

仏教では、天国(天上)も花といえば蓮の花などを想像してしまうのだが、、、、

しかし、青空を背景に高みの花を見上げていると、空の色に染められているようにも見えるから、これまた不思議。

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今日は”処暑”。暦の上では暑さもおさまる頃、というそうだが、日本中30度を上回り熱帯夜が続く。

身体のほうも疲れ気味の感じが朝起きても抜けないのは、夏ばてもかなり重症なのだろうか。

しかし、空からは入道雲がすっかり姿を消し、高層雲が竹箒ではき残したようにあちこちに散らばるだけとなり、頭上はすっかり秋模様。

いつものように麻機からの散歩帰りに、国道一号のガード下で信号待ちに立ち止まれば、コンクリート橋脚が熱を吸ってくれるためか、結構風も吹いて気持ちよく過ごせる。

おかげで、青信号をもう一度やり過ごし、涼んでから帰宅する。

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2012年8月22日 (水)

日陰の花

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今年になって遊水地にするため県が買い上げ、荒地に戻ってしまった畑の一角にウコンの花が咲いていた。

地面すれすれから花茎をたてて25センチくらいの高さにまで伸ばした集団花をつけている。

暗い葉陰に咲くこの花は外からは見えない、多分これでは、蝶や蜂に頼る受粉は出来ないことと思う。

今頃咲くウコンは秋ウコンと呼ばれる種類で、香りからカレーの味付けに使われたり、肝臓の薬などとして民間薬として宣伝されている。

この花の黄色を、鬱金(ウコン)色といい、日本に入ってきた平安時代には着物の生地を染めるのに使われた色で、この色に近いところから鬱金桜という名の桜があるくらいである。

ただ薬としては、効能が確定していないのか、検索してみても「、、、に効くらしい」としか書いてない。

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子供の頃、夏になると川に入って寒くなりと、太陽の光を浴びて暑くなった大きな石の上に腹ばいになり背中を干し、暖かくなるとまた川にはいってを繰り返し、夏休みが終わる頃には焼けすぎて、一皮もふた皮もはがれてよい男になるどころか、粉を吹いたような身体で、新学期を迎えたものだった。

ところが、最近では、紫外線の害が強調されて、子供でもあまり日に当たらないようにしているそうだ。

そんななか、半そでの服の上に長い腕抜きをつけたり、化粧品をゴッテりと塗ったりサングラス帽子と紫外線を毛嫌いする人が増えてきた。

しかし、一方で、太陽光線は長寿の薬とまでいっている本もある。

紫外線に当たることで、ビタミン Dが体内にでき、この効果は、脳機能を活性化させ、高血圧、糖尿病、癌ほかに良いとする結果がでているという。

また、ビタミン Dは情緒に安定やうつ病などにも、、、とあって最上の薬であるとまでいっている。

紫外線がそんなに悪いものなら、人間はとっくの昔に死に絶えているはず、、、、自分は後者を信じている。 

「日陰の花」 むかしは、水商売などをしている女性を称していったと思うが、現代では、腕抜き、サングラスの人を言う。

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2012年8月21日 (火)

草木もばてて日が暮れる

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ぶり返している残暑に、人間のみならず草木も夏ばてを起こしている。

夕日も西の傾き、山の端にあとわずかだが、さえぎる雲も無いので、夕焼けは無理なのかもしれない。

その夕日を見送るかのように、シオカラトンボが羽根を光らせて相対している。

まさか、「今日の日をありがとう」とはいっていないと思うが、、、、、

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内戦状態になったシリアで日本人ジャーナリストが殺された、とテレビは報じていた。

日本から遠い中東の国。石油などを産出している国ではないだけに、あまり日本とは関係のない国だったが、昨年リビアで起きた民衆蜂起がエジプトなどに飛び火した後、親子二代で民衆を押さえつけていたアサド大統領にも咎めが出てきたという感じである。

理由はどうあれ、政権が自国民を武力で弾圧するにいたっては、行き着くところまで行かないと収まりがつかないだろう。

こうなる前に何とかする手立てもあったと思うが、毎日のように何十人、何百人といった単位で死者が出ていては、ルーマニアのチャウシェスク大統領、リビアのカダフイ大統領のような末路で決着するしかないし、その後遺症で国が安定するまでにはかなりの時間がかかることになる。

どこの国でもそうであるが、一度権力の座に坐ると居心地がよほど良いようで、その権力を長持ちすることに腐心する。

その結果、民衆の支持を受けて権力を得た当時の気持ちはすぐに忘れ、自己陶酔にはいっていく、、、。

「裸の王様」にあるように、甘い言葉だけを求め、諫言は遠ざけ、自己陶酔にはいっていく。

いまシリアの情勢を見て思うのは、好い思いをしたアサド一族は良い、しかし、その手先となってしたがっていた少数派に属する宗派の人々は逆差別を受けかねない。

それにしても、宗教とは、人々の平安を願って作られたものなのだが、、、、、、洋の東西を問わず、考えさせられるものがある。

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2012年8月20日 (月)

少し小ぶりでキツネノカミソリ

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072藁科川上流の高山市民の森で見たキツネノカミソリ。

先日、竜爪山で見たオオキツネノカミソリに比べると、”オオ”がつかないため、花を咲かせる花茎が小さく花も小さい。

おまけに、咲いている花の数も10本ほどと、ごくこじんまりと花を咲かせていたが、林の外辺、太陽がさんさんと照りつける中で咲いているためばかりではないのだろうが、花の色も濃く、目覚めの良い美人といった印象がする。

基本的には、彼岸花科の花なので同じ形をしており、地下の鱗茎の毒があるのも一緒だが、生える場所が少し違うようだ。

そして、花言葉を調べてみたら、キツネノカミソリは妖艶。オオキツネノカミソリは威厳だというが、どうしてこんなに違うのねぇ。

また、絶滅危惧種として”ムジナノカミソリ”と言うのがあるそうだが、これは、写真で見る限り区別のつけようがない、、、、素人目だけど

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今日銀座でロンドンオリンピックのメダリストが、無蓋のバスに乗ってパレードした。

ってことは、メダルに縁がなかった選手は乗れなかったのだろうな。よく見ていないから知らないのだが、、、、それにしてもよくあんなに人が集まったものだ。

相撲界の関取とそうでない人との差みたいなもので、「悔しかったらメダルを獲れっ!」っていうことなんだろうけれど、、、、

バスの上から笑って手を振っている選手を見ていたら、なんだかしっくりとしないものを感じた。

ひょっとしたら、浜口京子さんがいなかったためかもしれない。

あんな父親の無茶振りを、照れくさそうに笑いながら赦している彼女の笑顔は、我々の年頃が好きになるタイプなのである。

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2012年8月19日 (日)

藪茗荷にアブが

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015藪茗荷は写しにくい花である。

薄暗く、地面に水分の多い木の下などを好むため、つい露出時間がかかって手振れを起こしたり、シャッタースピードが短くて薄ぼんやりとしたりで、きれいな写真になりにくい。

そして今回も、やはり満足のできるものにはならなかった。

この花、葉っぱが茗荷に似ているため”藪茗荷”と名乗っているが、本物の茗荷は生姜の仲間に分類されるのに対して、藪茗荷はツユクサの仲間だという。

今日も、道脇の藪茗荷を、あちこち透かしたり見下ろしたりしていたら、ヒラタアブが一匹近寄ってきてどの花に掴まろうかと、近寄ったり離れたりを繰り返していた。

ヒラタアブについては、いくつもの種類がいるが、この際はすべてをふくめて、、

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2012年8月18日 (土)

憧れのトンボだった

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子供の頃、このトンボがどれだけ欲しかったことか、、、、

路地の小川のうえを悠然として飛び回るオニヤンマ。

同じコースを、行ったりきたりしているが、捕虫網をすいっと避け、逃げるでもなくまた戻ってくる。

その有様は、子供をからかっているようにしか見えなかった。

大きな子供は、細い紐に小さな石をくっつけて空中に放って絡めとっていたが、小学校に入った頃の子供では、投げるタイミングとコントロールが出来なくて真似をしても無理だった。

また、その頃の年上の子は、捕まえても自分たちにくれると言うことは無く、見せびらかして横取りをしていく、、、

無造作に捕まえる人への憧れ、悔しさがバネになって、やっと捕まえたときのうれしさ、誇りはいまの子供たちがカブトムシを店で買うときには感じられないものであろう。

ちなみに、ミヤマクワガタはオニムシといって、朝、電柱の下に行けば何匹もいたし、簡単に手掴み出来たので、おもちゃにこそすれ値打ちの無い虫だった。

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ちなみに、このオニヤンマは気の優しいトンボだったようで、自分の体の1/3くらいのコフキトンボに、杭の天辺を取られても追い退けようとはしないで、その下で我慢をしていた。

子供に追われなくなったオニヤンマは、最近の家猫や飼い犬がほかの動物を見ても仲良くしているのと共通しているのかも、、、、、

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ダブルスタンダートとは、相手のよって基準を変えること、と理解しているが、これを行うと行った団体や個人(権謀術数の国や議員さんは除くのかな?)の信用はがた落ちになるものである。

特に、フェアプレイをモットーとするスポーツでは重大な要素のはずである。

今日の、ニュースで甲子園出場中の作新学院の野球部員が強盗致傷容疑で逮捕されたとあり、作新学院は謝罪するととも「野球部員と県民の気持ちを考えると出場を辞退しない」と記者会見で述べた。(さすがに、前衆議院議員を学院長に持つ学校である。)

それを受けて高校野球連盟は、野球を続けることを承認したとのことらしい。

事件を起こした部員は、正選手でなかったそうだが、いままでに何校もの学校が部員の不始末はもとより、野球と関係のない学生の不始末にも辞退したり、させられたりしてきたのを聞いている。

それからすると、今回の事件はまさに出場停止が当たり前の事件である。本人が認めるなり、裁判で決着がつくまでは推定無罪なのかもしれないが、もし、かの学校が優勝でもしたのなら、決着がついてから取り消し処分をすべきであろう。

オリンピックなどでも、薬物使用があった場合、記録とメダルの没収と言う処置をするのだから、、、。

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もっとも、我々ご同輩の井戸端会議では、最近の高校野球がノンプロかしてしまってから興味がなくなったという人がほとんどである。

一番高校野球に熱狂したはずの世代がこれでは、衰退間違いなし、、、

このあいだも、オリンピックがずっと続いていたら「高校野球?やっていたの、で、どこが優勝したの?」と言う人ばかりだったろう。というくらい人気が落ちている。

そんなに興味の無い競技なら、ダブルでもトリプルでも「どうぞご自由に」といってあげるのが   オ ト ナ   かな。

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2012年8月17日 (金)

野菊のごときは

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ヨメナ(嫁菜)薄青い花が雑草に混じってひっそりと咲いている。

20枚前後の小さな花びらは、一定していないようで、「来る来ない」や「好き嫌い」などの占いに使うと良い、と誰かが行っていたのを思い出す。

しかし、この花が一番似合うのは伊藤左千夫の「野菊の墓」ではないだろうか。

政夫と従姉の民子の淡い恋、民子が病気で亡くなった後、墓の側に野菊を手向けるという筋書きは、何度も映画やテレビで放映された。

野菊のごときは君なりき、といわせた女性とは、、、、、、そんな恋はしたことがない。

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よく似た花に、ノコンギクがあるが、葉っぱに毛が生えているかどうかだけで判断しているので、間違っているかもしれない。

どちらも、荒地や田んぼの畦に咲いている草花だが、いざ駆除しようとすると、根が深くあちこちに広がっているためなかなか絶やすことが難しい。

花が可憐なら、草も、、、というわけではないところが、”嫁菜”の所以だろうか

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2012年8月16日 (木)

赤い目で見る景色は

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鼻の先から尻尾まで真っ赤なショウジョウトンボの雄。

これだけ目立つ格好をしていれば、どこにいてもすぐ分かる。保護色で敵から逃れるのではなく、仲間内の争いと恋にかけていて愛と言う字を兜につけて戦った直江兼続に匹敵するのかもしれない。

全身真っ赤は徹底しており、目玉まで赤く染めているが、こんな目玉で見る世界はどんなんだろうか。

また、戦国の時代、武田軍に赤備えという真っ赤な鎧で揃えた一団があり強いことで有名だったので、武田が滅びた後、マネシ(真似師)の家康が、井伊家を赤備えにしたそうだ。

夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先

039童謡”赤とんぼ”で歌われるトンボは、このトンボでなく、左のアキアカネだというが、稲の穂が出かけた今の時期ようやく里のほうに降りてきて田んぼのうえを遊よくし始めた。

その勢力地図も取って代わられるのももうすぐのことだろう。

しかし、まだ色づきはこれから、、、、、、

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2012年8月15日 (水)

ルリタテハの訪問は

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022昨日と同じようなパターンで、午後になってようやく雨が上がった。

雨上がりに庭に早速やってきたのがルリタテハ蝶。青黒い羽根に一本の瑠璃色といわれる線が入ったきれいな蝶である。

まるで何かを探しているようにじっとしていない。庭中を縦に斜めに飛びまわって確かめていたのだが、自分の気配を察してか、来たとき同様にふっと姿を消した。

日本では、蝶々に死んだ人の霊がやどると聞いたことがあるが、昨年当たり亡くなった人が宿って、帰るところを探していたのだろうか。

我が家では、十三日、迎え火を焚いて招き入れた両親は長年通い慣れているはずだから、迷ってはいないと思うのだが、、、

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雨がまだ残る麻機の蓮畑。小さな雨粒が風に吹かれてゆれる葉っぱのを回転しながら一番下の窪みまで、ルーレットの駒のように回りながら走る。

水溜りが、大きくなると葉を傾けてまた初めから、、、その有様は、何度も同じ失敗を繰り返してきた人間の歴史を現しているようだ。

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六十七年前の今日は本当に暑かった。

小さな貯水池に浸かっていたが、大人たちが集まっていたので側に行くと雑音だらけのラジオから普段聞いたことの無い音が流れ、大人たちは一様に下を向いていた。

そのうち、誰かが日本が負けたといったような気がする。

そのこともって家に帰り、「母ちゃん 日本が負けたんやって」といったところ、暗い部屋の水屋に手をかけていた母親が何か返事をしたのだが、何を言ったか覚えていない。

しかし、その態度には、ほっとしたような雰囲気を感じ取っていた。

そのころ、父親は二度目の徴兵を避けるため富山県の軍需工場に行っていた。

戦線拡大の挙句、負け戦で、兵士が足りなくなった敗戦間際40歳を過ぎた男でも兵士にしなければ、どうしようもないところまで来ていたのだろう。

小学校に入るかどうかの子供でも、富山市を爆撃に行くB-29の編隊になすがままにさせているのを見て、日本に勝ち目がないと思っていたのに、、、、、

後で、「日本で一番長い日」と言う映画を見たとき、負けを認めようとしなかった日本軍の指導者が天皇の放送を阻止するため走り回っていたことを知った。

あの映画が、どこまで実際を写していたか知らないが、巨大化した軍隊と言う組織が、大局的にものを見ることが出来ず、近視的なことやや組織の内部にしか関心が無く保身に逸っていたのは、今の国会議員に通じるものがある。

いま先の大戦から六十七年たち、あの頃の事情を知る人は、次第に減っていきいつかは本の上でのことになったとき、勇ましい宣伝に踊らされて、同じ道を歩まないでもない。

歴史は繰り返すとか、、、、、

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2012年8月14日 (火)

口元をおさえられて

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昨夕から断続的に降る雨に、ゴミだし以外外に出るすべもなく家に閉じこもっていた。

しかし実際は、昨日の龍爪山の疲れで、動きたくなかったというのが本音である。

登りには感じられなかったが、降りの階段状の道は、75kgの体重がもろにかかって膝腰に来たようで、終日ごろ寝状態で過ごすにはもってこいの天気といえよう。

テレビでは、近畿地方に集中豪雨が襲ったようで、そんなのんきなことを言っていては叱られるかもしれないが、、、、、、

ゴミ出しのついでに見かけた高砂ユリ。

周りの高砂ユリが咲きだしている中で、羽化のために這い上がってきた蝉が花の先端をしっかりと押さえている。

蝉のほうにすれば、上がってきた以上、羽化するのが至上命令である以上、場所を選定する余裕は無い。

さて、口元をしっかりと押さえられたユリの花。なんだか見ていたら、おしゃべり女?男?があまりうるさいので、、、、、、、と言う風に見えてしまった。

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2012年8月13日 (月)

樹下を赤橙に染めて

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久しぶりに富士見峠から竜爪山(1,063m)に登ってみた。

目的は知る人ぞ知るオオキツネノカミソリが満開の時期を迎えているはず。と思ってのこと、、、

天気予報は、雨降りになっていたが、日の出から空は雲が少なく、様子見の結果出かけることにした。

六時四十分、コンビニで昼ごはんを買い、駐車場についたのが七時二十分だった。

057018ひだり、チャボホトトギス  みぎ、イワタバコ


長袖のシャツに着替え、足の支度をして上りだしたところで、黄色いチャボホトトギスを目にする、、、、これは幸先の良いことと写真にしたが、その頃から雲が多くなりただでさえ暗い木の下がさらに暗くなってしまう。

043オオキツネノカミソリが群生する富士見峠に着いたのは、それから四十分。その間イワタバコやコウリンカなどあちこちにカメラを向けながらゆっくりと登ったため、以外と時間が短く感じられた。

彼岸花の仲間であるオオキツネノカミソリは葉っぱも無しに、地面から花茎だけを突き出し、いっせいに花開いている。

花が咲いている範囲は、計ったことが無いので分からないが、ざっと見た目には幅50m、上下に150mはあろうかという一体を赤橙色に染めて樹下を覆っている。

もしこれが、人通りの多い場所ならなかなかこの状態を保たれていないのではないだろうか。それかあらぬか、今日も誰一人としてこの場所にはいない。

しばらくあちこちを巡り歩いた後、座り込んで独りぼっちの花見をする。

前回は、アゲハチョウが花から花へと優雅に飛び回っていたが、雨が近いと知ってか、蝶どころか動くのは自分のみ。そして、物音ひとつしない花畑は、天が与えてくれた至福のときか、もうすぐ行くと会える天国のお花畑か、と、、、、、、、

それにしても物寂しい感じは、日もささず薄暗い雰囲気が身に染みるからか。

富士見峠に上がれば、昨年11月に行方不明になった人の特徴を書いた張り紙があり、それから三十分かけて上った峠にはやはり七月に行方不明になった人の捜査依頼があった。

山での遭難は、六十代からうえが多いといわれているが、こんな里山に近い山でも二人がいるというのは、、、、そして、いずれも単独登山でのこと、、、

すべて自分に当てはまることなので、他人事と思わず気を引き締めて、、、と

十時四十分、穂積神社近くまで下ってきたとき、若い男女が昇ってきたのとすれ違った。

二人とも、身に何もつけず手ぶらにスニーカーの軽装、男性のほうは「雨が降る前に頂上まで行こう」と若い女性に声かけ少し早足になる。

女性は、付いて行けず「○○くん なんとか、、かんとか~」と言っている。

こういう子らに限って、遭難や行方不明にはならないんだなぁ、、、、これが。

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十一時、ついに雨が降り出し次第に激しくなり、家に着いたのは十二時半。

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2012年8月11日 (土)

朝の虹は

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002朝の虹は雨 夕べの虹は晴れ。というのが日本の常識。

日本の天気は、西から変わることが多いので、朝の虹は西側の雨が太陽の光を反射することから起き、その後次第に雨雲が上空にくるためである。

今朝の日の出は、まさにその格言どおりの虹が懸かった。

早朝散歩の折、自分の身体にもポツリポツリと雨粒が当たったものの、20分ほどして虹が消えるとともに雨粒も搔き消えてしまった。

午後になって、雷が鳴り出して一時間ほど、長い前奏曲の後降ったり止んだりと久しぶりに纏まった雨が降り、裏の川に繁殖していた藻を上流に降り積もった病葉とともに流し去った。

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この夏休み、警察のご厄介になる生徒が、例年に無く多くなり検挙という自体にもつながりかねない状況になっているようだ。

発端は、滋賀県大津市のいじめ問題に発して、あちこちでいじめを受けたとされる生徒やその親が警察に訴えはじめていることによる。

先日も、仙台育英高校でタバコの火を押し付けた問題で、学校はいじめを受けたとされる生徒に退学を勧告していたなど、「教育界と言うところの常識ははどうなっているの?」と思わざるを得ない。

これまでは、教育の現場に警察権力はもちろん、市町村や県などの外部からの介入はしないことになっていたが、肝心の教育委員会や学校が文部省など上の意向ばかりに気を使い、義務や責任を完遂できないようでは退任を願うしかないし、警察が立ち入るのも目を瞑るしかない。

それにしても、これらは傷害罪であり窃盗罪などがあてはまる犯罪であり、いじめと言う文字で扱ってもらいたくない問題でもある。

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2012年8月10日 (金)

猿も滑る

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夏の暑い盛りをものとせず、サルスベリが咲き、マルハナバチを誘っている。

蘂の周りを花びらが取り囲んでいるのだが、花びらが直接蘂の周りから出ず六本の細い棒の先端で広がって、隣の花びらなどとこんがらがっているためなんだか豪勢な花といった感じがする。

長い期間、次々に咲いては散り咲いては散りを繰り返すため、百日紅という名がつけられている。

一方で、木が大きくなるにつれて、表皮が剥がれ落ちつるつるとした硬い樹皮が出てくるため、猿も滑るだろうと、つけられた名前が猿滑り。

”猿も木から落ちる”というが、先生といわれる種類の人は、これといった特技のある人は少なく、口先だけの人が多いため、木から落ちるとただの人になってしまうそうだ。

手馴れた木でも、用心して登らねば、、、、とくに、木から降りるときは

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2012年8月 9日 (木)

止まり木を巡って

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麻機沼のウチワトンボが水面を望む小枝の先に止まり、縄張り争いを続けていた。

ウチワトンボ、黒と黄色の段だら模様の尻尾(?)は一見オニヤンマを思わせるが、尻尾の先端に名前の元になった団扇を思わせるふくらみがついていて、オニヤンマに比べれば一回り小さいことで区別が付く。

このトンボ、もともとは九州南部にしかいなかったのだが、これも地球温暖化で北上したらしく、静岡で見つかったのは、20年ほど前からで、まだ山地には上っていないようだ。

012ともあれ、小さな小枝はコフキトンボやハラビロトンボ、コシアキトンボなど違う種類のトンボも狙っているため、ほかのウチワトンボと空中戦を演じていると、居場所を取られてしまうようで、「油断もすきも無い」とばかりに警戒していた。

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国会は、内閣不信任案を否決したが、またしても執行部の方針に従えないと謀反議員がでる。

どちらの党も、政策で争うのではなく、いつ解散をするのか、どのタイミングでどうすれば自党に有利になるかしか考えていない人ばかりが、党を引っ張っているようだ。

そのため、民主も自民も、執行部の権威がた落ちである。

そんな執行部でも、まだなりたい人がずいぶんといるようで、九月の執行部選挙はまた一波乱が噂されていて、党幹部も止まり木を奪われるのではないかと、気が気でないといったところ。

いちど、麻機沼のトンボを見にきたらどうかと提案してみたい。

もっとも、トンボのほうは、我々の陣取りは国会並ではないというのはわかってのことだけど、、、、、、、、。

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2012年8月 8日 (水)

墨流し

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スミナガシという変わった名前の蝶を久しぶりに見た。

012_2墨流しとは、水を張った入れ物に墨汁を落とし、少し手を加えると、なんとも怪しげな広がり文様が出来、それを紙などに写し取って、地模様とする技法をいう。

この蝶が黒っぽい羽根を見る角度によってニビ色に光らせていることから名づけられたものであろう。

そしていま、人気配を知らぬかのようにゆっくりと木の間からでてきて地面に舞い降り、人間があわてて、カメラを取り出すのをからかうかのようしばらくじっとしていた。

種類としては、タテハチョウの仲間であるが、主に森林を住処としているようで、あまり見かけることが無い。

また見かけても、木陰にいることが多いので、ヒカゲチョウなどと見間違っているのかもしれない。

物の本によると、森林の手入れが少なくなった結果、山が荒れて食性の植物が減り、絶滅危惧種になりかねないそうだ。日本の経済もとんだところにとばっちりが行くものである。

ともあれ、羽根の両側に「<」マークを連ねているのはなんだかメリハリが利いているようで好ましいもののひとつである

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連日、テレビはオリンピック一色。おなじ番組を各局同じように繰り返し放送するものだから、ねじべぇの自分としてはテレビを敬遠し、新聞しか見ていない。

今回のオリンピックはいままでの印象として思うのは、金メダルが少なく、銀メダルが多いことにつきる。

銀メダルでもたいしたことなのだが、最後の一押しが弱いのだろうか。

そして、週刊誌によると、国籍を変えて出場する選手がやたら多いようである。

何ヶ月か前にお笑い芸人の猫ひろしが、カンボジア国籍を取得して出場しようとしたが、オリンピック委員会に拒否されたのを思い出した。

たぶん、いま国籍を変えて出場している選手は、猫ひろしがクリアできなかった条件をパスしてのことだが、これとよく似たケースには、日本の国体選手が開催県を優勝させるためジプシー選手などといわれて動き回っていたことや、高校野球の選手が、出場しやすい県や高校を探して親元から遠く離れた学校に入学するのと同じことであり、それが、これらの競技を面白くなさせているのである。

また、先日聞いた話では、国別のメダル獲得順位は、オリンピック委員会で発表しているのではなく、マスコミが勝手にやっているとのこと。といわれていた。

そう聞くと、オリンピック委員会は選手を、どういう位置づけで見ているのだろうか。優勝すれば国旗を掲げ国歌を歌わせる。

また、各国の種目選手の出場枠を制限する。ということは選手個人の力量でなくなる、、、、、

このように裏話しを聞いてくると、オリンピックの正体が、墨流しのようになんだか訳の分からない色があちこちに潜んでいるようで、単に浮かれているのが馬鹿に見えてしまうのは、ひねくれ屋の特徴か。

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2012年8月 7日 (火)

空に秋が見えてきた

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今日は立秋。

暑い熱いを連発しながらこらえてきたが、ようやく目途がついてきたという感じがする。

曇り空の隙間から見る雲の様子は、まさに「秋立ちぬ」といったところで、いわし雲が上空を覆っているのが下の雲の隙間から見て取れる。

いわし雲は、またの名をうろこ雲とかさば雲など魚の名前から取った名前がつけられているが、地上から見て小さな雲が隙間を作りながら密集していることによるのだろう。

そういえば、仕事について間もなくの頃”いわし雲”といった名前の映画があった。

主演は、今年亡くなった淡島千景と木村功だったと思っている。

戦後の混乱期、夫を戦争で無くした主人公が、子連れで夫の家に入って農家を手伝うが、、、、結婚している人を好きになり別れるまでの話だった、、、、当時としては、不倫は社会から弾劾される問題だったように記憶している。

何しろ記憶は、急速に消えていく。その中でこれだけ覚えているのは、名作だったからかもしれない。

14~5歳ほど年上だった淡島千景は、その頃若くてきれいだった。

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022w聾唖者がつかう手話については何にも知らないので間違っているかもしれないが、先日NHKを見ていたら、健常者が手話を通訳する際、ひまわりと、コスモスを間違えて解釈し、直されていた。

ここからが、一度見ただけであやふやなのだが、、、、

ひまわりは、太陽に向かって花開くので、それを表現するには、左手の平を相手に向けて右手をその前で左右に振る。

そして、コスモスは、風に吹かれて花の裏が見えるところから、右手の甲を相手に見せて左手を左右に振ることで表現すると行っていた。

それにしても、手話で会話するということは、日本語のように、ひとつことでも謙譲語からマジ~まで何種類もの表現する言葉がある中で限られた言葉しかないようで、コミュニケーションも限られてくるように傍目に見えるのだが、、、

ひまわりとコスモスだけでこれだけ良く似た動作をするとしたら、花の名前はとても区別が付きそうにも無い。

この歳になって、手話を覚えるにはよほど真剣にならないといけないので、その努力は放棄している。何しろ覚えた先から忘れていくのだから、、、、、、、

それにしても、梅が島温泉のひまわりとコスモス、自分勝手にあちこちを向いた花々、これを手で表現するにはまた違った動作が必要なのでないかと思ってしまった。、

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2012年8月 6日 (月)

ほんのおしめりに

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午後になって、本のお湿り程度の雨が降って、いつもはうだっている時間がやたらに涼しく感じてしまった。

気温は、それでも30度を越えていたようだから、なんだかんだと言っても身体は30度くらいまでなら我慢できる状態になっているのだろう。

それにしても、静岡に来て30年余は炎天下で仕事をしていたのだから、これくらいで音を上げているのは、贅沢になったのか、体力がなくなったのか、、、

当時64歳だった母親を連れて84歳 亡くなるまで20年間を、静岡に住まわせたのだが、自分もその歳ごろになってくると、大変な目にあわせていたのではなかっただろうか。なんて今頃になって思う。

何事も自分を基準に物を考えるのは、いまだに直らない。今日も向かいの九十翁と話をしてみたが、、、、、この翁も、「年々身体が弱ってくるのが、こんなに切ないものだと想像できなかった」と話していた。

七十歳位まではまだまだと思っていた体力も自信が無くなり、自分もこの先、未体験ゾーンに突っ込んでいくのかと思うと、、、、、、、、

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自民党の谷垣総裁は何を思っているのだろうか、と、ときどき疑ってしまう。

今日も、解散を確約しなければ、不信任案を出すと気張って見せた。

いくら、自民党野田派といわれる首相にしてみても、これを受け入れては、消費税を上げただけで、あとの一体改革が何にも出来ないで終わってしまうことになる。

それでなくても、国会議員の身を切る削減は全然なし、と言う状態になっており苦痛を国民、、いや生活困窮者のみにおしつけるという結果になりかねない。

増やした消費税は財務省の裁量にすべてを任せ。土木工事に突っ込み経済界のみを優遇するという事態になりかねない。

また、原発の総括についても何にも出来ていないいま、解散をして、何にもなかったことにしたい。と言う意図が見え見えの解散をなぜ求めるのか、、、、、

総裁になったときは、もうすこし、理知的な人かと思ったが、その言は幹事長の石原氏を含めてかなり威丈高なことばかり、、、これでは、どっちが政権をとっても希望は無いと知る。

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2012年8月 5日 (日)

トンボの産卵

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最後雨が降ったのはいつの頃だっただろうか。

この、日照り続きに湧水地でもある麻機沼の水位も低くなり、ところどころ沼底が見えて来はじめている。

目の前を飛んできたギンヤンマがその残り少なくなった水面にお尻を差し込んで卵を生み出した。

トンボは普通雄が周りを警戒して、ペアになって産むものだが、このギンヤンマの周りにはほかのトンボはいない。相手の雄とはぐれたのか、事故にあったのか、、、、、

ギンヤンマの羽根の差し渡しは一般に7~8センチといわれ、日本では大きなトンボのうちにはいるが、それでも、産卵のときは無防備になる。

そのことを気にしてか、二度三度とあわただしく水面に尻を入れた後、すばやく飛び去ってしまった。

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ここ毎日じゃが芋尽くし。じゃがバタはもちろん、味噌汁に、カレーに、サラダに、ポテトフライにと、、、、

根がじゃが芋好きで通っている自分も、これだけ食卓に並ぶと、、、、、

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2012年8月 4日 (土)

ジュウドウジャポニカ

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053草むらに咲くアキノタムラソウ。

漢字では、秋の田村草とも、秋の多紫草とも書かれているが、七月頃から見られるところから、”秋”と言う字はそぐわないような気がする。

しかし、学名がsalvia japonica   つまり、日本のサルビアと聞くと、なんだか特別な花という気がしてくるから、不思議。

ちょっと見には雑草でしかない草だが、貴重な花のように思えるのは、椿の学名や日本の米にジャポニカのように日本の代表といった意味があるためだろうか。

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おりしも、ロンドンのオリンピックでテレビは持ちっきりだが、お家芸だったはずの柔道男子で金メダルがひとつも取れなかった、と、新聞に大きく報じられていた。

この種目は、ある意味で”ジュウドウジャポニカ”と言ってもいいのではなかっただろうか。

しかし、どの種目でも繁栄すればするほど、メダルは世界均等に広がるものだから、一面喜んでいいはずなのだが、、、、この種目でメダルの数を稼いでいただけに、大金をつぎ込んでいた日本のオリンピック委員会や柔道界で威張っていた面々は困っているようだ。

以前、J-1のサッカーの選手から静岡県人が少なくなったと地元紙は嘆いていたが、これも、全国的に普及すれば身体能力で静岡の人だけが優れているわけでないのだから、当たり前のことであるし、大相撲を見ても外国人に門戸を一部開放しただけで、上位陣に日本人が少なくなってしまった。

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2012年8月 3日 (金)

心頭滅却できなくて

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001_2夜も九時を過ぎて十六夜の月が煌々と照っているが、この時間になってもまだ暑い。

秋に先駆けて咲くという”待つ宵草”。一般的には月見草と言うが、黄色く薄い花を咲かせている。

以前には、秋口の花といえば、この花やコスモスを指したが、自然界も次第にしっちゃかめっちゃかになり、季節は「夏と冬だけ」みたいな感じで推移していくように思うのは自分だけだろうか、、、、、

そういえば、世界には雨季と乾季しかないところもあるのだが、日本もそんな感じになって、砂漠化するのかもしれない。

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お寺の坊さんは、一月から二月の寒い季節に、寒修行なるものをするが、自分にとっては、この暑い季節が耐え難い季節であり、暑修行といったところだろうか。

何しろ、悟りをひらくには程遠い身、なかなか「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言う心境にはなれない。

今日も今日とて、午後には家の中に籠もろうとしたが、一昨日持ち帰ったじゃが芋の土落としをしなければならず、納屋に入って土を手でこすり、傷口のあるものを仕分けしていたら、汗だくだくと肌をつたって流れていく。

近所知り合いに配ってみたが、まだ、コンテナ三箱分残る。

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2012年8月 2日 (木)

幽玄の世界をさまよう

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月の光に照らされて浮かび上がる幽玄の世界

肌寒さで目が覚めた。この季節、静岡では味わえない感覚であり、なんだか忘れていたものを取り返したような気分であった。

時刻は四時を少し過ぎたところで、”朝まだ不来"と言った感じのする空に明けの明星がひときわ明るく輝いている。そのすぐ脇に光る星は火星か木星か、、、天文学に疎いのでさっぱり分からないが、、、、、、

それにしても、昨夜の月は幻想的だった。

バンガロー周辺の赤松林を差し込んで来る月光は、刈り込まれた下草の高低感覚をなくし、一面の絨毯に変じ、その下の明神池に月あかりを落とし込む、、、、、

缶ビールを片手に、足元を確かめながらの散策に興じる。

周りには自分たち以外にひと気はなし

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松林の中のバンガローに泊まって

昨日買ってきた調味料と茗荷にじゃが芋で味噌汁を作り、六時過ぎに食事を済ませ、涼しいうちに出来るだけじゃが芋を掘り出そうと、露でびしょ濡れの草を掻き分け畑に入る。

十時までにりんご箱七杯を掘りあげて、休憩に入り、昨日掘り上げていたじゃが芋を親戚宛に発送し、夕方四時近く、風が出てくるまで家の中に閉じこもって、暑さ除けをする。

夕方になって再開した芋ほりは、手元が暗くなりかける六時半にようやく完了する。

折から開かれているオリンピックではないが、身体中くたくたになってしまったが、その充実感は、達成感は久しぶりのものだった。

木製のりんご箱に、合計十三箱、一箱40kgとして520kgだがもっと多いのかもしれない。何が良かったのか分からないが今年は大豊作、、、、

いきおい、話は盛り上がり、渇いた喉の染み込むビールの味も格別、

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明ければ、我々兄弟とユンボを出して手伝ってくれた義弟とでじゃが芋の仕分けに入ったが、自分たちの自動車ではそれぞれがりんご箱で四箱が限度。

特に自分のワゴン車は、前が持ち上がり気味になったので運転に支障をきたしても、、、、、とあきらめる。

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