ルリタテハの訪問は
昨日と同じようなパターンで、午後になってようやく雨が上がった。
雨上がりに庭に早速やってきたのがルリタテハ蝶。青黒い羽根に一本の瑠璃色といわれる線が入ったきれいな蝶である。
まるで何かを探しているようにじっとしていない。庭中を縦に斜めに飛びまわって確かめていたのだが、自分の気配を察してか、来たとき同様にふっと姿を消した。
日本では、蝶々に死んだ人の霊がやどると聞いたことがあるが、昨年当たり亡くなった人が宿って、帰るところを探していたのだろうか。
我が家では、十三日、迎え火を焚いて招き入れた両親は長年通い慣れているはずだから、迷ってはいないと思うのだが、、、
雨がまだ残る麻機の蓮畑。小さな雨粒が風に吹かれてゆれる葉っぱのを回転しながら一番下の窪みまで、ルーレットの駒のように回りながら走る。
水溜りが、大きくなると葉を傾けてまた初めから、、、その有様は、何度も同じ失敗を繰り返してきた人間の歴史を現しているようだ。
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六十七年前の今日は本当に暑かった。
小さな貯水池に浸かっていたが、大人たちが集まっていたので側に行くと雑音だらけのラジオから普段聞いたことの無い音が流れ、大人たちは一様に下を向いていた。
そのうち、誰かが日本が負けたといったような気がする。
そのこともって家に帰り、「母ちゃん 日本が負けたんやって」といったところ、暗い部屋の水屋に手をかけていた母親が何か返事をしたのだが、何を言ったか覚えていない。
しかし、その態度には、ほっとしたような雰囲気を感じ取っていた。
そのころ、父親は二度目の徴兵を避けるため富山県の軍需工場に行っていた。
戦線拡大の挙句、負け戦で、兵士が足りなくなった敗戦間際40歳を過ぎた男でも兵士にしなければ、どうしようもないところまで来ていたのだろう。
小学校に入るかどうかの子供でも、富山市を爆撃に行くB-29の編隊になすがままにさせているのを見て、日本に勝ち目がないと思っていたのに、、、、、
後で、「日本で一番長い日」と言う映画を見たとき、負けを認めようとしなかった日本軍の指導者が天皇の放送を阻止するため走り回っていたことを知った。
あの映画が、どこまで実際を写していたか知らないが、巨大化した軍隊と言う組織が、大局的にものを見ることが出来ず、近視的なことやや組織の内部にしか関心が無く保身に逸っていたのは、今の国会議員に通じるものがある。
いま先の大戦から六十七年たち、あの頃の事情を知る人は、次第に減っていきいつかは本の上でのことになったとき、勇ましい宣伝に踊らされて、同じ道を歩まないでもない。
歴史は繰り返すとか、、、、、
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