空に秋が見えてきた
暑い熱いを連発しながらこらえてきたが、ようやく目途がついてきたという感じがする。
曇り空の隙間から見る雲の様子は、まさに「秋立ちぬ」といったところで、いわし雲が上空を覆っているのが下の雲の隙間から見て取れる。
いわし雲は、またの名をうろこ雲とかさば雲など魚の名前から取った名前がつけられているが、地上から見て小さな雲が隙間を作りながら密集していることによるのだろう。
そういえば、仕事について間もなくの頃”いわし雲”といった名前の映画があった。
主演は、今年亡くなった淡島千景と木村功だったと思っている。
戦後の混乱期、夫を戦争で無くした主人公が、子連れで夫の家に入って農家を手伝うが、、、、結婚している人を好きになり別れるまでの話だった、、、、当時としては、不倫は社会から弾劾される問題だったように記憶している。
何しろ記憶は、急速に消えていく。その中でこれだけ覚えているのは、名作だったからかもしれない。
14~5歳ほど年上だった淡島千景は、その頃若くてきれいだった。
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聾唖者がつかう手話については何にも知らないので間違っているかもしれないが、先日NHKを見ていたら、健常者が手話を通訳する際、ひまわりと、コスモスを間違えて解釈し、直されていた。
ここからが、一度見ただけであやふやなのだが、、、、
ひまわりは、太陽に向かって花開くので、それを表現するには、左手の平を相手に向けて右手をその前で左右に振る。
そして、コスモスは、風に吹かれて花の裏が見えるところから、右手の甲を相手に見せて左手を左右に振ることで表現すると行っていた。
それにしても、手話で会話するということは、日本語のように、ひとつことでも謙譲語からマジ~まで何種類もの表現する言葉がある中で限られた言葉しかないようで、コミュニケーションも限られてくるように傍目に見えるのだが、、、
ひまわりとコスモスだけでこれだけ良く似た動作をするとしたら、花の名前はとても区別が付きそうにも無い。
この歳になって、手話を覚えるにはよほど真剣にならないといけないので、その努力は放棄している。何しろ覚えた先から忘れていくのだから、、、、、、、
それにしても、梅が島温泉のひまわりとコスモス、自分勝手にあちこちを向いた花々、これを手で表現するにはまた違った動作が必要なのでないかと思ってしまった。、
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