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2012年9月30日 (日)

振り回されて

002

朝の太陽が昇るのに合わせたかのようにして花火が二発三発と上がったようで、乾いた破裂音が響き渡っていた。

空を見上げたが、どこで上げたのか煙を見ることが出来なかった。

多分、台風が来る前に運動会でも済ませておこうかという意味だったようだ。

午前九時半に、スーパーへ行けば、自分たちと同じ考えの人ばかりだったようで、開店を待ちかねて駐車場も店内も混雑していた。

003

そんな人間の思惑をよそに、近所の小学校の学校田にはあぜ道に沿って無数の案山子が立てられ、意識していないとは思うのだけれど微妙な傾きは、今はやりのエグザイルダンスもかくやとばかり、案山子が踊っていた。

この案山子、明日はどういう振りをしているやら、、、、、、、

この案山子、台風の直撃に耐え切れなかったと見え、翌々日行ってみたら、半数が倒され、あぜ道に隠れてしまっていた。

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午前中は空も晴れていたが、一時過ぎから雨もよいの天気になり四時を過ぎた頃から風も強くなってきた。

台風の状況はテレビを入れてみたが、民放はもちろんNHKでさえゴルフ中継をしており、せめてテロップでいまどの辺かとか、交通事情を流してもよいのではないかと思うくらい、無視をしていた。

それが一変し、台風関連の放送になった途端延々と、同じことを繰り返しの放送。

台風で倒れて木が当たって怪我をした、オーストラリアの女性のことを三~四回聞いて、最後には「必要以外外に出ないでください」で締めくくり、また初めにもどの繰り返し、、、、、、くどい

雨は、台風の中心が渥美半島に上陸する前に小止みになり以後は時折強い風が、息吹きのように吹いたり止んだりを繰り返しているが、一時は静岡県に一時間当たり100ミリの雨が降り、総雨量400mmにもなると言うことだったが、ちょっと大げさ過ぎた嫌いがあったようで、、、、、、

やはり、「世界一でなければ駄目ですか?」で有名になったのコンピュターをもってしても天気予報は難しいのだろうか。

まえに、津波の情報が不正確なところから、「津波が来る」と放送されるとわざわざ防波堤に登ってまで見に行く人がいた。

東北の地震の際にも、それまでの狼少年的な報道に慣れ、海岸に行って、その犠牲になった人が少なからずいたことを考えると、「予想より軽く澄んだ。被害が無くてよかった」だけで良いのだろうか。

もう少し的確な予報が出ることを望みたい。

おりしも今日は、中秋の名月、ススキに団子を備えて月を愛でる日なのだが、あいにくの空模様。

たぶん、成層圏に上がれば台風の渦の下で、気をもんでいる小さな人間をを余所目に、幻想的な月が何事も無いかのように台風の目を煌々と照りつけているはずである。

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2012年9月29日 (土)

浮き草に影を落として

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027夕焼け小焼けの赤とんぼ、、、、で知られるアキアカネが、秋の訪れとともに山から下ってきた。

刈り取った田んぼの水たまりに卵を産むために遊弋している。

最近、このトンボがかなり数を減らしているのではないかという声をよく耳にする。

まだ秋が深まっていないので、よく分からないが、そうなんだとすると、なにが原因なのだろうか。

農薬なのか、気候なのか、餌なのか、、、、、いずれも近年になって大きく変わってきているのかもしれない。

一家総出の田仕事から機械化が進み、三ちゃん農業とも言われてきたがさらに人手が減ってじいちゃん農業になれば、農薬を撒いて雑草を生えなくするしかない。

農薬は、草ばかりでなくトンボの餌となる小動物も絶やしてしまう。と言う図式も考えられる。(蛍もその道を歩んでいる)

この調子で行くと、トンボも絶滅危惧種にされ、夕焼け小焼けの赤とんぼは、幻の歌になってしまうかもしれない。

写真のトンボはそれを知ってか、浮き草の生えた麻機沼の一角に卵を産み落とそうと、しばらく飛び交って隙間を見つけてチョンチョンと尻を挿しこんでいた。

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人間がこれまで生物を絶滅の追い込んでしまったのは、数限りなくあり、日本では狼や日本カワウソ、コウノトリ、トキ、アホウドリなどがその代表であり、絶滅危惧種はさらに輪をかけている。

先日も、ウナギがこの中に入ろうとしていると新聞に書かれていた。

原因としては、やはり、河口でシラスウナギをとりすぎたのが原因でないかといわれている。

人工孵化が難しい以上、幼生のうちに獲りすぎれば、成魚が川を下って産卵場所に行く量が減ってしまうのは当然の理。

そして、いまひとつ、太平洋岸で盛んなシラス漁もほかの魚の餌を横取りしているような気がするのだが、、、、、心配のしすぎでないことを祈っている。

日本列島に人間が住み着いて二万年ほど、その間近世まで、自然は変わりなく延々と続いてきたなかで、急に生物の絶滅が指摘されるようになったのは、人間の生活が傲慢になったためと考えられる。

その一方で、麻機沼の散歩道はセイタカアワダチソウやアレチノハナガサを初め背丈を越す外来種がはこびり、通れない道や、道幅が狭まっているところが多くなってきている。

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2012年9月28日 (金)

台風を前にして

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今年の台風は通り道が決まっているのではないかと、先日書いたが、どうやらそのことでへそを曲げたかのようにして、静岡にとっては最悪のコースをたどるかのような予報が出ていた。

猛暑だったものの、風の害が無かった麻機田んぼは、稲の穂も黄金に色づきだし、そろそろ刈りいれも本格的になろうとしている。

兼業農家では、今度の日曜あたりに、、、と思っていた家もあったのは想像に難くない。

写真の田んぼを見に来た老農夫は腕組みして曰く、「稲刈りにはもう少し完熟させるためにおいて置きたい面もあるけん、台風でなぎ倒され水に浸からすぐらいなら無理をして、明日中に刈ってしまうか、、、それとも、一週間伸ばすか、思案のしどころだ」と、、、、、、、。

願わくば、気象庁の予想が間違ってくれんことを、、、、、。

おりしも、今年の米の作柄は102だとの発表があったが、台風の被害は織り込み済み?

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2012年9月27日 (木)

ゆ~らりゆらと

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016今年の異変は月下美人にも現れていた。

あまりの暑さに閉口したのか、例年なら五~十個ぐらいの花を六月から十一月にかけて三~四回咲くのだが、蕾みの数が少ないところにもってきて、花になる前に落ちてしまうことが多かった。

そして、秋風が吹き出した今日、ようやく十二輪の花を見ることが出来た。

濡れ縁に三鉢上げて、久しぶりに濃厚な花の香りをかいでいる。

ときおり、冷たいような風に吹かれて左右に揺れる。

ゆーらり ゆらゆらと、そのたびに美人は恥ずかしげもなく喉チンコの奥まで見せて笑っているが         「少しは慎みなさい」

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2012年9月26日 (水)

吾亦紅で火がついた曼珠紗華

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#マッチをすれば おろしが吹いて

 線香がやけにつきにくい

 さらされゆれる 吾亦紅

すぎもとまさと 作曲の”吾亦紅”と言う歌の出だしである。

盆の墓参りが出来なくて、墓前でつぶやくようにうたいだす歌だが、中年の男女(自分は老年)に共感を呼ぶ歌だったらしく、ヒット曲になったので自分も何回か聴いたことがある。

その吾亦紅が、いまちょうど安倍川の土手でゆらゆらと咲いている。

濃い臙脂色の地味な花で、一見、何かの種ではないかと思わせるほど小さな花を密集させて咲いている。

しかし、この歌の作者は、細い茎の先に咲いた坊主頭のような姿をマッチ棒に見立てたのではないだろうか。

いま、このマッチによって火がついたかのように、土手のあちこちに彼岸花が真っ赤な火炎を吹き上げている。 

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ことしは、どうした加減か彼岸花の咲くのが遅かったような気がする。これも異常な暑さ続きさせた技であろうか、、、、、、、、

ともあれ、今日は湿気も少なく、雲ひとつない真っ青な青空になり、土手に腰掛けて鼻歌など歌いたい気分になったが、こんな日は湿っぽい”吾亦紅”ではなく、、、、もちろん「赤い花なら曼珠紗華、、、、」でもない。

底抜けに明るい歌、、、、がいいんだけど、ないんだなぁ

005しかし、この一時間後には跡形もなく消えてしまった。

土手を管理する建設省の草刈りが始まり、一瞬にして跡形もなく消えたのだが刈り払われて地面に横たわっても、自分がいまどんな境遇になっているのか分わからぬ気に空を仰いでいた。

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今日は自民党の党首選挙。テレビで念入りにやっていた。

あの顔ぶれでは誰になってもどうってことない、そして、民主党のときもそうだったけれど「つくづく、日本に政治家がいなくなったなぁ」と言うのが感想。

極め付きは、全国の党員票で、他候補を大きく引き離して支持された人が、決選投票では当選できなかったのは、支持者の思惑と言うか底辺の党員の感じていることと政治屋さんの意識の違いとして面白かった。

それにしても、次の選挙でひょっとすれば、ふたたび首相になるかもしれない安倍さんだが、自分の好きな人ばかり集めてお友達内閣を作り、一年で放り出してしまった。と言う実績があるのを国民は忘れていない。    (大丈夫?)

まぁ、誰がなっても、、、と言いながらもこの先どこへ漂流することやら。

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2012年9月23日 (日)

ただ「ふ~ん」というだけ

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#澄みゆく水に 秋萩たれ、、、、

108草冠に秋と書いてハギというのは、萩が秋を代表する草のためと言っても良い。

しかし、花札では七月の花であり、近所の宮城野萩も七月には濃い紫の花を咲かせている。

なぜ、秋の花としたのだろうか。温暖化現象というのならもっと遅く咲いても良いのだし、花札の図柄になったのもかなり古いことのはず、つまり、遠い昔から夏の花だったのではないだろうか、、、、それなのに      わからない。

ともあれ、萩は自分のそんな疑問に応えることもなく、はらはらと水面に花びらを散らしていた。

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唱歌”故郷”は最後に 

ああ 我がはらから だれと遊ぶ と、歳 古びて生まれ故郷には知った顔も見えず、変わりないはずの山河と空を眺めれば、幼きころを思う秋。

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三泊四日、約900kmの旅も最後の日になって、長野と山梨の県境に差し掛かったのは、まだ午前十一時には間があった。

このまままっすぐ帰るのも芸が無いと思ったので、野辺山の国立電波天文台によって見ることにした。

この場所も、何回も行き来していながら寄り道したことのない場所である上、知り合いの同業者が、ここの地質調査をしたときの話をよく聞いていたので気にはしていた場所であった。

標識に従って駐車場に入れたのだが、まず間違ってはいったのが、南牧村文化交流館なる建物、建物の立派さと中身の差から言って、これは電波天文台を設置するに際して、国からの交付金で、、、、、

ともあれ、もう一度駐車場に戻って反対側に向かう。

門衛では、出身県と人数を記入させられ、携帯電話の電源を切って通過する。

さすが、電波天文台、こんな電波も障害になるのかと重いながらも、そんなこと言えば、この上空にもいろんな電波が飛び交っているはずなのになんてことも考えてしまった。

124門から100mほど巨大なパラボラアンテナが、垂直に空に向かってボッタッテ(静岡の方言)いるのが木の上越しに見える。

これが、うわさに聞く直径45mの一番大きいアンテナだろうか。

さらに近づけば何基もの少し小さいアンテナを従えていることが分かる。

いずれも、同じ方向に指向してているのは、何かの観測中なのか、、、、、

普通の望遠鏡と違って、星が見えなくても位置さえ分かれば関係のない装置なのだから、、、、。

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123それを横目で見た後、右に曲がれば、これまた不思議背丈ほどの小さなアンテナ群、、、、

小人さんがそろって賑やかにといった雰囲気。

なんでもパンフレットによれば168基以上はありそうだ。

これらが、それぞれ違う役目を果たしながら遠い彼方の星からの情報を得ようとしている。

天文学的数字に表される素人には難しくて分からない事象。

とにかく見ていても、ただ ふ~ん て言うだけ、、、、、

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2012年9月22日 (土)

墓の将来は

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フシグロセンノウの花が木立の下、薄暗い草むらにひっそりと咲いている。

濃いオレンジの花の色は、それでなくても翳を持っているのに、、、、

名前の由来は仲間のナデシコと同様に花を咲かせている草の幹に節がいくつかあり、その節が濃い紫色をしていることからであり、さらに、仙翁はについてはいろいろな説があり、中国の仙翁と言う花からきているとか、京都の仙翁寺に由来するとか、、、、また、鎌倉時代に中国から入ったと言う説もあるようで三倍体なので挿し木でしか増えないと言う。

しかし、かなり山奥でも花が咲いているのを見ると、わざわざそこまで切花を持っていって挿し木をしたとも思えないのだが、、、、

ともあれ、花言葉が「転機」と言うのも意味がわからない、不思議な花である。

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”暑さ寒さも彼岸まで”と言う言葉があるが、昨日まで連日三十度を越し、この調子では何時になったら、、、と思っていたが、気温は一気に下がって帳尻を合わせたような陽気になった。

故郷 神岡で、墓参りを済ませたのだが、先年来、我が家の隣の墓が荒れ放題になっており、その墓地に生えているススキを主とした雑草が墓石を持ち上げ転倒させて、見る影も無い有様になっている。

墓に埋葬されている人には哀れを催すが、「他人の墓に手を出すものでない」ということから、我が家ばかりでなく、反対側の人も手をこまねいているようだ。

そのため、お寺に相談してみたところ、この辺の墓地は個人所有のものばかり、管理組合などもないので手の施しようがないとのこと、もし撤去しようとするなら、全国紙すべてに広告を出した後処分するのだが、その広告を誰が負担するのか、撤去した墓をどうするのか、そして跡地はどう処分できるのか、法律的にもずいぶんと難しいとのことだった。

言われてみれば、その通りである。そして、自分たちの墓も将来そうなる可能性が充分にあることになる。

故郷を離れて三十五年、子供は墓の存在を知ってはいるが、幼いときに離れた土地だし、孫に至ってはおぼろげ、その子になったとき、、、、、、、

老後の問題もあるが、少子高齢化は墓にも及んでくるなどと考えさせられた。

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墓参りを済ませ今夜の泊まりは連れ合いの実家、高原川を遡り、安房トンネルで長野県に入り、松本から立科町に向けて車を走らせた。

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2012年9月21日 (金)

滝の声を聞く

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仙樽の滝つぼ近くの岩に張り付いたコケの上に咲く大文字草 一輪。

草丈は5センチほどしかなく、ほとんどの人が気付かずに見過ごしてしまいそうな存在だけど、花は手抜きをしないで輝いていた。

一目見ただけで、ユキノシタの仲間であることが分かるが、ユキノシタだ春咲くのに対して、この花は夏の終わりの水辺に咲く、、、、

それも、清らかに澄んだ水辺を選んで、、、、

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054

20日、同級生と別れたあと、直ちに中央道恵那峡サービスエリアに向う。

ここで、弟夫婦と落ち合う約束をしているため、先ほど別れの哀しみに浸っていたはずなのだが、もう気持ちは切り替わって、、、、、、

落ち合った後、中津川インターから下呂温泉に向かうのだが、時間があるからと付知峡に立ち寄って行かないか、ということで話がまとまる。

付知峡は、御嶽山の南麓を源流にしており、別名を青川といわれるほど水が澄み切った色合いをしていることで有名であり、いくつもの滝を含む風向が売り物の観光地である。

ここは、故郷の飛騨に帰る際はよく利用した道の側だったが、道からすこし外れているため、立ち寄ったことが無い観光地であった。

細かったり、曲がりくねったりの道を進んで、20分ほど駐車場までいく。

そこから、観音滝、不動滝、仙樽滝を歩いて巡るのだが、道は山道で細く傾斜もあるため、足弱な人には辛い場所である。

ただ、行き着いた先には澄み切って川底まで覗き込める水と、滝のしぶきが心地よい場所が待ち受けている。

三人以上は立ち入り禁止のつり橋を二つ渡ってもとの駐車場に戻ってきたのは一時間後、    ひと気の無い仙樽滝の滝つぼ近くで、しばし腰を下ろして、滝の声を聞いていた時間が長かったためもある。

ふたたび、車を二台連ねて下呂の向かい合掌村で時間を調整して宿に入った。

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2012年9月20日 (木)

おもしろうて やがて哀しき

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19日、三ケ月もの長い間待ちに待っていた同級会も終わってみればなんだかあっという間の一瞬間であった。

まるで、直線の線路の彼方に現れた蒸気機関車がなかなかこちらに来ないとじれていたのが、地響きと大きな汽笛の音とともに来たと思ったら、よく見ないうちに後姿になっていたようなものである。

今回の出席は九名。健康を害して来れなかった人が二名、物故者も一人増えて、、、、

そして、いつものように三年ぶり、八年ぶり、十五年ぶりという垣根もなく、再会を喜び合う。

しかし、、、、、、寄る年波というやつ、九時半を過ぎたころから少しづつ人数が減り、最後まで起きていた人は十時半頃までだったらしい。

頃らしい。と言うのは自分も十時半前にはダウンしていたからである。

久しぶりの大酒は前なら”なんの これしき”と言った量だが、最近酒量が減っていた関係で、、、、、、、、

その代わり、朝が早い。

後で聞けば、三時頃からモゾモゾとしていたとのこと、四時過ぎると部屋の電気もついてみんな起きていた。

「早寝早起きは三文の得」とかいうが、起きただけでむかし話では、どんな得も無い。部屋が、角部屋で、ほかの部屋から離れていたから良いものの、防音装置の悪い宿だったら、苦情ものだったろう。

029_2五時半ようやく揚がりかけた朝日を見に、海岸沿いの遊歩道を東に向けて歩き出す。

宿から20分ほどの所にある「ラグーナー蒲郡」を目指して、、、、、すぐそばの海上で早くも三隻の漁船が出て、あさり採りをはじめていた。

おりしも昇りかけた太陽は大観覧車を通して、真っ赤に燃える。

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散歩から帰れば、いつものように下着は汗まみれ、、、そんなに気温は高くなかったのに、と言いながら朝風呂に入る。

「昼まで一緒に過ごそう」と言う人もいたが、なかなか話が纏まらず、、、結局のところ、宿から駅に向かう人が乗ったのが九時半。

それを、宿の玄関で見送る。いつものことながら別れは寂しいもの、、、、、

特に70歳を越えれば、そのたびに「もしかしてこれが、、、」の思いが宿る。それを隠すためお互いがわざと陽気に振舞っているのが分かるのは、それぞれの別れの握手に異様な力がこもっているからであろう。

芭蕉の句に真似て、   おもしろうて やがて哀しき 同級会

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2012年9月18日 (火)

変幻きわまりない天気

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今日もまた変幻きわまりの無い空模様となり、雨雲と青空が同居し、あるいは交互に空を占める。

ただ、一日を通して変わりないのは、湿気の強い不快な一日になったことだった。

そういえば、ひとっころ流行った不快指数という言葉を最近聞かなくなったのはどうしたことだろうと調べてみると、、、。

日本の気象庁の統計用語には、もともと無かった言葉で、昭和30年代にアメリカで、いろいろ計算式を使って出した数字が75以上になると不快感を感じると言うことから始まったそうだ。

それかあらぬか、最近の天気予報では「温度が高くなるので熱中症に気をつけましょう」としかいわない。これを、「気温が低くても、湿気が強く不快指数が80を超えますので、、、」と言ったほうが説得力が強いと思うのだが、、、、、

「やっぱり駄目かねぇ~」

また湿気が強いから、汗が蒸発せず不快だと言う考えもあるが、10数年前オーストラリアの海岸に行ったときのこと、空気が乾燥していて、直射日光の刺激がピリピリと肌を刺すようでこれまた不快だった。

これを表す数字は無いものだろうか。

そういえば、日本でも最近は半そでに長手袋をしている人を良く見かけるようになったが、、、、あれを見ていると「そんなに紫外線か、日焼けが怖いのなら長袖にしなよ」と言いたくなるのはなんだろうね。

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六月に案内の来た同級会がようやく明日愛知県で行われることになった。

当初、なんて先の長い話と思っていたが、いよいよ明日になった。

当方としては、七年ぶりくらいの再会になる。同級生と言っても、小さな学校だったので総勢で二十二人、そのうち五人が亡くなっているので、集まると言ってもたかが知れている。

最大で800人ほどが住んでいた鉱山の社宅の子供ばかりだから、お互い素性は知れている。また、一学級10人ほどから30人もいただろうか、そんな学校だから今はやりのいじめ問題は聞いたことがなく、またなかったようだ。

幹事に聞いていないので誰が出席するのか知らないが、あしたのお楽しみ。

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2012年9月17日 (月)

天気雨が虹を何度も

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写真左、日がさす中を大きな雨粒をきらきらと輝かせて

雨の音で目が覚めた。昨夜来、雨は激しく降ったり止んだりを繰り返していたようだが、いずれも長続きするような降りかたが無かったようで、裏の川の水は10センチ程度増えただけ、、、、、

そして、空はところどころ穴が開いたような雲行きとなり、日がさしているのに雨が降るという。天気雨状態になり、西の空にくっきりと虹が懸かっては消えた。

これは、台風の影響らしく、南の海上から湿った空気が朝鮮半島を通過中の低気圧に引き寄せられ、気温は26℃程度でそんなに暑くは無いはずなのに、肌にべとつくような感じから、暑苦しい一日になってしまった。

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今日は「敬老の日」だという。以前は九月十五日と日が決まっていたが、例によって祝日を近くの日曜日にくっつけて、連休の数を増やすことにした。

当然そこには、本来の目的である、老人を敬うと言った考えは無く、ただ、役が当たった人の都合と、連休でどこかに遊びに行こうという不埒な考えしかないのが分かる。

もっとも、老人のほうもただ単に長生きしただけで、敬われるようなことをほとんどがしていないのだから、どっちもどっちか、、、、。

新聞によれば、日本では65歳以上の人が3000万人にもなり、人口の25%くらいになるそうだ。

戦後まもなくのころは、若い人が戦死して、平均年齢50歳と、江戸時代以前のレベルに下がったこともあるが、いまや世界で1、2を争う長寿国になってしまい、65歳でもまだ洟垂れ小僧の域を脱していない。

ただ、年齢別の人口グラフを見れば、独楽のような図形になり、50代から上に比重がかかりすぎてている。この調子でいくと、さらに重心が高くなり、若い人に無用な負担をかけるのではないだろうか。

江戸時代、”おばすて伝説”がまことしやかに言い伝えられたが、そんな風に淘汰しなければ国としてやっていけなくなる。

自分の齢も70代に入っているが、老人会に入っていない関係で、公民館主催の敬老会からはお呼びも無い(呼ばれたって行かないけれど)

ただ、歳をとったからといって市長や知事がご挨拶に行き、新聞などでデカデカと報道するのはどうなんだろうか。

ともすると、公費を使った選挙運動に見えなくも無い。

自分の場合?、神様がくれた寿命だからなんともいえないが、自分で自分がわから無くなったり、寝たきりになったら、、、、、、どこぞの山に、、、と思うのだけれど、これをエンデイングノートの書いても駄目なんだろうね。

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そんなに長生きすると思っているのもどうなんだろうけれど。

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2012年9月16日 (日)

ツルボの花

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ツルボの淡い紫の花が雑草の中に埋もれるようにして咲いていたので、周りの草をなぎ倒して写してみた。

ツルボは、小さな花の集合体であり、その花の一つ一つは五弁の花びらを持ちその中心に徳利のような根蘂とそれを囲む五本の雄しべで成り立っており、花の径は5mmほど、、、、下から順次咲いて上の花がまだつぼみのうちに下の花は萎れていく。

安倍川土手の草地には、このほかにマルハルコウソウやクサフジなども咲いていて意外と花の数が多い。

ツルボは漢字で書くと蔓穂と書いてあるが、どこにも蔓が見当たらないところを見ると、どうやら当て字らしく、別名を参内草(サンダイクサ)と言うのは、平安の絵巻物などに描かれる貴族たちが参内するときお供が折りたたんだ大きな傘を担いでいるのに見立てて名づけられているそうだ。

039ひだり、赤く咲いてるマルハルコウソウ

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台風16号がいま、九州の西海上を通過しようとしているようだ。

今年は、どういう風の吹き回しか、レールがあるかのように同じコースを、通過していて、同じところを繰り返し繰り返し叩きのめしているように見えて仕様が無い。

新聞などでは詳しく報道されていないが、朝鮮半島の被害は累積被害が深刻な状態になっていることは間違いないだろう。

台風は高気圧の縁を巡るとか、、、、、つまり日本の上空に強力な高気圧が居座っていて、静岡ではここしばらくまとまった雨を見ていない。

それでも、水道原水は安定しているようで給水制限などと言う話を聞くことも無く、毎日カルキの少ない水を楽しんでいるのはありがたいことである。

その原水を採取している門屋地区、新東名のインター近くの畑に今日も出かけ大根を植えてきたが、、、、、

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2012年9月15日 (土)

エダノ ポンプマッチ

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先日、麓からの初冠雪が確認された富士山であるが、その日を含めて静岡から見える富士山は、墨絵で書いたように黒く見えている。

日の出前の気温は、もかなり下がってきたこのごろ、半そで半ズボンで麻機田んぼの農道を散歩する人もかなり減ってきてはいるものの、今朝方の雲行き一段と秋めいたものを感じてしまった。

ギンギンギラギラと昇る朝日は、先月までのどんよりとして眠たそうな太陽と違って、かなり強い顔をして上るのは、空気が澄んできたためと見る。

その朝日が、地上をなめるようにして光を及ぼせば、キンエノコロ草の穂先を名前どおりに金色に染め、ほかの草にも目覚めを促している。

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その風景に騙されて、食事も早々に無償で借りることになった畑に出かける。

まず草を取り除き、スコップで土を掘り起こすのだが、すでに高く上った太陽は日陰の無い畑を容赦なく攻撃し始め、幅2㍍、長さ10㍍あまりの畑での作業をさえぎろうとしている。

北風と太陽の逆現象。あまりの暑さに耐えかねて、三時間ほどで仕事を切り上げて帰る。

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東日本の大地震の際、不眠不休で福島原発の説明をしていた枝野当時官房長官。

一時は「エダノネロ」とまであだ名された政治家として、原発事故の信頼度とは別に一生懸命な人だと感銘を受けた。

そのときの様子からは、この人なら東電を含めて原子力村と言われる業界やそこに関係するお役所に対しても、被害者たちの立場から物を言ってくれる人なのかと思った時期もあった。

しかし、野田政権になって経済産業大臣になってからの言動を見ると、言うことがなすことがまるで逆の人のようになってきた。

やはり、お役所の幹部の言うがままになって、省益優先の大臣になりさがってしまい、大飯原発の再開や新しい原発三基の建設を容認する発表をするにいたっては、「ああ、この人もやっぱりね」を通り越してあきれてしまった。

なぜなら、やっと昨日だったかの新聞で、政府は2,030年までに原発をゼロにすると発表した。と書いてあった。

いまから、原発の工事にかかって、「2,030年廃炉に出来ますかってんだ」稼動期間はどれだけあると見ているんだろう。「それでも造りますか?」

閣議決定は、そんなに軽いものなのだろうか。むかし、過激な発言で大衆を興奮させその後火消しに回る「マッチポンプ」とあだ名された政治家がいたが、まさに、枝野さんは平成のマッチポンプ、、いや、打ち消してから火をつける”ポンプマッチ”と言うべきなのだろうか、、、。

そのため、新しいニックネームを進呈しよう「エダノ ポンプマッチ」と、、、、

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2012年9月14日 (金)

お酒が効いて

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朝白く咲いて午後から夕方にかけて次第に赤くなっていく花のさまを見て酔芙蓉と名づけてとのこと。

057左の写真のように横並びに咲くと、酒好きの上戸とまったく飲めない下戸が並んで記念写真をとる同級会といったところか。

歳を経て、面の皮も厚くなった男が、憧れのマドンナを見つけて、強引に、、、、

その薄赤い色合いを愛でて、花言葉は”しとやかな恋人”としたが、いまどきこんな恋人がいたら、眉に三度つばをつけて目を凝らす必要がある。

ただ、古くは蓮の花のことを「芙蓉」と言ったそうで、今で言う芙蓉はこれと区別する意味で「木芙蓉」と言ったそうだ。

となると、酔芙蓉の場合はどう書くのだろうか、、、、、、

そんな自分の思惑と関係なく、太陽と言うお酒を召して、芙蓉は次第に肌を赤く染め、意識をなくし翌朝には萎れてしまう。

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どんなに好きな酒でも、飲みすぎて男性に負ぶわれて帰ることの無いように。

そのむかし「酒の上でのこと、、、」「若気の至りで、、、」と翌朝には水に流し「据え膳食わぬは男の恥」と吹聴した時代もあった。  しかし、時代は変わった。

二人の仲は、二人しか知らない。後の裁判で水掛け論をしても、どちらが勝者になると言うことは無く傷つくのみ、、、

ただ、理由はどうあれオリンピックの金メダルを着けたことのある人は、その自覚がたりなかった。

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2012年9月13日 (木)

大豆の先祖だって

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ツルマメは大豆の先祖だと言う。

上の二枚は青紫色の濃くて大きな花弁で下の二枚はそれより淡い色の花弁をおちょぼ口のようにもったところは、マメ科の花共通の形をしている。

葉っぱは、茎の先に細長い三枚葉もち、これも大豆の特徴を兼ね備えているが、何せ花が小さく、それにしたがって実も小さい。

大昔の人は、良くこんな植物を品種改良して、あんなに大きな豆をもつ大豆にしたものと感心してしまう。

そして、いま、草原でほかの植物に覆いかぶさって繁殖しているツルマメは、人間の手を逃れた者の子孫だと思うと、、、、、、

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きょうもテレビは”維新の会”の特集を組んだようにして持ち上げている。

各党から離れた七人の国会議員を抱きかかえ、いよいよ政党として旗揚げをし、全国に国会議員候補をたて、100人の当選を見込んでいるという。

そんなにうまくことが運ぶのだろうか。例によってマスコミは国民を誘導しようとしているように見えて仕様が無い。

第一、新党に加入しようとしている七人のうちどれだけの人が国民に知られているのだろうか、、、、「そんな人がいたっけ」と言うのが大方の感想ではないだろうか。

そもそも、このうち四人が比例区の人であり、選挙区を持たないか落選した人である。

つまり、政党の風で国会議員になった人で、遊んでいても高額の報酬と秘書から「先生 先生」と仰ぎ奉られる地位に着いた人と言っても過言でない。

この人たちが、今の地位を続けるためには、次の風が吹きそうなところに移籍する手を考えたとすれば、その人たちは、政治家でなく政治屋でしかない。

一方、抱え込んだ維新の会にとっては、政党化するための道具であり、うまく再選されれば手駒として儲けもの程度の存在と見ているだろう。

先日も「価値観の一緒の人」を連発し、マスコミを集め宣伝をしていたが、これも、ただで広告させると言うあざといやりかたであり、マスコミのほうもうまくいけば「我々の功績」と新党に貸しを作った気でいるの違いない。

つまりお互いが、出来レースと言うか、それぞれが自分に都合の良い思惑を競い合っているに違いない。

その辺を国民も知っていると思うのは、おじいさんの井戸端会議ならぬ、畑の脇の集まりでも言われていた。

そして、異口同音に「と、言っても入れたい政治家が一人もいないのは、これまた寂しいね」だった。

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2012年9月12日 (水)

どこから来たのかケツメイシ

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今年の春開通したばかりの新東名取り付け道路の路肩にカワラケツメイの花が咲いていた。

もともと荒地を好む草なので、土がむき出しのこんな場所に進出して来たのだろうが、名前の頭にきている川原は、川がコンクリート張りになってしまってこの近所には見かけなくなっていた。

そのため、この場所にいち早く育って花を咲かせたのは、どこから種がどうやって来たのか不思議である。

ここしばらく見ていなかったので、通りすがりにはクサネムとばかり思っていた。

012それにしても花の咲く時期が遅いなと見れば、マメ科と花と違った形と花の真ん中に赤い斑点が見えたのでようやく正体が分かった。

この草の種は、古くから決明子(ケツメイシ)と言う名前で目や肝臓の薬として煎じて飲まれてきたのだが、最近同じ名前の歌手がいると聞くが、、、、どんな関係が有るのか無いのか、、、、、。

若い歌手の歌には付いて行けないおじいさんには、歌手の歌どころか、いわれさえも知ろうとしない。

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2012年9月11日 (火)

悲しい悪魔の花

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広くも無い庭に無数の植物があり、一度「ジャングルみたいだね」なんて言われたので大分整理したつもりだが、下手な庭師は「あれも捨てられない、これも惜しい」と言っているので、なかなかすっきりしない。

そんななか、整理したつもりの場所からいまの時期になるとすっくと花穂を立て薄桃色の可愛らしい花を咲かせる草がある。

彼岸花の科でアマリリスの仲間には間違いないが名前が分からない。

何しろ、いつ植えたのか記憶に無い花であり、この時期まで何にも地上には姿が見えないのだ。

そして、花図鑑をめくっていたら、ベラドンナリリーらしいことが分かった。(間違っているかもしれないのだが、、、)

そして、この花のことを谷村新司が歌い、その歌詞の中で繰り返し”悲しい悪魔の花”と言っている。

彼岸花の仲間なら、球根に毒が有るのは当然のことだが、真っ赤でいかにも毒がある熟女と言った感じの彼岸花と違って、この薄桃色の花は清楚な感じがする。

花言葉の中に「ありのままの私を見てください」と言うのがあるが、うわべがどんなでも、、、、、と言ったところか。

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2,001年の今日、アメリカの高層ビルに旅客機が突入しその崩壊に至る経過が克明に報道された。

この崩壊を見ていて不思議に思ったのは、ビルがあのように崩れると言うのはどういう条件が整ったときなんだろう?と考えてしまっていたことであった。

崩壊現場では、人の命がなくなる修羅場でありながら、二棟とも同じように崩れ去っていく有様は、まるで、その前から放送されたこともある、ビル解体工事を爆破で潰すのとあまりにも似ていたからである。

そして、その後のブッシュ大統領は、アルカイダによるテロと断定し、アフガニスタンの攻撃に移っていった。

アメリカは無茶な国である。どんな理由をもってアルカイダと断定したのだろうか、拙速でもすぐに行動を起こさないと、と言うお国柄のようだが、このときの判断のおかげで、死ななくても良い人々が殺されているし、アメリカの若い兵士も戦死し傷つき、まだ収まりがつかないでいる。

もし同じようなことが、日本で起きていたらどうだっただろう。

原因究明に、一年や二年懸かって結論を出していたのではないだろうか。福島原発事故のように何もしないで時間が過ぎていくのも困りものだが、、、、、、、、

そして、専門外なので分からないが建築と言う面から見ると、ビルの崩壊メカニズムについて何か報告があり、その後のビル建設に何らかの対策が打たれたとは聞いていないし、日本でもあの事故で何かが規制されたとも聞いていない。

子供の頃は、アメリカの摩天楼の写真を見て、人間ってすごいことをするものだと思った。富山の大丸百貨店が七階建てで、それさえもすごく高く見えていたのに、百何階のエンパイアステートビルなんて、、、

しかし、9,11であの事故を再放送されると”悲しい悪魔の塔”、意思の通じない”バベルの塔”にも見えてきてしまう

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2012年9月 9日 (日)

早く起きた朝は

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今朝も早く起きてしまった。

熱帯夜には間違いないが、何よりも湿気がきつくて床にいられなかったことが原因である。

外はまだ星がのこり、下弦の半月は雲の無い中天に懸かる。

麻機の沼を一周するころになって、ようやく空を赤く染めて日が昇る気配を示してきた。

しばし日の出を待っていると、少なくはなったがトンボが岸辺のイヌビエの穂先に掴まる。

水面を渡る風に揺れる穂先は安定しないのか、羽根を微妙に動かしながら赤く染まる水に溶け込もうとするかのようにカメラの焦点をずらし正体を隠そうとする

赤く染まった目はなにを見ようとしているのか

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2012年9月 7日 (金)

韮のカフェは大はやり

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見つめあう二人

道端に咲くにらの花、一つ一つの茎で白い小さな花がてんこ盛りのご飯のように盛り上がっている。

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まずは「いただきます」と手を合わせ

この花の蜜は、よほど美味しいらしく、セセリチョウを初めいろいろな虫がひっきりなしに訪れては蜜を吸っていく。

そこには、街中のしゃれたカフェに良く似た風景がかもし出され、両側から見詰め合う二人のようにイチモンジセセリが蜜を吸っているかと思えば、まず手を合わせて「いただきます」と言わんばかりのアブ。

017eそして、セセリチョウのとまっている花に、モンシロチョウが「相席させてもらっていいかしら」と、一番端っこの花に遠慮気味に掴まったまで良いけれど、、、、次第にテーブルの真ん中に出てきて先客を追い出してしまっていた。

今日は白露。朝方の涼しく感じさせる気温は、季節がまたひとつページをめくったことを教えてくれた。

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2012年9月 6日 (木)

見かけは可愛くても

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021久しぶりにスベリヒユの花を見たような気がする。

草を生えないようにしている畑に、抜いても抜いても生えてくる雑草。

日当たりが強く気温が高い畑で、この夏の日照りにも負けず地面を張って広がる生命力の強さは、ほとほと感服はするが、まるで人間と根気比べをしているようで、抜きながら腹が立ってくる。

花びらの先が割れてハート型をした花弁を五枚広げて、ちょっと見には涼しげでかわいらしい花であり、一目で松葉牡丹の仲間であることが分かる。

それかあらぬか、”ヒユ”と言う言葉の出所は、ひよこと同じ語源であり、「小さく可愛らしい」という意味になるそうで、すべりと言うのは葉っぱを揉むとぬるぬるとした感触から来ているそうで、花の印象は自分が思ったと同じだったようだ。

そして、この長円形で肉質の葉っぱを食べる地方があることを聞いて驚いたものだった。

われわれ、戦後の食糧難のときでもこの草は食べたことが無い。そして、それ以来口にしたことも無いのでどんな味なのかはいまだに知らない草である。

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野田内閣が参議院で問責決議を受けてから、衆議院議員の選挙が時間の問題となって次の選挙に出ようとする人たちは、ざわざわと蠢き始めている。

そして、自民党と民主党ではその前に党の顔となる党首を選ぶために慌てふためいているのが、マスコミの報道からうかがい知れている。

誰が党首になるのか、関与するすべもない一般庶民だが、あまりにも約束を守れない政治家にはあきれ果てて、次の選挙は全てが「帯に短い」候補者ばかり、そして、次善の候補者もおらず、決めようが無くて困りはてている。

マスコミは、どんな根拠があってか、「維新の会」をもちあげ、連日のように取り上げているが、あまりにも”右より”の政策のうえ、参院をなくし衆院議員を半減するなど、およそ、国会で受け入れられない、と知ったうえでの施策を掲げている。

さらには、あの人でも、この人でもと声を掛けて国会議員を勧誘しているらしいが、その越え掛けにつられて参加しようとする現職国会議員は、国のことより自分のことしか考えていない議員であり、顔ぶれを見れば有権者も馬鹿で無い限り再選されることの無い人々であろう。

とにかく、「維新の会」はマスコミの「100議席は獲りそうだ」という思惑とは違った結果がでること間違いないだろう。

何しろ食べてことのない味(候補者)を、大量に入れるのは前の選挙で懲りている。

(これが狂って、マスコミの言うとおりになったとしたら日本国民はよほどの馬鹿者ぞろいで世界の笑われ者に成り下がってしまう。)

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2012年9月 5日 (水)

忍耐の花



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清水の山奥からひとつかみ持ってきたヤブランが今年も花を咲かせている。

現場に機械を据える際掘り起こした土に混ざっていたものだが、一応植木鉢に入れたものの、その後はほったらかしにしているの。

寒い冬は鉢を冷やし、暑い夏は熱気と水分不足が外からじかに伝ってくる、自然以上に厳しい筈なのに、毎年決まって今の時期に淡い紫の花を咲かせる。

花言葉の中に、「忍耐」と言うのがあるが、環境の悪さをずっと耐え忍んでいる様子は花言葉そのものである。

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先日の新聞によれば、東海、南海、東南海の地震が連動して起これば、死者だけでも32万人が出そうだとの試算がなされ、そのうち静岡県では12万人を占めると書いてあった。

そのほとんどが、津波による被害だと算定している。

こういう数字は、計算方法で大きく変動するものだが、浜岡原発が壊れるのは多分計算外になっているとすれば、また違った数字が出てくるはず、、、、

いま、防災の日になっている九月一日は、いまから90年ほど前の関東大震災が起きた日であるが、このときの記録を見ると、建物が壊れたのは、震源により近い神奈川県のほうが大きかったのだが火災で焼失したのは、東京のほうが何倍も多く、そのために神奈川県の死者が3万人に対して、東京府が7万人となり、10万5千人ほどと言われる死者のほとんどをこの両府県で出していることになる。(ちなみに静岡は444人だった)

それに比べると、三連動地震は東北地震に良く似た被害を想定しているのだが、本当にそうなのだろうか。

東北地震が来るまで、津波に対してあまり関心が無いというか、本気になって対策を講じてこなかった面がある。

”災害は忘れた頃に来る”と言う言葉があったが、同時に”人の隙を突いて来る”と言っても過言ではない。

おかげで、東北地震では「想定外」と言う言葉が飛び交ったし、その前の阪神の地震の際に自動車道路の橋脚が倒れたときには、その前に起きたカルフォルニア地震でやはり同じ事故が起きたとき、「日本ではそういう事態にはならない」と言った慢心学者いたのをそのころ思い出していた。(しかし、その学者からは何の反省も、謝罪も無かったようだ)

テレビの効果は大きく、いま静岡市内の海岸に近い地区の土地価格の下落はかなりなものがあるようで、アパート経営をしている人たちにを初めかなりの影響がでているとの噂を聞く。

しかし、この話も時が経つにつれて薄れていく、、、、人の噂も75日、と言うほど短くはないけれど、、、、また人間が慢心したころあいを狙って、、、、

なにしろ、今でさえが死者12万人と言われても、自分は大丈夫と思っている人が自分を含めてほとんどなんだから、、、

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2012年9月 4日 (火)

立待ちの月は

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昨夜降った雨が、夜明けとともに上がり、月が薄い雲を通して眺めることができた。

満月の翌々日とあって、月の一部が少し欠けてはいるものの、「立待ちの月」は輝きに衰えをみせておらず、薄いベールのような雲を彩雲のようににじませて西のかた傾いている。

昨日が十六夜、今朝は立待月、そして、いま見えている月が居待ちの月。ほんの少しの満ち欠けを見逃さず、月に愛称を与えている。

外では、その月に対して讃美歌を捧げるかのようにして、コオロギが声高く唱和している。

まだ蒸し暑さは残っているものの、秋の玄関は戸が開いたようだ。

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2012年9月 3日 (月)

パラリンピックによせて

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彼と初めて会ったのは30年程前のことだった。

現場で使う道具を会社から取り寄せるための電話に「それじゃAにもって行かせるから」と、社長が答えた。

当時自分の知っている”A”は女性事務員だったので、こんな見ず知らずの山奥へ女性事務員をと言うのが先にたってしまったが、急いでいたので「わかりました」と返事し、しばらくして、20代後半の男が現れたのには驚いた。

聞けば、社長の娘婿とのこと、社長には女の子しかいないから次期社長なのかとも思ってしまった。

その後、彼が話し上手なこともあって何度か二人で話し合ったが、お互い海外の経験や静岡の人でない視野の広さから、歳の差を越えて話がはずんだものだった。

それから5年ほどして自分はその会社を退職し、彼もいろいろあって会社を出たり入ったりしたが、とうとうその会社の社長になったのを人づてで聞き、さらに5年ほど前に交通事故で下半身不随になったのを知った。

そして、今年57歳になった彼がロンドンパラリンピックに馬術で出場をすることになったのを新聞で知った。

若いときから、馬好きで日本平の馬場に通っていたのは当時から知っていたが、まさかこんな格好でパラリンピックに出るとは、当時の話には無く、「贅沢な道楽をすることよ」と、話の中で冷やかしていたものだった。

そんな彼が、昨日今日辺りから競技に出ているはずだが、オリンピックと違って報道の量も極端に少ないし、でないところを見ると、、、、、

ただ、注目されない分、本人としては楽しんでこれるのかもと思っている。

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先日、スーパーの駐車場の通路の真ん中に一台の車が止まっており、そのため追い越せない車で場内が身動きが取れないでいた。

そのため、お節介焼きの自分が思い余って、運転手に「ここは邪魔になるから、どこかに移動してくれないか」と言ったところ、運転手は指で身体障害者用の駐車場を指差し、そのあと、彼の車の車椅子マークを指差してそこを動こうとはしなかった。

どうも、ほかにも障害あるかもしれないが、口の利けない障害者のようだった。

そして、身体障害者用の駐車場には先客がいて、彼はその駐車場が空くのを周りに気にせず待っていたようだ。

それにしても、障害者なら何をしても赦されるとでも思っているような節が見て取れて嫌な気分になってしまった。

数年前のことだったが、静岡のバスセンターで目の見えない人から公衆電話のあるところを尋ねられ、腕に掴まらせて連れて行ったことがあるが、このときも、当たり前のようにして、一言の挨拶も無かっった思い出がある。

それぞれに、切羽詰って心に余裕が無かった時期だったのかもしれない。しかし、こちらにしてみれば、社会は自分たちのために何かしてくれて当たり前と言う気持ちが現れているように見えてしまった。

いくら障害があったとしても、人間としては対等であり、挨拶、お礼ぐらいは当然の義務であるはず、、、、

高級な外車に身障者のステッカーを貼って、料金所を割引で通過するのも見ていて腹が立つ。

そんな自動車を買えるくらい裕福なら、金銭面の負担くらい返上しても良いではないかと、、、

身体障害者に対して、こんな感情を持っている自分に、当の身体障害者はどう思っているのか、もし目にしたら何か一言欲しいものだが、、、、、

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2012年9月 2日 (日)

別世界を見る思い

011

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雨上がりの水溜りに写りこむ世界を覗く

珍しく雨の音で目が覚めた。

時間は五時を少し過ぎていたが、東の空が赤く染まっている。

左、雨の向こうに朝焼けが

天気雨になるのなら、虹でも懸かっているかも、、、と、外に出れば、傘が必要かどうかの境目くらいの降りかた、、、

残念ながら、虹はどこにも見えなかった。ただ水溜りに空の雲が写りこみ、なんだか別の世界を覗き込んでいるような心地がした。

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先日、藤枝へ青物買い行ったついでに、側の日帰り温泉に浸かって来た。

平日だったので、ほとんどがお年寄りばかり、その中に紛れ込んで違和感がないところをみると、当方も立派なお年寄りの仲間。

風呂に入っていたら、肘に新しい絆創膏(?)をはった八十代と思しき老人が隣に入ってきたので、「その絆創膏は、、?」って聞いてみたら「そこで転んで、、」と洗い場を指差していう。

「骨に異常が無くてよかったね」と言ったものの、足腰の定かでないこの人は、何時間か前に入って転び、手当てをしてまた入ってきたものらしい。

いくら身体に良いからと言って、転んで大怪我をしては元も子もないし、施設も大変だろう。

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風呂から上がって、控え室でお昼の注文をしていたら、今度は別の年寄りが、「床に水がこぼれているから早く拭け」と騒いでいる。

そんな光景を見ていたら、まだ行ったことのない老人ホームやケア施設に入ると「こんな状態のかなぁ~」と思ってしまった。

歳をとると、どうしても堪え性がなくなり、気短く、わがままになってしまうものだが、これに、ボケが加わればもっとひどいことになり、それこそ”喧嘩の種はつきまじ”ということになる。

何とか、こういう施設の厄介にならなくて済むようにしたいとつくづく思ってしまった日帰り温泉だった。

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2012年9月 1日 (土)

「ほら 見て見て」って

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「ほら 見て見て」と言わんばかりにして、ナガサキアゲハが日よけのために植えたゴーヤの葉に掴まってしばらく動かなかった。

羽根の文様がきれいで、傷ひとつ無いところを見ると成虫になって間もない雌に違いない。そう人間で言えば二十歳くらいからといったところだろう。

ひょっとして、庭の椿に葉っぱが食い荒らされていたところを見ると、幼虫のときそこにいたのかもしれない。

となると、ここで育った娘が里帰りをして、親の晴れ姿を見せびらかしに来たのかも、、、、なんて思ってしまった。(長崎揚羽は後ろの羽根がほかの揚羽といがって丸くなっているので、振袖でなく留袖に見立てて、、)

雄のナガサキアゲハが、ほとんど黒一色なのに対して雌は写真のように大きくて白い紋付のような模様がついているのが多く、、ツマグロヒョウモンチョウ同様に自分の目からは雌のほうがきれいに見える例外生物である。

この蝶は、もともと暖かい土地のちょうだったようで、江戸時代には長崎辺りにまでしか住んでいなかったため、こんな名前になったのだが、次第に東に生息場所を伸ばし、静岡で見られるようになったのは、2,000年前後といわれ、最近は福島辺りまで北上しているそうだ。

もっとも、天気予報を見ていると、青森付近も猛暑の熱帯夜が続いているので、津軽海峡で足踏みするのも間近ではないだろうか。

そうなると、ごく普通の蝶になり、希少価値は無くなってしまうのは、後わずか、、.

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017今日九月一日は、昔流に言うと立春から数えて二百十日。越中八尾では風の盆。

むかしは、この頃台風が来たそうで、風を納めるために踊ったのだと聞いたことがあるが、今年あたりは、夏の高気圧の勢力が強く朝鮮半島のほうにそれて日本には近づけない。

と言うことは、まだまだ暑い日が続くと言うことで、水不足を含めて畑の作物を植えられない日が続くと言うことになるらしい。

幸いというか、米のほうは順調なようだが、秋野菜の高騰は目に浮かぶ、、、

”風の盆”といえば、最後に見てからもう十年くらいになるのだろうか、八尾の住む従姉の家に泊まって、夜通しの踊りを見るつもりだったのに、いつもの早寝の癖から、十二時を過ぎたところで眠くて眠くて、、、、我慢が出来ず   つい、と言うのが、、、、。

この土地に住む人は、この踊りにかけていて、娘が年頃になると町内揃いの浴衣に編み笠姿で送り出すのだが、わが娘ながら見直すほどの女になるらしい。

「ほら あそこにいるから 見て見て」ってね。

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