葦である
「人間は考える葦である」とは、フランスの哲学者パスカルが喝破した言葉であると習った。
そのとき、「なぜ葦なのか」と疑問に思った。
弱くて密集した植物なら、ほかにも沢山あるはず、あえて葦とした理由が分からなくて其処にとどまったままで過ぎてしまった。
麻機沼のあちこちで、いま葦が穂先の先端から綿毛を飛ばし始めている。
冷たくはなっているが穏やかな小春日和のそよ風に乗せてふ~わり ふわりとさみだれ式に放出する。
山の端に沈む角度の低い太陽光線が水面に反射して、その綿毛を浮かび上がらせている。
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静岡市では、麻機周りのススキや葦などの草は野焼きで焼くということをしないで、毎年、草刈機で刈り取り、ごみ焼却場で処分する。
草が伸びきった今ごろになると、あちこちでその作業が始まっている。
ところが、今年はどうも様子が違い、いまだに草ぼうぼうのままである。
そのため、、沼の周りの散歩道になっている土手は、草に侵略され、盗人萩やアメリカセンダングサなど引っ付き虫に占領されて、うかつに歩けば全身種だらけになってしまいかねない状況である。
市役所に聞いたわけではないので、想像であるが、国会が停滞しているため地方交付税がまた延期になっているのと関係があるのではないかと勘ぐっている。
草刈り費用に直接出ているかどうかは知らないが、交付税が遅れがちになれば、緊急に出さなくてはいけないところ以外は遅らそうと言うことになるのは当然であろう。
国の借金をすこしでも作らないためには良いことかもしれないが、迷惑している人も多いことと思う。
かなりの自治体では、その対策のため銀行から一時借り入れをしてしのごうとしているようだが、やっと先日まで記者会見場の後ろのパネルに「国民の生活が一番」と書いていたスローガンは「はずせてよかったね」と言ってやりたい。
政府の不始末は当然としても、政党助成金は満額受け取っていながら、解散を人質にして審議をしようとしない自民党や公明党も党利党略のみの政党で、国民のことなどどこ吹く風の政党であることが如実である。
「国会議員も葦である」風が吹くたびあっちに倒れ、こっちに倒れ、しぶとく立ち上がる。
考えているのは次の選挙のことだけ!!!
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