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2012年10月31日 (水)

葦である

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「人間は考える葦である」とは、フランスの哲学者パスカルが喝破した言葉であると習った。

そのとき、「なぜ葦なのか」と疑問に思った。

弱くて密集した植物なら、ほかにも沢山あるはず、あえて葦とした理由が分からなくて其処にとどまったままで過ぎてしまった。

025麻機沼のあちこちで、いま葦が穂先の先端から綿毛を飛ばし始めている。

冷たくはなっているが穏やかな小春日和のそよ風に乗せてふ~わり ふわりとさみだれ式に放出する。

山の端に沈む角度の低い太陽光線が水面に反射して、その綿毛を浮かび上がらせている。

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静岡市では、麻機周りのススキや葦などの草は野焼きで焼くということをしないで、毎年、草刈機で刈り取り、ごみ焼却場で処分する。

草が伸びきった今ごろになると、あちこちでその作業が始まっている。

ところが、今年はどうも様子が違い、いまだに草ぼうぼうのままである。

そのため、、沼の周りの散歩道になっている土手は、草に侵略され、盗人萩やアメリカセンダングサなど引っ付き虫に占領されて、うかつに歩けば全身種だらけになってしまいかねない状況である。

市役所に聞いたわけではないので、想像であるが、国会が停滞しているため地方交付税がまた延期になっているのと関係があるのではないかと勘ぐっている。

草刈り費用に直接出ているかどうかは知らないが、交付税が遅れがちになれば、緊急に出さなくてはいけないところ以外は遅らそうと言うことになるのは当然であろう。

国の借金をすこしでも作らないためには良いことかもしれないが、迷惑している人も多いことと思う。

かなりの自治体では、その対策のため銀行から一時借り入れをしてしのごうとしているようだが、やっと先日まで記者会見場の後ろのパネルに「国民の生活が一番」と書いていたスローガンは「はずせてよかったね」と言ってやりたい。

政府の不始末は当然としても、政党助成金は満額受け取っていながら、解散を人質にして審議をしようとしない自民党や公明党も党利党略のみの政党で、国民のことなどどこ吹く風の政党であることが如実である。

「国会議員も葦である」風が吹くたびあっちに倒れ、こっちに倒れ、しぶとく立ち上がる。

 考えているのは次の選挙のことだけ!!!

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2012年10月30日 (火)

秋も深まって

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連日のように「この秋最低の気温でした」と言う放送が繰り返される。

やっと先日まで、三十度を越す真夏日が、、、二十五度以上の夏日が、、、といっていたが、気が付けば気温も下がって、半袖から、長袖になり、、、重ね着をしている人まで見かけるようになってきた。

それとともに、花蜜をたくさん出す花は日ごとに減っていく、、、、、

虫たちも、最後のご馳走とばかり外来の黄色い花を目指して集まる。

日当たりの良い荒地で、ツマグロヒョウモンチョウとハナアブが花びらのなくて、どこに蜜があるか分からないアメリカセンダングサをはさんでにらめっこ。

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2012年10月29日 (月)

黄金に輝いて

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昨夜来降っていたはずの雨がいつの間にか止んで、空には煌々と月が輝き、どの家も暗くなった夜明け前の地上を明るく照らし、白黒映画のワンシーンのような雰囲気をかもしていた。

雲のない夜明けを迎え、北からの清清しい風が吹き込む天気は夕方まで続き、夕日をを見送るアマガエルを照らす。

暖かい太陽と気温の上昇で久しぶりに日向ぼっこに出てきたらしいアマガエルは、本来の緑色を捨て黄金に輝き、目を細めて夕日に対峙している。

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十一月六日はアメリカ大統領の選挙人を選ぶ選挙が行われ、支持率も拮抗し、盛り上がっているように見受けられる。

一方、昨日の日曜日には衆議院議員の補欠選挙がひとつ、県知事選挙がふたつ、そして、静岡では沼津市長選挙が行われたが、鹿児島の補欠選挙が56,6%だった以外は、それぞれ40%に満たない人しか投票に行かなかったそうだ。

そして、一番多かった鹿児島で前回より16,5ポイント少なく、一番身近な選挙のひとつ沼津市長選挙でも11ポイント少なかったと報道されている。

これは、県民市民の関心がなかったためばかりだろうか、多分、「誰を選んでも、、、、、」と言う感じをみんながもつようになった結果ではないだろうか。

「低投票率は、宗教や団体に盲目的に従う人を抱えている一部の人を有利にするだけで民主主義の根幹を揺るがす」なんて、原則論をいう気はサラサラないが、公約やマニフェストなどを簡単に捨ててしまう人たちの言うことを聞いても仕様がない。と、あきらめてしまった結果であろうし、実際そうであると自分も思っている。

”小さな問題を捨てて、大同につく”と政治家は言うが、小さな問題が我々には大事なんだよ!!!!!!

 

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2012年10月28日 (日)

時期はずれの蝉

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今年も家の庭ではいくつかの蝉が羽化したようで、夏の間は空蝉がいくつか木の枝などにしがみついているのを見てきた。

しかし、気温もぐんと下がったこの時期に、アブラゼミが出てきたのは初めてのこと、、、

昨日までの天気と打って変わって、雨が降り出した庭のホトトギスの花にしがみついているさまは、蜜でも吸っているのかと近寄ってみたが、あまりの寒さからか指でつついても動こうとはしない。

地上に出てからの命が一週間と言われる蝉だから、いくら暑い夏が続いたからといって、そのとき生まれた蝉が生き残っていたとは思えない。と、すると何の加減だろうか。

この蝉からすると、せっかく地上に出てきたものの、あたりは深閑として仲間の声どころか、秋の虫の声さえしない世界をどんな風に見えるのだろうか。

なんだか、人類絶滅後、何かの拍子に生き残り最後になった人を想像させる雰囲気がある。

呼べど叫べど何の反応もない世界。

さだまさしはの歌う「冬の蝉」という歌の中で”生命は生命(いのち) 夢は夢 どこで咲かすか 風に聞け”と歌っているが、相手がいなくては咲かせようがない。

この写真を写してから一時間、、、、雨の降りようも少し激しくなったので再度見に行ったが、どこへ行ったのかその回りを含めて姿をふたたび見ることが出来なかった。

写真に写っていた以上、夢ではないはず、、、、、だろう?。

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おりから、ワイドショーは石原慎太郎氏が都知事を投げ出して国会議員に復帰すると記者会見をする場面を何回も写していた。

この構想にまた国会議員たちがあっちに寄ったりこっちに寄ったりとまたしても右往左往し始めている様子。

なんとか国会議員という甘い汁を食いぱぐれないよう心を砕いている様子があからさまに見てとれて、浅ましい限りと言うしかない。

「立ち上がれ日本」と合流するそうだが、この政党はいずれもが昔の名前で出ているかたがたばかり、平均年齢七十三歳だそうだ。それにしても、慎太郎さん「齢八十にしてお元気なことです。」と、、、、、、、

時期はずれの蝉が大騒ぎしだす世の中はまともとはいえない。

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2012年10月27日 (土)

富士山麓を一周


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イワシャジンかヒメシャジンか分からない。

紫色の花びらが五裂して咲いていた。

漢字で書くと”沙参”となるが、自分にはどういう意味かわからない、ただ、釣鐘人参の仲間で高地で育つ草という意味では同じであろう。

西湖のほとり、根場の里の上のほうで咲いていた。

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二十五日、弟夫婦が「蓮根掘りを経験してみたい」と泊りがけで来たので、着いた早々に二時間ほど掘り、二十六日は御殿場から山中湖~西湖をまわり、本栖湖から身延を廻って帰ってきた。

このコースは、自分たちが前にも連れて行ったことがあるし、豊田のほうのツアーなどでも来ている場所なので、一度見た場所を避ける形で巡ってみた。

御殿場では、しょっ初じめから工事渋滞で遅れをとって、予定が躓いてしまった。

しかし、ようやく着いた「花の都公園」は紅葉が盛んであったのと、コスモスがまだ見られる状態であったことで救われた。

025ここで、お昼時間が過ぎてしまっていたが、食事を我慢して忍野八海の先にある蕎麦どころ「天祥庵」にいく。

そして、ぶっ掛け蕎麦とからみ大根蕎麦で腹を満たす。

最近は、カーナビなどでこういう店が知られるのかかなり遠くの県ナンバーの自動車も来ていて、なんだか特別な店と言う雰囲気は薄れてしまったことが残念である。

つぎに、西湖を目指すがカーナビの付いていない自分の自動車は、遠くに見える山を目当てに、富士吉田の街中を走る。

何度か目標を見失った後、本通りに出てしまい裏道を走った意義がなくなってしまった。

そして、根場の里に付いたのは、午後三時になっており、空一面の雲は早くも夕景色を思わせるような雰囲気が漂っている。

早々に一周して帰ったが、家に着いたのは六時を過ぎていた。

”秋の日はつるべ落とし”と言うにはまだ少し早いと思っていたが、日もとっぷりと暮れて混ぜも冷たくなっていた。

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2012年10月24日 (水)

見るのはおじん

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アケビの口が割れる時期に入ったが、今年は裏年なのかなかなか見当たらない。

005ひょっとして、夏の暑さと関係したのだろうか。春先にはあんなに花を咲かせていたのに、、、、、、、

先日、長野市内、それも駅のプラットホームでツキノワグマが目撃され、その後、川原で射殺されたそうだが、このほかでもあちこちで熊の出没が報告されている。

報道によると、猟師が減ったことなどから、熊が人を怖いものと認識しなくなったためではないかと言う説をあげていたが、実際は、山に食べるものが減ってきているためではないだろうか。

いずれにしろ、最近では、アケビと言うものは人が、、、、と言うか、子供が食べるものではなくなってきているようで、時たまスーパーに並んでいても、見るのはおじんだけ、、、、

多分、おじんにしてみれば遠い昔の懐かしさから見ているのだろうが、、、、、、、、   手は出さない。

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2012年10月23日 (火)

玉なす露は すすきに満つ

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前線が通過するとのことで、朝起きてみると上空の雲が異様な速さで東に向かって飛んでいく。まさに、「風雲急を告げる」といった状況であった。

九時過ぎ、小雨の隙間を縫って傘を杖代わりの散歩に出かけた。

ひとつには、昨日塗ったペンキが頭にかかっていたようで、髪の毛がなんだかごわごわした感じがするのと、八月初めに行ったままでうざったくなっていたので、久しぶりの床屋へ帰りがけに寄ってみようとしたのが、”雨中の散歩”の要因。

ぐるっと廻って床屋に入った途端、猛烈な響きとともに雨が降り出し、上空を重い荷車が通るような響きで雷が鳴り出した。

長く尾を引き雷も上空の雲が厚いためか、稲光は感じずただ雷鳴だけ、、、、

帰り道に咲くススキの穂には、雨粒が露となって付いている。  そういえば

玉なす露は すすきに満つ

思えば似たり 故郷の野辺、、、、、

って歌があったっけな、なんて思いながら傘を広げたりすぼめたりして帰る。

今日は、二十四節季のひとつ”霜降”   草の露が霜に変わる頃。

最近寒くなったとはいえ、今朝の最低気温は十七度。まだしばらくは暦には追いついていかない。

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床屋談義は、戦中戦後の話しから、、、、

学校で見に行ったターザンの映画は五十銭札二枚を持っていった、から始まって、親のへそくりから十円札をくすねたまでは良かったが、使いきれなくて、、、、

と、いまの人たちにはわからない話からはじまり、、「俺たちは良い時代を過ごしてきた幸運児」が共通認識であり、後は野となれ山となれ

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そんな雨風も夕方にはようやく収まり、セピア色の夕景から、雲無き御空に、星が二つ三つと輝く、、、、、むかし、こんな夜は全天の星に加えて天の川が見えたものだが、、と

宵の空晴れて 秋風吹く

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2012年10月22日 (月)

青い花にかこまれて

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あちこちの庭でいまシュウメイギクが盛んに咲いている。

白からピンク、そして赤と、、、また、一重から八重とさまざまな形態は園芸化された植物の常として原種がどんな花なのか分からなくなってしまっている。

自分の好みとしては、白もしくはピンクの一重が名前にマッチしているような気がするが、名前についている菊の仲間でなくキンポウゲ科の花だそうだ。

また、学名はジャパニーズアネモネと言うそうだから、日本が原産かと思ったら中国から渡ってきた花だというからややこしい花である。

花弁の数も一定しておらず、五枚か六枚が多いが、中にはかなり省略して二枚しかないものもあり、きれいな花というとなかなか見当たらず写真にはしにくい花である。(ややこしついでに書くと”花びら”でなく顎だそうだが、、)

そう思っていたら、名前は分からないが青いキク科の花に囲まれて白いシュウメイ菊が、、、      なんだか、モテモテの人に見えてきた。

       そこで、これは絵になるとばかりにパチリ!

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今日は久しぶりに池ヶ谷の山にあるご同輩の畑で鳩首会談。と言っても深刻な話でなく、いつもどおりの戯言会議。

やはり話は尼崎の大量殺人事件になりそうな女性の話、、、。

いままでは、こういう事件の犯人像は力の強い男と相場がきまっていたし、サスペンス劇場などのテレビ番組でもそんなことに落ち着いていたが、今日公判が始まった鳥取の殺人事件といい、主犯格が中年の女性が幅を利かせてきた。

たしかに、オリンピックを見ても女性が日増しに強くなり、ナデシコジャパンやレスリングの吉田沙保里、そしてゴルフなど、数えだしたらきりがないほど、、、、

だが、犯罪の面では凶悪犯は願い下げにして欲しい。

そして、うちの”かぁちゃん”も、と弱弱しく付け加えて、、、、、、会議は終結した。

もちろん共同声明などは    出るわけない。

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2012年10月21日 (日)

ブドウ糖の摂取?

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野葡萄にに掴まってじっと動かないでいるヤマトシジミ。

七宝焼の珠のような、この実に蜜でもあるのだろうか。

羽根を広げて、吻をどうしているのか「決して見せないよ」といった雰囲気を感じさせる姿に、ただ、遠くから見ているだけ、、、、

寒い朝夕になり、体力の消耗を癒すためブドウ糖の摂取?

野葡萄と名前が付くくらいだから無い訳けがないはずだが

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2012年10月20日 (土)

一見か弱そうだが、、、

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008昨年まで耕作していた我が家の東のほうに位置する農地。

麻機遊水地に拡張するため県が買い入れたそうで、売却に応じない一部を除きほとんどが荒地になってしまった。

それらの土地は、やっと一年と経たない間に背丈を越す雑草で茫茫の荒地になってしまった。

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セイタカアワダチソウを筆頭に、アレチノハナガサ、アメリカセンダングサなど生命力の強いの外来種、そして、ヨモギなどが背丈を越すいきおいで地面を覆いつくしている。

そうした中、低い草で健闘しているのが蓼の仲間のミゾソバ。

白とピンクのツートンカラー、金平糖のようなつぼみのかたまりを無数ににつけ、その中から五弁の花を順次咲かせて行く。

花言葉は純情などと、一見か弱い感じの花を咲かせるているが、他の雑草を寄せ付けず、一定のテリトリーを作っているのは、かなりしぶとい草でなければ出来ないこと。

水気の多い田んぼの用水路などを好み、葉っぱの形が蕎麦に似ているところから”溝蕎麦”と名づけられたとか、、、

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お釈迦様は女性のことを”外面如菩薩 内面如夜叉”と、言われた。と、聞いたことがあるが、この花もそんなことがありそうで、、、、、おお 怖 !

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2012年10月19日 (金)

緞帳が上がって

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「ほら、見て!」と後ろを指差すので振り返ると白い富士山が目に入った。

半年ぶりくらいになるのかな、ここしばらく黒い富士山に慣れていた、しかし、十月も半ばを過ぎたので富士山もこれは時世に合わせなくてはとばかり、衣替えをしたらしいが、久しぶりの雪化粧はひどく新鮮に感じられた。

この少し前までは、上空は晴れていたものの、東の空は一面の雲であった。

それが、いつの間にか緞帳を引き上げるようにして雲が上に揚がったようで、気が付いたら緞帳は高々とあがっていた。

歌舞伎役者ならここで口上のひとつでも述べなきゃならないところである。

昨夜の雨はに大陸からの高気圧が冷やして雪になったのだろうが、山梨側のほうがより下のほうまで白くなっているのは、北からの風が強かったからであろう。

60kmほど離れた静岡からも白く見えるようでは、根雪にならないとしてもかなりの積雪になっているはずだ。

やっとこの間まで夏日を越えていて、ここ十日ほど過ごしやすい天気が続いたと思ったら、もう冬支度を考えなければならない。

散歩には、半袖で歩いたが、さすがに半ズボンと言うわけには行かない。自分はともかく、見た人が寒く感じてはいけないから、、、、、、、、

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2012年10月18日 (木)

まとまって匂う

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004降ったり止んだり、時には薄日もさす天気の中久しぶりに城北公園に行ってきた。

所々でも匂っていたが、公園の中に入ると金木犀の香りがひときわ強くなって、、、、、、、

いまが盛りと花をつけた金木犀。四枚の花弁を無数にひらかせた花を小枝の周りをぐるっと包み込むようにしているさまは、まとめてひとつの花。といった感じ。

ときには、強烈なにおいになってしまう金木犀。多分一つ一つの花の香りはそんなに強くないのだろうけど、、、、

まとまった匂いというもの威力といったらよいのだろうか。

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衆議院に続いて参議院議員の選挙も憲法違反と最高裁判所で指摘された。

定数の変更だけでなく抜本的に選挙制度をそのものも変えなさい。、、、とも

早速一部で、二増二減と言う姑息な方法で切り抜けようと言う案が出てきているようだが、そのことを含めて最高裁の判決に沿っていない。

いまの議員たちに「自分で自分の身を切るような改革をせよ」と言っても無理なのは分かっている。

しかし、いまのままでは、次の選挙で選ばれてきても、憲法違反の議員だから資格がないと言うことになる。

つまり国会を開けない今の情勢では、選挙区、定員を含めて変えることが出来ず、衆参両院の選挙を来年中にやらなければならない日本から国会議員がいなくなるという事態になりかねない。

県会議員を初め、市町村では経費削減の一環として、議員定数削減が行われている中で、国会議員だけがのうのうとぬるま湯に浸かって出ようとはしない。

つまり、待遇が良すぎるため、ぬるま湯から出た時の寒さばかりが気になって、出たくないと駄々をこねている子供と同じである。

国会を開かなくても歳費などには影響がないところから、古い議員ほど国民と乖離して感覚を持ってしまう。世間がどういう目で見ているか知ろうとはせず政争に明け暮れることに生きがいを感じ、国民の生活をどうしようと言う気がないのはあきらかである。

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自分は、議員定数をいたずらに削減するのは反対である。

広く国民の声を吸い上げるには、議員の数は多いほうが良い、ただ、いまの国会議員の歳費などを下げる必要があると思っている。

また、これだけ政局ばかりで何も進まない状態を解決するには、参議院議員は地方区と政党をなくし、当初の「良識の府」に戻す必要があるとおもっている。

そうでなければ、衆議院の縮刷版のような参議院は廃止してもよいのではないだろうか。

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2012年10月17日 (水)

過ぎたるは

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ツルムラサキの小さな花が色づいてきた。

010名前の由来は、茎を含む蔓の部分が紫色であることらしいが、花のほうも擬宝珠のような蕾みを持つ可愛い紫である。

このツルムラサキはもともと、野菜として来たのだが、その食感が受けなかったのか、ほうれん草より栄養があるといわれながら普及してないようで、店先では見かけない。

そういえば、ひとっころブームになったゴーヤもあまり見かけなくなったのは、やっぱり同じ理由なのだろうか。

園芸と夏の暑さ対策でどこの家でも植えられていたが、今年あたりはつる性の花がかなり目立ってきたように思う。

山菜は、有る程度風味と言うか、あくの有るものが好まれるが、白菜 キャベツ レタス 大根など古くから伝わる野菜は”無味無臭”が日本人には好まれてきた。

これは、人間にも通じるようで、体臭のきつい欧米人に比べて日本人は淡白で無臭、そして、体毛が薄いのが好まれる昨今、老人の加齢臭が槍玉に上がってきた。

その結果、化粧をしたことのない老人(男)がオーデコロンをふりまくり、かえって強いにおいを漂わせる結果になった。

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今日は、夜になって久しぶりに纏まった雨が降るとのことだったので、畑に出かけて草むしりをおこなってきた。

そして、いまその先走りが降りだしてきたが、テレビは九州地方の豪雨を報じていた。          

”過ぎたるは、なお及ばざるの如し”とか、どうか、この程度の降りかたで終わって欲しいと願うのだが、、、、、

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2012年10月16日 (火)

そよ風吹いて

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最高気温も二十三度と過ごしやすい気候になってきた。

麻機周りの田んぼでも、かなり稲刈りの済んだところが多くなってきた。

そうした中で、まだ刈り取りの済んでいない田んぼでは、黄金の穂を垂れ下がらせた稲の波と畦に植えられたコスモスが陣取り合戦よろしく、そよ風に乗って領土を広げたり、取られたりと揺れていた。

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明日から天気が悪化するという予報を受けて、今日も蓮根畑に入って午前中奮闘する。

成果は、長さ6~70センチくらいを中心にして七本、まあまあといったところか。

なんでも今年は、気温が高いためか、冷たい地中を求めていつもの年より深いところにもぐっているそうで、素人の自分には上の土掘りで結構足腰に来てしまう。

そんな疲れを癒すため、パンツ一丁で日の当たる縁側に寝転べば、乾燥したそよ風も吹いてついうとうととしてしまう心地よさ。

小春日和というにはちと早いが、、、、これぞ ごくらく 極楽

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またマスコミの狂気が始まった。

ノーベル賞に絡んで名前を売りたかった森口尚史という人が「 i PS細胞を使って6例の手術をした」という談話を裏付けも取らずにスクープとして発表したのが始まりだった。

すぐにその話は胡散臭いと分かってからが大変。

面子を穢されたとでも思ったのか、連日のようにテレビと新聞は騒ぎ立てている様子は少し度を越しているのではないかと思うくらいに騒ぎ立てている。

大体そんな手術が出来そうな人かどうかは、経歴や資格を見ればすぐに分かりそうな話である。

そうした裏も取らず失敗した例は、殺人事件などでは警察発表をそのまま載せるなど裏づけも取らないで報道し、無罪の時には知らぬ顔半兵衛を通したりしたのは、いままでにも数限りなくあり、その反省のなさが今回の報道に現れている。

噓と分かった次点で、無視できなかったのだろうか。

まるで、新米記者が森口なる人物を集団で弄っているようにしか見えず、連日の過激報道にはあきれ返っていることマスコミは知ってほしい。

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2012年10月14日 (日)

ちらりほらりと十月桜

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021その名も十月桜が国一バイパス下の側道沿いに咲いていた。

暦を見ていたかのように薄いピンクの花を律儀に咲かせているのは毎年のことながら不思議である。

春の桜とは違って、所々にちらほらと咲くのは、暑い夏にうだってしまったためだろうか。

ものの本によると、八重咲きとあるが、下から見た分には花弁が無数に裂けているようにしか見えない。

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一昨日のことだった、市の広報を告げる同報無線から「オレオレ詐欺からの電話が葵区全般にかかってきているので注意するように」と再三にわたって放送されていた。

なんでも、警察官を騙って「キャッシュカードの提出を求める」と言う手口だそうで、ずいぶん古典的なパターンのやり方だそうだが、こんなのでもまだ引っかかる人がいるのだろうか。

我が家には、幸いにしてまだそんな電話がかかってきたことがないが、実際にかかってきた場合どうなんだろう。と想像してみた。

まず、この方式ではひっかからないと断言は出来そうだが、敵もさるものひっかくもの、ではないが、新手の場合には、、、、、、、、、

とにかく子供たちには、直接手渡す以外には送金しないことを宣言しているし、頼られたも、鼻血以外にはないとも伝えてある。

まず、他人事ながら、歳をとっても社会情勢についていくのが人生だ。とでも思っておこう。

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2012年10月13日 (土)

明日葉のちっちゃい花

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これは、明日葉の花。

002花の大きさは、一つ一つが2~3mmといったところだろうか、あまり細かいので近寄って見てもなかなか確認しにくい。

花の色も、密集した部分を遠目で見れば白いのだが一つ一つではなんだか青緑に見えるのは周りの葉っぱのせい?

とにかくはじめて見たときにはシシウドと間違えた。

Img_0090高山でよく似た花、シシウド

葉っぱの形も良く似ているので、調べてみたら、シシウド科だということなので「さもありなん!」といったところ。

ただ、山国育ちの自分としては、高い山で見かけたシシウドが先だったのでそういう感じを抱いたが、暖国で、海岸が近くにある静岡辺たりの人なら、その逆だったことだろう。

明日葉の名前の由来は、成長力が旺盛で今日葉っぱを摘んでも明日には回復すると言うことから付けられたそうで、良く似た名前の木「あすなろ」は、明日こそ檜になろう。と言う意味だそうだから、なんだか気構えが違うように聞こえる。

しかし、さすがの明日葉も、しょっちゅう摘んでいると成長が止まってしまうことから、それほど強い植物はないようだ。

ひとっころ、この成長力が評価されてか、明日葉が山菜としてもてはやされた時期があったが、それも流行だったのかクレソンやからし菜などと同様最近では採る人もほとんど見かけず、明日葉はわが世の春とばかりすくすくと育っている。

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先日、パソコンを通じて日航や幼稚園などに爆破予告をしたとして検挙された人が、釈放されている。

原因は、ソフトをダウンロードすると、ウイルス感染の状態になって、乗っ取られ本人の知らない間に、このパソコンを通じて脅迫する文章が発信されるのではないか、とのことだった。

何か意図があってやっていることなのか、ただ面白くてやっているのかは分からないが、嫌な世の中になってしまったものだ。

このほかにも成りすましで、威力妨害を行っているものも数知れずあるそうだが、よほど、これらの機器について詳しい人なのだろう。

アメリカでは、これらの人を使ってコンピューターウイルスを撃退する対策を練っているそうだが、日本ではまだそこまでに至っておらず、乗っ取られパソコンを突き止めただけで、起訴にまで行こうとしていた節があり、誤認逮捕された人の苦痛は計り知れない。

じつは、自分も二年ほど前に実害はなかったと思っているが、ブログの管理部分を覗き込まれていたことがあった。

どんな方法で、覗き込まれたのか、パソコンのキーを二本指で打つだけしか能のない自分には分からなかったが、訪問者の検索をクリックすると管理画面が出てくるので分かったしだい。

さっそく、暗証番号を変更しようとしたが出来ず、ココログを通じて改善をしたのだが、これらのに人間がまた見る気になったら簡単なんだろうなと言う気にさせられた。

とにかく、確かなもの以外ダウンードしなければいくらか防げるそうなので、、、、

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2012年10月12日 (金)

茶の匂い

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駿河路や 花橘も 茶の匂い

芭蕉が、大井川の川止めにあって何日間か逗留した際に作った句だという。

静岡で茶が栽培されたのは何時のころからか分からないが、あちこちの野山のいたるところを開墾して茶が植えられている。

芭蕉の句にもあるように、当時も広範囲に植えられていたのだろうが、橘の花と茶の花は咲く時期が違うので、花の香り同士が打ち消すわけでなく、匂いは花でなく茶を蒸すときの匂いが町中を漂っているさまうたったものであろう。

いま、冬を控えて茶の花が咲き出した。花の直径は2センチほど、椿の仲間だけあってよく似た花を開いている。

ただ、写真にしようと思うとなかなかよい花が見つからず、、、(へたなんだけど)

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昨日までテレビは、ノーベル文学賞は村上春樹で決まったも同然のように囃し立てていた。

なんにでも賭け事の対称にするイギリスでも、村上春樹が断トツのハンディーを付けて本命視されているなんて持ち上げていた。

一夜明けてみれば、こはいかに、、、、、中国の作家が受賞し、ワイドショーは囃し立てたことを棚に上げてピタッと口を閉ざしてしまった。

なんだか、胴上げの途中でいっせいに手を引いた感じがしてならない。

こんな例は選挙のときも目にした覚えがある。

小さな町の町会議員選挙で、とうせん確実と見られていた候補者の事務所に開票前から集まっていた人々が、惜しくも次点になった途端潮をひくようにして去ったが、、、、、、行く先はしょんぼりと自宅に戻るのではなく当選した人の事務所であった。 

つまり、あの人は当選確実だから、自分の票はほかの知り合いに廻そうとかなりの人が考え、投票した結果で、集まったのは只酒を飲みたかったからだけで、その人が落選すれば、、、、、、

当然、投票した人のところに行って飲んでも後ろめたくないと言う心理だったようだが、候補者にとって見れば「人の心は度し難い、、」と人間不信に陥ったことと思う。

そしていま、日本のマスコミは、小さな町の40年以上前のことと同じようなことを繰り返していたんだろうな。

本人を残して、一人去り二人去りして、、、、、最後に席をはずす機会を失ったのはどこの誰だ~、、、、、、、、、

自分は、村上春樹の小説をまだ一冊も読んだことがない。

一度、本屋で「ノルウエイーの森」だったか、手にとって見たが二~三行読んだだけでやめてしまったので、ノーベル賞に値する作家かどうか、、、、。

ただ、中国の思想家、文学者たちのように、命がけでやっていないことだけは確かである。

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2012年10月11日 (木)

「なんなんだよ~」

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ハゼランがピンクを通り越して赤い花といったほうがよい色合いで咲いていた。

なんでも、中央アメリカが原産とかで外来種であるが、その繁殖力の強さから、道端などで大繁殖している。

ただほかの、外来種植物と違って、花が小さく目立たないのとほかの在来種を圧迫したようには見えないことから、じわじわと勢力範囲を広げていっても気ずかれない。

そして、勢力範囲を広げた結果、どこにでもある花になり、取り上げたことがなかったが、その花に止まっていたヤマトシジミとふと目があってしまった。

それこそ、蜜を吸う吻をあげて、「何なんだよ」といった感じの目つきになった。

そんな目で見られれば、こっちも少し怖気づいて」あの~、一枚モデルになっていただけますか?」なんて敬語を使いながら、、、、、、、、

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テレビは、世田谷の元警察官が近所の女性を殺して自殺した話を、根掘り葉掘りの野次馬根性で放送していた。

両方が亡くなった今となっては、真相は闇の中だが、年老いたとはいえ男性のほうは元警視という警察官幹部、それもかなり上の位で退職、その後は民生委員をやったこともある人だったことも輪をかけているらしい。

どんなことが発端で、向かいのおばあさんと仲たがいをはじめたのか分からないが、刃物を持って押しかけたことで結局は人生の結末を汚してしまった。

また、殺されたほうの婆さんもかなり近所迷惑なことをしていた人らしいことが想像できる。

歳をとると誰しもが頑固になり、相手の言い分を聞く余裕がなくなるのは自分でも分かる。

つまり、こらえ性がなくなる。

日本のめでたい図柄に、高砂の翁と姥が書かれていて、理想の老後、円熟円満になっていつも恵比寿様のようにニコニコしている。と言うのは、どうも違うらしい。

そして、普段温和な人ほど、我慢を溜め込んでいるため爆発力が大きいような気がする。

地震も、小さな地震が頻発しているほうが巨大地震を起こさないそうだから、今後も連れ合いを相手にこまめに言いがかりをつけたり、付けられたりで過ごすのが無難なんだと、、、、、、、、

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2012年10月10日 (水)

クリスマスツリーのように

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先日飛騨で見かけた一位の木、それこそ鈴なりに赤い実をつけて、クリスマスツリーのように輝いていた。

一位の木は成長が遅く、我が家でも30数年前飛騨から引越しの際に持ってきたものが一本残っているが、土地に合わないのか樹齢50年近くになるのにまだ幹の径が5㌢高さも3mほどにしか育っていない。

一位の木は、高山の観光土産などで一位一刀彫などといって赤味を帯びて艶々とひかっている細工物を買った人もいるかもしれないが、この成長の遅さと需要の関係で、最近では一位の木を他所から仕入れていると聞く。

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そのむかし、聖徳太子の絵にも見られる朝廷での必需品だった、杓に使われたとも言われているが

一位の木は全体に毒があるといわれているが、唯一赤い果肉にだけは毒がないという。(中の固い実には有る)

と言うことで、幼いころからたまに口にしたことはあったが、粘りつくような食感と甘さには、果物好きの自分にも後味が悪く、いまいちと言う評価しか出来ない。

ともあれ、見る分にはきれいな実であり、小鳥の食料としては、、、、、、

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今日は久しぶりに蓮根堀りに行ってきた。

麻機の蓮根。土地の人はかなり自慢する名品である。

しかし、蓮根の魅力がわからない自分には「猫に小判」といった感じなので、地下40センチほどのところに横たわる蓮根は苦労の種以外の何者でもない。

蓮根堀りは、ここ三年程、やっていないので試し掘りを兼ねて行ったのであるが、掘り出してすぐに嫌な感触だけがよみがえってきた。

それでも、二時間近く泥と格闘の末、幾本かを掘りあげて帰宅したが、午後はなれない筋肉の使用で、、、、、、ぐったりと過ごす。

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2012年10月 9日 (火)

草茫茫と

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草茫茫として野に満つ”こんな句が浮かんだ。

その前に何かあったほうが落ち着くのだが、散歩の途中には何も浮かばなかった。

茫とはススキを言うのだが、茫茫となると乱れて始末のつけようもないさまを言う。

麻機のあちこちでは、ススキの穂もずいぶんと伸びて、背丈をはるかに越す高さで白く輝いている。

日没前になって、低くなった太陽の光は今日の名残を惜しむかのようにして、霞み立つ空気を染めてススキの穂を包み込もうとしているかのようだ。

帰ってからも上の句が気になった。そこで

秋霞 草茫茫と 野辺に満つ    

としたが、自分程度の能力では、、、、、、まあこんところかな

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2012年10月 8日 (月)

一家総出で田んぼに入る

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今日は寒露。寒い空気が入ってきて草木に冷たい露がつくころ、と言う時期だそうだが、今年は暦の上だけの話しになる。

しかし、季節は進み稲も熟れて、静岡あたりでもこの三連休が稲刈りの繁忙期にはいった。

さすがに手刈りの家は見ることが出来ないが、半分くらいは稲刈り機で稲を刈り、結束するが、その後、稲架に掛けて乾燥するのは、人手に頼るしかない。

あちこちの田んぼでは、五~六人の人が集まってよそ目には長閑に作業を始めているが、、、、、(実際に手伝うとかなり重労働である)

家に子供だけ置いてくるわけには行かないのか、子供のほうから自発的に来ているのか、、、、、、田んぼの中から甲高い声が聞こえてきた。

小さな手で一束を抱えて差し出すと、「ありがとう」と答えたらしく、遠目にも満足気な様子が見て取れ、最近子供を仕事から遠ざけている過程と違った雰囲気が見て取れた。

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久しぶりに明るいニュースが入ってきた。

ノーベル賞医学賞に山中伸弥さんが決まったとのことだった。

まえから、ノーベル賞に一番近い人といわれいたが、あやふやな基準で受賞する平和賞と違って物理、化学の部門での受賞は発表後、事実が確定してからの受賞が多いため、まだ先のことと思っていた。

そして、日本ではノーベル賞が最高の賞だとして以前から評価され、受賞すると大騒ぎをしているが、世界的に見てこの賞はどんな評価なのだろうかと気になっている。

「日本の常識はせかいの非常識」または、その反対のこともあるようだが、、、、ノーベル賞に限ってはそうでないことと信じている。

その一方で、最近化粧品などのコマーシャルで、「モンドセレクション三年受賞」などといかにも品質が世界に認められたかのようにして放送している。

どんな賞なのかと検索してみたら、この賞はお金を添えて申請すればほとんど無条件で受賞できると書いてあり、そのほとんどが日本からの申請だそうで、世界的に見れば権威もへったくれもないとのことだった。

お金で買った賞。”賞”というものに縁のない人は、こんなことに騙されて買い物するのだろうか、、、

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2012年10月 7日 (日)

森の木陰で

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森の木陰でドンジャラホイ、、、、とい歌が聞こえてきそうな雰囲気のきのこ。

孫たちがまだ保育園に行っていたとき、どんぐりを拾いに付いて行った公園の一角に生えていた。

種類としては、キタマゴタケである。

漢字で書けば黄卵茸となり、来た孫茸ではない。

タマゴタケの仲間は食べられるのが多く、このキノコも食べられるとは聞いているが、まだ食べたことがない。

キノコは、地下にある菌糸の花で、種類はたくさんありすぎて、飛騨の山奥で育った自分も主に父親から教えてもらったものほか、ごくわずかなものしか知らないので、名前が分かっていて食べられるキノコはごく限られて20種類くらいしかない。(毒キノコも10種類くらい、したがって分からないものは採取しない。)

キノコほど、土地によって名前が違い、食べられる、食べられないの判断がちがうものはあまりないのではないだろうか。

食べられないキノコと言っても、毒の有る無しのほか、食べても美味くないと言うのもある。しかし、毒があっても、河豚のように毒を消す調理法や、美味くないといっても土地の人による味覚や、調理法で美味くするなどの違いが有る。

そのため、長野の義弟らと話していても、なかなか話がかみ合わない、、、。

ともあれ、今回のこのキノコはそのまま放ってきた。

なぜなら、小人さんが歌って騒ぐ場所をなくしては可愛そうだから。

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2012年10月 6日 (土)

意外と身近に(南蛮煙管)

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南蛮煙管の花を久しぶりに見つけた。

022_2以前、この花を見たのは20年余前に、裾野市の現場で、ススキの原の入り口で見かけたきりで、その後見に行ったときには跡形もなかったことから、長年探していたものだった。

このときの経験から、身近にはない花と思っていたが、家から歩いて15分とはかからない池ヶ谷の高台。

最近は、毎年のように初日の出を迎える場所に咲いていた。

初めは、花が終わって萎れた茎を見つけ、半端がっかりしながらも写真にし、立ち上がって辺りを見回したら、ススキの合間に点々とピンクの花が見えたときにはうれしかった。

あちことを掻き分けて、一枚また一枚と写して回った。

なんだか、童話の「チルチルミチル」ではないが、遠いところを探し回っていたら、幸せはごく身近にあった。と言う話に似ているような気がした。

南蛮煙管は、そのむかし”思い草”と言われたそうで、万葉の歌集にも取り上げられているそうな。

少し小首をかしげたようにも見える姿と花の先端がほんのりとした赤色から名付けられたのは想像上かたくなく、むかしから愛されてきた花なのであろう。

そして、戦国時代末期に鉄砲などとともに、煙草が日本に入ってきたとき、その喫煙道具として一緒に入ってきた煙管の雁首を想像させることから、いつの間にか”南蛮煙管”が名前を取って代わったようだ。

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017この花、一見可愛らしいのの花だが、ススキ、陸稲、とうもろこしなどの養分を横取りする寄生植物で、毎年のように花粉を飛ばしてあちこちに移動する一年生植物だそうだ。

そのため、花粉を飛ばす時期に強い風が吹けば、翌年にはどこかに行ってしまう可能性もある。

いわば、風天の寅さん同様、一ヶ所で落ち着くことできなくて、また来年になれば「いずくの地におきましても、おあにぃさん、おあねぇさんの引き立てを蒙りまして、以後万端よろしく願い申し上げます」とばかりに仁義を切ってあちこちさすらい歩くのだろうと思うとおかしくなってしまう。

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煙管といえば、子供の頃、親父の煙管のやに取りをさせられたことがあるが、長くなるので、、、、、

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2012年10月 5日 (金)

水葵の花

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久しぶりに麻機の流通センター側に行って見た。

今年の気候もあったのか、水葵がいつも咲く場所での開花が遅れていてなかなか目にすることが出来なかったためである。

生い茂って、背丈を越す草や葛などの蔓植物で狭くなった道を行くと、久しぶりに濃い青色をした場所に出た。

ようやく咲いたのか、それにしても何時の間にといった感じで咲いている。

この草は、ほかの植物が生い茂ると種を地面に埋めたまま芽を吹くことがなく、蓮の種同様、チャンスが来るのを何でも待つことが出来ると言う特性を持っている。

そのため、毎年咲かせようとすると、毎年地面をかき混ぜて、発芽を促してやらなければならない。

以前は、白い花のオモダカ同様田んぼの雑草として嫌われていたが、最近では絶滅危惧種に入れられるほど数を減らしてきていて、このように咲かせるには人の手に頼らなければならないところまできた。

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2012年10月 4日 (木)

空はすっきり

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車花、一目でしそ科の花と分かる形をしている。

うすむらさきの唇形の花を、茎の周りにぐるりと付けているさまは踊子草とも似ているが、花の大きさは一段と小さい。

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今日はここ二~三日続く天気の良さにつられて朝霧高原へ行ってみた。

気温は、標高500mを超える田貫湖付近でも25度を越える夏日となったが、沿道のススキの穂はすっかり伸びきり秋も真っ盛りといった感じ。

雲の間から見える、富士山も静岡から見る真っ黒な富士山と違って、ひだの一つ一つがくっきり見えるのは、空気が澄み切っているからであろう。

いつもなら、ここへ来ると歩いて湖を一周するのだが、休暇村下の木道を補修しているらしく、通行止めになっていた。

そのほかにも、道路工事などで行けないところもあって、小田貫湿原をいつものように散策しただけ、、、、。

湿原のほうも、紅葉には早く、草花の数が少なく、なんだか空振り気味で、、、、

気分も中途半端のまま帰ってきた。

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2012年10月 3日 (水)

長閑な秋日和に

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秋の花と言われたコスモスが次第に色鮮やかになってきた。

Img_0014日本名を”秋桜”なんて素敵な名前が付けられたが、真夏から咲いているのを見ると「ちょっと待てよ」なんて気さえするこのごろである。

同じ場所に並んで据えられている二つの石像。

下の写真は道祖神なのだが、上の石像はなんだろう。頭の様子からは、仏様でないような気もするが、、、、、まあ、余計な詮索は、長閑な秋日和に免じて、、、、、、、なしにしておこう。

それにしても、このコスモスの花、花立に入れてあるものでなく、路傍の石仏を囲むように咲いているのを見ると、意識して植えられたか、それともこぼれ種が芽を出し自然に育ったものなのか分からない。

ただ、淡い桃色の花と、年を経て輪郭も薄れてきた石仏の柔和な印象が、なんとも心を和ませる光景である。

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先月、御前崎の浜岡原発の再稼動を問う県民投票条例を16万人余の署名を集めて県議会に提出され、知事もこの案に賛意を表明したが、まず、事務局である県がこれでは不備があって上程することにならないとにべもない態度をとった。

そして、最近では自民党はもとより、知事与党の民主党ふじのくに県議団も纏まることができず、一部有志議員に任せると言うことになり、この願いは否決される見通しだと言う。

知事が言うように、この問題は県民一人ひとりが考えて結論を出すと言うのがまともだと思うのだが、県職員であるお役所や県会議員諸氏には中部電力や原発維持派をおもんばかってか、または、一般県民に指図されて動くのが嫌なのか、県民投票には難くせをつけて阻もうとしている。

投票条例に不備があるのなら、修正してみんなが納得する形に直してでもやろうとする気がまったくなく、いわゆる、門前払いでことを済まそうとしているとしか見えない。

お役所や県会議員たちは、税金で生活している人たちであり、いわゆる公僕である。その人たちが県民より偉いと思っているところに問題がある。

これもやはり、先日のことになるが、大阪維新の会の選挙権を権利を一人一票みしようと提案されたとき、新しく参加を認められた国会議員が「俺たちは背後に10万票余の信任を受けているのだから」と文句をつけたそうだが、それに同じくするような現象と見た。

今回、浜岡原発で証明した人たちはもとより、この報道で議会の高慢ぶりを知った人たちは、次の選挙では決して赦さないことと思う。

もし、それを忘れて「おらが選挙区の、、、」と言う人いれば、、、おばかさんだよ

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2012年10月 2日 (火)

みんなどこへ行った

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風の中のスバル 砂の中の銀河

みんなどこへ行った 見守られることもなく

中島みゆきの歌う「地上の砂」の出だしの部分である。

この歌を聴くと、鉱山、アンデス、静岡でともに働いた人たちを思い出し、感慨にふけってしまう。

脳裏に浮かぶ人たちそれぞれが、名もなき地上の星であったと、、、故郷を離れ仕事をやめた後、これらの人とはほとんどと言っていいくらい会っていない。

故郷に帰っても、街中では知った顔は見ない。そのほとんどが、定年とともに散りじりになり、、、、、、どこへ行ったのかその行く先も知らない。

生活のためとはいえ、みんな身を粉にして働き、時にはライバルとして憎しみ会い、時には同じ苦労をする中で共感をともにした仲間、それぞれがそのときそのときの英雄であり、希望の星、うらやましくねたましい存在で、光り輝いていた。

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012麻機の一角、いまだ夏の暑さを残し地上は熱気に満ちている。

そんななか、朝顔、オシロイバナ、豆朝顔と色とりどりの夏の花が纏まって咲いている場所があった。

もし高山でこんな場所があったなら、”お花畑だ”なんて騒がれているに違いない。

しかし、平地では雑草の花としか見られず、無視されている。

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2012年10月 1日 (月)

衣替え

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実は昨夜このブログを書いた後、風の音が静かになったので空を見上げると雲のない空に一点の欠けもない満月が煌々と輝いていた。

台風一過とはまさにこの状態をいう見本のように、、、、あまりの変わり身の早さに驚いて空をしばし眺めていた。

その空模様が、朝まで続いていたようで、いつもは低い雲を真っ赤に染めて日が昇るのだが、赤く染める雲が見当たらない夜明けとなった。

025台風の暴風圏にすっぽりと嵌ったはずの麻機田んぼもほとんど被害がなく、倒され水に浸かった稲もなく、早刈りをして稲束を掛けた稲架も倒れたのが見当たらない。

被害にあった人には悪いが、ここで見る限りでは、上々の台風だったように見える。

昨夜見ほれた中秋の名月も、朝の散歩時には、西の山の尾根に立つ鉄塔を串刺しにして沈む、まさに月見団子のように見え、食事前のすきっ腹には     

 なんともはや

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今日は衣替え、もともとは宮中のしきたりのようであったが、明治になって官公庁や軍、少し遅れて学校でも行われるようになった。

こちとらとしては、官公庁勤めはしたことがないので暑くなれば薄着をし、寒くなれば重ね着をして仕事をしたので、暑さ寒さ関係なく、制服を着替えるような馬鹿げたしきたりには無縁であった。

最近では、夏の間のノーネクタイも認められたものの、今日のように気温が30度と秋の訪れが遅くなった年は、さぞ辛かろうと思う。

それかあらぬか、内閣のほうも10人の閣僚を入れ替える改造をおこなった。

解散も間近いので、これが最後の人たちに大臣の肩書きをつけようと新しい人を引き上げ、見せ掛けの新鮮味を出すのかと思ったら、党の役職者と閣僚というトランプで言えば絵札のような人をあちこちと移し変えただけのことで、期待感も高揚感も無い古ぼけた印象しかない人事になった。

つまり、衣替えでなく、下着と上着を入れ替えただけに終わってしまった。

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空には、十六夜の月が今夜も地上を照らし、コオロギが月をたたえる賛美歌を歌っている。

人間の世界にもこんな時代が何時来るのだろうか。

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